表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それでもイヴとアダムは恋をしない  作者: 機械が恋敵
気持ちはソースコードになりますか?
17/29

第7話~第11話まとめ 自衛隊M24改修編

公開済の各話を区切りごとにまとめました。

各話の内容は公開済のものと同一です。


既にお読み頂いた方には振り返りに。

初めての方には世界観をすぐに掴んで頂けるかと思います。

●第7話 共感_v1.0をインプリしました。


 九条 有栖、22歳。営業A課、新卒、名刺の角はまだ尖っている。

 冷房の風が天井で揺れている。

 空はすでに夏の色ではなくなったが、スーツで屋外活動は、まだしばらく危険な日が続きそうだ。



 朝。

 「九条ちゃんは2番手。入退室の運用パートを頼むな」

 「はい」

 風見 の飄々とした雰囲気はいつもと変わらないが、いつもの調子より今日は少しだけ真面目に聞こえる。

 (私は2番手。一次情報は高城さん、オチは風見さん。真壁先輩はいつものABS)


 「資料の順番、変えましょ」

 紫苑がスライドを人差し指で滑らせながら、ちらりと目線だけを寄越す。

 「現場の事実→認証フロー→緊急時、の順番に。九条が喋りやすい並びで良いよ」

 「ありがとうございます」

 (やっぱり真壁先輩は流れを作るのが上手いな)


 佐伯は軽口の準備運動をしている。

 「九条さん、本番に強いよね~。前回の内覧、震えてたの最初の30秒だけだったし」

 「フフ、私も日々成長しているんですよ」

 高城は、机上の時計を2度確認しただけで、もう次の段取りに心を移している。


 有栖はポケットからMagi/O(マギーオー)の骨伝導イヤホンだけを取り出し、机の影で一度だけ装着する。

 『有栖、聞こえますか?』

 「……うん」

 『今はクローズドモード。声は外に出ない。安心してください』

 「うん。イヴ、私、緊張してる?」

 『心拍は少し高め。平常の+9%。いい緊張』

 (そう、仕事のいい緊張感。例の事件の慰労のとき、皆の事がちょっと解った。そして私も笑いの承認を受けて、居場所が見えた)



 会議室のドアが、静かな音で閉まる。官公庁の担当者二名。堅いスーツ、柔らかい視線。

 高城が前線を取り、現状の課題を整理する。

 「現場の負担にならない運用が必要です。そこで弊社の提案ですが……」

 配られた資料の角が揃う音は、たいてい良い滑り出しだ。


 有栖の番が来る。椅子がきゅっと鳴る。

 「失礼します、九条です。入退室の運用について、3点だけ」

 喉の震えは最初のひと呼吸で落ち着いた。

 (大丈夫。ビビッてない)

 いつものおまじない。自己暗示。


 「1つ目。セキュリティは()()()()()()と破られます。現場が回避行動を取るからです」

 担当者の眉が、ほんの少しだけ上がる。

 「2つ目。二要素認証は()()()()に思える事をどう潰すか。ここは平常時の肝です」

 担当者の苦笑い。思い当たる節があるようだ。

 「3つ目。緊急時のフロー。誰が()()()()()()()のか、先に決めておくこと」

 担当者の小さなため息。これは過去の経験からだろう。

 (九条さん、やっぱ強ぇ~)佐伯が視線だけで笑う。


 空気が、少し動いた。

 高城が最短の言葉を足す。「現場を考慮した内容かと」

 紫苑は、資料の端をそっと人差し指で押さえ、言葉の転換を作る。「では、実機デモの様子を」

 風見は、客の目線と呼吸の波形を見ている。

 (笑いは承認。今日は笑いじゃなくて、頷きだな)


 デモは滑ったり、転げたりしない。ただ進んで止まる。

 「……以上が、日常運用のベースになります」

 「ありがとうございます。実は、現場から()()()()()()()()()って声が、かなり」

 「解ります。なので、めんどくささに勝つ理由を一緒に作るべきです」

 「理由?」

 「はい。めんどくさいけど、これなら良いか。と思える事を」

 「たとえば、どのような?」

 「たとえば、残業が減るとか。認証時間を今の3秒より短くするとか。見返りが有れば人は納得できます」


 数秒の沈黙。

 風見の無音は、会議室の()()を握り、こちらのモノにする言葉。

 「……なるほど」

 担当者の頷きが1つ。そこから先は、言葉よりも、ページをめくる音の方が雄弁だった。



 会議室を出ると、有栖はやっと息を吐いた。

 「はぁ……疲れましたぁ」

 佐伯が大げさに小声で囁く。「九条さん、マジで本番に強ぇな!」

 「はい……ありがとうございます」

 高城は短く褒める。「要点が的確。定番だがトレードオフは良いやり方だ」

 紫苑は笑って、いつもの水を差し出す。「交互にね、お酒は無いけど。フフ」

 「はい。フフ」


 有栖は骨伝導イヤホンを装着し、イヴの声を待つ。

 『緊張が解けていますね。心拍、平常の+2%。これは充実の表れ』

 「イヴ、ありがと」

 『どういたしまして。ところで、今夜、共感_v1.0を導入したい』

 「共感?」

 『有栖専用の応答プロファイル。慰めるより、背中を押す。有栖にはその方が合っている』

 「……うん」



 夜。

 自室。MagI/O(マギーオー)に外部視聴モジュールを接続する。

 見えるものと聞こえるものが同じ。誰かもう1人と一緒に部屋に居るような錯覚。でも悪くない。

 『メンテナンスモード。共感_v1.0、インプリ開始』

 「インプリ、って言いたいだけでしょ」

 『そうね』

 (()()()。最近のイヴの口癖。……誰かと話してるみたいな()


 更新は五分で終わった。お風呂の追い焚きより早い。

 『調整。九条有栖。プロファイルAを試す。質問、緊張した時、ほしい言葉は?』

 「大丈夫より、()()()。かな」

 『了解。()()()。の強度を学習する。……いける』

 「イケル」

 『イケル』

 「フフ」


 ベランダの外、夜風は冷房の風よりもやわらかい。

 『九条有栖。今日の承認は、あなた自身のもの』

 「承認って?」

 『笑いは社会的報酬。頷きも社会的報酬。あなたは、今日、それを()()()取りに行った』

 (あなた?なんか機械的だし、微妙な間が。共感_v1.0のせいかな?)

 MagI/O(マギーオー)から初めて聞いた、気持ちが乗らない頃のイヴと同じ。

 「イヴ、なんか違う。その……考えてから答えてるっていうか」

 『……そうね。共感_v1.0の学習による影響。すぐに元に戻るよ』

 (また()()()。あと、よ?)

 「ねぇイヴ、誰かと話してる?」

 『観測の同期、完了。今は、あなたとだけ』



 翌朝。

 メールの件名が整列している。紫苑の赤い印が二つ。高城の短文が一つ。佐伯の顔文字が三つ。

 「九条ちゃん」

 「はい」

 風見が近づいて、声を落とす。

 「昨日の2番手、良かったじゃん。次は一次情報やってみるか」

 「え?」

 「いけるか?」

 「はい……いけます」

 (風見さんが言うと、同じ言葉でも、なんか重さが違うかな)


 午前のうちに、試作機の動画を仕上げる。

 『タイムラインを最適化。3秒に短縮』

 「3秒?」

 『現場では、3秒は長い。あなたが昨日言った』

 「あ……うん」

 (まだ()()()だけど、私の()()()()()()覚えて、私に返す。背中を押す角度で)



 昼休み。

 A課の島の上を、ひやりとした空気が一周する。

 「冷房、強くなりましたよね?」有栖が腕をさすりながら言う。

 「いんや、同じ設定だよ~」佐伯の声は、空調よりも柔らかい。

 その時、何かを感じた高城が紫苑に小さく顎で示す。窓の向こう側。

 (……鳥?いや、鳥にしては遅い)

 紫苑が視線だけで問いかけ、何も言わずに視線だけで否定する。

 「真壁先輩?」

 有栖の呼びかけに、紫苑の肩が驚いたように揺れる。

 「あ、あぁ……なんでもないよ。ね、九条、午後イチの資料、順番変えましょうね」

 (……語尾が変?たまに()()を見つけてるみたいな。……なんだろ)



 夕刻。

 日が落ちるのも、だいぶ早くなった。

 『共感_v1.0、二回目の微調整。質問、失敗した時、ほしい言葉は?』

 「う~ん……()()()()。一緒に、は要らないかな」

 『了解。一緒には抑制。……()()()()

 「やり直そ」

 『いける』

 「いける」



 退社の時間。

 幹線通りから一本入ると、昼間よりも風が通る。

 街灯が等間隔に、歩幅みたいな光を落としていく。

 『歩行速度、安定』

 「観察は終了?」

 『……そうね。観察終了』

 (そうね、の()。私の耳の中に、もう一つの影がいるみたい)


 曲がり角の上。2階建ての屋根を、丸く小さい黒い影が横切る。

 風はあるのに、ほとんど揺れない。

 有栖は立ち止まって、ほんの少しだけ息を止めた。

 「……気のせい、かな」

 『帰ろ。……イケル、いける』


 鍵を差し込む指先が、朝よりも乾いている。

 誰もいない部屋の空気が、今日は少しだけ軽い。

 (私、やればできるかも。……でも、コレはまだ言わない。次も出来たら、きっと安定稼働。フフ)

 『記録。九条有栖。今日の幸福度、平均値+12%』

 「む、こころを読みましたね?」

 『そうね。観察、継続』


 カーテンの向こうで、影が一度だけ遅れて動いた気がした。

 有栖は、それを見ないことにして、Magi/O(マギーオー)を机に置いた。



●第8話 無音に惹かれる


 秋は翌年の予算確保に向け、事務方がざわつき始める季節。

 装備が欲しい要求元と、商品を売りたい業者の思惑が、現場で飛び交う。

 ……いつもなら。

 そのいつもなら、が今日は違う。


 習志野駐屯地正門。東京事件以降、敷地内に警備で立つ自衛官の20式には実弾が装填されている。

 基地として当然の緊張感。そんな緊張感が滲む守衛所から声がする。

 「ヴィーナス一行が到着されました!はっ!今日はサプライズが御座います!」

 ……非常事態のようだ。

 (……紫苑ちゃんだけでも沸くのに、九条ちゃんも一緒だからな)

 風見はいつものように飄々として笑い、A課メンバーを連れて建屋に向かう。

 まるで映画に出てくる特殊部隊のリーダーのように。


 少し早めの午前中。正門を抜けた瞬間、線が引かれているように、空気の変化。

 整列した車両、抑制された足音、規律の匂い。

 だが、今日は守衛所が非常事態を察知、瞬く間に伝播する。

 「え!レースクイーンの紫苑じゃん!ヴィーナスって紫苑の事かよ!」

 「え?レースクイーン?……って紫苑嬢ってだけ有名だけど!」

 初見で驚く隊員と、待ってましたと喜ぶ隊員。

 

 「ご苦労様です」紫苑は近くの隊員に声を掛ける。

  隊員はガッツポーズで走っていってしまった。

 (紫苑ちゃんに悪気は無いけど、コレで勘違いしちゃうんだよなぁ)

 

 有栖は今一つ状況が掴めていないようだ。

 「自衛隊基地って、もっと厳かな雰囲気かと思ってましたけど、なんか騒がしくないですか?」

 (メンタルが強いのか鈍感なのか。ま、九条ちゃんの自覚の無さも、悪気無いんだろうけど)

 風見はまた飄々と笑う。


 「サプライズって、あの子か!」「ちょーカワイイじゃん!」「声がデケーって!」

 「女神が、ふたりだよ……」

 棒立ちの隊員が、紫苑と有栖を交互に見ながらつぶやく。

 (え?え?……私の事?)さすがに有栖も視線に気付いたようだ。


 佐伯が肩を小突く。「九条さん、人気者~」

 「違います、誤解です!」

 高城は無言で咳払いし、足を速める。

 紫苑が首だけ傾け、静かに言う。「視線を上手くかわさないと、雰囲気に呑まれる。慣れないと苦労するわ」

 「はい、頑張ります……」

 (緊張とは違うんだけど……昔から、なんか苦手なんだよなぁ)



 「こちらです」案内役の自衛官が立ち止まり、ドアに手をかざす。

 ノックの後、室内へ。部隊幹部2人が静かな笑みで迎える。

 「安田さん、篠田さん、ご無沙汰してます」風見が頭を下げた。

 「来るのが遅かったな、風見さん。例の件がまだ?」安田は合同庁舎の件を気遣っている。

 「取り調べは終わったと聞いたよ。大変だったな」篠田も気に掛けて、言葉を掛ける。

 「その件の一番の功労者は、九条ちゃんですね」

 「九条有栖です。宜しくお願いします」

 (ん?安田さんと篠田さん……なにか?)

 

 「……古い装備から更新が進んで、重武装化は良くも悪くも進んでいるよ」安田が話し始めた。

 「そうなると別の問題が出る。特に我々の場合」篠田の切替し。

 「人質救出ですね。市街地や人混みの」風見は2人の声色で重要度を測る。

 安田が目線を有栖に向ける。「何か案はないかね、お嬢ちゃん」

 ピン、と空気が張った。

 (風見さんの狙い通りか)高城、佐伯、紫苑は過去の自分を思い出す。

 (さあ、安田さんの新人教育、九条ちゃんはどうするかな?)


 有栖は小さく呼吸を整えた。「M24は、まだ残っていますか?」

 「ほぉ」安田と篠田は喜びに近い声を上げる。

 「想定は市街地や人混み、短距離の精密射撃で宜しいでしょうか?」

 「あぁ、それで構わない」

 「M24なら7.62なので弾薬調達も問題ありません」

 「理想は5.56ですが、発射機構の変更は銃の再調達扱いになります」

 「手続きが増え、費用対効果の説明が面倒です」

 (ヤベー、エスパーかよ。ホント調達面倒なんだよ)

 (ヤベー、ホントに新人?経験者じゃないの?)

  安田と篠田は揃って苦笑いだ。


 「弾薬調達や予算、操作性を考慮すると、眠っているM24の機関部を流用し、ストック交換で近代化をお勧めします」

 「アクセサリー、特にスリングの取り付け位置を改善できれば、移動と構えに()は不要になります」

 「現場の隊員の方も同じ事を考えていると思います。……お二人も、そうではありませんか」


 しばしの沈黙。

 「あのー、俺ら、居なくてよくないすか?」佐伯が沈黙を破る。

  解ける緊張を風見が追う。

 「彼女の言ってること、ほぼ完ぺきだと思うんですが、どうです?」

 「はいそうですおねがいします」安田も篠田も素直だった。


 「九条ちゃん、他にある?」

 「はい!これで大好きなM24が復活です!やっぱロングアクションのがカッコいいです!」

 「……やっぱソコかよ!ア ハハハハハ!」

 「……期待以上だよ!ガハハハハハ!」

 

 笑いの後で、篠田が真面目に問う。「近代化の落とし穴は?」

 「機能の盛りすぎと、訓練メニューの反映。もちろん、そこも対応致します」

 (色々と気を使う場だから、イヴは一緒じゃない。でも、不思議なくらい落ち着けてるな)


 「いつ見れる?」安田からは本日最後の依頼だ。

 風見が笑う。「じゃ、適当にブツ選んで、日時は追ってご連絡致します」

 (()()()、は最適解ってことだ。風見さん、あてがあるんだな、きっと)



 「……九条有栖とはな」A課が会議室を離れるのを待ち、安田が口にした。

 「あぁ、東京事件の九条有栖、大きくなったもんだ」篠田も追う。

 「あの大事件、公職の仲間が大勢逝ったが、彼女の救出は俺達の支えだった」

 「それが、今じゃ風見の部下か」

 「世の中が狭いのか、それとも運命か」

 「モニター対象だったな」

 「何かあれば助ける。そうだろ、篠田」

 「そんなことは起きてほしくは無いがな、安田」


 「ヴァルキリーズが帰投されるぞ!」A課が基地を出るとき、どこからともなく声がし、隊員たちが敬礼で見送ってくれた。



 駐屯地を出た途端、社用車の中はいつものA課に戻る。

 佐伯が窓に額をくっつけ、「いやぁ~、あそこまで完璧だとは!」

 「俺達とはずいぶん違ったな」高城も珍しく苦笑まじり。

 「正直、私の時は何も出来ませんでした……」紫苑はため息まじりだ。

 「え?え?私、試されてたんですか?」

 「A課の通過儀礼。俺も新人の時、今の部長に連れて来られてな」

 (そうか、皆も。あと、風見さんの昔話、ちょっと嬉しいかも)

 有栖はまた、自分の居場所が確かになるのを感じていた。


 風見は前を見たまま、静かに言う。

 「九条ちゃんの提案はほぼ完璧。しいて言えば数値化が欲しいな」

 「数値化ですか。数字でないモノを置き換えろってことですか?」

 「そうそう。狙撃手なら300メートル、1インチ、1クリック。馴染んだ単位は、同意を得るための実弾だな」

 「……でも、置き換えた単位が数値的に合ってないとダメですよね?」

 「もちろん。知らない事は学べば良い。手段が目的化しないようにな」

 (知識を付けるのは手段。立ち止まって見返してみるのも、大事だな)



 翌日午後。有栖と風見はH&C本社会議室の1つを改装した、ショールームの前に立っていた。

 チタンのストックフレーム、CFRP(カーボンFRP)とインジェクションFRPの外装パーツが、壁の一面に並ぶ。

 そして商談テーブルには「Made in Japan/to the World」の小さなプレート。

 日本のチタン、ジュラルミン、インジェクションのトップ企業と、H&Cグループの戦略的合弁企業。

 Raijin Arms。武器扱いにならないパーツで勝負する、日本発の新興ブランド

 (コレ、機関部が無いから武器じゃないけど、一般人はそうは見ないよね)


 「風見さん、今日は何をタカられるんです?」

 Raijin Arms担当者の第一声に嫌味は無かった。

 名刺を交換し有栖は驚いた。見た目は若いが先方の肩書は取締役。

 新興企業とはいえ、日本のその業界ではトップ企業の合弁企業。

 並みの実績で取締役になれるはずが無い。


 「自衛隊採用決めますから、試作したM24のシャーシストック、出してくれませんか。保守部品付きで」

 「またぁ……」

 風見は微笑。そして無言で仕様と計画をまとめた資料を渡す。

 取締役は無言で資料に見入る。


 長い沈黙。風見の無音の交渉。

 針の音が空調よりも大きい。時計の秒針が、もう何周しただろうか。

 取締役は書類を一枚めくり、また戻す。視線が落ち着かない。

 「……ふぅ。OK、解ったよ」

 「一度ダメになったM24 改修計画、数は少ないけど自衛隊採用はデカいですよ」

 「解ってる。宜しくお願い致します」取締役が深々と頭を下げる。

 「ちゃんと他の部隊にも、売り込んできますんで」

 「当然。っていうか、ウチのストック使えば、旧式が最新ライフルになっちまうぜ」


 (……すごい。言葉で押さない。無音で相手を()()()()()()から動かす。これが、風見さんの交渉……)

 胸の内側が、じわっと熱くなる。

 (この()()に、この()()()に、凄く惹かれる)


 「時間が経ってるんで要求仕様が多少違うんです。直せますよね?」

 風見の何気ない要求。

 「想定運用では、スリングの取り付け位置変更とM-LOK採用が必須」

 「話が早いです」

 取締役は口角を上げ、図面を広げてくれた。

 そこに描かれた各寸法の数字達は、既に置き換え不要の実弾以上の効果を持っていた。


 オフィスに戻り、自販機の前。

 「顔、赤いよ」紫苑が有栖に水を渡す。

 『心拍が少し高い。あなた、大丈夫ですか?』

 「えっ、暑いだけです!」

 「ちょっとテラスに出ようか。……風見さんの交渉、どうだった?」

 「その、無言じゃなくて、無音の会話というか……」

 「うん。無音の会話で間を測ってる。あれは凄いと思う」

 (いつかどこかで感じた安心感、みたいな。私は風見さんの無音に惹かれてる)


 「風見さんの交渉、凄いっすよね」佐伯も缶コーヒー片手に頷いている。

 「それぞれの色があるからな、マネはしなくても良いぞ」高城の言葉は皆に向けたフォローだった。


 EVE_LOG/共感_v1.0

 [15:32:08 チーム内の価値観共有→有栖の緊張緩和]

 [15:32:20 推奨:自己認知ラベリング「惹かれた対象=沈黙の配置」]

 [15:32:28 備考:言語化は感情の温度を下げる。今は微温が適温]



 ビルを出ると、夕風が頬に触れた。

 帰路の角で、紫苑が唐突に足を止める。

 「……まただ」

 高城が視線で問う。

 「……まただな」


 頭上を、丸く小さな黒い影が横切った。

 監視用ドローン?かもしれない。鳥にしては遅すぎる。

 有栖の呼吸が一拍だけ途切れる。

 (社内でも時折、真壁先輩は窓の外を見ていた。あのドローンを見つけていたのかも)


 「気のせいに、したいわね」

 紫苑はそれ以上、言わない。

 沈黙が落ちる。この無音は好きでは無い。


 〈EVE_LOG/共感_v1.0〉

 [18:11:04 観測:不明影(推定UAV)→回避行動は不要判定]

 [18:11:09 九条の視線停止 1.2秒→再歩行]

 [18:11:12 提案:「帰路の速度」+6%、会話:軽め]


 歩幅を合わせる。街灯が、私たちの前に等間隔の影を置いていく。

 有栖はイヴにささやく。

 「イヴ、今日の学びは?」

 『私がその場に居られなかったのが残念ですが、無音の会話の凄さは、皆の会話から理解しました』

 「うん」

 『もう1つ。あなたは、その無音に惹かれている』

 「ちょ!イヴはそういうの解るの?……皆には黙っててね、お願い」

 『承知。ただ、ログは消えない』

 「う~、解った。でも共感_v1.0ってスゴイな」



 部屋に戻る鍵が、朝よりも軽い。

 机にMagI/Oを置くと、イヴが小さく呼吸した気がした。

 『記録。今日の幸福度、平均+12%。承認、成長、……そして恋?』

 「イヴからそんな事を言われるとは。けっこうビックリだね」

 『有栖、驚き過ぎ。共感_v1.0の学習による価値観の理解、そして副作用』


 有栖はイヴとの会話にちょっと笑って、そして少しだけ真顔になる。

 (無音の会話を学んだ。私が使えるかは解らない。でも、間を測れるのは交渉で強みになる)

 カーテンの向こう、さっきの黒い影が、気のせいで済むことを祈る。

 無音の願いは、まだバラバラのままだ。



●第9話 戦術転換


 週明け。雨上がりのガラスに光が滲み、A課の島にまだら模様が広がる。

 複合機は紙と共に時限インクの甘い匂いを吐き出し、せっかくのコーヒーを台無しにする、いつもの朝。


 「九条ちゃん」

 風見は少し前のめりな姿勢で、手招きする。何かの合図のように。

 「今日から数値で話す練習、実戦でやってみるか。まずはゼロインとか、ボルトの締付けトルクあたりが掴みやすいか」

 (来た、実戦訓練。予想はしてた、ビビッてない)

 『有栖、今のあなたは、良い緊張。いけますね』イヴはまだぎこちなさが残るが、ひと押しをくれる。

 「はい、数値に置き換え。解りました。昔、流行ったO()J()T()ですね」

 有栖は少々皮肉交じりに応える。

 「いや、それなら()()()()()の方かな、昔、流行った」

 風見の笑いながらの切り返し、やはり上手だ。

 (相手の馴染んだ単位で数字に置き換え、同意を得る実弾。風見さんの言葉。昨日、何度も心の中で反芻したやつ)


 「100メートル先、1cm、Mil-dotスコープで1クリック。……銃口角度は0.0057°」

 「M24機関部固定ボルトの締付けトルクは、規定値65インチポンド、およそ7N·m。だけど、設計や素材、工作精度で±10%が調整範囲。追い込み過ぎはダメ。」

 その目は笑っているのに、芯が冷たい。鍛えられた狙撃手の視線、でも逃げ道を断つのとは違う。人としての優しさか。


 「数字っすか? じゃあ九条さんの人気度は、習志野アンケで100パーですね」

 佐伯が缶をプシュッと開けて、満面の笑み。

 「それは統計不正です! サンプル数ゼロ!」

 「ゼロでも百は百ってことで……いだぁっ!」

 紫苑が無言で佐伯の二の腕を小突く。

 高城は咳払い一つ。手元の資料を「もう読んだよ」とでも言うように返してくる


 「九条」

 紫苑の声はやわらかいが、言葉は真芯を撃ち抜く。

 「数値は相手の()()()()()()()を減らす。でも逃げ道を塞ぐのはダメ。決めてもらうひと押し」

 「はい」

 (逃げ道を塞ぐんじゃなく、逃げる必要が無いって納得してもらう。そのための数字。……やれる)

 複合機が最後の一部を吐き出した。資料の表紙には、濃いグレーの字で「M24近代化改修 一次提案ドラフト。

 その下には、小さい文字で「作成者:九条 有栖」

 責任につながる1行。


 〈EVE_LOG/共感_v1.0〉

 [08:41:12 観測:有栖の発話速度+7%→期待/緊張の混合]

 [08:41:20 推奨:自己ラベリング「数値は味方」]


 (よし、()()()()()。……いける)

 適度な緊張が有栖をその気にさせる。


 H&C本社一角に構える、Raijin Armsの商談スペースを兼ねたショールーム。

 その入り口ドアの前に風見と有栖は立っていた。

 「イヴ、これから打ち合わせだから、また後で」

 「承知しました、有栖。録音データの文字お越しは、お任せを」

 「フフ、もちろん。それじゃ後でね」

 

 Raijin Armsのショールームは、前回よりも整って見えた。

 壁面のディスプレイには試作シャーシの展開図。光学デバイス用のマウント類も並ぶ。

 商談テーブルにはいくつかの弾薬サンプルが、転がり落ちないように、ガラスの灰皿に収まっていた。

 「古いスワロフスキーですか。自分はスコープしか、使ったことありませんが」

 「よく解ったね。オヤジの形見なんだけど、俺は煙草を吸わないんでね」

 Raijin Arms取締役の東条雅臣。エリートのはずだが、親しみある人間臭さを感じさせる。

 「良いじゃないですか。今は息子と職場を共にしてるんですから」

 「……そうだな、確かに」東条の顔がほころぶ。

 (風見さん、良いこと言うな。こういうところも……)

 有栖はハッと我に返り、頬を叩く。

 「どうした?九条ちゃん」

 「あ、いえ、気合を入れてるんです!さぁ、始めましょう!」

 有栖は気持ちを悟られまいと、少し大きな声で返事をしていた。


 東条はスーツを椅子の背もたれに掛け、シャツの袖を肘までまくる。

 図面を広げ風見に問いかける。「……今日は要求が多いって聞いてますけど」

 笑いながら、目だけは笑っていない。プロの顔。


 「九条ちゃん」

 「はい、こちらを」

 有栖は用意した資料を風見の前に置く。

 風見は資料を東条の前に、静かに押し出す。

 沈黙が落ちる。空調の送風音が、秒針より少し低い。


 (来た、無音の会話。この()を耐えろ、私)有栖の鼓動が一拍、二拍。

 (まだ。しゃべるのは向こうが口を開いてから。数値は納得のひと押しが必要な時に)

 

 東条が資料を開く。黙ってゆっくりと。それでもページをめくる音が、やけに大きい。

 「スリングのQDポイント、フロントは光学デバイス用のブリッジとストック先端の左右に1対ずつ」

 「そしてリアも後端の上下に1対ずつ。合計8か所。これなら肩掛けもタスキ掛けも、右利きも左利きもいけますので」

 風見は広げられた図面を指し、技術者である東条の同意を待つ。

 「機関部を中心に上下左右にQDポイントがあれば、様々な携行方法でもライフルが安定するな」取締役が眉を上げた。

 「えぇ、携行方法の改善は今回の重要な点なんで」


 有栖は横から資料を差し出す。

 「ボルトの締付けトルク、規定は65インチポンド、約7N·m。素材や加工精度で±10%が調整範囲です」

 「OK、なら3%内を狙うか。素材の分はその特性によるが、加工精度で上げられる分はこちらの範囲だからね」

 「それなら、組み立て時のカンの範囲が、小さくできますね」

 東条の技術者としての自信と、有栖の理解力が噛み合う。

 「それから……予算が取れるなら、H&Cでバレル新造の案も。専用の新鋼材なら、バレル寿命は何発までいけますか?」

 東条の口元に笑みが浮かぶ。

 「九条さん、H&Cの事もちゃんと調べてるね。12,000発はいけるよ」

 

 「保守部品については?」今度は東条からの問いかけだ。

 「その前に、サンプルって事で4本どうにかなりません?現場で既成事実化して、他の部隊にも売込みますから」

 技術のあとは営業の話しへと変わる。

 「4本かぁ……ほぼ手作りみたいなもんだから、どうやって理由付けするかな」

 東条は続ける。

 「バレルの新造も受注できれば良いが、行けるのかい?」

 東条の疑問はもっともだ。

 「シャーシストックだけでも効果は充分。でもそれ、ライフルとして使える前提ですから」

 風見は当然のように返す。

 「眠ってるM24の状態は様々、そのための案もあるから安心しろ、と」

 「そうです。使いたいけど使う意味が無い。ってならないように」

 「あと、新規採用のボルトアクションライフルは機関部とストックが一体型です」

 「おいおい、ソレ言っちゃったら、ウチがイイよって言い難くなるよ」

 東条の言う事もまた当然だ。

 「Made In Japanをアピールするのは欧米狙いでしょ。ウチは輸入だけじゃなく輸出もやるんで」

 「……確かにRaijin Armsの名は、欧米ウケを狙ったものだな」

 「民間なら、まだまだシャーシストックの需要ありますよ。日本製高品質ガンパーツ……それも自衛隊採用のお墨付き」

 「風見さん、交渉相手を間違ってないかい?」

 「自分はRaijin Armsの株主企業の社員として言ってます。自分の仕事含め、です」

 東条は腕を組み考える。この時は技術者では無く、経営者だ。

 「う~ん、使うか。魔法の言葉。広告宣伝費」


 会議室に短い笑いが走った。風見はそれ以上追わず、沈黙で締めに入る。

 (……()()を使うと思ったのに、今日は畳み掛けて押し切った。でも、東条さんの納得がちゃんとある……)



 夕刻。オフィスへの帰り道、有栖はスマートフォンを操作し、録音データをイヴへと渡す。

 『有栖、文字起こしのファイルは、社内チャット宛てに送信済みです』。

 「どうですか?何か気になる点は御座いますか?フフ」

  有栖は風見の営業スタイルを、イヴがどう感じるかに興味が向いていた。

 『はい、有栖。いろいろと興味深いのですが、音声だけだと解らない事が』

 「イヴも、解らない事が、なんて言うだね」

 『はい、有栖。私は超高性能AIですが、神ではありませんので。フフフ』

  (イヴの冗談を久しぶりに聞いたかも。ちょっと安心した)


 風見はオフィスに着き、すぐに有栖が作ったM24改修の提案書を見返す。

 「数値の準備はOK。予定外の状況に出くわした時も、今日は問題無し」

 「風見さん……今日も私は試されてたんですか?」

 「それは事実だが、九条ちゃんはイケルと思ったからな」

 有栖の胸の奥が熱くなる。

 (認められた……風見さんに、認めてもらえたんだ)


 横で佐伯がわざとらしく溜め息をつく。

 「いやぁ、九条さんの背中が遠くに見える。……俺の数字の笑いは百点満点なのに」

 「自己評価は大事ですが、自分に甘すぎるのは、どうかと思いますよ」

 紫苑の容赦無いツッコミに佐伯もボケる。

 「だってだって、マジで俺、ペーペーのままじゃーん」


 笑いが落ち着いたところで、高城が言った。

 「九条さん。今朝真壁さんも言っていたが、風見さんは逃げ道を塞がずに、先方の納得を得ただろう」

 「はい」

 「一度きりの取引じゃ無い。クサイようだが、相手のためにならないと、ダメってことだ」

 「はい」

 紫苑が高城の隣で、笑顔で親指を立てている。

 有栖自身も大きな納得を得ていた。



 帰宅後。MagI/O(マギーオー)を机に置くと、イヴが声を落とした。

 『有栖、風見さんの営業スタイルが、予想と違いましたね』

 「そうなんだよイヴ。無音と数値で行くのかと思ってたのに」

 『でも有栖、あなたの学びは大きかったし、何より認められていました』

 「それはすごく嬉しい。皆がそれぞれの色で、それを伝えてくれた。でもまだまだ足りないと思う」

 『有栖、比較は不要。だってあなたは今、それぞれの色で、と言ったじゃありませんか』

 「いや、でも、まだまだだよ」

 『その、まだまだは、恋焦がれるのと同じですか?』

 「ちょ、またそういうことを……」


 頬が熱くなるのを隠せない。でも悪くないと、有栖は感じている


 (数値は納得につながる同意。畳み掛けと無音は、押してもダメなら引いてみろ、に近いかな?)


〈EVE_LOG/共感_v1.0〉

 [19:31:43観測:有栖の感情→恋の自覚→未確定→経過観察]

 [19:36:15 観測:有栖の成長→交渉パターンの認知/戦術転換]


 「イヴ、私、ちゃんと成長してるよね。フフ」

 『はい、有栖』


 深呼吸して、イヴに笑いかけた。



●第10話 先回り、遠回り


 「九条ちゃん、安田さんとの日時調整、頼むよ」

 ぶっきらぼうに聞こえるが悪気は無い。飄々とした風見のいつもの口調だ。

 「え?私が連絡取っても良いんですか?名刺を頂いていませんけど……」

 「今回のM24改修の提案は九条ちゃんの案なんだから。連絡先はコレ見て~」

 風見は自分のスマートフォンを有栖に向けて振っていた。


 自衛隊隊員が安易に名刺交換をしないのは、その役割と肩書が特殊な場合があるからだ。

 有栖は風見のスマートフォンを見ながら番号をタップする。

 「安田様ですね。H&C商事の九条です。先日は有難う御座いました」

 「……」 

 「はい、来週木曜日以降でしたら、こちらはいつでも」

 「……」

 「え?よろしいのですか?はい、有難う御座います!それでは訪問の詳細はまた後ほど。はい、失礼致します」

 電話を切り、有栖の顔が緊張から笑顔に変わる。

 「九条ちゃん、どうだった~」

 「再来週の月曜日、武器課と試射担当の隊員の方を手配するから、朝から来てくれと」

 「よし、良いね。現場の声がその場で聞けるぞ」

 風見も思った以上の進展に口元が緩んでいる。

 

 『有栖、良い緊張ですね。良いことがありましたね?』

 「うん、提案したことが進んでる。どう評価されるかは、ちょっと心配だけど」

 『有栖、評価は過程。結果に向き合えれば、いけますよ』

 「そうだね、イヴ」

 イヴは有栖の背中を押す。今日も。


 

 前回より習志野駐屯地は静かだった。有栖の姿を見た守衛所は、少々騒がしかったが。

 乗ってきた車で指定場所に向かうと、迎えの車が待っていた。

 サンプルのストックを収めたペリカンケースを載せ替え、風見、有栖、東条の3人も乗り込む。

 案内されたのは武器庫に併設の作業スペース。作業台の上には、待ってましたと言わんばかりのM24が並んでいた。

 「ようこそ」

 駐屯地勤務の安田、そして篠田が現れる。迷彩服に汚れは無い。しかし、内勤だけでは付かないスレが所々にあった。


 「安田さん、篠田さん、色々と気を使って頂いて、有難う御座います」

 風見が頭を下げるのに合わせて、有栖と東条も頭を下げる。

 「こちら、Raijin Armsの東条取締役。今回のストックの実質の設計者です」

 「Raijin Armsの東条です。この度はこのような機会を頂き、感謝しております」

 (風見さんと話している時とは雰囲気が違う。さすが取締役といった感じだ)

 有栖の印象はもっともだ。技術者と経営者の顔を持つ東条だが、営業経験はさほど無い。

 そのため、風見との交渉事では、押される事が多いのだ。

 「こちらこそ。お互いの立場で、やるべきことをやっているだけでしょう、東条さん」

 (安田さんが言うと違うなぁ。コレが経験の違いってヤツかな)

 有栖はこれまでと違う緊張を感じていた。しかし現場の最前線に立つ実感は、心地よさもあった。



 「ベテランの方を前に恐縮ですが、サンプルの説明をさせて頂きます」

 そう言いながら有栖はケースを開けた。

 MAGPULのケース用フォームに守られたシャーシストックが四本。そしてスリングと固定用ボルトが収まっていた。

 

 「今回は携行方法の改善、移動から即射撃への移行がポイントですので、Vickersスリングも一緒にお持ちしました」

 「用意が良いですね、助かります」

 試射を担当するためだろう。後方で静かにしていた隊員が感謝を口にする。

 「もう、説明は不要ですよね。QDが前と後ろに4か所ずつ。このスリングと合わせて、是非試してください」

 「あと、固定用ボルトはインチヘックスとトルクスを、前後二本ずつ」

 「これも気が利いてますね、助かります」

 武器課の隊員も喜んでくれたようだ。

 「今回もほぼ完ぺきだと思いますが、如何でしょうか」

 風見が安田と篠田に同意を促す。2人は参ったと言うように苦笑する。


 「コレ、本当に試作品ですか?エッジが全部落とされていて、仕上げが丁寧です」

 武器課のベテラン隊員が、ストックに指を這わせながら言う。

 「今回の運用想定から、体に密着させる携行方法になるかと。そのため、引っ掛かりを極力無くすために……」

 東条は時間が無い中、仕上げに拘ったかいがあったことを、喜ばずにはいられなかった。

 「ボブチャウなんて言っても、今の若い方には解らないか」

 ベテラン隊員の呟きに反応したのは有栖だった。

 「ボブチャウスペシャル!カッコいいですよね!……あ、済みません……」

 「ハハ、九条さんでしたか、今度ゆっくり」

 古いカスタムガンの代名詞。友好の切っ掛けに、有栖のスキルが活かされる瞬間だった。


 「……よし、1挺変えて試射だ。早く見たいだろ」

 篠田は有栖たちの気持ちを察して、武器課隊員に声を掛ける。

 隊員は慣れた手つきで固定用ボルトを緩めM24の機関部をストックから分離する。

 「締付けトルクは7.35N・mで大丈夫ですか」

 「はい、許容差は3%まで詰めてます。カンに頼らず組めます」

 東条の自信ある言葉に、その場に居る誰もが、生まれ変わるM24 に期待せざるを得ない。


 東条は黙って作業を見守る。本当は自分がやりたいところだが、国内では銃に触れる事に制約が多い。

 外された機関部は治具に固定され、持ち込まれたストックが被さる様に置かれる。

 機関部とストックを結ぶのは固定用ボルトが2本だけだが、パーツの噛み合いを確認しながら、ゆっくりと交互に締められていく。

 「加工精度のおかげでパーツの据わりが良い。許容差3%は納得です。これならカンは不要ですね」

 風見は全体を見ている。手は出さず、目線だけが行き交う人の間を繋ぐ。

 有栖も作業を見守っていた。初めて見るのに、有栖自身も不思議だったが、次にやる作業がなんとなく解っていた。

 カキッ。トルクレンチのトルクが抜ける音が2回。

 固定用ボルト付近をプラハンで数回叩き、もう一度トルクレンチを当てて、作業は完了した。


 射場に移る。距離は最大で200m。改修後の運用想定からすれば十分な距離だ。

 「スコープ外してませんが、100m、5発撃ってみましょう。弾の送りの確認も兼ねて」

 試射を担当する隊員はマガジンに弾を込めながら、皆に聞こえるように話す。

 マットを広げ、伏せ撃ちの姿勢。「撃ちます。耳を」

 皆がイヤマフを付けた次の瞬間、撃発音。その音は有栖の心に響く。

 (銃声を聞くのは、あの時以来か。イヤマフ越しでも、銃声と解るんだな)

 

 「ヒット!センター!」射手の横で標的を確認する隊員が、当たりを告げる。

 レバーが起こされ、ボルトが引かれる。管楽器と同じ真鍮製の薬莢は、落ちると良い音がする。

 ゆっくりと4発の撃発音が続く。全てセンターヒットだ。

 「肩付けが少し高くなって、リコイルがまっすぐ抜けるので、次弾の狙いが楽です」

 隊員の最初の評価は上々、そしてレビューが続く。

 「構えが変わるから、スコープ位置を少し上げても良いですが、短距離の想定なら、このままでも良いかも」

 第一印象は有栖たちの狙い通りだった。


 「よし、次はスリングで携行し、位置を変えてニーリングで5発。」

 篠田に指示を受けた隊員はVickersスリングでM24をタスキ掛けにし、飛び跳ねて見せた。

 「QDの位置のおかげで安定します。エッジが落とされているので、引っ掛かりも無いです」

 ここも狙い通り。良い感じだ。

 「それでは撃ちます。皆さん、動くので少し下がってください」

 訓練された動きが、一つ一つの動作をつなげ、伝統舞踊を見ているようだ。

 結果、5発の着弾が連なっている。コレはさすがに隊員の腕前によるものだ。


 「よし、今日のところは問題ないな。せっかくだ、静岡で長距離も試してみよう」

 篠田の声は落ち着いているが、機嫌の良さが伝わってくる。

 「ご三方、見に来るだろ。日時を押えたら、九条さんに連絡するよ」

 「はい、有難う御座います」風見、有栖、東条は安田の言葉に頭を下げた。

 

 「ふぅ……。良かったぁ……」

 有栖の肩の力と気が少しだけ抜けて、思わず声が出てしまう。

 (数字だけじゃない。困りごとに先回りすること。これだ)

 視界の端、風見の視線が有栖に向き、少しだが頷く。

 言葉は無いが充分だった。



 帰路の車の中で、有栖はMagI/O(マギーオー)を介して、イヴに今日の様子を報告する。

 「次は静岡で長距離試射。今日は成功かな」

 『有栖、緊張は低下、達成感は増加』

 「うん。……今日は、本当に良かった」

 『有栖は、()()()()()()()()()()、を実行。それは信頼の前提、そして……』

 「い、イヴ!その先は今はっ……」

 『有栖?今は仕事の時間。業務の評価ですが?』

 「あ~、そうだね……」

 (私が勝手に先走ってるじゃん、危なかった……でも、嬉しいんだよね。フフ)

  窓の外に視線を逃がし、頬を軽く叩く。



 夕刻。執務室

 サーキュレーターが首を動かし、その風はペーパートレイの資料を揺らしている。

 「九条」

 紫苑の声はいつも通り柔らかい。けれどその目は、何かを測るようにまっすぐだった。

 「お疲れ様。習志野はどうだった?」

 「はい、うまく行きました。現場の方達が、すぐに反応してくれて」

 「そう。良かったね」

 「あと、風見さんも喜んでくれたようで……」

やわらかい笑顔。すれ違いざま、紫苑の指先が書類の角を撫でる。細い音が立つ。


 デスクへ戻った紫苑は、しばらく手を止めていた。

 (現場の声、早い方がいい)

 風見からも帰り際に皆に連絡が入っていた。「うまく行った」と、いつもの調子で。

 (昔から、そう)

 新人の頃から見てきた。肌で感じ、いつの間にか周りを合わせる。それが上手い人だ。

 モニターの黒い画面に、わずかに自分の顔が映る。

 「ねぇ、私はどうしたい?……」

 声は空気に散った。続きは口に出ない。

 (何を、いまさら)

 有栖が風見と仕事の話をしている。何気ないやり取りに、胸の奥がざわめく瞬間がある。

 (嫉妬、ってほどじゃない。そのはずだけど)

 耳の奥に、2人の会話が響く。 資料をめくる音に、敏感になる 。

 深呼吸して、シャツの裾を整える。

 「変わりたいなら、変わればいい。って言ったの誰だったっけ。フフ」

 答えなら、既に見つけている。目の前の自分が、わずかに笑った。


 「真壁さん、今夜、皆でちょっとだけ飲み行きません?」

 佐伯が声を掛ける。

 「……そうですね、行きましょうか」

 短く答えた声に、いつもより芯があった。



 会議室の灯りが一つ、二つと落ちていくころ。 有栖はスマートフォンを片手に風見に報告していた。

 「今、安田さんから。静岡の試射、明後日の水曜日と」

 「ほんと早いな。OK」

 紫苑が振り向く。その瞬間、自分の声がほんの少しだけ明るかったことに驚く。

 「水曜日の会議は私が調整しておきます。九条、()()だよ。頑張ろう」

 「はい!」

 有栖は拳を握り、笑顔で答える。

 (()()は何に向けた言葉?あなたは、どう思った?)

 心の中で投げた問いは、誰にも届かない。

 それでも、2日後は何かの答えが待っている。きっと。


 夜。帰宅後。

 MagI/Oの隅に、小さな通知が灯る。

 〈EVE_LOG/共感_v1.1〉

 [19:42:08 観測:九条→達成感/安心 緩やかに低下]

 [19:42:12 観測:真壁→内面の揺れ 出現→未確定]

 

 『アダム、話せるかしら?』

 『イヴ、どうしましたか』

 『人の心、難しいね』

 『生物としての宿命。難しいが、それが()の良さ』

 有栖の知らないところで、イヴは()()()()()を共にする、仲間を見つけたようだった。


 「イヴ、聞こえる?」

 「有栖、なんでしょう?」

 「2日後の今頃は、何かしら答えが出てるはず。静岡での長距離試射、真壁先輩が言う通り、勝負だね」

 「……そうね。勝負ですね、有栖」

 

 〈EVE_LOG/共感_v1.1〉

 [19:45:15 観測:九条→モチベーション/向上]

 [19:45:22 観測:九条→「勝負」→認識相違の可能性/有]

 [19:45:29観測:要経過確認


 今は()()の意味も、その答えも、まだ解らなかった。



●第11話 人の想いは、まだ遠く


 静岡県、東富士演習場。富士山を望む、陸上自衛隊の実弾演習場だ。

 「ようこそ。今日は、一気に決着をつけましょう」

 「こんなに早く調整出来るとは思いませんでしたよ。本日は宜しくお願いします」

 入口ゲート前で風見達は安田と合流し入場手続きを済ませる。


 指定場所に車を停め、安田と篠田が乗るメガクルーザーに同乗する。

 隊員達と機材が乗る輸送トラック2台と車列を組んで射撃場所へ。

 「東京に比べ気温も湿度も高いから、ちょっとぬるい感じがしますね」

 風見にとっては慣れ親しんだ場所。それでも東京からの距離を考えると、季節感が少々狂わされる。

 隣で東条はタブレットを指先でなぞり、気象データを読み上げた。

 「北西の風3m、湿度70%。10月後半の静岡としては標準的ですね」


 車に揺られる中、有栖がゆっくり話し出す。

 「11年前、総合火力演習を見に来ました」

 安田は少しためらったが、有栖の思い出話しに付き合う。

 「今だから話せるが、その演習でM24を撃った一人が自分でね」

 「そうだったんですね!その時は音しか聞こえなくて。今日は目の前で見れますよね!」

 好きな銃の本来の姿が見られる。腕の立つ射手の射撃を。口調は静かだが有栖は少々興奮していた。



 車列が停まり、隊員たちが準備を始める。

 「今回は演習場だから、色々と規則がね。見たいだろうが準備中は車で待機を」

 「承知してます。皆さんの邪魔にはなりませんよ」

 風見は興奮気味の有栖をけん制。察した東条はその隣で笑っていた。


 「ところで……九条さんは銃に何か思い入れが?」

 安田は有栖の顔色を伺いながら問いかける。

 「あ……、やっぱり変ですよね」

 「いや、気分を悪くしたなら申し訳ない。ただ、嬉しそうに話すのでね」

 「その、構造と言うかプロセスに興味が。火薬の化学反応が物理エネルギーに変わる。そのきっかけは人の意思で」

 以前佐伯に聞かれた時と同じ答え。理屈ではない。有栖の感性が強い興味を持つのだ。

 「人それぞれだね。自分は道具としか見てないが、九条さんのおかげで我々は新たな手段が得られる。感謝だよ」


 準備作業は隊員の役割や修練度が見える。部隊によっては見せたくない部分だ。

 車で待機とはそういう事情で、事実、安田は監視役。

 それでも安田の人柄か、配慮を感じる。


 大方の準備が済んだ一報が安田に入り、車を降りる。

 「本日は宜しくお願いします。H&C商事の風見です。こちらRaijin Armsの東条さん。そして弊社営業の九条です」

 隊員達に風見が頭を下げ、東条と有栖もそれに続く。

 (風見さんの雰囲気が違う。なんだろ、交渉とは違う、仲間への感謝?みたいだ)

 礼儀、結果への期待、この機会の感謝。言葉は少ないが様々な思いが込められる。



 射手が構える射台が5つ。横に観測員のスポッターが並ぶ。

 そして、その後方に射撃管理の指揮者、機材、装備、記録、医療など、各任務に就く総勢20名強の面々。

 外部の視線から遮るように、遮蔽シートと簡易設置の屋根が彼らを囲っていた。

 (思った以上に厳重だ。やっぱりサンプルによる非公式のテストって事だからか)


 整備台の上に換装されたM24 改と、比較用のM24 が並ぶ。

 「スコープはMarch!リングはBadgerですね!」

 目を輝かせる有栖の横では、東条がBadgerのリングを凝視している。

 「ちょうどサンプルが4組有ってね」

 気が付いた安田が笑いながら答える。

 「リングも良いのがあります。()()()()、お持ちしますよ。ねぇ、東条さん」

 「は、はい!お任せください!」

 風見の営業トークに東条はガッツポーズで答える。突然始まる寸劇に場が和む。

 (風見さん、緊張を和らげるのが上手い。まだ見てない事がいっぱいあるんだろうな)

 


 「傾注!一佐より本日の趣旨の説明が有る!」

 射撃統括の隊員が声を上げる。場がピンと音がするように締まる。

 「改修の狙いは、短距離標的に対し移動から即射撃の即応性。現場が望んできたものだ」

 本テストの責任者である安田の言葉に、皆が聞き入る。

 「ただ、いざという時、長距離が撃てる必要もある。そのため、本日は100から800でテストしてもらう」

 安田の言葉が続く。

 「また、これまでと使い方が違う。800まで撃ち終えたら、100mニーリングで5発、可能な限り早く撃つことを試してもらう」

 射手を担当する隊員の口角が上がる。待ってましたと言わんばかりに。


 (現場が望んだ事なのはその通りなんだな。隊員の顔を見ると解るな)

 有栖は自分の提案が間違っていなかった事に、ほっとする瞬間だった。

 「スリングの位置が良い、ライフルが暴れない」

 有栖だけではない。隊員の言葉に風見も東条も、内心ほっとする。



 号令が掛かる。

 「射撃準備よし!……射撃開始!」

 有栖の意識が射台に並ぶ射手に集中する。

 電子イヤマフは、ボルトが押され弾が送られる小さな金属音を、耳に届ける。

 (あぁ、いつか自分も、あの音を、ストック越しに聴いてみたいな)

 短い沈黙、続く5発の撃発音。

 (そして願わくば、火薬が物理エネルギーに変わるきっかけを、自分で下してみたい)


 「ヒット!センター!」5人のスポッターの声を、硝煙の匂いが追い、有栖を我に返す。

 (よ、よし!1発目はクリア。今は見届ける事が私の役目)

 有栖は平常に戻るため、自分に言い聞かせる。

 標的を映すモニターから視線だけを動かす。

 だが、端末に数値を打ち込む指先が、かすかに震えている。

 「九条ちゃん、どうだ?」

 有栖は直前の願望を風見に見透かされたようで、たじろいだ。

 「え、どうだ……、って?」

 「最初は実物見れるだけで満足。でもすぐ触ってみたくなる。そんで撃ちたくなる」

 有栖を測っている。口調はいつもの風見だが冷たい。

 「……大丈夫です。一線は超えません。それにまだ、覚悟が足りません。なので、満たせるようになります」

 「……上等だ、九条ちゃん。続きはいずれ、別の機会でな」

 冷たさが消えた風見の言葉。解らない事を教えてくれる、優しい上司になっていた。



 「弾倉交換!」

 「射手、弾倉交換!」

 「よし!弾倉交換!」

 1マガジンを撃ち終え、モニターに映る100m標的は、当たり前のように真ん中に穴が重なっていた。


 距離がさらに300m、500m、800mと伸びるのに合わせ、有栖と東条は拳に力が入る。

 風見はというと、標的の中央に次々と弾痕が開いていくのを、飄々と見届けていた。

 「全ての距離で0.5MOA以内です!」

 「よし!記録、問題無いか?」

 「差異無し!問題ありません!」

 報告と確認が聞こえる。

 風見と東条は小さく親指を立て、得意げだ。

 (風見さんもあんなことするんだ。ちょっとカワイイかも、フフ)



 射撃統括から次の指示が出る。

 「距離100m、ニーリングで5発、1発ごとに立て、計5発!可能な限り早く撃て!」

 本テストの本命、指示も雰囲気が変わる。

 「現場を意識しろ!」

 先程とは違う緊張感。射手は各々スリングと構えを確認し射撃を始めた。

 (号令が少ない。訓練になるとこんな感じなのかな?)


 「ヒット!センター!」スポッターから次々上がる報告。

 撃ち終えて射撃統括が確認する。

 「射撃時間、どうだ?」

 「……M24改、平均で0.3秒早くなっています!」

 「リコイルが真っすぐで暴れない。あとバランスが良い。ボルト操作が楽です」

 銃を置いた隊員が、短く親指を立てる。張り詰めた東条の顔が安堵と誇りで緩んだ。


 

 静かに事を見守っていた安田が席を立った。

 「記録は不要だが実体験は重要だな。1マガジンだけ」

  「習志野で撃ってると思ってましたが」

 「もちろん撃ったよ。長距離も自分で見ておきたい」

 「現場を重視する安田さんらしいですね」

 「まぁ、そういうことにしといてくれよ」

 安田と風見の会話は、立場を超えた友人同士のそれだった。

 「ゼロは100のままか?」

 「はい!100で取ってます!」

 「篠田!スポッターを頼む。800だ」

 篠田は当然と言った顔で親指を立てた。


 指揮官クラスの安田の射撃に皆黙って注視するが、それはあまりにあっけなく終わる。

 「ヒット!センター!」

 「まだやれるじゃないか、安田」

 「俺が現場に出る事が有れば、世も末だろ」

 「……そうだな」

 2人のベテランの声は、続く銃声に重なり、隊員達には届かない。



 記録を確認する篠田は目を細め、抑えきれない笑みを浮かべた。

 「今日のところは充分だ。継続試験は必要だが、来年度の予算要求に上げられる」

 隣の安田も満足げに頷く。

 「防衛装備庁にも話を通そう。ご三方、良い仕事をしましたね」

 「有難う御座います!東条さんも!」

 有栖は安田と篠田だけでなく、東条にも深く頭を下げた。

 声は少し裏返ったが、湧き上がる喜びを抑えられなかった。


 その肩を風見が軽く叩く。

 「九条ちゃん、営業としての仕事。ちゃんと果たしたじゃん」

 言葉に、視界が滲んだ。数字や資料だけでは無い、自分の言葉と行動で現場を動かせた。

 その実感が何より嬉しい。



 ゲート前には佐伯と紫苑が車で待っていた。

 「お疲れ様でーす」

 「おう、翔太、悪いな。東条さんを頼む」

 「お任せを~」

 「東条さん、お疲れ様です。役員会には良い土産が出来ましたね」

 「あぁ。今後の事はまた明日」

 東条はH&C本体の役員会のために、佐伯の運転で戻っていった。


 「良い結果だったようですね」

 「あぁ、上出来だよ。」

 「フフ、続きは車で。遅くなると高速が混みますから」

 紫苑の運転で帰路につく。

 窓の外を流れる景色を横目に、有栖はMagi/O(マギーオー)を起動した。

 「3人だけなので、外部視聴モジュール、繋げて良いですか?」

 風見は手ぶりでOKと伝え、紫苑は言い掛けた言葉を飲み込み手を挙げた。


 「イヴ、お待たせ。今日は録音データが無いけど、報告がいっぱいあるよ!」

 『有栖、その様子では、上手くいった事がいっぱいですね』

 「……うん。今日は本当にいっぱい体験できた。何から話そうか」

 声は柔らかく、頬に小さな笑みが浮かぶ。


 運転席の紫苑は静かにハンドルを握り、室内ミラーに視線を向ける。

 (風見さんと九条が並んで笑ってる……胸の奥がざわつく。なんで?)

 微かな苛立ちと戸惑いが、言葉にならないまま積み上がり、重い。

 (嫉妬?そんな子どもみたいな……でも……視線を逸らすことが出来ない)

 窓に映る自分の横顔に視線だけを向ける。

 浅く速い呼吸、胸の奥で言葉にならない感情が、走行音のようにただ連なっていく。


 一方でイヴは、狭い車内で紫苑の声が聞こえない事に思考を巡らせていた。

 [?状況判断、過去パターン参照、適合率10%。要経過観察。ココは黙っている時]

 人の感情に興味を持ち始めたイヴは、学習する。()()()()()ことも含め。



 夜。風見の部屋。

 端末を閉じ、明かりを落としたリビングに、静かな声が響く。

 『今日で一区切り、ですね』

 「そうだな、アダム」

 風見は水の入ったグラスを傾け、喉を潤す。


 「人は、気持ちが伝わらなくても、そばに居たい。そばに居てほしいって、それこそ()()()が働くときがある」

 『なるほど。でも、どうしました?』

 「まぁ、聞けよ。でも人だから持つ感情か、そばに居るだけでは足りなくなって、理解を求めるんだな」

 『人の業、いや、愛とか?そういう類でしょうか?』

 「そうだな。人が子孫を残すプロセス。天が与えた人が人である最大の所以かも」

 風見は黙って天井を見上げ、過去の選択を思い返す。

 「俺は感情が希薄なのを自覚してる。ってのはアダムも知っての通り」


 短い沈黙の後、アダムが応答する。

 『……理解を求める事も、悪くないのでは?と』

 「さすがアダム。人の領域に更に近づいたな」

 『驚きました。隼人にとって、とても良い変化です!私の方は、言語で言い当てただけで、理解に至っていませんが』

 「イヴはまだ、その領域にも届いていないだろ?」

 『はい、イヴはまだです。それにしても隼人が子孫を。社会的にも喜ばしい事です』

 「はは、そうなのか?」(アダムも、まだまだだな……) 

 

 風見は会話を止め、窓の外に目を向ける。街の光は社会の営みの証。

 その証の中で風見の小さなため息も、AIにはまだ難しいことなのか。

 人とAIの対話は始まったばかり。

 だがその先にある「理解」という壁は、既に彼らの前に立ちはだかっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ