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マリエル・ド・ピヴァンノワール。
子爵だったか男爵だったかの娘さんという歴とした貴族令嬢ではあるんだが、イヴとは違う意味でご覧の通りお嬢様らしくはないな。
ド・ピヴァンノワール家ってのは昔ながらの武を重んじる家柄みたいで、騎士や兵士をたくさん抱えてるだけじゃなくて、貴族である当人たちもガチガチに鍛えているモノホンらしい。
それは男女の別がないようで、令嬢であるマリエルもその流れで鍛えに鍛えられたらしく、実力は折り紙付き、だそうだ。まだ実際のところは見たことないが。
イヴが遠出したいというなり、旦那様が護衛につけると紹介してその場で拒絶された女騎士ってのがこのマリエルだな。
大方心配した旦那様に、変装してこっそり付いて行ってくれとか頼まれたんだろう。
あの時はこんな妙な兜もかぶってなかったし、鎧も着こんでなかったんですぐには気づかなかったが、いくら何でも素直過ぎるなこれは。隠す気あるのかこいつ。
「ヨシダ卿」
「勘弁してくれ。俺は平民だぞ」
反射的に返してから気づいたが、敬語使った方がいいか?
イヴに関しては奴がそうしろというからしているが、マリエルはそれとは関係ない貴族だ。イヴん家を主家と仰いでるらしいが、だからといって、そこのお嬢様の下僕みたいなやつにふてぶてしい態度取られたら不快かもしれん。
咄嗟に土下座る構えを取ったのは、俺が権力にたやすく屈する安い男だからではない。
それはこの女が腰に凶器を帯びているからだ。
俺は暴力にはたやすく屈するぞ。痛いからな。その流れで上位機構の権力にも屈するが。
人生の八割は苦痛から逃げるためにあると言ってもいい。
残りの二割を未来の苦痛を探す努力に使ってるから人類は幸福になれんのだ。
とはいえ、俺が膝を突こうとするのを見て、マリエルはすぐに止めてくれた。
「待て待て待て、ヨシダ、あー、殿。貴殿がイヴリーヌ様の客分であることは聞いている。私も堅苦しいのは苦手なんだ。楽にしてくれ」
「そう言ってくれると助かるが、俺はマジでイヴのおまけみたいなもんだからな。あんまり持ち上げんでくれ」
客分、ね。まあ旦那様が気を遣ってくれたんだろうが。
とにもかくにも、俺たちは互いに情報を交換し合った。
俺は、イヴの目的がゴブリンで、その情報収集がどの程度済んだのかをざっくりと。
マリエル――いや、マリからは、旅の傭兵としての設定を軽く聞いておいた。
日本のファンタジー業界じゃ冒険者なんて言葉が流行ってるが、この国にはそう言うのはない。そもそも魔法も魔物もないんだから、冒険だってありゃしない。
似たようなのは何かって探してみると、それが傭兵だな。
普通は傭兵なんてのは傭兵団を組んで、どっかの貴族に雇われて戦争の兵力に用いられたり、ある種の私兵として使われたりする。
そういう規模のでかいのじゃなくて、そうだな、用心棒みたいな個人単位の傭兵がいるのさ。別に決まった規則があるわけじゃなく、それぞれの都合でな。
例えば傭兵団が解散したり、団から抜けて来たりしたが、他に稼ぐ方法も知らないので盗賊になるか傭兵になるかの二択をしたり。例えば貴族の家に生まれたが、跡取りにもなれないし政略結婚もできない末の方の子供が、身に着けた剣術なんかを頼りに傭兵になったり。
主家が没落したり、禄が不満で出奔したり、またあるいはより強い相手を求めて修行の旅に出る遍歴の騎士なんてのもあるな。
出自も様々だから、その能力もピンキリ、性質も様々だが、暴力を売り物にしてるやくざな商売なのは違いない。
マリはその中でも、修行の旅をしている騎士ということにするそうだ。
実際に貴族であり武家でもあり、その育ちが隠し切れない以上は、身分ある人間とした方が役に立つ。ただ、家に迷惑をかけぬよう、そのことについてはあまり語りたくない、とこうするわけだ。
修行の旅をしてみたかったのも事実なので、不器用なマリとしても演技が少なくて済む。
軽い打ち合わせのつもりだったが、宿を出た時にはイヴの背はどこにも見えなかった。
まあ、待つだなんて殊勝なことはしないお嬢様だからな。
行き先はわかっているので、適当に捕まえた村人に道を尋ね、猟師小屋へと向かったのだが、そこにイヴはいなかった。
厳密に言うと、もういなかった。
「もう出た?」
「ええ。最近森で何か妙なものは出てないかー!ってやってきてね、ちょっと話して、犬連れて森に入っちゃったのよ。うちの人も確かに言ってたのよね。森が変だー、なんか変だーって。アタシお酒はやめたらって言ったんだけどね、むっつりしちゃって」
小屋に残っていた猟師の妻によれば、猟師はしきりに森の異変について溢していたそうだった。
雑に食い荒らされた小動物の死骸が放り投げられていたり、鹿のものでも猪のものでもない糞が転がっていたり、嗅ぎ慣れない生き物の臭いが漂っていたり。
違和感にストレスがたまる上に、狩りの成果もあまり出ないようで、むしゃくしゃしてるときにイヴがやってきてゴブリンだなんだのとけしかけたので、猟師も丁度良いと思ってすぐに出発してしまったそうだ。
俺たちは慌てて後を追いかけたが、俺もマリも山道には慣れていない。マリは野外行軍の経験があるらしいが、それも他に仲間のいる状況で、道も決まっていたらしく、見知らぬ山道となるとお手上げだった。
道らしい道もなく、目印らしいものも見当たらず、大声でイヴを呼びながらとにかく前進する外になかった。こりゃ遭難するかもしれん、という思いがなかったわけではないが、最悪来た道を戻ればいいとか思ってたんだよな。
振り向いてすぐに、その来た道さえ判別がつかなくなってることに気づいて青ざめたが。
焦る俺に対して、マリは堂々たる態度だった。
堂々たる無思考だった。
脳筋ここに極まれりといった直進行軍っぷりである。
多少の悪路は踏みつけて進み、灌木程度なら薙ぎ払い、驚くほどまっすぐに進んでいく。腰ほどもある岩を抱えて放り投げた時はビビったね。お前それよけるか乗り越えればよかったんじゃねえのかと。
人間重機かなんかかこいつ。
もはや新たに道を造りながら前進する牛女の後ろを俺がついていくといった形で進んでいくと、不意に犬の鳴き声がした。
そしてすぐに、茂みをかき分けて犬が突進してきた。
俺は犬種に詳しくないが、垂れ耳でブチ模様の、なかなか精悍な顔つきの犬だ。
それが咆えながら俺たちにまとわりついてくる。
動物慣れしてない俺はみっともないくらいビビったのだが、それ以上に、牛女もといマリが反射的に腰のものに手をやりかけたので、それを抑える方が必死だった。
犬には、首輪がしてあった。それに人慣れしている。さっき話してた猟犬だろうか。
犬が駆けだすので追いかけると、猟師らしきおっさんがうずくまっていた。頭にけがを負っているようで、片手で押さえながら、しきりに悪態をついていた。
「おっさん大丈夫か!? なにがあった!? イヴは!?」
「あの顔はいいが胸は平らな口の悪いワガママ女のことか……」
「その顔はいいが胸は平らな口の悪いワガママ女はどうした?」
「貴公らな」
瞬時に意気投合したおっさんが言うことには、最初は森の中での妙な気配や遺留品について説明しながら歩いていたらしい。イヴもこの時は大人しかったらしいが、それもエレヴェ・ダン・ドゥ・コトン三世が唸りだすまでだった。
「なんて?」
「エレヴェ・ダン・ドゥ・コトン三世だ。わしの犬だ」
どういうネーミングだ。
ともあれ、猟犬が唸りだして、おっさんが警戒して弓を取り、静かにして伏せるように言ったらしいのだが、イヴはここでゴブリンの登場を確信したらしく、あたしが退治してやるとかなんとか威勢のいいことを叫びながらいきりたち、その後頭部に命中した投石であっけなく気絶したらしい。
おっさんは最初何が起こったのかわからず、倒れるイヴを見て咄嗟に助け起こそうとしたらしいんだが、自分も投石を食らってはじめて攻撃の正体に気づいた。
それで、倒れて悶絶していると、異臭とともに何かが素早くやってきて、イヴを担いで引きずっていっちまったらしい。
おっさんの方にも何匹か近づいてきたけど、おっさんが弓を振り回して、猟犬も吠えたてるもんだから、諦めて逃げていったそうだ。
いったい何者だったのかはよく見えなかったが、少なくとも森で今までに見たことのない生き物、人でも獣でもない何かだったとおっさんは言った。
「おっさん、どっちに行ったか分かるか?」
「ああ、連中は雑らしいからな、足跡を隠しもせん」
「頼む、追いかけてくれないか」
「バカ言え。わしは怪我もしとる。余所者の娘っ子のためになんざ、」
「今夜はいい酒が飲めるな」
「お前さんな、わしが小銭でよろめくとでも、」
「そうだな、つまみもいるな」
「特急で追いかけてやらあ!」
銅貨をいくらか積んでやると、義侠心溢れるおっさんはさらわれたお嬢様救出のために奮起してくれた。
結局物言うのはコレだよな。