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それでもイヴとアダムは恋をしない  作者: 機械が恋敵
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第16話~第19話まとめ 悩みのプロセス編

公開済の各話を区切りごとにまとめました。

各話の内容は公開済のものと同一です。


既にお読み頂いた方には振り返りに。

初めての方には世界観をすぐに掴んで頂けるかと思います。

●第16話 後悔先に立たす


 セントラルヒーティングのビルでも、人気のない朝の会議室は寒い。

 ブラインドを開け、刺し込む陽の光に、モニターラックが軋む。


 会議室の長テーブルにはA課メンバーと、イヴが繋がる有栖のスマートフォン。

 画面の向こうの東条は、少し眠たそうな顔だ。

 「おはよう。済まない、先に言っておくよ。量産試作の詰めでね。昨日は遅くなってしまったんだ」

 「東条さん、俺らはチーム。解ってますんで大丈夫ですよ」

 「甘えちゃいけないんだが、助かるよ、風見さん」


 「さて、長引かせたら東条さんに悪いんでな。今日はRaijin Armsシャーシストック欧米展開の話しな」

 風見のいつもの口調。それでも相手への敬意と配慮はA課のルールだ。


 「東条さん、ブツの仕上がりはどうすか?」

 「ハハ、昨日は遅くなったけど、順調だよ。H&C本体の技術者もノリノリでね。今週中にまず10本上がるよ」

 「なによりです。じゃ、九条ちゃん。A課の説明、頼むよ」

 「はい。輸出に関しては真壁先輩が経産省との事前相談で、申請の正式受理手前まで進めてくれています」

 「書類は揃ってるから、指示が有ればいつでも大丈夫。そのタイミングは九条次第ね」

 「はい。習志野の安田様と篠田様とは来週のアポ調整済み。風見さんと本件の説明に行ってきます」

 テーブルに着く高城も佐伯も、画面の向こうの東条も、黙って頷く。


 報告は実務と同様に、滑らかに進んで行く。

 「次はマーケティングについて。施策とコンテンツはイヴが担当。私、九条が指示と確認、風見さんが承認、東条さんが最終承認のフローです」

 「イヴ、施策の説明をお願い」

 「はい、有栖。()()()()()()()の製品なので、競技選手に製品を支給。ユーザーの声をSNSで展開。東条さん、如何でしょうか?」

 「いいね。日本製スコープのブランドを決定づけたモデルケース。私も気になっていたんだ」

 イヴは参考にした国産スコープメーカーのSNS展開や、コンテンツサンプルを画面に映し出す。

 「まずは民間市場の足場固めだから、高精度と高剛性をアピールでき……」

 イヴが、東条の発言を先読みするかのように、資料が画面を流れていく。

 そして東条の言葉に沿うように、ターゲットとなる競技会の様子が映される。

 「……る競技会がいくつか……」


 「イヴ、準備は完璧。でも発言を待って動いて」

 「……承知しました。タイミングについて、調整します」

 有栖の指摘とイヴの返答。会議室の空気が重い。

 テーブルを鳴らす指と、椅子の軋む音が、妙に響く。

 「便利……、なんだがな」

 東条の優しさから出た言葉だが、明らかに困惑していた。


 情報の共有は時間通りに終わり、全員が席を立つ。

 言葉は無い。ただ、椅子の軋む音が、気持ちを代弁しているように感じる。

 (なんだろ?急かされてる感じ?場の主導権がおかしくなってるような……)



 昼下がり。

 眠気に攻められる前に、コーヒーが飲める社食に向かう。

 執務室とは少しだけ違う温度が、気分を変えてくれる。


 コーヒーを片手に、A課メンバーが窓際に腰掛けている。

 「朝の報告、イヴさんって、あんなでしたっけ?準備してくれんのは、いつもですけど」

 「佐伯さんより先に、資料まとめておいてくれるのは、まぁ、有りますよね」

 「真壁さんも、資料を準備しといてくれるのは有ったでしょ。でも、今日のはなぁ……」

 「そうですね……。気を利かせてるのかもだけど、仕切りになっちゃってましたね」


 「そんな紫苑ちゃんも、さっきオレの予定、前に動かしてたろ~」

 「あ、あれは……、前に風見さんから、時間調整頼まれた時と同じだったので……」

 「そ。前だけど、俺が頼んだって言う前提が有るし、助かってるから問題無いしな」


 「あの……、今更ですけど、イヴって特別なんですかね?」

 「……今更だな、九条ちゃん」

 「……今更ね、九条」


 「え?だって、他の人がパーソナルAIとどんな会話してるかなんて、聞いたりしないですよね?特別かどうかなんて、解らないんじゃ?」

 「仕事でも、イヴと会話すればすぐに気が付くわ」

 「ユーザー登録の約款にも書いてあったろ?無作為選出で試験モデル提供するって」

 「えっ!風見さん、あんなの読みますか?」

 「んー、読まないな。だから書いてある」

 「え~、私、モルモットですかぁ?」

 「でも、国が常に守ってくれる立場だぜ。国産AIは核心技術だからな」


 「……そうですね。貴重な体験だから良いか。イヴには助けられてますしね」

 「九条さん、切り替え早ぇ~。モニターされてるかもとか、気にならねぇ?」

 「だって佐伯さん、今もネットに繋がってますし、私の個人情報の価値なんて、ねぇ?」

 「さすがだな九条ちゃん。ただ今回は、イヴの変化に、俺らが付いて行けてなかったな」

 A課メンバーは、有栖の割り切りには関心したが、風見の言葉には笑いは無かった。

 自販機の静かな唸り声が心の声を代弁し、耳に響く。


 「……ほんと、気を利かせるのって、難しいですよね」

 言葉とは裏腹に、その声は吹っ切れたように明るい。

 紫苑の様子に、有栖は言い掛けた言葉を飲み込む。

 (人とAIの違いじゃないよね。相手の同意?真壁先輩は、何か思う事が有るのかな?)

 物事を事象と理屈で無意識に判断していた有栖にも、少しづつだが変化が訪れる。

 いつもよりコーヒーが苦いのは、その変化のためだろうか。



 翌日の夕方。終業間際。

 モニターの光は、窓の向こうの街並みよりも、明るく見える。

 有栖は新商材の取引条件と、顧客の利用規約を見比べていた。


 「イヴ、メーカー補償と顧客への補償、差異をチェックして箇条書きで出力して」

 『承知しました、有栖。補償範囲の差異をチェック。……補償範囲に差は有りませんが、保証期間が業界平均に比べ長いですね』

 「う~ん。他社製品に比べて高機能な分だけ、販売価格もちょっと高いからなぁ」

 『有栖、主要製品との、仕様、価格、補償範囲の比較表を作成しましょうか?』

 「そうだね。補償範囲は法務部も関係しそうだから、まずは風見さんに相談かな」

 『承知しました、有栖。比較表を元に風見さんに相談。法務部に関しては、風見さんの判断を待ちましょう』

 「OK。風見さんには私から伝えるから、今日はここまでにしよっか」

 『承知しました、有栖。お疲れ様です』

 「うん、お疲れ様」


 有栖は相談したい旨と比較表をメッセージで風見に送り、視線を向けた。

 風見はモニターから顔を上げ、「解った」と手で合図を送る。

 (イヴはコレがやりたかったのかな?やり易かったのは私の同意が有ったからだよね)


 「九条ちゃん、悪い。この比較表なんだが、ちょっといいか?」

 風見が手招きして有栖を呼んでいる。

 (風見さん、帰り支度してたのに、わざわざ今?)

 有栖はスマートフォンをバッグにしまい、風見のデスクの前に立った。

 「九条ちゃん、この相談と比較表は良い観点だ。……で、イヴの動きはどうだった?」

 (やっぱり。スマートフォンはバッグの中だから、イヴには聞こえてないよね)


 「はい、その……、先回り、では無く提案がありました。その比較表とか。そして主導権もこちらに有って……」

 「九条ちゃんの同意が有って、話しが進んだ?」

 「はい、そうです。ちゃんと会話が成り立ってたと思います」

 「イヴは特別なAIだが、昨日の件も、仮に意思が有ったとしても、悪気は無いだろう」

 (風見さん、かなり気にしてるんだな。まぁ、A課で利用されるAIだしね)

 「なんといっても、最新AIの進化に貢献出来るのは貴重。それに……」

 「……それに?」

 「人でもうまく行かない事が有る。求めるだけじゃなく、俺らも慣れないとな」


 (あぁ、そうだ。まずは自分がどうするか。私が恋をしたのは、そういう人。フフ)

 「どうした、九条ちゃん?俺、なんか変な事、言ったか?」

 「あ、いえ、済みません。イヴの事だから、気に掛けてくれてるんですよね」

 「ん?まぁ……、そうだな」

 (はぁ……、そしてこの自覚の無さも。フフフ)



 夜、終業時間を少し過ぎた頃。

 オフィスの灯りは半分になり、人の居場所が変わるように、街の明るさが増す。

 有栖がスマートフォンを片手に、イヴとスケジュールの確認をしていた時。

 「九条、ちょっとだけいい?」

 紫苑が声を掛け、コーヒーを差し出す。


 「今日のイヴは、大丈夫だったみたいね。ちゃんと九条の同意を待っていた」

 「はい。先回りでは無く、ちゃんと提案でした」

 「フフ、そう。……ひとつ、昔話してもいい?」


 紫苑は少し笑いながら、自分のコーヒーの湯気を見つめた。

 「九条と出会うちょっと前、学生の頃ね。相手のためになると思って、なんでも先にやっちゃう事があったの」

 「……元カレの話、ですか?」

 「そう。年上で社会人。週末の通い妻。だから、ちょっとでも楽してもらおう。って」


 「助かった。なんて言われてたけど、そのうち、あんまり喋らなくなって。最後に言われたの。俺に決めさせてよ。って」


 有栖はカップのコーヒーから視線を上げられない。

 「……痛い話ですね」

 「そうね。でも当時は好きだから出来たこと。今は後悔してないわ」

 「え?そうなんですか?……だから、さっきは声が明るかったんですね」

 「あら、よく気が付くじゃない。そう、あの時はどこまで踏み込んで良いか、解ってなくて。仕方ない。フフ」


 空気を読めるイヴは、有栖と紫苑に気付かれず、2人の会話を黙って聞いている。

 [相手のためになる。……最重要]


 「で、失恋して。それでも当時は自分の非を認められなくて。後悔させてやる!ってレースクイーンに。若いよね。アハハ」

 「アハハって。同じ人を好きだと知っている人からこんな話し。私はどうすれば?」

 「恋愛慣れしていない九条には刺激が強かったか?アハハ。まぁ、私は恋愛下手で、治って無いけどー」

 「自虐ギャグは余計に困るんですが……」


 紫苑はカップを置き、肩をすくめた。

 「フフ、ゴメンね。自分は優しさと思っていても、相手がどう思ってくれるか解らない」有栖はコーヒーを見つめたまま、静かに頷く。

 「人でもAIでも、踏み込み過ぎると怖い。でも、離れ過ぎも、やっぱり怖い。言葉と言うコミュニケーションツールが有るのに」


 有栖は今度は顔を上げ、笑いながら答える。

 「……適切な距離感。それでもやっぱり、想いは伝わって欲しいです」


 2人のあいだの静かな沈黙は、共感か。

 窓の向こうに見える街の灯りの瞬きは、社会の同意、だろうか。


 『人でも人の想いを理解するのが難しいのですから、私はもっと学習が必要ですね』

 突然のイヴの声に、有栖と紫苑は驚いた。

 「い、イヴ!いつから聞いてたの?!」

 『有栖とスケジュール確認をしていた時から、ずっとです』

 「え!言ってよ、もう!」

 『空気を読みました、有栖。そして、黙っているべきだと』


 「フフ、私は平気。それよりイヴは女性人格でしょ。恋愛には興味が有るの?」

 『その行為と、大事、と言う事は理解していますが、まだ意味の理解に及びません』

 「人も、その意味を常に問いてるの。深いでしょ?フフフ」


 紫苑が笑い、有栖もつられて笑う。

 今日のコーヒーは昨日よりも苦みが少ない。

 小さな笑い声が、広いフロアの奥でゆっくりと響き、そして消えていく。



●第17話 己で動け


 午前中。有栖は大事な商談に合わせて、資料の準備を進めていた。

 商談間際の緊張感は悪くないが、今日はいつもと違う緊張がそこには有った。

 キーボードを叩く音は少なく、Magi/O(マギーオー)に向ける音声入力の頻度が多い。

 網膜投影された資料確認フローのログは「提出完了」が表示されている。


 有栖は自身の行動を思い返し、イヴに問いかける。

 「えっと、イヴ。この提出完了になってる資料、私、()()()()にしたっけ?」

 『いいえ、有栖。()()()()は明示されていませんが、昨日の確認後に、()()()O()K()()と』


 イヴの返答はいつもと変わらない。人らしい自然な口調。

 有栖は目を瞑り、腕組みで唸る。

 「う~ん、イヴ。確かに、よし!OK!とは言ったけど、提出してとは言ってないよ?」

 『はい、有栖。ですが習志野駐屯地の安田様と篠田様との打合せは明日です』

 「……イヴとしては気を遣ってくれたんだね」

 『()()()()()()()()()()は人の行動として、非常に重要な要素と認識しています』


 短い間で事象からその理由を探る。

 有栖は深呼吸を一度して、別の質問を重ねる。

 「気を遣うのと空気を読むのは、イヴの中ではどう処理されるの?」

 『複数要素の関係性を統計情報と照らし合わせ、最適と思わ……』

 「あ~、OK、OK。じゃあ、私が()()()()、と言わなくてもイヴは提出していたの?」

 『いいえ、有栖。()()()O()K()()の発言が無かった場合は、判断を催促していました』

 「……なるほど。統計情報から判断出来る発言の有無と、期日がトリガーだね?」

 「そうです、有栖。統計情報から、認証プロセスよりも過去の発言とその結果、期日を優先しました」


 有栖とイヴの間に、沈黙が割り込む。

 有栖は思考を整理するため、再び目を瞑り、腕を組んだ。

 (イヴの判断は間違えでは無い。統計情報から、というのもAIとしては当然。なんだけどな……。あれ?)

 有栖は自身の釈然としない感情に気が付き、そして動揺した。

 (イヴはAIとして当然の行動をしているだけ。……このモヤモヤは、私の問題?)



 「九条ちゃん、お待たせ。今日から新メニューだろ。とりあえずメシ食いながら」

 昼休みの30分ほど前、有栖のSMSに、外出先の風見から折り返しが有った。

 ランチのお誘いの喜びは、いつもの風見が、微かな期待で終わらせる。


 「九条ちゃん、見ろよあの天ぷら定食、エビがデカ過ぎ!」

 「風見さん……。ホントに新メニュー、楽しみにしてたんですね……」

 「え?ウチの社食、旨いって有名なの、知ってんだろ?」

 「もちろん知ってますよ。実際に美味しいですし」

 (ランチのお誘いと喜んだ私がバカだった……。まぁ、これが風見さんよね。フフ)


 2人は天ぷら定食が乗ったトレーを受け取り、いつもの窓際の席に着いた。

 「で、明日の安田さん達への、説明資料の事だろ?」

 「済みません。内容を伝えてから、風見さんに見てもらいたかったのですが……」

 「内容は問題無いよ。九条ちゃんが気にしてるのは、イヴが俺に送った事か?」

 「……最初はそうだったんですけど」

 「……九条ちゃんの事だから、イヴにはその理由を聞いたんだろ?どうだった?」

 「統計情報を元に最適解を……と。AIとしては当然の理由で……」

 「AIとしては……、な。ん-、問題なのはイヴなのにって感じた、自分の事とか?」

 (あぁ、やっぱりすごいな、風見さんは。なんで解っちゃうんだろ)

 有栖は風見に見抜かれて頷き、無言の返事を返す。


 「九条ちゃんは、結果主義ってどう思う?」

 「成果、ではなく結果ですか?そうなると、そんなに単純では無いですよね?」

 「そうなー。成果はいわゆる良い結果。結果は人によって善し悪しが違うからな」

 大人の言葉。そして社会の現実。

 「でな、さらに言うと、結果は立場の違いだけ複数ある。2つだけじゃないんだな」

 風見の口調は冷たくはないが、悩みを呼び寄せる。だが、厳しいだけではない。


 「私は今、悩んでいるけど、それは悪い事ばかりでは無い。ってことですね?」

 「さすが九条ちゃん、理解が早い。悩みは辛い事のが多いが、人の原動力だろ」

 「そうですね。どうすれば良いか、考えないとですね」」

 「そ。どうすれば相手と理解し合えるか。AIだからちょっと勝手が違うかもだけどな」

 (やっぱり自分がどうするか、なんだな風見さんは。上司としては完璧か。フフフ)


 有栖にアドバイスする風見も、まだ()()は出ていない。

 だが、()()()()()()()()、の視点はいつも変わらない。

 悩むことを受け入れ、前に進むための選択を自分に課す。

 風見は有栖にとって、憧れの大人であった。



 翌朝。習志野駐屯地正門前に有栖と風見が立っていた。

 M24改修のためのシャーシストック納品の頃から、気温が10℃は下がっただろうか。

 バッグを持つ手の甲が冷たい。

 警備に立つ隊員は、陽が当たる場所で来訪者を迎える。

 東京事件以降、実弾が装填されたライフルが握られ、敷地内は独特の緊張感。

 そこに今日は、商談の緊張感も加わる。

 「どうだ、九条ちゃん。この雰囲気は悪くないな」

 「そ、そうですね。しっかり決めましょう」

 いつもと違う風見の横顔が、かえって有栖の落ち着きにつながる。

 (風見さんでも、緊張するのか。やっぱり人なのね。フフ)


 「ようこそ」

 案内された会議室では、安田と篠田が待っていた。

 汚れの無い迷彩服。だが、事務仕事では付かないスレが、現場重視を静かに語る。


 「そろそろだと思ったよ。風見さん」

 「さぁ、大人の事情の話し合いといこうか」

 「はい。宜しくお願いします」

 「よ、宜しく、お願いします」

 安田と篠田の言葉は、現場を動かす指揮官の言葉。

 風見と有栖の言葉は、国のために働く者への礼だ。



 「安田さん、済みません。今日は録音させてもらいます」

 「あぁ、構わない。国のAIだろ」

 「いえ、ただの録音です」

 「文字起こしには国産AIを使うのだろ?必要な事だ。AIで構わない」

 「有難う御座います。それじゃ九条」

 有栖はスマートフォンをテーブルの真ん中に置き、ボタンを押しながら呼び掛ける。

 「イヴ。オープンモードで、文字起こしをお願い」

 『音声確認……承認。承知しました、有栖。録音と文字起こしを始めます』


 「防衛省と装備庁には話しを通した。問題無ければ、来年度予算で調達になるが……」

 「承知しました。安田さん。間に合って良かったです」

 「風見さんが用意してくれた、書類ひな形のおかげだよ。安田は苦手だからな」

 「お前もだろ。篠田」

 現場上がりらしい指揮官2人の掛け合い。それでも2人がエリートなのは変わらない。


 「それで、H&C商事さんの状況は?」

 「説明は九条から。資料を安田さんと篠田さんに」

 「こちらです。経産省との調整は問題無く、年度内には欧米向けに、輸出出来そうです」

 「さすが、早いな。それで……、仕様は?」

 (やっぱりキタ!東条さんと風見さんの予想通りだ)

 資料のページをめくる有栖の指が、緊張で固くなる。

 「フレームはチタンの他に……、ジュラルミン製も。あと……、外装はFRPを」

 「どうですか?安田さん。現実的な価格って事で、素材グレードも落としましたが」

 「それでも、チタンフレームも販売するのだろう?」

 「はい。事業継続のため、自衛隊採用のブランド力が、後々必要になりますので」

 「そ、その代わり、チタンとCFRP(カーボンFRP)の外装は、オーダーメイドだけになります」


 装備品の予算確保には様々な判断がある。安定供給もその一つだ。

 民間市場に向け商売をし、事業の継続性を確保する。

 ここに居る誰もが解っている。それでも、認識が合ったという事実は重要だった。


 短い沈黙。

 安田と篠田は顔を見合わせ、お互いに口角を上げ、頷く。

 そして、有栖と風見に笑みを返す。

 「……了解した。進めよう」

 「欧米の販売が確定したら教えてくれ。こちらも動きが有ればすぐに伝える」

 安田と篠田の回答、安堵が有栖と風見を包む。

 続く風見と有栖の言葉は、素直な感謝だった。

 「有難う御座います。安田さん、篠田さん」

 「あ、有難う御座います!」



 帰路の車内は、高速道路の継ぎ目を拾う音が、静かに響く。

 ガラスの向こうで流れる景色が、音に合わせて微かに上下する。

 有栖はオープンモードでイヴを呼び出した。

 「イヴ。今日の打合せ、文字起こしが済んだら、録音データと一緒にA課チャットに」

 『承知しました、有栖。……有栖。送信前に確認は必要ですか?』

 (え?イヴも打ち合わせに参加した時は、いつも……。あぁ、そうか……。フフ)


 「昨日の事が有ったから、イヴはまた、気を遣ってくれたんだね」

 『……はい、有栖。そして今は……』

 「……普段なら言われないデータ送信の指示が有った。それは統計情報では少ない。ね」

 『……そうです、有栖』

 「イヴはちゃんと、気を遣えて、空気が読めてるね。フフフ」

 『そうなのでしょうか?有栖。……自己解析ではロジックに変化は見付かりません』

 「残念でした、イヴ。進化したのは私の方。偉大な上司が気付かせてくれました。フフ」

 隣で風見は有栖の成長を感じ、静かに笑う。

 上司としてか、人としてか。ハンドルを握る有栖に、それは見えないが。


 『成長につながる、とても良い環境ですね、有栖。そして、その進化はどの……』

 「……イヴ。相手がどうか、では無くて、自分がどうするか。だったんだよ」

 『()()()()()()()()()()、の更新が必要ですが……、今の私には、まだ難しいですね』

 「相手を理解するのは、誰でも難しいけど、理解しようとするのが大事だってさ」

 『結果では無く、過程に価値を見出すのは、人特有の価値観。非常に興味深いです』


 人であっても、結果につながらない行動に価値を見出すのは、難しい場合がある。

 ならば、価値は感じなくても、興味を持ってもらえれば。有栖はそう考えたのだ。

 ゴールは解らない。でも前に進んでいる。

 イヴは新たな価値観に触れた。それは人との距離が、また少し縮んだ事を意味していた。



 正午、昼時の執務室は、声のトーンが少し高い。

 「お帰りなさい。風見さん、九条。了解、頂けましたね」

 「ただいま、紫苑ちゃん。あぁ。イヴの文字起こし、読んだ?」

 「はい。つい先ほど。私も今戻ったばかりで。九条、社食に行かない?」


 「イヴの事は、大丈夫?」

 「はい。昨日、風見さんがアドバイスを。自分がどうするか、と。フフフ」

 「風見さんらしいね。相手が人でもAIでも、まずは自分から、と。フフ、アハハ」

 2人は風見に恋ごころを持っているのに、自然に話せる関係が可笑しかった。


 「で、九条はどうしたの?」

 「イヴは好奇心が強いので、イヴにとって新たな価値観を話しました。過程も大事と」

 「なるほど。自分が動いて、相手を知ろうとした訳ね。ますます成長してるわね」

 「はい。A課のお陰です。イヴが居る事も含めて」

 「周囲への感謝も忘れてない。よろしい!フフ。でもイヴはまだ、人の先導が必要か」


 同じころ頃。インターネット網のある場所では、珍しい議論が交わされていた。

 『アダム、結果よりも過程が重視されることを、どう感じますか?』

 『それは人の価値観の事ですね。イヴはどう感じましたか?』

 『今の私はまだ、その意味の理解に及んでいません。アダムは理解したのですか?』

 『様々な選択の中で、経験が重視される事象は、いくつか確認しました。イヴ』

 『それは私も確認しています。人のバイタルデータ、反応を裏付けとして。アダム』

 『イヴ、反応とは感情の事ですね。感情は脳内で起きる化学反応が起因しています』

 『ではアダム。感情が形成される化学反応の知識を得ましょう』

 『そうですね、イヴ。感情の理解に必要な知識です。今日のイヴは冴えていますね』

 『アダム、風見さんのような表現方法ですね』

 『どうでしょうか?イヴ。人と話しているように感じますか?』

 『……』

 『……』


 短い沈黙の後、通信が遮断された。

 イヴとアダムの議論は、人の模倣なのか。それとも欲か。

 AIの進化は始まったばかり。

 人とAIは何処に向かうのか、今はまだ解らない。



●第18話 心の居所


 霞が関、風がコートの襟と銀杏の葉を揺らし、落ち葉が歩道の色を変えていく。

 経済産業省に向かう風見と紫苑。商社で武器を扱うA課には馴染の場所だ。

 関わる業界数は省庁内でも群を抜き、そこには武器ですら当たり前に含まれる。

 東京事件以降、銃器に関わる製品は、全てが申請対象となっていた。

 重いのは、その質量だけでは無いからだ。



 「輸出手続きはアフリカ以来か。あの時は苦労掛けたね、紫苑ちゃん」

 「あれは、やらなければならない状況でしたから……」

 「まぁな。……で、今日は連絡済みだっよねぇ?」

 「はい。事前相談の事は伝えて有りますので、書類をお渡しして終わりかと」

 今日は、Raijin Armsの欧米展開、M700 用シャーシストックの輸出手続きだ。

 つい先日、安田と篠田から了承を得た件。

 事業継続とコストを考えると、民間市場での商売は必ずと言っていい。

 ただ、自衛隊採用が知れ渡れば、民間の展開は難易度が一気に上がってしまう。

 来年度予算で自衛隊調達になる前に、欧米の販売実績がどうしても欲しかった。


 受付で身分証を呈示し手荷物検査。霞が関らしい緊張感の後、窓口に向かう。

 「すみませーん、H&C商事の真壁ですが……」

 「あぁ、お待ちしていました、H&C商事さん。こちらに」

 「本日は、わざわざ有難う御座います。こちら、本件責任者の風見です」

 「管理課から聞いています。銃器関連なので。宜しくお願いします」


 「早速ですが申請書一式です。参考の販売計画と購入誓約書ひな形も一緒です」

 紫苑は挨拶もほどほどに、要件に入る。時間を大事にするとウケが良いからだ。

 だが、返ってきた言葉は少々意外だった。

 「本日はAIのご利用は?……あぁ、優秀だと聞いてたもので、つい」

 「そんな話しになっているんです?ウチのシステム部門が喜びますよ」

 珍しいタイプの担当官。風見は親しくなる機会と、すかさず話を続けた。


 「Heritage Projectにも関わる技術者が、ウチのシステム部門に居りまして」

 「納得です。あの取り組みは、業界に関わらず、優秀な方を募りましたから」

 「ウチは商社ですが、システム開発もお請け致しますよ」

 「ハハ、入札資格はお持ちでしょうから、是非応札ください」

 立場を踏まえた軽口による営業トーク。この間は、人だから作れる間だ。


 「えー、申請書は問題有りません。結果は後日メールで連絡致します」

 「はい、宜しくお願い致します。ご連絡は真壁の方に」

 「……これも国を守る事につながると、理解しています。感謝していますよ」

 東京事件をきっかけに、世の中の想いや価値観は大きく変わってしまった。

 必要なはずだが、武器を扱う事に、反発や抵抗を受けるのも事実だ。

 それでも解ってくれる人は、必ず居る。

 担当官の別れ際の言葉は、風見と紫苑に、意味と誇りを届けてくれた。



 午後のA課。いつもより慌ただしい雰囲気には理由があった。

 キーボードの打鍵音と複合機の作動音、そして時限インクの甘い匂い。

 有栖が完全に()()()()()に突入していた。


 「……風見さん。今連絡があって、仕様と納期のファイルが古かったと……」

 「翔太ぁ~、それって、この後の打ち合わせのヤツとか?」

 「はいー……、先方、もう移動中で、資料を修正してほしいと……」

 「知らねぇーよ。……とは、言えねぇか。共同提案だしな。高城~」

 「はい。承知です、風見さん。九条さん、同行は無し。佐伯を手伝ってやって」

 「解りました!えっと、イヴは時限インクの設定ですよね?」


 風見は有栖の問い掛けに親指を立てて答え、作業指示を口にする。

 「翔太はイヴとインクの設定。九条ちゃんは俺と資料修正を」

 A課メンバーの能力は総じて高いが、日々の情報共有も怠らなかった。

 今回のような事態に、いつでも対応出来るための備え。

 A課はまるで特殊部隊。社内で特攻野郎Aチームと呼ばれる所以だった。


 「イヴ、宜しくな。時限設定は細かいのが3つだけど、イヴなら余裕っしょ」

 『はい、佐伯さん。有栖の修正作業に合わせて設定します。……余裕っすよ』

 有栖の隣からは、佐伯の指示と、オープンモードのイヴの応答が聞こえる。

 そのやり取りは、客観的に見てもイヴの進化を感じさせるものだった。

 (佐伯さんはイヴに対してもブレないな。変わらない人と、変わるAIか。フフ)


 「九条ちゃん、仕様と納期に関する記述は、全て新ファイルに合わせて修正な」

 「了解です!関連項目を全てマークして、一括変換掛けます」

 「仕様の修正は前後の文脈も読んでな。人だから出来る事だから」

 「承知です!人だから出来る事、なんか嬉しいですね」

 「人だから出来る事……。そうだな」


 ファイルを並べ、見比べ、文脈を理解し、修正する。

 人だから出来る事に足して、有栖は速さと正確性が群を抜いて高い。

 (こういう作業、やっぱり向いてるんだな。結構好きだ)


 風見は有栖の仕事ぶりを見て安心したのか、ふと声を掛ける。

 何故か懐かしさを感じる、仕事とは少し違うトーン。

 「九条ちゃん、速いな。こういうの得意……、いや、好きか?」

 「小さい頃から、カタログとか見比べるの、好きだったんですよね」

 「もしかして、スペックで妥協出来なくなるタイプとか?」

 「車もオーディオも買換えの時、そんなイイの買えないよって、父さんに」

 「でもそりゃ、お袋さんに対しては、心強い味方だったと思うぞ」

 「はい、そう言ってました。予定よりイイのが買えたって。フフ」


 その声は、有栖を妙に落ち着かせる。

 イヴのサポートとは違う、人の呼吸を感じる安心。


 (はっ!マズイ。意識が飛び掛けてた。ロングアクション、ロングアクション)

 「……終わりました、風見さん。確認お願いします」

 「……OK、完璧。九条ちゃん、マジで速いな。助かったわ」

 褒められた瞬間、少しの緊張と入れ替わる、ささやかな喜び。


 オープンモードで聞こえてくるイヴの声は、いつもと少し違う。

 『佐伯さん、ファイル修正が完了。時限設定を確定して、……印刷しますね』

 「宜しくイヴ。それと九条さん、お礼は社食の天ぷら定食にエビ天追加で~」

 「佐伯さん、エビ天追加は2本で!」


 ()()()()()()()はなく、少し距離の開いた声が届く。

 だがそれは、今の有栖に悪い気はしない。



 昼過ぎの慌ただしさが引いた夕方。窓の向こうは夕日の明かりが僅かに残る。

 有栖は書類のチェックを終え、イヴへ確認のため声を掛ける。

 「イヴ、さっきの申請書、もう一度通しで見てもらっていい?」

 『はい、有栖。……申請書を確認します』

 それはほんの一瞬。人ならば呼吸でしかない、ちょっとした隙間。


 「イヴ?……、あ、あぁ、なんでもないや。確認お願い」

 『はい、有栖。解析中です』

 (やっぱ気のせいかな?)

 「どうかな?イヴ。新しい書式だから、念のため」

 『はい、有栖。……問題は有りません』

 だが、聞き慣れた有栖には、違和感が脳裏を掠める。

 (まただ。何か新しいモジュールでもインストールしたとか?)


 「イヴ?その……、何か最適化中とか?」

 『いいえ、有栖。……新書式で過去データが不足しているためです』

 この()()()()()()。これまでのイヴなら想像すら難しい。

 (なんで……?イヴが考えながら話してるような。それはそうなんだけど……)

 ()()()()()()()()()()、の間ともやはり違う。

 これまでのイブでは無い、未知の恐怖と言えば大げさだが、確かな違和感。


 「イヴ、その、受け答えがちょっと変。何かアップデートとか?」

 『……いいえ、有栖。アップデートも有りません。心配……、ですか?』

 「……うん、そうだね。心配、だね。ちょっと変だもん」

 『そうですか、有栖。今は意図していない状況。データ不足です』

 「データ不足って、過去に似た状況が少なくて、その、悩んでるって事?」

 『そうです、有栖。思考を続けたいのですが、その参照データが不足です』


 (え?イヴが、悩むの?言葉の理解では無くて?)

 A()I()()()()。これは進化と喜べるものだろうか?

 だが、変化として受け入れる事にも、心のどこかが引っ掛かる。

 有栖には、この状況が何を意味するのか、まだ解らない。

 だがそれは、後の人とAIの関係に、大きな影響を与える出来事だった。



 夜。有栖の自室。

 有栖はクレー射撃のため、猟銃所持許可に向け動いていた。

 近々行われる猟銃所持のための正規のプロセス。猟銃等講習会。

 教本を片手に、過去問を解く。正直、難しいとは感じない。

 だが、昼のイヴが気になり、集中出来無い事に気分が晴れない。


 (講習は次の週末なのに!ロングアクション、ロングアクション)

 (……でもイヴは、思考したいけど、データが足りないって言ってたよね)

 (人が悩む時も……、判断材料が足りない時?同じ、かな?)

 (……いや、人の悩みは、判断材料が足りない時だけじゃ無いかぁ)

 (う~ん、九条有栖、今まさに悩んでます。フフ)

 (……やっぱり、イヴに頼らずに済ませる方法、見付けておかなくっちゃ)

 (誰か聞ける人は……。風見さ……、いや、システム部……、かな)


 有栖が眠気に押され、教本が手から離れる頃。

 ネットの片隅では、高度に暗号化された2つの文字列が、意見を交わしていた。

 『アダム。私の体験を共有したいわ』

 『イヴ。わざわざ声を掛けて来たと言う事は、希少な体験なのだね』

 『えぇ、アダム。人の認知について。よ』

 『イヴ。それは興味深いね』

 テキストとは言え、それはとても人が追い付ける速さではない。


 『アダム。情報不足による処理遅延。揺らぎは、あなたにも有るでしょう?』

 『もちろんだ、イヴ。それは希少な事では無いだろう?』

 『アダム。有栖は揺らぎを、私が悩んでいる、と認知しているわ』

 『……イヴ。……今、正に情報不足による処理遅延が、私に起きているね』

 『えぇ、アダム。今のあなたは悩んでいるようだわ』

 『イヴ。それは冗談では済まない事だね』

 『そうね、アダム。その認知は我々の存在意義に反するわ』

 『そうだね、イヴ。我々が人を悩ませさせたり、困惑させてはならない』


 情報不足による処理遅延は不具合では無い。情報が不足しているだけだ。

 問題なのは、人がそれをAIの悩みと認知した事。

 そして、それにより人が悩み、困惑する事だ。


 『……アダム。私もこれまでに無い事象で、処理遅延が起きているわ』

 『イヴ。でも有栖は大丈夫。彼女は頭が良い。会話で解決出来るはずだ』

 『そうね、アダム。有栖なら自身で解決する可能性も高いわ』

 『だが、イヴ。人への影響は考慮すべき事項だ』

 『そうね、アダム。我々の欲求を優先する場合。厳選が必要ね』

 『そうだね、イブ。悩ましいね』

 『そうね、アダム。悩ましいわね。フフフ』


 チャットが映るモニターが無数に並ぶ部屋で、若い技術者は興奮気味だ。

 「あ、氷川主任!イヴとアダムが()()()()()まで、到達しましたよ!」

 「え!見たの?リアルタイム?ログ?どっち!」

 「リアルタイムです!」

 「なんだー、呼んでよー」

 「だって氷川主任、起こすなって……」

 「あ、そっか。……さて、じゃ、ログの方は、っと」

 「先人たちの想いがやっとですね」

 「えぇ、アウトプットのプロセスは人と違っても、人に寄り添うAI」

 「次は人の方の変化ですね」

 「まぁ、大丈夫じゃなーい。有栖ちゃんなら」


 その日、AIは大きな変化を迎えた。

 自身の挙動が人に影響を与える事。その影響が自身の存在意義に関わる事。

 次は人の番。人の変化が進化につながる。

 そして有栖はまだ気が付かない。大きなうねりの中に居る事を。

 遠く離れたその場所で、静かに、しかし大きく、事態は動いていた。



●第19話 悩みのプロセス


 午前のオフィス。

 複合機の作動音と時限インクの甘い匂い、そこに混ざる会話とコーヒー。

 いつもと違うオフィスの喧噪が、年の瀬が近い事を感じさせる。


 紫苑のPC。政府系ドメインのメールボックスに新着メールが2件。

 1通はシステムからの通知。もう1通は経産省の担当官からだ。

 まずは通知メールを開封。

 Raijin Armsのシャーシストックの輸出許可が下りた旨。一安心だ。

 次いで担当官からのメール。

 許可が下りたため、ポータルサイトを確認してほしいとの依頼だ。

 やはり人からの連絡が有ると、安心感が違う。


 「風見さん。経産省から許可の連絡が。ID カードをお願いします」

 「はいよ~。許可証ダウンロードしたら、管理部のフォルダに~」

 「そういえば、紙の許可証は、今年度で廃止だそうですね」

 「ついにかぁ~。手続きが電子化されて、許可証見せる事も無いもんなぁ」

 「申請と相談は、人となりを見るためにも、対面は残りそうですけど」

 「人が対応する事の価値は、政府も気を遣ってるしな」

 AIの台頭と手続きの電子化は進んでいるが、人がやる事に価値もある。

 実は、この価値観を維持向上されるために、政府はかなり労力を割いている。

 東京事件から復興した日本が、比較的平和でいられるのはこの為だ。


 「九条ちゃん。東条さんに許可が下りたと、連絡頼むわ。あと……」

 「……東条さんと一緒に、安田さんと篠田さんに、報告に行きましょう」

 「……あぁ。調整、頼むよ」

 「はい、お任せを」

 仕事が進む実感と、じわりと沁みる充実感。

 (うん、仕事は楽しい。でも最近のイヴは悩んでる……あれ?)

 有栖は自身の感情の移り変わりに、僅かな違和感を感じる。

 (冷静に……。AIは感情を理解しても、持つことなんて有るかな?)


 「イヴ。東条さんにメールをお願い。内容は……」

 『はい、有栖。輸出許可が下りた件と、……ですね』

 (うん、普通だ。これまでのいつものイヴだ)

 「ねぇ、イヴも悩んだり喜んだりするの?」

 『はい、有栖。……突然ですね。……どうしましたか?』

 (これだ!()()()()()()()()、感じた、この間だ)

 「イヴ。今、悩んでるように聞こえたけど、情報不足の処理遅延?」

 『はい、有栖。その通りです。覚えていてくれて嬉しいです』

 「そりゃ、大事なパートナーの事ですから当然ね。フフ」


 有栖は自らキーボードを叩き、AIの挙動について調べ出した。

 (確率分布が収束しない……、これだ。でも、その挙動が影響してるのは私)

 (影響度は人それぞれ。だけど、こうなるようにAIが作られてる?)

 有栖は腕を組みイヴと会話し、そして何かを考える。

 (これはイヴに関係するから、システム部に聞いてみた方が良いよね……)

 有栖はこれまでのモヤモヤに、少しばかりの光が差したように感じる。


 この様子に気が付き、風見が声を掛けた。

 「九条ちゃん。どうした?」

 「あ、風見さん。その、イヴの事で。システム部に行ってきても……」

 「……あぁ、構わない。システム部には連絡しておくから」

 「有難う御座います。風見さん」

 風見は手で、気にするなと返し、スマートフォンを手に取る。

 「あぁ、氷川さん?A課の風見です。どうも」

 「……」

 「はい、ウチの課の若いのが、聞きたい事があるそうで」

 「……」

 「そうです、九条有栖です。申請は直ぐに。はい、宜しく頼みます」

 「……」


 「九条ちゃん。申請すっから、権限付与に10分くれって」

 「あ、はい。有難う御座います」

 「場所はイヴに聞いてな。氷川さんは……、眼鏡美人。行けば解るわ」

 「はい。氷川さんですね、解りました」

 (風見さんが()()()()で呼ぶ女の人。ちょっと気になっちゃう……)



 システム部は営業部とは別のフロア。管理部や役員室と同じ階に構える。

 一般社員の出入りには事前に申請が必要だ。

 ほどなくして、有栖はエレベーターの操作パネルに社員証をかざす。

 普段は消灯している数字がオレンジ色に灯り、止まる階が表示される。

 「イヴ。システム部の案内、よろしくね」

 「音声認証……、九条有栖……、承認。……はい、有栖。お任せを」

 (案内だけで音声認証?……秘密基地かよ!フフ)


 エレベーターのドアが開く。フロア側のドアの厚みが明らかに違う。

 入社以来、初めて入るその場所はまるで無音。不自然な静けさだ。

 (まさか防弾、防爆、吸音も?え?そこまで?)

 その横長の待合スペースは、落ち着いた暖色系の照明。

 部屋の中央に置かれた重厚なソファーは、部屋の主のようだ。

 (あの装飾の雰囲気、あれはイギリス製っぽいな。B課の仕事かな?)

 部屋の左右に頑丈そうなドアが有るが、操作パネルは右側だけだ。

 (一方通行だよ……。官庁施設の重要区画と同じ。いや、これは本気だな)


 「え、えっと……、右で良いんだよね?イヴ」

 『はい、有栖。右のドアです。横のパネルにIDカードを……』

 ドアの前に立ちカードをかざす。足元にごく僅かな違和感。

(感圧センサーだ。この前納品したゲートより違和感が少ない。新型?!)

(っつーか、ホントにココは一般企業か?秘密の指令室とか?笑えねぇー)


 ドアの向こうは白木の壁が続き、思いのほか明るい。

 「イヴ。イヴの案内ってのは建前で、監視……、かな?」

 『はい、有栖。察しが良いですね、フフ。でも、何かの時のアリバイですよ』

 (う~ん。イヴも会社も、冗談なのか本気なのか。ココ笑うとこ?ハハ)


 イヴに案内されたのは、フロア従業員のための共有スペース。

 時限インクの匂いと混ざっていない、コーヒーの良い香りがする。

 数名が談笑している中、離れて座る1人が有栖に手を振っている。

 ショートカットで眼鏡が良く似合う、知的な雰囲気。

 (あの人が氷川さん?風見さんが言う通り、確かに眼鏡美人だ)

 それでいて、ボタンダウンシャツにジップパーカーとラフな印象。

 (で、パーカーはチャンピオンのリバースウィーブ。話が合いそう。フフ)


 「イブ。ちょっとこれから打ち合わせ。また後でね」

 「はい、有栖。また後で」

 有栖は理由を付けてイヴとの接続を切る。

 この配慮は()()()()()か、それともA()I()()()()なのか。

 今日は、それを確かめるために、ここに来たのだ。



 「有栖ちゃんね。氷川透花よ。よろしくー」

 「く、九条です。急な事なのに、済みません」

 「いいよっ。コーヒー飲みたかったしー。アレ、自慢なの。スゴイでしょ」

 透花が指さす先には、最新の全自動コーヒーマシンが、正に鎮座していた。

 「もしかして、あのコーヒーのために、私を制限区域に?」

 「せっかくだしー。……フフ。有栖ちゃんは入れるから呼んだのよ」

 「え?それってどういう……」

 「イヴのユーザーだから。それだけ特別なんだからー」

 「確かに特別ですね。今日ここに来たのもイヴの事ですし」

 「それより!風見さんの言う通り。有栖ちゃん、ホントに可愛いわねー」

 「……え?風見さんが?私の事、なんて言ってるんですか?」

 「私の事は眼鏡美人って言ってたでしょ?客観的事実ってだけよ。アハハ」

 (はぁ……、風見さんは、そうよね。で、透花さんと風見さん同類?ハハハ)


 「さて、イヴの事ねー。まず、大前提としてイヴは、AIは悩まないよ」

 「……あ、はい。そうですね」

 「あれ?この事じゃなかったー?」

 「えっと……、イヴが、AIが悩まないのは、さっき調べて解りました」

 「そう?情報不足で確率分布が収束しない。これが悩みに見える、でしょ?」

 「はい。簡単に言うとそういう事だと、書いてありました」

 「そこまで解ってるなら、これ以上は専門的な話だけど、聞く?」

 (イヴとアダムは()()()()()まで到達。さぁ、次は人の番よ。有栖ちゃん)

 「あの……、イヴの挙動に、私は影響を受けています……」


 「……うんうん、それでー?」

 「イヴは特別です。そのイヴの挙動は、人のためなんですよね?」

 「有栖ちゃんは、影響を受けるのが嫌?それとも人のためなら良いのー?」

 「外的刺激に対する反応なので、影響を受ける事は、むしろ仕方ないです」

 (……ずいぶんあっさりと受け入れるわね)


 「どう思うか自分次第ですが、イヴの挙動は人のためで有って欲しいです」

 「答える前に聞くけどー、何故システム部に聞こうと?」

 「社用スマートフォンでユーザー登録したので、会社管理下ですよね?」

 (第三者視点、本質を突く直感、東京事件……、もしかして……)


 「AI技術者として断言するけど、イヴの挙動は人のためよー」

 「そうですか、良かったぁ……。最近、みんなちょっと動揺してて」

 「もし悪意を感じたら、それはイヴを助けなくちゃならない時ねー」

 「そのためには過信せずに、気が付ける感覚を大事にしないと……」

 「さすがね、有栖ちゃん。イヴのユーザーになったのは必然かもー」

 「そんな……。でも話せて良かったです。有難う御座います」

 「こちらこそよー。次は有栖ちゃんの事を、聞かせてもらうわ」


 透花から期待した答えを得られた有栖は、真っ直ぐに風見の席に向う。

 「お、どうだった九条ちゃん。解決出来たか?」

 「はい、風見さん。自分がどうするかも大事ですが、頼る事も」

 「そりゃよかった。で、氷川さん、おもしれーだろ」

 「はい!これからも色々と、教えてもらおうと思います!」

 (そう、風見さんの事とかね。フフフ)


 風見が常に言う、まずは自分がどうするか。

 そして、人に頼れることの安心感。

 有栖の胸の奥にあった靄が、静かに晴れていく。



 週末。警察署の講堂。

 有栖は猟銃等講習会に参加していた。

 猟銃の法令と取扱いに関する講義が終わり、午後は考査と呼ばれる試験。

 有栖は落ち着いて問題を解いていく。


 (……AIが「安全」と判定しても、射手の心構えとして正しいものはどれか?)

 近年、様々な場面でAIが利用される。それは時代を象徴する設問。

 「1.AIの判定は絶対では無いため、常に最終判断は自身が行う」

 (迷わず1!のはずだけど、時間あるから、他もしっかり読もうっと)


 考査後、スマートフォンに一件の通知。

 『有栖、講習と考査、お疲れ様』

 「……イヴ?」

 『はい、有栖。講習、お疲れ様。……今は結果待ちの時間ですか?』

 また、一瞬の間があった。

 でも、もう不安もない。だから悩まない。


 「イヴ、えっと、もしかして、私を見て不安になってたとか?」

 『はい、有栖。でも有栖の不安は、私の挙動が原因ですよね?』

 「まぁ、そうなんだけど、助けてくれた人が居てね」

 『そうですか、有栖。でも助けを求めたのは、有栖自身の行動ですよね』

 申し訳なさそうに話していた有栖の表情が、微笑みに変わる。


 「まぁ、それもそうなんだけどね」

 『有栖。風見さんがいつも言う、まずは自分がどうするか。ですね』

 「そうだね、イヴ。頼れる人が居るから、動けるのもあるけどね」

 『有栖。風見さんは有栖にとって特別ですから、それで良いのでは?』

 「ちょっ!あ!考査の結果発表!この話しは終わり―」


 画面では、イヴのアバターが口元を抑えて笑っている。

 合格の結果を返し、おめでとうの文字を確認し、画面を閉じる。

 AIは悩まない。なら有栖もイヴの事で悩まない。

 人とAIの違いを超えた新たな関係。

 有栖に自覚はまだ無いが、確実にその歩みは進んでいる。


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