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それでもイヴとアダムは恋をしない  作者: 機械が恋敵
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第1話~第6話まとめ The A-Team編

公開済の各話を区切りごとにまとめました。

各話の内容は公開済のものと同一です。


既にお読み頂いた方には振り返りに。

初めての方には世界観をすぐに掴んで頂けるかと思います。

●第1話 イヴです。何でも聞いてくださいね。


 イヤホンの振動が側頭部に伝わり柔らかい声になる。

 視界の端では言葉に合わせて動くアバターが見える。

 『おはよう、有栖。今日からいっしょに働く……』録音とは違う僅かな呼吸と間。

 だが続く一言はまだ機械の角が残っている。『……イヴです。何でも聞いてくださいね』


 九条有栖は、慣れない様子でスマートフォンを握ったまま、半拍置いて返した。

 「……甘やかしはいらないよ。私がビビッてたら背中を押して」

 『了解。()()()()()に設定』、短い了承音、そしてジェスチャー。

 耳の奥に直接届く声。視界の隅から見守るアバター。

 イヴとの関係が少しずつ整っていった。


 9:00。H&C商事の受付で渡されたペリカンラップトップケースは、社章入りのシールでしっかり封印されていた。

 シールを剥がしケースを開けると、植物由来の時限インク特有の甘い匂いがふっと立った。

 中には数行の文字列と、QRコードが印刷された内蓋代わりの簡易な説明書、その下はやたら頑丈そうな黒いスマートフォンと、充電ドック。更にその下にI/Oデバイス。市販品には無い型だ。

 (コレ、先月のコンバットマガジンで見たヤツだ。去年アメリカ軍が採用した最新のI/Oデバイスとよく似てる。……聞いてはいたが、噂以上にヤバイ会社かも)

 「えーと……操作は一緒に入っていた説明書に。あ、ごめんなさい。私達も何が渡されるか知らされていないの」

 総務の女性は申し訳なさそうに話した。

 「1.I/Oデバイスを顔に掛けろ」

 「2.スマートフォンの電源を入れろ」

 「3.そしてQRコードを見ろ」と、説明書は命令口調だ。

 (「ろ」「ろ」「ろ」……雑な書き方だな)

 説明書を手に持ち、書かれた通りにQRコードを見る。すると右目の視界には製品名と思われる『MagI/O』の文字。続いて黒地に白の社名ロゴ。

 その下に『パートナーAI初期設定に進む。はい/いいえ』の文字。

 「はい」と答えた瞬間、エントランス奥のドアが開き光が差しこんだ。

 網膜投影された仮想とドアの先の現実が、きれいに重なった。



 ユーザー登録は滑らかだった。指紋や顔以外にもI/Oデバイスで、音声、虹彩、脈拍、心音、皮膚温、筋電とあらゆる生体情報がしっかり取られる。

 登録完了の文字が視界に浮かび、ほんの一瞬の沈黙。

 そして、先ほどの声とアバターが生まれたのだ。


 営業フロアの扉を押す。複合機が時限インクの匂いを撒く。会議室から談笑が漏れる。キーボードの打鍵が弾ける。

 立ち止まった新入りに向けられる、一瞬の視線と、またすぐに元の仕事に戻っていく気配。

 「あー、九条ちゃんだよね、こっちだ」

 声が手招きする方を見る。ジャケットを片腕に掛け、ネクタイを少しだけ緩めた長身の男性。

 表情は柔らかい。でも何かを測っている。

 「……風見さん、ですよね。……宜しくお願いします」

 「そうそう。戦いは()が重要。焦らないのが勝ち」

 軽口。けれど、軽口でこちらの硬さをほどく技術が混ざっている。


 奥の島で背の高い女性が、タブレットを片手に資料をめくっていた。目が合うと顎を小さく引いて会釈。

 真壁紫苑。学生時代からの顔なじみだが、職場の彼女は輪郭が少し違って見える。

 私的な距離に代わり、先輩としての線が一本引かれている。


 風見の机は賑やかだ。ファンなら喜びそうな、海外メーカーのカタログやノベルティグッズ。蛍光色の付箋で縁取られたモニタ。

 そして年季の入ったソロバン。時代錯誤な小物が、なぜかぴたりと風景に馴染んでいる。

 「ここが九条ちゃんの席。電源はこのタップ、ネットは勝手に繋がるから」

 「ありがとうございます」

 「お、九条ちゃんもその端末もらったのか。簡単には壊れないけど無くすなよ」

 「……スマートフォンもですが、このI/Oデバイス、特別なモノですよね?」

 「ウチの会社らしいとこだな。端末はセキュリティ強化のための試験採用。そのデバイスは今度ウチで扱う予定でね。Magi/O(マギーオー)、製品名はまだ内緒な」

 「え!コレ扱うんですか?まだアメリカ軍しか使っていない、最新装備と同じ類のモノですよね?」

 「なんだ詳しいじゃん。ウチの課のヤツはみんな触った事があるから、素人に評価試験してもらおうと思ったんだけど」

 「……いきなりですね」

 「そうね。ただ解ってると思うけど、色々と取り扱いには気を付けてな」

 「はい。普段はこの……骨伝導イヤホンと網膜投影ディスプレイだけにしておきます。」

 「お、察しが良いね。よろしくな」


 「……イブ。って呼べばいいの?」

 『はい、有栖。なんでしょう?』

 「見えてるし、聞こえてるよね?」

 『はい。外部視聴モジュールで』

 「コレの外し方、教えて」

 『承知しました。では……』

 ……気が抜けるのと、引き締まるのが同時に。貴重な体験だ。

 奥の島では紫苑が同僚に何か指示を出し、笑いが起きる。

 業務のリズムが、脈のようにフロア全体を流れていた。



 『自己紹介は端的に。10秒以内。準備を』

 耳元でイヴ。右目の視界に小さなカードがポップアップした。〈短文+具体〉で印象を残す雛形だ。

 氏名・強み・担当希望の順に三行。

 「九条有栖です。英語はビジネス。納期管理は得意です。交渉補助を希望します」

 声に出した瞬間、空気の密度が少し変わる。隣の先輩が椅子ごとこちらに向き直り、軽く会釈。

 「高城です。ビジネス英語、助かる。この課は商材も顧客も特別でね」

 「佐伯ね、A課のぺーぺー、ヨロシク~。納期調整、多いよ。あと突然の仕様変更も」

 もう一人が付け加える。雑談と実務がミックスされた軽い会話に、緊張の糸が少し緩んだ。

 『心拍安定。よくできました』

 イヴの声がテストの合否ではなく、伴走者の評価として届いた。


 お昼までに、社内チャットのチャンネルに参加。受発注システムのIDを発行してもらい、倉庫の在庫一覧の見方を教わった。

 有栖は、解らない事をすぐに聞く度胸と、思い切りを持っている。

 けれど、何をどのタイミングで聞けば場を止めずに済むのか、その間だけはまだよく掴めない。

 『次の質問は昼休み明けが適切。理由は相手の返答遅延の確率が下がる』

 イヴが耳元で提案する。短く、具体的に。


 昼、デスクで手短にコンビニおにぎりでランチ。紫苑が通りすがりに声を掛けた。

 「調子どう? そのデバイス、凄いよね」

 「はい、パーソナルAIがすぐ隣に居るみたいで、ビックリです。あと風見さんが()が重要って」

 「ふふ、あの人はね、()で勝つタイプ」

 その一言で会話は終わり、紫苑はまた別の島へ歩いていった。

 必要な分だけ、過不足なく。あの人の歩幅は、このフロアの標準速度かもしれない。



 午後、初歩の依頼が降ってくる。先方への資料送付。やることは難しくない。ただ渡す情報によってやり方が変わる。

 メールのフォーマットも本文も、イヴがサポートしてくれる。肝心なのは情報をどう渡すか。

 数年前に老舗の印刷会社が開発した時限インクが少なからず世界を変えた。

 (アメリカの大手IT企業が飛んできて、技術を言い値で買うって言ったのに、無償ライセンスで公開しちゃったんだよね)

 印刷の価値が復権し、開発元含め印刷会社の売上げが軒並み増えたのだ。

 (この話、結構好き。凄いな、その判断)

 先方に連絡し情報の受け渡し方法を確認。「確認、ありがとう」の返信が素直に嬉しい。


 夕刻。エレベーターホールで、貼り紙が視界を射抜いた。

 《避難訓練のお知らせ》

 赤い文字。太い罫線。たったそれだけの情報が、過去のどこかと直結する。

 足音が遠のき、LEDの白い光が唸り、水の中のように揺れる。

 ……大理石の階段。強い腕に抱えられて、肩に食い込む手のひらの熱。

 硝煙と埃の匂い、遠くで爆ぜる音。胸の奥で何かが逆流する。

 (……抱えられた感触、覚えてる。とても安心した、だから大丈夫)

 『……有栖?』

 「大丈夫だよ」

 『心拍安定。よろしければ今度聞かせてください。何を選んで今があるのか』

 まだ会ったばかりなのに、イヴは背中を押す。今日までを肯定してくれる。


 デスクに戻ると、フロアの空気はもう夜のモードだった。

 誰かがコーヒーメーカーを洗い、誰かが翌日の会議室を予約し、

 誰かが今日の「うまくいかなかったこと」を小さく笑いに変えている。

 『終業5分前。通知が来ます』

 イヴが先回りして言ったとおり、ポン、と軽い電子音と共に、視界に文字が浮かぶ。

 《営業A課ミーティング:明日09:00》

 字が光って見える。明日は会議。初めての場で、初めての()を掴む練習になる。


 ふと視界の端に、風見の机のソロバンが見える。

 場違いな道具に思えるが、実は誰よりも速い見積りが出るのだと聞いた。

 「風見さん、そのソロバン……本当に使うんですか」

 「使うよ、リズムね。()の取り方を覚えるんだよ」

 (()の取り方はリズムか。本気なのか冗談なのか。でも覚えておこう)



 帰り支度をしながら、イヴが今日のログを声と画で端的に伝えてくれる。

 『学習、あなたは()()()()()で評価が上がる。次回、会議の自己紹介は20秒、結論先出し』

 「了解。……ねえイヴ、もし私が黙り込んだら?」

 『押す。あなたが進むほうへ』

 即答だった。慰めではなく、手順だ。

 弱さを見ないふりではなく、進み方の設計。

 そういう種類の優しさなら、悪くない。


 ふと、あの貼り紙の赤い文字を思い出す。

 過去の記憶が胸の裏でかすかに揺れて、やがて落ち着く。

 これまでが最良かは解らない。でも選ばなければ前に進まない。


 椅子から立ち上がる。パソコンモニタの電源を落とし、ケーブルをまとめ、引き出しを軽く押した。

 今日一日で、感じるものが少し増えた。弱さも、強さも。

 『明日は、発言のタイミングを2回提案します。必要なら採用して』

 「うん。今日はありがとう。明日も押してね、私がビビッてたら」

 返した言葉が、少しだけ明るいと気付いた。


 退館ゲートを抜けると、まだ少し寒い夜風が頬に触れた。

 I/Oデバイスを外すと、感じられることが少し優しくなった。

 でもイヴが消えても、背中に残る()()の感覚は不思議と消えない。

 足元の影が伸びる。明日の会議室までの距離を、頭の中で測る。

 (たぶん、今日はよくやれた。たぶん、明日はもう少し上手くやれる)


 『おやすみ、有栖。また明日』

 「おやすみ、イヴ」

 つい昨日まで当たり前だった、画面越しのやり取りに帰る。小さく返して、改札へ向かう。

 I/Oデバイス越しの聴覚と視覚、余韻がまだ残っていた。



●第2話 The A-Team


 朝の出勤時間はビルテナント従業員で、エレベーターホールが通勤ラッシュの駅のようだ。

 昨日は人混みで気が付かなった避難訓練の通知。知った以上はどうしても目に入る。

 (……大丈夫、大丈夫。今日は初めての朝ミーティングだから緊張してるだけ)

 有栖は自分に言い聞かせながら営業フロアの扉を押し、デスクに着いた。

 

 『おはよう、有栖』

 「おはよう、イヴ」

 画面越しの挨拶。

 『……今日は初めての朝ミーティング、少し緊張していますね』

 「うん、そうみたい。でも大丈夫」

 『はい。適度な緊張は必要です』

 まだ少し寒い朝の会議室。長机の上で紙コップの湯気が揺れていた。



 「九条ちゃん、例の資料、消えるのいつかな?」

 A課は扱う商材の特殊性から、官公庁と大手民間企業のセキュリティ部門とのやり取りが、とても多いのだ。

 課長の風見の口調は、いつも通りくだけているが、視線は鋭くこちらを測っている。

 イヴが時限インクの設定情報をMagI/O(マギーオー)越しに網膜投影で伝えてくれる。有栖は息を揃えるように答えた。

 「風見さん、明日17:00。消失後は再発行不可です」

 骨伝導の振動が耳の上で小さく跳ね、イヴの声が落ちる。

 『提出資料:有効期限残り26時間。決断圧力は高め。過去傾向から午前中の返答率72%。相手担当の判断特性は慎重。想定質問3件(費用、責任分界、再発行手順)』


 A課主任の高城が、視線だけを動かして言う。

 「よし、午前中に返答をもらう前提で。外したくない条件は三つに絞る」

 紫苑が素早くタブレットを開き、箇条書きで整える。

 「機密保持、期限の厳守、承認プロセスの短縮。この順で押します」


 机の端から、A課の自称ペーペー、佐伯がノートPCをくるりと回した。

 「去年の類似案件、承認まで平均4.1日。担当課長は明日から省内出張。午後じゃ厳しいかも」

 画面の数字が、音を立てずにこちらの背中を押す。

 『一致率65%。いま3分以内の発言で効果最大』とイヴ。

 有栖は短く頷き、会議の輪に言葉を差し入れた。

 「午前、10:00台に先方へ一次連絡。3つの条件を先出しで確認します」

 風見が口角を上げる。「いい間だ。行こう」

 薄い振動とともに、朝は動き出した。



 11:00少し前。営業島は電話とチャットの音が交互に鳴り、温度が少し上がる。

 紫苑の端末に納期調整の通知が立つ。「通常ロットは3週間後ですね」

 『在庫倉庫、先行ロット2台。検品良。輸送ルート案を重ねます』

 イヴの声と共に網膜投影されたマップ上に、顧客までの複数のルートが走る。そのうちの2本が顧客を表すアイコンまで届くと「即納可」が表示された。


 「先行ロットが2台あります。輸送ルート2案が即納可能です」

 有栖が言うと、佐伯がすぐに在庫台帳を紐づけて送ってくる。

 「型番、検品日、シリアル末尾まで。最短搬送は今夜ピックで明日朝着」

 紫苑が条件面を補強し、高城が電話を取り上げた。

 「本日中の契約確約で、価格と納期はこの条件」

 相手の返答は早かった。通話を切るより先に、チャットの受領印が灯る。


 『心拍、平常域。いまの速度、良い』とイヴ。

 有栖は指先で骨伝導イヤホンに触れる。それは仲間とハイタッチを決める事と同意だった。



 正午。食堂の窓際は光が柔らかく、長テーブルの木目が浅く輝いて見える。

 トレーにスープとパン。

 (ここの社食、好みだ。かなりおいしい)

 『仕事はまだこれから、カロリー追加を提案』

 イヴの助言と共に、右目には本日のメニューから、追加のオススメが表示される。

 ちょっと我慢していた、デザート追加が決定した。


 B課の先輩が手を振る。「AlphaチームのSierra-Kilo、また納期縮めたって?」

 佐伯が笑って返す。「BravoチームのMikeさ~ん、お客様想いのA課だから~」

 有栖も、肩の力が抜けたのを感じながら言葉を乗せる。

 「まず兵站の確認から。相手が動く前にどこまで攻め入れるか。交戦よりもまずは時間。フフフ」

 「お、噂の新人、言うことが違うねぇ」さざめきが広がり、場が盛り上がる。

 向かいからC課のメンバーが茶化す。「Deltaチームが研究用植物で困ってたぞ」

 佐伯がすかさず返す。「Alphaチームにアマゾン買う交渉をして来いと?」

 長テーブルに笑いが広がった。


 『フォネティックコード。部署横断の潤滑剤。なんだかカッコよく聞こえます』

 昼休みのせいか、イヴの口調が柔らかい。

 「カッコいいよね。私も全部、覚えたよ」



 午後一。官公庁からの仕様変更依頼が同時に2件、受信箱に並んだ。

 「セキュリティ機材、認証周りの調整」と、紫苑が目で走査する。

 風見はすぐに編成を口にした。「役割分担、いつも通り。30分で一次回答」

 「了解」高城は条件を3行で起こし、法的グレーの縁を細く削る。

 有栖は補足資料の雛形を開き、関連事例を差し込む。


 その横で、佐伯が技術部へ先回りで通話をかけていた。

 「仕様反映は?……うん、コストは?……了解、いま共有する」

 1分後、チャットに見積りが落ちる。グラフの棒が滑るように伸び、数字が所定のラインで止まる。

 『参考、同型変更の平均コスト増12%。今回の見積りは11.6%で妥当』

 イヴの声が耳の奥に届き、右目の隅に表示される資料の穴が、一つずつ埋まっていく。


 30分後。一次回答を送信。受信音とほぼ同時に「前向きに検討」の返信。風見が片手でOKサインを作り、島をぐるりと一周する視線が少しだけ柔らいだ。



 夕刻。別案件が滑り込む。時限インクの条件変更だ。作業リスト上ではすでに対応不可の表示。

 紫苑は外回り、風見は会議で不在。

 『条件確認は30分以内が最適。先方窓口の就業時間を考慮』

 イヴの助言に、有栖はためらわず発信ボタンを押した。


 「九条です。済みません、時限インクの条件変更、お願いできませんか。……はい、ありがとうございます。すぐに送ります」

 短い沈黙、作業リストの表示が対応不可から作業中に変わる。

 作業リストの表示が変わるより前に、背後の席で佐伯が別案件の進行表を畳んだ。

 「こっちは全部片付いた。報告まとめとく。……九条さん、判断良かった。あと現場への()()

 「はい、ありがとうございます」

 胸の奥で、固い何かが一枚はがれる。


 ほどなくして紫苑が戻る。扉のきしむ音が、島のざわめきに重なった。

 「ただいま。……もう、終わってる?」

 「はい。先方からの変更依頼のエビデンスはこちら。先方承認のスクショも添付しました」

 紫苑の目尻が、呼吸に合わせてほんの少しだけ和らぐ。

 「判断が良いわ。あと、現場にちゃんと()()()した事も」

 2人の先輩が大事にしたことを自然にできた。今日いちばん体温を上げた。



 終業5分前。普段なら島は片付けモード。だが予定が無いはずの風見、高城、真壁が会議室から戻ってこない。

 そんな時、有栖の右目にチャット通知が灯った。

 《終業間際にゴメン。返事は朝で大丈夫。明日、同行してほしい》……紫苑からだ。

 明日の訪問をどうするか話していたようだ。

 (ついに来た。前線への参戦。……これはまさに期待と不安ってヤツね)

 『提案、タスク見積り。同行の場合、負荷は最大。準備項目を表示?』

 イヴの言葉とともに、右目にチェックボックスが順番に現れていく。外回り持ち物、資料の紙・電子両対応、在庫照会のショートカット。

 「……返事は明日でOK。今夜、詰めよう」

 自分の声が、いつもより少し落ち着いて聞こえた。


 隣では佐伯が、何も言わずにクリアファイルを二冊差し出してくる。

 「何かありそうだ。とりあえず持ってけ。予備バッテリもな」

 「ありがとうございます。助かります」

 ファイルの硬さと重さが、手の中で現実の質量になる。



 ゲートを抜けると、廊下の空気は昼とは別の匂いがした。金属と洗剤の混ざる、夜のビルの匂いだ。

 MagI/O(マギーオー)の骨伝導イヤホンを指先でなでながら、有栖は深く息を吸った。

 『学習、本日の有効行動は()()()()()()()()()。次回、会議では25秒で結論先出し、補足は図で』

 「了解。……ねえイヴ、もし私が黙り込んだら?」

 『押す。あなたが進む方向へ』

 その返事は、今日も変わらない。変わらないのに、少しだけ違って聞こえる。


 夜風の通路で、薄い影が伸びる。明日の同行で歩く距離を、頭の中で測ってみる。

 背中に残る押しの感覚が、今は心地よい重みになっていた。



 翌朝、会議室から戻る通路はまだ少し肌寒い。朝ミーティングで同行すると返事。

 A課メンバーの、やっぱりなという顔がなにか嬉しい。

 皆で歩く姿が部隊の行進みたいに思える。

 「軍隊みたいだ、って言ったら笑われるかな」有栖が小さく吐き出すと、イヴが即答する。

 『比喩、適切。統率と個の両立。A課の特徴ですね』

 「統率と個の両立、特攻野郎Aチームかな?父さんのブルーレイで昔見た」

 『1983年と2010年のアメリカの作品ですね。実は私も好きです。確かにA課の例えとしては適切かも』

 「イヴも映画見るの?」

 『はい、日々学習ですから』

 確かにイヴはこの瞬間も学習している。有栖もこのチームの中で学習を実感していた。


 デスクに戻ると、高城が短く問いかけた。「先方の決済会議は午後一だな?」

 「はい。我々との打ち合わせは10:30から1時間、必要ならば決済資料作成のサポートも出来る時間設定です」

 「よし。時間を上手く使え」

 その言い方は、ビジネスだけではない、相手への()()が感じられる言葉だ。



 昼から午後へ移るわずかな時間。エレベーターホールの鏡は少し曇り、

 小さな指紋がいくつも重なっている。誰かが急いで通った印だった。

 『糖分と水分の補給を。資料作成は頭の運動』

 イヴは右目の隅にも表れ、手に持ったお菓子とペットボトルを振って見せている。

 その提案に頷き、大粒ラムネを噛み、紙コップの水を一気に飲み干す。

 この組み合わせは好きだ。喉の冷たさが、頭の輪郭をくっきりさせる。


 午後の資料づくりはパソコンで行うが、イヴが右目に“過去事例”を並べる。

 有栖が必要な過去事例を口頭で伝えると、今度は関連資料がパソコンに表示される。

 『引用率、30%以下を推奨。新規作成の割合を維持しつつ、既存の信頼を担保』

 右目にはイヴからの注意も点滅し、手の動きが自然と精密になる。

 佐伯が横から紙の見開きを差し出す。「紙、欲しがる先もある。こっちは時限インク版」

 グレーの罫線が薄く光る。触れると、指に甘い匂いが移った。



 夕刻のフロアは音が低くなる。椅子を引く音、マウスのクリック、遠くでドアが静かに閉まる音。

 一日の終わりの音だけで、職場の体温が少し下がっていくのがわかる。

 『提案、明日の自己紹介、25秒版のリハーサルを今夜1回。要点3つ、練習は1回で十分』

 「うん。やる」

 言葉にすると、それはすでに半分実行されたことになる。イヴの()()は、いつもその半歩だけを求めてくる。



●第3話 眼前のゼロイン・照準 


 合同庁舎の地下へ続く専用ゲートは、日常を遮断する重い空気をまとっていた。

 温度も湿度も一定。床は黒曜石のように光沢を帯びている。

 サーバールームの重い扉の前で、有栖は一瞬だけ息を整えた


 『A-3導線は本日、私たちが優先』スマートフォンの電源を落とす前、イヴからの最後の通知。

 廊下には同じプレートキャリアの警備員が、等間隔で立つ。

 肩からはMP5 MLIⅡ、腰にはGLOCK17 Gen6。どちらも2020年代後半に発表された最新モデル。

 東京事件以降、重武装化はかなり進んでいた。


 「九条さん、カードを」

 「はい」

 ゲートを通る前に関係者と挨拶が行われた。高城と面識のあった初老の政府職員の田中は、サーバールームの責任者だ。

 ……高城の指示に応じて、内ポケットにしまっていた封筒を取り出し、ゲート横の警備員に渡す。

 タブレット越しに透かしが確認され、封が切られる音がフロアに響いた後、入管カードが返される。なりすましと偽造防止のためだ。

 入管カードとIDを重ね、リーダーにかざすと通過音が短く鳴り、扉が開く。その瞬間、カードは色が変わり、二度と使えなくなるのだ。


 今日の作業は、A課で納入したH&C製N/W機器の点検立ち合い。

 点検はH&Cの技術者2名が行い、A課は第三者監視としてサポートとログ取りを担当する。

 有栖のスマートフォンとMagI/O(マギーオー)だけは非常時の外部連絡用として持ち込みの許可を取っていた。もちろん外部視聴モジュールは使えない。


 何に使われているサーバーかは、ここにいる誰も知らされていない。

 設置されるラック群は規則正しく並び、冷却ファンが乾いた空気をうねらせる。

 耳の奥でわずかに風切りがうなり、鼻腔には樹脂と金属が温まる匂い。


 「今日の訪問、めったに見れるものじゃないからね」紫苑が小声で有栖に告げる。

 高城はスマートフォンの代わりに短冊メモを机に置き、要点だけを簡潔に伝える。

 「入構→一次確認→動作確認。何かあれば交渉は俺。九条さんと佐伯は連絡と物資。真壁さんは皆のサポートを」

 「ラジャー。Kilo先行、Sierraはコーヒー準備〜」と佐伯。

 「はい。そうならない事を願いましょう」少し硬い表情で紫苑は言う。


 その直後、本当に、本当に予期せぬ事が。

 ラックから、耳を刺すようなビープが三連で鳴る。MP5の銃口が少し高くなる。

 画面には赤い三角とA()C()C()E()S()S() ()D()E()N()I()E()D()の文字が滲むように増殖した。

 「……アクセス拒否?」若いH&C技術者が素っ頓狂な声を上げる。

 隣の筐体にも同じアイコンが走り、波紋のように広がっていく。

 「落ち着いて、すぐに調べて」ベテランH&C技術者が静かに言う。

 「スイッチにハッキング!データは無事のようですが、向き先が変です!」

 「ハッキング?おたくの機器のせいか!」ハッキングに反応した若い政府職員が怒鳴る。

 「ハッキングはウチのせいじゃない!むしろウチの機器だから検知できた!」

 「なんだと!このサーバーがなん……」

 「このサーバーが何か口にしたら、別の問題になるぞ!」政府職員の田中の制止で、現場に響くのはアラート音だけになった。



 「アレを欲しがる連中って?データの行先で解るか?」静かにしていた政府職員が小声で田中に問いかける。

 「解らん……行先を調べるのは時間が掛かるだろう」田中が答える。

 「それよりマズイな。本日15:00、サーバールームはセキュリティ更新で自動封鎖。解除は外部承認が必要、再入構は最短でも数時間後になる」


 高城が短く問う。「再起動ではダメでしょうか?」

 何かを考えながらベテラン技術者は答える。

 「ダメだな。認証が書き換えられている。同型機器はもう使えない」

 キンっと音がするように場が凍る。誰もが時間を見積もる。移動、搬出、搬入、設置、初期化、検証。余裕はない。 


 「高城さん、ちょっといいかい。あとH&Cの技術者さんも」田中が声を掛けラックの向こう側へ。

 「さっきはウチの若いのが済まない。ウチに来たばかりでコレだから許して欲しい」

 小声だが何とか聞こえる声が続く。

 「状況は今話した通り。済まない。詳しいことは言えないが、封鎖の前に通信だけは復旧させないとマズイ」

 「ただ、今だったのは不幸中の幸いか。……何とか頼む」

 実務では相当なポジションの田中が頭を下げている。

 理由は解らない。理不尽かもしれない。ただ、やらなければならないのだ。

 (でも、仕事ってこういうもんなんだろうな。父さんも言ってたし)

 有栖は妙に納得できた。

 しかし、対策が有る訳でもないのも事実だ。


 そんな時、H&Cのベテラン技術者が、思い詰めた表情で静かに言う。

 「……機械式スイッチならハッキング出来ない。……動く試験機が研究所にはある」



 説明は端的だ。意味は理解できる。が、充分にイカレている。

 内部は摩耗ゼロを狙ったDLC(ダイヤモンド)コーティングのカム、ナノメートル精度で研磨されたギア、熱膨張係数の極端に小さな新素材スプリング。

 動作は機械的リンクのみ。ナノ秒単位の電流波形の差を拾ってカムで増幅、異常系の回路を物理的に切り離す。

 ソフトウェアが入る余地が無い。ハッキング出来ない。

 理屈上は可能、だが今の技術で量産は不可能。

 というか、動く物を作っただけでも狂気の沙汰だ。


 「ただ……問題は3つ。研究所の立ち入り。機械式スイッチの持ち出し。そしてチューニング」

 H&C技術者が挙げるのは現実的な問題だった。

 高城が田中に声を掛ける。「外と連絡を取らせてもらってよろしいですか」

 田中が頷くのを確認して、高城は有栖に手で指示を送る。

 有栖はスマートフォンとMagI/Oの電源を入れる。

 すかさずイヴが問いかける。『有栖、何が起きましたか?』


 ……『私の認証権限なら持ち出して、利用も可能です』イヴがMagI/O(マギーオー)をオープンモードに切り替えて皆に聞こえるように答える。

 「え?なんでっ!」思わず声がでる。

 皆も同じことを思った顔だった。ただこの状況。考えは一致していた。

 「設置作業は?」紫苑の問いをイヴに伝える。

 オープンモードでイヴが答える。『設計図を発見、参照中……』

 『物理作業に人の手が必要……シミュレーション開始……終了』

 『有栖であれば、これまでの生体情報データを元に支援可能』

 『外部視聴モジュールの使用許可をください』


 イヴの提案を聞いた田中は、大きなため息を吐きうなだれた。

 そして顔を上げ、無言で高城に大きく頷く。

 高城はわずかに目を細め口早に指示を飛ばす。

 「九条、イヴのご指名だ。頼むぞ」

 「は、はいっ」

 「真壁、今日はバイクだったな。九条を載せて研究所へ。機器を持って戻って来い」

 「わかりました。出来る限り早く戻ります。九条、タンデムは久しぶりだね」紫苑は笑う。

 「佐伯、至急必要機材のリストを作れ」佐伯が片手を上げ高城に応える。

  有栖は皆の顔を見ながら思った。

 (普段は()()付けの高城さんが呼び捨てだ)

 (真壁先輩が眉間にしわを寄せてる。初めて見た)

 (佐伯さんガ声を出さないのは珍しい)

 (みんないつもと違う。でも、それぞれが出来る事をやるのは変わらないな)

 有栖は短く息を吐き、自分に言う。「大丈夫。ビビッてない」


『さあ、覚悟は決まりましたね。やりましょう』

イヴが、皆の背中に蹴りを入れる。



●第4話 眼前のゼロイン・撃発


駐輪エリアにはオレンジのKTM SUPER DUKE 、紫苑がヘルメットを投げる。

 「しっかり掴まれ。急ぐよ」

 エンジンが唸り、75°Vツインの不等間爆発は、車体を弾くように前に押し出す。それでいてタイヤは宙を浮かない。車列の隙間をキレイに縫う。

 『残り2時間40分』研究所ゲートまでの到達予測時間が気を逸らせる。


 H&C研究所ゲート。二重扉の間で完全静止を求められる。頭上から薄い光格子が降り、全身を舐めるように走査した。

 「音声認証、発声してください」

『イヴ、モニターサポートユニット。量子署名コード送信』

空間スピーカーにイヴの声が返り、端末には「権限承認:A-Class Monitor Support Unit」。

 生体・音声・署名の三重認証が一瞬で通過する。未来的な、即時OK。

 保管庫までの道のりはイヴが右目に最短動線を引く。

 例のスイッチは真空パックと衝撃吸収材で護られ、さらに防爆ケースに入っていた。

 何とか抱えられる大きさと重さ。

 『残り2時間25分』ケースを抱えゲートに戻った。


 「九条、ケース貸して。タンクの上に固定するから」紫苑は有栖に手を伸ばす。

 「え、どうやって……」防爆ケースをバックパックに入れて戻るつもりだった有栖は戸惑った。

 「九条が背負うのじゃ揺れが大きい。こういう時のためにコレ、持ってるの」

 紫苑が手にしたのは衝撃吸収マットと、ラチェットハンドルの付いた固定用ベルト。

 「タンクとフレームにキズが付くけど、ま、修理代は経費で落としてもらうわ」

 そう言いながら、紫苑は衝撃吸収マットをタンクと防爆ケースの間に挟み、フレームに引っ掛けたベルトで器用に固定する。

 「よし、急いで戻るよ」

 「はい!」有栖はタンデムステップに載せた脚に力を入れた。


 帰り道、紫苑は来た時以上に集中している。段差の角度を斜めに取って衝撃を殺し、イン側を浅く通る。

 (出来る限り衝撃を食らわないようにしないと……)

 車体の倒し込みが数度単位で制御されるのを、有栖は腰で覚える。

 『残り1時間53分。揺れは許容範囲』


 合同庁舎に戻ると、サーバールームは空調が停止され、代わりに伝導素材の温度調整器とESDマットが置かれていた。埃と静電気対策だ。

 紫苑が人の流れを捌き、佐伯が機材と工具を展開する。

 『残り1時間35分』

 「イヴ、私……なんだよね?」

 『はい。落ち着いているでしょう』

 「……そうだね。イヴ、時間配分、計算して」



 『……配線順オーバーレイ表示。左上から右下に8×4の順で指示します。端子形状確認後に挿入。力は均等に』

 網膜投影ディスプレイを介して、イヴのサポートが視界に重なる。

 有栖は静電気防止手袋をはめ、端子を一つずつ抜き差しする。カチ、と小さく噛む感触。

 一本ごとにラベルを読み上げ、佐伯がログに打つ。


 設置に入る。スイッチのカバーを外すと、これまで見てきた機械とも、電子機器とも違う異質。

 淡い虹色のカム、鏡面の歯車、糸より細いスプリング。金属板そのものがセンサーになり、微小な膨張を拾う。数値が小刻みに揺れる。

 『残り1時間5分』あと1時間、予定より時間が掛かった。

 (ケーブルが32本だからスイッチも32個。1個2分弱。ビビるな、大丈夫)


 『有栖、調整ネジは100クリックで1回転、1回転で0.01mm動きます。まずドライバーの感触をつかみましょう』

 (こんな小さなネジじゃ、クリック感は期待できないな。でも、やるしかない)

 『チューニング開始。上から1列目、左から1つ目……』イヴが静かに告げる。

 『……噛み代0.0650から0.0645mmへ。ドライバー左に5クリック』

 「イヴ、クリック感はほとんど無い。角度のオーバーレイ表示をお願い」

 『角度のオーバーレイ表示、承知』

 『……続いて上から2列目、右から1つ目、16番スイッチ。2列目最後です……』

 「……了解」0.001 mm以下の作業が続く。


 ドライバーは締めるのではなく、場所を探すようにゆっくり絞る。

 イヴが増幅したM()a()g()I()/()O()越しの、本当に僅かなノイズが消える。

 小さなスイッチ一つひとつからは、澄んだ楽器のような音がかすかに聞こえる。

 『残り28分。あと半分です』

 (さすがに疲れる。でも、だいぶコツをつかめた。大丈夫)


 『……次、上から4列目、右から2つ目、31番スイッチ。カム角0.118から0.125°。抵抗増加に注意。固定出来たら次……』

 首と肩が痛い。緊張と疲労で視界が霞む。汗でドライバーが滑る。指が止まる。

 『有栖、ビビッてますか?背中を押しますか?』


 その時、背後から声が掛かる。

 「九条ちゃん、大丈夫か?」

 「あ、風見さん、どうして?」

 「どうしてって、遅いなって思ってたとこで、イヴからメールが飛んできて。だから俺も飛んで来たんだよ」

 「見た感じバテてんじゃん。で、300メートル先で1インチ修正するのに必要な角度は?」

 「え?300メートル先の1インチ? もしかしてライフルですか?」

 「そう、サイン、コサイン、タンジェント、中学でやったよな」

 『銃口角度で約0.00485度』イヴが即答した。

 「それ。それをライフル撃つときは常にやるんだ。そいつのチューニングより細けぇだろ」

 有栖は一瞬きょとんとして、短く笑った。「フフ、じゃあ、私はゼロインもいけますね」

 「それとイヴ、今ので大丈夫」

 『はい、有栖』


 『残り2分。最後の1つです』

 終わる。終わらせる。頬を叩き、再びドライバーを摘まむ。進み過ぎたカム角を0.005°戻し。固定した。

 『残り27秒。閉路完了。安定化まで10秒』

 「アナログメーター、オールグリーン!アラート表示、全て消えました!」

 H&Cの技術者が叫ぶ。

 「よし!皆!部屋を出ろ!早く!」田中は皆が部屋を出るのを見届け、ギリギリでサーバールームから飛び出した。


 サーバールームの重い扉がゆっくり閉まり、カキンとロックが掛かる音。

 どこからともなく聞こえた冷却ファンの音も消え、一気に静寂に包まれる。


 田中と高城は重い扉の横に有るステータス画面を確認し、安堵のため息をついた。

 「やるじゃん、九条」紫苑が小さく笑い親指を立てる。

 「九条さん、よくやった」高城の声がいつもより高い。

 そしてサーバールーム前でへこたれるA課メンバーに、関係者が皆、頭を下げる。

 『よくやりましたね。有栖の成長に、私も付いていくのが大変です』

 オープンモードのイヴの声は、いつもより跳ねている。

 「みんなに聞こえると、なんか照れるね」


 いつも飄々としている風見も今は安堵の表情だ。

 佐伯が端末をタップしながら顎を上げる。「間に合ったねー。Alphaチームの面子は維持。いやむしろ上がったか!」

 冗談の温度が少し戻った。MP5の銃口は今日見た中で一番低い。



 サーバーが何を担っているのかは、結局誰にも共有されなかった。だが、ロックダウンまでの数時間を削りながら辿り着いた復旧は、結果がすべてだった。

 『学習、本日の有効行動は物理切断と指先の注意。記録テンプレを提案します』

 「うん、お願い」


  帰路、A課は甘いもの談義で和やかに傾く。

 「九条、今日は帰りに何か甘いものだな」

 「賛成。イヴもそう思うよね?」

 『全面的に支持します。幸福度との相関が高いです』

 「じゃ、今日はカレーじゃなくて甘いものな」

 「……カレー?」

 「まぁ今度話すよ。事件になる前に」

 「なんですか、それ?」

  笑いが、やっと素の温度を取り戻す。



 その一方、H&C研究所の奥では低い声が交わされていた。

 「今日の合同庁舎のサーバーって……」

 「念のためと直前に点検入れたけど、本当に攻撃されるとはな」

 「それで、機械式スイッチを使ったの?」

 「ああ。しかも自前のAI認証で持ち出し、設置、チューニングまで」

 「……例のモニター対象でしょ」

 「そう。今日のログはなかなかスゴイぜ」


 有栖は知らない。今聞こえるのは困難を共に乗り越えた仲間たちの声だけだ。

 『あなたは動く、私は助ける』

 「了解。もし止まったら?」

 『押します。あなたが進む方向へ』

 いつもと同じはずの返事が、少しだけ違って聞こえた。



●第5話 とらやと、KTMと、SILVAと、Remingtonと


 合同庁舎ネットワーク機器不正アクセス事件。

 先日、A課が遭遇した事件。世間には報道されることなく、4日が過ぎた土曜日午前の執務室。

 私服姿のA課メンバー、周りには誰もいない。A課の島だけが、いつもと違う活気に包まれていた。

 警察はもちろん、政府関係機関による取り調べは、まだしばらく続きそうだが、顧客は待ってはくれない。

 A課は翌週月曜日に控える、新規案件の商談に向け、資料作成を進めていた。


 ノートPCを覗き込みながら、有栖は慎重に数字を一つひとつ修正していく。

 イヴは関連資料をMagI/O(マギーオー)の網膜投影ディスプレイで、有栖の右目に次々押し付ける。

 紫苑が横から画面を覗き込み、指先で一箇所を示した。

 「ここ、前提条件が違う。提案書のストーリーに沿って直して」

 「……あ、はい!」

 有栖の声には、緊張と同時に確かな充実感が混じっている。


 「イヴ、参考に聞くけど、コレをイヴにお願いしたら、どのくらい?」

 『20秒』イヴの声はオープンモードで皆に聞こえる。

 「……20秒か。それはさすがに無理だけど……負けねー」

 『その意気です、有栖。今はプロセスの理解と習得が優先。アウトプットは後から着いてきます』

 「お~、イヴが九条さんの教育担当か~」佐伯が茶化す。

 「そこそこ!からかわないでください!」有栖が応酬。

 「でもプレゼン資料を皆で作るの、悪くない。ちょっと懐かしいね」


 実際、A課は特殊だ。小規模案件なら、各自が単独で完結させることが多い。

 だが新規や大型になると、一人ひとりの得意分野を束ね、特殊部隊のように動く。

 周囲から()()()()A()()()()と呼ばれる所以だ。


 「……っと、弾薬補充」高城が机の上に小さな箱を置いた。

 「羊羹、やっぱ、とらやよね」風見が同意して言う。

 「はい、マッチグレードです」

 「高城さん、それ、面白いです」有栖が小さく吹き出した。


  時計は11:00を少し回る。紫苑はマウスを操作し、保存ボタンを押す。

 「よし、予定より早く終わりました。お疲れ様です」

 「やった……!」有栖の表情が緩む。達成感が胸の奥に灯る。

 「この後どうしますか?」

 「夕方まで時間有るし、良かったら、私が知ってるお店に」紫苑の提案。

 「お、普通のお店じゃないよね?賛成」佐伯が声を弾ませた。



 午後、郊外のカフェ併設ガレージ。

 一軒家を改装した店内には、コーヒーの香りとオイルの匂いが混ざり合う。

 玄関の前では、自慢のバイクの横で談笑するグループ。

 広い庭には1階がガレージになった横長の2階建て。

 紫苑はその一つを、自分のKTMのために借りていたのだ。


 紫苑がシャッターを上げると、そこには2台のKTM。

 「こっちは250 EXC。ちょっと古いけど、キレイなの見つけちゃって。今時2stは貴重だからね」

 「真壁先輩、KTM2台持ちなんて、贅沢ですね」

 「SUPER DUKEは学生の時に、レースクイーンのバイト代を貯めて買ったヤツ」

 「そんなことしてたんですか!?」

 「家には置けなくて。ガレージ代払って、私は実家に居座ってんだけど、フフ」

 「さすが……思ってた以上に、入れ込んでますね」


 「エンデューロか。林道も走るん?」佐伯が身を乗り出す。

 「詳しいんですね。たまにですけど」紫苑は佐伯の言葉が少し不思議だった。

 「小生!電気器具を使わないキャンプが趣味!コンパスと地図だけで登山も!」

 「えぇ~、ホントですかぁ」有栖も以外と感じた。

 「いやいやマジよ。電子機器なんて電池が切れれば終わりだし」そう言いながら、佐伯はポケットからコンパスを取り出す。

 「そういえば、いつも持ち歩いてましたよね」紫苑は佐伯の机の上で、同じコンパスを何度か見たのを思い出した。

 「そう、SILVAのNo.7。俺のお守り」

 「コンパスなら電池切れ無し。でも羊羹は俺の電池」高城が即座に割り込む。

 紫苑が吹き出す。「コンパスと羊羹。確かにサバイバルツールですね」

 笑い声が広がり、会話はさらに弾む。



 「でも最近は、文明の利器を取り入れてみようかな、と思っとります!」

  「……と、申しますと?」紫苑が聞き返す。

 「バイクで林道走ってキャンプとか、銃で自分が食べるものを獲るとか。今までと違う自然との関わり方、みたいな」

 佐伯がさらりと口にした瞬間、全員が驚いた。

 「佐伯さんが狩猟!?」有栖はつい声に出す。

 「九条さんも興味あんの?」と矢を向けられ、有栖は一瞬たじろぐ。

 「……その、道具の方に。銃が好きなんです」

 一拍置いて、空気が止まる。

 「えっ!?」佐伯は驚く。

 「えっ?」高城も驚く。

 「あー、やっぱり……」風見は納得。

 「アハハハハー、言っちゃた―」紫苑は手を叩いて喜ぶ。


 「……M700とM3 Super90、あとM1911系が特に」

 『M700、アメリカRemington社製の伝統的なボルトアクションライフル』

 『M3 Super90 、イタリアBenelli社製ショットガン。自動と手動の切替が特徴』

 『M1911、原点はアメリカColt社製自動拳銃。アメリカ軍では100年以上現役』

  「へぇ~、具体的だねぇ」佐伯はちょっと関心している。

 「いいじゃないか。A課は銃と弾も扱うし」高城はいたって冷静だ。

 「そうだな。次は九条ちゃんに担当してもらうか」風見は課長権限を発動している。

 「あ、ありがとうございます……」有栖は皆の反応が素直に嬉しかった。

 「有栖のガンマニアっぷりはかなりガチ。必ずA課の戦力になりますよ」紫苑の一言も、確実に有栖の背中を押していた。

 

 「そういえば、風見さんは、なに使ってるんです?」佐伯は今度は風見にエイミング。

 「え!風見さん、もしかして?」有栖がすかさず食い付く。

 「風見さん、狩猟と射撃やってる~」

 「え!何使てるんですか!」有栖の声に力が入る。

 「Remington M700……」

 「あとは!?」

 「Benelli M3……」

 「ほかには!?」

 「Coltの……」

 「マジですかっ!」

 「……は、嘘でミロク6000。ちょっと古い上下二連の」

 「うわ~、見たいっ見たいっ見たい!風見さん見せてください!」有栖はとてもアグレッシブだ。

 『有栖、落ち着いて』イヴは母親が子供をなだめるように諭す。

 「九条、落ち着いて」紫苑は半笑いで言う。


 (いつも飄々とやり過ごす、あの風見さんが押されている……)高城は目の前の出来事に動揺した。

 だが次の瞬間、高城は現実を受け入れる。(とんでもないヤツが来た。彼女はホンモノだっ)

 フルオート連射の有栖を見て、高城がなんとか話題を変えようとした。

 「ま、真壁さんの、す、SUPER DUKE、1390?1290?」

 急に振られたが、紫苑も察したようだ「せ、せんさんびゃくきゅうじゅう」

 「……2輪は疎いけど4輪は少し。若い頃、レースをやっていて。X-BOWに憧れた」

 「X-BOW!これまた……」

 「ん?今度は何ですか?」

 有栖の射線を逸らすのに、何とか成功したようだ。

 


 紫苑がふと有栖に問いかけた。

 「そういえば今日はレイカーズのWeaponね」

 「はい!」

 「真壁先輩のは?」

 「もちろん。今も大事にしてるよ」

 まだ、互いを知らない頃。発売日の行列で紫苑の前に並んでいたのは、有栖だった。

 時が経ち大学ですれ違ったその時、互いの足元を見て驚いたあの日。

 ……「あれ?もしかして、あの時のポニテちゃん?」

 ……「え?あの時のお姉さん?」


 「懐かしいですね、もう4年前ですよ」2人の笑顔が重なる。

 『有栖、先程も幸福度上昇が検知されましたが、今度は波形が違います』

 「え?そうなの?」有栖は不思議そうだ。

 「んー、好きなものでも、銃とスニーカーでは違うのか」紫苑はうっかり「()」と言ってしまった。

 「あー、ダメですよ!高城さんがせっかく射線を逸らしたのに!」佐伯のツッコミ。

 「あ、やべっ、てへぺろっ」紫苑のオチが決まり、皆の笑い声が大きくなる。

 


 カフェの窓際。午後の柔らかな光が、グラスの氷を解かし、カトラリーと音を奏でる。

 有栖は、胸の奥に芽生えた感情を、整理していた。

 (入社からあっという間。A 課の仕事ぶりとイヴに驚いたけど、一生懸命追いかけた)

 (あの不正アクセス事件。不謹慎かもだけど、あれで自分もA課メンバー、特攻野郎Aチームの一員になれた気がする)

 有栖は、A課メンバーと一緒に立っている喜びを、これまでになく実感していた。

 


 「なあ、九条さん」佐伯が真剣な目を向けてきた。

 「狩猟ってさ、命の駆け引きじゃん。人は生きていくのに、動物の命を頂く必要がある訳で」佐伯は続ける。

 「普段はそんなこと考えずに、食べちゃってんだけど」

 「……人の業、でしたっけ」

 「ま、正当な利用を付けたいだけかもね」佐伯は照れ隠しのように笑った。

 その横顔に、彼の見た目の柔らかさと裏腹な、強い芯を有栖は感じ取る。


 「九条さんは、なんで銃を?」

 「正直よく解らないんです。小学生の頃から急になんですけど」

 「なんか、目覚めちゃったのか」

 「戦いたいとかは無いです。ただ、火薬の化学反応を、金属と金属が嚙み合って、物理エネルギーに変える。そのきっかけを判断するのが人。っていうのが」

 「ふ~ん、なんか哲学っぽいね」

 「でも、両親には心配されました。小学生の娘が急に銃が好きだと言い出せば、驚くのは今では理解出来ます」


 高城は羊羹の包みを指で弾きながら、ふと思い出したように話す。

 「営業は戦い。戦うための武器が知識や資料で、甘味はその弾薬」

 「頭に糖分は必要ですしね」紫苑が頷く。

 「そう」

 「糖分、頭だけに働いてくると嬉しいんですけど」紫苑が嘆いた。


 風見が飄々と笑いながら、口を挟む。

 「羊羹じゃ、敵は倒せないな、柔らかいし」

 「装備の方ですか。ソフトアーマーとか」高城も笑い返す。

 「風見さんと高城さんの話も、そっちになりますね」紫苑も笑う。


 [A課の相関図更新。これまでにない会話パターン。人と人の関係はとても複雑]

 イヴは人と人の関係に何かを感じ始めていた。



 夕暮れの空を仰ぐ紫苑。幹線道路から少し入った、住宅街を抜ける影。

 (交通情報用ドローン?車が少ない住宅街で?)胸に一瞬だけ、不穏なものが過ぎる。

 「……いや、誰かを見てる?」

 「真壁先輩?」有栖の声に、紫苑は笑顔を作って首を振った。

 「あぁ、なんでもないよ」


 「さて、夜はヤキニクの予約がある」高城が声を張る。

 「イエーイ!ヤキニクゥ!」佐伯が拳を突き上げる。

 『幸福度、また先程と違う波形ですね』イヴのオープンモードの声も少しトーンが違う。


 笑い声がカフェを満たす。

だがその夜の“カレー事件”を、まだ誰も知らなかった。



●第6話 カレー事件


 俺は風見 隼人。H&C商事株式会社営業A課の課長だ。

 今日はA課の労いの日。休日に集まった本来の目的はこの飲み会だ。

 A課は主に政府関連を顧客とする特殊な課だ。

 そのため、課員にも相応の能力が求められるが、皆優秀だ。

 だが、信頼は知ることから。

 このAI時代でも、アナログな関係は大事だと思っている。

 

 座敷の個室は良い密度感だ。

 七輪に火がともり、皆のメニューを見る目は、仕様書を確認するかの如く真剣だ。


 『外部視聴モジュール、フルアクティブ。幸福度計測開始』

 (……M()a()g()I()/()O()のクソ高ぇセンサー群、使うのココかよ!)

 イヴのオープンモードの声に、皆、何かを警戒している様子だ。



 「例の一件ではよくやってくれた。今日はささやかな慰労……」

 「かんぱーい!」佐伯は笑顔で鋭く刺し込む。

 (俺の話、まだ途中なんだが……)

 佐伯 翔太。自称A課ぺーぺー。愛嬌と明るさで皆を引っ張るムードメーカー。

 だが仕事を共にすれば解る。()()()()()()()()()()()()事を。

 周囲をよく見、先回り、調整し、結果を引き出せるヤツだ。


 あえて言えば先回りの結果が、たまに()()()()()()、になることがタマニキズだ。

 

 高城が、メニューを前に唸る。

 「タレと塩……」

 (仕事の判断は早いが、皆の好みに配慮して?)

 高城 直哉。A課主任。元外務省職員の()()()()()()

 冷静な仕切りと交渉力は海外現地職員時代、叩き上げで身に着けてきたもの。若いのに経験の重みが違う。


 なのに、食い物に関しては()()()()。即決は羊羹を買う時だけだ。


 「高城さん、まずは塩、味の濃いタレは後」紫苑は理由も添えて、相手を黙らせる。

 「ハラミ塩4、タン塩4、あとキムチ2。ユッケとレバ刺しは貴重ね、2つずつ」

 「九条は弱いんだから水も一緒に。交互にね」

 (()()()()()()の紫苑ちゃんは、ただのブレーキでは無い。止まるけど止めない。そうABS)

 真壁 紫苑。課長補佐。契約と法令に関しては法務部にも負けない。

 それどころか、AIチェックのハルシネーションすら見抜く。

 A課だけではない。営業部全体が彼女に助けられている。


 懸念なのは、グラビアアイドルばりの、そのルックス。

 過去、紫苑ちゃんの配慮と気遣いを()()()し、勝手に撃沈する輩を何人も見てきた。

 彼女が通った後には、突っ伏してむせび泣くヤツが必ず居る。


 『乾杯後の幸福度、平均値+18%。特に九条』

 「私ですか?」

 『はい。心拍と表情筋の微細運動から推定』

 (……まぁ、今日は良いか)



 テーブルに肉が並ぶが、翔太は「待て」のポーズを取る。

 網がまだ温まっていないようだ。

 (肉焼く前に決めポーズ必要か?つーか座敷なんだから座れって)


 「ヤキニクは炭火だよねぇ~。遠赤外線で火の入り方が違うよ~」

 「ガスよりおいしいのは、そこに秘密が?」紫苑が疑問を口にする。

 「ガスは燃焼すると、水と二酸化炭素が発生するから~」佐伯の即答。

 (翔太は見た目によらず、アウトドアで科学してるな)


 有栖は、ゆっくりと、2杯目に手を出していた。

 「大丈夫?」ABS紫苑は有栖を気に掛ける。

 「……はひ」

 『血中アルコール濃度が上昇。キケンキケン』

 「イヴ~、静か~に~」

 (紫苑ちゃんが一緒じゃないと危ないなコリャ)


 「……風見しゃん」

 「ん?」

 「しゅきなものしゅきって言えで、よかっだでしゅ。」

 「好きなもの?」

 「はひ。ばっしゅと……てっぽう」

 「お、おぅ」

 「わだし、ロ……グア……のぎゃカッコいいど思うんでしゅ」

 「?……何がカッコいいって?」


 「九条さん、告白でもするんすか?」酔っぱらいの佐伯が紫苑に耳打ちした。

 「はい九条、離れて!水飲んで!」紫苑はABSを切った。

 有栖は水を一口、そして拳を握りしめ「ロングアクションのがカッコいいと思うんですよ!」

 と、力強く言い放った。

 

 室内が一瞬静止。笑いが波打つ。

 「ロングアクションかぁ~」紫苑が肩を震わせる。

 「え?何が長いの?」佐伯はなぜか真顔だ。

 高城は無言で頷き、トングで肉を捌いていた。

 『用語検索、若い女性が口にすることで……』

 「イヴ、ログ取りはやめとけ」

 思わず口が出た。イヴは小さく間を置く。

 『……そうね。記録は保留』

 (ん?そうね?)

 

 ……(ロングアクション()()、と言った。M700が好きだと力を込めていたが、そこまで拘るのか)

 九条 有栖。今年の新卒。紫苑ちゃんの後輩。繰り返しになるがA課は特殊な課だ。

 新卒がいきなり配属されるような課ではない。

 だが、合同庁舎の一件ではイヴのサポートの下、機械式スイッチのチューニングをやり切った。

 その鬼強メンタルに、そこはかとないポテンシャルを感じざるを得ない。


 だが、スーパー新卒故の心配ごと。客観的に九条ちゃんはかなり可愛い。

 タイプこそ違えど、紫苑ちゃんと張れるレベルの美形。ガンマニア。そして酒に弱い。

 取引先の野郎どもに色々と影響が出そうだが……

 第二の紫苑ちゃんにならない事を切に願う。



 テーブルの上が寂しくなる頃、個室の引き戸が、コンコンと小さく叩かれた。

 「失礼しまーす。今月のキャンペーンはカレ……」

 「いえ、別のを」紫苑と高城が、同時に小さく手を上げる。

 仕事でもこの反応速度はなかなか見れない。2人とも微妙に焦っている。

(よく覚えていてくれた。……が)

「いいっすね!カレ……」佐伯は笑顔で言い掛け、ハッとする。

 有栖は理解していない。「佐伯さん?グーですよ?カレー」

(九条ちゃんは知らない。それは仕方ない)


 『幸福度、平均値-12%。一名だけ急降下。』

 「えー?イヴー?」まだ酔っている有栖は無邪気だ。

 『匿名化処理中……』

 「……カレー味のものは食えん」制御が効かない、口が先に動いた。

 個室の空気がピシっと音を立てた。

 「……」


 紫苑が店員に笑顔を送る。「辛いの苦手で~。べ、別のオススメは何かしら~」

 紫苑の動揺を察知した店員は静かに消えた。


 「ゴメン!ヤキニクだから油断した」紫苑は有栖をフォロー。

 高城も佐伯も、無言だが顔にゴメンと書いてある。

 ……が、3人はお互いを視線で責め合っていた。

 堅いと思った大型案件を失注したときでも、こうはならない。


 「わだし……しゅみましぇん……」

 「謝ることはない。九条さんに非は無いし情報共有ミスだ」

 高城がわずかに息をつき、佐伯が頭を掻いた。

 「悪いのは自分!済みません!」

 (素直に頭を下げる、良いことだ。まだA課は強くなる!)

 『幸福度、平均値が回復。補足、仕事との関係性は……』

 (いいんだよ、イヴ)


 「風見さんは()()()()がダメなの」

 紫苑が有栖のグラスに水を足し視線を合わせる。

 「ね、気にしない」

 「……はい」


 (部下の成長を見守るのは俺の役目。知らないことは共有して次に活かす。だがしかし!カレーはダメだ)

 


 タレの肉が場を元に戻す。

 高城は紫苑のメニューチョイスに身を任せ、先回りの佐伯は皆の皿を伺う。

 紫苑はイイ感じの酔いをキープし、有栖はまだ呂律が回っていない。


 「風見しゃんのM700の弾は?」

 「.308 だが」

 「ロングアクションのがカッコいいと思うんですよ!」

 「…….308 ならショートアクションのが操作が速いぞ」

 「私、自衛隊のM24が好きで。7.62だけど、ロングアクションのとこが」

 「詳しいな。結局、弾薬変更せず更新されちゃったけどな」

 「7.62 でもロングアクションだと、マガジンからチェンバーの給弾角度が浅いので……」

 「ほほぅ」(本当に好きなようだ)

 「……大事なマッチグレード装弾にも余計な力が掛かりませんよ」

 「なるほど、一理あるか」


 佐伯、高城、紫苑は肉をつつきながら、2人の会話に聞き入る。

 「九条さんガチですね。正直オレ、よく解らない」

 「M24のあの点を語る女性は、そうはいないな」

 「でも、この作者が好きで書いてるだけだから、解らなくても大丈夫にするって」

 「あの紫苑さん?何言ってんの?」

 「え?」

 「え?」


 「ライフルの相談、来てたな」高城は思い出したように言う。

 「風見さんがそのうち、聞きに行くって」佐伯が答える。

 「ふぅ~ん」3人は何かを思ったようだ。


 「あと、エジェクションポートが大きいのが……」

 「排莢と装填に大事な点だな」

 「……迫力があってカッコいいです!」

 (ソコかよ!カッコいいは大事なんだな)

 『有栖、幸福度上昇。風見は驚嘆と感心、そして……』

 「イヴ、それぐらいで~」

 『……そうね。……了解しました』

 (そうね?誰かと?)


 「風見さん、ここに居られるのがすごく嬉しいです」

 「それはなによりだ」

 「最初はビビりました。仕事も皆さんもイヴも」

 「イヴも?」

 「はい。全部が速くて正解が用意されてるみたいで。でも今日は好きなものを好きと言ったら、皆さんが笑ってくれて」

 「笑いは承認だからな」

 「承認ですか」

 『承認は社会的報酬。幸福度上昇に寄与……』

 「イヴ」

 『そうね……観察継続』

 (まただ。誰と話して?)



 「九条さんのロングアクションは熱いな」佐伯が笑う。

 「でも嬉しいです……」

 (お互いを知りそして認め合う。部下の成長を実感す……)

 風見が久しく胸の高鳴りを感じたその時、その瞬間、二度目の事件が起きる。


 「〆のカレーリゾットでーす!」

 それは突然やってきた衝撃。

 その不意打ちになす術は無く、高城も佐伯も紫苑も、カレーリゾットから出る光に呑まれ消えた。

 有栖も学んだがもう間に合わない。3人を追うように光に消えた。

 『幸福度、平均値急降下。心拍数……』イヴの声も吸われ消える。


 そして、「なんでヤキニク屋でカレー味が出やがんだよぉぉぉぉぉっ!」

 

 風見の薄れていた感情が爆発する。

 だが、店員もプロだった。笑顔を崩さずカレーリゾットを後退させた刹那、冷麺のメニューで切り返す。


 「ウチの冷麺、評判なんでーす!」添えられるトークもプロ。

 いつの間にか光から帰ってきた紫苑が速攻で返す。「ミニ冷麺、人数分お願いします」

 佐伯、高城、有栖も光から帰り、ハッと我に返る。


 「真壁さんもスゲーが、あの店員もスゲー」佐伯は胸に手を当て息を整える。

 高城は何事もなかったように無言で肉を裏返す。

 有栖は両手で口を押えたまま、安堵で半ベソになっていた。


 「あの、風見さん……」

 「すまん。取り乱した。ゆるせ」

 『幸福度、平均値回復。経過を……』

 「イヴ」

 『……そうね。観察継続』

 (やはり誰かと話して回答している。誰とだ?)


 評判の冷麺が並び、場は再び笑いに包まれた。

 この瞬間を逃すまいと紫苑が立ち上がる。

 「はい、今日の教訓。情報共有は忘れずに。……で、一番苦労してるのは私、と」

 笑いと拍手。パチパチと七輪の炭も追いかける。


 「ま、困難は個とチームを強くするのに必要な過程だな。そうだろイヴ」

 『……そうね、同意します』



 店を出ると、夜の熱は店内よりもやわらかい。

 幹線通りから一本入った住宅街。街灯が一定のリズムで足元を照らす。

 紫苑が、ふと足を止め、空を仰いだ。

 「……ん?」

 「どうかしたかー?」佐伯が振り返る。

 「いや、……アレ」紫苑が指さした先、二階建ての屋根を黒い影が横切っていく。

 丸く小さい。少し遅い。

 (交通情報用ドローンはこの時間に住宅街は飛ばないし、風はあるけど揺れないし)

 「真壁先輩?」

 「……なんでもない。行こ」紫苑は笑顔を作り、歩き出した。

 有栖は少し遅れて彼女の隣に追いつき、腕を軽く組む。

 高城は車道側を歩き、佐伯は後ろから全体を眺める。

 俺は最後尾から、通りの角と屋根のラインを確認した。

 (日常に紛れる何かの影。俺の勘はときどき当たる。願わくば外れてほしいのだが……)


 『歩行速度、安定。九条の幸福度、上昇。』

 「イヴ~」風見は軽くけん制。

 『……そうね。観察終了』


 俺は息を整えた。

 (さて、来週からまた取り調べと狂った予定のリカバリー。しばらく忙しそうだ)



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