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洞窟の入り口は、長身のマリだけじゃなくて俺もかがまにゃならんほど狭かったが、入って少しもすれば縦にも横にも広がり、立って歩く分には問題ない程度にはなった。
それでもちょっとジャンプすれば頭をぶつける低さだから閉塞感はすさまじいし、足元もごつごつしていたり湿っていたりと安定しないので、快適とは言えない。
横幅もそんなにないので、武装したマリが先に立ち、ランタンを構えた俺がその斜め後ろから照らしつつ進むことになった。
兜の角が時々ごりごりと天井を削るが、マリは気にした風もない。
というか岩肌を削りながらもびくともしねえなこいつ。どういう首してんだ。せめて少しはかがむか首を縮めろ。
一応猟師のおっさんに入り口の見張りを頼んでいるから、後ろからの襲撃は気にしないでいいと思う。
なにがあるかわからないから慎重に進めとは言ってあるが、マリは背筋も伸びた見栄えの良い姿勢のまま、すたすたと進んでいってしまう。これで慎重に進んでいるってんなら、軽率に進めといったらどうしてたんだろうな。いやいい、知りたくない。
俺はマタドールじゃないんだ。暴走する野牛の相手なんかしてられるか。
幸いにも罠の類は、ゴブリン手製のものも、自然のものも今のところなく、精々が足場が悪いというくらいだ。横道も、多分ない。奥に行くにつれて若干傾斜していて、緩やかに折りていっているが、息が詰まる感じもない。
ランタンで照らす限り洞窟の様子もいたって普通で、誰かが掘り進めたとかいうものではなく、自然の洞窟に見えた。
多分な。俺は洞窟に詳しくはない。
このまま何もないのか、と思い始めた頃、洞窟の奥からひょいと顔を出すものがあった。
そいつはランタンの明かりに顔をしかめて、なんだこいつといわんばかりの顔で俺たちをまじまじと眺めた。
俺たちも、なんだこいつはとまじまじと見つめてしまい、少しばかりお見合いが発生する。
「なんだこの……なんだ?」
マリが呟いた。
そいつは、実際他に形容のしようがない姿をしていた。
子どものように小さな体。体に比べて大きな頭には、尖った耳にぎょろつく目。大きな鷲鼻の下には乱杭歯が見え隠れし、頭髪はほとんどなかった。服らしきものは粗末な布切れが腰に巻かれているくらいで、灰色の肌がほとんどさらされていた。
その手には原始的な石斧のようなものが握られていた。
もしそう言う人種だというのでなければ――俺はそれをゴブリンと呼ぶ外になかった。
しばしのお見合いのあと、ゴブリンはハッとしたように石斧を握り直し、ぎゃあぎゃあと耳障りな鳴き声を上げて駆け寄ってきた。
まさか感極まって抱き着きに来たなんてことはないだろうよ。
「よ、ヨシダ殿! なんだあれは!?」
「ゴブリンだよ!」
「なんだそれは!?」
「なにって、なん、こう――――敵だよ!」
「なんだ――――なら話は早い」
おとぎ話には親しみのないらしいマリは、正体不明存在に動揺したように叫んだが、俺の咄嗟の説明が極めてシンプルだったことが幸いしたか、すぐに納得してくれた。
納得して、次の瞬間には終わっていた。
雄たけびを上げながら飛び掛かってきたゴブリンの小さな体が、さらに小さな二つに分割されながら、湿った音を立てて岸壁に叩きつけられる。
敵なら斬ればいいというシンプル過ぎる脳筋蛮族戦士による、恐ろしく早い抜き打ちが、戦闘ロールに入る前にゴブリンを一撃で絶命させていた。
漫画なんかじゃ、斬られたことに気づかないみたいな描写もあるが、この荒々しさじゃそうもいかないだろうな。
攻撃の瞬間は見えなかったが、壁に叩きつけられたグロ画像から察するに、真横から柔らかい腹部を横なぎにする斬撃が、背骨を圧し折りながら振り抜かれ、雑に引き裂かれながら叩きつけられたのだろう。斬られた時か、折られた時か、壁に叩きつけられた時か、いずれの瞬間にショック死したにせよ、あまり安らかではない死にざまだな。
俺は車を運転している時に轢かれた動物の死体をうっかり直視しまったときと同じく、速やかに視線を逸らして読経の如く早口でどうでもいいことを思考し、無事ゴア描写を乗り越えた。
そういうのは皆さんお求めではないからな。
その後も何匹かゴブリンが出てきたが、真正面から近接武器で突進してくるだけでは、真っ二つになって壁のシミになるのが速いか遅いかの違いでしかなかった。
何匹かまとめてくるとさすがにこの牛女も苦戦するが、それも一撃で斬り殺されるのが、殴り殺されるか蹴り殺されるかに変わるだけでしかない。
この女、徒手格闘も強いのである。
おまけにやたらと打たれ強い。
普通の人間は石で殴られたらあざどころか場合によっては骨が折れるだろうに、分厚いゴムタイヤのようにびくともしない。なんだこのゴブリン処理機。
ゴブリンをスレイする人が全身全霊でゴブリンスレイしているところに、あまりにも圧倒的なゴリ押しである。
「フムン。面倒な手合いだな」
「楽勝に見えるが」
「いつ来るか分からん上に、素早い。刃物を持っていないから防御は楽だが、後ろに行かせないようにするのは大変なんだぞ」
そうか。無力な俺を守ってなおこのパワープレイか。
しかし確かに、突進していきそうなイメージのあるマリも、いつ出てくるかわからないからうかつに踏み込めず、あまり進軍速度が出せないようだ。進行って言うより進軍。一人軍団め。
「ぬう。このペースだと時間がかかるな」
「そうだな。もしおとぎ話のゴブリンなら、さらった女はなぶりものにするのがセオリーだが」
「なんだと!? 急がねば危ないではないか!」
「そうだな。確かにヤバい。イヴが目覚めたらゴブリンどもが危ない」
「冗談を言っている場合か!」
「冗談ってわけじゃ……おい待て」
などと言い合っているうちに、洞窟の奥が途端に騒がしくなってくる。
警戒したマリがやや腰を落として構えると、今までの比にならない大量のゴブリンが押し寄せてくる。
十匹、いや、もっとだろうか。
この穴の奥にそんなスペースがあるのかと思うほどのゴブリンたちが、わめきながら走ってくる。
ゴブリンの反撃か――いや。
いや違う。
もっとヤバいのだ。
構えたマリどころか、後ろで立ってる俺さえもすり抜けて、ゴブリンたちは攻撃する素振りもなく駆け抜けていく。こけつまろびつ、みっともなく情けなく、全身全霊なりふり構わずに走っていく。
逃げ出していく。
洞窟の奥に明かりが見えて、俺は咄嗟にマリの腰あたりに飛び蹴りをかました。
恐ろしく重たい感触に弾かれそうになるが、後ろに対しては油断していたようで、何とか蹴り倒せた。
なにをするとかなんとか文句を言うマリの頭を押さえ、俺も咄嗟に地面に抱き着くように倒れ込んだ。
そして、その途端に洞窟が燃え上がった。
逃げ遅れたゴブリンが燃え上がり、悲鳴を上げながら転がる。
這いつくばった俺たちのすぐ上、背中をあぶりながら炎が岩肌をなめ回す。
ゴブリンたちが逃げ去り、炎が消え、そして洞窟の奥から明かりとともにやってきたのは、イヴの姿だった。マリは起き上がってその姿を見て、目を丸くした。俺としちゃ目をそらしたい。現実からな。
三つ編みに編んでやったストロベリー・ブロンドがほどけて、逆巻くように炎の中で踊った。
イヴは炎に巻かれていた。だがその炎がイヴの体を焦がすことはない。まとわりつくような炎はすべて、イヴのものなのだから。
返り血をたっぷり浴びたイヴの手にひっさげられ、いまもなお燃え盛る剣。
ド・ロリフラン家に伝わる伝家の宝刀、獅子焔フランドリオン。
かつて憤怒の魔王を討伐して奪い取ったという現代に残る魔剣。
担い手の怒りに呼応して炎を生み出すマジックアイテム。
実在する魔法。
魔法の失われた時代にこの魔剣に選ばれたことで、イヴは魔法の実在を知った。
この世界に魔法があることを知った。
そしてそれが有り触れたものではないことも。
イヴは探した。探し続けた。きっとあるだろう、自分と同じものを。
そしてついに彼女は自分の手で魔法を引き寄せ、
「あたしが……危険な目にあったら……ヨシダが付いてきてくれなくなる……こいつらを無かったことにすれば……証拠さえ残さなければ……さらわれた事実さえ無くなるわ……フフフッ」
そう言う湿っぽい感じじゃなかったな。
色々考えた結果、完全にプッツン来てるらしい。
イヴが荒々しく踏み出す度、魔剣を雑に振り回す度に、ちりちりと焦げ付くような熱さが肌に感じられる。
このまま炙られたら遠からずローストになっちまう。
だがそれ以上にヤバいのは、イヴがこのままゴブリンどもを追いかけて外に出た場合、森を丸ごとバーベキューしちまうことだ。
なんとも楽しげな響きだが、待ち受けているのは大規模森林火災とその中を闊歩する消えない火元だ。
これだけの火力を簡単に出力する上に、持ってる本人は炎の影響を受けないってんだからチートが過ぎる。
「マリ!」
「わ、私はどうすれば、」
「イヴを押さえ込め!あとは何とかする!」
「はい!お父様!」
「あん?」
「ち、違う!今のは……」
「いいから、行け!」
「おう!?」
困惑していたマリだったが、強めに指示を出すと反射的に動いてくれた。言うことを聞く脳筋はいい。
腰にタックルを食らったイヴの体は呆気なく倒れ込んだが、それでもがっちり握り込んだ魔剣を離さない。むしろ、体当たりされて怒りが増したのか、音を立てて燃え上がりさえした。
立ち上がろうとするイヴの体は完全に押さえ込まれているが、その間にもマリの鎧がじりじり焼かれている。
「あとで恨むなよ!」
返事はかえってこなかったが、まあ確認しようって言う努力はしたってことで。
意を決してマリの上にのしかかる。
「ヨシダ殿、大丈夫か!?」
のしかかられているマリのほうが俺の心配をする。人の好いやつだなあと思いながら、俺は腰の巾着から村で子どもにも配っていたクッキーを取り出す。
中華のガスバーナーよりまだましと念じながら、暴れるイヴの口の中にクッキーを放り込んだ。
数分か、それとも案外数十秒程度だったのかは、当事者の俺もよくわからん。
だが、ある時ふっと炎が消えて、イヴがぐったりと脱力した。
以前にもイヴが魔剣を振るって我を失くしたことがあった。
そのとき判明したのだが、できあいの食べものや他の人の手作りではダメだが、なぜか俺の手作りだと鎮静化することがわかった。ヤバイものは入れてないはずなのだが、何か釈然としない。
「毒とかではないだろうな……」
「失礼な!?……やめろ、疑いの目で俺を見るな」
「この件は領主様に報告しないと」
「それをされると俺は先程のお父様の件を追及しないと」
「ヨシダ殿!世の中には知らないほうが幸せなこともありますね!」
マリが話のわかるやつで良かった。こんなこと報告されたら、どうなるかわからないからな。
確かなこととして、俺たちはこの冒険をやり遂げたのだった。
俺たちはゴブリンにさらわれたお嬢様を倒したのだった。