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小屋を出た頃にはすっかり日は傾いていた。
濃い橙色に染まる帰り道、イヴはその幼くも美しい横顔をむっつりとしかめていた。逆に言えば、むっつりとしかめ面でも美少女ですって顔なんだから、美形はつくづく得だ。
はっきりとした顔立ちに、西日が鋭く影を刻み込み、ガキっぽい膨れ面を、芸術的な憂い顔なんて印象に変えちまうんだから、まったく。
その半歩ばかり後ろをのんびり歩く俺の方といえば、何しろ面白みもない平らな顔族だ。何色に染め上げられたところで、のっぺりと影がかかっちまってぼやけるばかりさ。
まあ、俺みたいなモブはそのくらいでちょうどいい。あんまりはっきり顔立ちが映っちまったって、どうやっても主人公って顔じゃあないんだ。
思わず目を細めちまうような西日の光に溶かされた、静かな炎のように輝くストロベリー・ブロンドが、不意に踊るように振り向いた。
逆光の中、それでも奇妙な圧力のあるあの目が、きろきろとした光を宿したあの目が、俺をじろりと見つめた。
「ねえ、ヨシダ」
「なんだよ」
「ゴブリンなんていないって、みんな言うのね」
「まあ、そりゃ、な」
UMAみたいなもんだと、俺は思う。
いるかもしれないが、見間違いとか、形態異常とか、そう言うのが正体だってオチはよくある話だ。
いままでいなかったものが、急に現れたりはしない。
ここ何年か見なかったとかいう話じゃなく、もうずっと昔から、本当に見た奴なんていないんだ。
もしいままで見たこともないものが急に現れるとすれば、よそから来たか、環境が変わったから顔を出したのか。
なんにせよそれらは、珍しい動物であって、ファンタジーの魔物なんかではないだろう。
イヴだってわかっちゃいるだろうさ。
もしそう簡単に出てくるなら、今までにだって出てきてたはずなんだってのは。
それでも、もしかしたらと、思うのだろう。
この世界には不思議なものがあるのだろうと。
そう。
思っている。
願っている。
祈っている。
それは寂しさにも似た祈りだ。
イヴは切なげに眉をひそめた。
それは何百年も前に忘れられた、朽ちかけた名も知れぬ神像のような儚さだった。
「それはそれとしてお昼を食べ損ねたわ」
「中身が伴ってれば完璧だったんだが」
むっつり顔の半分くらいは空腹のせいだったんじゃなかろうか。
普段は三食しっかり食ってる人種だからな、貴族様は。
宿に戻るころには日も落ちて星が煌めきだし、宿の一階の酒場では農夫たちが賑やかに呑み始めていた。
もとより人のよい素朴な連中でもあるのだろうし、酒を飲んでおおらかになっているのもあるのだろう、実に気安く声をかけてきてくれ、空気は悪くない。
ああ、だが気安さが過ぎて尻に手を伸ばすのは、おっと、遅かったな。そのお嬢様、足癖が悪いぞ。
イヴに蹴り飛ばされて椅子ごと倒れ込むおっさんだったが、周りの連中が驚いた後大いに笑うし、笑いながら、からかいながら助け起こす。そうすると蹴られた男も、バカやったのは自分だから、すまんすまんと笑いながら起き上がる。
一応貴族令嬢なので場合によってはその場で私刑もあるぞとは思うが、被害者であるイヴが笑いながら鷹揚に許すので、肩だけすくめておいた。
なんなら俺に言って財布を出させ、一杯ずつ奢ってやるという太っ腹も見せるので、ま、そういうもんなんだろう。
宿代に込みだった夕食は、パンと何かの煮込みだった。粉でとろみをつけてやったシチューの様相で、蕪やら人参やらと、少なくはあるが肉が入っていた。一応食ってみて見当をつけてから聞いてみると、やはり、野兎の肉だった。
夏の兎なんで、痩せてるわけでもないが、脂が乗ってるわけでもない。
ジビエではあるが、癖は少ない。処理の仕方にもよるんだが、これは血抜きがうまいのか癖が全然ない。なさすぎる。匂いや癖がないのが逆に寂しいくらいだ。
鶏肉みたいだという人もいる。確かに淡泊ではあるが、脂気がないのにジューシーで、コクがある。肉質は鶏肉よりしっかりとして、ぎむぎむと歯に心地いい。
骨を叩いてだしを取ったのか、その旨味もいい。
普段いいもん食ってるイヴからしたら貧相極まりない粗野な料理だろうが、ケチをつけることもなくむしろ面白そうに食べていた。
まあ、そうか。そうだな。
ファンタジー定番の宿の飯ってのは、オタクにとっちゃある種の憧れか。
そう思って見渡せば、ぼろい酒場も雰囲気を感じられ、旅の冒険者の気分に浸れそうなものだ。
食い終わる頃には、イヴは現金なことでずいぶんと機嫌をよくし、足取りも軽く二階に上がった。
部屋は狭く、ほとんどベッドとチェストが一つがあるだけの物置といった風情だった。
そのベッドも、ほとんど板に薄く藁しいて布かぶせた程度のもの。チェストも、せいぜい蓋つきのリンゴ箱みたいなものだ。
それさえもイヴには面白いらしいが、いつまで楽しんでいられるかね。
俺は宿の主人に頼んでタライに湯を貰い、イヴの足を洗ってやった。
ほとんど馬車乗ってただけだが、あれはあれで疲れるもんだ。五、六時間ばかり馬車に揺られる、なんてそうそう経験しないだろうが、一時間くらい電車やバスに揺られるだけでも、降りた時には肩が凝ったような気持ちになるだろう。
さすがに全身マッサージなんざしてやるわけにはいかんし、疲れてるのは俺も一緒だから絶対したくないが、足をほぐしてやるくらいはしてやるさ。
これをやるとやらないとでは翌日の調子が露骨に違うからな。脚は第二の心臓なんて言うし、足の裏には全身につながるツボがあるとか言うし、ま、理屈はわからんが立ち仕事や歩き仕事するんなら必須メンテだ。
すらっとした少女の素足を眺めて、手に取って、ぐにぐにと揉み解しても、残念なことに今更どうとも思わない。
子供だしなあ。
十四歳ともなれば昔は、なんて言い出す連中もいるが、その十四歳が日々野山を駆けまわったり馬乗り回したりして泥まみれになって帰ってきては、服引っぺがして井戸端でざっぱざっぱ水ぶっかけて丸洗いしてたんだぞ。
そう言う対象じゃあねんだよ。
近所のわんぱく小僧というか、そろそろ毛並みのいい野ザルくらいの雑な印象にさえなってきている。
野ザルの方でも俺のことを言うことを聞く人形くらいに思ってるからお互い様だな。
あとそれに加えて、初夏とはいえそこそこ暑い日中を、編み上げブーツはいて一日歩き回った足ってのはな、特殊な訓練でも受けてないとキツイとしか言えん。いや言わんけどな。本人の名誉のためにも。
年頃の娘にしてはだいぶん分厚い足の裏の皮を指圧しながら、俺は明日の予定を聞いてみた。
「明日はどうするんだ?」
「もちろん!」
「はいはいゴブリンな。っつっても、あてはあるのか?」
「ないわよ?」
「ま、そりゃそうだな」
俺にないんだから、一緒に行動してたイヴにもある訳はない。
また聞き込みかね。
やれやれという気分で土踏まずのツボを押してやると、シームレスに蹴りが来た。
お前ね、そこ痛いってのはどこか悪いらしいぞ。
足癖が悪い以外でな。