第4話 眼前のゼロイン・撃発
駐輪エリアにはオレンジのKTM SUPER DUKE 、紫苑がヘルメットを投げる。
「しっかり掴まれ。急ぐよ」
エンジンが唸り、75°Vツインの不等間爆発は、車体を弾くように前に押し出す。それでいてタイヤは宙を浮かない。車列の隙間をキレイに縫う。
『残り2時間40分』研究所ゲートまでの到達予測時間が気を逸らせる。
H&C研究所ゲート。二重扉の間で完全静止を求められる。頭上から薄い光格子が降り、全身を舐めるように走査した。
「音声認証、発声してください」
『イヴ、モニターサポートユニット。量子署名コード送信』
空間スピーカーにイヴの声が返り、端末には「権限承認:A-Class Monitor Support Unit」。
生体・音声・署名の三重認証が一瞬で通過する。未来的な、即時OK。
保管庫までの道のりはイヴが右目に最短動線を引く。
例のスイッチは真空パックと衝撃吸収材で護られ、さらに防爆ケースに入っていた。
何とか抱えられる大きさと重さ。
『残り2時間25分』ケースを抱えゲートに戻った。
「九条、ケース貸して。タンクの上に固定するから」紫苑は有栖に手を伸ばす。
「え、どうやって……」防爆ケースをバックパックに入れて戻るつもりだった有栖は戸惑った。
「九条が背負うのじゃ揺れが大きい。こういう時のためにコレ、持ってるの」
紫苑が手にしたのは衝撃吸収マットと、ラチェットハンドルの付いた固定用ベルト。
「タンクとフレームにキズが付くけど、ま、修理代は経費で落としてもらうわ」
そう言いながら、紫苑は衝撃吸収マットをタンクと防爆ケースの間に挟み、フレームに引っ掛けたベルトで器用に固定する。
「よし、急いで戻るよ」
「はい!」有栖はタンデムステップに載せた脚に力を入れた。
帰り道、紫苑は来た時以上に集中している。段差の角度を斜めに取って衝撃を殺し、イン側を浅く通る。
(出来る限り衝撃を食らわないようにしないと……)
車体の倒し込みが数度単位で制御されるのを、有栖は腰で覚える。
『残り1時間53分。揺れは許容範囲』
合同庁舎に戻ると、サーバールームは空調が停止され、代わりに伝導素材の温度調整器とESDマットが置かれていた。埃と静電気対策だ。
紫苑が人の流れを捌き、佐伯が機材と工具を展開する。
『残り1時間35分』
「イヴ、私……なんだよね?」
『はい。落ち着いているでしょう』
「……そうだね。イヴ、時間配分、計算して」
『……配線順オーバーレイ表示。左上から右下に8×4の順で指示します。端子形状確認後に挿入。力は均等に』
網膜投影ディスプレイを介して、イヴのサポートが視界に重なる。
有栖は静電気防止手袋をはめ、端子を一つずつ抜き差しする。カチ、と小さく噛む感触。
一本ごとにラベルを読み上げ、佐伯がログに打つ。
設置に入る。スイッチのカバーを外すと、これまで見てきた機械とも、電子機器とも違う異質。
淡い虹色のカム、鏡面の歯車、糸より細いスプリング。金属板そのものがセンサーになり、微小な膨張を拾う。数値が小刻みに揺れる。
『残り1時間5分』あと1時間、予定より時間が掛かった。
(ケーブルが32本だからスイッチも32個。1個2分弱。ビビるな、大丈夫)
『有栖、調整ネジは100クリックで1回転、1回転で0.01mm動きます。まずドライバーの感触をつかみましょう』
(こんな小さなネジじゃ、クリック感は期待できないな。でも、やるしかない)
『チューニング開始。上から1列目、左から1つ目……』イヴが静かに告げる。
『……噛み代0.0650から0.0645mmへ。ドライバー左に5クリック』
「イヴ、クリック感はほとんど無い。角度のオーバーレイ表示をお願い」
『角度のオーバーレイ表示、承知』
『……続いて上から2列目、右から1つ目、16番スイッチ。2列目最後です……』
「……了解」0.001 mm以下の作業が続く。
ドライバーは締めるのではなく、場所を探すようにゆっくり絞る。
イヴが増幅したMagI/O越しの、本当に僅かなノイズが消える。
小さなスイッチ一つひとつからは、澄んだ楽器のような音がかすかに聞こえる。
『残り28分。あと半分です』
(さすがに疲れる。でも、だいぶコツをつかめた。大丈夫)
『……次、上から4列目、右から2つ目、31番スイッチ。カム角0.118から0.125°。抵抗増加に注意。固定出来たら次……』
首と肩が痛い。緊張と疲労で視界が霞む。汗でドライバーが滑る。指が止まる。
『有栖、ビビッてますか?背中を押しますか?』
その時、背後から声が掛かる。
「九条ちゃん、大丈夫か?」
「あ、風見さん、どうして?」
「どうしてって、遅いなって思ってたとこで、イヴからメールが飛んできて。だから俺も飛んで来たんだよ」
「見た感じバテてんじゃん。で、300メートル先で1インチ修正するのに必要な角度は?」
「え?300メートル先の1インチ? もしかしてライフルですか?」
「そう、サイン、コサイン、タンジェント、中学でやったよな」
『銃口角度で約0.00485度』イヴが即答した。
「それ。それをライフル撃つときは常にやるんだ。そいつのチューニングより細けぇだろ」
有栖は一瞬きょとんとして、短く笑った。「フフ、じゃあ、私はゼロインもいけますね」
「それとイヴ、今ので大丈夫」
『はい、有栖』
『残り2分。最後の1つです』
終わる。終わらせる。頬を叩き、再びドライバーを摘まむ。進み過ぎたカム角を0.005°戻し。固定した。
『残り27秒。閉路完了。安定化まで10秒』
「アナログメーター、オールグリーン!アラート表示、全て消えました!」
H&Cの技術者が叫ぶ。
「よし!皆!部屋を出ろ!早く!」田中は皆が部屋を出るのを見届け、ギリギリでサーバールームから飛び出した。
サーバールームの重い扉がゆっくり閉まり、カキンとロックが掛かる音。
どこからともなく聞こえた冷却ファンの音も消え、一気に静寂に包まれる。
田中と高城は重い扉の横に有るステータス画面を確認し、安堵のため息をついた。
「やるじゃん、九条」紫苑が小さく笑い親指を立てる。
「九条さん、よくやった」高城の声がいつもより高い。
そしてサーバールーム前でへこたれるA課メンバーに、関係者が皆、頭を下げる。
『よくやりましたね。有栖の成長に、私も付いていくのが大変です』
オープンモードのイヴの声は、いつもより跳ねている。
「みんなに聞こえると、なんか照れるね」
いつも飄々としている風見も今は安堵の表情だ。
佐伯が端末をタップしながら顎を上げる。「間に合ったねー。Alphaチームの面子は維持。いやむしろ上がったか!」
冗談の温度が少し戻った。MP5の銃口は今日見た中で一番低い。
サーバーが何を担っているのかは、結局誰にも共有されなかった。だが、ロックダウンまでの数時間を削りながら辿り着いた復旧は、結果がすべてだった。
『学習、本日の有効行動は物理切断と指先の注意。記録テンプレを提案します』
「うん、お願い」
帰路、A課は甘いもの談義で和やかに傾く。
「九条、今日は帰りに何か甘いものだな」
「賛成。イヴもそう思うよね?」
『全面的に支持します。幸福度との相関が高いです』
「じゃ、今日はカレーじゃなくて甘いものな」
「……カレー?」
「まぁ今度話すよ。事件になる前に」
「なんですか、それ?」
笑いが、やっと素の温度を取り戻す。
その一方、H&C研究所の奥では低い声が交わされていた。
「今日の合同庁舎のサーバーって……」
「念のためと直前に点検入れたけど、本当に攻撃されるとはな」
「それで、機械式スイッチを使ったの?」
「ああ。しかも自前のAI認証で持ち出し、設置、チューニングまで」
「……例のモニター対象でしょ」
「そう。今日のログはなかなかスゴイぜ」
有栖は知らない。今聞こえるのは困難を共に乗り越えた仲間たちの声だけだ。
『あなたは動く、私は助ける』
「了解。もし止まったら?」
『押します。あなたが進む方向へ』
いつもと同じはずの返事が、少しだけ違って聞こえた。
デジタルより機械が好きなので趣味丸出しです。「機械式スイッチ」笑
アナログな機械ならハッキング出来ねーだろ!って発想で、
現代は無理でもちょっと未来なら出来るかも。を考えました。
調整にライフルのゼロインを例えたのも自分の趣味です。笑
0.00485度なんて息してなくても止められるとは思いません。
でも、当てるんです、人間は。
ゼロインは風見の過去と有栖の未来に関係する重要ワードです。
それとラストの研究所の会話。お解りの通り伏線です。お楽しみに。
さ~て、次回のそれ恋は~
事件解決でひと段落、とは行きません。お客様には関係無いそうです。笑
休日出勤するA課、普段見えない皆のプライベートが語られます。
次回:とらやと、KTMと、SILVAと、Remingtonと




