不真面目シスター、古代邪神に遭遇する の巻
牢です。
王国最大の牢獄です。
王都の東側、大河から水を引き込んだ、深い深い堀に囲まれた人工島。そこに、脱出不可能にして帰ってきた者は誰もいないと言われている、巨大な牢獄がありました。
貧しい農家に生まれた田舎娘の私、想えば遠くへ来たものです。どうしてこんなところへ来てしまったのでしょう。私、どこで道を間違えちゃったんでしょうか。
「行きなさい」
私の背中を優しく押したのは、ダンディズムの体現者、聖堂騎士団団長様。優しく響く低音ボイスで、憐れむようにおっしゃってくださいます。
「十日後に迎えに来る。それまで……生き延びなさい」
うう……無理ですよぅ……。
◇ ◇ ◇
私、王都の外れの小さな聖堂で見習シスターをしている、ハヅキと申します。
いえ、見習いシスターをしていた、ですね。あはは、クビになっちゃいました。
青春真っ盛りの十七歳、誰もが振り向く美少女だなんておこがましいことは言いませんが、十人に一人ぐらいは可愛いと思ってくれる……といいな、なんて夢想してやまない、そんな田舎娘です。
さて、その田舎娘が、なぜ凶悪犯御用達の牢獄に来ているのかと言うと。
やらかしてしまったんです。
未成年でありながら泥酔し。
シスターでありながら悪霊と契約し。
酔った勢いで王国の精神的支柱の総本山・大聖堂へ乗り込んで。
精強と名高い聖堂騎士団を、壊滅させてしまったんです。
「死刑」
開始から三日で結審という、王国史上最速タイ記録の裁判で、そんな結論が出ました。
ですよね。
人死にはなかったけど、情状酌量の余地なしですよね。
ちなみに裁判期間が私とタイ記録なのは、四代目国王に反旗を翻した王弟です。王国史の重要事件として、小学校で必ず習うやつです。
私、歴史上の人物と肩を並べてしまいました。あはは、スゴイデスネー、ワタシ。
「お待ちください」
そんな私に救いの手を差し伸べてくださったのは、誰あろう大聖女様でした。
あ、やばい。ビッグボスなんて呼ぶなと、めちゃくちゃ怒られたんでした。でもいまさら「だいせいじょさま」と呼ぶのもなぁ。敬意とフレンドリーさを適度に兼ねた、いい呼び方ないですかね?
「現地調査を怠り、力に余る仕事を命じたのは私の失態。どうか寛大な処置を」
そういえば、大聖女様ご指名による、直々の命令でしたね。任命責任うんたらかんたら、て指摘されたら、窮地に陥るのは大聖女様かもしれません。
あれ?
ということは、私を哀れんでの救いの手ではなく、自己保身のため?
大聖女様といえば、教導聖下や国王陛下に匹敵する立場の方。表には見えない権力闘争とか、すさまじいものがあるんでしょうね。
……うがった見方、しすぎですかね?
ま、とにかく大聖女様の助命嘆願を無視するわけにもいかず、喧々諤々たる議論が、裁判より長い五日も続いた結果。
私の死刑は取り消され、巨大牢獄での禁固十日に変更されました。
◇ ◇ ◇
ガコォーン、オンオンオンオン……と重々しい響きとともに、牢獄の門が閉じられました。
これから十日間、私はここで過ごします。無事過ごせれば、無罪……ではありませんが、放免です。
でもこれ、ホントに寛大な処置ですか?
なにせここには凶悪犯しかいません。しかも監視役の兵もおらず、牢獄の中は犯罪者だけ。強ければ生き、弱ければ死ぬという、弱肉強食を地で行く世界です。
さて、問題です。
そんなところに、うら若き乙女が一人で放り込まれたら、どうなるでしょう?
答え。
死ぬよりひどい目にあうと思います。
「あわわわ……」
薄汚れたおじさんたちが、ねちっこい視線を向けてきました。見える限り、女性はいません。絶世の美少女でも可憐な姫君でもない、ヒンソーな体の私ですが、それでも女、紅一点です。
「……女だ」
「おいおい、まじか……」
「ガキじゃねえか」
「だけど、生きてる女だぞ」
「だよなぁ、女だよなぁ」
ギラギラした目で私を見て、ヒソヒソ話すおじさんたち。
「ど、どうか、お気になさらずに〜」
えへへ、と愛想笑いを浮かべると、おじさんたちが、ニチァッ、と笑い返してきます。
こわい。
マジこわい。
あれ絶対、スケベェなこと考えてる顔です。
いやスケベェなんて、そんな生易しいものじゃないはずです。
「ひ、ひぇぇぇ……」
ゆらり、とおじさんたちが立ち上がり、私へと近づいてきます。
その数、およそ三十人。
みなさまガタイのいい、凶悪そうな顔をしています。
十日間、生き延びなさい。
聖騎士団長様。
それ、大聖女様ならともかく。
ただの田舎娘には、ものすごくハードル高くないですか?
◇ ◇ ◇
怒涛のような二日間が過ぎ。
私は無事、牢獄を制圧いたしました。
◇ ◇ ◇
三日目の朝になりました。
『全員、起床ぉぉぉぉぉっ!』
アーノルド卿の声が、目覚まし代わりに牢獄中に鳴り響きます。
え、誰だそれ、て?
やだなあ、忘れちゃったんですか? 「全身これ筋肉!」な悪霊さんですよ。魔法で私の従者にしちゃった、あの悪霊さんですよ。お名前はアーノルド、家名は捨てたとのことで不明。一応男爵だったそうなので、「卿」をつけさせていただきました。
この二日間の牢獄制圧戦、アーノルド卿は八面六臂の大活躍でした。
聖堂騎士団を壊滅させたのはこの方ですからね。凶悪犯といえ、ただの人間が束になっても敵うわけないんです。
やはり持つべきものは、頼りなる悪霊さんですね!
『これより、新たな監獄の長よりご挨拶がある! 囚人番号の若い順に、せいれーつ!』
飛び起きた囚人の皆様が、我先にと集まってきます。皆様の必死の形相を見ていると、なんだかゾクゾクしてきます。
これが、権力者の愉悦というやつでしょうか? クセになりそうです。
おら、早く並ばんかい、なんてね♪
一分と経たないうちに、皆様、私の前に整然と並んでくださいました。
アーノルド卿にボコボコにされたせいでしょう、顔が腫れたり、体のあちこちに青アザできてたりしている方もいらっしゃいますね。
元シスターとしては、とても心が痛みます。
でも仕方ありません、力は正義なのですから。大聖女様を見ていると、心からそう思います。
『うむ。ハヅキ様、全員そろいましたぞ』
「あ、はい、どうも」
ハヅキ様って呼ばれるたびにムズ痒くなるんですが、アーノルド卿は改めてくれません。「ワシはお前さんに惚れ込んだんじゃ」なんて、誤解しそうなことを言われてしまいましたが、どうやらアーノルド卿は私を立派なシスターに鍛え上げるのを使命と定めたようです。
悪霊に鍛えられたシスターって、どうなんでしょうね?
そもそもクビになっちゃってますし。まあ、あとで考えましょう。
「みなさん!」
私は一歩前に出て、整列したみなさんに語りかけます。
「この度、新しく監獄の長となりましたハヅキです。えーと、私が何をやらかしてここへ来たかというと、聖堂騎士団壊滅させて、内乱罪でしょっぴかれちゃいました♪」
てへぺろ、て感じで、なるべくカワイク言ったんですが、ドン引かれちゃいました。
失敗しちゃいましたね、てへぺろ♪
「えー……私、あと八日でお勤め終了の予定ですが」
あ、みんな露骨にホッとしてる。
腹立つなー、居座っちゃおうかな?
「残り八日間、できるだけ快適に過ごしたいと思いますので、これから手分けしてお掃除します!」
汚いんですよね、この牢獄。
掃除とか絶対していないですよね。掃除は見習いシスターの大事な仕事、修道院に入り何年も担当してきた身として、この状況は見過ごせません。
まあ、普通は一年ぐらいで後輩に引き継ぐので、何年もやってるのは私ぐらいですけどね。でもその分、お掃除は極めちゃいましたから!(ドヤァ)
「ホコリ一つ、チリ一つ残しちゃダメですよ! わかりましたね?」
「……へーい」
やる気のなさそうな返事に、私はコホンと咳払いします。
「聞こえませんっ!!! わかりましたかっ?」
「「「「「はいっ!!!!!」」」」」
やる気になってくれたようです。心を込めて説得すれば、通じるものなんですね。
なにやらアーノルド卿が拳をバキバキ鳴らしているようですが、うん、無関係、無関係♪
「では、お掃除始めです!」
◇ ◇ ◇
七日目の朝が来ました。
牢獄はずいぶん綺麗になり、秩序らしきものが生まれつつあります。一日に一度、衛兵さんが食事を運んでくださるのですが、すっかり綺麗になった牢獄と、キビキビと働く囚人さんたちを見て驚いていました。
やはり、環境というのは大事ですね。
まあ、ほとんどアーノルド卿のおかげですけどね。
「ハヅキちゃーん、ごはん持ってきたよぉ」
数少ない女性の一人、ポンパドールさんがご飯を運んできてくださいました。
御年二十五歳の、ボンッキュッボンッな、お色気と愛嬌がたっぷりのお方です。三日目の夜に挨拶をして、「女同士で一緒にいよう」と言われて、一緒にいるようになりました。
あっけらかんと朗らかで、とても凶悪犯には見えないんですよね。一体何をやらかしてここへ入れられたんでしょう。
「ハヅキちゃんが来てから、すっかり変わっちゃったねー」
「がんばってくれてるのは、アーノルド卿ですけどね」
今日も反抗的な囚人をしばき倒して改心させ、南側のお掃除に行ってくれました。なんだか、私よりお掃除に熱心なんですよね。
生前は働き者の、ナイスガイだったんでしょうね。なんで悪霊になっちゃったんでしょう?
「ほんと居心地よくなったよねー。いっそここで暮らしたらぁ?」
「いえ、シャバに帰りたいので」
「食うに困らないよ?」
「………………いえ、真っ当に生きていきたいので」
一瞬、迷ってしまいました。いけないいけない、悪魔の誘惑です。
「そっかー、まあそうだよね。じゃあ、せめてお掃除だけは、全部やっちゃおうね」
「そのつもりです」
お掃除は私が自慢できる唯一のもの。これだけは修道院長にもほめられたことがあります。ですので、中途半端はプライドが許しません。
「あ、でも北東にある古ーい扉は、近づいちゃダメだよ?」
「え、なんでですか?」
「よくわかんないけど……何代も前の長から、絶対近づくな、て引き継がれてんだって。ヤバイらしいの」
「そうですか。わかりました、気をつけておきますね」
ま、後でわかることですが。
フラグでしたよね、この会話。
◇ ◇ ◇
十日目になりました。
お勤めの最終日は、あいにくの曇り空。うーん、もう一日もってくれたらよかったのになあ。
西→南→東と進んで来たお掃除、残すところ北側のみです。
「みなさん、今日もがんばりましょう!」
「おーっ!」
この九日間、一丸となってお掃除してきた囚人さんの間には、連帯感のようなものが生まれていました。お掃除のスキルを競い合う、そんな健全な競争も生まれていて、いい雰囲気です。
できればお掃除をやり切り、成功体験を共有して、心置きなく立ち去りたいものです。きっといい思い出になるでしょう。いつか出獄した皆様と、思い出話なんかできたら最高です。
よおし、張り切っちゃいますよ!
「しかしこの牢獄、ホント広いなあ」
人数に比して、広すぎませんかね?
そもそもなんで、王都のすぐ東なんてところに、こんなものを作ったんでしょう? 普通は離れ小島とかじゃないですかね?
「ま、いいや。お掃除、お掃除〜♪」
午後になり、夕暮れまであと数時間になりましたが、終わりそうにありませんでした。どうも北側は長い間放置されていたみたいで、なかなか綺麗になりません。
ならばここは、マル秘スキルを発動するしかありませんね。
「聖なる箒!」
掃除道具のお掃除力をアップする、私のオリジナルスキルです。「それより先に『聖なる灯』を覚えなさい!」と怒られそうだったので、修道院のみんなには内緒のスキルです。
あ、「聖なる」なんて言っていますが、ただの雰囲気です。ほら、綺麗になるのって「聖なる」って感じじゃないですか。
あと「箒」と言っていますが、掃除道具ならなんでもOKです。汚れだろうが埃だろうが、絡め取ったら逃さない、そんなパワーが付与されます。
「おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃーっ!」
ご覧ください、天井も壁も床も、一掃きでピカピカになるんですよ。
すごいでしょ?(ドヤァ)
「こらそこ! 掃除の基本は上から下へ、奥から手前ですよ!」
いまだに掃除の基本が身についていない囚人さんに注意をしつつ、私は軽快にお掃除を続けました。
いいですよね、綺麗になる、て。
心も洗われる、そんな気がします。
シスターはクビになったし、ここを出たら、ハウスキーパーとして働くのもいいかもしれないですね。
『は……ハヅキ様、そのスキルは一体……』
声をかけられて振り向くと。
アーノルド卿が、目を大きく見開いて驚愕の表情を浮かべています。
はて、どうしたのでしょうか?
「これですか? お掃除楽したいなー、と思って、開発したんですよ」
『か……開発した……じゃと? 一人で?』
「はい、そうです。できるようになるのに一ヶ月くらいかかっちゃっいましたけど、今はもう自由自在です!」
『いっ、一ヶ月で!?』
アーノルド卿、あんぐりと口を開けたまま硬直してしまいました。
はて、どうしたんでしょうね。
まあ、いつまでも硬直していてはお掃除終わりませんし、注意しましょうか。
「ほらほら、手を止めてないで、ちゃっちゃとお掃除してください。もう日がくれちゃいますよ」
ビリッ、と。
何やら紙が破れるような、そんな大きな音がしました。
「ありゃ?」
箒の先に、ボロボロの紙切れが引っかかっていました。
よそ見しながら箒動かしていたから、壁に貼ってあった紙を引っ掛けちゃったみたいです。
「あちゃー……ま、いいか。ついでに全部剥がして綺麗にしちゃえ」
私は鼻歌を歌いながら、壁に張り付いていた紙を箒の先で剥ぎ取りました。
ビリリ、ビリリ、と気持ちいいくらい綺麗に剥がれていきます。久々に使ったスキルですが、今日は絶好調ですね。
「おー、取れる取れるー♪ 綺麗になぁれー♪」
あまりに綺麗に剥がれるので、楽しくなって箒を振りまくっていたら。
『ハヅキ様、ちょっと待つんじゃぁぁぁぁっ!』
アーノルド卿が慌てて私に飛びついてきました。
ぎゅっと抱きしめられて、びっくりしてしまいます。
「なっ、なななな、アーノルド卿!? わ、私たちは主人と従者であり、弟子と師であり、そもそも生者と死者でして、そそそそういう関係じゃ……」
『ああっ、全部剥がしてしもうとるぅ! ハヅキ様、これは封印のお札じゃぁっ!』
「へ?」
封印?
お札?
私は箒の先に引っかかった紙を見ました。
古い古い、朽ちかけた紙。ビリビリになってしまいましたが、一枚の大きな紙だったようで、何やら不思議な文様が描かれていたようです。
この紙が貼られていたのは、これまた随分と古い、頑丈そうな扉。
ちなみにここは、牢獄の北東部。
──北東にある古ーい扉は、近づいちゃダメだよ?
そういえばポンパドールさん、そんなこと言ってました……よね?
◇ ◇ ◇
ドンッ、ドドンッ、ドドドンッ!
扉が、向こう側から激しく叩かれました。
「うわっ!? びっくりした!」
誰でしょう?
え、ちょっと待って?
この扉、幅十センチほどの壁に埋め込まれていて、奥に部屋とかないですよね?
そう言えば、なんでこんなところに扉があるの?
この扉だけ妙に古くて、やたらと頑丈そうなのはなぜ?
何やら猛烈に嫌な予感がしてきました。
「おい、どうした?」
「なに抱き合ってんだよ、夜にやれよ」
騒ぎに気付いた囚人さんが、なんだなんだと集まってきます。
『ばかものぉ、こっちにきちゃいけんっ! 逃げるんじゃぁっ!』
「あ、アーノルド卿!?」
『いかん、出てくるぞぉ!』
「え、え、何がです? 死霊とかですか?」
『死霊や悪霊どころじゃないわぁっ!』
「きゃっ!?」
アーノルド卿が私を肩に担ぎ、全速力で走り始めました。
『悪魔か邪神か、とにかくそういった、とんでもないものじゃあっ!』
ドゴォンッ、と大きな音がして、扉が内側から吹っ飛ばされました。
そして、吹っ飛んで開いた暗闇から。
どろりとヌメる、気味の悪い腕のようなものが出てきました。
「ひっ!?」
な、なんですか、なんなんですか、あれ!
ヌメヌメ光って、触れた壁とか床とか、シュワシュワって蒸発してません!?
さすがに私でもわかりますよ、あれ、マジでやばいやつですよね!?
「うわ、うわぁぁぁっ!」
出てきた腕が周囲をまさぐり、逃げ遅れた囚人さんが捕まえられました。
そしてそのまま、扉の向こうに連れて行かれてしまいます。
「た、助けてく……」
扉をくぐった途端、囚人さんの声は聞こえなくなりました。
え……え……あれ、どうなっちゃったんでしょう……ね……?
「つかまった!?」
「食われたのか!?」
「に、逃げろぉ!」
パニック状態になった囚人のみなさんが、西側にある出口へと殺到します。ですが、外からがっちり鍵がかかっていますので、出ることはできません。
ドォンッ!
地響きとともに牢獄の北側が崩れました。
そして、扉の向こう側……深淵より這い出てきた、どろりとヌメる気色の悪い、泥人形のようなやつがゆっくりと立ち上がります。
『くぅっ……ここへ入ったときから、気味の悪い波動を感じとったが……こんな化け物が封じられとったんかぁっ!』
アーノルド卿が私を下ろし、臨戦態勢となりました。
その険しい顔を見て、私も心底理解します。
これガチだ。
ガチでヤバイんだ。
『来るぞぉっ!』
泥人形が腕を動かした──と思った、一瞬後。
『マッスルパーンチ!』
アーノルド卿が叫び、渾身のパンチで泥人形のパンチを受け止めました。
「きゃぁぁぁぁっ!」
衝撃波で、私は吹っ飛んでしまいます。
ケガしなかったの、奇跡としか言いようがありません。
「あ、アーノルド卿!」
『に……逃げるん……じゃ……』
地面に叩きつけられ、のめり込んでいるアーノルド卿。
うっそ、聖堂騎士団を圧倒したアーノルド卿が、一撃ですかっ!?
全く歯が立ちません、レベルどころか次元が違います。死んでないのはもともと死んでるからですね。
つまり私なら、即死間違いなしです!
いやぁぁぁぁっ!
『食われる前に……逃げるんじゃぁ……』
いや、逃げたいんですけど!
ここで行き止まりなんですよぉっ!
「か、壁を登れぇ!」
誰かが叫びました。
その声をきっかけに、次々とみんなが壁に張り付き、よじ登ります。私も火事場の馬鹿力で、猿のように壁を登りました。
でも、そこまでです。
その先はかなりの高さの堀。しかも脱出防止のために、水中には有刺鉄線が張り巡らされています。飛び降りたらタダじゃすみません。
「つ……詰んだ……」
一か八かで飛び込むしかない、と。
そんなふうに思って、息を飲んだときでした。
「シスター・ハヅキ! 今度は一体、何をしでかしたんですか!」
◇ ◇ ◇
いつの間に日が沈み、雲が晴れたのでしょうか。
西の空に浮かぶ月を背に、真っ白な法衣に身を包んだ美しい女性が空に浮いていました。
え、大聖女様、飛べるんですか?
その姿、まるで天女のよう──いえ、どちらかというと、民間神話に出てくる戦乙女ですね。
そしてその隣には、ボンッキュッボンッな、お色気と愛嬌たっぷりの若い女性の姿もありました。
「うーわー、ハヅキちゃん、封印解いちゃってるしー。注意して、て言ったのにぃ」
「ポンパドール。あれは何ですか?」
「古代から封印されていた、なんかヤバイやつっすね」
「もっと詳しく」
「それ以上、知らないでーす♪」
え、あの二人って知り合いなの? どゆこと?
Guooooooo!
泥人形が吠えました。
空に浮かぶ大聖女様を敵と認めたのでしょう、だらりと下げていた両手が、猛スピードで伸びていきました。
「だ、大聖女さまっ!?」
思わず叫んだ私をちらりと見て。
「ふん」
泥人形に視線を戻し、忌々しそうに鼻を鳴らした大聖女様。
ドンッ!
次の瞬間、空からとてつもない力が降ってきて、私はその場に這いつくばりました。
私だけではありません、今まさに堀に飛び込もうとしていた囚人たちも、その力に押さえつけられて身動きできなくなりました。
Gyaaaaaaaa!
そして、大聖女様を攻撃しようとした泥人形は。
伸ばした両手を、一瞬で消し飛ばされていました。
「古代の悪魔だか邪神だか知りませんが……」
大聖女様の力が、さらに大きくなるのを感じました。
え、うそでしょ?
さっきので全力じゃないんですか?
大聖女様、マジ化け物じゃないですか!
「この私の身に、気安く触れるでないわぁっ!」
まるで巨大なハンマーのような、超高密度のエネルギーが降り下ろされ。
古代から蘇りし泥人形は、ぷちっ、と叩き潰されてしまいました。
◇ ◇ ◇
こうして、「あそこだけには行きたくない」と凶悪犯たちを恐れさせた、巨大牢獄は廃墟となりました。
その廃墟のど真ん中で。
私は正座させられました。
ちらりと見上げると、仁王立ちしている大聖女様。
お怒りでしょうか……お怒りですね、怖いですね、恐ろしいですね、あの泥人形がかわいく思えます。
「やー、ケガがなくてよかったねー、ハヅキちゃん」
私の隣にしゃがみ、優しく肩を叩いてくれるのはポンパドールさん。
この方、大聖女様直属の部下だそうです。私が十日間のお勤めを無事に終えられるよう、サポートのために潜入していたとか。
ちなみにシスターではなくシノビだそうで……シノビってなんですか?
「ねえハヅキちゃん、あの封印、どうやって解いたの?」
「あの、その、お掃除してて……箒で掃いたら、破れちゃいました」
「は、箒で? んなことできるわけないと思うんだけど」
「ほ、本当ですよぉ……」
めっちゃ疑いの目で見られました。
なので、隠しスキルのことを説明するしかありませんでした。
「え、えーとハヅキちゃん……」
正直に話すと、ポンパドールさんが呆然とした顔になりました。
「話、盛ってない?」
盛ってませんよぉ……この期に及んで嘘ついても、いいことないじゃないですかぁ。
ちらりと見上げると、大聖女様もあんぐりと口を開けておられます。そんな顔をしてても美しいなんて、反則ですよね。
「ふーん、ハヅキちゃん、君はひょっとして大物なのかな?」
何やら楽しそうな顔で、大聖女様を見上げたポンパドールさん。
「どうします?」
問いかけられて、無言のままじーっと私を見ていた大聖女様ですが。
「……シスター、ハヅキ」
「は、はい」
やがて口を開くと、とんでもないことを宣言しました。
「あなたを、私の直属とします。明日より大聖堂所属となり、私の側仕えになるように」
「えっ、やだ」
思わず即答した私の顔を、「大聖女クロー」がガッチリととらえました。
「い、痛い、痛いですっ! 大聖女様、痛いですぅっ!」
「何やら予想外の返事が聞こえた気がしましたねえ」
ギリギリと、「大聖女ネイル」が私の頭に食い込んできます。
死ぬ、これ死んじゃう、マジで死んじゃう!
頭がミシミシ言ってるよぉ!
「聞き間違いだと思いますので、もう一度だけ言いましょう。シスター・ハヅキ、私の側仕えになるように。お返事は?」
「あ、ああああありがたきご下命、謹んでお受けいたしますぅ!」
──こうして、私ことシスター・ハヅキは。
復職した上に、見習から大聖女様の側仕えへと、大出世を果たしたのでした。