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第30話:毒を転じる奇跡のしずく

 畑で収穫した日本の作物にとびきりの味を見つけたレイの心は、次なる「美味しい」への探求で満たされていた。夕食の食卓に並ぶ料理は最高だった。毎日がグルメフェスティバルのようだった。けれど、レイがかつていた世界で当たり前のように存在した、醤油や味噌、マヨネーズといった調味料は、この世界にはない。その事実が、彼の心に新たな「食の革命」という名の炎を灯した。

 食後、レイはリビングルームのソファに座り、優雅に編み物をするミリアの元へ、まるで獲物を見つけた子犬のように勢いよく駆け寄った。

「母さん、ちょっとお願いがあるんだけど!」

「あら、レイ。どうしたの?また何かやらかした?」

 ミリアは、手に持っていた編み棒をそっと置き、優しく問いかける。その目は、少しだけ警戒の色を帯びていた。

「あのね、もっと料理を美味しくする魔法の材料が作れると思うんだ!僕が育てた作物みたいに、この世界にはない味をね!これがあれば、母さんの料理がさらにレベルアップするよ!」

 レイは期待に目を輝かせながら訴えた。その真っ直ぐな瞳に、ミリアは目を細めて微笑む。いつものことながら、レイがただの空想で言っているのではないことを、彼女は感覚的に察していた。というか、レイの「やらかし」はいつもスケールが大きかった。

「魔法の材料、ですって?ふふ、レイの言うことはいつも面白いわね。でも、そんなものが本当に作れるのかしら?失敗したら庭が爆発したりしないでしょうね?」

「うん!僕、前に見た図書室の変なレシピを思い出したんだ!それはね、ちょっと危ない材料を使うんだけど、きっとすごいことになるんだよ!」

 レイは、自分の持つ不思議な知識の出所をぼかすように、もっともらしい理由を並べた。そしてなぜか、意味深な笑顔を浮かべた。ミリアは首を少し傾げながらも、レイの言葉に耳を傾けてくれた。「危ない材料」という言葉に、一抹の不安を覚えるが、レイの好奇心には逆らえないことを知っていた。

「そう……それなら、試してみましょうか。どんな材料が必要なの?」

 レイは懐から、小指の爪ほどの小さな黒い実を取り出した。それは先日、森を散策していた時に見つけたものだった。他の魔獣が寄り付かず、地面に落ちたままになっているのを見て、不思議に思いいくつか拾ってきたのだ。この世界で「毒の実」として知られるアビスベリーという植物の実だと、レイは図鑑で調べて知っていた。その名を聞いただけで、誰もが顔をしかめる代物だ。まさに「危険」の二文字が具現化したような実である。

「これなんだけど、母さん!」

 レイが差し出した実を見たミリアは、一瞬にして顔をこわばらせた。その表情は、まるで目の前でゴキブリがワルツでも踊り始めたかのようだ。その様子をソファの背もたれに止まっていたセイリオスが見て、丸い瞳をわずかに細めた。彼の目は、レイがまた何か常識外れのことを企んでいることを確信していた。

「ほう?レイや、次に目をつけたのはその『アビスベリー』かえ。まさか、あの見た目の悪さまで含めて、研究対象にするとはのう……」

 セイリオスの低い声が響く。彼はいつの間にか、レイたちのすぐ近くにいた。まるで影のように音もなく現れるのが彼の特技だ。

「セイリオスも知ってるの?」

 レイは少し驚いて尋ねた。まさかこの梟が、こんな毒の実のことまで知っているとは。

 セイリオスは静かに目を閉じ、古くから伝わる知識を、まるでどこかの大賢者が語るように話し始めた。

「……その実は、たった一粒丸ごと食べれば、口と喉を激しく刺激するのじゃ。例えるなら、灼熱のマグマを直接飲んだかのようにな。大量に摂取すれば命にも関わるほどだ。この地で飼い慣らされた魔獣たちも、決して口にせぬほどの猛毒じゃよ。あの凶暴なケルベロスでさえ、これだけは避けて通るとか……」

 セイリオスの言葉に、ミリアが顔を真っ青にして口を挟んだ。

「ええ、本当に危険よ、レイ!あれは子供の頃から親に『口に入れてはいけない実』だと、耳にタコができるほど、固く教えられてきたわ!あれを口にしたら、もう終わりよ!」

 彼女の声には、心からの懸念と、レイが今にも毒の実を口にしそうな恐怖が滲んでいた。

 レイは二人の言葉に頷きながらも、確かな自信に満ちた笑みを浮かべた。その笑顔は、まるで「僕には秘策があるんだ!」と言っているかのようだ。

「大丈夫だよ、母さん、セイリオス!確かにそのままじゃ危ないけど、僕の神霊視で見たら、この実の中には、すごく濃い旨みと塩分が詰まっていることがわかったんだ!」

 彼はさらに続けた。

「だから、そのとんでもない濃さのせいで、『毒』だって勘違いされてるんだと思う!このアビスベリーは一粒から絞り出せるエキスで、この水差し一杯の水を、旨味が詰まった調味料に変えられるんだ!まるで、錬金術みたいでしょ?」

 レイはそう言うと、傍らに置いていた二リットルほどの透明な水差しを手に取り、それをミリアに見せた。水差しの中の水は、透き通っていて何の変哲もない。ミリアは半信半疑ながらも、レイの言葉の続きを待った。彼女の頭の中では、「毒の実が調味料?そんなバカな……」という疑問符が乱舞していた。

「でも、僕が考えている調味料もそうだけど、一気に大量に飲んだら体に良くないのは同じだよ。どんなに美味しいものでも、食べ過ぎは禁物ってことだね!」

 ミリアは目を丸くし、セイリオスは首をわずかに傾げ、レイの説明に耳を傾けていた。その賢い梟が不思議そうに首を傾げる仕草は、どこかおかしい。まるで「なるほど、つまりバカは死ぬというわけか」とでも言っているかのようだ。

「……なるほどな。常識とは異なる視点、興味深い。じゃが、その特異な発想は、一体どこで得たものなのじゃ……?やはりレイや、お主はどこかの禁書庫から脱走してきた天才魔導士か……?」

 セイリオスは鋭い視線をレイに向けたが、レイはにっこり笑ってごまかした。

「ふふん、それは秘密!さ、早速作ってみようよ!きっと驚くから!」

 レイはそう言い、早速、料理場へと向かった。手にしているアビスベリーをそのまま一粒、二リットルほどの水を入れた鍋で沸騰させるという、彼独自の製法をミリアに説明しながら試した。発酵も熟成も一切不要。ただ混ぜるだけで、数分も経たないうちに、透明な水はまさしく深い色合いの調味料へと変化した。この世界では奇跡のような、手軽で万能な代物だった。

 鍋から立ち上る湯気と共に、これまで嗅いだことのない、しかしどこか食欲をそそる香りが漂う。ミリアは恐る恐る鍋の中を覗き込み、その液体が本当に「旨味」を帯びていることに驚きを隠せない。その目は、まさに「信じられない……でも、いい匂い……」という葛藤を表現していた。

「レイ……これ、本当に……!毒じゃないのよね!?もし味が変だったら、すぐ吐き出すわよ!?」

 ミリアの声には、感動と期待、そして最後の抵抗が入り混じっていた。レイは満足げに頷くと、小さなスプーンにその調味料を少し取り、用意しておいた茹で野菜の切れ端に垂らしてミリアに差し出した。

「味見してみて!僕の言う通り、すごく美味しいから!約束するよ!」

 ミリアは半信半疑ながらもスプーンを受け取ると、野菜の切れ端についた調味料をゆっくりと口に運んだ。さらりとした液体が舌に触れた瞬間、彼女の顔に驚きと喜びがドミノ倒しのように広がった。目が見開かれ、口が半開きになり、そのまま固まってしまう。

「これは……!何て奥深い味なの……!塩辛いだけじゃない、複雑で、それでいて……どんな料理にも合いそうね!お肉料理にも、スープにも、それに他の調味料と組み合わせたら、また新しい味が生まれそう!これ、全部私のものにしていいかしら!?」

 ミリアは目を閉じ、その未知の味を全身で堪能した。隣にいたセイリオスも興味津々といった様子で、ミリアの表情をじっと見つめている。ミリアがその味に感動する姿を見て、セイリオスも小さく頷いた。彼の頭の中では、「人間の味覚反応と脳内ドーパミン放出の関係性」という新たな研究テーマが誕生していた。

「むう、これは……確かに、普通の調味料とは一線を画す。料理がもっと美味しくなるぞ!レイや、この調味料の製造工程を、詳細に、そして余すところなく記録するのじゃ!儂が全て監督するからな!」

 レイは嬉しそうに続ける。

「それにね、母さん!これなら、ただで手に入る森の恵みから作れるんだ!この深みのある味は、きっとみんなを驚かせるよ!これで僕、調味料王になれるかな!?」

 ミリアは改めてその調味料の瓶を見つめた。確かに、この「旨味」は、食卓に革命をもたらすに違いない。彼女の顔には、我が子の才能への誇りと、未来への期待、そして「これでお金持ちになれるかも!」という邪な輝きが混じり合っていた。

 家族の喜びの声に、レイは最高の笑顔を見せた。アビスベリーから生まれた奇跡のしずくは、その日の夕食に早速使われることになった。

 食卓には、いつものようにミリアの腕を振るったご馳走が並ぶ。ヴァルドは仕事を終えて帰宅すると、食卓の料理に目を輝かせた。今日のメインディッシュは、レイが作ったアビスベリーのエキスと、砂糖を加えて作られた、熱々に焼かれた鶏肉の照り焼きステーキだった。艶やかな褐色に輝くタレが鶏肉に絡みつき、食欲をそそる香りが食卓に満ちている。ヴァルドの胃袋が、すでに「グー」と鳴き声を上げているのが聞こえそうだ。

「おお、これはまた、珍しい香りがするな。ミリア、これは一体?」

 ヴァルドが尋ねると、レイが満面の笑みで、まるで手品師のように答えた。

「父さん!僕が新しく作った、とっておきの調味料と、母さんが僕のレシピを参考にしてくれたんだ!ぜひ、味見してみて!美味しい保証付きだよ!」

 ヴァルドは半信半疑ながらも一口食べると、その顔に驚きが広がった。普段は冷静な彼が、珍しく目を見開いている。口に入れた瞬間、ヴァルドの脳内で何かがスパークした。

「これは……!何と奥深い味だ!この甘みと、口いっぱいに広がる香ばしさ……肉の旨味と相まって、これまでの調味料では出せなかった深みが感じられる!まるで、料理に魔法がかかったようだ!いや、これはもう、芸術だ!この味のためなら、私はどんな危険も顧みないぞ!」

 ヴァルドは次々と料理を食べ進め、そのたびに唸り声を上げた。その日の夕食は、家族全員の舌を驚かせ、歓声が響き渡る、これまで以上に賑やかなものとなった。アビスベリーから生まれた奇跡のしずくは、ヴァルドの食卓に対する認識をも大きく変えたのだった。そして、彼もまた、レイの調味料開発に熱狂的な支持者となるのであった。

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