獣魔統一戦争
【底】と呼ばれる世界が生まれた日を、そこの住人は知らない。
だが、世界が変わった日は知っている。
3年前。四人の王が覇権を争い、対立が激化していた時代。
それぞれの地区を代表する、強大な戦士達。
人を超えた獣の如き力を持ち、彼らもまた獣に準えて呼ばれた。
北地区最強、一角獣のアケロスもその一人である。
彼らを人々はこう呼んだ。
四獣将と――――
☨ ☨ ☨
「リターシャぁ! もっと酒くれェ!」
「はいはい、ったく……」
相も変わらず、閑古鳥が鳴く酒場にて。
ヨルドは酒を片手に呷りながら、すぐさま次の酒を所望する。
その様子を苦笑いで眺めながら、リターシャは慣れた手つきでグラスに注いだ。
「あんた、帰ってきてからずっとそんな調子だけどなんかあったの?」
「なんもねーよ」
「はい嘘」
リターシャの鋭い指摘に、ヨルドは何も言い返さず無言で酒を口に流し込む。
強いアルコールが鼻に抜け、芳醇な香りが口に広がる。
ヨルドにとって酒とは、そういう部分を楽しむためのものであった。
「酔えない癖に」
「うっせェ」
軽口をたたき合いながら、カウンター越しに会話を挟む。
その距離感が心地良い。
「そういえばクックル君はどうしたのよ?」
リターシャからの純粋な問いかけに、ヨルドは当然と言わんばかりに口を開く。
「あいつは元々あっち側の人間だ。俺を連れてきたんだから、任務完了に決まってんだろォが」
「えー、もったいない。あの子面白かったのに」
「ケハハ、玩具としては一流だからなァ」
ヨルドが笑いながら放った言葉に、リターシャは静かに首を振る。
「それもそうだけど。私が言ってるのはそこじゃないわ」
リターシャはそう言って、優しくヨルドに笑いかけた。
「珍しく気に入ってたでしょ? なんで?」
「ハッ、気のせいだろ」
その疑問に対し、ヨルドは一笑に付した。
リターシャは不思議そうな表情を浮かべながら、再び口を開く。
「えー、珍しいと思うけどねぇ? あんたが個人を気にかけるなんて、私かヴィムさんくらいのもんでしょ」
ヴィムの名を出されたヨルドの動きが、一瞬止まる。
そして思い出したように口を開いた。
「そういえばさっき、久々にヴィムに会ったぞ」
「えー懐かしい! 3年ぶりじゃない?」
3年。
その単語を再び聞く事になるとは、今日はよっぽど縁があるらしい。
ヨルドは心の中でそう呟き、ふと思い返す。
あの時の出来事を、こいつはどう思っているのだろうか。
「なァ」
「はーぁーい?」
ヨルドの呼びかけに、リターシャは間抜けな声と共に振り返る。
その姿が面白くて、ヨルドは思わず笑みが零れた。
「ケハハハ!」
「ちょっと、何よ……」
「なんでもねェよ。呼んだだけだ」
「何よそれ」
呆れた様子で作業に戻るリターシャを眺めながら、ヨルドは再び思案する。
わざわざ話題に挙げる必要も無いだろう。
あんなくだらない記憶、忘れてしまった方がいいのだから。
ヨルドは酒を喉に流し込み、目を瞑る。
しかし。
『弱くなったな』
瞼の裏に写し出されたのは、憎きアケロスの姿であった。
その言葉が、ずっと脳裏にこびりついて離れない。
弱くなった。
その言葉が3年前の姿と比べているのだとしたら、それはむしろ良いことだ。
強さを失ってなお、平和を手に入れることが出来たのだから。
そう。
これは、自分が望んだことなのだから。
「平和、か」
自分で呟いておきながら、その響きに違和感を感じる。
ヨルドと言う人間に、平和という言葉がどれだけ似合わないのか。
それはヨルドの人生が証明している。
この平和は、代償だ。
獣に身を堕とした自分が、血に塗れて勝ち取った栄光。
屍の上に立ち続け、誰もが口出しできない権利を手に入れたのだ。
3年前。あの日を最後に、獣であった頃の感覚は失われた。
きっと、それでいいのだ。
「…………ん? また何か用?」
視線の先、ジトっとした目でこちらを睨むリターシャ。
その姿を眺めながら、ヨルドは改めて誓う。
もう二度と、こいつを危険に晒す訳にはいかない。
あの時のように。
あの――――――――――――
「獣魔、統一戦争?」
クックルは呆然と、その言葉を繰り返した。
「左様です。その名こそ、ヨルド様と四人の王。彼らの因縁が始まった日でもあります」
至って冷静に、まるで昔話を話すように穏やかな口調のヴィム。
ヴィムの視線は、遠い記憶を思い出すかのように上を見上げていた。
「当時、この底と呼ばれる世界において。今以上に激しい戦争が繰り広げられておりました」
「戦争? 一体、どこが?」
ヴィムの説明を聞き、クックルは疑問を素直に口に出す。
この街に来てまだ日は浅い。
しかし治安が悪いという点を除けば、争いなど些細なもの。
戦争などという大袈裟な出来事など、今まで起きたことも、聞いたことも無い。
「クックル殿もご存知ですよ。戦争が出来るほどの十分な資源を保有する、まさに王と呼ぶに相応しい者たち」
「まさか…………」
ヴィムは静かに頷く。
「四人の王。彼らは互いに覇を競い、この世界を我が物にしようと企んでおりました」
「おいおい、ヴィムよ」
ヴィムの歯に衣着せぬ物言いに、酒王が思わず口を開く。
「間違っているとは言わんが、随分な言い方じゃないか」
「これはこれは、大変失礼いたしました」
そう言って酒王は困ったように眉をひそめた。
その姿に対し、ヴィムは微笑みながらゆっくりと首を垂れる。
その発言は心の底から申し訳ないと思っているようなものでは無かったが、特に酒王が気にしている様子は無い。
ヴィムの特異性。
その状況に、クックルは改めて違和感を感じていた。
「もちろん、彼らの戦争の理由は別にございます」
酒王の発言を受けてか、ヴィムはさらりと内容の訂正に入る。
「その本質は、事業と土地の強奪。その結果得られる莫大な求心力を望んでいたのです」
「求心力?」
いまいち要領が掴めず、首をかしげるクックル。
その様子に微笑みながら、ヴィムはゆっくりと分かりやすく解説を始める。
「四人の王は、それぞれの事業を展開しております。酒、煙草、女、薬」
ヴィムが単語を話しながら、四本の指を立てていく。
「ではここで問題です」
その四本の指をたたみ、一本だけを残す。
「これらの事業における、特筆すべき共通点は何でしょう?」
ニコニコと笑みを浮かべるヴィム。
クックルは頭をひねりながら、一本の指を凝視する。
此処で求められている回答は恐らく一つ。
きっとその答えが、先程の求心力に繋がるのだろう。
そう、求心力。
「あっ」
クックルの脳裏に、一つの発想が閃いた。
求心力に大きく影響し、なおかつ広範囲に渡る嗜好品。
その役割。
「依存性」
「素晴らしい。大正解です」
クックルの放った言葉に、ヴィムは拍手を以て称賛する。
「そう、これら四つの事業の共通点。それは依存性が強く、一度沼に落ちてしまえば抜け出すことは難しいという点」
「だから住人はそれらを欲して働き、その周りにさらに人が集まる」
納得したように頷き、クックルは続けて口を開く。
「それが、求心力」
「その通り。だからこそ王たちは、他の王の持つ事業やその土地を奪いたいと願う。戦争なんてものは、そんな簡単な動機から始まるものです」
嘆かわしいと言わんばかりに、ヴィムはため息をつきながら首を横に振った。
「ですが、四人の王だって自分の事業があります。それを失うリスクを孕みながら、そんな簡単に争いの火種を生み出すものでしょうか?」
クックルは何も考えずに、ただ自分の考えを口にした。
そういった時にこそ、物事の本質を突くことがある。
ヴィムはその発言に少し驚き、瞳を僅かに見開いた。
「……あなたは思った以上に優秀な生徒ですね」
そして即座に表情を戻し、再び笑みを浮かべる。
「ご明察の通り。彼らは心の中で野心を燻ぶらせていても、それを実行に移すほど愚かではありません。しかし――――」
ヴィムは静かに視線を自らの主に向ける。
「北の王は、そんな状況に我慢できなかった」
「えっ!?」
ヴィムの発言に、クックルは驚きのあまり同じく酒王へと視線を向ける。
その眼には分かりやすく、こいつマジか、と言う感情が映し出されていた。
「…………こっち見んな。儂じゃねえ」
「え?」
「親父だ」
その発言に、クックルは驚きに目を見開いた。
「お父君が……?」
「とんだイカれジジィだったよ。年も年だった癖に、玉座にしがみついてた欲深い男。そんなあいつがやらかした、最後の愚行がそれだ」
自らが座る玉座を撫でながら、酒王はため息をこぼす。
「もっと高みに行きたかったのか、あいつは周りの土地に喧嘩を売り始めた」
「それは随分と、雑と言うか何と言いますか……」
「フンッ、お前もなかなか言ってくれるじゃねえか」
酒王は鼻を鳴らし、クックルの発言を受け止める。
「まぁ、異論すら浮かばんな。あまりにも雑過ぎた。だから攻勢はことごとく失敗したんだ」
「え。攻勢が、失敗?」
クックルはその内容に呆然とした。
攻勢のことごとくが失敗に終わる。
その結果はあまりにも、あり得ないはずだ。
なぜならば。
「同じ王であるはずなのに、一体どうして?」
「それは経験、すなわち若さですな」
ヴィムが横から口を挟む。
しかし、クックルはその言葉にも異論を示す。
「お話から伺うに、前王はまぁまぁの御年。若くなど無いのでは?」
「本人の年齢ではありません。王としての歴史の話ですよ」
その言葉を聞いた瞬間、クックルはようやく理解した。
ヴィムが語る、若さという言葉の意味。
それはすなわち。
「なるほど……。その前王様は、まだ歴史の浅い王であったと」
「浅いどころか、この北地区の【酒王】としての席。これは親父が自ら手に入れたものだ」
「それはつまり、当代は二代目ということですか……?」
「そうなるな」
酒王の頷きと共に、クックルは事態の複雑さを認識する。
この世界の在り方と、その歴史を知るにはあまりにも情報と歴史が膨大過ぎる。
もちろんそれに興味は尽きないが、今自分が最も知りたいのはそこでは無い。
「色々な話をありがとうございます。それで、結局これは――――」
「ヨルド様とどういう関係があるのか、という話ですね?」
クックルの心を読むようにして、ヴィムは静かに口を開く。
「ちょうどこれから、その話に入りますよ」
そう言って、ヴィムは微笑みと共に再び語り始める。
「他の王たちは事態を把握し、これ幸いと騒ぎに便乗しました。報復と称し、三地区合同で北の制圧に乗り出します。ところが……」
ヴィムは一拍置いて、言葉の続きを途切れさせる。
その憎い手法に惑わされながらも、クックルは次の言葉を待ち望む。
しかし、その後に続く内容は、想像と全くかけ離れたものであった。
「先遣隊は壊滅。北地区の攻勢も、予兆なく途切れる事となりました」
「ど、どういうことです?」
「北がちょっかいを出していたのは、隣に位置する東と西。南は影響こそ受けていませんでしたが、治安を守るためと自ら立候補したのです。つまり……、今まで北は、東と西の境界線上でドンパチやっていただけ」
ヴィムはそこまで一気に言葉を続けた。
そして内容はついに、答え合わせに突入する。
「では、そこに南が介入するとなると、どこを通ることになると思いますか?」
「………………………………あッ!」
その質問で、クックルはようやく何が起こったか悟る。
北と南は対極に位置しているのだから、当然通る場所は。
「中央…………」
「その通り。今は中立区域とも呼ばれていますね」
中立区域。
そこにはいったい、誰が住んでいたか。
今の自分には、ハッキリと理解することができる。
「彼らは踏んでしまったのですよ。決して起こしてはいけない、獣の尾を」
まるで演劇を披露するかの如く、ヴィムは優雅に口を開く。
「先程話していた四獣将とは、四人の王の配下における、最強の戦士たちの通り名です」
ヴィムの発言に、アケロスは鼻を鳴らす。
最強。
今の自分が、その言葉の重みに似合う姿では無いことを恥じているのだろう。
「彼らをそう呼ぶのに対し、当時の人々は彼をこう呼んだそうです」
それは一角獣のような聖なる獣と、対極に位置する存在。
獣よりもさらに品位の無い、凶暴性のみに重きを置いた呼び名。
その名を聴いた瞬間、クックルは思わず納得してしまった。
世界中の誰よりもきっと、その名前が似合うだろう。
単純かつ、明瞭。
それが――――
「魔獣」