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リンゴと同じような見た目で、リンゴと同じような味がして、現地でもリンゴと呼んでるこれは、果たして俺の知ってるリンゴと同じリンゴなのかね。
異世界とは言っても、結構俺の知ってる食材があって、不思議ではある。知らないのもあるが、しているものが実に多いので、本当に異世界なのか、パラレルワールドなのか考えもする。どちらにしろ不思議世界であるのは確かだが。
安宿の部屋には椅子もないので、チェストに腰を下ろして暫定リンゴを切り分けて兎の飾り切りなどしていると、イヴはようやく目を覚ました。
あれから一昼夜の間、イヴはぐっすりと眠りこけていた。薬師にも見てもらったが、単に疲れて寝ているだけとのことだったので、魔剣ってのはかなり消耗するものらしい。
イヴは少しの間ぼんやりと天井を見つめて、それから「ゴブリン!」と叫びながら勢いよく起き上がった。年頃の少女の寝起きの第一声としては落第点だな。
そして急にそんな激しい動きをするものだから、案の定イヴは頭を抑えた。そこには包帯が巻かれていて、血が少しだけにじんでいた。
「いったーい!」
「お前頭打ってるんだから、暴れるなよ」
「え、なに? なによ? 頭? なんで? ゴブリンは?」
「おいおい、大丈夫か。頭はまともか? 普段まともじゃないんだから、少しはまともになってるといいんだが」
「はあ!?」
「ほれ、見えるか。この指は何本に見える?」
からかって顔の前で指をひらつかせて見せたら、案の定噛みついてきたのでよける。
犬でももう少し大人しいぞ。そうでもないか。躾け次第かもな。
こいつも育ち自体はいいはずなんだが、甘やかされたのかね。
エレヴェ・ダン・ドゥ・コトン三世の方が、名前の割にまだお行儀いいだろうよ。
「変わりないな。残念なことに」
「ゴブリン! ゴブリンはどうしたのよ!」
起きるなり元気にゴブリンゴブリンとわめくイヴを抑えるように、俺はウサギリンゴを口にねじ込んでやった。
イヴはもがもがとそれを頬張り、咀嚼し、しっかりと飲み込んでから、再び「ゴブリン」と鳴いた。行儀がいいんだか悪いんだか。
さて。じゃあ信用、説得、いや、言い包めの時間だな。判定や如何に。
「あのな。ゴブリンなんているわけないだろう」
「はあ!? いたじゃない!」
「はいはい、夢でも見てたんだろ」
「夢じゃないわよ! この頭の傷だって!」
「お前、猿に飛び掛かられて、頭打ったんだよ」
「は? なに? え? さ、サル?」
「おう、猿。猿知らないか?」
「し、知ってるわよ、サルくらい。あの、ほら、南の商人とかが持ってくる、すばしっこいの」
「それだな」
この国じゃ、猿はあまり一般的じゃない。
他所の国にはいて、見世物や売り物としてたまに入ってきて、ペットにしてる貴族もいる。
財力や人脈の広さ、流行への敏感さを見せつける、ある種のステータスってやつだな。
イヴも知ってはいるが、見たことはなく、当然飼ってもいないし、身近でもない。
そのペット・ブームも下火になってきて、つまり飽きられてる頃合いで、だからちょうどいい。
「どうも捨てられて野生化した猿が棲みついてたみたいでな。それが興奮して飛び掛かったんだよ」
「あ、あたしがサルなんかにやられるわけないじゃない!」
「ならゴブリンならやられるのか?」
「やられないわよ!」
「でも実際やられて気絶してたな」
「むぐ」
「考えてみろ。すばしっこくて、木も登れて、両手で道具も持てて、賢い。賢いだけじゃなくて力も強い。自由に木に登れて上から襲ってくるうえに、ワルガキ並みに知恵の回る滅茶苦茶すばしっこい野犬がいると思ってみろよ。それが群れでいるんだぞ?」
「さ、サルってそんなにヤバいのね……」
「そうだ。猿はゴブリンよりヤバい」
「サルはゴブリンよりヤバい」
「だからお前も後れを取った。これは仕方ない。お前が弱いんじゃなく猿がヤバい」
「なんかそんな気がしてきた……」
経験だが、こういう時に大事なのは、激しく言い立てることではない。
さも当たり前のことを説明するように、落ち着いて穏やかに話す方がそれっぽい、気がする。気がするというのが大事だ。普段と変わらないトーンでトンチキなこと言われると、冗談か本気かわからないのと一緒だ。
そして嘘をつくときは本当のことを言うのも大事だ。嘘を吐こう騙そうというのはどうしても表面に出てくる。
なので猿についての知識のように心に負担のかからない真実をねじ込む。
そして関係のない二つのことを結び付けて、答えが出たように誘導するわけだ。
永遠に説得するのではなく、その場で言い包めるならこれで十分だ。寝起きで頭も回ってないしな。
あとは時間がたてば本人の内で勝手に消化してくれる。
すべて終わって過ぎ去った後に、あの時のことはもしかしてと思っても時すでに遅しだ。
起きれるようになったら飯食いに来いよと言い残して、俺は一階に降りた。
先に朝食を済ませていたマリが、追加料金を支払ってバスケットに山盛りのパンをもりもり飲み込んでるところだった。顎が強いから咀嚼速度も速いし、まさに飲み込んでいると言っていい食事スピードだ。
「お嬢様は誤魔化せたのか?」
「ああ。猿のせいにした」
「サル? それで納得したのか?」
「納得しなくても、証拠は何もないしな」
洞窟の奥にいたゴブリンどもは、イヴがみんな追い出しちまった。
あれだけ怯えて逃げ出したんだ。少なくともしばらくは出てこないだろうさ。
俺がゴブリンなら、火を噴く生き物をもう一回襲おうとは思わんし、そんな生き物が大量に住んでる村にも顔は出したくないね。
まあ連中がおとぎ話の通り、ほどほどに愚かならまたやってくるかもしれんが、その頃にはイヴも忘れてるだろう。
猟師のおっさんには金を握らせて口裏を合わせたし、あの洞窟に案内なしでたどり着けるはずがない。
これで、残念ながらゴブリンなんていなかったというわけだ。
散々苦労して、頭にこぶもこさえて、それで結果が猿でしたなんて現実だったんだ。
イヴもがっかりして、少しは大人しくなってくれるだろうさ。
俺は変わり映えのしないパンを、
「ヨシダ!」
かじろうと思ってたんだがな。
げんなりしつつ振り向けば、そこには今朝の便で来たらしい商人らしき男と話すイヴの姿。
そばでマリが慌てて兜をかぶっていたが、多分気にしなくていいぞ。何しろあのお嬢様の目の輝きようだ。文字通り眼中にないだろうさ。
俺も見えないことにしてほしいが、残念ながらそうもいかないらしい。
頭に包帯を巻いていても、寝起きで髪がうねっていても、イヴは相変わらず美少女だった。
その美少女が、見開いた榛色の目を爛々と輝かせ、八重歯をぎらつかせて笑うのは、へっ、知ってるだろ?
厄介ごとの合図みたいなもんだ。
「コボルトが出る鉱山があるらしいわよ! 次はそこね!」
へこたれないお嬢様だ。
うんざりした気分で俺はイヴを見上げた。
面倒で、厄介で、心の底からうんざりするのだが。
餌を与えてしまった以上、最後まで責任を持たないといけないのだ。
「次は飴玉でも手作りしてみるか……」
かつてこの世界にも神々がいて、奇跡が起こり、魔法が振るわれ、魔物たちが棲んでいた。
天を突く世界樹、世界の果ての向こう側、地の底の国、天の上の園、人はそれらの間を行き来した。
魔王が暴れ、勇者が現れ、世界を救ったという伝説だって残っている。
だが、いまは、もうない。
神話の時代は終わった。
伝説はおとぎ話になり、おとぎ話は忘れられていく。
神々は去り、奇跡は失われ、魔法は忘れられ、魔物たちは姿を消した。
あるいは最初からそんなものはなかったのだ。いまおとぎ話であるものが、遠い昔もおとぎ話であったに過ぎないのかもしれない。
いまもわずかながら、魔法の武器や不思議な力が確かに存在しているが、それを生み出す技術は失われて久しい。
しかしそれさえもいずれは科学が解決するだろう。何も不思議な所などない、自然科学の延長線上のモノとして。ロスト・テクノロジーなんて、そんなものだ。
だがそれでも、どうやら。
冒険という奴は、終わらないらしかった。