邂逅
「――――――――あ、が」
「そこそこ楽しめた、ぜ」
首に手をかけ緩やかに骨をへし折る。
人の命が消える感触が掌に伝わり、快楽が脳髄を駆け巡る。
ヨルドはその感覚に身体を震わせた。
「あァ、これで終わりか……」
そして、残念そうに呟いた。
ヨルドの周り、その屋根の上には多数の死体が転がっている。
もちろん、下も同様である。
上界の戦いは、ヨルドの圧倒的優位によって終わった。
「さて。クックルはどうなったァ?」
気を取り直し、ヨルドは屋根の上を移動しながら下界を見下ろす。
心配などしていなかった。
クックルは自信なさげに振る舞っているが、ヨルドから言わせればとんだ笑い話である。
一度だけ奴の刃を見た、あの酒場での出来事を忘れていない。
軽く脅してやろうと挑発した結果、想像以上の素質を感じた。
そうでなければ、あの時勢い余って気絶などさせない。
「どれどれ……。お、いた」
ふと辿り着いた屋根の上、その下から微かな闘志を感じる。
ヨルドが視線を向ければ、そこにはクックルが最後の相手と対峙していた。
クックルの足元には夥しい死体が転がっている。
そして、その全てが一太刀で斬り伏せられていた。
「綺麗な殺し方だねェ」
凄惨な殺し方のヨルドに対し、クックルのそれは非常に流麗であった。
まさに対極の剣。
同じ人を殺す道具を握っておきながら、これほどまでに違う。
だからこそ、面白い。
そしてクックルは滑らかに刃を振るい、相手の首筋に剣を突き立てる。
音も無く終えた死闘は、最後までクックルの身体に傷をつけることは叶わなかったようだ。
剣を腰に納め一息ついたクックルの頭上から、ヨルドは声をかける。
「よォ。上手くやったみたいだな」
「あ、ヨルド殿!」
クックルはその声に慌てて顔を見上げた。
そこに写し出されていたのは不満の表情。
先程まで人を殺していたとは思えない、緩やかな子供のような表情であった。
「上手くやったじゃないですよ! お陰でこっちは大変だったんですから!」
「まァ結果良ければ何とやらってな。やるじゃねェか」
「またそんな他人事みたいに!」
不平不満を漏らすクックルの姿に、ヨルドは薄ら寒い笑みを浮かべる。
こいつは自分がやったことの重大さが理解できていない。
状況を上手く利用したとしても、多対一で勝利を掴んだという事実。
それはつまり、ヒトの領域から一歩踏み出したことを意味している。
「面白れェ」
「……何笑ってるんですか?」
ヨルドの不気味な笑みに、思わず一歩後ずさるクックル。
この人が笑うとろくなことが無い。
その思いを押し殺し、クックルは口を開く。
「私たちが襲撃されたという事は、恐らくですがアケロス殿たちも……」
「あァ。さっきの遠くから聞こえてきた音は間違いなくそれだろうな」
耳をすませば、今もまだ微かに剣戟の音が聞こえてくる。
今回の襲撃から察するに、どうやらこちらの想像以上に敵は大規模のようだ。
向こうではさらに数多くの人数が仕掛けているのかもしれない。
「では助けに行かねば!」
「えェ、めんどくさ……」
「ヨルド殿!」
「わかった、わかったって」
こいつ、少しずつ対応が雑になってきている気がする。
リターシャの性格を薄めたようなクックルの姿に、ヨルドはため息をついた。
「仕方ねェ、気晴らしにでも行く――――――」
ソレに気付けたのは、ある意味で幸運か。
それとも必然か。
気が付けば、ヨルドは双剣を抜き取っていた。
クックルは気付けない、その対応の差は本能によって培われた危機察知能力。
脳が状況を認識する前に身体が動き出す。
その行動が、結果を大きく左右する。
影が舞う。
「ヨルド殿!?」
クックルの視界からヨルドの姿が消える。
否、消えていく瞬間を確かに捉えていた。
突然ヨルドが双剣を構えだした次の瞬間、影に吹き飛ばされるその姿を。
そして、その認識は正しい。
間違いなく、ヨルドは屋根の上を飛んでいた。
飛んだのではなく、飛ばされたのだ。
目の前の、黒い影に。
「チィ…………ッ!」
ヨルドは大きく舌打ちをし、空中で一回転。別の屋根に着地する。
黒い影は優雅に翼を広げ、同じ屋根の上へと降り立った。
ソレは、漆黒の外套を身に纏った謎の存在。
手には長剣が握りしめられている。
ヨルドの両腕に残る、僅かな痺れ。
双剣で防いでこの衝撃。
それは久しく感じることの無かった、紛れもない強者の一撃であった。
「よォ、逢いたかったぜェ?」
ヨルドは歓喜の笑みを浮かべる。
間違いない。
目の前にいるこの存在こそが。
「お前だろ? 酒王の館を襲撃し、アケロスを瀕死まで追い込んだ男ってのはよォ」
その姿は外套に隠れて見えないが、ヨルドは確信していた。
刃を交え、嫌でも理解する。
こいつは、こちら側の人間だ。
しかし、その返答はヨルドの思いもよらぬモノであった。
「アケロス?」
まだ若い、男性の声。
その声には、隠そうともしない侮蔑の感情が込められていた。
「“荘厳なる”一角獣だとか言われてた、あの男か? この街最強の、四獣将の一人。槍使いのアケロス。…………キヒ」
そして男は、高らかに嗤う。
「キヒヒヒヒヒヒヒヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ! あの男がっ、最強っ!? 面白れェ冗談だよなぁ!? あの程度で将を名乗るとかさァ、恥ずかしくねえのかよ!」
男は腹を抱え、身を捩らせて笑った。
その全身から立ち込める狂気の波動に、ヨルドは小さく眉をひそめる。
目の前の男が放つ雰囲気。
ヨルドはその様子に、どこかで感じたことのあるような既視感を覚える。
「へェ。お前からすれば、アイツは大したことねェ糞雑魚ってか?」
「当たり前じゃんかァ。ってかさ、アンタだってそう思うだろ?」
そして男は、静かに袖をまくる。
外套の影から姿を現したその腕には。
「なぁ、先輩?」
夥しい龍の紋章が刻まれていた。
「……あァ、やっぱりそうか」
ヨルドは一人静かに納得する。
男が放つ狂気に見覚えがあったのも無理はない。
何故ならそれは、ヨルドが持つ狂気と同じモノなのだから。
「お前、院出身か?」
「ピンポーン! だいせいかーい。やっぱこの刻印で分かっちゃうよなァ」
男は腕を再び隠し、両手で拍手を送る。
人を小馬鹿にしたその態度。
ヨルドから見たそれは、まさしく男の歪みを表していた。
「ヨルド殿!」
その時、下から声が響く。
あとを追いかけてきたクックルは、ヨルドの姿を見つけ安堵と共に声を漏らす。
「ご無事でよかった!今すぐそちらに――――」
「来るなァッ!」
切羽詰まったヨルドの声。
それを聞いたクックルは、思わず動きを止める。
「クックル! お前は先に向こう行ってろッ!」
「し、しかし」
「いいから行けッ!」
ヨルドの声は、いつもの余裕に満ちた声色ではない。
そこに込められた感情の意味を、クックルは静かに悟る。
自分がここに残っていても、足手まといなのだ。
「……ッ! 分かりました! ご武運をッ!」
クックルはそう言い残し、その場を走り去っていく。
そんなクックルの後ろ姿を、男は冷ややかな視線で見送る。
「ふーん。随分お優しいことで」
その発言を聴きながら、ヨルドは心の中で安堵する。
今ここでクックルと接触させれば、素性がバレてしまう恐れがある。
幸いにも、男の興味はこちらにしかない。
ならば好都合だ。
「まァな。んなことより、やらねェのか?」
「お、いいねェ! やっぱ先輩もやる気じゃんかぁ」
ヨルドの挑発に、男は嬉々として乗っかる。
そして、長剣を静かに構える。
否、それは構えというモノでは無い。
だらんと腕を下ろし、身体の重心を低く保つ。
それはまるで、獣の飛びかかる前の体勢。
剣の構えなどという教養を感じさせない、独自の形であった。
「俺はずっとさ、楽しみにしてたんだ」
喉を震わせ、男は低い声を漏らす。
狂喜に満ちたその身体から、殺意の奔流が溢れ出す。
そしてヨルドもまた、同じように全身から殺意を吹き出していく。
影と闇が混ざり合い、混沌が場を支配する。
「俺とアンタ。どっちが強いのかってさァァァッ!」
対峙する二匹の獣。
今ここに、対戦の火蓋が切って落とされた。
☨ ☨ ☨
「ハァ……ハァ…………ッ! クソッ!」
クックルは己の弱さを恥じた。
自分が弱いせいで、ヨルドに庇わせることになってしまった。
クックルもまた気付いていた。
あの男こそ、探し求めていた頭領だという事を。
そして。
自分の素性に気付かれない為に、ヨルドが逃がしてくれたという事を。
「私は、なんて…………ッ!」
役立たずである自分を心の中で罵りながら、クックルは街中を疾走する。
足を止めることなく、音が聞こえてきた方角へと向かう。
今自分に出来ることを最大限行うために。
「見つけた!」
そしてようやく、目的の場所へと辿り着いた。
少し開けた空間に、大量の死体。
乱雑に転がる肉の山は、ここでの戦いの激しさを表していた。
クックルは辺りを見渡し、見知った顔の人間がいないか探し始める。
その時。
「がぼッ」
ボキッ、という骨の砕ける音と共に、男の死体が降り注ぐ。
身体を痙攣させながら流血している死体を横目に、クックルは上を見上げる。
上でまだ、誰かが戦っている。
「……こうなったら見様見真似だッ!」
クックルは、先程のヨルドの動きを頭の中にイメージする。
そして、思いっきり床を蹴り上げ上を目指す。
しかし。
「ぐぐぐッ! と、届かない……!」
結果的にクックルが掴むことが出来たのは、少し高い所にある壁の手すり。
それもそのはず。
超人的なヨルドの身体能力を、まだ一介の戦士であるクックルが出来るはずも無い。
クックルは仕方なく、手すりから手すりに摑まりゆっくりと昇っていく。
「も、もう少し……!」
そして、もう少しで屋根の上に到達しようとしたその時。
頭上から聞き覚えのある声が響く。
「おい。貴様は何をしている」
慌てて上を見上げると、そこにはアケロスの姿があった。
「ア、アケロス殿」
「クックルと言ったか。貴様は黒蝮の奴隷になったはずだ。何故ここにいる?」
アケロスの言葉に何か言い返したかったが、クックルはひとまず屋根の上に登りきる。
屋根の上に到達した時点でクックルは疲れ果てていたが、呼吸を整えながら慌てて口を開く。
「そ、それがですね! ヨルド殿のもとに、黒い影のような男が……」
「何? まさか奴か?」
「恐らく……」
クックルの言葉に、アケロスは小さく舌打ちした。
「不味いな……。早くこいつらを全員殺し、急いで向かわねば」
そう言って、アケロスが視線を向けた先。
そこには、まだまだ数多くの敵影の姿があった。
「助太刀します!」
「何だと? 一体貴様に何ができる?」
「微力でも、無いよりかはマシでしょう」
クックルはそう言って腰から剣を抜き、正中線に構える。
一丁前に言葉を放ったクックルに、アケロスは鼻を鳴らす。
「フン、足手まといにはなるなよ。早く終わらせなければ、苦しむのは貴様の主だ」
アケロスは槍を上段に構え、ぶっきらぼうに言い放つ。
「ヨルド殿であればきっと大丈夫です。もしかしたら、今ごろ倒しているかもしれませんよ」
クックルは冗談交じりに口を開いた。
その言葉には、ヨルドへの確かな信頼が込められていた。
アケロスはその様子に顔を静かに歪める。
そして。
「貴様は奴のことを何も知らんな」
淡々と、冷たい言葉を口にする。
「…………え?」
「貴様の抱く奴への信頼など、ただの虚構にすぎん。いずれ貴様は知ることになる」
アケロスは吐き捨てる様に言葉を放つ。
それは、クックルの抱くモノと似て非なる、歪んだ信頼であった。
「3年前よりも、奴がどれだけ弱くなったかをな」




