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寄席手帖  作者: 梅田絡迷
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第二回 〔愛は名題〕


  持参金。姥櫻亭千楽。



 何とはなしに街を歩むと、「牛鍋処」などと書かれた看板が立てられた店屋や、「坊つちやん」と書かれた本が並べられた書店など、数多の店が立ち並んでいて、大勢の人で賑わっていました。

 矢絣の着物に女袴を召した女生徒の言の葉に耳を傾けると、

「よろしくてよ。」

「かまいませんことよ。」

「すてきだわ。」

 といった、言の葉が幾度も放たれており、道をゆく外套を羽織った男や、隣を歩く藍染の着物をまとった女は、顰蹙をし、あるいは得たり顔で、

「最近の女生徒の言葉遣いは、何故ああなのだろうか。やばい女生徒。言葉遣いも相俟って、まさに矢場女、といったところではないか」

 笑って、そう言いました。

  たまきはる

  椿よ、かれば

  灰と云ふ

 あてもなく街を彷徨って、古池へと蛙を投げ入れ、歪な形の波紋を生じさせると、

「英吉、おめえ、一体何をしているんだい?」

「あァ、吉兵衛さん。丁度よいところにいらしてくれました。一寸、ほんの少しですから、話を聞いてくれませんかねえ?」

「あァ、よいとも。一体(顔を綻ばせ、イッテェと発音いたしましたので、私は、何処か痛めたのかしら、と思いました)どうした」

「へい、それがですね、先だって吉兵衛さんに、お金を五円ほど借りたとき、返済は俺ではなく、女房にしとくれ、と仰っていたじゃないですか。実は、……あの五円を未だ返してねぇんです。返そう、返さなければ、と焦燥に駆られて、終には家を抜け出しちまって……。吉兵衛さん、どうにか、どうにか卯月のうちには返しますから、御容赦くだせぇ」

「そうなのかい。まだ、返していなかったのか、はァ、知らなかったよ」

「え? 知らなかった?」

「そうさ。俺はあくまで仲介人。返済の有無も知らなきゃ、借りた金の使い道も知らん」

「結婚の為に、使いやした」

「そうかい。まァ、どうだっていいさ。この縁と共に、行くか」

 そう言うと、吉兵衛さんは歩き出しました。

 牛鍋処、書店、女生徒、文化人を装う朴念仁が彩る街を後にし、私は吉兵衛さんの外套を追いながら、

「何処へ向かうんですか?」

「俺の家だが?」

 私は、泡を食って声を荒げ、

「何故ですか! ……謝れと?」

「そういうこった。観念しな」

「へい、……わかりやしたよ。ところで、その奥さんって、どんな方なんでしょうか?」

「知らねぇのか。じゃあ、教えてやるよ。まず、背がな、すらっと、──」

「高いんですか?」

「──、低いんだよ。その代わり、体はとても大きい。そんな体を支えるのだから、当然、足は太い。大根なんて、比じゃない。

 そして、顔の色が、美しく透き通るように、──」

「白いんですかい?」と私が訊こうとして、「白い」と言いかけると、

「黒い! ビール瓶のようなもんさ。額はまるで恐山のようで、目は河原の小石のように小さい、知識は豊富だが川の流れのように下らぬ話を休む暇なく話し続ける。まァ、所謂普通の女サ」

 私の心は二つの狼狽の色で染まりました。喉の奥から、声を放とうとした時には、すでに吉兵衛さんのお家の門前に立っていたのです。

「頼む、英吉。あいつの居る、居間までは黙っておいてくれよ。でなけりゃ、五円の件がさらに酷くなっちまうと思っとけ」

 私は、息を殺し、口を噤んで、式台へと上がり、そうして廊下を歩きました。壺や絵画の飾られる三間の道を進み、赫い焔が揺らぐ囲炉裏の横をゆくと、二枚の障子があります。吉兵衛さんは、障子をそっと掴み、

「開けるぞ」

 鈍い音を鳴り響かせて、勢いよく障子を開けました。

 すると、二つの籐椅子があり、一つには吉兵衛さんの奥様と思しき御仁が座っており、そしてもう一つには、──。

 私は愕然とし、

「椿! いってぇ、何してるんだ?」

「おい、英吉。この女は?」

「へぇ、うちの家内です」

 椿は、「どうも。椿と申します」と吉兵衛さんに挨拶をし、「英吉さん、何処にいらっしゃったの? たしか、吉兵衛さんと仲が良かった、ということを思いだして、ここへ探しに来たら、奥様の清さんにお会いして、談笑をしていたの。そしたら、祝い金を下さるらしくって、私何度も断ったのだけれど、下さると仰るのならば、お言葉に甘えて頂こうかしら、と思ったのです。けれども、……どうやら今お貸ししているお金があるらしくって、それが戻ってくるまでは渡せないらしいの」

 清さんは、私と吉兵衛さんを睨み、

「まったく、あんたって人は。金を貸す、って言いだしたと思ったら、私から出させて、そうして貸した相手は一向に返してこず、手紙でやり取りをしても、何も変わらず。家を訪ねても、誰も出てこない。一体、どんな眼を持っていたら、うちに人へ五円貸せるほどの余裕があるように見えるんだい? しかも、三日も家から姿を消して、帰って来たと思ったら、友だち? 知り合い? を連れて来て、……本当、馬鹿なのかい? くたばっちまえ! もう、あんたとは絶縁さ。最後に、……今すぐ金を貸した相手を連れてきな!」

 吉兵衛さんは、笑って言いました。

「こいつだ」

 指を差された私を見て、椿は、

「はあ、見損なったわ。何故、私に何も言わなかったの? もういや、別れましょ。左様なら。良かったわ、式の前に気付けて。不幸中の幸い、というやつね」

「違うんだ。まってくれ! 借りたのには理由があって」

 と、私が言いかけた時には、椿は私のことには目もくれず、籐椅子に座ってカステイラを頬張っていました。

 清さんは、嗤って、

「あんたら二人は、もう用済みさ。灰、左様なら」


「なァ、英吉」

 街を歩き、あの、吉兵衛さんと出逢った場所へと舞い戻ると、そこでは閑古鳥が鳴くのみで、牛鍋も、朴念仁も、何もかもが滑稽みを呈していました。

「なんですカァ」

「あの五円は一体なんだったんだろうねェ。金ってのは、あァ、ほんとおっかねぇ」

「不思議な、酷くて、醜い、ご縁ですよ」

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