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「あそこが僕の家です! 魔女様、どうぞ!」
アレンが息を切らしながら小さな赤い屋根の家を指差す。
小さいながらも手入れが行き届いていた庭にはブランコがあり、彼の母はアレンのことを大事に育てていることが窺えた。そして、例に漏れず側に小さな畑があったが、他の畑と比べて多少雑草が伸びているのが目についた。
「母さん! 母さんただいま! 帰ったよ!」
扉を開けると、アレンは家の奥へと一目散に向かい、私たちはそれに着いて行く。最奥にあった小さな部屋は寝室のようでベッドがあり、その上に細身の女性が呻きながら横たわっていた。
「母さん、母さん! 森の魔女様を連れて来たよ! これで母さんは助かるよ!!」
「あ、れん……どこに、行っていたの……。フォードも、みんな心配したのよ」
呻き苦しみながらも、彼女は息子の無事を確認するようにそっとアレンへ手を伸ばした。その動作から、彼女の状態が芳しくないことが十分に伝わってくる。
「母さん、国が配ってくれているあの回復薬を作った魔女様のところに行って来たんだ。魔女様! 早く母さんを診てください!」
アレンに勧められて布団を被っている彼女の顔を覗き込む。
「これは……!!」
すると、彼女の身体からは瞬時に黒い煙のようなものが吹き出し私を威嚇するかのように漂う。
「魔女様、いかがなさいました?」
即座に一旦退避した私をアレンは不思議そうに見つめるが、フレイヤは汚らしいものを見るような目でアレンの母の方を見ていた。どうやら、この靄のようなものは私とフレイヤにしか見られないようだ。そして、この靄がアレンの母の不調の原因であることに間違いない。
「魔女様、母さんはどんな状態なのでしょうか!? 治りますよね!?」
「アレン……落ち着いて聞いてね。あなたのお母さまは、病気ではないわ」
私の回復薬が効かないわけだ。あれは、傷や身体の異常を治し疲労を回復させ自己治癒力を上げる効果がある。だから回復薬を飲んだ肉体は健康になる。しかし、元の肉体が健康であるならば、意味をなさない。
「あなたのお母さまは、呪いを受けているわ……」
アレンの顔から、サッと血の気が引いて頬が青白くなっていく。彼女の周りを渦巻くどす黒い靄を鑑定すると“呪われた証”とあったのだ。
「え……? 母さんが、呪い……?な、なんで?」
「呪いを受けることで、生気を吸い取られていって苦しんでいる状態ね。身体自体は健康で、病気でも何でもないから私の回復薬が効かないのよ」
アレンは愕然とするが、すぐに気を取り直して私に新たな提案をする。
「じゃあ! じゃあすぐにこの呪いを祓ってください!!」
「私、治癒魔法を使ったこともないけれど、呪いを祓ったこともないのよね……」
アレンの主張はごもっともではあるが、呪いには簡単に触れたくない。ゲームやテレビの世界では安易に呪いに触れたものに呪いがかかったり、増殖したり、もっと悪くなったりすることが定番である。無知な危険物に対しては安易に手を出さない方が良いだろう。
「呪いをかけた相手に心辺りはないの?」
「ありません! 母さんは、断じてそんな人から恨みを買うようなことはしていません」
呪いをかけた者に祓い方を聞くのが一番だろうが、それは心当たりがないらしい。
「うっ……!」
私たちの会話を静かに聞いていたアリアが、急に胸の辺りを強く握り、息苦しそうにする。即座に彼女に近づき、ぎゅっと手を握り締めアリアに私の魔力を分けると、それが生気として吸収されていったようで、彼女の顔色が少しだけ良くなった。
(うげー……)
アリアに触れると、彼女が纏っている呪いの証である黒い靄が私の手にもまとわりついてくる。それは生ぬるい泥沼に手を入れたときのように、なんとも気色が悪い感触だった。これが全身を覆うと……想像しただけで気持ちが悪くなり、アリアへの同情が深まった。
「魔女様! 母さんの顔色が良くなりました! もしかして!?」
「とりあえず応急処置で私の魔力を分け与えただけよ。一時的なものに過ぎないわ」
「そうですか……」
「でも、おそらくすぐにアリアさんが命を落とすような状態ではないと思うわ」
もがき苦しむ状態であることは変わらないだろうが、それをアレンに言う必要はないだろう。そして、アリアに触れたときの靄の反応からも、やはり安易に払おうとしたら私に襲いかかってくる可能性が高いことが予想された。
アリアから手を離しても、わずかに靄は私にもまとわりついていたが、それぐらいなら魔力で完全に消し去ることができる。
しばらく様子を見たが、アリアは呼吸が安定すると、少し安らかな顔ですぐに眠りについた。