第四十二話 暦
「兄ちゃん、もう気は済んだのかい? 儂にも今の勝負の行方は見えたがな」
卜伝が若杉にそう声をかけた。
「実際に動いたわけではありませんが拙者にも見えました。私の目でも確かに動きは捉えられたはずですが、その上でも避けられる気がしませんでした。もし許されるなら再び修行の上もう一度お手合わせ頂きたい。最も塚原卜伝殿はもうこの世にはいらっしゃらないのだろうから、これは斎藤殿へのお願いでござる」
若杉雨丸は三人に深くお辞儀をすると、回れ右をして神社の表の方へと歩き出した。しかし数歩行ったところで立ち止まると振り返ってこう言った。
「そう言えば反魂の法は死んだ本人にかけた場合どうなるんですかね? 思い入れの強い物が必要だとの事ですが、肉体が自分のものであるならそれも必要ないでしょう。斬った後、出血も止まるように布を巻いてありますから……」
雨丸は言い終わると直ぐにまた振り返って向こうの方へと去って行った。
「その手があったか!!」
累は叫んだ。
日が暮れたところで、神社の裏境内にある小屋の扉はあけ放たれ、開口部越しに満月が見えている。床には十三郎の遺体が横たわり、それを囲むようにして塚原卜伝、斎藤丈一郎、中沢累の三人に加えて、佐吉も座っていた。佐吉は法具の入った箱の中から 独鈷杵を取り出して、十三郎の亡骸の胸の上に置いた。その後薄暗い中、書面に書かれた祝詞を読み上げる。
「慣れたもんだな。儂もこうやって呼び出されたんだな」
卜伝は興味深そうにその様子を見守る。佐吉が祝詞を読み終わったところで、満月の光を受けて 独鈷杵から緩やかな光が十三郎の体全体に広がった。そこから十三郎の体が動き出すまでには、さほどの時間は必要なかった。横たわった状態から目を開けると同時に上半身を起こした。胸の上に置かれていた独鈷杵は床に落ちる。十三郎は寝起きの様に首のあたりをさすっている。はっと何かに気が付いたように、まわりを見るよりも先に、日中に若杉に斬られたあたりを確認する。着物をはだけて巻かれた布を緩めて己の体を確かめた。斬られた後はきれいになくなっていた。それからやっとあたりを見回して、累以外は見覚えのない三人の存在を認識した。
「なんだ、累、俺は死んでなかったのか?」
そう言ってから扉の向こうに見える満月と、先ほど床に転がり落ちた独鈷杵の存在に気が付いた。
「まさか累、お前反魂の法を使ったのか?」
そこまで言って今度は丈一郎の方を見る。
「お前丈一郎だよな? なんかむさくるしい感じになったな?」
確かに修行から帰った丈一郎は薄汚れていて、顔には無精ひげもはやしていた。
「十三にぃ程じゃないだろう?」
そう言って丈一郎は満面の笑みを浮かべた。
「ん? お前がここに居るって事は、もしかしてそちらの方がっ……塚原卜伝殿!!」
「おーおー、やっぱり儂は結構有名なんじゃな?! いや、この姿でそれが分かるって事は関係者という事じゃな……」
「何をおしゃってるんですか! 卜伝殿は芝居や本などにもなっていて侍以外でも誰もが存じておりますぞ。お会いできて光栄です。しかしながら聞いた話では今宵でまたあの世に戻られてしまうとか……」
「うむ。そう言う事の様だ。折角この体にも慣れて来て調子が良くなってきたんだがのう……しかし今宵と言ってもいつまで儂はここに居られるんだろうか? 夜が明けるまでなのか?」
そう言って卜伝は佐吉の方を見た。
「どうなんでしょうか? 月が同じところに来るまでというなら、月があがった段階でそうだとも思うんですがまだ大丈夫なようですね」
「ん? 累、お前も二月だと言ってたな? てことは俺も二月ったら死んじまうって事か?」
「私もまた聞きなので詳しくは……佐吉、そこはどうなんだ?」
「いや、おいらも読み書きはそんなに得意な方じゃなくて音に出して読むのがやっとなんですが、治五郎って賢い野郎が知り合いにいるんで読んでもらったんでさ」
「その紙とやらを俺にも見せちゃあくれねーか?」
そう言って十三郎は佐吉が先ほど祝詞を読むために持っていた紙を受け取ると、その内容を読み始めた。
「確かにこりゃ難解だな。この『月がもう二度同じところに来るまで』ってところで二月とも思えるが、その前に書かれた依り代の体が死に体になるか、そうでなくとも最長で……って、ところの文脈から読み解くとそうじゃないような気もするな」
十三郎の発言を受けて、丈一郎も紙を受け取るとその内容をじっと読む。
「どういうことだ? 死に体にならなければって前置きで二月は短すぎるだろう。暦を学んでいない者には分からないだろうが、月が本当に元の位置まで戻って来るには結構な時間がかかるのだ。エゲレス言葉で『めとにっくさいくる』ってやつだ」
「主はなぜエゲレスの暦を知っているのだ? まぁよい。それでそれはどれくらいなのだ」
累は丈一郎に聞く。
「『めとにっくさいくる』は確か19年間だな。それが二回りなら38年間だ」
「それならほぼ普通に寿命を全うできてしまうではないか!?」
「まぁそうなるな」
そこにいた全員が塚原卜伝の方を見る。
「いや、儂の方を見ても分からんよ。明日の朝も生きておったらそうなのかもしれないが……はっはっはっ、こいつはとんだ命拾いをしたかも知れんなぁ……ああ、もうすでに死んでおったか」
塚原卜伝はそう言って大笑いをした。しかし累はと言えば難しい顔をしている。
「どうされました累殿、何か気がかりな事でも?」
「うむ、先ほどあの若杉雨丸という男には嘘を教えてしまった。これは彼の人生に大きな影響を与える情報であるのに気の毒な事をしてしまった」
「そこは気にしなくていいんじゃないか? 彼とてこの紙を自身で読んで解釈したのだろうから。それで諦めてくれるって言うなら願ったりかなったりだろう」
丈一郎は言った。
「しかし、嘘はいかんだろう嘘は……誰だ最初に二月などと言ったのは」
そう言って累は佐吉の方を見た。
「いや、だからおいらは読み書きはそんなに得意じゃないって言ったでしょう? 治五郎ってやつに読んでもらったんですよ。 大体なんですかそのエゲレスの何とかってやつは……水野十郎……ではなく丈一郎さんでしたか、なんであなたはそんなものをご存知なのですか?」
佐吉は早口で言い訳をし、そうして話の方向をずらした。
「いや、まぁそれは少々多方面の勉学を納めているというだけの事だ」
丈一郎の意外な一面が見えて、こいつはただの馬鹿ではなかったのかと、累は少し驚いていた。




