第一話
「貴方っ!もう、すぐそこまで来ているわ!」
昼間なのに暗闇が支配する高原を駆けていく馬。
「本当か!……クソッ、もっと速く走れ!」
そして、その後を追う鱗と鰭の生えた面妖な馬達。
「キャッ!」
「どうしたアンナ!」
「矢を射られてるわ!」
「そうか……高い馬だったんだがな……奴らのケルピーには負けるか……グハッ!」
「貴方っ!」
「ヒィッ!ち、父上の肩に矢が!」
父の肩を矢が貫き、父は馬から振り落とされてしまった。
「よくも父上を!貴様らー!殺してくれ……ヒュッ」
「あ、兄上!」
兄は私たちの刺客、帝都第三騎士団を迎え撃とうとして矢に喉を貫かれた。
「我々は帝都第三騎士団だ!大人しく投降しろ!バナット伯爵!貴様らには皇家に対する反逆の意思があると見なされている!」
男たちは馬に矢を射て足止めし、私たちを取り囲んだ。
「貴方!エリック!」
父と兄は私たちの目の前で首をはねられた。
母は、ただ震えるしか出来ない私を抱き、男たちに懇願した。
「どうか!この子だけでも!」
「ふむ、団長!どう致しますか?」
「バナット伯爵婦人は殺せ。幼い娘は城に連れてくる様に命令が下っている」
「了解しました!お前たち!娘を婦人から引き剥がして連れて行け!」
地面に落ちた松明によって男たちがにじりよってくるのが見える。男たちは、私と母を掴み引き離す。
「は、母上!母上!いや、離して!母上!」
「……イヴリーシュ!貴女は生きなさい!強く!強く生きるのよ!……ギュハッ」
「母上!母上!」
一瞬だった。
月に喰われた太陽の鈍い光が、大斧の刃をぬらりと照らす。
母も首をはねられた。
男たちは母の亡骸に縋り付こうとする私を引き剥がし離していく。
私は、幼い頃から母に教わり、今では無意識に染み付いてしまった礼儀作法など、それらが記憶から抜け落ちてしまったかの様に大声で咽び泣いた。
両頬を大粒の涙がとめどなく伝う。その頬の生暖かいじっとりとした不快感に鳥肌が立つ。それは初めて目にした死に影響されたのか?
「なんだか嫌な空色だな……」
「あー、一雨降りますかね?……おい、お前ら!死体をさっさと荷馬車に詰め込め!雨が降る前に撤収するぞ!」
男たちは私の家族の死体を麻袋に詰め荷馬車に乗せている。
空は私の心を表す様に次第に曇天となり、黒々とした雨雲から大きな雨粒を吹き付ける様に降らし始めた。風は吹き荒れ、雷が轟いた。
「思ったより早く降ってきたな」
「すみません。急かします。お前ら!早くしろ!」
しかし、その雲は妖しい光を放っていた蝕の光輪を覆い隠した。
雨の勢いは留まることを知らず、どんどんと強烈になっていく。
「おい、お前ら!娘も荷馬車に乗せろ!すぐに出発するぞ!……糞っ!蝕に加えて雨とはな」
私は男に抱えられると荷馬車に乗せられた。隣には乱雑に置かれた血濡れの麻袋がある。
そして雨はどんどん強くなり、吹き付ける雨に男たちは、不機嫌になっていく。それとは逆に男たちを乗せるケルピーは活き活きとしている様だった。
帝都を囲う門をくぐると、街は突然の大雨に、もしくは明け方から続く蝕を畏れて、皆戸締りをして人っ子一人見かけなかった。
ただ、男たちは私の泣き声が雨音に掻き消され、落ち着いているようでもあった。
一方、私は奇妙な既視感に苛まれ、あるはずのない記憶を思い出していくにつれて自身の心が酷く荒み、嵐の海原の様に混沌としてきた。
それもまた家族が無惨に殺された記憶だった。
私は超エリートキャリアウーマンと世間で想像される様な人物だった。ディベロッパーで開発計画や建築に関わる部門で働いていた。
私は優秀だったこともあり、営業もできたし、建築方法、デザインなどについても詳しかった。
その日も、私は都市開発事業に参加する企業を決めるとかで呼ばれ会議に参加していた。そしていつも通り、内の会社が仕事をさせてもらう事になった。
ただ、今回は仕事を得るのに争った他社の中にヤクザと交流のある会社があったのが良くなかった。
家に帰ると中が荒らされていて、共に住んでいた両親が拷問されていた。
私は趣味で子供の頃から空手と合気道を習っていたから抵抗しようとした。
ただ、両親が人質に取られて思う様に戦えなくて私も捕まってしまった。
それからは地獄だった。
まず、両親が殺された。身体を少しづつ切り落とす様にしながら……
次に私が犯された。一晩中。
彼らはそれを録画しネットに投稿した。
それから私をじっくりと拷問し、両親と同じ様に切り刻まれて殺された。
そんな嫌な記憶をかわきりに、私の頭の中に次々と前世の記憶がフラッシュバックしてきた。私が日本人として生きてきた記憶だ。それが瞬く間に濁流となって流れ込んできた。
私は今世で家族が殺された日、あの大雨の中で、そしてそれから数週間、記憶の渦に悩まされ、外から見れば家族を殺され気が狂った少女といった有様だったらしい。
らしい……というのは、後日そう聞いたからだ。噂を小耳にはさんだのだ。
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「で、その娘は気が狂って言動が支離滅裂と?」
「その通りでございます。陛下」
ガランダル帝国皇帝アラン・ド・ガランダル……この渋みがあり人を惹きつける目をした中年は、先日反逆罪で処刑した反皇派の中でも力を持っていたバナット伯爵の娘について、世話をさせているメイドから報告を聞いていた。
正直、その娘……イヴリーシュ・ド・バナット、今はただのイヴリーシュだが、彼女の処遇は既に決まっているのだが、ここに偶然居合わせた第四皇子のジークに聞かせる為に、幼馴染で宰相のフランツ・ド・アーダルクに意見を聞いてみた。
「フランツはどう思う?」
「そうですな。しばらく様子を見ておくのがよろしいかと。気が狂ったままであるならば処分するしかありませんな」
「なっ、それはあまりに酷ではありませんか?」
案の定、未だに甘ったれたジークが反論してきた。歳が一つ違う第五皇子のローランは、ここまで甘くないのだが……
「ジーク、お前も皇族の端くれなら、その甘さをすてろ。フランツ、説明してやってくれ」
「かしこまりました、陛下。ジーク殿下、彼女は誰の娘ですか?」
「バナット伯爵です」
「そうですね。その通りです。彼女は反逆者バナットの娘です。何故、彼女を生かしていると思いますか?」
「それは、彼女が幼いから……」
「いいえ。彼女が仮に皇族に忠誠を誓い、かつ有能であったら、取り込みたいからです」
「……」
「よろしいですかな?つまり、彼女が有能でなかったり、皇族に忠誠を誓えなかったりしたなら、その時点で用済みという事なのです」
「ジーク、皇族というのは国を纏め上げる存在だ。秩序を乱す者には厳しくしなければならない。それに、今回の対応はかなり甘い対応だ。本来ならば有無を言わさず処刑している。今回はあの娘がちょうどあの日、十歳になったからだ。これが幼すぎても、もちろん歳をとっていても処刑している」
この国では十歳になると神殿で神官によって儀式が行われ、神による祝福が与えられる。まぁ、実際はその子供が持っている才能を知る事ができるというだけなのだが。
イヴリーシュには意識が戻り次第、儀式を行い、どの様な才能があるのか調べる。その結果で彼女の運命は決まる。
アランは、まだ顔も見たことのない少女の運命を夢想するのだった。
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あれから数週間、意識がはっきりとしてきて、自身の置かれている状況を冷静に分析する事ができるようになった。
まず、父が反皇派の一人で、運悪く目をつけられ、帝国を離反する様な内容の文書が見つかり、私の誕生日に見せしめとして処刑された。その連座で私以外の家族が処刑され、今度は私が忠誠を誓い、かつ儀式の祝福で有能である事を証明しなければ処刑されると。
正直、腹の中では前世での死に方もあり、家族を殺した事に対する恨みがある。しかし、前世で三十代だった私の精神年齢から冷静に考えるならば、父がヘマをしたという風にも思う。
という訳で、取り敢えず態度だけでも忠誠を誓っている様に振舞っている状況だ。
そのおかげか、世話に来てくれるメイドのお姉様方からの覚えも良い。
メイドのお姉様方が噂しているのを聞いてしまったのだが、意識がハッキリするまでの私の言動は支離滅裂だったらしい。よく分からない言葉(おそらく日本語)でずっとブツブツ話していたらしい。
そんな姿が家族を亡くした幼い少女という様に見られていたらしく、それで妙に優しく接してもらっている。
これがある意味不幸中の幸いというか……変にいびられたりしなくて良かったと思う。なにせ私は反逆者の娘なのだから。
さて、そんな状況な訳だが、いくら忠誠を誓っても有能でなければ意味は無い。そこに待っているのは死だ。
一応、前世の記憶による知識があるが……知識が有用かどうかは検証してみないと解らない訳だから望みは薄いだろう。前世で通勤時に読んだ漫画みたいに転生者の特別な能力とかないのだろうか?自分が有能である事を祈るばかりだ。
そうして、すっかり晴れた窓の外を眺めながら考えていると、メイドのお姉様が話しかけてきた。
「すっかり晴れたわね?このところ酷い雨が続いていたから、洗濯物が溜まっていたの。これでやっと洗濯できるわ。ところでイヴリーシュちゃん」
「はい?どうしましたか?」
「明日は儀式を行う日だから、今日の午後、散髪しましょうね」
「はい。お願いします」
明日だ。
明日、儀式で私が有能かどうか証明される。
もう今から気が気じゃない。そのせいで、折角今世では……いや、前世でもそれなりに整っていたと思うが……美人なのに、全くもって堪能できていない。
今世での私は、ホワイトブロンドで艶やかな髪、白人美女と韓国美女を足して割って幼くした様な顔立ち、幼いながらに良いスタイルといった美少女具合いだ。
ただ、美少女だと思っているのは前世の感覚由来で、今世の感覚だと特別自身を美人と認識してなかったりする。
今は前世の記憶が復活して、それまでとの対比で前世の感覚が強い様に感じるが、おそらく生活する内に肉体や環境に順応して今世と前世、二つの感覚が混ざりあっていく様な気がしている。
ところで、この世界には当たり前の様に魔法が存在している。
魔法という技術によって文明が発展してきている様な感じだ。だからといって科学的な進歩が全くないのかと言うと、そんな事はなさそうだった。
魔法の立ち位置としては、ほとんどの人が小規模なものを使えるが、大規模なものは専門の知識と才能がなければ難しいという感じで、教育が万人に行き届いている訳では無いこの世界では、ほとんどの人が生活に必要な魔法を村の大人から教わる程度の様だ。例外として神の使者となった者や、異種族は魔法を使えるようだが。
だから、建築や服飾、料理に始め、様々な事が魔法無しで行われている。そういう意味では科学が発展しているといえる。魔法を抜きにすれば、文明レベルは中世ヨーロッパといったところだろうか?それとも、古代ローマくらいの技術はあるか?だいたい、その二つの時代の文明を足して二で割ったくらいの文明だ。もちろん、地域差はあるだろう。ここはガカンダ大陸の北を支配している大国、ガランダル帝国の帝都、つまり首都のドラグバーグだ。その事を考慮に入れると、全体の文明レベルはもっと下だろうか。
どちらにせよ、文明レベルで言えば前世の世界の方が圧倒的に上である事は間違いない。前世の知識を上手く使えば幾らでも儲けられると思うのだが……結局、堂々巡りになってしまうが、明日の儀式で自分が有能であると証明出来なければならない。
祝福で伝えられるのは才能だ。努力して有能になるなんて事を考慮されたりはしない。完全に神頼みといったところだ。
神頼みというと、前世で祖父の葬式に行った時に知ったのだが、私の血筋の本流、つまり本家は古代から続く名家で、あの有名な神社の宮司をしているらしい。その時に知り合った本家の方々の中に私と同い歳の男の子が居て結構、仲良くしていたんだ。
だからといって、どっかの漫画の設定みたいに陰陽師とか、巫女とか、特別な力を使えた訳では無い。
ただ「無事に生きられますように」と見様見真似だが、本家の子から教えてもらった作法を交え、その本家が祀る神様と御先祖様に祈りを上げた。