表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/20

第17話「祭場の輪歌(りんか)」

 縫い所の黄銅の秤が、夜気の残りを一度だけ歌い、静かに座った。胸の内では、昨夜置いた一行が広場の方角を指している。

『明日の机は、祭場さいじょうの声の上に』


 王都祭の朝――門の椅子道は人波で満ち、市場の座札は右下を太く光らせ、遠くで祈祷所の鐘が三つ深く落ちた。祭場は王都の心臓部、四つの街路が渦を巻いて流れ込む広い石畳だ。中央には口上台、その背に木組みの舞台。頭上には王旗と商人旗と市座旗、それから新しく刷った座札旗――右下に小さな椅子印。


 市座頭アザミが腕を組んで待っていた。額の薄い傷が、朝日に細く光る。隣には祭役長サリト――祭の段取りを束ねる男。胸元には口上札の束、腰には小鼓こつづみ

「祭は声で立つ」サリトは言った。「押す声も、祝う声も。座らせるなら、死なせるな」


「押すのをやめ、座る場所を作る」俺は頷く。「声が道に変わらぬように」


 段取りは決めてきた。四脚机式を広場まるごとに“置く”。


右下=礼の脚:座札と椅子印を広場の四隅・通路の角・屋台の値札の右下へ。


左上=拍の息:太鼓(大)を北東・南西に、関太鼓(中)を北西・南東に。童歌の輪を四すみに置く。


左下=重の座:筆の秤の臨時台を二基、錘歌の板譜を口上台の脇へ。


右上=技の結び:ほどくための輪を舞台の扉・口上の筆・奉納の封に先置き。


 ミラは粉袋を提げ、椅子印を石畳に四角で刻む。老司は祈祷書を閉じたまま、息の節を低く回す。エリナは杖先で一打 深く、二打 低くを刻み、ゼンジは小錘を台の四隅へ。セヴランは糸張り器を風に晒し、ルシアは筆を握って書かずに視で青棚の位置を決める。ヘイルとガロウは抜けの道を見て、ザイルと椅子印で丸く塞ぐ。

 アザミは札刻イブスの新刷の座札を配り、市座の若者らが右下へ小さな脚を貼って回る。門尉長ライサの兵も手伝い、筆の秤の台は「侮辱は重く響く」の札を掲げた。


『この広場で交わす言と歌は、今だけ秤に薄く映る**(侮辱の重さだけ強く響く/椅子印の上だけ)』


 黄銅がかすかに歌い、空気の布が折れて座る。サリトが小鼓を二度打ち、口上台に祭の口を置く。

「――ようこそ王都祭へ!」

 声は二拍目で伸び、押しではなく座で届く。人の肩から力が抜け、笑いが椅子に似た形で輪になっていく。


 最初の乱れは、歌い手の群から来た。白い外套、薄い面、扇の縁に細い線。合唱狩り――群れで声を一つに束ね、二拍目を針にして広場に道を通す。

「王名を載せた大合唱!」面の中央が叫び、王旗の柄を持つ少年の列に近づく。「前へ!」

 命令の形だ。二拍目が短く切れ、足が揃って行進の拍に落ちる。童歌の輪が遅れ、道が広場の真ん中を縦に走りかける。


 俺は太鼓を低く一打。黙礼。続けて二打 低く。左上が座り直る。

「輪だ」ミラが囁き、子らの輪へ走る。「輪歌に変える!」

 輪歌りんか――童歌を広場の輪に拡張する手。一打 深く、二打は隣へ渡す。線でなく輪。

 エリナが北東の太鼓を深く、南西を低く。老司が「前へ」の代わりに「座って」の息を短く添え、アザミが座札を掲げる。「右下を見て! 座って渡れ!」


 王旗の少年の列が輪歌に巻き込まれ、前でなく回へ変わる。王名は遠ざける。余白は右上で受ける。扇の縁の線は輪に触れて鈍った。

 合唱狩りの面が一つ、首だけで不満を示す。「遅い。祭は速さだ」

「速さの反動は角を食う」アザミが言い、口上台から二拍目で伸びる。「座って輪へ。道は最後」


 次の刃は、値喰いと口上狩りの連携で来た。舞台の袖から面が二つ、片や値の式を口上に混ぜ、片や二拍目を針にする。呼と値が絡み、値切りの線が観衆の間に走る。錘歌だけでは少し薄い。

 俺は縫い所で用意した声札こえふだを取り出し、座札に重ねて屋台へ配った。右上に小さな結び印、右下に椅子。

『声札:呼は二拍目で伸ばし/侮辱は重く/値は歌に』


 声は座に落ち、値は歌に寄る。喧嘩の刃は重くなって短く切れ、笑いが輪の中で長く伸びた。筆の秤の台は「軽い噂は風に」と札を掲げ、短く歌う。

 ――そこで、香が来た。

 香車が二台、広場の中へ滑り込み、白い煙を低く垂らす。香狩り。甘い息に細い針。鼻から喉、拍を抜く道。

 ヘイルが槍を横にし、ガロウがザイルで車輪を持ち、俺は風へ頼みを落とす。


『風よ、香に礼を。――低く、丸く、輪歌の椅子に座るように』


 香は角を失い、輪の縁でほどける。合唱狩りが焦って薄笛を持ち出す。行進の刻み。

 エリナは一打 深く、二打を遅らせる。「回って!」

 輪歌が広場いっぱいに広がり、四つの太鼓が深/低/深/低で輪を回す。人の足拍は回へ変わり、行は道でなく机を周る。口上狩りの針は輪の椅子に刺さって鈍り、値喰いの式は錘歌の譜に絡め取られた。


 ――ただ、一箇所だけ薄かった。広場の西、祭供さいぐの封の前。右上の解を置いたはずだが、封吏が交代して余白を埋めている。王名の道が速い。

 ミラが走り、ほどくための輪を封の口へ先に座らせる。「開くときは礼で!」

 封吏が一瞬躊躇し、その躊躇が座になった。封は開き、閉じても解が先に座る。面の二人が舌打ちを合わせ、わずかに退く。


 輪歌が広場を覆うと、合唱狩りは最後の手を出した。

 ――旗歌はたうた

 王旗の柄に細い線を染み込ませ、旗そのものを道にする狩りだ。王名の円を装い、二拍目を針にして人々を聖路へ押し出す。

 面の列が王旗を掲げ、声をそろえて叫ぶ。「王名のために前へ!」

 輪がひと呼吸だけ躊躇した。王名は遠ざける――だが、旗は近い。子らの目がまばたき、老人の背筋がわずかに伸びる。


 俺は太鼓を抱え、黙礼の一打を深く。二打を低く。

 それでも足りない。王名の旗には王の机が通っている。昨夜、上席の右下を本座にしたばかりだ。なら――王の机から返礼を借りる。


『上席裏の返礼、ひととき祭場へ貸す(王都使が見ている間/命令にしない)』


 胸の中の針簿へ一行を置いた瞬間、風の筋が変わった。遠くで評定の机が四脚で軋み、右上の余白が丸く、右下の脚が深く。

 王都使オルドランが広場の端に姿を見せ、封蝋の椅子印を胸で示す。声は低いが、二拍目で伸ぶ。

「王名は椅子に座る。――旗は輪で回せ」


 王旗の布が輪歌の風に丸くなり、柄の線は輪の椅子に当たって鈍る。面の中の誰かが歯噛みし、旗歌は輪に引かれて座に変わった。王の名は道にならない。椅子に座る。


 広場は一斉に息を吐いた。笑いが二拍目で伸び、喧嘩の端は秤の上で重く短く終わる。呼は座に落ち、値は歌に寄る。合唱狩りは散り、香車は角を失い、口上狩り/値喰いは輪の中で式を解かれて退いた。


 サリトが口上台で小鼓を二打、低く打ち、深く礼した。

「座って祝え。――王都祭は座で立つ」

 輪歌は夜まで続いた。日暮れが広場の石を深く染めるころ、口上台の脇で返礼座を小さく起こし、昼の借りを数で返して回る。水の桶を借りた屋台、鐘を借りた祈祷所、太鼓を借りた子ら――返りは童歌一節、深い一打の後に。

 ゼンジの皿は薄く歌い続け、ミラは結びを解いては掛け直し、エリナは杖先の灯を丸く保つ。ヘイルは槍を肩に、ガロウは抜けを見張り、セヴランは糸で白から青への震えを写し、ルシアは書かずに目で青棚の増え方を数えた。アザミは市座の端で「右下を重く」の札をもう一束刷らせ、ライサは門の列を見に行って戻り、「待機が短い」とだけ笑った。


 夜――

 灯は丸く、影も丸く。面のいくつかがまだ周縁に潜んでいたが、輪に入らなければ道になれない。合唱狩りは一度だけ薄笛を鳴らし、輪は一手の拍手で返した。

 最後の奉納――声の奉納は、王の机の右上から余白を借りる儀。扉に礼、封にほどく、筆に余白。サリトは口上を二拍目で伸ばし、祈祷所の鐘は深く落ちた。

 俺は太鼓を低く一度打ち、輪歌の輪に小さな椅子を一脚、座らせる。

『祭場:輪歌/座札/声札/筆の秤/返礼座。――命令は最後/礼を先に』


 王都使が短く頷き、封蝋の椅子印を小高い台に押した。王名は遠ざけられ、秤で支えられる。評定の使者が一枚の文を差し出した。


 ――『諮問 第三回、明日、秤の間にて。祭場の記を持参せよ』


 祭は輪のまま解けていき、人々は椅子の島を踏んで家路へ向かった。争論は少なく、侮辱は短く、笑いは長い。王都はわずかに丸い。


 片付けのあと、アザミが額の汗を袖で拭って言う。

「輪歌は市座の掟に入れる。呼は二拍目、値は歌、右下は重く。……次は諮問か」

 ライサは顎を引く。「門の台にも『右上に余白』を刷って貼る。筆が走る前に止まれる」


 オルドランは封蝋の椅子印をしまい、低く言った。

「四脚は市まで届いた。第三回では“誰が机に座るか”を問う。王名は遠ざけられた。――四脚机式の席を、王都にどう配る?」


 席――

 俺は胸の中の針簿を撫で、輪歌の輪を一つ思い出の中で座らせる。机に座るのは命令ではない。席は貸し借りができる。返礼で巡る。

 ミラが小声で言う。「席は足もある。椅子を運ぶ足。……塔と祈祷所と市座と門、四つの足で」


 縫い所に戻り、机の上で座札と声札と返礼座の控えを束ねる。セヴランが糸を青の棚へ掛け替え、ルシアが筆を握ったまま見出しだけを目で書く――『祭場:輪歌 成立/争論件数 減/侮辱 重度 短縮/待機列 短縮』。ゼンジは数を整え、老司は祈祷書の端に輪歌の節を縫い、エリナは杖先の灯を丸く消した。ヘイルとガロウは槍とザイルを壁へ掛け、アザミは座札の余りを机の角に置く。


 俺は針簿の余白に清書した。


『祭場:輪歌で声を座らせる。旗歌は輪に、香狩りは低く、合唱狩りは二拍目で丸く。――四脚機式、市へ浸透』


 頭痛は来ない。礼は反動を薄くする。黄銅の秤が短く歌い、祈祷所の鐘が深く応える。窓の外で商人旗が丸い拍を返した。


 ただ一つ、机の端で針簿が微かに冷えた。祭の終わりに配られた小さな紙片――誰かが輪の中で手渡してきたもの。

 『机は座った。席はまだだ。――席を誤れば、脚がまた食われる』

 文字は黒く、右下がわずかに痩せている。椅子狩りの手か、縫い師の残した警か。


 俺は最終頁に一行だけ座りを置いた。


『明日の机は、諮問第三回の席の上に』


 正解は、置くもの。

 輪の上に。席の上に。礼の上に。拍の上に。重さの上に。結びの上に。

 ――次は、誰が座るかを置きに行く。命令は最後。礼を先に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ