第3話 眼前のゼロイン・照準
合同庁舎の地下へ続く専用ゲートは、日常を遮断する重い空気をまとっていた。
温度も湿度も一定。床は黒曜石のように光沢を帯びている。
サーバールームの重い扉の前で、有栖は一瞬だけ息を整えた
『A-3導線は本日、私たちが優先』スマートフォンの電源を落とす前、イヴからの最後の通知。
廊下には同じプレートキャリアの警備員が、等間隔で立つ。
肩からはMP5 MLIⅡ、腰にはGLOCK17 Gen6。どちらも2020年代後半に発表された最新モデル。
東京事件以降、重武装化はかなり進んでいた。
「九条さん、カードを」
「はい」
ゲートを通る前に関係者と挨拶が行われた。高城と面識のあった初老の政府職員の田中は、サーバールームの責任者だ。
……高城の指示に応じて、内ポケットにしまっていた封筒を取り出し、ゲート横の警備員に渡す。
タブレット越しに透かしが確認され、封が切られる音がフロアに響いた後、入管カードが返される。なりすましと偽造防止のためだ。
入管カードとIDを重ね、リーダーにかざすと通過音が短く鳴り、扉が開く。その瞬間、カードは色が変わり、二度と使えなくなるのだ。
今日の作業は、A課で納入したH&C製N/W機器の点検立ち合い。
点検はH&Cの技術者2名が行い、A課は第三者監視としてサポートとログ取りを担当する。
有栖のスマートフォンとMagI/Oだけは非常時の外部連絡用として持ち込みの許可を取っていた。もちろん外部視聴モジュールは使えない。
何に使われているサーバーかは、ここにいる誰も知らされていない。
設置されるラック群は規則正しく並び、冷却ファンが乾いた空気をうねらせる。
耳の奥でわずかに風切りがうなり、鼻腔には樹脂と金属が温まる匂い。
「今日の訪問、めったに見れるものじゃないからね」紫苑が小声で有栖に告げる。
高城はスマートフォンの代わりに短冊メモを机に置き、要点だけを簡潔に伝える。
「入構→一次確認→動作確認。何かあれば交渉は俺。九条さんと佐伯は連絡と物資。真壁さんは皆のサポートを」
「ラジャー。Kilo先行、Sierraはコーヒー準備〜」と佐伯。
「はい。そうならない事を願いましょう」少し硬い表情で紫苑は言う。
その直後、本当に、本当に予期せぬ事が。
ラックから、耳を刺すようなビープが三連で鳴る。MP5の銃口が少し高くなる。
画面には赤い三角とACCESS DENIEDの文字が滲むように増殖した。
「……アクセス拒否?」若いH&C技術者が素っ頓狂な声を上げる。
隣の筐体にも同じアイコンが走り、波紋のように広がっていく。
「落ち着いて、すぐに調べて」ベテランH&C技術者が静かに言う。
「スイッチにハッキング!データは無事のようですが、向き先が変です!」
「ハッキング?おたくの機器のせいか!」ハッキングに反応した若い政府職員が怒鳴る。
「ハッキングはウチのせいじゃない!むしろウチの機器だから検知できた!」
「なんだと!このサーバーがなん……」
「このサーバーが何か口にしたら、別の問題になるぞ!」政府職員の田中の制止で、現場に響くのはアラート音だけになった。
「アレを欲しがる連中って?データの行先で解るか?」静かにしていた政府職員が小声で田中に問いかける。
「解らん……行先を調べるのは時間が掛かるだろう」田中が答える。
「それよりマズイな。本日15:00、サーバールームはセキュリティ更新で自動封鎖。解除は外部承認が必要、再入構は最短でも数時間後になる」
高城が短く問う。「再起動ではダメでしょうか?」
何かを考えながらベテラン技術者は答える。
「ダメだな。認証が書き換えられている。同型機器はもう使えない」
キンっと音がするように場が凍る。誰もが時間を見積もる。移動、搬出、搬入、設置、初期化、検証。余裕はない。
「高城さん、ちょっといいかい。あとH&Cの技術者さんも」田中が声を掛けラックの向こう側へ。
「さっきはウチの若いのが済まない。ウチに来たばかりでコレだから許して欲しい」
小声だが何とか聞こえる声が続く。
「状況は今話した通り。済まない。詳しいことは言えないが、封鎖の前に通信だけは復旧させないとマズイ」
「ただ、今だったのは不幸中の幸いか。……何とか頼む」
実務では相当なポジションの田中が頭を下げている。
理由は解らない。理不尽かもしれない。ただ、やらなければならないのだ。
(でも、仕事ってこういうもんなんだろうな。父さんも言ってたし)
有栖は妙に納得できた。
しかし、対策が有る訳でもないのも事実だ。
そんな時、H&Cのベテラン技術者が、思い詰めた表情で静かに言う。
「……機械式スイッチならハッキング出来ない。……動く試験機が研究所にはある」
説明は端的だ。意味は理解できる。が、充分にイカレている。
内部は摩耗ゼロを狙ったDLCコーティングのカム、ナノメートル精度で研磨されたギア、熱膨張係数の極端に小さな新素材スプリング。
動作は機械的リンクのみ。ナノ秒単位の電流波形の差を拾ってカムで増幅、異常系の回路を物理的に切り離す。
ソフトウェアが入る余地が無い。ハッキング出来ない。
理屈上は可能、だが今の技術で量産は不可能。
というか、動く物を作っただけでも狂気の沙汰だ。
「ただ……問題は3つ。研究所の立ち入り。機械式スイッチの持ち出し。そしてチューニング」
H&C技術者が挙げるのは現実的な問題だった。
高城が田中に声を掛ける。「外と連絡を取らせてもらってよろしいですか」
田中が頷くのを確認して、高城は有栖に手で指示を送る。
有栖はスマートフォンとMagI/Oの電源を入れる。
すかさずイヴが問いかける。『有栖、何が起きましたか?』
……『私の認証権限なら持ち出して、利用も可能です』イヴがMagI/Oをオープンモードに切り替えて皆に聞こえるように答える。
「え?なんでっ!」思わず声がでる。
皆も同じことを思った顔だった。ただこの状況。考えは一致していた。
「設置作業は?」紫苑の問いをイヴに伝える。
オープンモードでイヴが答える。『設計図を発見、参照中……』
『物理作業に人の手が必要……シミュレーション開始……終了』
『有栖であれば、これまでの生体情報データを元に支援可能』
『外部視聴モジュールの使用許可をください』
イヴの提案を聞いた田中は、大きなため息を吐きうなだれた。
そして顔を上げ、無言で高城に大きく頷く。
高城はわずかに目を細め口早に指示を飛ばす。
「九条、イヴのご指名だ。頼むぞ」
「は、はいっ」
「真壁、今日はバイクだったな。九条を載せて研究所へ。機器を持って戻って来い」
「わかりました。出来る限り早く戻ります。九条、タンデムは久しぶりだね」紫苑は笑う。
「佐伯、至急必要機材のリストを作れ」佐伯が片手を上げ高城に応える。
有栖は皆の顔を見ながら思った。
(普段はさん付けの高城さんが呼び捨てだ)
(真壁先輩が眉間にしわを寄せてる。初めて見た)
(佐伯さんが声を出さないのは珍しい)
(みんないつもと違う。でも、それぞれが出来る事をやるのは変わらないな)
有栖は短く息を吐き、自分に言う。「大丈夫。ビビッてない」
『さあ、覚悟は決まりましたね。やりましょう』
イヴが、皆の背中に蹴りを入れる。
キーワードの「銃」がやっと出てきました!ヤッター!
でも厳密には実在しない銃ですね。
MP5は登場から60年ですがまだまだ現役。
防弾技術の発展などから、一時期は有用性が下がったとされますが、
拳銃弾の低威力が閉所で使う場合などで意味を発揮します。
実在の最新機種が2014~15年に登場したので、
それ恋世界の2030年代は改良版のⅡが出ている設定ですね。
GLOCK17も同様。Gen5が2017年登場なので、Gen6が出てるだろうなと。
東京事件と共に銃器に関する背景は今後、物語の中で語られて行きます。
さ~て、次回のそれ恋は~
事態解決のためA課の面々は持ち前の能力を活かし動き出します!
風見は自身の経験と照らし合わせ、有栖を励ましますが…?
次回:眼前のゼロイン・撃発




