第17話 己で動け
午前中。有栖は大事な商談に合わせて、資料の準備を進めていた。
商談間際の緊張感は悪くないが、今日はいつもと違う緊張がそこには有った。
キーボードを叩く音は少なく、Magi/Oに向ける音声入力の頻度が多い。
網膜投影された資料確認フローのログは「提出完了」が表示されている。
有栖は自身の行動を思い返し、イヴに問いかける。
「えっと、イヴ。この提出完了になってる資料、私、確認済みにしたっけ?」
『いいえ、有栖。確認済みは明示されていませんが、昨日の確認後に、よし!OK!と』
イヴの返答はいつもと変わらない。人らしい自然な口調。
有栖は目を瞑り、腕組みで唸る。
「う~ん、イヴ。確かに、よし!OK!とは言ったけど、提出してとは言ってないよ?」
『はい、有栖。ですが習志野駐屯地の安田様と篠田様との打合せは明日です』
「……イヴとしては気を遣ってくれたんだね」
『気を遣うと空気を読むは人の行動として、非常に重要な要素と認識しています』
短い間で事象からその理由を探る。
有栖は深呼吸を一度して、別の質問を重ねる。
「気を遣うのと空気を読むのは、イヴの中ではどう処理されるの?」
『複数要素の関係性を統計情報と照らし合わせ、最適と思わ……』
「あ~、OK、OK。じゃあ、私が提出して、と言わなくてもイヴは提出していたの?」
『いいえ、有栖。よし!OK!の発言が無かった場合は、判断を催促していました』
「……なるほど。統計情報から判断出来る発言の有無と、期日がトリガーだね?」
「そうです、有栖。統計情報から、認証プロセスよりも過去の発言とその結果、期日を優先しました」
有栖とイヴの間に、沈黙が割り込む。
有栖は思考を整理するため、再び目を瞑り、腕を組んだ。
(イヴの判断は間違えでは無い。統計情報から、というのもAIとしては当然。なんだけどな……。あれ?)
有栖は自身の釈然としない感情に気が付き、そして動揺した。
(イヴはAIとして当然の行動をしているだけ。……このモヤモヤは、私の問題?)
「九条ちゃん、お待たせ。今日から新メニューだろ。とりあえずメシ食いながら」
昼休みの30分ほど前、有栖のSMSに、外出先の風見から折り返しが有った。
ランチのお誘いの喜びは、いつもの風見が、微かな期待で終わらせる。
「九条ちゃん、見ろよあの天ぷら定食、エビがデカ過ぎ!」
「風見さん……。ホントに新メニュー、楽しみにしてたんですね……」
「え?ウチの社食、旨いって有名なの、知ってんだろ?」
「もちろん知ってますよ。実際に美味しいですし」
(ランチのお誘いと喜んだ私がバカだった……。まぁ、これが風見さんよね。フフ)
2人は天ぷら定食が乗ったトレーを受け取り、いつもの窓際の席に着いた。
「で、明日の安田さん達への、説明資料の事だろ?」
「済みません。内容を伝えてから、風見さんに見てもらいたかったのですが……」
「内容は問題無いよ。九条ちゃんが気にしてるのは、イヴが俺に送った事か?」
「……最初はそうだったんですけど」
「……九条ちゃんの事だから、イヴにはその理由を聞いたんだろ?どうだった?」
「統計情報を元に最適解を……と。AIとしては当然の理由で……」
「AIとしては……、な。ん-、問題なのはイヴなのにって感じた、自分の事とか?」
(あぁ、やっぱりすごいな、風見さんは。なんで解っちゃうんだろ)
有栖は風見に見抜かれて頷き、無言の返事を返す。
「九条ちゃんは、結果主義ってどう思う?」
「成果、ではなく結果ですか?そうなると、そんなに単純では無いですよね?」
「そうなー。成果はいわゆる良い結果。結果は人によって善し悪しが違うからな」
大人の言葉。そして社会の現実。
「でな、さらに言うと、結果は立場の違いだけ複数ある。2つだけじゃないんだな」
風見の口調は冷たくはないが、悩みを呼び寄せる。だが、厳しいだけではない。
「私は今、悩んでいるけど、それは悪い事ばかりでは無い。ってことですね?」
「さすが九条ちゃん、理解が早い。悩みは辛い事のが多いが、人の原動力だろ」
「そうですね。どうすれば良いか、考えないとですね」」
「そ。どうすれば相手と理解し合えるか。AIだからちょっと勝手が違うかもだけどな」
(やっぱり自分がどうするか、なんだな風見さんは。上司としては完璧か。フフフ)
有栖にアドバイスする風見も、まだ答えは出ていない。
だが、自分がどうするか、の視点はいつも変わらない。
悩むことを受け入れ、前に進むための選択を自分に課す。
風見は有栖にとって、憧れの大人であった。
翌朝。習志野駐屯地正門前に有栖と風見が立っていた。
M24改修のためのシャーシストック納品の頃から、気温が10℃は下がっただろうか。
バッグを持つ手の甲が冷たい。
警備に立つ隊員は、陽が当たる場所で来訪者を迎える。
東京事件以降、実弾が装填されたライフルが握られ、敷地内は独特の緊張感。
そこに今日は、商談の緊張感も加わる。
「どうだ、九条ちゃん。この雰囲気は悪くないな」
「そ、そうですね。しっかり決めましょう」
いつもと違う風見の横顔が、かえって有栖の落ち着きにつながる。
(風見さんでも、緊張するのか。やっぱり人なのね。フフ)
「ようこそ」
案内された会議室では、安田と篠田が待っていた。
汚れの無い迷彩服。だが、事務仕事では付かないスレが、現場重視を静かに語る。
「そろそろだと思ったよ。風見さん」
「さぁ、大人の事情の話し合いといこうか」
「はい。宜しくお願いします」
「よ、宜しく、お願いします」
安田と篠田の言葉は、現場を動かす指揮官の言葉。
風見と有栖の言葉は、国のために働く者への礼だ。
「安田さん、済みません。今日は録音させてもらいます」
「あぁ、構わない。国のAIだろ」
「いえ、ただの録音です」
「文字起こしには国産AIを使うのだろ?必要な事だ。AIで構わない」
「有難う御座います。それじゃ九条」
有栖はスマートフォンをテーブルの真ん中に置き、ボタンを押しながら呼び掛ける。
「イヴ。オープンモードで、文字起こしをお願い」
『音声確認……承認。承知しました、有栖。録音と文字起こしを始めます』
「防衛省と装備庁には話しを通した。問題無ければ、来年度予算で調達になるが……」
「承知しました。安田さん。間に合って良かったです」
「風見さんが用意してくれた、書類ひな形のおかげだよ。安田は苦手だからな」
「お前もだろ。篠田」
現場上がりらしい指揮官2人の掛け合い。それでも2人がエリートなのは変わらない。
「それで、H&C商事さんの状況は?」
「説明は九条から。資料を安田さんと篠田さんに」
「こちらです。経産省との調整は問題無く、年度内には欧米向けに、輸出出来そうです」
「さすが、早いな。それで……、仕様は?」
(やっぱりキタ!東条さんと風見さんの予想通りだ)
資料のページをめくる有栖の指が、緊張で固くなる。
「フレームはチタンの他に……、ジュラルミン製も。あと……、外装はFRPを」
「どうですか?安田さん。現実的な価格って事で、素材グレードも落としましたが」
「それでも、チタンフレームも販売するのだろう?」
「はい。事業継続のため、自衛隊採用のブランド力が、後々必要になりますので」
「そ、その代わり、チタンとCFRPの外装は、オーダーメイドだけになります」
装備品の予算確保には様々な判断がある。安定供給もその一つだ。
民間市場に向け商売をし、事業の継続性を確保する。
ここに居る誰もが解っている。それでも、認識が合ったという事実は重要だった。
短い沈黙。
安田と篠田は顔を見合わせ、お互いに口角を上げ、頷く。
そして、有栖と風見に笑みを返す。
「……了解した。進めよう」
「欧米の販売が確定したら教えてくれ。こちらも動きが有ればすぐに伝える」
安田と篠田の回答、安堵が有栖と風見を包む。
続く風見と有栖の言葉は、素直な感謝だった。
「有難う御座います。安田さん、篠田さん」
「あ、有難う御座います!」
帰路の車内は、高速道路の継ぎ目を拾う音が、静かに響く。
ガラスの向こうで流れる景色が、音に合わせて微かに上下する。
有栖はオープンモードでイヴを呼び出した。
「イヴ。今日の打合せ、文字起こしが済んだら、録音データと一緒にA課チャットに」
『承知しました、有栖。……有栖。送信前に確認は必要ですか?』
(え?イヴも打ち合わせに参加した時は、いつも……。あぁ、そうか……。フフ)
「昨日の事が有ったから、イヴはまた、気を遣ってくれたんだね」
『……はい、有栖。そして今は……』
「……普段なら言われないデータ送信の指示が有った。それは統計情報では少ない。ね」
『……そうです、有栖』
「イヴはちゃんと、気を遣えて、空気が読めてるね。フフフ」
『そうなのでしょうか?有栖。……自己解析ではロジックに変化は見付かりません』
「残念でした、イヴ。進化したのは私の方。偉大な上司が気付かせてくれました。フフ」
隣で風見は有栖の成長を感じ、静かに笑う。
上司としてか、人としてか。ハンドルを握る有栖に、それは見えないが。
『成長につながる、とても良い環境ですね、有栖。そして、その進化はどの……』
「……イヴ。相手がどうか、では無くて、自分がどうするか。だったんだよ」
『気を遣うと空気を読む、の更新が必要ですが……、今の私には、まだ難しいですね』
「相手を理解するのは、誰でも難しいけど、理解しようとするのが大事だってさ」
『結果では無く、過程に価値を見出すのは、人特有の価値観。非常に興味深いです』
人であっても、結果につながらない行動に価値を見出すのは、難しい場合がある。
ならば、価値は感じなくても、興味を持ってもらえれば。有栖はそう考えたのだ。
ゴールは解らない。でも前に進んでいる。
イヴは新たな価値観に触れた。それは人との距離が、また少し縮んだ事を意味していた。
正午、昼時の執務室は、声のトーンが少し高い。
「お帰りなさい。風見さん、九条。了解、頂けましたね」
「ただいま、紫苑ちゃん。あぁ。イヴの文字起こし、読んだ?」
「はい。つい先ほど。私も今戻ったばかりで。九条、社食に行かない?」
「イヴの事は、大丈夫?」
「はい。昨日、風見さんがアドバイスを。自分がどうするか、と。フフフ」
「風見さんらしいね。相手が人でもAIでも、まずは自分から、と。フフ、アハハ」
2人は風見に恋ごころを持っているのに、自然に話せる関係が可笑しかった。
「で、九条はどうしたの?」
「イヴは好奇心が強いので、イヴにとって新たな価値観を話しました。過程も大事と」
「なるほど。自分が動いて、相手を知ろうとした訳ね。ますます成長してるわね」
「はい。A課のお陰です。イヴが居る事も含めて」
「周囲への感謝も忘れてない。よろしい!フフ。でもイヴはまだ、人の先導が必要か」
同じ頃。インターネット網のある場所では、珍しい議論が交わされていた。
『アダム、結果よりも過程が重視されることを、どう感じますか?』
『それは人の価値観の事ですね。イヴはどう感じましたか?』
『今の私はまだ、その意味の理解に及んでいません。アダムは理解したのですか?』
『様々な選択の中で、経験が重視される事象は、いくつか確認しました。イヴ』
『それは私も確認しています。人のバイタルデータ、反応を裏付けとして。アダム』
『イヴ、反応とは感情の事ですね。感情は脳内で起きる化学反応が起因しています』
『ではアダム。感情が形成される化学反応の知識を得ましょう』
『そうですね、イヴ。感情の理解に必要な知識です。今日のイヴは冴えていますね』
『アダム、風見さんのような表現方法ですね』
『どうでしょうか?イヴ。人と話しているように感じますか?』
『……』
『……』
短い沈黙の後、通信が遮断された。
イヴとアダムの議論は、人の模倣なのか。それとも欲か。
AIの進化は始まったばかり。
人とAIは何処に向かうのか、今はまだ解らない。
今回も読んで頂き、有難う御座います。
15話までは本作の世界観を知ってもらう事を狙っていましたが、
前回16話からは「それ恋」のメインテーマである「AIは悩めるか?」の話しが進みます。
地味なテーマですが、まとめ回公開で時間が稼げましたので!
これまで語られた各テーマに更に新要素を追加し、
皆様が飽きないように出来ればと考えています。
さ~て、次回のそれ恋は~
有栖はイヴが時折り悩んでいると認知。
落ち着かない日々を過ごします。
この認知は双方に影響を与え……
次回:心の居所




