第5話 失望の目と疑惑の彼
高校2日目の朝。
柊聖夜が教室の扉を開くと、出迎えたのはクラスメイト達の失望と蔑視の眼差しだった。
聖夜の姿を横目に、生徒達はひそひそと何かを囁き合う。
昨日までと態度を一変させたクラスメイト達。
しかし、聖夜は特に気に留めずに自分の席へ向かう。
何故クラスメイト達がこんな快くない態度を聖夜に取り始めたかというと、彼らが今朝発表された学力テストの結果を見たからに他ならない。
入学早々、行われた学力テスト。
AIによる自動採点システムを使ったようで、選択問題が多かったこともあり、翌日である今日、既に採点結果が廊下に張り出されていたのだ。
小説なんかでよくある成績上位者の順位が張り出されているのではなく、全生徒330名のテストの順位の紙が廊下一面を覆っていた。
このテストの結果も勿論、"代表者序列"に加味される。
生徒達が結果を見て雰囲気がぴりつくのは仕方がない。
しかし、生徒達が自身の結果を目にした上で、それを上回る目下の問題が存在していた。
ーーーそれは聖夜のテスト結果。
彼はあろうことか「柊の代表者」でありながら、全生徒330名中301位という順位だったのだ。
平均点はとうに下回り、最下位に近い。
他のクラスの「代表者」達は皆、1位から10位までを独占し、名を連ねているというのに。
当然、席で授業開始を待つ聖夜の耳にはクラスメイト達の話している内容が入ってくる。
「柊クラスのリーダーがこれじゃあ……ね?」
「私達がいくら頑張っても無駄ってことでしょ…勘弁してよ」
「あんな成績でよく柊名乗ってられるよな。来年入学される義弟の恒星様は優秀だって言われているのに」
「落ちこぼれすぎて、目も当てられない…」
…まあ、だろうな。
予想していた事ではあるので、聖夜から何も言う事はない。
今までは聖夜の父であり、柊の現在のトップである柊真が情報を規制していたのだろうが…
流石に身内だけの話にとどめるのは無理だった。
今代の柊の代表者の無能ぶりをクラスメイト達は初めて目の当たりしたことになる。
「皆おはっようー!どうした!?暗い!暗いぞお!」
教室に馬鹿騒ぎのような声量で柊美琴が入ってくる。がはは、とこの空気をよくも悪くも笑い飛ばす彼女は、今日も安定の鋼のメンタルだった。
「美琴ちゃん…。今朝張り出されたテストの結果見てないの?」
美琴は聖夜の従姉妹であり、柊の血縁者なのだが…一線引かれている聖夜と異なり、既に他の生徒との距離が近かった。羨ましいわけではないが、聖夜は彼女に尊敬に近いものを抱く。
「見たよー!うちのクラスは8位だったね!やったね、最下位回避!」
そう。柊クラスは、総合順位8位。
リーダーの聖夜の点数が悪かったこと。
なお、各クラスのリーダーの点数は2倍されてランキングが出されること。
この2点を考慮すると、柊クラスの生徒達は大変優秀であることが窺える。
そう、リーダーの聖夜さえいなければ、もっと上の順位を狙えただろう。
皆が文句のひとつ、ふたつ言いたくなる気持ちもよく理解できる。
「で、何で皆そんな暗いの〜!もっと明るくいこうぜ〜」
「だ、だって、聖夜様が…」
「ああ、見た見た!あやつ、ひどい点数だったわ!まっ、そんなこと言って私は311位なんですけどねーっ!」
おい、胸を張って言うことじゃないぞ美琴。
「同じ柊だけど、私も酷い点数じゃんね!聖夜のことも許したげて!」
「でも聖夜様はリーダーでいらっしゃるし…」
美琴の言葉に弱々しくも、反論する女子生徒。かなり苦い顔をしている。
周りの女子生徒達も同調して、援護し始める。
「そうよ、柊の代表者なのよ?テスト1つとはいえ、トップでいることは当たり前でなくてはならないの」
「美琴さんは何というか…予想ついていたから」
さらりと貶されているが、大丈夫か美琴?
「ええ…まあ、そこは頼りないリーダーを皆で支えてあげようよ」
美琴の言葉に渋々といった様子で、引き下がっていく数人の女子生徒。しかし、ちらりと聖夜を見た彼女達の視線はやはり厳しい。
一時限目開始まで、後20分。
はて、どうしたものか…
彼らのヘイトの対象になるのは覚悟していたし、慣れているから構わない。
ただ、聖夜は一応柊の直系で、跡取り息子だ。
その聖夜が教室に居る状態で、彼らは思うように不満の声を出せないだろう。
聖夜は陰口を叩かれることよりも、自分が他者に一方的に我慢を強いることの方が嫌だった。
黙って席を立ち、教室を出ていく。
背中に幾つもの眼差しを受けながら、振り返らずに廊下を進んだ。
廊下は、テスト結果を見る生徒達でまだ溢れかえっていた。
彼らの中には聖夜を見て、わざと聞こえる声量で陰口を叩く者も多い。
柊クラスの生徒達と違い、こちらは容赦がない。
それはそうだろう。
聖夜と対立する立場にある他クラスの人間が、わざわざ聖夜に対して優しい言葉を選ぶ理由がない。
無能。凡愚。柊の出来損ない。
あまりにレパートリーが多くて、こちらが笑ってしまいそうになるほどだ。
その廊下を抜け、階段を降り、校舎を出ていく。
ずっと歩いていくと、昨日周と話を交わした「隠しの庭園」にたどり着いた。
桜が満開となった木のふもとに腰を下ろして、聖夜は上を見上げる。
風に揺れ、桃色の花弁がはらりはらりと落ちていく。
その様子を眺めていると、聖夜の視界の端に少女が映り込んだ。
彼女は上を見上げていた聖夜の顔を覗きこむ。
美しい湖の髪と桜のコントラスト。そのまま絵画の作品にでもなるんじゃないかと思うほどの情景だ。
皇周である。
「ここにいたんですね、聖夜君」
「何か用だったか?」
「ええ。お心当たりは?」
「ないな」
無論、心当たりはある。
が、それを口にするわけにもいくまい。
「聖夜君。貴方……」
「テスト1位だったな、周は。おめでとう」
周は聖夜が呈した賛辞にほんのりと目尻を下げ、怒っているというより、どこか哀しげな微笑を浮かべた。
「ええ。…手を抜かれた相手にそんなことを言われても、嬉しくはないですけど」
核心をついた言葉で応戦されるが、聖夜は特に反応を示さなかった。
「皆懸命に臨んだことだろう。競い甲斐がないからといってそう言ってやるな」
「果たしてそこに貴方はいるんでしょうかね?今の言葉の前提は誰を指しました?」
懸命に貴方も臨んだのか?
周が問うたのは、そんな意味だろう。
「難しかったな、テスト」
「ええ。全て60点ほどしか取れませんでした」
国立大日本帝高院が生徒に課すテストは、大学卒業レベル。最難関の現役国公立大学生が解いたとしても、何割取れるかどうか。特に英語と数学の難易度が他教科よりも頭3つは飛び抜けている。前者は英語が母国語のネイティブでさえ半分に満たない点数だろう。後者は満点が取れる人間がいたとしたら、うん十年と数学の研究者を職にしている者だろうが…幾何学、非幾何学、集合論、数理論理学、線型代数学……全ての数学分野から出題されるため、1つの研究に熱を上げることが多い研究者では淘汰できない。
周が聖夜の隣に腰を下ろす。
「私の話をしてもいいですか?」
許可を求められたので、聖夜はどうぞと言った。
何の話をする気だ?
「私、中学の頃は毎回欠かさず全国テストに参加してました。高校生統一模試も、国公立大学のオープン模試も、可能な限りは殆ど。まあ、お稽古が多かったので数にしてはそれほどなんですけどね。私、それまで学力試験は1位以外取ったことなかったんです。なのに順位表を見たら、中学の半ばあたりから、私の1つ上には必ず違う名前があるんです。
しかも、毎回偽名。
でも、必ず満点なので、同じ人物なのはすぐ想像がつきました」
周の声には透き通っており、柔らかながらハキハキとしている。
一切のよどみがなく、それは彼女の確信にまったく揺らぎがないことを示していた。
もしかすると、聖夜に話そうと予め想定していたのだろうか。
「ーーー聖夜くん。貴方が病気を完治して退院したのは、中学に上がってからのことでしょう?それを知って私、すごく納得が行ったんです。時期も一致してますしね」
本当に避けようのない話に持ち込まれてしまったらしい。
困った、と聖夜は表情を変えないまま、心の中で呟いた。
「いつも私の上にあった名前は、聖夜くん貴方。私より遥かに頭の良い貴方が、どうして今回のテスト、手を抜いたの?」




