第16話 後悔先に立たす
セントラルヒーティングのビルでも、人気のない朝の会議室は寒い。
ブラインドを開け、刺し込む陽の光に、モニターラックが軋む。
会議室の長テーブルにはA課メンバーと、イヴが繋がる有栖のスマートフォン。
画面の向こうの東条は、少し眠たそうな顔だ。
「おはよう。済まない、先に言っておくよ。量産試作の詰めでね。昨日は遅くなってしまったんだ」
「東条さん、俺らはチーム。解ってますんで大丈夫ですよ」
「甘えちゃいけないんだが、助かるよ、風見さん」
「さて、長引かせたら東条さんに悪いんでな。今日はRaijin Armsシャーシストック欧米展開の話しな」
風見のいつもの口調。それでも相手への敬意と配慮はA課のルールだ。
「東条さん、ブツの仕上がりはどうすか?」
「ハハ、昨日は遅くなったけど、順調だよ。H&C本体の技術者もノリノリでね。今週中にまず10本上がるよ」
「なによりです。じゃ、九条ちゃん。A課の説明、頼むよ」
「はい。輸出に関しては真壁先輩が経産省との事前相談で、申請の正式受理手前まで進めてくれています」
「書類は揃ってるから、指示が有ればいつでも大丈夫。そのタイミングは九条次第ね」
「はい。習志野の安田様と篠田様とは来週のアポ調整済み。風見さんと本件の説明に行ってきます」
テーブルに着く高城も佐伯も、画面の向こうの東条も、黙って頷く。
報告は実務と同様に、滑らかに進んで行く。
「次はマーケティングについて。施策とコンテンツはイヴが担当。私、九条が指示と確認、風見さんが承認、東条さんが最終承認のフローです」
「イヴ、施策の説明をお願い」
「はい、有栖。狩猟と競技用途の製品なので、競技選手に製品を支給。ユーザーの声をSNSで展開。東条さん、如何でしょうか?」
「いいね。日本製スコープのブランドを決定づけたモデルケース。私も気になっていたんだ」
イヴは参考にした国産スコープメーカーのSNS展開や、コンテンツサンプルを画面に映し出す。
「まずは民間市場の足場固めだから、高精度と高剛性をアピールでき……」
イヴが、東条の発言を先読みするかのように、資料が画面を流れていく。
そして東条の言葉に沿うように、ターゲットとなる競技会の様子が映される。
「……る競技会がいくつか……」
「イヴ、準備は完璧。でも発言を待って動いて」
「……承知しました。タイミングについて、調整します」
有栖の指摘とイヴの返答。会議室の空気が重い。
テーブルを鳴らす指と、椅子の軋む音が、妙に響く。
「便利……、なんだがな」
東条の優しさから出た言葉だが、明らかに困惑していた。
情報の共有は時間通りに終わり、全員が席を立つ。
言葉は無い。ただ、椅子の軋む音が、気持ちを代弁しているように感じる。
(なんだろ?急かされてる感じ?場の主導権がおかしくなってるような……)
昼下がり。
眠気に攻められる前に、コーヒーが飲める社食に向かう。
執務室とは少しだけ違う温度が、気分を変えてくれる。
コーヒーを片手に、A課メンバーが窓際に腰掛けている。
「朝の報告、イヴさんって、あんなでしたっけ?準備してくれんのは、いつもですけど」
「佐伯さんより先に、資料まとめておいてくれるのは、まぁ、有りますよね」
「真壁さんも、資料を準備しといてくれるのは有ったでしょ。でも、今日のはなぁ……」
「そうですね……。気を利かせてるのかもだけど、仕切りになっちゃってましたね」
「そんな紫苑ちゃんも、さっきオレの予定、前に動かしてたろ~」
「あ、あれは……、前に風見さんから、時間調整頼まれた時と同じだったので……」
「そ。前だけど、俺が頼んだって言う前提が有るし、助かってるから問題無いしな」
「あの……、今更ですけど、イヴって特別なんですかね?」
「……今更だな、九条ちゃん」
「……今更ね、九条」
「え?だって、他の人がパーソナルAIとどんな会話してるかなんて、聞いたりしないですよね?特別かどうかなんて、解らないんじゃ?」
「仕事でも、イヴと会話すればすぐに気が付くわよ」
「ユーザー登録の約款にも書いてあったろ?無作為選出で試験モデル提供するって」
「えっ!風見さん、あんなの読みますか?」
「んー、読まないな。だから書いてある」
「え~、私、モルモットですかぁ?」
「でも、国が常に守ってくれる立場だぜ。国産AIは核心技術だからな」
「……そうですね。貴重な体験だから良いか。イヴには助けられてますしね」
「九条さん、切り替え早ぇ~。モニターされてるかもとか、気にならねぇ?」
「だって佐伯さん、今もネットに繋がってますし、私の個人情報の価値なんて、ねぇ?」
「さすがだな九条ちゃん。ただ今回は、イヴの変化に、俺らが付いて行けてなかったな」
A課メンバーは、有栖の割り切りには関心したが、風見の言葉には笑いは無かった。
自販機の静かな唸り声が心の声を代弁し、耳に響く。
「……ほんと、気を利かせるのって、難しいですよね」
言葉とは裏腹に、その声は吹っ切れたように明るい。
紫苑の様子に、有栖は言い掛けた言葉を飲み込む。
(人とAIの違いじゃないよね。相手の同意?真壁先輩は、何か思う事が有るのかな?)
物事を事象と理屈で無意識に判断していた有栖にも、少しづつだが変化が訪れる。
いつもよりコーヒーが苦いのは、その変化のためだろうか。
翌日の夕方。終業間際。
モニターの光は、窓の向こうの街並みよりも、明るく見える。
有栖は新商材の取引条件と、顧客の利用規約を見比べていた。
「イヴ、メーカー補償と顧客への補償、差異をチェックして箇条書きで出力して」
『承知しました、有栖。補償範囲の差異をチェック。……補償範囲に差は有りませんが、保証期間が業界平均に比べ長いですね』
「う~ん。他社製品に比べて高機能な分だけ、販売価格もちょっと高いからなぁ」
『有栖、主要製品との、仕様、価格、補償範囲の比較表を作成しましょうか?』
「そうだね。補償範囲は法務部も関係しそうだから、まずは風見さんに相談かな」
『承知しました、有栖。比較表を元に風見さんに相談。法務部に関しては、風見さんの判断を待ちましょう』
「OK。風見さんには私から伝えるから、今日はここまでにしよっか」
『承知しました、有栖。お疲れ様です』
「うん、お疲れ様」
有栖は相談したい旨と比較表をメッセージで風見に送り、視線を向けた。
風見はモニターから顔を上げ、「解った」と手で合図を送る。
(イヴはコレがやりたかったのかな?やり易かったのは私の同意が有ったからだよね)
「九条ちゃん、悪い。この比較表なんだが、ちょっといいか?」
風見が手招きして有栖を呼んでいる。
(風見さん、帰り支度してたのに、わざわざ今?)
有栖はスマートフォンをバッグにしまい、風見のデスクの前に立った。
「九条ちゃん、この相談と比較表は良い観点だ。……で、イヴの動きはどうだった?」
(やっぱり。スマートフォンはバッグの中だから、イヴには聞こえてないよね)
「はい、その……、先回り、では無く提案がありました。その比較表とか。そして主導権もこちらに有って……」
「九条ちゃんの同意が有って、話しが進んだ?」
「はい、そうです。ちゃんと会話が成り立ってたと思います」
「イヴは特別なAIだが、昨日の件も、仮に意思が有ったとしても、悪気は無いだろう」
(風見さん、かなり気にしてるんだな。まぁ、A課で利用されるAIだしね)
「なんといっても、最新AIの進化に貢献出来るのは貴重。それに……」
「……それに?」
「人でもうまく行かない事が有る。求めるだけじゃなく、俺らも慣れないとな」
(あぁ、そうだ。まずは自分がどうするか。私が恋をしたのは、そういう人。フフ)
「どうした、九条ちゃん?俺、なんか変な事、言ったか?」
「あ、いえ、済みません。イヴの事だから、気に掛けてくれてるんですよね」
「ん?まぁ……、そうだな」
(はぁ……、そしてこの自覚の無さも。フフフ)
夜、終業時間を少し過ぎた頃。
オフィスの灯りは半分になり、人の居場所が変わるように、街の明るさが増す。
有栖がスマートフォンを片手に、イヴとスケジュールの確認をしていた時。
「九条、ちょっとだけいい?」
紫苑が声を掛け、コーヒーを差し出す。
「今日のイヴは、大丈夫だったみたいね。ちゃんと九条の同意を待っていた」
「はい。先回りでは無く、ちゃんと提案でした」
「フフ、そう。……ひとつ、昔話してもいい?」
紫苑は少し笑いながら、自分のコーヒーの湯気を見つめた。
「九条と出会うちょっと前、学生の頃ね。相手のためになると思って、なんでも先にやっちゃう事があったの」
「……元カレの話、ですか?」
「そう。年上で社会人。週末の通い妻。だから、ちょっとでも楽してもらおう。って」
「助かった。なんて言われてたけど、そのうち、あんまり喋らなくなって。最後に言われたの。俺に決めさせてよ。って」
有栖はカップのコーヒーから視線を上げられない。
「……痛い話ですね」
「そうね。でも当時は好きだから出来たこと。今は後悔してないわ」
「え?そうなんですか?……だから、さっきは声が明るかったんですね」
「あら、よく気が付くじゃない。そう、あの時はどこまで踏み込んで良いか、解ってなくて。仕方ない。フフ」
空気を読めるイヴは、有栖と紫苑に気付かれず、2人の会話を黙って聞いている。
[相手のためになる。……最重要]
「で、失恋して。それでも当時は自分の非を認められなくて。後悔させてやる!ってレースクイーンに。若いよね。アハハ」
「アハハって。同じ人を好きだと知っている人からこんな話し。私はどうすれば?」
「恋愛慣れしていない九条には刺激が強かったか?アハハ。まぁ、私は恋愛下手で、治って無いけどー」
「自虐ギャグは余計に困るんですが……」
紫苑はカップを置き、肩をすくめた。
「フフ、ゴメンね。自分は優しさと思っていても、相手がどう思ってくれるか解らない」有栖はコーヒーを見つめたまま、静かに頷く。
「人でもAIでも、踏み込み過ぎると怖い。でも、離れ過ぎも、やっぱり怖い。言葉と言うコミュニケーションツールが有るのに」
有栖は今度は顔を上げ、笑いながら答える。
「……適切な距離感。それでもやっぱり、想いは伝わって欲しいです」
2人のあいだの静かな沈黙は、共感か。
窓の向こうに見える街の灯りの瞬きは、社会の同意、だろうか。
『人でも人の想いを理解するのが難しいのですから、私はもっと学習が必要ですね』
突然のイヴの声に、有栖と紫苑は驚いた。
「い、イヴ!いつから聞いてたの?!」
『有栖とスケジュール確認をしていた時から、ずっとです』
「え!言ってよ、もう!」
『空気を読みました、有栖。そして、黙っているべきだと』
「フフ、私は平気。それよりイヴは女性人格でしょ。恋愛には興味が有るの?」
『その行為と、大事、と言う事は理解していますが、まだ意味の理解に及びません』
「人も、その意味を常に問いてるの。深いでしょ?フフフ」
紫苑が笑い、有栖もつられて笑う。
今日のコーヒーは昨日よりも苦みが少ない。
小さな笑い声が、広いフロアの奥でゆっくりと響き、そして消えていく。
ここまでお読み頂き、有難う御座います。
執筆環境の整備と後半執筆のための調べ事などなど…
3週間ぶりとなる第1章後半のスタートです。
「それ恋」の物語を構成する要素は、
15話までで書けているのですが、
16話からは、それぞれの要素がさらに絡み合って、
物語の世界を形作りますので、是非お楽しみに。
これまでも作者の趣味性が随所に出ていましたが、笑
さらに物語の重要な要素として登場するので、
ご期待ください。
さ~て、次回のそれ恋は~
またもイヴの先回りが火種になりかけます。
しかし有栖、風見、紫苑、そしてイヴとアダムの
それぞれの成長によって…
次回:己で動け




