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それでもイヴとアダムは恋をしない  作者: 機械が恋敵
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第9話 戦術転換

 週明け。雨上がりのガラスに光が滲み、A課の島にまだら模様が広がる。

 複合機は紙と共に時限インクの甘い匂いを吐き出し、せっかくのコーヒーを台無しにする、いつもの朝。


 「九条ちゃん」

 風見は少し前のめりな姿勢で、手招きする。何かの合図のように。

 「今日から数値で話す練習、実戦でやってみるか。まずはゼロインとか、ボルトの締付けトルクあたりが掴みやすいか」

 (来た、実戦訓練。予想はしてた、ビビッてない)

 『有栖、今のあなたは、良い緊張。いけますね』イヴはまだぎこちなさが残るが、ひと押しをくれる。

 「はい、数値に置き換え。解りました。昔、流行ったO()J()T()ですね」

 有栖は少々皮肉交じりに応える。

 「いや、それなら()()()()()の方かな、昔、流行った」

 風見の笑いながらの切り返し、やはり上手だ。

 (相手の馴染んだ単位で数字に置き換え、同意を得る実弾。風見さんの言葉。昨日、何度も心の中で反芻したやつ)


 「100メートル先、1cm、Mil-dotスコープで1クリック。……銃口角度は0.0057°」

 「M24機関部固定ボルトの締付けトルクは、規定値65インチポンド、およそ7N·m。だけど、設計や素材、工作精度で±10%が調整範囲。追い込み過ぎはダメ。」

 その目は笑っているのに、芯が冷たい。鍛えられた狙撃手の視線、でも逃げ道を断つのとは違う。人としての優しさか。


 「数字っすか? じゃあ九条さんの人気度は、習志野アンケで100パーですね」

 佐伯が缶をプシュッと開けて、満面の笑み。

 「それは統計不正です! サンプル数ゼロ!」

 「ゼロでも百は百ってことで……いだぁっ!」

 紫苑が無言で佐伯の二の腕を小突く。

 高城は咳払い一つ。手元の資料を「もう読んだよ」とでも言うように返してくる


 「九条」

 紫苑の声はやわらかいが、言葉は真芯を撃ち抜く。

 「数値は相手の()()()()()()()を減らす。でも逃げ道を塞ぐのはダメ。決めてもらうひと押し」

 「はい」

 (逃げ道を塞ぐんじゃなく、逃げる必要が無いって納得してもらう。そのための数字。……やれる)

 複合機が最後の一部を吐き出した。資料の表紙には、濃いグレーの字で「M24近代化改修 一次提案ドラフト。

 その下には、小さい文字で「作成者:九条 有栖」

 責任につながる1行。


 〈EVE_LOG/共感_v1.0〉

 [08:41:12 観測:有栖の発話速度+7%→期待/緊張の混合]

 [08:41:20 推奨:自己ラベリング「数値は味方」]


 (よし、()()()()()。……いける)

 適度な緊張が有栖をその気にさせる。


 H&C本社一角に構える、Raijin Armsの商談スペースを兼ねたショールーム。

 その入り口ドアの前に風見と有栖は立っていた。

 「イヴ、これから打ち合わせだから、また後で」

 「承知しました、有栖。録音データの文字お越しは、お任せを」

 「フフ、もちろん。それじゃ後でね」


 Raijin Armsのショールームは、前回よりも整って見えた。

 壁面のディスプレイには試作シャーシの展開図。光学デバイス用のマウント類も並ぶ。

 商談テーブルにはいくつかの弾薬サンプルが、転がり落ちないように、ガラスの灰皿に収まっていた。

 「古いスワロフスキーですか。自分はスコープしか、使ったことありませんが」

 「よく解ったね。オヤジの形見なんだけど、俺は煙草を吸わないんでね」

 Raijin Arms取締役の東条雅臣。エリートのはずだが、親しみある人間臭さを感じさせる。

 「良いじゃないですか。今は息子と職場を共にしてるんですから」

 「……そうだな、確かに」東条の顔がほころぶ。

 (風見さん、良いこと言うな。こういうところも……)

 有栖はハッと我に返り、頬を叩く。

 「どうした?九条ちゃん」

 「あ、いえ、気合を入れてるんです!さぁ、始めましょう!」

 有栖は気持ちを悟られまいと、少し大きな声で返事をしていた。


 東条はスーツを椅子の背もたれに掛け、シャツの袖を肘までまくる。

 図面を広げ風見に問いかける。「……今日は要求が多いって聞いてますけど」

 笑いながら、目だけは笑っていない。プロの顔。


 「九条ちゃん」

 「はい、こちらを」

 有栖は用意した資料を風見の前に置く。

 風見は資料を東条の前に、静かに押し出す。

 沈黙が落ちる。空調の送風音が、秒針より少し低い。


 (来た、無音の会話。この間を耐えろ、私)有栖の鼓動が一拍、二拍。

 (まだ。しゃべるのは向こうが口を開いてから。数値は納得のひと押しが必要な時に)


 東条が資料を開く。黙ってゆっくりと。それでもページをめくる音が、やけに大きい。

 「スリングのQDポイント、フロントは光学デバイス用のブリッジとストック先端の左右に1対ずつ」

 「そしてリアも後端の上下に1対ずつ。合計8か所。これなら肩掛けもタスキ掛けも、右利きも左利きもいけますので」

 風見は広げられた図面を指し、技術者である東条の同意を待つ。

 「機関部を中心に上下左右にQDポイントがあれば、様々な携行方法でもライフルが安定するな」取締役が眉を上げた。

 「えぇ、携行方法の改善は今回の重要な点なんで」


 有栖は横から資料を差し出す。

 「ボルトの締付けトルク、規定は65インチポンド、約7N·m。素材や加工精度で±10%が調整範囲です」

 「OK、なら3%内を狙うか。素材の分はその特性によるが、加工精度で上げられる分はこちらの範囲だからね」

 「それなら、組み立て時のカンの範囲が、小さくできますね」

 東条の技術者としての自信と、有栖の理解力が噛み合う。

 「それから……予算が取れるなら、H&Cでバレル新造の案も。専用の新鋼材なら、バレル寿命は何発までいけますか?」

 東条の口元に笑みが浮かぶ。

 「九条さん、H&Cの事もちゃんと調べてるね。12,000発はいけるよ」


 「保守部品については?」今度は東条からの問いかけだ。

 「その前に、サンプルって事で4本どうにかなりません?現場で試験を兼ねて仮導入、そんで予算化に繋げますから」

 技術のあとは営業の話しへと変わる。

 「4本かぁ……ほぼ手作りみたいなもんだから、どうやって理由付けするかな」

 東条は続ける。

 「バレルの新造も受注できれば良いが、行けるのかい?」

 東条の疑問はもっともだ。

 「シャーシストックだけでも効果は充分。でもそれ、ライフルとして使える前提ですから」

 風見は当然のように返す。

 「眠ってるM24の状態は様々、そのための案もあるから安心しろ、と」

 「そうです。使いたいけど使う意味が無い。ってならないように」

 「あと、新規採用のボルトアクションライフルは機関部とストックが一体型です」

 「おいおい、ソレ言っちゃったら、ウチがイイよって言い難くなるよ」

 東条の言う事もまた当然だ。

 「Made In Japanをアピールするのは欧米狙いでしょ。ウチは輸入だけじゃなく輸出もやるんで」

 「……確かにRaijin Armsの名は、欧米ウケを狙ったものだな」

 「民間なら、まだまだシャーシストックの需要ありますよ。日本製高品質ガンパーツ……それも自衛隊採用のお墨付き」

 「風見さん、交渉相手を間違ってないかい?」

 「自分はRaijin Armsの株主企業の社員として言ってます。自分の仕事含め、です」

 東条は腕を組み考える。この時は技術者では無く、経営者だ。

 「う~ん、使うか。魔法の言葉。広告宣伝費」


 会議室に短い笑いが走った。風見はそれ以上追わず、沈黙で締めに入る。

 (……()()を使うと思ったのに、今日は畳み掛けて押し切った。でも、東条さんの納得がちゃんとある……)



 夕刻。オフィスへの帰り道、有栖はスマートフォンを操作し、録音データをイヴへと渡す。

 『有栖、文字起こしのファイルは、社内チャット宛てに送信済みです』。

 「どうですか?何か気になる点は御座いますか?フフ」

 有栖は風見の営業スタイルを、イヴがどう感じるかに興味が向いていた。

 『はい、有栖。いろいろと興味深いのですが、音声だけだと解らない事が』

 「イヴも、解らない事が、なんて言うだね」

 『はい、有栖。私は超高性能AIですが、神ではありませんので。フフフ』

 (イヴの冗談を久しぶりに聞いたかも。ちょっと安心した)


 風見はオフィスに着き、すぐに有栖が作ったM24改修の提案書を見返す。

 「数値の準備はOK。予定外の状況に出くわした時も、今日は問題無し」

 「風見さん……今日も私は試されてたんですか?」

 「それは事実だが、九条ちゃんはイケルと思ったからな」

 有栖の胸の奥が熱くなる。

 (認められた……風見さんに、認めてもらえたんだ)


 横で佐伯がわざとらしく溜め息をつく。

 「いやぁ、九条さんの背中が遠くに見える。……俺の数字の笑いは百点満点なのに」

 「自己評価は大事ですが、自分に甘すぎるのは、どうかと思いますよ」

 紫苑の容赦無いツッコミに佐伯もボケる。

 「だってだって、マジで俺、ペーペーのままじゃーん」


 笑いが落ち着いたところで、高城が言った。

 「九条さん。今朝真壁さんも言っていたが、風見さんは逃げ道を塞がずに、先方の納得を得ただろう」

 「はい」

 「一度きりの取引じゃ無い。クサイようだが、相手のためにならないと、ダメってことだ」

 「はい」

 紫苑が高城の隣で、笑顔で親指を立てている。

 有栖自身も大きな納得を得ていた。



 帰宅後。MagI/Oを机に置くと、イヴが声を落とした。

 『有栖、風見さんの営業スタイルが、予想と違いましたね』

 「そうなんだよイヴ。無音と数値で行くのかと思ってたのに」

 『でも有栖、あなたの学びは大きかったし、何より認められていました』

 「それはすごく嬉しい。皆がそれぞれの色で、それを伝えてくれた。でもまだまだ足りないと思う」

 『有栖、比較は不要。だってあなたは今、それぞれの色で、と言ったじゃありませんか』

 「いや、でも、まだまだだよ」

 『その、まだまだは、恋焦がれるのと同じですか?』

 「ちょ、またそういうことを……」


 頬が熱くなるのを隠せない。でも悪くないと、有栖は感じている


 (数値は納得につながる同意。畳み掛けと無音は、押してもダメなら引いてみろ、に近いかな?)


 〈EVE_LOG/共感_v1.0〉

 [19:31:43観測:有栖の感情→恋の自覚→未確定→経過観察]

 [19:36:15 観測:有栖の成長→交渉パターンの認知/戦術転換]


 「イヴ、私、ちゃんと成長してるよね。フフ」

 『はい、有栖』


 深呼吸して、イヴに笑いかけた。


8話に続き、提案内容をRaijin Armsと詰めていきます。


風見は有栖の上司として、様々な営業スタイルを見せるのですが、

取引先を大事にする点がA課として必ず通っているんですね。

さすが優良企業です。笑


数値の置換えで例に挙げたのはライフルのスコープの話しです。

厳密には違いますがMilはメートル法に近く計算がしやすいのが特徴です。


続くM24機関部固定ボルトの締付けトルクは、ベースとなったM700系と同じで、

標準的な値です。マニアの方がニヤッとしてくれれば幸いです。



さ~て、次回のそれ恋は~

いよいよストックのサンプルを習志野に持ち込みます。

有栖の成長は安田達の期待に応える事が出来るのか?


次回:先回り、遠回り

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