【エピローグ】革命の狼煙
屋敷の崩れかけた壁を乗り越え、その先にいる彼らを見た。
それは神話の一節か。
ズタズタに引き裂かれ、抉り返された大地。大量に並んだ異様な鉄の塊は、その大部分が穴だらけと化している。
そんな空間の中央に、あの人はいた。
とてつもない熱気を放った青年と対峙するその姿に、いつもの余裕は見られない。
敗北。
そんな姿が、脳裏をよぎった。
「――――――――ヨルドぉッ!」
「――――――――ヨルドさんッ!」
だから私たちは、声を枯らして名前を呼んだ。
その後、起こった出来事は今思い返してみても信じがたいモノであった。
否。何が起こったのか、細かいことは理解できるはずも無い。
それほどまでに彼らの最後の一撃は、常人には到達することのできない高みであった。
私たちが分かることは唯一つ。
「ヨ、ヨルドさん……ッ!?」
鮮血を吹き出しながら倒れる青年。
そして、その後を追うように倒れ込むヨルドの姿。
戦いは終わった。
それだけを理解して、私たちは彼の元へ走り寄った。
☨ ☨ ☨
コンコン
扉を軽く叩く音が、部屋の外から鳴り響く。
「クックル様、失礼しますよ」
優し気な声色と共にヴィムが入室する。
柔和な笑みが浮かぶ顔に、微かな擦り傷が滲んでいる。
「これはヴィム殿! いやぁ、様付けは何回聞いても慣れませんね……」
「ハハハ、何を仰いますか。クックル様は今回の騒動鎮圧の立役者。もっと堂々と胸を張りなされ」
「いやいや私なんか!」
ヴィムから持ち上げられると、全身がむず痒くなって仕方ない。
クックルはぶんぶんと首を振り、やめてくれと意思表示を行う。
その様がまた、ヴィムからすればからかいの対象になるという事をクックルは知らない。
静かに微笑みながら、ヴィムは優しくクックルを見つめる。
「さて、クックル様。そんな立役者の貴方様に、我が主からの召集要請です。おいでくださいますかな?」
「も、もちろんです!」
「ハハハ、では参りましょう」
そう言って、ヴィムはクックルを連れて部屋の外へと踏み出した。
そこは、屋敷の上階に位置する客人用の一室。
廊下の窓から外を覗き込めば、街の住人たちがせわしなく作業を行っている。
先日の一件以来、北地区の住人は屋敷の修繕を手伝ってくれていた。
その中には、初めてヨルドと訪れた時に出会った、凶行に走った者たちの顔ぶれも発見した。
彼らはあの時の憔悴した様子と打って変わり、明るい表情で各々の仕事を全うしている。
「住人は、国の写し鏡」
「はい?」
突然声をかけてきたヴィムに驚き、クックルは慌てて問い返す。
「私の知る限りで最も王らしい方が、そう言っていた事があります。彼らは国の様子次第で、吉にも凶にも走る。故に王の行動一つは、民の善悪を左右すると」
「王の、行動一つが……」
ヴィムの言葉には、不思議と説得力が込められていた。
それに彼らの表情を見ていると、その言葉はあながち間違いではないと思える。
「先日の一件以降、主は率先して彼らに対し恩赦を支払うようになりました」
「え、あの酒王様が!?」
「はい。あの方が、です」
それはとてつもない驚きだ。
あの人が誰かに対して施しを与える姿なんて、想像したことも無かった。
クックルがそんな風に驚いていると、ヴィムは前を向きながら静かに口を開いた。
「最近まで想像出来なかったかもしれませんが、元々あの方はそういうお方なんですよ」
「………………え?」
「あの日以降、主は少し変わりました。まるで昔に戻ったみたいに」
その言葉は懐かしさを含んだ、万感の思いが込められていた。
ヴィムと酒王の関係。それをクックルは知らないが、相当な信頼を置いている事は伺える。
だからきっと、ヴィムは表には出さないけれど。
内心、嬉しくてたまらないのだろう。
「さ、到着致しました」
ヴィムは大きな扉に手を伸ばし、ゆっくりと開いていく。
広がる視界、そして。
「よく来たな」
その中央に、酒王はいた。
しかし、その姿はいつもの玉座にはいなかった。
皆と同じ目線。玉座の正面の空間に円卓を構え、その一席に腰を下ろす酒王。
なんと珍しい光景だと目を丸くするクックルを、ヴィムは席へと促していく。
「ささ、どうぞ」
「ど、どうも」
動揺を抑えながら、クックルはゆっくりと席に座る。
「では始めるとしよう」
クックルが席に座り、その傍らにヴィムが控えたのを確認し、酒王はゆっくりと口を開く。
「先日の、北國事変。その概要について」
その会合は、先日の一件がなぜ起こったのか。主犯の男は何者だったのか。どうして北地区が狙われたのか。そして、被害状況やその後の経過観察。
それら全てを整理し、話し合うための時間であった。
会合は長時間にわたった。
調査された内容をヴィムが提示し、それに対して議論していく。
主犯の男の素性、事件を起こした経緯については、あの後ヨルドから直接聞いた内容をクックルが提示する事となった。
それに対して大きく驚いたヴィムと酒王。
しかし、酒王にとって一番の衝撃は――――
「そうか、アケロスが………………」
腹心にして、自分の右腕。
誰よりも信頼していた男、アケロスの裏切りであった。
本来であれば有り得ないと一蹴するはずの酒王が、あっけなく納得した。
きっと酒王も、薄々感づいていたのだろう。
肝心のところでいなくなった、アケロスの違和感というモノに。
「それで、奴は?」
「アケロスに関しましては、私が地下牢に投獄いたしました」
「そうか……、ヴィムにはいつも迷惑をかけるな」
「どうぞお気になさらず」
アケロスを投獄したと容易く言い放つヴィム。
しかし、その難しさを知るクックルからしてみれば疑問だらけである。
あの手負いの獣を、どのようにして下したのか。
顔に微かな傷を作ってはいるものの、それ以外の目だった傷は無し。
改めて、ヴィムの底知れなさを痛感するクックルであった。
「して、あの女のことだが……」
「リターシャ殿のこと、ですか?」
「うむ。アケロスに捕らえられていたと聞いたが――――恐らく共犯者がいたのだろう?」
酒王の鋭い指摘に、クックルはゆっくりと頷く。
「はい。協力していたのは3年前の銃魔統一戦争の際、リターシャ殿をさらった者と同一人物であると」
「…………すまぬ、それは完全に儂の責だ」
「いえ、その件なのですが………………」
頭を深く下げる酒王に対し、クックルは狼狽えた様子でヴィムへと助けを求める視線を送る。
それに対しヴィムは頷き、酒王に対して口を開いた。
「主様。その者は、リターシャ殿に危害は一切加えていないと証言がございます」
「……なんだと?」
「クックル殿が目的地に到着した際、その者は泣きながら許しを乞うたそうです。曰く、『恩人に報いるためだった』と」
「何を言っているか分からん。恩人とは誰だ?」
「3年前、前王様に脅されてリターシャ殿を誘拐した罪を、どうやらアケロスが隠蔽したようです」
ヴィムのその発言に、酒王は驚きのあまり目を丸くした。
そして納得したように、静かにため息をついた。
「……なるほど。道理であの事件の詳細が掴めんと思ったら、改竄していた者がおったのか。それも、儂の身近に」
酒王は悔し気に顔を歪め、拳を強く握りしめる。
その胸中はきっと、複雑な感情で埋め尽くされている。
クックルは内心で、酒王に同情の念を送った。
「無論、罪は罪。その者も地下牢に投獄させました」
「ご苦労。よくやった」
その言葉と同時に、場の緊張感はゆっくりと霧散していく。
会合はようやく終わり、クックルの役目もこれで終了。
何やら用事があるらしいヨルドの代わりではあったが、それなりにこなすことは出来ただろうか。
そんな風に考えていると、突然酒王がこちらに向かって話かけてきた。
「クックルよ」
「は、はい!?」
まさか話しかけられると思っておらず、クックルは上ずった声を漏らす。
そんな様子を無視し、酒王はとんでもないことを口走る。
「儂の代わりに、王をやってみんか?」
「――――――――――――はいッ!?」
一体何がどうしてそうなったのか。
唐突に投げかけられた提案に、訳も分からず目を白黒させるクックル。
「な、な、何を」
「昨日、黒蝮が儂の元を訪れた」
酒王が語る昨日の記憶。
そういえば、確かに昨日もヨルドはどこかに出かけていたような。
まさか、酒王に会いに行っていたとは。
「あれは傑作だったなぁ。奴が、この儂に頭を下げてきたのだ」
「え!?」
「自分が調子に乗って、蒸留器を壊してしまったと。奴はそれを謝りに来たのだ」
その発言で、クックルはようやくその状況を理解した。
大量に並んだ異様な鉄の塊が穴だらけとなった光景。
今思い返してみれば、アレが蒸留器。
つまり、この北地区の主産業に他ならない。
「数台無傷ではあるが、あれでは生産量も減少する」
「つまり、酒が造れないから王を引退すると……?」
それは仕方ないとも言えるが、だからといって何故自分なのか。
クックルがそんな風に考えていると、酒王はあっけらかんと言葉を放つ。
「いや、正直に言おう。それは全くの無関係だ」
「え」
「潮時、と感じたのだ。儂は王には向いていない。夢を見失い、そして今回の一件で支えを失った」
そう言って、自虐的に笑う酒王。
その姿が、なんだか痛々しい。
「だから、儂は王を辞める。他の方法で夢を叶えようと思ってな」
「他の、方法?」
「あぁ。昨日、初めて黒蝮と腹を抱えて笑い合ったもんさ。『それは随分とイカれた計画だ』とな」
その瞳は情熱に燃えていた。
酒王の言葉には、何故だか人を惹きつける熱意を感じる。
おかしい。
この人は、こんな空気を発するような人だったろうか?
「その計画はな――――――――」
酒王が語る内容。
それはあまりにも想定外なモノであり。
クックルは驚きを通り越し、頭を抱えて天を仰いだ。
☨ ☨ ☨
それは大きな鉄の塊、その残骸の下に存在していた。
簡易的な石柱が地面に突き刺さり、その表面には不細工な文字が綴られている。
書かれている文字は、『赤き龍、此処に眠る』。
これを見て、一体誰が墓と思うだろうか。
「ほら後輩。約束通り、酒を飲ませに来たぜ」
ウイスキー瓶の栓を開け、中身をバシャバシャと墓石にぶっかける。
戦闘の際、冗談半分に口にした約束。
まさかそれを本気で遂行するとは思っていなかったが。
ヨルドは内心笑いながら、しかし真剣に酒を浴びせる。
「クソ親父に頼んで、蒸留器の近くに墓を建てたからな。これでいつでも飲み放題だぜ」
「どういう理論よ」
ヨルドのめちゃくちゃな発言に、リターシャは横から冷静なツッコミを入れる。
「おい、男同士の友情に口を挟むな」
「あら失礼。後輩にかっこつけたいだけの先輩じゃなかったのね?」
「これは命を削り合った戦士にしか分からない、敬意みたいなもんなんだよ!」
「あほくさ。散々殺し合ってたくせに、男ってやっぱり分からないわ」
「ハッ! 私、乙女ですけどってツラしてんじゃねェよ」
「その石の横にアンタの墓も作ってやろうか?」
グルルルと威嚇するリターシャに対し、ヨルドは同じように睨み返す。
しかしそれも長くは持たず、すぐにその姿に吹き出してしまう。
「…………ふふふ! 何よ、笑っちゃってさ」
「ケハハ! なんでもねェよ」
リターシャが無事な姿を見ていると、心の底から安堵が込みあがってくる。
クックルを信じて、願いを託した。
そしてアイツは、本当に目的を遂行しやがった。
アケロスに傷を負わせ、こちら側の領域に足を踏み入れたのだ。
「あーあ、クックルには感謝しないとな」
「本当よ。あの子が居なかったら、私も、アンタもどうなってたか」
「あぁ、そうだな」
もしも、クックルが居なかったら。そう考えただけで、ゾッとする。
アイツの言葉があったおかげで、大切なものを見失わずに済んだ。
この恩は、あまりに大きすぎた。
「だから、今度はアイツの為に俺が動くんだ」
恩には必ず、報いなければならない。
「アイツの大切な存在である、王女殿下の救出。これが、今のところの最終目標かねェ」
「いいの、それってつまり――――」
「分かってる」
リターシャの心配の声を遮り、安心させるように微笑みかける。
王女を救出するという事。
それがどういう意味を持つのか、分からないはずがない。
それでも。
「いいんだ。約束もあるからな」
後輩と交わした、最後の約束。
その意志は巡る。
牙を受け継ぐ誰かがいる限り、その想いが死ぬことは決して無い。
その牙は、俺が受け継ぐ。
「ローダリアへの復讐。いや、革命だな」
ヨルドは確かに口にした。
そして、その重圧に潰されそうになる。
どれだけの困難が待ち受けているのか、想像すらつかない。
これだけの重圧を、イズルは抱えて歩んできたのか。
「上等だ。やってやろうじゃねェか」
ニヤリと、不敵に笑みを浮かべる。
既に狼煙は上がった。
後は、一歩前に踏み出すだけだ。
「それにしても、あんたがねェ……」
「何だよ」
「いや、今さら騎士の真似事なんて出来るの?」
「無理だな」
あっけらかんと言い放つヨルドに対し、リターシャは呆れた様子で口を開く。
「あんたねぇ!」
「でも」
ヨルドは真剣な眼差しで、リターシャを見つめ返す。
その瞳は、優しい光が灯っていた。
「俺は、アイツだから下についてもいいと思ったんだ」
ヨルドがそう呟いたと同時に。
「ヨぉぉぉルぅぅぅドぉぉぉさぁぁぁぁん~ッ!」
二人の後方から、聞き覚えの声が響いてきた。
心なしか上ずった声色で、アイツは走り寄って来る。
「噂をすればだな」
「えぇ、そうね」
二人は顔を見合わせて、静かに笑った。
話題の人物は、涙目になりながら声を枯らして叫び出す
「ヨ、ヨルドさ!? わ、わたっ!」
「どうどう、落ち着け」
「お水呑む?」
慌てふためくクックルに対し、ヨルドとリターシャは優しくなだめて落ち着かせる。
これから幾度も繰り返されることになる、三人の関係。
その始まりの狼煙が、上がり始めた。
翌日。
【底】全土に轟く、一大ニュースが報じられることとなった。
北地区の酒王、バレクが突然の引退。
後継者はなんと、あの“荘厳なる”一角獣アケロスを打ち破った実力者である。
そんな情報に、【底】の世界は様々な思惑に揺れることとなる。
そして、最後に報じられた内容。
幾万の住人、強者たち、そして他地区の王は、その衝撃の内容に耳を疑った。
“凄惨なる“黒蝮、獣将として着任。
「――――と、結果は以上になります。被検体一号の覚醒条件は不明ですが、実戦投入には問題ないかと思われます」
「よくやった。下がれ」
「ははっ!」
厳格な雰囲気が場を支配する中、男の発した言葉一つがそこにいた者の精神を左右する。
圧倒的上位存在の風格。
王の覇気を身に纏い、玉座に腰をかけるその男。
少し前まで、こうでは無かった。
凡夫と呼んで相違ない、ただの落ちこぼれの第三王子に過ぎなかった。
だが。
「お前の研究機関には、毎度のことながら感心する。よくぞ結果を出してくれるものだ」
「お褒めに預かり光栄です、陛下」
今、目の前にいるのは。ただの化け物だ。
そして国王に話しかけられた、白衣の男。
この男もまた、別種の化け物である。
「我ら、龍子院。陛下の為ならば、この身を投げ出す覚悟です」
「そうか。期待しているぞ、Qよ」
「はっ」
Qと呼ばれた白衣の男は、国王に対して恭しく頭を下げる。
柔和な笑みを浮かべる、眼鏡をかけた好青年。
見た目の印象だけを鑑みれば、そうだろう。
だが、その実態は――――
「さて」
思考を遮るように、国王が声を発する。
「アプール伯爵。ドリュエ辺境伯」
「ははぁっ!」
「は」
白衣を着た男たちと、中央を挟んで反対に佇んでいた男たち。
二人の貴族は、国王の言葉に対し傾聴の姿勢を取る。
「そろそろだと思わんか?」
「まさしくその通りかと!」
「然り、同意いたします」
「ふむ。ならば是非も無し」
国王は満足げに頷き、Qへと視線を向ける。
「《《龍もどき》》は使い物になりそうか?」
「はい。人工劣種、龍輝兵。被検体二号の覚醒を筆頭に、それなりの代物かと」
「ほう」
Qの言葉を聞き、少し驚きに目を見張る国王。
そして。
「そなたから見てどうだ?」
こちらに対して質問を投げかけてきた。
「………………イルミエルは優秀な部下です」
「なるほど、二号は順調か」
名前で呼んだのに、わざわざ番号として呼び直す。
そこに、同列として扱わないという確固とした想いを感じる。
「では、そなたに命令する」
国王は玉座の上から冷酷な視線を注ぐ。
人を人とも思わない、凍てつく眼差し。そこに温かさなど微塵も感じない。
「龍将フェリドよ。【猛き系譜】、【白き血脈】。その混血を探せ。それと――――――――分かるな?」
そう言って、国王は不気味に嗤う。
「全ては、真祖の顕現のために」
呪文のように唱えられた、万感の誓い。
国王、ラウネストの全てがその言葉に詰まっている。
「承りました」
だから、俺は。
「大罪人。黒龍将ヨルドは――――――――俺が殺します」
長らくお付き合い頂き、大変ありがとうございました。
これにて一段落となりますので、完結マークを付けさせて頂きます。
ここまで読んでくださった方、もしよろしければ評価やレビューを頂けないでしょうか。
次へのモチベになります。
改めて、ここまで読んでくださった方、応援してくださった方ありがとうございました。
(↓の感想欄に、お気に入りのシーンやキャラがある方は是非とも吐き出していってください。作者が巡回してウンウンと頷きながら返信します)




