10年目の決断
僕が決断をしたのは、1ヶ月前のことだった。
今年で28歳になる。大学を卒業して、小さな商社に就職した僕は、それなりに充実した日々を過ごしていた。高3のとき、同じクラスだった綾香と付き合い始めて、今年で10年になる。周りの男友達もちらほら結婚して、家庭を築いている。
今年で10年。ここしかない。決断だ。勇気を出して、この日にプロポーズをすることを決めた。
まずは指輪だ。ひとりで買いに行くのは、すごく勇気がいった。店員さんが綺麗な女性だったから、余計に緊張した。店の前を何度も行ったり来たりしていたら、声をかけられ、恐る恐る「プロポーズしたいんです」と話した。
店員さんと時間をかけて一緒に選んだ。給料3ヶ月分の指輪では満足できず、思い切って5ヶ月分のものを買った。
店員さんは終始「いいなー、いいなー」と言って、僕のことをお客さんだと忘れるくらい、結婚を羨ましがっていた。
次に、服に無頓着な僕は、プロポーズの日に着るために、思い切って高いタキシードを購入した。赤い蝶ネクタイにも挑戦してみた。これが似合っているのかは自分では分からなかったけれど、ついてくれていた店員さんが「似合ってますよ」と言ってくれたので、たぶん大丈夫だと思う。
その時点で、貯金はほとんどなくなった。
そして、一番大事な婚姻届を市役所に取りに行った。まだプロポーズを受けてもらえるかも分からないのに、まるで“捕らぬ狸の皮算用”だ。
彼女が名前を書いたら、すぐに提出できるところまで記入した。
毎日、プロポーズのセリフの練習をした。
そして今日。
駅のホームで、薔薇の花束を持って電車を待っている。
右ポケットには、折りたたんだ婚姻届を。右胸ポケットには、給料5ヶ月分の指輪を。
右半身に10キロくらいの重りをつけられているような気がする。緊張で汗びっしょり、息も上がっている。
彼女とは、向こうで待ち合わせしている。
本当は手ぶらで行くつもりだったけれど、来る途中で見つけた花屋にふと立ち寄って、真っ赤な薔薇の花束を衝動的に買ってしまった。
恥ずかしい……。
時間は18時過ぎ。
仕事帰りのサラリーマンたちが一秒でも早く家に帰ろうと急いでいる中、赤い蝶ネクタイをつけたタキシード姿の男が、汗だくで薔薇の花束を持って立っているのだから。
隣にいた大学生くらいの女の子たちも、こっちを見て何か言っている。
恥ずかしい。でも、なんだかすごく嬉しい。ワクワクが止まらない。緊張もすごい。
心臓がドクン、ドクンと鳴っていて、それが鼓膜に響いて破れそうなほどに感じる。
もしかして周りにも聞こえてるんじゃないかな……。
「きーーーっ」
汽笛とともに、電車がホームに入ってくる。僕は一歩前に出る。
これが、男の決断。今年で10年。
そして、今日――三年前に亡くなった綾香の命日。
甲高い女性の祝福の声とファンファーレを背に、
僕はホームに飛び込んだ。
飛び散った真っ赤な花吹雪が、2人を祝福してくれたようだった。