第31話:万能調味料の広がり
アビスベリーから生まれた奇跡のしずくは、レイの家族の食卓に革命をもたらした。特にヴァルドの驚きと喜びは大きく、食卓に並ぶ料理への期待は日増しに高まっていた。彼の目は、まるで食卓の番犬のように、毎日キラキラと輝いている。レイ自身も、自分の知識がこの世界でこれほど喜ばれることに、大きな充実感を覚えていた。このままいけば、僕は間違いなく「料理の神様」と呼ばれるだろう!と、レイは密かに野望を抱いていた。
翌日以降も、ミリアはレイが作り出した調味料を様々な料理に活用し始めた。その手つきは、まるで貴重な秘薬を扱うかのようだ。
朝食のスープに数滴たらすと、ただの野菜スープが信じられないほど深いコクを持つものに変わった。ミリアは一口飲むと、その場でフリーズしてしまった。
「あら、レイ。これ、本当にすごいわね。たったこれだけで、こんなに味が変わるなんて!まるで、魔法の呪文を唱えたみたいだわ!このスープ、もう普通のスープには戻れないわ!」
ミリアは目を丸くして、その味に感嘆した。彼女のスープは、一瞬にして高級レストランの味へと変貌を遂げたのだ。
昼食には、焼いた魚にほんの少しこの調味料を塗ってみた。すると、魚の生臭みが嘘のように消え去り、香ばしさが際立ち、まるで別の料理のようだった。魚の切り身が、まるで高級なステーキにでもなったかのようだ。
「魚がこんなに美味しくなるなんて、初めてだわ!これなら毎日魚でも飽きないわね!レイ、あなた天才よ!魚嫌いのヴァルドも、これならきっとペロリと食べるわ!」
ミリアは、今まで生臭さが気になっていた魚料理が、レイの調味料のおかげで劇的に変わったことに感動していた。これで食卓のレパートリーが無限に広がる、と彼女は確信した。
そして、その日の夕食。ミリアは、レイが作った調味料をメインに据えた新しい料理に挑戦した。それは、鶏肉を小さく切って焼いたものだった。
「レイ、この調味料を使って、他に何か作れそうなものはないかしら?昨日作った照り焼きも素晴らしかったけれど、もっと色々な可能性を探ってみたいわ。あなたの才能は無限大だもの!」
ミリアが尋ねると、レイは少し考えてから言った。
「そうだ!母さん、この調味料と、もっと別の組み合わせで、本格的な炒め物なんてどうかな?例えば、野菜と肉を一緒に油で高温で手早く炒める料理!」
ミリアは興味深そうに頷いた。この世界では、食材を煮込むか焼くかが主流で、特定の食材を単体で炒めることはあっても、様々な具材を高温で一気に炒め合わせる本格的な「炒め物」という調理法はあまり一般的ではなかった。レイの提案は、彼女にとって新鮮な驚きだった。まるで、空を飛ぶ鳥を初めて見たかのような驚きだ。
早速、ミリアは、家の畑で採れた新鮮な野菜と、森で手に入れた肉を細かく切り、大きな鍋で炒め始めた。熱せられた鍋に油をひき、ジュウッと音を立てて肉と野菜が炒められる。そして、そこにレイの調味料を少量加えると、一瞬にして香ばしい香りが立ち上った。その香りは、食卓にいる全員の胃袋を直撃し、無慈悲に空腹を刺激する。
「これは……!この香りだけで、もう食欲が湧いてくるわ!もうお腹がグーグー鳴ってる音が聞こえるわ!」
ミリアは目を輝かせた。その表情は、まるで宝箱を発見した冒険者のようだ。
出来上がった炒め物は、香り高く、肉と野菜の旨味が調味料によって最大限に引き出されていた。レイは、この炒め物を「野菜炒め」と名付け、ミリアに勧めた。
「母さん、すごいよ!これ、すごく美味しい野菜炒めになったね!これならご飯が何杯でもいけるよ!」
ミリアも一口食べると、その奥深い味に感動を新たにした。これまでのシンプルな味付けでは味わえなかった、複雑で豊かな風味。塩だけでは出せない、この調味料ならではの「旨味」が、料理全体を格上げしていた。ミリアの口から、もはや理性的な言葉は出ず、ただ「んん~!」と唸り声だけが漏れた。
家族の笑顔を見つめながら、レイは次なる「美味しい」の探求に胸を躍らせていた。彼の頭の中では、すでに世界中の料理がグルグルと回っていた。
▪️夫婦の秘密会議
子供たちが寝静まった頃、ヴァルドはリビングで編み物を片付けているミリアに、まるでスパイのようにそっと話しかけた。
「ミリア、今日の夕食も驚いたな。レイが作ったというあの調味料…あれは本当に特別なものだ。もう普通の食事には戻れそうにないぞ……」
ミリアは編み棒を置き、ヴァルドに微笑みかけた。その目は、共犯者を見るかのように輝いていた。
「ええ、本当にそうね。ただの塩とは違う、奥深い味。どんな料理も美味しくなるわ。これがあれば、私も料理の腕が上がったと、みんなに思われるかしら?」
「しかも、あのアビスベリーから作れるというのだからな。まさか、あの毒の実からこんな宝が生まれるとは、誰も思いもしないだろう。我々は歴史の目撃者だな!」
ヴァルドは感嘆の息を吐いた。その顔は、まるでとんでもない秘密を共有する二人の共謀者のようだった。
「もし、このことがお父様に知られたら、大騒ぎになるでしょうね。きっと、あの手この手でレイからレシピを聞き出そうとするわ。想像しただけで恐ろしい……」
ミリアは少し苦笑いしながら言った。彼女の父は、この国でも指折りの大商会の会頭だ。新しい商品や、独占できるような価値のあるものには目がなかった。この「奇跡のしずく」が持つ無限の可能性を考えれば、確かにただでは済まないだろう。場合によっては、庭に商会の大軍が押し寄せるかもしれない。
「ああ、想像に難くないな。だが、それだけではない。レイのあの発想力…畑の作物もそうだったが、誰も見向きもしないものから、これほどの価値を見出すとは。一体、どこでそんな知識を学んでいるのだろうか。もしかしたら、どこかの隠された魔導師ギルドで秘密の修行でも積んでいるのか……?」
ヴァルドは静かに首を傾げた。その問いに、ミリアは優しい眼差しで首を振った。
「私にもわからないわ。でも、レイはいつも、何か特別なものを持っているように感じる。この世界の誰も知らないことを見つけ出して、私たちに喜びをもたらしてくれる。それが、レイという子なのね。きっと、前世は料理の神様だったのかもしれないわね!」
ミリアの言葉に、ヴァルドも静かに頷いた。彼らはレイの持つ不思議な才能を、無理に詮索しようとはしなかった。ただ、その才能が家族にもたらす恵みに感謝し、温かく見守ることに決めていた。詮索すると、面倒なことになりそうな気がしたからだ。
「そうだな。とにかく、この調味料は、私たち家族だけの秘密にしておこう。外には決して漏らしてはならない。もし漏れたら、この家はパニックになるぞ……!」
ヴァルドはミリアの手をそっと握った。二人の間には、言葉以上の理解と、息子への深い愛情、そして「美味しいもののためならどんな秘密も守り抜く」という固い決意が流れていた。レイがもたらす「美味しい」革命は、家族の絆をさらに強くしていくのだった。そして、彼らの秘密の舌と胃袋は、もう元の世界には戻れないことを悟っていた。




