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第十七話 一之太刀(ひとつのたち)

 その日の天流剣術道場での稽古は午前中だけであった。門下生の居なくなった道場で累と丈一郎は木刀を構えて相対していた。累が道場主の斎藤伝次郎に昼食をご馳走になっていたところ、午前中だけで城勤めを終えた丈一郎が家に戻ってきた。何でも城内がごたついていて、しばらく登城しなくてよくなったらしい。いい機会なので道場で稽古をつけることになったのだ。


 斎藤と次男の新之助は壁際に座して二人を見守っている。先日の上野での騒動時と違って、丈一郎は上段ではなく中段に構えている。じりじりと足を動かし間合いを縮める丈一郎に対して、累の方は微動だにしない。先に動いたのは丈一郎の方だった。


「ちあぁ!」

 気合い一閃累へと斬りかかる。それは見事な打ち込みだった。気合いと一緒に前へ踏み込んで振りかぶるというよりは、突き刺すような軌道で剣先が累の額へと向かう。しかし木刀は空を刺しただけだった。累は摺り足で左に体を移動させると、そのまま前方へ進んで丈一郎とすれ違いざま振り返る。そうして軽く木刀を振って丈一郎の尻を叩いた。

『パーンッ!』

 肉を叩く音が道場にこだました。斎藤と新之助はまるで自分の尻を叩かれたかのように顔をしかめた。


 すぐに丈一郎も振り返って構えなおす。

「良い剣筋でしたが、まだまだですね」

 累はそう言った後

「ま、どうせ長男なので腕を上げてもらったところでどうにもならぬが……」

 と、丈一郎に聞こえない位に小さな声で呟いた。


「何奴!!」

 道場の端に座っていた斎藤が叫んだ。その声に丈一郎と累も開放された道場の障子の向こうにある庭を見た。


……そこには塚原卜伝が立っていた。


「父上!、あの方は私の知り合いの……そう、塚原……朴之新殿です」

 累は丈一郎の方を見る。正体を隠すにしても、もう少しましな偽名があるだろうにと思った。

「丁度裏口が開いていたので、黙って入ったのは申し訳なかった。お許し下され。しかし中々面白い試合でしたぞ」

 卜伝が言った。

「わざわざお越し下さり、今日は何用でしょうか?」

 丈一郎が卜伝に聞く。


「いや、何、先日は中途半端なものしかお見せできながったが、どうも体が馴染んで……調子が戻ったというか一之太刀が使えるようになったものでな。……旅発つ前にお見せしておこうかと思った次第だ」

 その卜伝の言葉には斎藤が反応した。

「一之太刀と言えば伝説の剣豪、塚原卜伝殿の秘剣では無いですか。塚原卜伝には子は居なかったと伝え聞いておりますが、姓が塚原という事はその血筋の方という事でしょうか?」

 斎藤はそう言った後丈一郎の方を見る。

「いや、父上、……朴之新殿はその、名前が似ているので塚原卜伝殿を尊敬しておりまして、その技を研究されているのです」

 丈一郎はあわててその場を取り繕った。

「おお、そうでしたか、つまり貴殿は卜伝の一之太刀がどのようなものであったか研究されたのですね。技の名前は有名ですが、具体的にどんな技であったのかは全くの記録がない。拙者も是非貴殿の研究成果を拝見したいものです」

 斎藤は卜伝に向かってそう言った。卜伝はゴホンと咳ばらいをして答える。

「そうですな。それでは道場と木刀を一本お借りできますかな。庭から道場に上がりますことをお許し下され」


 そう言って卜伝は草履を外廊下の前に置かれた、踏石の上で脱ぐと道場へと進んだ。新之助から木刀を受け取ると、累にも構えるように促した。斎藤と丈一郎、新之助が見守る中、道場の中央で中段に木刀を構えた卜伝と塁が向かい合う。

「小手調べは無しで打ち込むのでそつもりでおられよ」

 卜伝の言葉に累は

「委細承知いたしました」

 そう言って深く息を吸い込むとゆっくりと吐き出した。累の瞳が赤く染まる。そうして数秒間の沈黙の後、卜伝が口を開いた。


一之太刀ひとつのたち!!」

  そう言って卜伝は一歩進み出る。進み出ながら木刀を振りかぶって塁の頭上へと振り下げる。特に変わった動きではない。先日とは違い普通に中段の構えから振りかぶって面を打ってきただけだ。それはまるで素振りのようでもあった。塁の赤い目でその全ては見えていた。見えてはいたが相変わらず躱せる気はしなかった。もちろんその速さは恐ろしいものだった。多分累以外には捉えることもできてはいないだろう。しかしそれだけではない。卜伝のその自然な動作は動いた瞬間にその後どうなるのかが既に定まっている様な流れがあった。その流れから外には出られない。そんな感じだった。これがもし真剣の勝負であれば累は先日のイメージと同じく、頭から真っ二つに切り裂かれていたであろう。いや、木刀であってもかなりの衝撃が襲ってくることだろう。塁が覚悟を決めて身構えた瞬間。卜伝の木刀は彼女の額に僅かな距離をあけてピタリと止まった。


 すぐさま累は後ろへ下がり、床に座して卜伝に向かって頭を下げた。

「参りました!!」

 まわりで見ていた三人は言葉が出ない。

「しかしなんとも不思議な技ですね。普通に振りかぶって打ち込まれて来ただけの様に感じられたのに、一切避ける事が敵わなかった」

 累は頭を上げると卜伝に向かってそう話しかけた。


「拙者には全く動きが見えませんでした。何が起こったのかすら分かりません。なるほどこれが一之太刀だと言われるのであればそうかもしれませぬな」

 斎藤が興奮気味に話す。

「……父上には今の動きが見えなかったのですか?」

 丈一郎の言葉に、卜伝は彼の方へと振り返った。

「ほう、お主には見えたのか。赤い目の一族はともかくとして、大した才覚よ……」

 卜伝の言葉に丈一郎はしばし考え込む。そうして突然とんでもないことを言い出し出した。


「その技、拙者に伝授してはくれませんか!」

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