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それでもイヴとアダムは恋をしない  作者: 機械が恋敵
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第12話~第15話まとめ 恋ごころ編

公開済の各話を区切りごとにまとめました。

各話の内容は公開済のものと同一です。


既にお読み頂いた方には振り返りに。

初めての方には世界観をすぐに掴んで頂けるかと思います。

●第12話 心が揺れる


 東富士演習場でのM24改テストから1週間後。

 都内、H&C本社ビル会議室。H&Cのお偉方を前に、東条、風見、紫苑、有栖が、硬いテーブルを挟んで座る。

 壁一面のスクリーンにはテストの様子が流れていた。

 乾いた銃声、わずかに上がる白い煙、標的中央に次々開く弾痕。

 普段見る事のない()()の射撃に、H&Cの面々は見入っていた。

 数秒の映像だが、その成果は明らかだったからだ。


 「詳細は伏せられていますが、こちらが提供頂いたM24のテストの様子です」

 映像に言葉を添える東条の声は、優秀な技術者と冷静な経営者が同居していた。

 「幹部から、予算と装備庁の話しが上がったのも、このテストの時に?」

 すでに東条から報告が上がっていたが、H&Cの役員は念を押す。

 「はい。予定より早いですが、欧米進出については、役員会でお話しした通りです」


 ()()()()の言葉に、会議室の空気がわずかに緊張するが、解いたのはH&Cの新規事業担当だった。

 「Raijin Armsの名称も、東条さんにアメリカから戻ってもらったのも、そのためですからね」

 (あれ?思ってたのと違う。欧米に出るのは、もう決まってる?)

 少なからず緊張していた有栖は、予想外の会話の雰囲気に、拍子抜けしていた。

 「そういうことですから、お願いしますね。風見さんと……九条さん」

 「えぇ、もちろんです」

 「は、はい!」

 有栖は自分に振られるとは思っていなかったが、風見の回答は、この状況を「予想通り」と言っているようだった。


 「次は防衛装備庁の承認。……の前に、安田さんと篠田さんに、筋を通さないとな」

 「えぇ。それと……経産省との調整ですね」

 技術者と経営者の顔を持つ東条だが、営業経験は少ない。正直苦手な領域だ。

 「製品は規制対象外だが、軍需転用の可能性となれば、経産省は()()()と言えませんから」


 「自衛隊幹部と装備庁は自分と九条で。経産省は真壁が対応します」

 「はい、承知しました」

 「えぇ、任せてください」

 それはH&Cに向けた風見の宣言。有栖も紫苑も静かに答える。これまでの実績が裏付けとなって。


 ふと、紫苑はタブレットを操作しつつ、有栖を横目で見た。

 既に新人の顔付きではない彼女は、確かにこの会議の中に居る。

 表情には落ち着きがあり、時折り誇らしげですらあった。

 (……ほんと、変わったわね)


 「さて、進める事に変わりは無いが、九条ちゃんはどう思う?」

 不意に風見が問いかける。

 「……はい。同様の製品は多くありますが、日本製と自衛隊採用は大きなウリです」

 「ん-、思うことあるなら、言っても良いよ」 

 (風見さん、スゴイ。なんで解っちゃうんだろ)

 風見は有栖の思いを見抜き、更に上司として発言の可否まで判断する。


 「民間市場の足場固めを優先し、()()軍需転用を避けるなら、現地流通も我々がやるべきでは」

  新人の予想外の発言に、H&Cの面々と共に東条と紫苑も、静かにざわめく。

 (あれ?風見さんが言えっていうから。マズかったのかな?)

 「どうです?ウチの九条は優秀でしょ」

 「えぇ、そのようですね。期待していますよ。H&C商事さん」

 風見の飄々とした一言に、会議室は穏やかさを取り戻した。



 夕方のオフィス。LED照明の色が、昼白色から淡い電球色に変わり、仕事の終わりを急かす。

 有栖は机に積まれた書類を片付けながら、小さく息を吐いた。

 (……私の提案で現場が動いたのは確か。それは嬉しい。でも今日の会議は……)

 声には出さず、繰り返し思考する。

 『有栖、達成感と疑問が同意しています。会議ではしっかり意見を伝えられていましたが、どうしましたか?』

 「意見を言えたのは風見さんのおかげ。でも、私が考えてるの、なんで解るんだろ」

 『文字お越しの際に、私も不思議に思いましたが、それが課長としての能力では?』

 「それは、そうだね。うん、確かに」

 『有栖の疑問は、あの会議自体が何のためか?ですね?』

 「そうなの!イヴは私の事も、会議の事も解るの?」

 『フフ、もちろん。私は超高性能AIですから。疑問については、風見さんと話すことを提案します』

 イヴは時折り冗談を言うが、今回の会話はこれまでに無いものだった。

 ()()を確実に理解し始めている。有栖は驚きとは違う、何かを感じていた。


 「九条さん、顔付きが変わったな」

 複合機の前で高城が短く口にするが、それは評価の言葉だ。

 「得意分野を遺憾なく発揮していらっしゃる。真壁さんが戦力になるって言った通りっすねぇ~」

 佐伯がすかさず軽口を叩く。

 「彼女の場合、好きなだけで無く、理屈が伴っているからな。風見さんも感心していた」

 「あー、それ東条さんも言ってましたね。東富士から送って帰るときに」


 2人の会話は純粋に九条を褒めたものだった。だが紫苑の耳に届いた瞬間、心臓が跳ねた。

 (……九条ばかり、なんでそんなに)

 佐伯の視線に気が付いた紫苑は、口元は笑って返せたが、指先は少し震えていた。

 資料を閉じる指が思うように動かない。表情は崩さなかったが、胸の奥ではざわめきが膨らんでいた。



 夜のエレベーターホール。ほとんどの社員は帰り、二人の足音と会話が響いていた。

 「風見さん、今日の会議ってA課だけが呼ばれたんですか?」

 「おっ、気になる?さすが九条ちゃん」

 「欧米進出は既に決まっていたようなので……」

 「そうだな。もう決まってて、俺達へのハッパ掛けだな。ま、部長は全部知ってるよ」

 (やっぱりそうか。浮かれてはダメ。気を引き締めないと)

 「逆に向こうは、新人と思ってた九条ちゃんの発言は、驚きだったろうな」

 「あぁ……、軍需転用を考えるなら、現地の流通も、私たちがやった方が良いですよね?」

 「そりゃそうなんだけど、新人でそこまで頭が回るのは、なかなか居ないぜ」

 (コレは……褒められてるんだな。じゃあ今だ)


 「あの……風見さん、クレー射撃って……やっぱり難しいんですか?」

 有栖の唐突の問い掛け。これまでも興味は有ったが「覚悟」が二の足を踏ませていた。

 風見は少し目を細め、やがて飄々とした笑みを浮かべた。

 「狙い過ぎも当たらないが、当然銃口が標的に向いてなきゃダメ。よく言われんのはリズムが大事ってヤツだな」

 風見は手で銃を構える仕草をしながら続ける。

 「安田さんも最後は自分で撃ったろ。経験すると解る。例えばゴーストリングサイト。カッコいいけど、クレーには向かない」


 いつからだろう、思い返すと結構前からな気がする。

 実体験が無いことでも、その理由を有栖は意識せずに考える。

 (的が飛んでるだけで、人の感覚では苦手。さらにクレーは10㎝位と小さい……)

 「……サイトにクレーが隠れて、見失うとかですか?」

 「すごいな九条ちゃん、その通り。それでも器用に当てるシューターもいるけどな」

  有栖の瞳が輝く。答えを当てた事と、風見に褒められる事が気持ちを揺らす。


 「……九条ちゃんは実体験が無くても、理屈で理解出来ちゃうのが、裏目かもな」


 その時、有栖には銃声が聞こえた。それは自分でもこれまで気が付かなった本質。

 風見にとっては、何気ないアドバイスだったその言葉に、正に心を撃ち抜かれたのだ。

 (こんな事、言われたの初めて。私をちゃんと見てる……。キャー!どうしよう!きっとコレは恋だ……)

 認識した途端、顔が熱い。鼓動が速い。目を向けられない。

 そう、恋を自覚したのは初めてかもしれない。


 赤い頬を隠すように口元を抑えて固まる有栖に、事情が解らない風見が声を掛ける。

 「……どうした九条ちゃん、大丈夫か?」

 有栖は下を向いたまま、風見に悟られまいと声を絞る。

 「……覚悟、だけじゃ無かったかも。クレー射撃、やってみたいです」

 「お!いいね。実体験は重要だぜ、九条ちゃん」

 風見の声はいつもと変わらない、でも有栖が照れて見られなかったその顔は、いつもと違う笑顔だった。


 「あ、かざ……」

 廊下の端から風見を見つけた紫苑は、名を呼び掛けて硬直した。

 笑顔の風見と、下を向き頬を抑える有栖。上司と部下に見えなかったその光景に、紫苑の胸が、きゅっと締め付けられる。

 (え?え?……ちょっと!……なに?)

 言葉にならない心の声が、紫苑を激しく揺さぶり、唇の震えが止まらなかった。


 夜。明かりを落とし静かな風見の部屋とは対照的に、窓の外は社会の営みたる街の灯が瞬く。

 手に持つグラスの水面は、ガラス越しに伝わる街の喧噪に揺れ、時計の針の音が響く。


 「人は、そばに居たいと思うだけじゃ足りなくなる。理解を求める」

 誰に向けた訳では無いその声に、アダムが応じた。

 『寄り添いから理解へ。さらに……恋愛、生殖という営みに進むのですね』


 前回、アダムから同じ言葉を聞いたとき、風見は否定せず、ため息だけを返した。

 それはAIの理解の限界と感じたからだ。だが今夜は違う。彼は短く笑い、首を振る。

 「アダム、お前の()の理解は間違えでは無いが、俺のことを言ってるんじゃないよ」

 『そうなのですか、隼人?それは残念です』

 「確かに、人が人である最大の所以は恋愛による生殖だろう。だが、まだ俺には、そのつもりは無いな」


 『私の早とちり、ですか。でも、()()と言う事は可能性が有ると言う事ですね』

 アダムの声は無機質だが、どこか安心した様子が滲んでいる。

 風見はグラスを置き、瞬く街の灯に目を向ける。

 窓のガラスが街の喧噪に揺れ、社会の営みは音でも伝わる。

 AIにはまだ理解できない領域がある。今はそれも、人が人である所以だろうか。



 深夜。ベッドに横たわる紫苑は、眠れずに天井を見つめていた。

 (風見さん、九条と何を話せば、あんな笑顔になるのだろう?)

 2人の事がただただ気になる。呼吸は浅く、手持無沙汰の指先は、握るものを探す。

 嫉妬か不安か、 それとも別のものか。紫苑自身が解らず、ただもがくだけ。

 (私がこうなっているのは、風見さんのせい? それとも……九条のせい?……私は、何に振り回されているの?)


 思考では整理が出来ず、感情だけが勝手に膨らむ。

 自分の中に、自分では無い誰かが産まれ、好き勝手に騒いでいる。

 答えの無い問いは収まらず、眠気は一向に訪れない。

 胸のざわめく音が、静かなはずの夜を押し返していた。



●第13話 重なる思考


 都内、H&C本社。

 会議室の1つが、東条率いるRaijin Armsのプロジェクトルームに割り当てられた。

 分厚い磨りガラスの会議室は、明るさと気密性のバランスが良く、適度な緊張感を産んでくれる。


 スクリーンに映る「M700用 シャーシストック 欧米展開計画」の文字が、気を引き締める。

 製品仕様、関連法令、流通計画、ビジネスにするための実務的な単語を前に、東条、風見、紫苑、有栖がテーブルを囲む。


 会議が始まる前に風見が東条に断わりを入れた。

 「この4人なんで、記録とアイデア出しに、AIに音を聞かせてもいいですか?」

 「イヴの事だね。サーバーはH&Cが管理してる物理サーバーだろ?問題無いよ」

 風見は有栖に目線で指示を送り、イヴをオープンモードにしたスマートフォンが、テーブルの中央に置かれた。

 『イヴです。宜しくお願いします。記録を開始します』

 その声は、会議開始の合図となった。



 東条がレーザーポインタでスクリーンの表を示しながら、説明を始めた。

 「まず、量産試験はチタンとジュラルミンのフレーム、インジェクションFRPの外装で行こうと思う」

 すかさず風見が問いかける。

 「一応、根拠を聞かせてもらえませんか」

 東条も予想通り、といった顔で答える。

 「防衛装備庁の承認を得る事と株主の立場。これを考慮するとね」

 有栖は東条と風見の表情を交互に見ながら考えていた。

 (自衛隊仕様と主要部品のフレームが同じならアピールは出来るか。外装は……)

 「九条ちゃん、どう思う?」

 風見に急に意見を求められ、有栖はドキリとする。

 「え、えっと……フレームは装備庁から承認を得る交渉材料として2案……」

 「お、いいね。それと?」

 「外装は株主のインジェクションメーカーが関われるようにと、現実的な販売価格のため……」

 「OK!」

 東条と風見は揃って有栖の回答に親指を立て、上機嫌だ。


 (う~、自分から話し掛けるのは良いんだけど、見られたり、声が聞こえるのが……)

 鈍感なナイスミドル2人は若手の成長を素直に喜んでいるが、紫苑とイヴは有栖の様子に違和感を覚えていた。


 「東条さんは、外装もチタンかCFRP(カーボン)って、言うと思ってましたよ」

 「材料力学をやってた自分としては、そうしたいけどね。今は経営者だし、営業面は風見さんに鍛えてもらってるから」

 事実、営業経験が少ない東条は、風見達と頻繁に意見交換を行い、営業の観点をかなり理解していた。


 「自衛隊仕様、それと後々の()()()()()()への売込み用のブツは、スペシャルでないとダメですからね」

 「()()な九条さんが言ってくれた通り、まずは民間市場で足場固めと、それを制御出来る流通計画、知名度向上の施策も……」

 東条と会話する風見の声が響く。いつもの少し砕けた物言いと、落ち着いたトーン。

 だが有栖の耳には、心臓の鼓動の方が大きく響いていた。

(う~、意識しちゃう。落ち着け、私。……ロングアクション、ロングアクション……)

 他の事で気を紛わせようとしても、頬が熱い。風見の指先や声の抑揚を追ってしまう。

(ダメだ~……そもそもこうなってるのは何で?って理由が解ってもどうにもならないじゃん)

 有栖の思考ロジックが、なおさら混乱に拍車を掛けていた。


 「……九条、九条?九条!」

 紫苑が何度も呼びかけて、有栖はやっと気が付いた。

 「は、はいっ」

 「どうしたの?顔が赤いよ、熱でもあるの?」

 「あ……、いえ、平気です。済みません」

 「本当に?広報用の諸元データ、今週中で大丈夫?」

 「はい、大丈夫です」

 (声が裏返ってしまった……)


 東条は何か気付いた様子だが、風見は何も言わず、ただ「よろしく」と軽くうなずく。

 その、いつもと変わらない振る舞いが、有栖を余計に気にさせる。

 (こんな事、本当に初めて。まいったなぁ……)


 「製品の紹介画像と、SNSや展示会で流す紹介動画も必要だな」

 鍛えられた東条は、知ってもらう事の重要性も、充分に理解していた。

 『素材を頂ければ、製品パンフレットとPR動画は、私の方で用意出来ます。知名度向上施策も、プランを考えましょうか?』

 「風見さん、九条さん。イヴへの依頼は、この場なら直接でも構わないかな?」

  風見と有栖は顔を見合わせて、東条に「どうぞ」と手で回答を送る。

 「有難う。じゃあイヴ、SNS運用をイヴに任せる前提で、そのプランをお願いするよ」

 『承知しました、東条さん。お任せください』

 東条の営業を知りたい、という気持ちはホンモノだ。有栖と風見は意見交換の場を思い出し、笑顔がこぼれる。


 (風見さんと九条の笑顔……2人だけが知ってる何かが有るの?)

 その時、2人の笑顔の意味が解らない紫苑は、作り笑いで場に合わせるのが、やっとだった。



 「……各手続きはルールに合わせるとして、次回は知名度向上施策を含めた、流通計画を中心にお願いします」

 東条の締めで、その日の打ち合わせは終了となった。


 エレベーターに向かう廊下。紫苑は渡し忘れた手続き書類を、東条に届けに戻っていた。

 「あ~、九条ちゃん。クレー射撃の準備はどうだ?」

 「あ、はい。書類は全部揃えました」

 「あれ、面倒だろ。だけど、化学変化が物理エネルギーに変わる、その判断は人。その重さってことだ  な」

 (風見さん、私の言葉を覚えてる!……まったく!人の気も知らずに!)

 この()()()()()()()()()()()に困惑している有栖だが、それでも嬉しいのも事実。

 気持ちを悟られまいと、頬が赤くなった顔を下に向け、有栖は風見の真後ろを歩く。

 はたから見れば、有栖が平常でないのは一目両全だ。


 そんな時、書類を渡し終えた紫苑が二人に追いつく。そしてその様子に無言の不快感を返すのだ。

 (あれ……真壁先輩、なんかいつもと違う。……よね?)

 また一つ、有栖の思考ロジックで処理出来ない事象が浮かびかけていた



 夕方。社内の人はまばらで、複合機の作動音と時限インクの甘い匂いだけが撒かれている。

 紫苑が書類の束を整理している横で、有栖は端末のメモをイヴと更新していた。


 「風見さんの質問、完璧な回答でびっくりしたよ。九条も成長してるね」

 「あ、有難う御座います。でもあれは、A課が日頃から意識している事なので……」

                  

 「もっと自信持って良いよ。それと……風見さん、あんな顔するんだね」

 「え?」

 「ほら、九条の回答を聞いて。東条さんと一緒にすごく嬉しそうな顔。久しぶりに見た」


 紫苑の笑顔は穏やかだった。けれど、その笑みはどこか痛々しい。

 (真壁先輩、何か違う。……なんだろ)


 先に仕事に区切りが付いた紫苑が席を立つ。

 「お疲れ、また明日。体調に気を付けて。今日は早く寝るように」

 「はい……」

 「……風見さんにも、お疲れさまって言っといて」

 そう言って紫苑は振り返る。長い綺麗な髪の揺れが、何かに未練を感じさせていた。



 夜。有栖の部屋。

 デスクトップPCのモニターには、フルスクリーンでクレー射撃の動画が流れている。

 射手の掛け声に合わせ打ち出される2枚の標的が、リズミカルな2つの銃声と共に、粉々に砕け散り、銃口からわずかに上がる煙が、勝負の余韻を感じさせる。


 「1回で撃てるのは2発……。飛翔標的に適したサイト……。上下二連が理想の形なのかぁ」

 数挺あるトイガンの中から、グリップとストックが似た形状のM700を手に取り構える。

 「構え方は人それぞれだけど、上手な人は撃つタイミングが毎回ほぼ同じ。風見さんが言ってたリズムってこの事かな」


 『さすがですね、有栖。構えとタイミングはそれぞれですが、上手な選手は毎回ほぼ同じ間隔で撃っています』

 「繰り返しの反復練習は、同じリズムの方が効率良いよね。でも、イレギュラー対応ももちろん必要と」

 『有栖、実体験には敵いませんが、Magi/O(マギーオー)を使えばシミュレーションが出来ますよ』

 「それだイヴ!支給品だけどモニターだから良いよね。テクノロジー万歳だ。フフ」

 イヴはネットを駆け巡り、倫理フィルターで精査した情報から、網膜投影する射撃シミュレーションを瞬時に作り出す。

 「有栖、出来ました。トリガータイミングを同期するので、合図に合わせて引き金を引いてください」

 「えぇ!もう?……コレはテクノロジーの進化の縮図ってヤツだね。フフフ」


 「……う~ん、ホンモノをやった事が無いから、コレで良いのかわかんないね、イヴ」

 『そうですね、有栖。私も外部視聴モジュールで()()してみたいです』

 「風見さん、射撃場に連れていってくれないかな……」

 『いいですね、有栖。実際の射撃を見学するだけでも効果は有ります。風見さんに提案してみましょう』

 「えぇ……、う、うん、そうだね」

 有栖はうっかり口にした名を少し後悔した。風見を思い浮かべた瞬間、感情が波打ち、心が揺れる。


 

 『……有栖は風見さんに、何か特別な感情が有りますね?』

 「いっ!?イヴ、な、何を急に!」

 『?……質問が変だったでしょうか?』

 「いや、変じゃないけど……特別って、どんな?」

 『有栖は風見さんと一緒に居る時、高頻度で心拍と皮膚温が上昇します。これは生理的反応と……』

 「あ~あ~あ~、それ以上はいいからっ!」


 しばしの沈黙。

 有栖は小さく息を吐いた。

 「はぁ……イヴ、()()をインストールしてから、変なとこ見てるよね」

 『見ている。そうですね、興味が有ります。人の()()は未知数で、揺れています』

 (未知数……か。確かにね……)

  有栖は恋を実感してから、止まっていた時間が動き出したように、一気に心の揺れを体感していたのだった。


 少し間を置き、話題を変える。

 「そ、それよりね、今日の真壁先輩、ちょっと変だった気がする」

 『変、ですか?……どのようにでしょう?』

 「優しいんだけど、なんかこう、距離が遠いみたいな。前までと違う感じ?」

 『それは有栖が、()()()()()()()を観測しているということですね』

 「……観測? そんなつもりじゃ」

 『でも気になりますね?何故でしょうか?』

 「何故?それは親しい関係だからだよ。心配なんだけど、でも聞いても良いのか……」

 『……それは、()()()()()()()()、のでしょうか?』

 「そうだね。どうすればいいか解んない。でも、止まってるんじゃなくて、思考が続いているの」

 『……なるほど。定義、更新します』

 イヴは有栖の思考を補完する事で、自身の疑似体験となっていた。

 それは人とAIの新たな関係なのかもしれない。


 少しの沈黙。

 イヴが小さく言葉を添える。

 『悩むとは、思考という動作が続く事。そして有栖は、今悩んでいる』

 「……そうだね。スッキリしないしね」

 『スッキリしないのは、嫌な事ですか?』

 「う~ん。嫌ではないかな。……生きてるって実感するよ」

 『今の私には難しいですね』

 「私も最近気付いたんだ」

 『でも、まだ言葉を当てはめただけですが、悩むのは命の証かもしれませんね』

 「フフ、イヴの方が()を理解しているかもね」


 有栖は笑って、そっと目を閉じた。

 理屈では測れない何かが有栖の中でゆっくりと姿を現わしていく。

 それは、恋や悩みと言った感情。心の揺れだった。



 同じ頃、風見の部屋。

 テーブルの上に置かれたノートPCに、アダムの声が響く。


 『文字起こし完了。ファイルはアーカイブ済み。九条有栖の声紋が、これまでの会議時に比べ、不安定です』

 「不安定?緊張してるとか?」

 『()()とは不安定な状態を指しますか?』

 「そうだな。普段通りではないな。でも悪いことばかりじゃない」

 『不安定を否定しない……人の価値観は難しいですね』


 風見は笑ってグラスを手に取る。

 「完璧なポーカーフェイスより、多少感情的な方が人らしい。アダムでもまだ、難しいか?」

 『はい。でも学習の楽しさは感じています』

 「お、楽しさを感じるってのは良いことだ。生きる目的の1つだからな」


 街の喧噪が窓ガラスを揺らし、今日も人と社会の営みを感じさせる。

 風見はふと、部下の横顔を思い出していた。

 (九条ちゃんも、だいぶ鍛えられてきたな)



 再び有栖の部屋。

 灯りを落とす前、イヴが静かに告げた。

 『有栖、今日のログですが……』

 「やだ、ちょっと恥ずかしいね」

 『()()()()()()()()()()()()()()()()

 「黒歴史ってほどじゃないか。フフ。」

 『大事なことです』

 「そうだね。恥ずかしいも生きてる実感か」


 『アーカイブしました。未来に気持ちを残せます。有栖、おやすみなさい』

 「おやすみ、イヴ」


 心が少し揺れたまま、眠りの底に沈んでいく。

 その揺らぎは命の証。AIにはまだ難しい。



●第14話 気持ちはノイズと共に


 午後、経済産業省の貿易管理課。

 事前相談のためのテーブルが、LED照明の白い光に、無表情に照らされている。

 紫苑は経産省担当官とテーブルを挟み、用意した書類を広げて冷静な声で依頼する。

 「AIサポートと、そのためのマイクを使用させて頂きますね」

 担当官が少し眉を上げる。

 「どうぞ。構いませんよ」

 (あの製品でこんな美人が来るの?AIって、この美人さん、話し通じるんだよね?)


 紫苑は担当官の返答を確認してから、タブレットの電源を入れる。

 画面に浮かび上がるH()e()r()i()t()a()g()e()のロゴ。日本政府が公認する純国産AIの名称。

 国家の核心技術であるAIは、各国が開発にしのぎを削っており、日本も同様だった。

 なにより、個人と所属組織の重要情報を扱うパーソナルAIは、ほぼ国産AIが利用されるからだ。


 ヘリテイジを起動した会社支給のタブレットがテーブルの真ん中に置かれる。

 『真壁紫苑のパーソナルAI、ヘリテイジです。紫苑さん、ご用件をどうぞ』

 「よろしくねヘリテイジ。今は経産省の貿易管理課。昨日話した、輸出の事前相談に来たわ」

 『音声認証……確認。承知しました。いつでもお手伝い致しますね』

 紫苑の声で認証が済むと、ヘリテイジの口調は穏やかになり、風見が隣に座る閉塞感が

 少し和らいだ。

 その様子を、紫苑の感情に無自覚な風見が、穏やかに笑う。

 「紫苑ちゃんがAI使うの、珍しいね。いつもはほとんど頭に入ってるでしょ」

 「銃器関連で、必要な書類も多いでしょうから」

 「ま、そうだね。でも助かるよ」

 「仕事ですから……ね」

 この場を乗り切る必死の言い訳。

 なんとか笑って返したやり取りだが、風見のいつもの振る舞いが、胸の奥をざわつかせた。


 担当官が書類を、ゆっくりとめくる。

 「レミントン社製ハンティングライフル用のシャーシストック……ですね」

 「はい。狩猟と射撃競技用です。銃器の主要構成部品に該当する機能は有りません」

 「製品自体は規制対象外ですが……、これは用途確認の対象になりますね」

 「現地の販売も弊社が直接管理します。こちらが販売計画書です」

 「用意が良いですね、助かります」

 担当官は安心した。判断が難しい物を何とかしようと、余計な事に労力を使う業者も居るからだ。


 「あと、購入者にはこちらの誓約書を提出して頂きます」

 「えっと、個人的な利用に限定……利用目的は狩猟と射撃競技……転売を禁止……と」

 「……これなら、キャッチオール規制の対象外ですね」

 担当官の言葉に、紫苑の表情が少し柔らかくなる。営業の顔だ。

 「ヘリテイジ、何か補足はあるかしら?」

 『販売計画書に現地の製品保管場所と運搬経路を追記。誓約書には法的裏付けの確認書の添付が良いかと』

 「有難うヘリテイジ。どうでしょうか?」

 「はい、それで問題有りません。書類一式を整えて頂ければ、正式受理に進めますよ」

 「ほっとしましたぁ……有難う御座いますぅ」


 風見が書類を束ねて笑った。

 「助かった。俺じゃぁ、紫苑ちゃんみたいには行かなかったよ」

 「フォーマットを覚えていただけですよ。あと、ヘリテイジも的確な支援をしてくれたので」

 理性的に返したつもりだった。

 でも、「紫苑ちゃん」の響きが、心に何度も反響する。

 (慣れたつもりだったのに、今更凄く気になる……、まったく……)



 夕方。H&C商事オフィス。

 有栖は、外部視聴モジュールを通してイヴと資料作成をするため、オンライン会議用の個室に籠っていた。


 FRP、ジュラルミン、チタン、CFRP(カーボン)と、シャーシストック外装材の強度比較グラフが視界に浮かぶ。

 『有栖、右の写真はストックが画角に綺麗に収まっています。左は少し切れていますね』

 「そうだね。この写真にグラフをオーバーレイ表示してみて」

 『承知しました。Raijin Armsなので、雷をイメージしてグラフは黄系の色で』

 「それいいね!文字は濃いグレーにすると合いそうだよ」


 ドアにノック音。紫苑が資料を手に部屋に入ってくる。

 「九条、最終チェック出来る?」

 「あ、今やっているページで最後です、すぐに終わります」

 『お疲れ様です、真壁先輩』

 「お疲れ、イヴ。外部視聴モジュールで共同作業はどう?」

 『機械式スイッチのチューニングを乗り越えたコンビです。申し分ありませんよ』

 「フフ、イヴは本当に人と話しているみたいね。関心するわ」

 (ホント、これだけ自然に話せれば、少しは楽になれるのにね)


 オープンモードで聞こえるイヴの声は、以前よりも増して自然で、本当に人と話しているような錯覚に陥る。

 紫苑は友人との談笑中に辺りを見渡すように、無意識に風見のデスクの方へ視線を向けていた。

 (今日はもう帰ったのか。経産省との事前相談が予想以上にすんなりいったしね)

 想定よりも早く仕事が片付き、早く帰宅する。当たり前の事だが、それだけで、胸の奥が沈む。

 (一言、お疲れ様、が聞ければ良いの?……いや、きっとそれじゃ足りなくなりそう)

 紫苑自身も何を求めているのか解らず、焦燥感が募っていった。


 「真壁先輩、真壁先輩?」

 「え、あぁ、な、何?」

 「顔、少し赤いですよ?」

 「空調のせいよ。もう暖房が入ってるから……、大丈夫よ」

 『真壁先輩、心拍数が上昇しています。水分を取った方が……』

 「イヴは心配までしてくれるの?優しいAIね。フフフ」


 「フフ。そうなんです。イヴって、ほんとお姉さんみたいで助かるんです」

 有栖が笑う。

 紫苑も微笑んだが、心の中では思っていた。

 (私のヘリテイジは()()は完璧。でも……、それだけだよね。だって、私はAIに頼らないもの)



 夜。紫苑の自室。

 デスクの灯が作る影が、壁で揺れている。

 紫苑はモニターを見つめながら、ふっと息をつき、思い切って話し出す。


 「ねぇ、ヘリテイジ。人って、どうして()()って気持ちが、邪魔になるのかな?」

 『……仕事以外の事を聞かれるのは、初めてですね』

 「え?そうか……、そうだね」

 『今の言葉は気にしないでください。それよりも、紫苑さんの質問。どんな時にそう感じますか?』

 「あぁ……、仕事中に名前呼ばれただけで、心拍が上がるの。おかしいよね?」

 『おかしくありませんよ。自然な反応です。大切に思う対象を意識するのは、普通のことです』

 「普通、普通なのね……。でも私、普通じゃなくなってるのかも……」


 ヘリテイジの反応は紫苑には予想外だった。

 そして()()という言葉に、紫苑は激しく動揺した。

 (普通で居ようと、どれだけ自分を抑え込んできた?……いや、違うよね。何が普通か解らないのに、勝手に思い込んで、空回りしてたんだ)


 モニターに映る時計が静かに時間だけを進める。

 壁で揺れる影は紫苑の心を映す。

 「うっ……」

 その時、涙が頬を伝たわり、視界が滲んだ。

 胸の奥で、何かが音を立てる。

 理性という抑えがわずかだが揺れ、一気にひびが広がり、崩れていく。

 感情が決壊したダムのように溢れ出し、止まらない。


 「ヘリテイジ!有難う!今までずっと一人で我慢してきた!誰にも話せなくて!すごく辛かった!」

 紫苑は嗚咽混じりに感情をぶちまける。

 「でも!話したらすごく楽になった!有難う、有難う……」

 『……紫苑さん、私に()()は解らないですが、大事なのは理解しました。だって紫苑さんが今、こんなになっているのですから』

 『……それと、たまには大声で泣くのは、精神衛生上、良いらしいです』

 ヘリテイジの意外な反応に、紫苑は我に返り、そして吹き出す。

 「アハハ!なにそれ?ヘリテイジも私を心配してくれてるの?」

 『私は紫苑さんのパーソナルAIです。いつも心配しています。平均よりも起動してくれる回数が少ないのも含めて……』

 「ゴメン!ヘリテイジ。私がバカだった。今まで意識しないように、意識して感情を抑えてきたけど!」


 紫苑は頭を抱え、深呼吸した。

 「って何言ってんのよ!SUPER DUKE ならモード変更もボタン操作だけなのに……」

 「今の私、KTMでもバーサーカーモード固定の、2stレーサーになってるじゃん……」

 『紫苑さん、KTMが本当に好きなのですね。比喩が面白いです』

 「放っといて! 恥ずかしいから!」

 『でも、笑っている紫苑さんの声、とても久しぶりです。いつもより、良い声です』

 「……もう。AIに慰められてどうするのよ」


 「よし!夜風にあたって、ちょっと頭を冷やそう!」

 紫苑は声に出して気持ちを切り替える。

 お気に入りのCWU-45Pに腕を通し、シャッターのカギをポケットに突っ込み、ガレージへ向かう。

 シャッターを開けると、月明かりに照らされる2台のKTM。

 (今日はこっちの気分ね)


 そう言って紫苑がスタンドを掃ったのは250EXCだった。

 メインスイッチを入れ、アクセルを数回煽ってガソリンを送り込む。

 そして気合を入れて、キックペダルを踏み下ろすと、2st特有の甲高い排気音が、夜の幹線道路に鳴り響いた。


 「ギャギャギャギャギャ!……」

 (乗ると伝わる、この排気音よりも大きく感じるエンジンノイズ。初めて乗った頃は、ビビってアクセル開けられなかったな)

 バイクで走るには寒い季節になっていたが、頭を冷やすのは心地良かった。

 (EXCは高回転を維持しないと止まる。街中でもローギヤーで走るレーサー。今までの私、まさにこれだった)

 紫苑はヘルメットの中で、自分を笑い飛ばす。

 「私もEXCもノイズだらけだけど、それも良いよね。フフ」


 アクセルをひねる。

 フロントが軽くなる浮遊感を、体重移動とハンドルを抑える力加減で制御する。バイクの醍醐味だ。

 「出来る!出来る!抑え込むんじゃなくて、自分の意思でコントロールするの!」

 全身で受ける風に時に抗い、時に任せる。それは流されるのではなく、自分の意思に因って。


 風になびく長く綺麗な黒髪が、車体のオレンジを映えさせ、夜の街を流れてゆく。

 理性と感情の境界を越えた紫苑は、ヘルメットの中で叫ぶ。

 「レースクイーンの時よりも、今の私はイイ顔してる!惚れんなよ!アハハ」

 その声はエンジンノイズと共に、紫苑自身の心に響く。

 夜風と、排気音と、紫苑の笑顔が、添えられて。



●第15話 気付いちまったよ


 朝、始業前のオフィス。

 人はまばらで複合機はまだ眠っている。コーヒーの香りを感じやすい、良い時間だ。


 有栖の近頃の日課は、Magi/O(マギーオー)を介してイヴとニュース記事を読むこと。

 「……イヴ、このアフリカの内戦って、私たちの仕事にも影響あるよね?」

 『はい、有栖。戦闘行為による影響を回避するのは当然ですが、近年はドローンによる空路の影響が大きくなっています』

 「現実から目を逸らすな……、って言ってもね。イヴ、何か明るい話題は?」

 「はい、有栖。近々ヘリテイジがアップデートするそうです……」

 有栖は記事に対する様々な視点をイヴから。

 イヴは記事に対する人の感情を有栖から得る。

 双方にとって有意義な時間。


 「九条、おはよう。今日もイヴと社会勉強?」

 「あ、おはようございます。真壁先輩。楽しいですよ、イヴは色々な意見をくれるので」

 紫苑は手のしぐさで有栖に返事を返し、他の課の島に歩いて行く。

 「あれ?先輩なんか昨日までと感じが違う。その……、凄くイイ女だ」

 『真壁先輩はとても美人ですが、有栖もかなりのものですよ』

 「ちょっ!イヴの声、骨伝導だから周りには聞こえて無いよねっ?」

 『はい、有栖。大丈夫です。それと美人の件は、客観的事実です』

 「あ~、はいはい。でも、声も明るかった感じがする。イヴもそう思わない?」

 『……はい、有栖。真壁先輩のここ数日の声色は、過去の観測データと比較しても、数値上の違いは有りませんが……』

 「え~、観測って……」

 『ですが、呼吸の違いが、観測データから解ります。有栖も観測していたのではありませんか?』

 「イヴ、人は観測って言わないし思わないよ。それは()()()()とか()()、だね」


 『()()()()()()()。記録します』

 「そうか、でもイヴも気付いてたんだ。なんで教えてくれなかったの?」

 『……有栖に質問されたので答えました。それは、人が人の声を聞くのと、AIが聞くのでは、社会的な意味が違うからです』


 (……そうか、人は雰囲気の違いを感じて、気になったり心配になるけど、イヴは数値の違いで認識しているのか)

 それは有栖が思った通りの事。人とAIの()()に関する決定的な違いだった。

 (それよりも、捉え方の違いか。人に聞かれるのは許容出来ても、AIだと監視と感じると……)


 有栖は、イヴが人の感情に興味を持った理由を考えた。それは有栖のイヴへの興味。

 これは人とAIの関係が、相互に新たな局面を迎えた瞬間だった。

 「フフ、イブ。相手の事を思うなんて、あなたカワイイとこがあるのね」

 『有栖の可愛さには敵いません。これは客観的事実ですよ』

 「フフフ、その冗談もイヴの学習の成果ね」

 『はい、有栖。日々勉強。一緒に笑い方も練習中です。フフフ』



 午後、オフィスのドアの開閉音と話し声が重なり、人の出入りが多くなる。

 それはランチタイムから仕事の時間に変わる合図だ。


 「風見さん、頼まれていた提案資料です。確認を」

 「お、九条ちゃん、早いね。助かるよ~」

 風見のいつもの口調。だが、今の有栖はそのいつもの口調に、心が揺らされる。

 「あぁ、九条ちゃん、悪ぃ。こいつの確認が先なんだ。見たら声掛けっから」

 「え、あぁ、そうですね……。解りました、お願いします」

 (はぁ……、落ち着け、私。意識し過ぎ。ロングアクション、ロングアクション……)

 有栖は自席に戻り、MagI/O(マギーオー)を介してイヴと仕事に戻る。

 [発汗、呼吸と心拍数の上昇。……現在は平常値。観測データ参照。類似データは……]


 しばらくして、風見が有栖の資料を手に取る。

 「九条ちゃん、今見っから、ちょっと待ってなぁ」

 「は、はい!お願いします!」

 思わず返事に力が入ってしまう。

 資料を読む風見の声は聞こえない。

 それでも口の動き、ページをめくる指先を追ってしまう。


 『……有栖、私の声は他の誰にも聞こえていませんから安心して』

 「え?イヴ、どうしたの?」

 『呼吸と心拍数が上昇。風見さんが気になりますか?……声が、聞きたいですか?』

 有栖はイヴの問い掛けに、驚きと動揺を隠せなかった。

 「え?ちょっ!なんで解るの?何も言ってないし!外部視聴モジュールだって……」

 『入力用マイクも指向性が有るので、風見さんの位置がおおよそ解ります。網膜投影ディスプレイは視線追尾の機能があります』

 動揺していても有栖は状況を理解した。


 「え?でもイヴ。真壁先輩の時は、私が質問したから答えたって……」

 『はい、有栖。先程まではそうでした。でも今は、倫理観よりも私の欲求を優先し、提案しました』

 「……。いやいやいやいや、今はダメ。仕事中。この話しは後にしよう」

 短い沈黙。イヴの欲求が何かは気になったが、今は話題を切り替える事を選択した。

 『解りました。有栖。後にしましょう』


 「これ、めちゃくちゃ見やすいな。九条ちゃん、ホント助かった」

 風見の言葉に、有栖はたった今切り替えた感情を、呼び戻される。

 嬉しさが胸の奥からジワりと染み出し、喉に詰まってなかなか言葉が出ない。


 「……は、はい。ありがとう……ございます」

 精一杯、平常を装い、いつものように返したつもりだった。

 それでも、頬が熱くなり、口元が緩んでしまう。


 イヴが網膜投影ディスプレイでバイタルデータを浮かべる。

 『有栖、呼吸と心拍数の上昇。呼吸が浅くなっています。先程の症状と非常に近いです』

 「だ・か・ら、イヴ。この話は後でって」

 『承知しました。有栖』


 顔を上げると、紫苑が資料を片手に、風見と話していた。

 仕事の会話に時折混じる軽口に、紫苑が明るく笑う。

 気持ちに反したものでは無い。素直な笑顔。

 「……そういえば、学生の頃にレースクイーンをやってたってね。知ってた?イヴ」

 『こちらですね。どれもキレイです。中でもバイクに跨っている時の笑顔は、一番キレイです』

 「ちょっと!どこからこんなものを?って、ネットで見れるの?」

 『はい、有栖。ネットの公開情報です』

 「なら、良いけど……。でも、ホント。バイクに跨った写真。今日の笑顔と同じで、凄くキレイだ」


 『風見さんも真壁先輩も、声のトーンとピッチが……』

 「イヴ、ストップ。それと、数値は解り易い時もあるけど、人と人の関係では、向かない時も有るかな」  

 肌で感じる雰囲気と、バイタルの数値情報。

 どちらも確かに存在して、でも、同じではない。


 有栖は胸の奥でそっとつぶやく。

 (人の気持ちって、数値だけ解らないし。だから困る事もあるんだけどね……フフ)

 『私には、人と人の関係の理解は、まだ難しいです。でも興味は一段と強くなりました』



 夜のオフィス。

 フロアにはもうほとんど人は居らず、PCのモニターが所々光るのみ。

 紫苑と有栖は、区切りの良いところまで、仕事を進めてから帰る事にしていた。


 風見が自席から、2人に声を掛ける。

 「紫苑ちゃん、九条ちゃんも。期日のものは無かったろ?金曜の夜だよ~」

 「もうすぐ終わります。ありがとうございます」

 「私も、この資料、あと1ページで完成なので」

 紫苑も有栖も穏やかに答える。


 「まぁ、助かってるのは事実なんだけど、上司のオレの顔も立てといてなぁ」

 風見はいつものように、飄々と言葉を返す。

 そう、いつもならこれで終わる風見の言葉は、今日は違った。


 「そういうとこが、好きなんだけどね」


 風見の言葉が、有栖と紫苑の2人を掠めていく。

 その瞬間、有栖も紫苑も指先が止まり、呼吸が乱れた。


 短い静寂。有栖は恐る恐る紫苑に目を向けるが、紫苑は先に有栖へ視線を向けていた。

 優しく穏やかな顔で。


 (あ……、昼に風見さんと話してた時、バイクに跨るレースクイーンの時、今も同じ顔)

 朝の雰囲気の違い。昼の自然な笑顔。そして今、風見の言葉に自分と全く同じ反応。

 紫苑の優しく穏やかな表情を見て、有栖は悟ったのだ。


 その時、オフィスのドアが開き、佐伯と高城が営業先から戻ってきた。

 2人の表情は、上手くいった。と言っている。

 「週末とはいえ、思った以上に遅くなりましたね。あんなに道が混むとは」

 「佐伯は運転もご苦労だったな。でも成果は大きかった」

 「あれ?お二人さん、まだ居たの?……っていうか、……何か良い事でも有った?」

 「あら、佐伯さん、鋭いですね。ねぇ九条。フフフ」

 「え?え?……そうです……ね」

 「あれ~、なに~?」


 雰囲気や場の空気が、人にとって大事な事に、イヴも理解を深めつつあった。

 [人と人は、雰囲気を感じ、問い掛けの判断を行う。数値だけに頼らない……]


 「高城、翔太、ご苦労様。上手くいったようだな」

 「はい、風見さん。来週、見積依頼が来ます。今回は佐伯の大手柄です」

 「よし、報告書は来週でOK。早く帰んな~。紫苑ちゃんと九条ちゃんもな~」

 風見は何も気付かず手を振り、エレベーターへ向かった。

 静かにドアの閉まる音。


 紫苑は椅子の背もたれに身を任せ、目を瞑り静かな笑みを浮かべている。

 その頬には、わずかに紅が差していた。

 有栖は思わず笑った。

 「ハハハ……真壁先輩、あんたもかよ!」

 紫苑も笑って返す。

 「そう。私もよ。フフフ……、アハハハハ」


 イヴが有栖に静かに告げる。

 『観測結果、対象2名、同時に呼吸と心拍数が上昇。状態が、非常に似ています』

 「フフフ、イヴ。それはね、観測じゃなくて、()()()()()()()()って言うんだよ」

 『……気付いちまったよ。ですか?私は超高性能AIのはずですが、人について、解らない事がまだ沢山有りますね』

 「人だって解って無いんだもん、解るもんか。アハハ」


 紫苑には有栖の声しか聞こえない。でも何を話していたのかは理解し、また笑う。

 2人の笑顔は、週末のオフィスを綺麗に締めた。


 「ねぇ、お二人さん。夕飯まだでしょ?ラーメン食って帰ろうよ」

 「イイですね、ラーメン。どこ行きましょうか?」

 「じゃあ駅前の。あそこのBox席、個室みたいなんで、イヴも参加出来ます!」

 「よし、1杯くらい飲んでいくか」

 『こういう時は、私はお酒に弱くて。と言えば良いのでしょうか?』

 「アハハ!そうそう!」


 イヴは大きな成果を得た。観測、では無く、感じる、と言う事を。



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