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第69話:秘密の工房、そしてギルド長の新たな試練

 ログハウスの朝、ヴァルドが腹を押さえる仕草は、もはや日常となっていた。いや、もはや彼の胃は、王都と繋がる植物ネットワークの高性能アンテナと化していた。レイが開通させた植物ネットワークが、王都からの魔力波動を直接彼の胃に伝えるようになってから、朝食はいつも「胃痛の序曲」で幕を開けるのだ。父の不調を横目に、レイは次なる「便利」の具体化に思考を巡らせる。じぃじとの連絡は取れるものの、父がいちいち庭の植物に鼻を擦り付けて情報を受信する姿は、どうにもシュールで効率が悪い。誰もが直感的に使える通信魔道具、そう、未来を拓く革新的デバイスが必要だとレイは考えた。

 そのための専用受信装置は不可欠で、集中して作業できる場所も必要だろう。となれば、あの遺跡しかない。彼の脳内には、既に未来の工房の姿が描かれていた。

 朝食を終えるやいなや、レイは行動を開始した。庭ではブモが悠然と草を食み、「ブモォ」と朗らかな声を上げている。ネクサは淡い水色の光を放ち、花壇に優雅な手つきで水をやっていた。

「レイ、一体何を企んでいる?」漆黒の翼をゆっくりと収めたバルドルが、レイの思案顔を鋭い金色の瞳で見下ろして問いかけた。大鷲特有の威厳ある声には、レイが何かとんでもない「便利」を生み出そうとしていることへの警戒がにじむ。

「うんとね、新しい魔法の道具を作りに行くんだ!父さんのためになる、すごいやつだよ!」レイは満面の笑みで答えた。

 バルドルはわずかに眉根を寄せた。レイの言う「すごいもの」が、ヴァルドの胃袋にとって「絶望の始まり」だと知っているからだ。

「やれやれ、また胃袋が犠牲になるのか。私も行くぞ。お前一人では何をしでかすか分からん。」バルドルはそう言い、ひと羽ばたきでレイの頭上、わずかに前方に位置取った。シャドウが足元の影からゆらりと姿を現す。漆黒のベルベットのような毛並みが朝日に微かに光っていた。ルーナは静かにレイの隣を歩き始めた。その雄々しい体躯からは確かな威厳が感じられる。ミルはレイの肩にちょこんと乗り、「ぴぃ!」と警戒するように忙しなく辺りを見回していた。

 レイは慣れた庭の隅へと向かう。そこには、以前彼が森で発見した古文書を基に描いた、不思議な円が地面にあった。レイがその中央に立つと、淡い光に包まれた。

 次の瞬間、レイと彼の従魔たち、バルドル、シャドウ、ミル、ルーナは光と共に姿を消し、森の奥深くにあるレイ専用の工房へと移動していた。


 万能魔鉱石の閃きと新たな魔道具の誕生

 工房で、レイは腰に下げた革製の小さな鞄から、魔力感知用の水晶や加工しやすい金属板など、魔道具作りの材料を取り出した。この通信装置には、使い手の魔力を活用し、それを効率的に貯蓄・放出できる万能魔鉱石が不可欠だ。セイリオスに隠された万能魔鉱石は手元にはない。しかし、レイの視線は工房の片隅に置かれた、昨日蔓植物たちがレイのために土中から掘り出し、献上したばかりの万能魔鉱石に引き寄せられた。

 レイは、その淡い灰色の万能魔鉱石を手に取った。見た目こそ平凡だが、レイの魔力に触れると、呼応するように微かに熱を帯びる。これこそ、求めていた動力源だ。

「さて、今日の作業を開始するか。」レイはそう呟くと、目を輝かせながら設計図を書き始めた。植物ネットワークから送られる魔力信号を受信し、光や音に変換する装置。魔力フィルターを組み込むことで、必要な情報だけを選別できるようにする。

 設計図を覗き込むミルが「ぴぃ?」と可愛らしい鳴き声を上げ、小さな首を傾げた。シャドウは設計図に伸びた影をなぞるようにゆらりと揺れ、傍らで見守るルーナは、「また並外れたものを作り出すつもりか」と内心でつぶやきながら、静かにレイの様子を観察している。バルドルは高い位置から工房全体を見渡し、鋭い眼差しでレイの手元をじっと見つめていた。何が生まれるのか、警戒しつつも、わずかな期待がその瞳に宿る。

 レイは研磨した水晶を受信部に組み込み、その回路に植物ネットワークからの魔力を流すための配線を刻んだ。そして、動力源として、新たに手に入れた万能魔鉱石を据える。それは既にレイの手によって、魔道具に組み込みやすい形に加工されていた。石はレイの魔力に呼応するように微かに脈動し、使い手の魔力を効率的に貯蓄・放出する機能を約束しているかのようだ。レイの無自覚な幸運は今日もとどまるところを知らない。

「これなら、王都のじぃじといつでもおしゃべりできるね!」レイは完成を前に、無邪気にそう口にした。

 夜が更ける頃、レイの手には手のひらサイズの小さな箱が完成していた。磨かれた水晶がはめ込まれ、小さな穴が開いている。その箱からは、かすかに青い光が漏れていた。

「よし、完成だ!名付けて、『植物ネットワーク簡易受信機』!」

 レイは庭に戻ると、植物ネットワークの中継地点である大きな樹木に向かい、簡易受信機を起動させた。受信機の水晶が光を放ち、レイが集中して魔力を通すと、光のパターンが規則性を持ち、情報が流れ込んできた。

 じぃじの胃の具合は相変わらずか。秘書官が父さんを呼び出してるな。これは、また胃薬の消費が増えるかもしれない。

 レイは、自分の作った魔道具が期待通りに機能したことに満足した。これなら父さんも、手紙を待つことなく必要な情報を得られるはずだ。きっと、父さんの胃痛も少しは和らぐだろう、とレイは素直に考えていた。


 ギルド長の新たな胃痛(胃が痛い)

 夕食時、レイは完成した簡易受信機を父の前にそっと置いた。手のひらに乗るほどの小さな箱は、磨かれた水晶が控えめに光を放っている。

「父さん、これ、王都のじぃじと話せる道具だよ!」レイは得意げに告げた。

 父は食卓に置かれたその「光る悪魔の箱」を、警戒の目を向けた。これまでの経験から、レイが何かを差し出すたび、ヴァルドの胃は妙な警鐘を鳴らすのだ。「レイ、今度は一体、何を言い出すのだ?その危険な輝きを放つ物体は?」父は眉間に八の字を刻んで尋ねた。

「さっきね、じぃじがまた胃が痛いって言ってたんだ!この道具でね、遠くにいるじぃじの声も、何してるかも分かるんだよ!」レイは興奮気味に説明した。

「あら、まあ!本当に?そんな遠い王都の声が、この小さな箱一つから聞こえるなんて、信じられないわ!」母は、夫の苦悩をよそに、目を輝かせ興味津々に箱を覗き込んだ。

「うん!父さん、この水晶に触ってみて?じぃじが何してるか分かるよ!」レイは無邪気な笑顔で父の手をとり、半ば強引に水晶に触れさせた。「それにね、この道具の動力源は、僕が見つけた万能魔鉱石なんだ。」

 父は顔をしかめながらも、レイの笑顔という名の圧力に屈し、おずおずと水晶に指を置いた。ヴァルドの魔力とレイの魔道具が繋がり、植物ネットワークから微細な波動が彼の胃袋に直撃する。その瞬間、ヴァルドの表情は硬直を通り越し、まるで時が止まったかのように固まった。目は大きく見開かれ、口は半開きで、胃のあたりをギュッと押さえる手が小刻みに震えている。それは驚愕、困惑、そして彼の未来に訪れるであろう胃酸の嵐に対する、純粋な絶望に他ならなかった。

「……ぐぅっ……な、なんだとぉぉぉっ!?王都の父上が、今この時も執務室で七転八倒、血を吐きながら腹を抱え、秘書官に『ギルド長ヴァルド、至急来い!来なければ胃薬を送りつけんぞ!』と叫んでいるだと……!?まさか、この小箱が、遠く離れた王都の胃の裏側まで手に取るように伝えるとは……私の胃が、すでに終焉の鐘を鳴らし始めている……!」

 父の言葉は、もはや興奮というよりは、あまりにも常識外れの事態への魂の叫びであり、これから押し寄せるであろう胃痛の無限地獄を悟った男の断末魔であった。隣にいた母は、最初は呆然としていたものの、やがて噴き出すのを我慢できないといった様子で、くすりと笑みをこぼした。「まあ、レイったら、またお父さんをとんでもない喜劇に巻き込んだわね。でも、本当に不思議な力だこと!」その顔には、呆れと同時に、抗いがたい感嘆、そして夫のリアクションを楽しむ悪戯っぽい光が浮かんでいた。

 レイは、自分の作ったものが父の役に立つと信じて疑わない澄んだ瞳で父を見上げた。「この機械、すごいんだよ!植物さんが教えてくれたんだ!これで、じぃじのこと何でもわかるし、父さんの困りごとも、早く解決するようになるんだよ!」

「なるほど……レイの道具が、私を地獄の底まで助けてくれるというわけか……ハハハ……感謝するぞ、レイ。」父は大きく息を吐き、どこか力なく頷いた。その顔には、喜びよりも、得体のしれない新たな重責と、胃薬の無限ループに囚われた男の深い諦念が刻まれていた。ヴァルドにとって、胃薬はもはや水と同じくらい生活必需品となるだろう。いや、水よりも優先順位が高いかもしれない。

 その夜、ログハウスの庭の植物たちは、これまでとは違う規則的な光を放っていた。王都へと伸びる見えない糸が、静かに、しかし確実に紡がれていく。レイの無自覚チートによって生まれた「父さんのための秘密通信基地」は、着々とその機能を拡張していた。ヴァルドの胃が休まる日は、果たして来るのだろうか。誰もが、その問いの答えを知っていた。決して来ない、と。

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