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「あ、森の魔女様ですか!?」
一体どんな人物が待ち受けているのだろうか、緊張しながら帰宅したのだが私たちを迎えてくれたのは、フレイヤが言っていたように、私とほとんど年が変わらないであろう男の子だった。
いや、おそらく男の子だ。ふわふわとしたゆるいウェーブの金髪で、餅のようなプクりとした白い頬にわずかに朱色が散りばめられている。何よりくっきり二重の大きな瞳と縁どっている長い睫毛。服装と声から相手が少年であることを予想するが、黙っていれば少女だと判断したはずだ。
「魔女様……本当に噂の魔女様にお会いできるなんて……!」
彼は、小動物か!? と突っ込みたくなるような溢れそうなほど大きな瞳をうるうるとさせて私を見つめる。
正直、相手は実力者には見えないが、外見で判断してはいけない。油断は大敵だ。
「私に何の用だ?」
隙を見せたら襲いかかってくるかもしれない。緊張感をもって距離を縮めていく。
「母を、僕の母を助けてください!」
「へ?」
物理攻撃は防ぐとして、罵られたら嫌だなあと思っていたところに彼が予想外のことを言い出したので、思わずフレイヤに(何、この展開?)とアイコンタクトを送る。
「あの、自分でなんとかしたら? 私は、治癒魔法はそこまで得意ではないわよ(というか治癒魔法を使ったこともないよ)」
おそらく彼は相当な魔力の持ち主であるだろうから、自分で治癒魔法を母親に施せば良い話だ。相手でも太刀打ちできない病魔に私が簡単に打ち勝てるとは思えない。
「え。魔女様、僕、治癒魔法なんて高度な魔法は使えません……」
しゅんと男の子は項垂れた。その仕草がまた小動物に見えて仕方が無かった。
「え? 魔法使えないの?」
「はい、僕は基礎魔法ぐらいしか使えません」
「じゃあどうやってここに来られたの?」
「?? 普通に歩いて来ました」
「歩いてって……どんな魔法を使いながら歩いてここまで来たの?」
「え?……だから僕、魔法はあまり使えません……」
「いやいや、それならここに来られるわけはないわ」
「ええ?でも僕、頑張って歩いて来たのですけれど……」
「頑張って来られるところじゃないから!気合だけでは無理だから!」
お互いに(相手は一体何を言っているのだ……!?)と疲弊しているところに、フレイヤが助け舟を出してくれる。
「客人、ここはこの魔女である私の主が結界を張っている。通常の人間は入って来られないはずだ。ここへ来る抜け道があったのかもしれないのだが、なぜ主のことを知っていて、どういう経緯でどこを歩いてここにたどり着いた?」
そう、それが聞きたかった。さすがフレイヤ、的確な質問だ。
少年はフレイヤの質問に、背筋を伸ばして元気よく答えた。
「僕の名前はアレンといいます。僕は、ここより南にあるリュシオ国の田舎の村に住んでいます。僕の国の王は、“森の魔女”様が作る最高級の回復薬を税金で購入して、治癒師がいないような田舎にそれを配布しています。僕の村にも魔女様の作った回復薬が1瓶置いてあります。病気になったら1滴その回復薬を飲んだだけでみるみる治っていくので、下手な治癒師が施す治癒魔法よりも魔女様が作った回復薬の方にご利益があると評判です。だから、“森の魔女”様の名を知らない人間はリュシオ国にはおりません」
そんなに私の名は売れていたの!?
しかも国が買ってくれていて、医者代わりに配布するほどの品質だったの!?
遠い国で自分の名が広まっていることを知り、思わず口元が緩んでしまう。
「僕の母が、約1週間前に謎の病で倒れました。そしてすぐに魔女様の回復薬を飲んだのですが、母の病状は全く変化しませんでした……」
少年の表情がどんどん曇っていく。
「皆は1滴飲むと、病気でも怪我でも肩こりや腰痛なども劇的に病状は改善しました。でも、重症の母は特別に3滴も魔女様のお薬を飲ませてもらったのに、何も変わらず苦しんでいます……。そんなとき、魔女様に関する噂を聞いたのです」
“森の魔女”は孤高の魔女。誰にも馴れ合わない。王であれ貴族であれ誰にもなびかない。しかし、どうしても叶えたい願いがあるなら、山の上の1番高い杉を目指して歩くがいい。魔女の要求に見合う対価が支払える者だけが、森の魔女の元へたどり着け、願いを聞いてもらえるだろう。
……誰だ、無責任にそんな噂を流したのは。もちろん、私やフレイヤが犯人であることは絶対にない。
「もう、母を助けるためには僕は魔女様に直接助けを求めるしかない。そう思って山の上の一本杉を目指してひたすら歩きました」
「え?それでたどり着いちゃったの!?」
「はい、およそ1日ほど歩きましたが……」
「……」
アレンの言葉を鵜呑みにするならば、リュシオ国はここから2つ国を挟んだところに位置するはずだ。直線距離で歩いたとしても数十日はかかる。やはり、彼がここにたどり着くには何らかの魔法が彼、または彼の環境にかかったと考えるのが自然だ。
それに気になることがもう一つある。
「さっき、対価を支払うって言ったけれど、アレンは何を私にしてくれるの?」
「それが、僕にも分かりません……」
「ええ!?」
「僕の家はお金持ちでもないし、僕自身も魔法もほとんど使えません。家に代々受けるがれた宝とかもないし、魔女様に何ができるかも分かりません……。でも、ここに来られたからには、魔女様にいつか何らかの形でお返しができると思うのですが……」
なんと頼りのない出世払いだろうか。
「お願いします、魔女様。僕は父を3歳のときに亡くして、女手一つで母に育てられました。ずっと僕にかかりっきりだった母に、冒険者の恋人ができて、今度こそ母自身の幸せを追い求められると安心していた矢先のことでした!僕は母に何の恩も返せていませんし、ここで母を喪ってしまったら、僕はこの世界への憎しみでどうにかなってしまうかもしれません。お願いします、魔女様。どうか、どうか母を助けてください。対価は必ずお支払いします。母を助けてくれたら、僕はこの先魔女様に支払うお金だけを稼いで生きていくと誓います。だから、どうか。どうか僕の村に来て、母を診てください」
とうとう、堪えきれずアレンの目から大粒の涙がパラパラと落ちていく。大きな瞳からは大きな粒が出来るものだなあと感心していると、フレイヤがアレンを抱き上げて、そのまま立たせて、顔を上げさせる。
「男がめそめそするな」
「うぅ。だって、だって……」
「お前は本当に人の子か? 耳を隠した兎族ではないのか?」
「ち、違います……!」
あ、フレイヤも彼に対して私と同様の感想をもっていたようだ。さすが私の使い魔。それならば、私のこれからの行動も以心伝心しているはずだ。
「フレイヤ。行きましょうか」
「主、本当に良いのか?」
フレイヤも私に村に行ってほしいくせに、わざと確認している。
「アレン、タイミングが良かったわね。フレイヤに免じてあなたのお母さまを助けてあげるわ」
治癒魔法はかじったこともない。私の最高ランクの回復薬も全く効かない。そんな相手を治すことができるなんて確信はないが、なんとしても助けてあげないといけないという使命感が不思議と湧き上がってきた。
「フレイヤ、準備をして行きましょう」
「了解した、主」
「ありがとうございます! ありがとうございます!!」
アレンから溢れた屈託なのない笑顔を見ると、これも何かの縁だったのだろうと自然と思えた。出来れば村で平穏に依頼を達成するだけではなく、その気になれば私はちゃんと人と関わりがもてるのだとフレイヤを安心してあげたい。