河越祭り篇
自分は河越駅の案内板の下で佇みながら、パラパラと手帳を捲っていた。
手に持っているのは件の黒革の手帳。相変わらずビッシリと誰の物とも知らない名前が書き連ねられている。
―――しかも、増えている。
自分がそう気が付いたように、元より薄気味の悪いこの手帳は、いつの間にか2~3もの名前を増やしており、より一層不気味なものと成って居る。
勿論、何度となくこれを手放そうとはしたものの、その都度再び自分の手元に戻って来ては、連ねる名前を増やしてゆく。
最早一種の呪いの様である。こっちは河越に呪われているので充分だって言うのに。
―――ああ、もう、止めだ。気が滅入る。
こんな物をいつまでも眺めていたって楽しくなるわけが無い。
早々に手帳を鞄に仕舞い込んだ自分は、その耳で午後2時の鐘の音を聞く。
―――これから楽しい事が在るのだから。
その為に、わざわざ自分はここに来ているのであり、ここがその為の待ち合わせ場所なのである。
待ち合わせ時間にはあと十分ほどあるが、時間前に到着していることが大人としてのマナーであろう。
周りを見てみれば人の波。朝のラッシュ時でもこれほどの人が行き交うことは無いだろう。
今日は十月十五日。今年はこの日が河越は一番活気づいていた。
それは毎年第三土曜日と翌日の日曜日に行われる河越最大の祭典、360年以上もの伝統を持つ『河越祭り』が執り行われるからである。
河越祭りは河越の総鎮守である河越氷川神社の祭礼であり、茨城県石岡市の常陸國ひたちのくに總社宮大祭と千葉県香取市の佐原の大祭と共に『関東三大祭り』の一つにも挙げられている。また国の重要無形民俗文化財にも指定されているほど格調高い祭りなのである。
小江戸と呼ばれるほど江戸との交流が盛んであった河越は文化の面でも大きな影響を受けてきた。その最たるものが河越祭りである。
河越祭りは江戸神田明神の神田祭などの天下祭り流れを組み、その影響を強く受けた荘厳な山車の行列が町中を闊歩する大変スケールの大きな祭りである。
また明治維新後に本家が道路事情などから神輿中心の祭りへと変貌してしまったのに対し、今なお幕末の天下祭りの様相を強く残した祭りであることも知られている。
その拘り様は市政にも影響しており、山車が道路を安全に通れるようにと河越の電線はすべて地中に埋設する形式になっている。また、中心市街地の主要な自動車道は祭りの期間中は時間指定で通行止めにもなっている。
山車は町毎に一台ずつあり、河越全体で29台もある。その中には県や市の文化財として登録されているものも多くある。
二日間の参加人数は優に八十万人を超え、紛れも無く河越一のイベントと言えよう。
また、市内を縦横に張り巡らされた道路には数多くの出店が立ち並んでおり、たこ焼きやかき氷や焼きそばと言った定番の物から、アイスボンボンやハッカ飴や七味唐辛子と言ったレトロな物、はたまたドネルケバブやシャーピンやシロコロホルモンなど新参の物まで多種多様なメニューの料理が味わえる。
勿論娯楽の屋台も数多く出店しており、金魚すくいに籤引き、射的に的当て、スーパーボールすくいに亀の子すくいなど、二日間回っても遊び足りないほどある。
「さてと、どこへ行こうか」
駅の雑踏を抜けた自分は隣に立つ長身の男に質問をする。
「特に行きたいところは無いな」
彼は自分が朋友と呼ぶ男である。
「それじゃあ、とりあえず今年も蓮馨寺までブラブラ歩いてみるか」
彼とは毎年の様に河越祭りを見物しており、川越駅からクレアモールを通り蓮馨寺まで歩いてゆくのが毎年のルートになっている。
「んじゃあそうしようかな」
巨大なモニュメントの『時世』が聳え立つ東口駅前ロータリー上に掛かる高架橋を歩く自分たちの前にアトレの通路入り口にある仕掛け時計が見えてくる。
時間は丁度2時になった頃で仕掛けは動き始めたばかりであった。
この仕掛け時計は普段は銀色の壁に埋め込まれており、時間なると壁が展開して人形やミニチュアサイズの山車がせり出してくる。この仕掛け時計は河越祭りの様子を人形たちが、お囃子に合わせて踊りながら再現しており、なかなかコミカルで見ていて面白い。
因みに市内の時間を時の鐘一つで報せている川越の中で数少ない機械式の時計の一つでもある。実に不便だ、もっと増やせばいいのにと思いながらも自分はその仕掛け人形と音楽とを楽しむ。
「いつ見ても心癒されるな、この仕掛け時計は」
「そうか?俺はもう見飽きたがな。サッサと行こうぜ」
「そう言うなって朋友。別に急ぐことは無いし、ほんの一分程度の事だろう―――ほら終わった」
見終わった自分たちはクレアモールへ足を向ける。その通りもまた普段以上の人がごった返しており、その上通りには出店が数多く並んでいるため通るのがやっとと言う状況である。
そんな人ごみの中を鮮やかの体捌きで一度もぶつかる事無くまるで風が駆け抜けるように縫ってゆく自分の後を追い縋る朋友は通りの中ほどにある一軒の肉屋の前で立ち止まる。
祭りと言うこともあり、的屋が仕切っている屋台以外にも個人商店が店先に出した屋台も数多くあり、この肉屋の屋台もその一つ。そして自分たちはここの『骨付きフランク』目当てで毎年通っているのである。
『骨付きフランク』はその名の通り豚のあばら骨の周りにソーセージを纏わせた代物で、いかにも手作りかつ『原始肉』の様に豪快な雰囲気を醸している。そして何より店先に供えられた七輪で炭火焼にされ、一番香ばしく熱々ジューシーな瞬間を味わえるのが魅力である。
もちろんこのフランクのファンは自分たち以外にも大勢居るため、売り切れになってしまうことも珍しくない。
「『骨付きフランク』二本下さい」
「お兄ちゃんたちラッキーだね。これが最後の二本だったんだ。はい、七百円」
幸い売り切れてはおらず、しかも幸いにも残り二本を手に入れられたことに感慨も味も一入である。
意気揚々とフランクを頬張る自分と朋友はそのまま通りを北へと歩んで行く。そして丸広の前を通り過ぎ暫く進むと、商店街が途切れ太い道路との交差点に差し掛かった。
目の前の道は西側に進めば本川越駅前のスクランブル交差点へと通じており、そちらへ赴くとタイミングよく『ひっかわせ』をやっている最中であった。
『ひっかわせ』は二台以上の山車が出会ったときに起こる河越祭りの見せ場である。
山車と山車とが出会った際、互いに向かい合いながらお囃子を競い合う。そして山車の間では引手たちが鬨の声を挙げながら自分の町名の書かれた提灯を高々と掲げるのである。
そしてそこに運良くもう一台山車がやってきたのなら、三つ巴の『ひっかわせ』となりさらに勇壮な光景になる。
そんな『ひっかわせ』に魅せられつつ、北へと延びる大通りを人波を躱しながら三十分ほど進むとようやく連雀町の交差点を越えて蓮馨寺へと辿り着く。
蓮馨寺は天文十八年に当時の河越城主であった大道寺政繁の母である蓮馨によって開基された浄土宗の寺であり、古くから浄土宗の関東十八壇林として栄えてきた。
境内は広場となっており、普段は子供たちの遊び場やお年寄りの憩いの場となっているが、河越祭りには多くの屋台が犇めきあい、河越祭りに訪れた人たちの休憩所として利用されている。
「相変わらずの盛況ぶりだね」と言いつつ振り向けばそこには朋友はいなかった。
どうやら逸れてしまったらしくヤレヤレと溜息を吐くが、まぁどこかで会えるだろうと希望を持ちながらブラブラと境内を歩んでゆく。
河越祭りの人気スポットであるため多くの屋台が出店している。そして食べ物屋のレベルもまた高く、自分が毎年通っている屋台もある。
そしてこのたこ焼き屋もその一つである。
ここのたこ焼きは何と言っても大粒なのが自分好みである。そして表面はしっかりとカリッとするまで焼き上げられて実に歯ごたえも良い。それでいて生焼けドロドロの生地ではなくフワトロの舌触りがまた堪らない。
自分はベンチに座りながら口の中を火傷でベロベロにしながらたこ焼きを頬張る。
その時「センセェ?」と声が掛かる。振り返れば少々驚いたという表情をしたお嬢さんがいた。
先月から始めた後輩の実家のアルバイトとお嬢さんの家庭教師を未だ続けている。さらに自分の働きによりコンテストを優勝できたと勝手に思い込んだ後輩家族とは、以前より親密な関係になっている
しかし、お嬢さんとはなるべく河越祭りでは会いたくは無かった。
何故なら自分はお嬢さんのお誘いを断っているからだ。
昨日の授業の後、自分はお嬢さんに一緒に河越祭りを回ろうと誘われたのである。もちろんその誘いに自分は有頂天へと上り詰めた。
先輩に負けず劣らずの女日照りの日々を過ごしている自分に降って湧いた乙女からのお誘い。しかもお嬢さんの様な美人が相手では若い男ならば浮かれない訳があるまい。
しかしながら自分には百万灯祭りのときに交わした朋友との先約がある。
先約を反故にするなど、ましてや朋友との約束に背くなど自分の目指す男の理想像にかけ離れる行為など自分に出来よう筈も無く、自分はお嬢さんのお誘いを先約があると実に紳士的かつ丁重にお断りをし、家で後悔の涙を流したものだ。
しかしそんな自分が一人ノコノコと河越祭りにやって来て、呆けた面を晒しながらたこ焼きを貪っているところを視たらお嬢さんはどう思うだろう。
昨日お断りした時に見せた実に残念そうな顔を思い出すと、それが好印象であることはまず有り得ないだろう。
食べ掛けのたこ焼きのパックを背後に隠しつつ、恐る恐るお嬢さんの様子を窺う。そんな自分の様子にお嬢さんはクスクスと笑っている。
「焦ることないですよセンセェ。ゆっくり味わって下さい」
急いで口に放り込んだたこ焼きのせいで反論も出来ずモゴモゴしているとそんなことを言われてしまう。しかも噛み破った外皮から灼熱の溶岩のような生地が運悪く吹き出してしまい軽く悶絶してしまう。
あまりのことに仰天して取り乱す自分にお嬢さんは、ペットボトルのお茶を差し出してくれた。
冷たいお茶で何とか喉元の向こう側へとたこ焼きを流し込み、こういった心配りは後輩とよく似ているなどとシミジミ思いながら、お嬢さんにお礼の言葉とともにお茶を返す。
お嬢さんは「どういたしまして」と言いながらそれを受け取り、そしてまた堪え切れなくなった様に鈴の音のような笑い声をあげる。そんな彼女に最初は戸惑うものの、次第に釣られて自分も声を上げて笑ってしまった。
そしてこんなハプニングの後のためか自分とお嬢さんとはもはや何の気兼ねも無く話すことができた。
「そうなんですか。お嬢さんも人を探しているんですね」
「ええ。兄と一緒にお祭りを回っていたんですが逸れてしまって。それであちこち探している内に蓮馨寺にやってきたんです」
元々お嬢さんは後輩と一緒に蓮馨寺を目指していたらしく、ここまで来れば会えると踏んでいたようだが、未だ見つけることができずに困り果てていたらしい。
「でしたら一緒に探しましょう。一人で探すよりも断然良いでしょうし、それに何より探しながら出店を巡れば昨日の罪滅ぼしも出来ますし」
「そんなこと気にしなくても良いですよ。―――それに、何だかそう言う風に言われると、私と一緒に居ることが序みたいに聞こえますね」
「!いえ、別にそういう訳では」
取り乱す自分を見てクスクスと微笑むお嬢さんは「それでは改めて言わせて貰います」と真っ直ぐこちらを見つめながらこう言った。
「私と一緒にお祭りを巡ってくれませんか?」
そうして手を差し出したお嬢さんの顔はほんのりと紅葉色になっており、その瞳は少しばかり潤みながら期待に輝いていた。
さすがに女の子にここまで言われて断るようでは男が廃る。「喜んでお供させていただきます」となるべく恭しく、しかし実際には緊張でカチコチになった自分の手でお嬢さんの手を取った。
女性の手を握るのは保育園の頃を除けば四月に彼女に握られたこと以外には経験が無いが、その時とはまた違いお嬢さん自身も緊張しているためか握る掌が幾分熱く感じた。
流石に気恥ずかしくなったため、どちらからともなく手を放してしまう。そして「行きましょうか」と自分とお嬢さんはただ隣に並んで一緒に歩きだした。
暫く二人を探しながら歩いていると不意にお嬢さんが立ち止る。何かと思い視線の先を追うと、そこには射的の屋台が開かれていた。
河越祭りには毎年多くの射的の屋台が開かれている。
道具とシステムは至ってシンプルでコルク銃の砲身にコルク栓を詰め込んでそれを撃ち出して商品を落とせば手に入るというものである。
こういった屋台の多くが蓮馨寺の様に大通りから中に入った広場の中に設けられると言うルールもある。
これはやはり玩具と言え人に当たる危険性を考えて人通りを避ける必要があるためであろう。そのためこの蓮馨寺以外にはクレアモール内の広場に密集して
そして自分の目の前に開かれている射的は少しばかり様相が違っていた。
他の店は台の上に行儀よく並べられた景品は一切動いていないのに対し、この店の景品は動いているのである。細かく言えば屋台は扇方に設けられており、その要の部分に円筒形をした台が置かれている。
その台は上下4段に分かれており、それぞれに数多くの景品が乗っている。そしてその台はモーターの力により中心点を軸として回転しているのだ。
自分はここの店には毎回顔を出しているがやはりここが一番に面白いと思う。
何より動く的を狙うというのが難易度を上げるため遣りごたえのある出し物だ。そして動かない的の場合よほどの無作法物がいない限り景品を横取りされる危険性は少ないが、この場合そんなことはお構いなし、むしろ普通の事となる。そのため場所取りから落とすまでの手数の配分など駆け引きが重要となってくるのである。
つまり普通とは一味も二味も違う射的を楽しむことができる。
商品がショボイことは気にしないとしても。
―――と言う訳で自分は彼女に断りを入れて今年もこの射的に挑戦することにした。
ここの店主とは既に顔馴染みであり、自分が顔を出すとまるで来ることが解っていたかのようにニヤリと口角を上げる。
そしてコルク栓が10個乗せられたアルマイト性の小皿を500円と交換する。
そして自分は銃の具合を調べ始めた。
方法は簡単。銃口を指で押さえつつ銃身の脇に着けられた取手を引き下ろす。そして押さえていた指を話したらポンッと音がするものが良い銃なのだ。これは一見やってもやらなくても大差ない作業のようだが、実はきわめて重要な作業でもある。
景品が軽い物なら露知らず、良い景品と言うものは大抵の場合大きくて重い物であると相場が決まっている。こんなものを相手にしようとするならば、少しでの性能の良い武器を手にするのが最低条件であることは言うまでもない。
実際に自分の手にしたコルク銃は一発でココアシガレットを撃ち落とした。
今日は実に幸先が良いと思いつつ次は球を二発費やしてキャラメルを落としたところで自分の後ろで様子を窺っていたお嬢さんが一つの商品を指さした。
それは実に可愛らしい円らな瞳をしたパンダのぬいぐるみであった。
まったく、無茶言わないでほしい。
あれを取って欲しいというお嬢さんの願いであるが内心自分は無理だと悟った。
籤引き屋にせよ輪投げ屋にせよ、射的にしても必ずと言っていいほどあるのが『釣り』と言われる商品である。
この景品は客寄せのためにタダ置いてあるだけで、実際に手に入れることはできないよ、そんな疑似餌の様な商品が存在するのである。
例えば籤引き屋の場合、その商品の番号の書かれた籤は一切入れておらず、在ったとしてのそれより1~2ランク下がった商品止まりの籤のみにしておくのである。
また輪投げ屋の場合、商品にまったく引っ掛からずに床まで輪が付かないと景品がゲットできないというルールを盾に、わざと引っ掛かり易い角度に備え付けるのはまだ可愛い方で、輪自体が景品よりも小さいなんて悪徳な場合もある。
そして、そう言う景品は大概どこも同じであり、代表的なものにはゲーム機やプラモデル、トレーディングカードのレアカードなどがあり、中でもぬいぐるみは鉄板中の鉄板である。
あえて声を高らかに言わせてもらうと、ぬいぐるみはコルク中などでは撃ち落とせない。
漫画やアニメでは主人公がヒロインにせがまれ、大枚を叩いてぬいぐるみを撃ち落とすとかいう安いメロドラマが在るものだが、あんなのはフィクションであり、撃ち落とすことができるという前提時点で物語は破綻しているのである。
考えても見てもらいたい。
ぬいぐるみと言うものは軽く、的が大きいため一見簡単な標的と思われがちであるが、何よりその体積が、デカさが厄介なのである。この場合、弾が当たった衝撃は的の小さい物と比べて広く拡散する上、台と接している面積も広くなり自ずと掛かる摩擦も大きくなるのは自然の摂理である。
そして何よりその素材が一番厄介で、柔らかい綿の詰め込まれた体も手触りの良い毛糸でできた体表も着弾の衝撃を尽ことごとく殺してしまうのである。
その上、鉛版や磁石などの店側の妨害工作がなされた場合、一人で落とすなどほとんど無理な状況となる。そのくせカップルノミならず、女の子グループや子供連れもこの景品を狙うため被害者が後を絶たない最悪の釣り景品となるわけである。
それゆえ自分は決してこの類の商品を狙わないようにしているのだが…。
振り返るその先にはお嬢さんが期待に目を輝かせてぬいぐるみを見据えている。
一つ溜息を吐いてこれはとても断れないと観念すれば、残り七発の弾丸でやつをどう落とすかを算段することに心血を注ぐ。
常套手段としては、まず一発を捨て弾としてぶつけて仕掛けの有無とどの方向に動きやすいかと言った様子を見るのだが、大物相手に残り7発の状況ではあまりやりたくはない。
ならばセオリー通りに高い位置を狙って転倒させるべきかと考え、自分は弾を込めたコルク銃の狙いをぬいぐるみに定める。
そしてなるべく高い威力で当たるように乗り出せるだけ身を乗り出して銃口を標的に近づける。
後は獲物が射線上に来る瞬間を待ち、引き金を引いた。
狙いは完璧であった。
飛び出したコルク栓は見事パンダの眉間に命中し、その体を少しばかり揺るがした。
しかしそれまでであった。
確かにぬいぐるみは揺らいだものの、落ちることはもちろん倒れることも退くことも無くそこに居座り続けた。
ガッカリとして肩を落とすお嬢さんだが自分は今のである確証を得ていた。
このぬいぐるみは悪質な仕掛けが施されていない。
揺らぎ方を見ればわかることだが、底に鉄板を仕込んであったり磁石を施してあったりはしない。もしかしたらいけるかもしれない。そんな思いが自分の中に芽生えれば後は突き進むだけであった。
一発二発と当たって行くうちにぬいぐるみは後退し、次第に追い詰められていく。
残り二発となった時点でもはや標的の背後に後は無く、もうひと押しでやつは落ちるであろう。
後は慎重に狙いをつけて打ち崩すのみ。
『射場荒し』と呼ばれた自分に狙われた時点で君の命運は尽きているのだよ、などと心の中で呟いて引き金を引いた。
しかし何たることだろう。当たったことには当たったのだが、当たり方が悪く真っ直ぐ
倒れずにぬいぐるみは横倒しになってしまう。
これは拙いことになった。せっかくここまで追い詰めたのに倒れてしまっては落とし辛くなってしまう。しかも残り弾一発でこの状況とは、あまりに絶望的である。
その時、屋台のオッサンが歩み寄って来てぬいぐるみを持ち上げ据え直した。
良かった。これで持ち直せると思い再びコルク銃を構える、が、ふと違和感を覚える。
的が、近い。ぬいぐるみはさっきまであれほど追いつめていたのに、最前列に来るまで移動させられている。
これではとても一発で落とせるわけが無い。
オッサンに向かって抗議の声を上げるものの相手は涼しい顔をして聞き流してくる。
ふてぶてしい野郎だなどと心中で毒づくものの最早どうしようも無く、空しく最後の一発をココアシガレットに消費するだけであった。
「すみません。あのぬいぐるみ取れなくて」
射的屋を後にした自分とお嬢さんは蓮馨寺の中でも屋台が立っておらず人込みの少ない場所へとやってきた。
「いいえ、こちらこそ無理を言ってすみません」
恐縮するお嬢さんはそれでも未練があるらしく時々視線を射的屋の方へと向けている。
もちろん自分も『射場荒し』としての矜持が有るため落とせなかったことに悔しさが込み上げてくる。とはいえこれ以上の出費は集団催眠装置作成費用を考えると避けたいところであり、後ろ髪惹かれる思いはあるものの諦めることにした。
「それはそうと、お一ついかがですか」
「―――これは?」
「今日の戦利品です。一緒に食べましょうか
自分は開封したキャラメルの箱をお嬢さんに差し出す。
お嬢さんは一粒受け取り、口にするとホッコリと微笑んで「美味しいです」と呟いた。
それを聞くと何となく充実感を得ることができた自分も一粒口にする。噛んだ瞬間に口いっぱいに広がるキャラメルの甘さと風味が幸せな気分にさせてくれる。
こういうのもなんか良いなと考えていると、お嬢さんが「今度はあれに入ってみましょう」と蓮馨寺の中央に設けられた小屋を指さした。
連れ立ってその小屋の前にやってくると、看板には『見世物小屋』と書かれていた。
蓮馨寺には珍しい屋台が有る。それがこの『見世物小屋』とその隣に建つ『お化け屋敷』だ。この小屋は毎年のように蓮馨寺の同じ場所に建てられており、もはや蓮家寺の名物となっている。
以前お化け屋敷には家族と共に入ったことがある。その陳腐さは今でも思い出せる。
しかし自分は見世物小屋には入ったことが無いのだ。
ならば、興味本位に入ってみるのも一興だと思い、自分はお嬢さんと連れだって小屋の中へ入っていった。
小屋の中は少々薄暗くなっており、椅子は無く完全立ち見状態である。そんな中観客は自分たちの他には十数名程度入っており、狭くは無いものの場所取りが少々困難な状況である。
少し強引に前へ出ると、正面には幕が下ろされており舞台の全容は未だ知ることは叶わない。
「いったい何が始まるんでしょうね」と期待するお嬢さんから話しかけられるとほぼ同時に、舞台の裾の方から禿げ頭の小男が出てくる。
「ようこそお出で下さいました。ここは古今東西の珍妙なるものを集めた見世物小屋でございます。それではピンからキリまで心行くまでお楽しみください」
そんな口上を垂れた小男が、まず初めに紹介したのは『大鼬』であった。
小 男が言うところによると、その鼬は秩父の山に300年もの間生き続けた鼬であり、その身の丈は優に2mを超しているらしい。
これはなかなか面白そうだとワクワクする自分と少々怯えるお嬢さんが見据える幕が小男の掛け声とともに開いて遂に『大鼬』がその姿を現す。
―――これはどうしたことか?
開いた幕の先には全長2mは有ろうかという一枚のベニヤ板が置かれており、その表面にはデカデカと『ち』と書かれていた。
―――これは、つまり…
「大きな板に『ち』と書いて『オオイタチ』でございます」
臆面も無く発せられる小男の口上に、水を撃ったように静まり返っていた場内が俄かにザワめきだす。
「怒らないで下さい。怒らないで下さい」と窘める小男は次の見世物の紹介を始めた。
「次に出てくるのはその名も高い『轆轤首』で御座います。ただ今支度ができた模様。では早速呼んでご覧に入れましょう」
小男が舞台の裾に向かって「おーい、ハナちゃんやーい」と呼びかけると白粉を塗りたくった年若い女性が顔の身を出して、すぐに引っ込めた。
しかし暫くした後、今度は着物を着たハナちゃんと思しき人物が、部隊の裾から首から下のみ現れたと思ったら、またすぐに引っ込んだ。
―――何たることだ。
轆轤首の花ちゃんは顔を覗かせたまでは良かったものの、首から下は全く見せないだなんて。
―――つまり、どういう…
「すみません。ハナちゃんは極度の恥ずかしがり屋さんなのです。ですから今日の所はこれにて勘弁させて貰います」
「怒らないで下さい。怒らないで下さい」と小男がなだめる場内は、もはやそんな言葉が届かないほどの罵声が飛び交う惨状となっていた。
如何せん自分もこの所業には憤慨しており、周りに負けじと文句を小男に向かって浴びせかける。
遂に観念したのか小男は舞台袖からマイクを取り出してきた。
自分は彼からの謝罪を期待していたが、彼の口から告げられたのは次の見世物『球体人間』の口上であった。
まだ懲りんのかこの男は。今までがそうであったように球体人間なんているはずがない。
どうせ何かしらのこじ付けや騙しが有るに違いないと踏み、そうであった場合今度こそこの小男を張り倒してやろうと決意を固めた。
―――しかし、何たることだろうか。
先刻の様に三味線の音が鳴り始めたと同時に出てきたのは、以外にも実物の『球体人間』であった
この生き物のなんと珍妙な事だろう。
頭の先から尻のあたりまでボールの様に真球体をしたその体から手足が生えている。
その体に首は無く、腰の括れも皆無であり、いったい何東信と表現したら良いのか分からない見てくれであった。
こんな人間自分は先輩しか知らない。
―――てか先輩であった。
どういう訳か先輩は檻に入れられて見世物小屋で見世物にされていた。
鉄色に光る頑丈そうな檻には札が掛けられており『アマゾンの奥地から連れてきた球体人間・餌を与えないで下さい』と書かれている。
周りの観衆とお嬢さんが本当の球体人間の登場にさっきとは打って変わって「凄い」「本物だ」などと興奮した様子で称賛を送る。しかしその先に居る先輩はどこか虚ろな目をして天井を眺めていた。
いったい何があってこんな目に先輩は遭っているのだろうと思うも、自分の現状に気付いて冷や汗が垂れる。
今現在、自分はお嬢さんと一緒に居る。この場を見られるのは非常にマズイ。
先輩が虚ろな目をこちらに向けてくる度に見知らぬ誰かの背中に隠れつつ自分は小屋の出口へとにじり寄って行った。
木戸口から出ると一瞬外の明るさに何も見えなくなるが、目が慣れてくる頃には後を追ってきたお嬢さんに捕まえられる。
そしてお嬢さんは「どうしたんですか?いきなり」と自分が飛び出したことに驚いて問いただしてくる。
今思えば女性を残して一人逃げ出してしまうのは紳士として完全にアウトだと気付くものの、取り返しのつかない事には謝るしかなく何度もお嬢さんに向かって頭を下げた。
しかし先輩がいたから逃げ出したなどとは、余りに不甲斐ないため隠し立てする自分の事を笑って許してくれるお嬢さんの心の広さに感心していると、聞き覚えのある声が自分とお嬢さんを呼んだ。
振り返る先に居た声の主はお嬢さんが探し求めていた後輩であった。
手を振りながらやってくる後輩は「奇遇ですね兄サン」といつもの如く恵比須顔を向けてくる。
「君のことを探していたんだよ後輩君」
自分の隣に佇むお嬢さんを見て納得がいったらしい後輩は「すみません、愚妹がご迷惑をお掛けしたみたいで」と平に謝ってくる。
愚妹と言われたことに抗議の声を後輩に挙げているお嬢さんと人探しをするという名目で蓮馨寺を堪能した自分には謝られてもどう答えたらいいのかと思い、適当にお茶を濁すような返事をすると、自分は先ほど撃ち落としたココアシガレットを一つ彼女へと渡した。
実に嬉しそうな笑顔でお礼をする彼女とそれを微笑ましげに見守る後輩に別れを告げ、自分は自身の目的に帰るために二人の下を離れた。
去り際に「明日の事、頼みますよ」と叫ぶ後輩に背中で手を振り応えながら一通り蓮馨寺を見回してみても朋友の姿は見当たらなかった。
―――さて、どうしたものか。
朋友には蓮馨寺に向かうことは伝えてあるし、携帯には自分を探しているという連絡しか入っていない。
朋友があちこち動いていないのならば、あそこだろうと踏んで彼が行き付けにしているチキンステーキ屋台へと足を運ぶ。そして案の定彼はそれを実に満足げに食していた。
「よう朋友。探したかい?」
安堵交じりに朋友に問いかければ「いや、別に」と彼は答える。
溜息を吐いて鶏肉を一切れ奪うと抗議の声を受け流して見世物小屋を指さす。
いきなりの言動に呆けている朋友に成すべき事を告げてやる。
「ちょっと手を貸してくれないか」
二人で見世物小屋の裏方へ行くとそこ物置となっているようで、舞台で紹介された見世物たちが放置され
例の『大鼬』はもちろんのこと、大蛇を模したハリボテや異様に長いスラックスと竹馬のセットなど如何にも胡散臭い代物が置かれている中、お目当ての人物は檻の中で声も無く鎮座していた。
「先輩。先輩」と声を掛けるものの返事を一向にしない先輩を自分の背中越しに認めた朋友は心底仰天した様相であった。
「なあ、おい、この人ってお前の先輩じゃなかったのか?」
「その通りだ。お前も百万灯祭りのときに会ったことあるだろう」
「そうだけどよ。いったいどうしてこんな所に居るわけだ?しかもまるで廃人じゃないか」
「知らないよ…見つけた時にはこうなっていたんだ。ともかくここから出そう。そこら辺に鍵が無いか探してくれないか」
二人して周囲を十分かけて探すものの鍵らしい物は一本も無く、再び檻の前に帰ってきた自分たちは落胆の溜息を吐く。
「どうするんだい?他になんか手はあるのかい」
質問してくる朋友に自分は「どうしたもんかね」としか答えられなかった。
「手荒なことはしたくないから、鍵が見つからないならこのまま話そうと考えてたんだけど…先輩がこの様子では話に成らないしな…」
話し掛けてみたり、目の前で手を振って見たりしてみても、先輩はなんの反応も反射を示すことが無く、視線が何も捉えていない木の洞みたいな瞳を晒すのみである。
その様は糸の切れた操り人形か出来の悪いぬいぐるみの様で、先輩の風体と相まって非常に気味の悪者のように思えた。
繁々と先輩を観察すると何かしらの生体反応を示していることに気が付く。
虚ろな瞳は一点を見つめているのではなく、まるで白磁の皿の上を転がるビー玉の様に不規則な動きを時折見せる。
それにか細いながらも呼吸をしており、かつ何やらボソボソと呟いていることに気が付
耳を寄せて聞いてみると―――
「はら…ヘッタ…?」
「おい!お前たちここで何をしている!」
声に驚いて振り返ればそこにはさっきの小男と屈強そうな数人の男が立っていた。
手荒なことを好まない自分たちはせめて言い訳だけでもしようと試みるも、問答無用の力技で5m突き飛ばされ捻じ伏せられてしまう。
地面に顔を押しつけられながら「ここでいったい何をしていた⁉コソ泥か」などと犯罪者呼ばわりをされるとさすがに頭に来てしまう。
先輩を見せものにする人権侵害野郎どもに犯罪者呼ばわりされる筋合いはないと心で叫んだ自分はやむを得ず強行手段に打って出ることにした。
押さえ付けられ自由にならない腕の代わりに手首のスナップのみを使ったバックハンドパスで檻の中へと手に持っていたチキンステーキを投げ入れた。
チキンステーキの軌跡を追って皆がふり仰ぐ檻が一瞬強く揺れる。
その後2秒間の沈黙の後「タンパク質じゃねぇか!」と色めき立った咆哮が檻の中から上がる。
「馬鹿な!お前、あいつに食い物をやったのか⁉」と動揺を見せる小男の背後で檻からぬっと手が付きだされる。
その手には先ほどまでチキンステーキに刺さっていた竹串が握られており、それを鍵穴に突き刺しガチャガチャやっていると、ものの1秒でピキンッと南京錠が開いた音が聞こえる。
そうして檻から出てくるのは飢えた獣、いよいよ先輩の登場である。
先輩は今まで閉じ込められてきた鬱憤を晴らすように鬼神の如き暴れ様を見せる。
その隙を付いて屈強男の手から逃れた自分は、速やかに朋友も開放する。そして二人連れ立って小屋から逃げ出した。
すると同時に小屋が自重で潰れてしまった。恐らく暴れ回る先輩が屋台骨をへし折ってしまったのだろう。
悲鳴と濛々と立ち上がる土煙の中、瓦礫となった屋台から先輩がノソリと出て来た。
「さすがにやり過ぎですよ先輩」
「やり過ぎなものか!」といかにも腹出しげな先輩が肩を怒らせながら詰め寄ってくる。
「奴ら酷いんだぜ!俺のこと三日三晩飲まず食わす檻の中に詰め込んでいやがったんだからな」
「確かに酷いですね。人間の扱いじゃありません」
「だから舞台裏に在ったノコギリで屋台骨ブッタ切ってやったんだ」
ペヨンペヨンとノコギリを振り回す先輩であったが、急に前のめりにぶっ倒れて、卒倒してしまう。
どうしたものかと様子を窺うと、雑踏を縫って蓮馨寺中に響き渡るほどの先輩の腹の虫が鳴いた。
「腹減った。もう動けない」
「空腹なのに無理するからです。朋友よ、ちょっと肩貸してくれないか」
自分と朋友とは先輩を担いで現場から逃げるように立ち去った。
「いやぁ助かったよ。一時はどうなるかと思ったね」
札の辻まで逃げてきた自分たちは一向に鳴り止まない先輩の腹の虫を黙らせるためにたこ焼き、焼きそば、ドネルケバブ、シロコロホルモン等々大量の料理を並べた。
先輩が無意識のうちに暴飲暴食をし、料理のほとんどを平らげ、ようやく目を覚ましたのはそれから5分も経たなかった。
「極限に空腹なのに急に飯を食ったら胃が痙攣して死にますよ。マジで」
「大丈夫だ。俺は賞味期限が一ヶ月過ぎた生肉でもぶっ壊れないほど頑丈な内臓しているから」
ゲラゲラ笑いつつ実に満足したような先輩はたこ焼きの爪楊枝で歯を穿る。そしてポンポンと腹鼓を打ちながら盛大にゲップした。
先輩のガスを手で払っている自分達に「そうだ」と、何か思い立ったように先輩は乗り出してくる。
「次はカキ氷が食いたいな」
「また、お腹のビックリする物を」
「だって喰いたいんだもの。買ってきてくれ」
どうして先輩はいつもこうなんだと肩を落とす自分に朋友はひそひそと先輩に聞こえないように話し掛けてくる。
「―――おいおい、先輩まだ食う気なのか。それに付き合わされるお前も大変だな。ちょっと同情するぜ」
「だろう?同情するだろう?朋友。だったら君が行けよ」
「は?お前の先輩だろ?お前が責任もって面倒見てやれよ」
「そうは言ってもな、自分は先輩のためにたこ焼き、シャーピン、ケバブ、トッポギ、広島風お好み焼き、シロコロホルモンと計3千円以上も使っている。しかし君はまだ2千円くらいだろう?だったら朋友、君が出すべきだ」
「細かいな。そんなの関係ないだろう?」
「いいや、あるね。なんせ友情とは対等な関係だろ。そこに差異があってはいけない。それに金はいけない。縁の切れ目につながるからね。だから君と自分との友情のためにここは黙って君が出すべきだ」
「納得がいかねぇ。そんな滅茶苦茶な話」
「『無理も通れば道理が引っ込む』。というわけで引っ込んでいてくれ、朋友」
「引っ込めるか。じゃあジャンケンで決めようぜ、ジャンケンで」
「―――いいよ。そうしようか。じゃあ自分はパーを出す」
「…駆け引きか?」
「いや、朋友。これは君が自分を信じるかどうか、如いては君との友情を試しているんだ」
「今までの展開で友情がもはやグラグラなんだが」
「良いから決めろよ。出さなきゃ負けだぞ」
問答無用で最初はグーの掛け声を発し、自分と朋友とは同時に手を振り下ろした。
そして次の瞬間には決着がつく。
自分が出したのは宣言通りのパー。そして朋友が出したのは、グーであった。
「いやぁ、さすが朋友だね。わざと負けてくれたのか。すまないね。じゃあ一つ買ってきてくれ。先輩が待ち侘びているから。そうそう、先輩は熱烈なブルーハワイ信者だから間違えないようにね」
自身のグーを見つめて溜息を吐く朋友の口から「絶対変えてくると思ったのに」と聞こえたが、あえて聞かないことにし、自分はそっと朋友に半金の二百円を渡すのだった。
カキ氷を買いに行かされる朋友を見送りながら振り返れば、朋友とのやり取りの間に完全に待ち草臥れた先輩が駄々っ子の様に空き容器を竹串で叩いて催促してくる。
まったくいい加減にして貰いたいと切に願っていると「ところでよ」と急に先輩がジト目で見つめてきた。
「? なんですか。不機嫌そうな顔をして」
「俺があそこで捕まっていたとき、お前小屋に―――」
「居ません」
「―――何で食い気味に否定して来るんだよ。てか、ボーとしていたけれども、何と無く覚えてんだよな。人の陰に隠れながらコソコソと小屋を出てゆくおま―――」
「知りません」
「―――なあ、人が話している時に話すのはマナー違反じゃないのか?」
「―――確かにそうですね。では続きをどうぞ」
「確かそのときお嬢さ―――」
「何のことですか」
「いい加減にしろよ!お前。テンドンかよ。まったく、笑いの才能がねぇなお前」
「…別に自分は先輩を楽しませようとしている訳じゃないですよ。むしろ真面目に答えています。…反射的に」
「背骨で話すな。脳みそで考えてから話せよ。ホントさっきから何なんだ。まともに会話出来ないじゃないか」
「すみません。口が勝手に」
「まったく、そんな口には食べ物でも詰め込んでおけ」
そう言って突き出してくる食べかけの焼きそばを、ソバソバ喰いながらも先輩の質問攻めは止むことは無く、ついには自分は事実を認めざるを得なかった・
「つまり俺に見つかったら茶化されると思って逃げたと」
「―――すみません」
「まったく、どんだけ俺の信用って無いんだよ」
「信用と言われても…今までのことがありますし」
「…酷いな。ちょっと勇気を出して助けてくれるだけで良かったのに」
「無理ですよ。人前で荒事を起こすのなんて。ですから後で助けに行ったんじゃないですか。しかし、何でまたあんな所で捕まっていたんですか先輩。ここ三日間音信不通だったのに」
「俺もよく解らないんだ。三日くらい前に調整を終えた帰りに変な黒尽くめの連中に追われてな。気が付いたら檻の中ってわけさ」
「また借金取りかなんかじゃないですか?」
「そんな類じゃねぇよ。もっとヤバイ感じだった。ところでよ、俺が居ない間の首尾はどうなっている?」
「戻ってきてから文句言われるのは嫌ですからね。ちゃんとやっておきましたよ」
丁度その時、朋友がカキ氷を持って帰ってきた。
白い氷の山に目の覚めるような青色のシロップが掛かったブルーハワイを一言のお礼と共に先輩が引っ手繰ると一気に掻き込んで食べてゆく。
見ているだけで頭が痛くなりそうな食べっぷりに、呆れかえる自分へ「今まで何の話をしているんだ」と朋友が訊いてくる。
その言葉にブルーハワイを食い尽くした先輩は、二マリと微笑んで「よくぞ聞いてくれたぞ」と意気揚々青い唇をして立ち上がる。
先輩の後を追う朋友とそれに連れ立って歩く自分が到着した先は河越市役所であり、敷地内を進むと倉庫が一棟見えてくる。
入り口のスイッチに先輩が手を掛けるとシャッターが徐に開いていく。
薄暗い倉庫の中、夕日を浴びて姿を現したのは、河越市の所有する山車『猩々の山車』であった。
『猩々の山車』は十年前に河越市の市政八十周年を記念して寄贈された山車で長い歴史を誇る河越祭りの山車としては比較的新しい山車である。
山車がこの名で呼ばれているのは山車の天辺に設けられている人形に由来する。
赤い髪をふり乱し、上等な朱色の衣を羽織り、黒い柄杓を肩に担った若い男。これが酒を好む伝説の幻獣『猩々』である。素人の自分が見てもこれがいかに精巧なものかが一目でわかる。
しかし、それ以外の部分、山車本体に至っては異様であった。
見事な彫刻も、鮮やかな毛氈も無く、在るのは無骨で黒塗りの鉄板で固められた装甲車の様な山車が聳え立っていた。
唖然としながらそれを見つめる朋友を尻目にその出来栄えを気に入ったようらしい先輩は興奮した様子で山車を弄りまくっていた。
「おほほほほ!イイネいいね。注文通りの出来栄えだ」
「彼女頼んで注文通り耐圧、耐衝撃加工をしてあります。こいつなら1tトラックが時速100キロで激突しても大丈夫です」
「素晴らしい。稼いだ金のほとんどをこれにつぎ込んだだけのことはある。これで今年の優勝は俺達の物だ」
「あの…すみません。何の話をしているんです?」
「朋友君これから祭りの本番が始まるんだよ」
「本番?ですか」
「そうだ戦争まつりだよ、戦争まつり」
そう言って笑う先輩の様相はまるで悪鬼か羅刹の類であった。
河越祭りの二日目。その日は前日と違って街の人通りが少なかった。
歩行者天国となっていた道路には車も通っておらず、観衆は鉄条網に囲われた歩道の内側に密集している。
露店も同じようにフェンスの内や裏通りへと引っ込んでいる。
なぜこのようになったのか。
「それはこれから戦争が始まるからだ」
先輩は河越市役所前の駐車場の隅々にまで響き渡るほどの声量で檄を飛ばす。檄を受けるのは総勢45人を超す男女。その多くが自分の通う大学の関係者である。
その中にはもちろん自分もおり、隣には朋友が立っており先輩の話を聞いている。
「皆も知っての通り、河越祭りは二日に渡って行われる。一日目は一般に開放されゆっくりと祭りを楽しむための日であり前夜祭でもある。そして二日目、こちらが祭りの本番だ。因みにこれは雨天決行。予報されている夜からの雨もお構いなしにやるから覚悟しておくように」
熱を持って語る先輩の隣に設けられたスクリーンには映写機の光が当たる。
映し出される光には『河越夜戦祭り』とデカデカ書かれていた。
「かつてこの地で繰り広げられ、日本三大夜戦の一つにも挙げられる河越夜戦。それに因むこの祭りは、例によって十年前のアホ市長が勢いに任せて作り上げた『街興しの功罪』の一つだが、そんなこと今は関係ない。今はこの戦に勝ち残るためのことを君たちに伝えよう」
先輩がリモコンを操作するとスクリーンには河越夜戦祭りの大まかなルールが箇条書き映し出される。
「ルールは至ってシンプルだ。先ずは町内ごとに自分たちの山車を引いて河越中を走り回る。その際に山車と山車とが鉢合わせたらバトルに突入する。このことを大会では『曳っかわせ』と呼んでいる。因みにこの際人が死なない限りどんな事をしても構わない無法バトルとなるから心して欲しい。そして、山車の天辺に在る人形を無くした方の負けとなる。言ってみれば馬鹿みたいに規模の大きい騎馬戦だな。時間制限は午後三時から九時までの六時間。その間に最後まで生き残っている、もしくは一番多くの人形を獲得した町内の優勝となるわけだ」
次に映し出された画面には河越の地図が移されており、そこには参加する町と山車のデータも映し出されている。
「ご覧の様に、河越には山車を持っている地区は28あり、そのすべてが今回の戦争まつりに参加する。そして我々こと大学チームは例年の様に市の山車を借りての特別枠として参加する。まだ詳しい情報を掴めていないが特別参加枠として市外から何チームかの参加が有るらしい。よって敵は少なくとも30を超えるとみて良いだろう」
今までの内容で質問を求めた先輩に、参加者の中から手が上がる。
先輩が指名したその人物は彼女であった。
「今までの説明で多くのライバルが居て、それらを力ずくで倒すことがこの祭りの趣旨だと解ったわ。でも闇雲に戦っても疲弊するだけで、こちらの被害も免れないでしょ。それに対して何か策はあるの?」
「その辺はちゃんと考えてある。今回の山車は貴女に改造してもらったように強化装甲を施した特別性だ。耐久性については問題ない。また今回の戦闘に於いては十五人ずつ三班に分けて臨む。一班は戦闘に従事している間、もう一班は市内に分散し敵の行動と戦闘の様子の偵察及び特殊工作をして貰いたい。そうすることで戦況を常に把握でき、臨機応変な対応を基にこの戦いを有利に進めることができるはずだ」
「ちょっといいかな」
そう言って挙手をした先生のことを先輩は指名する。
「その作戦だと山車を引く班の負担が大きすぎるんじゃないか。そんなに連戦させるとどうしても疲弊してしまうだろう」
「そのための三班制なんです。つまり二班が戦闘と偵察にあたっている間、もう一班は待機及び情報管制に当たって貰います。そして待機している班は一時間ごとに戦闘班とローテーションで交代してもらいます。こうすることで戦闘班の疲弊を減らすことができるという算段です」
そこまで言うとまた手が挙がる。今度挙げたのは後輩であった。
「今の話を聞くと戦闘に参加しない偵察班が一番安全そうですね。できれば僕は偵察班に配属してほしいのですが」
その言葉に賛同して多くの参加者が自身もと声を上げる。しかし先輩はそれを制すると話を続けた。
「いいや、偵察班にも戦ってもらうことも想定している。主には戦闘班に負傷者が出た場合や戦闘が激化した場合には戦闘介入してもらう。それに偵察班には敵の誘導やトラップの設置などの特殊工作もして貰うので一概に安全であるとは言えないぞ」
それの言葉を聞いてさすがに偵察班を希望する声は鳴り止んだ。それを見て先輩は話を続ける。
「それに偵察班には機動力を付けるためにこれに乗ってもらう」
先輩は演台の隣に置かれていた黒い幌を取っ払うと十数台の原動機付き自転車『カブ』が現れた。
カブを見て拍子抜けした参加者とは裏腹に自分は条件反射的に手足の震えが止まらなくなってしまう。
「おいどうしたんだ?いきなり震えだして」
朋友が心配して尋ねてくるのに自分は情けなくも震える声で答えた。
「あれはな、ただのカブじゃない。見ろ、スピードメーターの他にも7つのボタンの着いたコンソールがあるだろう?あれは彼女が開発したモンスターマシン『グレートカブ』だ」
「グレートカブ? スーパーカブと何が違うんだ」
「名前については大した問題じゃない。問題はその性能だ。奴はあの大きさで東上線の十両編成を引っ張っていける位のパワーを誇り、ガソリン1ℓで河越から四国の桂浜まで走れるほどの燃費の良さ。そして何よりコンソールに隠された7つの秘密機能がある」
「マジでスーパーマシンみたいな話だな」
「とはいえ、その機能と言うのが乗る人のことを一切考えていない様な、安全性皆無の殺人的システムばかりなんだ。あれに乗る奴は事前に遺書を書いておいた方が良い」
「何と無く危険性は解ったが、お前良く知ってるな。まさかお前もあれの開発に関わっていたのか?」
「とんでもない。関わっていたなんて、そんな殺人システムどんなことをしても取り付けたりさせはしない。以前オレはあれに無理やり乗せられて死に掛けたんだ。だからあれに乗る必要のある偵察班には絶対入らない方が良いぞ」
自分達がそんな話をしているのを尻目に、先輩はトットと話を進め遂に班分けを行った。
先ず偵察班は後輩をリーダーとして十五人。待機及び管制班は彼女をリーダーとして先生を含めた十五人。そして戦闘班はなぜが自分をリーダーとして朋友を含めた十五人が割り当てられた。
先輩は総司令官として常に山車に乗り込んで戦闘の指揮を執るということになった。
そして午後三時の鐘が鳴る。これが開戦を告げる鐘となる。
「さあ『猩々』出陣だ」
先輩の檄が飛ぶと先ず偵察班がカブを駆ってそれぞれ指定された配置へと移動していく。
次いで自分達戦闘班が綱を引き『猩々の山車』を進軍させた。
こうして遂に後に歴史的な戦いと呼ばれる『第十次河越夜戦祭り』の火蓋が切られたわけである。
『猩々の山車』は市役所の前から西に進路を取り、札の辻の辺りまで進軍する。
道路には安全性を考えて車どころか歩行者も影一つも無く、路側帯に建てられた鉄条網の向こう側から〝がんばれ〟だの〝やっちまえ〟だのと声援を送ってくる。
まったく、応援する方は楽で良いなと思っていると山車に設けられた舞台の上で指示を出す先輩が大声で叫んできた。
「偵察班から連絡が入った。このまま南、蔵造通りを進むと約1㎞の地点で幸町の『小狐丸の山車』に接触する。これより俺たちは『小狐丸の山車』を標的として南へ針路をとる。総員戦闘態勢に入れ」
一斉に緊張が戦闘班の中へと伝播してゆき、先輩の「全速前進!」の号令によりそれを解き放つかのように怒号を上げて自分たちは蔵造通りを南へと進む。
蔵の造りの町並みが伸びて見える錯覚に陥るほどの全速力で走っていると、前方約500mより一台の山車が事らへと進撃してくるのが見えた。
そしてその先には一台のカブが走ってくる。どうやら偵察隊の一人が幸町の山車をこちらへ誘導してきたようだ。
「敵機こちらへ接近してきます。引手の数は四十。士気も幸町囃子会が奏でる堤崎流の祭囃子に鼓舞されて充分に高まっています。戦況は不利かと思わります」
早口で敵の情報を告げる偵察員の声はこの戦いが無謀である事を訴えるように切迫したものだったが、それを受けた先輩はカカカと実に大物らしく高笑いをした。
「伝達ご苦労。来たな幸町。あそこは古参だから連帯が取れているからな。皆気合い入れていくぞ!」
応の声を上げて前進を始めようとする『猩々の山車』の上から先輩が自分に声を掛けてくる。手招きする先輩の傍まで行くと勾欄から乗り出した先輩が自分にその暑苦しい顔を寄せてくる。
「相手の引き手が邪魔だな。一丁蹴散らしてこい。一番槍は露払いのお前に任せたぞ」
「何を無茶苦茶なこと言ってるんですか。相手はこちらの倍以上いるんですよ。それを自分一人でどうこうできるわけ無いでしょう」
「もちろん一人じゃない。他に五人ほど連れて行け。それに倒して来いってわけじゃない。あの引き手を山車の前から退かせって言ってるんだ」
「それも同じくらい大変そうなのですが」
「それなら、ほら、グレートカブにも乗って行っていいぞ」
「…そっちの方がよっぽど嫌です」
グズる自分に業を煮やしたのか、先輩は自分の襟首を取っ捕まえるとヒソヒソと耳打ちをしてくる。そして同時に自分の顔は段々と青くなっていった。
「…解りました。それじゃあ行ってきます」
「―――!おいおい、それに乗って大丈夫なのか?」
先ほどグレートカブの危険性について説明しておいた朋友が心配そうな顔で問いただしてくる、
「多分駄目だろう。あとで命に関わる汁やら何やらを噴出して倒れているだろうから介抱してくれ」
「どうしてそんなに成るまでするんだよ」
「決まっているだろう。やらないとより酷い目に合うからだよ」
止める朋友を振り切って偵察部隊の男性に了承を取り自分はカブのスロットをギュワンギュワンと吹かして既に150mの所まで迫りつつある『小狐丸の山車』へと突っ込んでいった、
しかし、ただ突っ込んで行っても埒が明かない。
ならばとばかりに緑色のボタンを叩く。するとカブに搭載された7つの秘密機能の一つ『3Dドライブシステム』を起動させる。瞬時にタイヤが地面に吸い付くような感覚が伝わってきて、そのまま壁を垂直に駆け上っていく。
3階建てのビルの天辺まで行くと道を無くしたカブは重力に引かれて落下を始める。
しかしここで落ちてはまだ距離が有る。もっと近づくべきだと今度は水色のボタンを押し、滑空機能『ウィンドライダー』を呼び起こす。
翼を生やして宙を撫でるカブは『小狐丸の山車』を引っ張る引手の列にその鼻先を向け、そのまま一気に間合いも詰めるために白いボタン『グレートターボ』を発動させる。
瞬時に最高時速270㎞にまで加速したグレートカブは、物凄い土煙を上げながら『小狐丸の山車』の列に激突した。
衝突の直前にオレンジのボタンで『エアバックフィールド』を使っておいた自分は全くダメージを受けることも無く、尚且つぶつかった相手にも大した負傷を与えることも無かったが隊列を組む相手は将棋倒しの様に崩れていく。
そこへ自分に着き従ってきた5人の攻撃班が畳み掛ける。
見る間に15人ほどを場外へ、鉄条網の外へと投げ飛ばしたが、立ち直った相手の引き手がこちらに迫ってくる中、空かさず後方に控えていた自軍から拡声器越しの先輩の声が飛んできた。
「良くやった!一旦退け。後はこちらで方を付ける!」
振り返る100m先では既に進軍体制の整った『猩々の山車』が待ち構えている。
然らば、自分は仲間に号令を発し、一目散に後退する自分たちの背中を追ってくる敵陣。そこに先輩の進軍命令を受けた自軍の山車が突っ込んでくる。
「ようし、さっき説明したようにしっかり加速を着けろよ!この攻撃には速度が何より重要だ!全力で走れ!死ぬ気で走れ!」
舞台の上から屋根の上へと乗り移っていた先輩はそんなことを喚いている。
その例えはまさに猪突猛進の言葉がしっくりきて、黒光る強化装甲が切迫してくる様はプリミティブな恐怖を感じる。
さすがに近くまで迫って来る自軍に巻き込まれては敵わないと、回避するすぐ傍を漆黒の山車が疾走していく。
そしてその速度は敵の目の前まで迫っても衰える事無くそのまま突っ込んでいく。
悲鳴を上げて逃げてゆく幸町の引手を尻目に、こちらの引手は2本の綱で『小狐丸の山車』を挟み込むように、そのまま走り抜けて直接山車同士と激突させた。
激突した結果、ここで山車の造りの違いに差が出た。
こちらの山車は先輩がした説明のように強化装甲を施して、10tトラックの衝突にも耐えられるようにカスタマイズされている。それに対して相手の山車は完全木造。その上年季物と来ている。
結果は火を見るより明らかであ、り『小狐丸の山車』は粉々に砕けて見るも無残な木屑へと変わり果てていく。
そんな中、勢いに乗った先輩は勢いそのままに、衝突の瞬間『小狐丸の山車』へと飛び移る。そのまま破竹の勢いを以て屋根にしがみ付いていた幸町のおじさん方を突き落し、山車の天辺に挿げられていた『小狐丸の人形』をもぎ取る。そして雄叫びを挙げながら空へ高々人形を掲げた。
遂に自分たちは初白星を手にしたのだ。
意気揚々と山車から飛び降りてくる先輩は、まるで凱旋将軍のような面持ちで自分の前まで歩み寄ってきた。
「どうだい。これで一つ人形ゲットだぜ!」
満面の笑みでピースサインを向けてくる先輩であったが、自分は些か喜びきれない気分であり、そんな様子を先輩に見咎められてしまう。
「どうした?せっかくの勝利なんだからもっと嬉しがれよ。特にお前の活躍は目覚ましかったんだから誇っていいんだぜ」
「…いえ、それは嬉しいんですが。やはり壊すのはやり過ぎだと思います。だって『小狐丸の山車』は県の有形民俗文化財なんですよ。それを壊すなんてやっぱり納得できません」
山車の人形を取られたら速やかに退場するというルールに従い戦場を後にする幸町の人からは、負けたこと以上にも自分の町の誇りでもある山車を無残なまでに破壊されてしまったことへの絶望感がヒシヒシと伝わってくる。
そんな様子を見せられて同情してしまう自分とは裏腹に、先輩は非常にアッケラカンとした表情で言葉を続ける。
「―――あのな、そんなこと今更言ってどうするんだよ。この『河越夜戦祭り』はもう十年も前から続けられてきた『街興しの功罪』なんだぜ。どこの山車も中破大破は当たり前、その度に修理や世代交代してこの祭りに望んでいるんだ。そんな話ホント今更って事なんだよ」
「―――しかし―――」
自分が言いかけたその瞬間、先輩のスマホがけたたましく鳴り響く。
その着信画面には本部の管制室にいる彼女の名前が映し出され、この場の全員に聞こえるように設けられた外付けスピーカーを通して流れてきたのは紛れも無く彼女の声であった
「もしもし、今『小狐丸の山車』を撃破したぞ。これで人形一つゲットだ」
「おめでとうございます。けど安心するのは早すぎますよ」
「―――何があった」
「後方から接近する敵影が有ると報告が入ったのよ。恐らく幸町の『翁の山車』と思われるわ。それから前方からも敵機が接近中。こちらは仲町の『羅陵王の山車』で人数は三十だと報告が来ているわ」
「チッ、戦闘後の疲弊したところを付こうと群がってきたか。―――ところで特殊工作の方はどうなっている?」
「バッチリよ。タイミングを指示してくれればいつでも発動できるわ」
「OKだ。これから戦闘態勢に入る。タイミングは後で送る」
スマホを切って先輩が見据える先には彼女が言った通り『羅陵王の山車』が全速で近づいてくる。
そして振り返ればもう一台『翁の山車』も近づいてくる。
「つまり挟み撃ちと言う訳ですね。どうするつもりです?先輩。相手方はもうだいぶ迫って来てますし」
それに対して先輩は「まあ待て」と一言呟くとニヤリと笑ってスマホを翳す。
そしていよいよ80mまで近づいた地点で、先輩はスマホに向かって「一番、今だ!」と叫んだ。
するとどうだろうか。『羅陵王の山車』の真下から突然何かが吹き上がり、勢いを以て山車をひっくり返してしまった。
その様子を確認した先輩はすかさず「続き!二番、今だ」とスマホに叫ぶと、今度は『翁の山車』が走るすぐ隣に建てられていた鉄条網が倒れてきて山車にぶち当たり、そのまま山車を横倒しにしてしまった。
そして敵の見せた隙を逃すはずも無い先輩の号令により浮足立った二つの山車へと突進していく攻撃班総勢15人は瞬く間に二つの山車から翁の人形と羅陵王の人形を奪い取ってしまった。
「ようし、これで二丁上がりだ」
満足げにカカカと笑う先輩に唖然としてしまう自分は一応聞いてみる事にした。
「先輩。今のいったい何なんです?地面がいきなり爆発したり、鉄条網が倒れてきたり…」
「ああ、あれは偵察班にやらせておいた特殊工作だ」
「…詳しく教えてもらえませんか?」
「地面が爆発したのはマンホールに爆薬を取り付けて山車が来たら吹き飛ぶように仕掛けをしておいたんだ。鉄条網にも遠隔操作で外れるようにしておいた。どうだ?見事に作戦成功だろ?」
「なんて危険な事をしているんですか⁉誰か死んだらどうするつもりなんですか。それに罠だなんて…もっと正々堂々と戦ったらどうなんです」
「『兵は詭道なり』ってね。だまし討ちも立派な作戦だって昔の偉い中国人が言っているだろ!」
孫子も自分の言葉を先輩に悪用されては堪ったもんじゃないだろう。
「それにもともと河越夜戦は奇襲戦だ。つまりだまし討ちこそがこの戦争の王道であるという事なんだよ」
「酷い暴論ですね」
「暴論結構!清廉潔白なだけじゃ、すぐに取って食われてしまうからね」
相変わらずな先輩にゲンナリしている自分に、なおも先輩は畳みかけるように自論の暴論をのたまわった。
そうこうしている内に鹵獲した人形の積み込みが終わったことを知らされた先輩は、自分との話も早々に再び舞台へと乗り込んで行った。
「ようし、このまま一気に突き進むぞ」
そう先輩が掛け声を発すれば皆は応と答えて、『猩々の山車』は南へと進路を取るのであった。
戦争が始まって3時間が経過した。
自分達は先ほど二回の進行を終えてようやく本部へと戻ってきた。
朋友を含めた多くの班員たちは待機していた第二班と交代するとすぐに疲労のためパイプ椅子に突っ伏したり、アスファルトに寝そべって酸素ボンベを吸っている。
しかし自分は二度目の管制役の仕事が有るため休む間もなく管制室へと向かった。
管制室と言ってもそれほど本格的なものではなく、野外テントの中に机と椅子とを配した、まるで運動会の大会本部のような簡素さである。
その中では偵察班が送ってくる戦況を映すモニターがいくつも置かれている。
管制班の仕事は送られてくる映像と各々が自身の携帯を用いて偵察班と通信して得た敵の位置や勢力等の情報をもとに、それらを示す赤い山車の形をした駒を中央に置かれた地図の上で動かすことで今後の展開を読み戦闘班と偵察班の実働部隊に指示を出すというものである。
またこの駒の置かれた地図は真上からカメラで撮影されており、その映像をリアルタイムで先輩のスマホへと飛ばされ、現場での判断材料や先輩自身による作戦立案にも用いられている。
「それでこの青い駒がうちの『猩々の山車』というわけ。今は県道河越・日高線を東へ通町の『鍾馗の山車』を追跡しながら進行中ね」
彼女は山車の駒を動かしながら現状についての説明をしてくれた。
本当ならば攻撃班と管制班の交代の際に自分と入れ替わって攻撃班に行くはずの彼女であったが、統制力の高さを買われて急遽先輩の独断的判断により管制班専属班員としてここに残ることになった。
そして彼女代わりに攻撃班を任された先生には痛み入る思いもある。ただでさえ人数が少ないうちの攻撃班で一人が抜けた大穴を埋めるべく奮闘しているというのだから本当に頭が下がる思いである。
「『鍾馗の山車』一台だけだったら問題ないと思うけれども、どうも地の利が悪いわね」
「?どういうことですか」
自分の質問に「いいかしら」と彼女は地図を東西に走る長い道を指さした。
「この県道河越・日高線でも成田山河越別院前から国道254号線まで至る道は坂道になっているの。しかも進行方向は上り坂ね。となると問題なのは先に『鍾馗の山車』に坂の上を取られるということよね」
「?どういうことですか」
「解らないの?そんな事だからあのあと新富町二丁目の『鏡獅子の山車』と三久保町の『源頼光の山車』しか落とせなかったのよ。いい?私たちの戦法は山車の頑丈さに任せた特攻作戦よね。これの威力が絶大であることは製作者の私が保証するし、あなたも経験したはずよ」
「それは身を以て解っています」
「でもね、その戦法には弱点があるのよ」
「弱点ですか?」
「そう、この戦法を成功させるためにはどうしても十分な加速を山車に付けてやらないといけないのよね。そうでないと敵の山車を破壊できないもの」
「―――破壊する必要ってあるんですか?」
「今のところは松江町から続く緩い坂道のお陰で充分な加速を着けていられるけれども、成田山の前を通り過ぎたら逆に急な坂道になるわ。そうなったら決め手を無くしたこちら側に向かって頭数に勝る敵方が一気になだれ込んでくることになるわ」
「…それってピンチですよね」
「だからこそ、そこに着く前に仕留めて貰いたいんだけれども…」
言いかけたその時、彼女の携帯に先輩からの着信が入る。
すぐさまその音声は管制室に設けられた外付けスピーカーによって全員に知れ渡るように配備される
「こちら管制室。どうしたの?先輩」
「『鍾馗の山車』に坂の上まで逃げ切られた。こちらはもう大分失速してきていて、とても特攻を仕掛けられるような状況ではない」
「お気の毒様ですね。どうか御武運を」
「いやいや、見捨てるなよ。確かその近辺に青いピンが刺してあったよな」
「確かにあるわね」
「だったら、またこちらからタイミングを送るから、それに合わせてトラップを発動してくれないか」
「まったく、せっかく設置したトラップをバンバカ使っちゃって。このままじゃいざと言うときに助けられないわよ
「だから今がそのいざと言うときなんだ」
「…もぅ、了解。いつでもトラップ発動できるわ。カウントどうぞ」
スピーカー越しにその時を虎視眈々と狙う先輩のカウントが聞こえてくる。
続いてモニターには山車のカメラが捕らえた現状、坂の上に陣取った『鍾馗の山車』が勢いをつけて進軍してくる様子が移された。
カウント3を告げたところで二つの山車の距離はほぼ50m。もう目と鼻の先へと敵は迫っている。
ハラハラしながら見守る自分の耳に高らかにカウント0を叫ぶ先輩の声が聞こえる。そしてすぐさま、彼女は携帯とは別の端末を操作してそのボタンを押した。
するとどうだろう。画面に映し出されていた戦況は一変したのである
彼女が発動させたトラップ。それはシンプルに落とし穴であった。
それまで堅牢なアスファルトに覆われていた道路に突如としてポッカリと開いた口。いつどうやって掘ったのか全くもって疑問な大穴に、坂道で勢いづいた『鍾馗の山車』は止まることも避けることも出来ずに突入してしまった。
引手及び山車を呑みこんだ穴の上にはお誂え向きに『鍾馗の人形』が顔を出しており、先輩はそれを悠々と奪い去るとまたしても高々と頭上に掲げた。
スピーカー越しに自軍の鬨の声を聴く中、彼女はホッとした様な表情で端末を置いた。
「ヤレヤレだわ。開始から3時間20分だというのにまた奥の手を一つ使ってしまって。このまま戦い続けられるのかしら?」
彼女の疑問も尤もであった。自分たちの戦法が猪突猛進の一辺倒であるため、敵に読まれやすく、かつ加速のための距離が必要と弱点があるため、どうしてもトラップの力に頼る必要が生まれてしまう。
しかし現在も探索班よる特殊工作が進められているとはいえ、敵の山車に決定打を与えるようなトラップは即席で作れるはずも無く、地図を見る限り残りは後三か所のみという状況となってしまった。
「これからは小さなトラップでチマチマとダメージを与えていくか、もしくはこちらの有利な状況に敵を誘導してから叩くようにしないといけないわね」
彼女が盤上の駒を手で戯れていると「報告です!」と管制班の一人が声を上げた。
「何かしら?」
「報告します。現在『猩々の山車』に高速で接近する敵影ありとの連絡が入りました」
「どこの山車かという情報は入ってない?」
「報告によりますと敵機は大阪府岸和田市の地車だんじりだと思われます」
「だんじり…また厄介なのが来たわね。機動力ではあちらの方が断然上でしょうし、これ突進を仕掛けて倒すのは無理そうね」
「…あの、つかの事お聞きしますけれど。どうして河越祭りに岸和田のだんじりが走っているんですか?なんか可笑しくないですか」
「可笑しいことなんて無いわよ。先輩が言っていたようにこの『河越夜戦祭り』には特別参加枠が有るの。これは事前に申請して山車と人形さえあれば県内外を問わず何処の団体でも参加することができるのよ。しかも特別参加枠はどういう訳か非公開になっていて実際に鉢合わせてみないと何処が参加しているのか分からないのよね」
「それにしてもだんじりなんて…そもそも崇める神様が違うでしょう」
「あら、だんじりなんて可愛い方よ。他にもっとわけの分からないのも参加しているでしょうから。これはいったいこれをどう捌いたら良いかしらね」
思案にふける彼女であったが、その時また別の管制班員から「報告!」と声が上がる。
「喜多院入口交差点へ向かって別勢力が接近中との連絡です」
なんということだろう。ただでさえ部の悪い敵が近づいて来ているというのに、また別の敵が迫り来るという。自分と彼女はその事実に驚きを隠せなかった。
「なんですって⁉敵の数は?」
「数は少なく見積もっても200人を超える模様」
「200人!有り得ないそんな人数。完全にセオリー無視じゃない。いったい何処のどいつなの⁉乗せてる人形は?」
「両手を水平に広げた白いイエス像だそうです」
「コルコバードのイエス像…リオのカーニバルね!」
「カーニバル⁉ まさか本当にあの電飾キラキラのフロート車がこの河越を走っているんですか?」
「どうもそうみたいね。報告資料によると派手な衣装の踊り子さんたちも本格的に踊りながら迫ってくるみたいだし」
「さすがにこれ以上どうしようもない物は参加していないでしょうね」
「報告です。県道河越・日高線を東から抗争中の集団が接近してきます。戦闘しているの志多町の『弁慶の山車』と朝霞駐屯所の陸上自衛隊です。戦況は『弁慶の山車』一方的に陸上自衛隊の『九〇式戦車』に追い立てられるようです」
「朝霞の…。わざわざこっちまで戦火を広げにやってくることは無いでしょうに!」
「…もはやツッコむのに疲れましたよ」とこの祭りのカオスぶりに呆れ果てる自分を放っおいて彼女は素早く携帯を操作すると先輩に連絡を入れた。
「もしもし先輩!聞こえますか⁉」
「聞こえている」
「そちらに接近している敵機が四つあります」
「どこの所属か判明しているのか?」
「先輩が今いる喜多院入り口の交差点に対して西から接近してくるのは岸和田の『だんじり』。南からはリオのカーニバルの『フロート車』。東側からは『弁慶の山車』とそれを追撃している朝霞陸上自衛隊の『九〇式戦車』よ」
「―――まったく、なんて運の悪い。囲まれるなんてな。これからどうすればいい」
「とりあえず北へ、河越高校前まで逃げて。そちらには今のところ敵影が有るとの報告は無いわ」
「だがよ、だんじりが相手じゃ足で逃げ切れるのか?あいつらの機動力は本当にシャレに成らないぞ」
「たぶん大丈夫だと思うわ。このままいけば喜多院入口の交差点でだんじりとカーニバルと自衛隊は鉢合わせになるはずだから、そのまま戦闘に入るでしょう。それに万が一だんじりが先輩たちを追うとしてもカーニバルの大軍を前に躱してはいけないでしょうしね。確実に逃げ切れるはずよ。逃走経路はスマホに送っておいたから」
「解った。これを頼りに進むよ。あと、河越高校の前まで来たらどうする?」
「そうね。一旦本部へ戻って来てもらえるかしら。形勢を立て直す必要もあるし、何より偵察班がトラップを設置する時間稼ぎも必要だしね」
「了解。―――そろそろ敵が近くまでやってきた。後でまた連絡する」
通信の途絶えた携帯を机に戻した彼女はすぐさまモニターへと視線を走らせる。
そこには上方向から捕らえた喜多院入口交差点の様子が映し出されており、ちょうど北へと逃げる先輩たちが見て取れた。
そしてその5秒後には交差点へと踊りながら雪崩れ込んで来るカーニバルの姿が映し出され、そこにだんじりが猛スピードで突っ込んでくる。
完全なパニック状態となりつつも、互いの人形を奪い合おうと曳っかわせする両陣営。そこに追い打ちをかける様に『弁慶の山車』が乱入する。
もはや戦況の収拾が付かなくなり敵味方問わず曳っかわせするその坩堝の中心に、突如として盛大な爆煙が上がった
自分はまたも彼女が何かしたのではと思いふり向くと、当の彼女も面食らった表情をしている。これはいったいと浮かんだ疑問を「報告!」の一言が答えてくれた。
「先ほどの爆煙は陸上自衛隊が戦車の主砲より発射した煙幕弾だと思われます」
「なるほどね。奴らならやっても可笑しくないわ。尤もこうなっては事態がどうなっているのかなんてもう分からないけれども」
そう言うと彼女は近くに在ったパイプ椅子に腰を降ろし、机に立て肘をしながらフゥと軽い溜息を吐いた。
「しかし、これで何とか先輩たちは逃げきれそうね。こんな混乱した状態じゃいくらだんじりでもこれ以上追うなんて無理でしょうし」
「そうですね。では自分はちょっと裏へ行ってきます」
もうすぐ来るであろう先輩たちの疲労を少しでも癒すため、自分はテント裏へと勇み走って行った。
そこには段ボールに詰め込まれたスポーツドリンクや酸素ボンベが無造作に山積みにされている。
自分は段ボールをテント前まで運ぼうとするものの、一人ではどうにも捗らない。たった二往復に5分も掛けていると「まったく何やってんだよお前は」と自分に声を掛ける人物がいた。
何を隠そうその人物は朋友であった。
「おや?どうしたんだ朋友。君はテントで休んでたんじゃないのか?」
「お前が急いでこっちに走ってくるのが見えてな、後を着けてきたんだ。それで、その段ボールはいったい何なんだ?」
「ああ、これか。これはスポーツドリンクと酸素ボンベだよ」
「?何だってそんなもん一人で運んでんだ?」
「実はな、今出撃している攻撃班が一旦こっちに帰ってくるんだよ」
「随分早くないか?また先輩が駄々こねて帰りたいとか言い出したんじゃないだろうな?」
「さすがにそれは無いよ。さっきちょっとピンチに陥ってな、一旦体勢を立て直すために戻ってくるんだ。その時の補給物資の準備をしているわけ」
そこまで説明すると朋友は得心が入った様に頷く。そしてそのまま段ボールの山へと歩み寄って行き、その一つを担ぎあげた。
それを見て少々驚く自分に朋友は屈託ない笑いを見せる。
「まったく、何で一人でやろうとするかな。一声かけてくれれば良いモノを」
「―――手伝ってくれるのか?朋友」
「まあ、お前がこの山に下敷きに成ったら助けるのが面倒だからな。それにこの戦争に勝つにはお前が居た方が都合が良いだろう?」
そう言い残すと朋友はセッセと段ボールを運び始める。
自分はその背中に聞こえるか聞こえないかの声で「ありがとう」と呟くと、残りの段ボールを持って彼の後を追った。
先輩たちを迎え入れる物資を用意し終えた自分と朋友は、もうすぐ来るであろう山車を待ちわびて道路を見張っていた。
しかし『猩々の山車』は一向に現れなかった。
不思議に思って様子を聞こうと連れ立ってテントまで戻ってると、中はまるで戦場の様にザワめいていた。
管制班はしきりに連絡を取り合い、地図の上の駒はやたらと動き回り、彼女は大声で指示を出す。
人の大渋滞を掻き分けて彼女の下へと辿り着き「いったいこれはどうしたというのですか?」と尋ねると、彼女は珍しく焦燥に駆られた様子で振り返った。
「どこ行ってたの⁉こんな非常事態に」
「すみません。先輩たちのために飲み物とかを用意していたんですが」
「まったく、それどころじゃないわ。今先輩たちは戦闘態勢に入っているのよ」
「それってどういうことなんだ?」と朋友は身を乗り出して彼女を問い詰める。
「あんたの指示したルートには敵がいるって報告が無かったんだろ?だから安心して帰って来れると聞いたが」
「それなのに居るから非常事態なんでしょうが。こっちも訳が分からないわ」
「そんな無責任なこと言ってんじゃないよ!」
「まあ、落ち着けって朋友。ところで今現在先輩たちと交戦中の団体はどこなんですか?」
「報告では青森県弘前市の『組ねぷた』だと聞いているわ」
「『ねぷた』…またとんでもないものが出て来ましたね」
「そんなの…どう戦うんだよ?乗っけている人形があの大きさだったらとてもじゃないけれども奪えないぜ」
「だから苦戦しているんじゃない。今は先生と先輩が頑張ってくれているから何とか持っているけれども、あまり長引くようなら危険だわ」
「どうしてこんなことに…ここにも担当の偵察員が居た筈ですよね?いったいどうして連絡を怠ったんですか?」
「ここを担当していたのは後輩君なんだけど…ここ30分の間連絡が全く取れていないのよ」
「―――!なんですって。そんな馬鹿な」
「本当なのよ。丁度先輩たちが喜多院入口の交差点から逃げる時に確認を取ったんだけれども…それっきりで…」
「―――まさか裏切って逃げたんじゃないだろうな…」
「朋友。いくら君だからって言って良いことと悪いことがある。自分の知っている後輩はそんな奴じゃない。むしろ誰かのために進んで何かをするような男だ」
「だがよ、だったらこの状況はいったい何なんだ。どうしてこんなことになったっていうんだ?」
「それは」と自分が口籠ったその時を見計らったように自分の携帯がけたたましくコールする。
朋友との話を打ち切り、着信画面を見るとそこには今まさに激戦の渦中にいる先輩の番号映し出されていた。
取り急いで電話を外付けスピーカーに繋ぎ、通話ボタンを押すと、テレビ電話越しに先輩が「よう、暇そうだな」と何の冗談か常套句を呟いてきた。
しかしその声は電話越しにも判るほどに疲弊の色が濃く映し出されており、依然として切迫した状況に置かれていることを如実に物語っていた。
「冗談言っている場合じゃないでしょう先輩。大丈夫なんですか?」
「ああ、何とかな。先生が八面六臂の働きで敵を曳っかわせしてくれているから、今のところ何とか持ち堪えている。けれどもさすがにあの人形は反則だな。とてもじゃないけど奪えやしない。おまけにこっちは引手が大部分やられてしまって完全に防戦一方なんだ」
「厳しいですね…本当に偵察を担当していた後輩は何をしていたんでしょう」
「実はそのことについて連絡を入れたんだ」
不思議に思う自分達に答えるべく先輩がスマホのカメラを向けた先。山車の屋台の奥の方では何と後輩が横たわっていた。
しかし自分たちを驚愕させたのはその事では無かった。
後輩はまるでボロ雑巾の様に傷つき、擦り切れ、痣を作り、血を流している。また身に着けた服も所々破れ滲み付いた血が赤黒く乾いている。
一目見て彼が何かしらの事故か事件に巻き込まれたのが見て取れた。
「いったいこれどうしたんですか⁉まさか裏切った後輩を先輩がリンチしたとか」
「お前。いくら何でも言って良いことと悪いことがある。いくら俺でもそんな酷いことはしない。むしろそういう事をするのはお前にだけだ」
「―――後輩じゃなくて先ず自身を擁護するんですね。そしてチャッカリ聞き捨てられないことを言っているようですが」
「それはさて置き、後輩なんだが逃走中に河越高校前で倒れていたのを拾ったんだ。発見したその時には既に無残な姿に成っていたよ。そしたらその時、急にねぷたが襲ってきてな。あれよあれよと言う間に今の状況に陥ったという訳だ」
「―――それは、つまり…ねぷたの奴らが後輩をやったと?」
「それは解らん。だがとてもじゃないが手負いを囲って戦えるような状態じゃない。悪いが加勢に来てくれないか」
「えー、今自分たち休憩中なんですよ。休ませて下さいよ
「何言ってんだ。交代まであと十分だろ?だったら今から代わっても良いじゃないか」
「その貴重な十分で無駄に体力を使いたくないんですよ」
「お前な、負けたら元も子もないんだぜ。そしたら休む間もなく即撤収で片付け地獄が待っているぞ」
「何ですかそれ?」
「あれ?説明しなかったっけ?負けたチームは破壊された山車や建物の修繕も含めて全部掃除しなくちゃならないってこと」
「それは嫌ですね」
「だったら駆けつけてこい。そろそろ先生も疲れが見え始めた。十分以内に来いよ」
そう言い残すと自分が反論する暇も与えず先輩は一方的に通信を断ち切ってしまう。
しぶしぶ先輩の応援に向かうことにした自分は隣で成り行きを見守っていた朋友に声を掛ける。
朋友は突然呼ばれて面食らったようだが、展開を薄々感じていたのか頭を掻きながら彼は軽くため息を吐いた。
「しょうがないな、一緒に行ってやるよ」
「すまない。一人じゃこの事態は収拾できそうにないから。一緒に行ってくれるだけでも
「何言ってるんだ。俺たちは朋友だろ。ひと声かけてくれれば大抵の事は助けてやるさ」
「そうだったな。それじゃあ行くとするか。早く後ろに乗ってくれ」
自分は本部に置かれていたグレートカブに跨るとシートの後ろへ座るように朋友を促した。
しかしどうしたことか、あれほど自分に協力的な姿勢を見せていた朋友が何故か視線を逸らしている。
「どうした?早くしろよ」
「―――それで行くのは止めようぜ。河越高校ならここから近いんだし。走って行こうぜ。それかチャリで」
「何を悠長な。事は一刻を争うんだ。足は速い方が良いに決まっているだろう」
「いや、だからそれは嫌だから。それに乗るのだけは勘弁してくれ」
「大丈夫だ。俺は何度も乗っているが未だに死んでいない。だから安全だ」
「お前と一緒にするなよ!こっちは主人公補正が付いてないんだぞ!」
「いくらオタクだからと言って現実とファンタジーとをゴッチャにするなよ。それに俺は補正なんていらないから主人公なんて損な役回りは願い下げだ」
「既に補正付いているくせに良く言うぜ」
「しょうも無いこと言い合いしていてもしょうがない。良いから乗れよ。安全運転してやるからさ」
「…本当だろうな?例の七つの殺人機構は使わないか?」
「もちろん使わない。それどころか法定速度を守って走ってやるよ」
「―――いや、そこまでしなくても良いから、変なシステム使わないのなら乗ってやるよ」
そう言って朋友は自分の背後に座る。そして勢いに振り下ろされないように自分の胴体に腕を回してがっしりと掴む。
「ようし、しっかり捕まっていろよ。全速力で先輩の所に向かうからな。因みにグレートカブの全速力は秘密システム無しの場合でも160キロは出せるから」
「やっぱり法定速度で頼むわ」
法定速度を守りつつ走っても、市役所前から河越高校前までは5分と掛からないで到着できる。
着いた先で自分たちが先ず目の当たりにしたのは何よりも豪華絢爛なねぷたの雄大さであった。
全長10mを超す歌舞伎役者を模した骨組みを覆う色とりどりの和紙が、内側からの蝋燭の光に照らされて、午後七時に成ろうかと言う川越の夜闇の中で一際映えている。
戦争と言う状況で無ければゆっくりと鑑賞していたいものだが、そうは言っていられない状況もまた目の前に繰り広げられている。
旗色は明らかに自軍の不利であった。
死屍累々折り重なっている道路にはねぷた側の人員が多くみられるものの、未だに戦かる人数はねぷた側の方が多い。
一方こちら側の戦闘可能人数は先輩を含めたとしても既に4人しかいない。その中で先生が押し寄せる大軍をほぼ一人でなぎ倒しているのだが、どうにも押され気味であることが傍から見ても解る。
「間に合ったみたいだけど、結構ヤバくないか」
自分の肩越しに様子を見る朋友も同意見らしく神妙な声と面持ちで問いかけてくる。
「ここで見物していてもしょうがない。一気に駆け抜けるぞ」
そう言ってスロットルを一気に叩いたカブは急発進する。
必死にしがみ付く朋友と自分を乗せて戦場へと赴くカブの目の前に、自分たちを見つけたねぷた側の戦闘員たちが集結してくる。
そして手際良くバリケードを作って侵入を阻止しようとしてきた。
このまま行ったら正面衝突は免れない。そうしたら先輩たちと合流する前に負傷し、悪くすれば敵方に捕縛されてしまう。
然らば、と意を決した自分はさらにスロットルを開いて加速する。
いきなりの事に挙げられる朋友の抗議の声は駆け抜ける風にかき消され届かないが、せめて自分の声だけは伝えないといけないと思い「喋るな!歯を食いしばれ!」とありったけの声で叫ぶ。
そして次の瞬間。自分は勢いを付けてカブごとジャンプを決めた。
空中に舞いあがったカブがバリケードの上を放物線を描いて駆けてゆく。
しかし飛び越えたのは良いが予想よりも距離が延びない。このままではバリケードの後ろに控える戦闘員たちと激突してしまう。
そうなると自分たちはもちろん戦闘員たちにも重症者を出してしまう恐れがある。
仕方がないと考え、自分は朋友に「約束を破って悪いな」と聞こえていないであろう謝罪を口にし、コンソールの白いボタン『グレートターボ』を起動させた。
急激な推進力を付加されたグレートカブは重力に逆らってその身を再度跳ね上げる。
そして噴出されたジェットはバリケード諸共控えていた戦闘員をまるで枯葉の様に吹き飛ばしてしまう。
そしてそのまま10mほど飛んだ後カブのタイヤは再び地面を捕らえて走り出す。
どんなもんだいと自分の功績を確認するために振り返ると、後ろで自分に捕まっていた朋友は急激な加速を食らったせいで目を回していた。
そしてカブが『猩々の山車』の下へと辿り着くと、まるで糸が切れたように朋友は白目を剥いたまま地面にドウッと崩れ落ちた。
「おい、朋友君は大丈夫か?」
そう心配して激戦の中駆け付けて声を掛ける先輩の助けを借り、朋友を山車の舞台へと横たえる。
舞台の上には先刻同様に後輩が血だらけの状態で倒れている以外にも、リタイヤした攻撃班員が既に7人ほど収容されていた。
「見ての通りこちらは半数近くリタイヤしてしまった。それに今戦っている奴らもほとんど手負いだ。それに引き替え相手方はまだ二十人以上居やがる。このままじゃやられるのは時間の問題だぞ」
そう語る先輩は相当追い詰められているのか、滅多に見ることの無い真面目な顔をしている。
「しかし増援がこれだけとは…俺はもっと増援が来るものだと期待していたのに。その上朋友君が倒れてしまって実質増援はお前一人じゃないか。まさかお前が一騎当千とかいうんじゃないよな?」
「そんな訳無いじゃないですか。三国志の武将じゃあるまいし、一人で千人分だなんてそんな力が有るわけがないですよ。それに千はこの場合ちょっと無駄ですね。敵はせいぜい二十とそこそこならば自分は二十人分の働きをすれば十分じゃないですか」
「―――くどくど言うなよ。確かに、計算的にはそうだが…ホントにそんなことができるのか?」
「まあ見ていて下さい。せっかく遥々ここまで渋々やってきたんです。嫌々ながらもキッチリ二十人分の仕事をして見せますよ」
そう告げると自分は再びカブに跨った。
スロットルを吹かして急発進し、目指す先は目の前の集団。そこでは先生が九人の敵を相手に苦戦を強いられていた。
いくら八面六臂の活躍を見せてきた先生でも面と臂を超える数を相手にするにはいささか疲れ過ぎたのだろう。今にも取り押さえられようとしている。
そこへ電光石火の勢いで突っ込んだ自分は急ブレーキによるスピンを利用し、後輪で戦闘員たち五人を跳ね飛ばす。
突然の乱入者に浮足立った残りの戦闘員は、生じた隙を見逃さなかった先生の剛腕により先の五人と同様の末路を辿った。
「やりますね先生」と声を掛ける自分に先生は肩を回して戦意の衰えていないことを誇示している。
「なぁに、まだ若いもんには負けないよ。今だって君が駆け付けなくても何とかするつもりだったのだから」
「強がらなくても良いですよ。膝が笑ってますし。先生もそろそろ自身の歳を考えたらどうですか?
「それは若者に一番言われたくない言葉だね。ようし、これから私がまだまだ現役だということを実際に見せてあげよう。ここに居る敵を残らず叩きのめしてやるからそこで見ていなさい」
「それは困りますね。自分は先輩に二十人分の働きをするって宣言してしまったんですから。先生に全部持っていかれたら自分の分が無くなってしまいますよ」
「そこは早い者勝ちだろう。それにしても君、二十人分とはずいぶんと大風呂敷を広げたもんだね」
「一騎当千と言うよりかは現実的でしょう。それに口から出まかせでも言ったことを曲げるようじゃ小江戸っ子の名折れですし、出来なかった時に後で先輩に馬鹿にされるのはご免ですからね」
そう言って自分は自分の力となっているグレートカブのハンドルをポンポンと叩く。こいつが有ればどんな敵でも倒せると信じて。
その様子を見て先生は何か閃いたようにポンと手を叩く。
「ならばこうしよう。ここに居る戦闘員は私に譲りなさい。その代り本体のねぷたを叩くことは譲ってあげよう。そうなれば二十人なんてみみっちい数どころじゃない手柄を得られるだろう」
「それもどうでしょうね。自分はキッチリ二十人分の働きをするつもりでいるんですから」
「まったくショボクレてるね。男だったら大将獲るくらいの勢いがなければいけないよ」
「身の丈に合った功績で自分は満足です」
「せっかく英雄ヒーローに成れるチャンスなのに」
「英雄ヒーローとか自分が一番成りたくない役柄ですね。面倒臭そうですし」
やり取りを交わす自分と先生であったが、躍り掛かる影に会話を中断した。
戦場で雑談をしていれば狙われるのは必定である。
例に漏れず自分たちをリタイヤさせるべく曳っかわせてくる敵の戦闘員であったが、まったくもって先生の敵ではなく、ものの1秒足らずで逆にリタイアしてしまった。
あまりの弱さを鼻で笑う先生であったが、自分は出し抜かれたことに遺憾の意を覚える。
「先生、ズルいですよ。一人で全部持って行ってしまうなんて」
「何度も言わせるな。曳っかわせは早い者勝ちだと」
「だからって若者にもチャンスを作ってやるのが大人ってもんでしょう。お陰でどうです。残り全員倒しても二十人に満たなくなってしまったじゃないですか」
「だったらもう君が笑われないためには本丸を落とす以外には無いだろう」
「―――上手く乗せられたとしか思えないですね。ところで何かねぷたを落とす策はあるんですか?あんな馬鹿でかい人形を奪い取る秘策が」
小山の様に聳え立つねぷたを見据えるながら襲い掛かる敵を払いのけ続ける自分の問いに、同じように見据えるつつも次々と立ち塞がる敵をなぎ倒してゆく先生は「それは無いな」と無責任応える。
「それじゃあどうしろっていうんです?勝ち目無いじゃないですか。そんな手詰まりな状況を自分に押し付けるなんて…先生は無茶振りキツイですよ」
「そうじゃない。無いと言ったのは『人形を奪う』と言うことだ」
「―――どういうことです?」
「ルールを思い出してごらん。この曳っかわせの勝敗はどうやって決められる」
「それは相手の人形を奪ったら勝ちってルールでしょう?」
「違うよ。良く思い出しなさい。説明の時には『山車の上に在る人形を無くしたら負け』と言っていたはず。つまりどういう形であれ自分のチームから人形が消失したら負けと言うことなんだよ」
「―――なるほど。大体解りました」
「ようし、解ったなら行ってきなさい。花道は用意しておいてあげよう」
駆け出した先生は行く手に立つ敵は脇へ後ろへ前へ空へと跳ね除けてゆく。
そしてねぷたの前までたどり着いた時には一筋の活路が開かれていた。
その先で振り返る先生が目で語りかける。この道を行けと。
ならば、とばかりに自分はアクセルを全開にする。
ウィーリー走行で暴れ回るジャジャ馬を窘めて一気に道を駆け抜ける。
駆け抜けた先、目の前まで迫る寸前、自分は『グレートターボ』を爆発させる。
爆発したジェットの飛び出す勢いは車体が宙を舞う程に加速させる。
加速はそのまま続き、カブそのものを一発の弾丸に変える。
そして弾丸が着弾する寸前。自分は身を翻しカブから飛び降りた。
これがねぷた攻略の答え。奪えないのなら全部壊してしまえばいい。
無人となったカブはねぷたの外表と骨を破壊していく。
ぶつかった拍子に中に立てられていた数百本の蝋燭が倒れたのだろう。すべてが木製のねぷたは七月の提灯騒動の時と同様にただの火の塊へと変わっていった。
燃え盛るねぷたから離れ『猩々の山車』の前に戻ってくると、先輩、先生を初めチームメイトたちが歓声を上げて自分を迎えてくれる。
皆が皆傷だらけ、ボロボロに成りながらも笑顔だけは活気に満ち溢れ、宛らこの戦争に勝利した様な高揚感を味わっていた。
「よくやったな。さすがは俺の見込んだだけのことはある」
そう言って自分のバンバンと肩を叩いてくる先輩だが、痣だらけの自分にその行為は控えて欲しい。
また、先生は「あれだけのことを一人でやってのけるなんてさすがだね」などと自身の功労ことは謙遜からか差し置いて自分を称賛してくるため、助けを借りて勝ち得た自分はどうにも居た堪れなくなる。
そして、チームメイトも凄いだの何だのと褒めたたえ宛ら自身の事の様に喜びを分かち合おうしてくる。
だが、しかし自分はこういった扱いをされることは好きではない。
いっその事止めろと大声で叫んでやりたい。
そんな衝動を我慢しつつも結局耐え切れなくなり「止めて下さい」となるべく角の立たないように言おうとした矢先、班員の一人が「何だあれ⁉」と叫んだ。
皆が釣られて見据える先。そこには先ほど自分が打倒したねぷたがゴウゴウと燃え盛っていた。
だが本当に一人の班員が驚愕したのはその手前にある存在。いや、存在と言っていいのかも解らない何かであった。
『それ』は、宛ら球体をした陽炎の様であった。
だが後ろで燃えるねぷたから発せられる陽炎とはまた違い、『それ』は全く揺らぐことが無く何か一定の形を取り続けている。
それでいてその形を知ることができないのは、『それ』自体が確実には視認できない。
つまり『それ』はガラスの様に透明になっているのである。
いったい何なのだあれはと皆が驚愕する中「総員、戦闘配置だ」と先輩の檄が飛ぶ。
その声にまるで突き動かされたように皆は山車の綱を持った。
だが誰しもやはり得体の知れない敵に対しての恐怖が有るのか、一様に不安を抱えた表情をしている。
それに対して先輩と先生はこの謎の敵の存在を知っていたかのように、そして会い見えることを予期していたかのように強い眼差しで『それ』を睨みつけていた。
そして先輩が「突撃!」と命令を下すと引手たちは一斉に駆けだした。
皆が皆込み上げてくる恐怖を押さえ付けようと絶叫としか言えないような雄叫びを上げて突進していく。
一方の『それ』は迫り来る自分たちを前にしても何ら揺らぐことは無く、ただそこに在り続ける。
その様子は決して怖気づいて動けないとかいうものではなく、ただ単に自分たちの行動など意に介していないといった様子であり、言い知れない不気味さを醸し出していた。
山車が『それ』の目の前まで迫ると、引き手は綱で『それ』を挟み込むように左右へ分かれて通り過ぎる。
そして本命の一撃。山車による特攻が見事に決まった。
強化装甲を施した『猩々の山車』が見事に正面からぶつかり、『それ』は自分たちを追い越して後方盛大に吹き飛んだのである。
そして『それ』は背後で燃えているねぷたの火達磨の中へと突っ込んでいった。
その様子を窺いながら暫くの沈黙が続いた後、誰とも知らず「勝った…」と言う声が上がりだす。
その声は皆に伝播してゆき、次第に大きく弾んだ声で「勝った!」と叫ばれるようになっていった。
一通り歓喜が収まるとあの得体の知れない物の正体についての憶測が飛び交いだす。
幽霊だUFOだ氷川神社の神様だなどと喧々諤々の意見が飛び交う中、ただ一人、先輩真剣な眼差しで火達磨を凝視し続けていた。
その様子に違和感を覚えた自分が先輩に声を掛けようとした―――
―――その時、火達磨が弾け飛んだのである。
炎の塊と化したねぷたの残骸が四方八方に散る中、その中心地から現れたのは紛れも無く最前の『それ』であった。
その透明で実態の掴めない外見の『それ』であったが、感じ取れる雰囲気からは自分ちの特攻や火達磨の中に居たことなどまったく何の問題も無いといった様子である。
その様子にさすがの先輩も驚愕しており「馬鹿な…」と呟いて山車に拳を打ち付けた。
そしてその時、目の前で不自然な光景が起こった。
突然『それ』が透明でなくなりその姿を晒したのである。
その姿を何と言えば良いのか。
黒い強化装甲で覆われた機体は戦車の様であり、地面を捕らえる巨大なタイヤは重機の様であり、複雑な動きを見せる関節部分は機動兵器の様でもある。
透明になる装置を含めても現行の機械類では例えられない、未来の兵器と言うべき存在であった。
そして『それ』には未来の兵器に相応しい武器、『光学兵器』が備え付けられていた。
戦車で言うと主砲の位置に備え付けられたパラボラアンテナのような装置。そこに光が溜まっていく。
煌々と輝く光の弾は宛らオリーブ色の太陽のように膨れ上がり、ミョマミョマという奇妙な機械音を響かせている。
そして臨界を迎えた瞬間、光は一直線に『猩々の山車』を目掛けて飛び出した。
その速さはまさに光速。避けることも防ぐことも出来ずに直撃を食らった『猩々の山車』は盛大な爆音と爆炎を残しながら大破してしまったのである。
自分を呼び起こしたのは町中に響く七つの鐘の音であった。
「うぅ…どうなったんだ?」
さっきの衝撃で機敏に動くことも儘成らず、ノソノソと起き上がろうとすると、自分の手には、どうした事か黒革の手帳が握られていた。
―――何だってこんな物が。
不思議にも不気味にも思う物の、今はそれ所では無い。そんな事を気にしていられない大惨事だった。
朦朧とする意識と目眩がするほど網膜に焼付いた閃光の残滓にクラクラしながら辺りを見回すと、既に『それ』の存在は何処にも無く、そこには地獄が広がっていた。
死屍累々と散らばっているチームメイトたちとねぷたの戦闘員たち。
もはや燃えカスとなってしまったねぷたと、今なお盛大に燃え続ける『猩々の山車』だったもの。
爆風で歪んだ鉄条網と民家の割れたガラス。
もはや自分の知っている河越は死んでしまったと言わんばかりの惨状である。
そんな地獄で自分以外に動くものの存在に気が付く。
そこに駆け寄って見つけたのは瓦礫に埋もれた朋友であった。急いで掘り出し「朋友!朋友!」と呼びかけるとやっと彼は目を覚ます
「…ここは?」
「やっと目を覚ましたか!死んだかと思ったぞ」「いったい何があったんだ?山車はどうなった?」
「それが解らない…山車は撃破されてしまった」
「まさか間に合わなくってねぷたにやられたのか?」
「―――そうか、君は知らないのか。そうじゃない、ねぷたは倒したんだが、その後にやってきた得体の知れない敵にやられたんだ」
「…何を言っているんだ?解るように話せ」
「詳しい説明は後でしよう。今は負傷者を助けないと。手伝ってくれ」
道端に転げている負傷者たちを自分と朋友とは敵味方問わず助け出す。
怪我をしている者、気絶している者、呻き声をあげる者ばかりであったが幸運なことに死者は一人もいなかった。
そして、心配していた先生と後輩も見つけ出し、二人とも気絶しているだけで命には別状は無いようだった。
だが何か重大な怪我をしている危険性も考えて、二人は今しがた駆けつけた救護隊の手により大会本部に設けられた医療施設へと運ばれていった。
幸いにも救護部隊が駆け付けたことにより負傷者の救助は大幅に速くなり、更に助けた者たちの内、意識を取り戻し傷も大したことの無い者は自分たちの作用の手伝いをしてくれた。
事態が緊急であることが敵味方問わず協力し合うことを容易にしているのだろう。
着実に進む救出作業の中、大声で朋友が自分の事を呼ぶ。
朋友の下へ駆け寄ってみるとそこにはタンカに乗せられた先輩がいた。駆けつけた自分を見て「大丈夫だ」と微笑む先輩の意識はハッキリしているようだ。
すると何やら先輩に告げると先輩は手真似で耳を貸すように促してくる。
耳を欹てる自分に先輩はまるで蚊の鳴くような声で「道の脇にある街路樹を探せ」と言い残した後、先輩は先生たちの後を追うように救護施設へと運ばれていった。
「何だって?」と訊いてくる朋友と連れだって街路樹を探してみると、何と其処には『猩々の人形』が茂る葉の中に隠されていた。
「これはいったい」と驚く朋友と自分だが、瞬時に自分はあの時の瞬間を思い出していた。
『それ』がオリーブ色の閃光を放つ寸前、棒立ちになる自分とは違い先輩は咄嗟に動いたのである。
そこから先は確認していないが、おそらく先輩は素早く山車の上までよじ登り、自分の手で山車から人形を取り外して街路樹に隠したのだろう。
そのため人形は閃光の直撃を免れ無傷のまま今こうして自分の手に渡ったのだと自分は考える。
「しかし人形だけじゃどうしようもないわ」
一旦テントへと戻った自分たちから事態の状況を聞いた彼女は困ったことになったと眉摘まみながらそう答えた。
「確かに人形を失わなければ失格にならないルールよ。でも肝心の山車が無くっちゃどうしようもないでしょ」
彼女の意見は尤もな話である。
山車が主役の『河越夜戦祭り』である以上、山車が無ければ話にもならない。
周りからはグレートカブや軽トラの荷台に人形を乗せることで山車の代わりにするといった意見が挙がってはいたが、それでは引手との走力に差が出てしまい連携も執りづらくなること。また車体の低さから人形を奪取される危険性が高いことが反対意見として挙がっていた
これからクライマックスへ向けて激化する戦争に半端な物で出撃するのは明らかに命取りであろう。
ましてや例の『それ』が未だにこの戦争に居るのである。
そのことを考えれば山車無しでの戦闘は余りにも無謀すぎる。
いったいどうしたものかと思案を巡らせていると、「案ずることは無い!」と声を張り、突然先輩が管制室に入り込んできた。
「先輩!どうしてこんな所に。救護室へと言ったんじゃなかったんですか⁉」
見るからにズタボロな先輩に駆け寄り肩を貸す朋友。
助けを借りながらも河越地図の前に設えたパイプ椅子へと座った先輩は、部屋に安置された『猩々の人形』を目にすると満足げな表情をした。
「こんな非常事態に呑気に寝ても居られないだろう。ところでどうなっている?」
「見ての通り人形は先輩のお陰で死守されましたが山車の方は大破してしまいました」
「そうか…たしか、どんな衝撃と圧力にも耐えられる装甲を作ってくれと頼んだはずだぞ。それなのにどうしてこうなったんだ」
「だって頼まれたのってそれだけだったもの。耐熱・耐電磁波加工は施していなかったもの。だから光学兵器を使われたら大破してしまうのは当たり前でしょう」
先輩に非難される彼女は臆面も無くそんなことを言ってのける。
剣幕に対してアッケラカンとしている彼女の胆の太さにも呆れてしまうが、頼まれたこと以上の事をしないスタイルは大いに共感できる。
彼女にそのままその道を行けと心で願うも今はそのことについて考える時ではないだろ
「しかし、いったいあの兵器は何なんですか?先輩はあれの存在を知っていたようですけれども…」
「あれか…」と先輩は急に難しい顔をする。
「実はな、あれは新河岸川の舟運で運んでいたものなんだ」
そして告げられたのは余りにも驚愕の事実であった。
「!なんですって⁉あんな兵器が船で運ばれていたなんて大問題じゃないですか」
「もちろん表立っての仕事じゃない。密輸だ。ほら、お前もバイトしていた船問屋で月に何度か残業があっただろう?あの時に運んでいたのが例の『それ』だ」
自分は自身が働いていたバイト先での裏の事情を知って寒気がしてきた。
あの大黒様の様な笑顔を絶やさなかった番頭さんの裏の顔が、密輸を平気で行うような人物だと知り唖然としてしまう。
そして何より運んでいたのが危険極まりない機動兵器であったことに恐怖するとともに、そのことに首を突っ込まなくて良かったと心底安堵する自分がいた。もしも関わっていたならば、この国の数限りない法律に引っ掛かってお縄になっていたことだろう。実にクワバラである。
「運んでいる時はパーツごとにバラバラにされていたんで解らなかったんだが、偶然に同封された設計図を見てしまってな、こいつはヤバいことになると思って『それ』に対抗するために山車の改造を彼女依頼したんだが…ここまで歯が立たないとは」
「当たり前でしょ。あの『光学兵器』はちょっとやそっとの強化装甲なんて水に浸したトイレットペーパーみたいにドロドロに溶かしてしまうんだから」
落胆する先輩のことなど意に介さないといった表情で彼女は説明を続ける。
「あれは内蔵したペリドットを利用して粒子線を屈折・収束させてレーザーにするのよ。それによって作られた高エネルギーのレーザーをパラボラに向かい合わせて設置した鏡体間を何度も反射させることでエネルギー密度を高くするわけ。それでもって臨界点までチャージできたら後は照射するってシステムなの。因みにこの光線の熱量は5メガJジュールで射程距離は30mよ」
スラスラ解説する彼女はさも自慢気で有りつつも、瞳をキラキラと光らせながら褒めて欲しいと甘えてくる子供のように愛らしい。
しかしここまで的確にかつ精密に説明できるのは?と浮かんだ疑問を投げかけてみる。
そしてその答えは―――
「それはそうよ。だってあれあたしが作ったんだもの」
予想は出来たものの実際に言われると本当にショックな事実を本人から言われる。
遂に彼女は兵器開発にまで手を染めてしまった。
元々彼女はその才能を買われて多くの人物から技術協力を求められてきた。それは大学の学生と教授方からレポートや実験の手伝いに始まり、有名企業の新技術開発や国家レベルのプロジェクトにも関わっているという噂もある。
それに対して彼女は自分の興味さえ向けば無償で嫌な顔一つせずに協力をしていたため、より一層その才能を求めて人が集まるようなり、今では一月に十件の重大プロジェクトを熟す日々を過ごしているらしい。
そういったプロジェクトの中にこういった兵器開発が在っても不思議ではない。
そしてそれをするかしないかという判断が、彼女の興味次第であるということは、彼女が兵器に興味が有ったということを示唆することに成り、自分としては驚愕に値するほどの事実であった。
それでも自分は彼女に聞かざるを得なかった。
「どうして?どうしてそんなものを作ってしまったんですか?」
「どうしてって、面白そうだったからよ」
「けれども普通は断るでしょう!兵器なんですよ!人を殺せるんですよ!考えるまでも無く断るでしょう!」
「―――そういうものかしら?私は楽しければ良いから、よく解らないわ」
善悪と清濁の判断すら無い真っ白な子供の様な彼女。その末路がこの結果なのかと考えると、彼女の事を気に掛けながらそれを止めることができなかった自分の不甲斐なさを痛感してしまう。
そしてそんな自分に彼女が次に発した言葉は余りにも残酷過ぎた。
「理由は大体そんな所だけれども、私だけじゃなくあなたもこの『光学兵器』に関わっているのだから」
「―――どういうことですか⁉」
まさに唐突に身に覚えのないことを告げてくる彼女。
その言い種は、さも当然自分が知っているかのようだった。
自分の名誉のためにも言っておくが、自分はあんな兵器の存在なんて見たことが無いし聞いたことも無い。
何しろ自分はつい先刻まで、光学兵器なんてものはSFの中の産物だと信じて疑わなかったくらいの現実主義者である。
さっき光学兵器を目の当たりにした瞬間さえ夢か特撮かCGだったのではと考えてしまう程なのだ。
そんな人間が彼女の光学兵器開発に一枚噛んでいるはずが無かろう。
その思いを胸に彼女の話を否定するが彼女は先輩と話しているのと同じようにアッケラカンと、さも興味が無いといった様子で真相を語った。
「覚えていないのかしら?あなた前わたしにプレゼントしてくれたわよね?」
「―――プレゼント…ですか?何でしたっけ」
「…覚えてないの。悲しいわね」
「すみません…それでプレゼントがいったい兵器とどういった関係にあるんですか」
「かなり重要な関係ね。ほら、あなたのくれたカンラン石が有るじゃない。あれがこの兵器の核となっているのよ」
そこまで言われてやっと思い出す。二ヶ月前、足水で偶然知り合った岩石コレクターの男性からもらったそれの事を。彼女が探し続けており自分が偶然に手に入れたそれの事を。喜ぶ顔が見られると思って彼女に渡したそれの事を。
「知っていると思うけれども、カンラン石って石は加工すればペリドットと言うオリーブ色をした宝石になるのよ」
知っている。そんな事は。だからこそ彼女にあげたのだ。彼女の誕生日に八月の誕生石であるペリドットの原石を。
「本当に貴方には感謝しているわ。どこ探してもあれだけ大粒でマグネシウム純度の高いペリドットを見つけられなかったから。もしあのまま見つからなかったら光学兵器の開発を断念しようと思っていたくらいだもの」
「…え…お、あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
自分は彼女が喜んでくれると思いカンラン石を渡した。その心に偽りも疾しさも無く、純粋に彼女の『ありがとう』が聞きたくてプレゼントしたのだ。
そして当の彼女は喜び勇んでそれを兵器として転用し、剰えその出来栄えに酔うように「ありがとう」と自分へと感謝の言葉を述べてくる。
結局自分は彼女が手を汚す後押しをしてしまったのだ。
最悪だ、こんなの最悪過ぎる。
言葉にならない憤りが叫びとなって噴き出すと、自分は崩れ落ちるように地面へひれ伏した。
一方先輩は落胆する自分とは裏腹に、状況を冷静に受け止めていた。
「作ってしまったことに関しては不問にしておこう。それよりも依頼を受けて作ったってことは依頼主がいるわけだよな。そいつはどんな奴なのか教えてくれないか?」
真剣に問い詰める先輩だが、彼女は依然興味の無い態度を貫いてくる。
「それは知らないわ。だって相手はいきなりメールで依頼してきたんだもの。本名だって知らないし、アドレスもダミーだったから発信元も解らないわ」
「そんな訳の解らないところからの依頼を受けたのか?怪しいとは思わなかったのかよ」
「もちろん怪しいとは思ったわよ。でもそれ以上に面白そうだったからやったのよ。だってそうでしょう?この街、河越では面白いことこそが最優先にされるんだから」
彼女の意見には誰も反論できなかった。
面白い事こそが正義。それ以外は悪。それがこの街のルールである。
そして『面白さ至上主義』をこの十年間前面に押し出して街造りをしてきた河越に於いて、面白さを追い求めることは誰もがしてきた行為なのである。
それを今更咎めることは誰も出来ない。何故なら誰もがやってきた事なのだから。
彼女の罪を問うことはこの場ではできないと判断した先輩は、別の話題で彼女を問い詰める。
「ところであの兵器に何か弱点は無いのか?製作者なら何か分かるはずだろう」
その問いを受けた彼女は額に人差し指を押し当てて「う~ん」と唸りながら考え始めた。
その様は真剣に考えているようでもありながら、実に不真面目なようにも思えてしまい先輩を無用に苛立たせる。
そして彼女はじっくりと一分の時間をかけて考えた後、うんと大きく頷くと明るい声で一言、
「そんなモノ在る訳無いじゃない」
と言い放った。
あまりの返答にその場にいた全員が凍りつく中、彼女は淡々と話し続ける。
「だってそうじゃない。あの威力の前にはどんな装甲だって無意味だし、エネルギーチャージだって10秒で可能なのよね。その上ラジエーターも優秀だからすぐに連射ができるしエネルギー炉も高出力だから総弾数も多い。非の打ちどころが無いとはこのことじゃないかしら」
楽しそうに自慢げに話す彼女。子供の様に愛らしいはずの彼女の笑顔が今はどうして悪魔の嘲笑にしか見えない。
製作者本人から完全無欠のお墨付きをもらった武器を携えた『それ』。
打つ手の全くないその存在自体に絶望を感じて皆項垂れてしまう。先輩も朋友も誰も彼もが皆失意のどん底に居た。
つい先ほどまで死守した『猩々の山車』を掲げて再び打って出ようとしていた集団とは思えないほどに沈みきっている。絶望している
誰もが立ち上がろうとはしなかった
―――自分以外は。
自分は立ち上がった。
それは彼女が間違っていると思ったから。そして過ちは正さなければならないと思っていたからだ。
「自分は行きます」
その言葉に皆が驚愕する。集団のあちこちから「こいつ何を言っているんだ」とか「さっきので完全にイカレたか」などと言う声が上がる。しかし自分は気にしない。
「おい、今の話を聞いてなかったのか?いったいどうしたっていうんだよ。マジでイカレちまったのか?」
訳の分からないことを言い出した自分の事を心配して朋友が声を掛けてくる。
「大丈夫だ。おれは正常だ。むしろイカレているのはこの街の方だ」
「…やっぱりお前どうにかしているぜ。そこで少し休んだ方が良い」
本気であるが見当違いな心配する朋友を少し鬱陶しく思っていると、クスクスとさも面白いといった笑い声を彼女が上げる
「あなたやっぱり面白いわね。それにしても何?まだこの河越が異世界だとか何とか言っているのかしら」
「そうかもしれませんし、そうで無いかもしれません。ですが河越じゃない川越を知っている自分だからこそ言えるんです。この街は狂っているって。そしてあなたは間違っているって」
そうだろう。この街の狂気を共有してきた者たちには彼女の所業を否定できない。だからこそ狂気を共有してこなかった自分にしか彼女の所業を否定できないのである。
「ふうん、そう」と彼女は呟くとまるで虫をいたぶる童子の様な視線を向けてくる。
「でも、言ってはなんだけど今回の事にはあなたも関わっているのよ。大体3割くらいかしら。貴女の協力が無ければ『光学兵器』は完成しなかった。それを棚に上げて私を非難するのはどうなのかしら?」
「!あんた言ってることが無茶苦茶だ!こいつは兵器に使われるなんて一つも思っていなかったんだぞ。だからこいつは悪くない」
今の発言で完全に我慢の限界を超えた朋友が吠える。
「そうかしら?私の理屈、間違っているかしら」
しかし罪の意識など欠片も持たない彼女は宛ら駄犬を蔑むかのように猶も自身の理論を絶対の理屈として構えてくる。
それでも得心のいかない朋友が彼女に食らい付こうとする。だがそれは自分が差し出した手によって阻まれた。
何をするんだ、と目で訴えかけてくる朋友を下がらせると、自分は彼女の目を正視する。
そして一声。
「あなたの言っていることは理屈とは言わない。『屁理屈』と言うんです」
その一言で辺りが静まり返った。そして次第に上がるのは「あんな台詞よく恥ずかしげも無く言えるな」とか「上手いこと言ったつもりなのかな」などのヒソヒソ話だが、かまけず自分は言葉を続ける。
「とは言え、自分があれに一枚噛んでいることはどうしようもない事実ですし受け止めるしかありません」
「あら?素直に認めるのね。もう少し否定してくれると思っていたのに。面白くないわ」
「ええ、認めますよ。認めた上で悔い改めます。罪を償うにはこうするしかないでしょ?」
「悔い改めるって。まさかお前、彼女の言ったことを真に受けているのか?」
どこまでも自分を擁護してくれる朋友だが、その優しさに自分は首を横に振る。
「そういうんじゃないよ、朋友。ただ自分は理由が欲しいだけだよ」
「理由だと?」
「ああ、理由だ。自分は最近何かに対して懸命になったことが無いから全力の出し方を忘れてしまったんだよ。だから自分の罪を償うのは全力を出すための理由にしたいんだよ」
「…解る様な、解らないような理由だな。だがまさか命懸けで『それ』を止めに行くんじゃないだろうな⁉」
「そんなことはしないよ朋友。いくらなんでも自分は命を懸けるほど熱血じゃない」
「じゃあどうやってあれを止めるっていうんだ」
「簡単な事だよ朋友。ハンムラビ法典にもあるだろう?『目には目を。歯には歯を』ってね。つまり『それ』を倒すには製作者である彼女の力を借りるのが正解なんだよ」
「ふうん、あたしが手伝えばあの兵器を何とかできるというのね。それもそれでまた面白いわ。」
そう言って視線を送る彼女はいよいよ面白くなってきたと実に生き生きした表情で受け答える。
しかし「けれども」と彼女はそれまでの流れを否定する言葉を口にした。
「あたしはそれやる必要があるのかしら。別に私にとってこっちのチームが勝っても『それ』が勝ってもどっちでも良いのよね。なんせどっちにも私が関わっているわけだし」
協力を断る理由が彼女らしい。
『猩々の山車』と『それ』。どちらにも興味を持ち、どちらにも等しく愛情を注いでおいた。故に今がベストな状態のため今以上に手を貸さない。それは無意味だから。それが彼女の理由であった。
「ふざけんな」とまたしても朋友が彼女に食って掛かるが、彼女はこれ以上の強化や改造を現状では望めないの一点張りで突っぱねてしまう。
先輩も幾分心配気味に自分を見るが、対して自分は実に落ち着き払っている。
「いいえ、力を借りると言っても本当に協力してもらう訳ではありません。何せ既に切り札は貴女から預かっているんですからね」
「―――何のこと?」と彼女は問いかける。
どうやら彼女は忘れてしまったらしい。彼女自身の手で生み出したある発明の事を。ならば彼女を楽しませるためにも、ここは一つ明かさずに隠しておこうと自分は思うのであった。
「今に解りますよ。それに貴女が罪を感じていないとしても大丈夫です。貴女の罪もひっくるめて自分が清算してあげます。自分はあなたのためにそうしてあげたい。何てったって自分は貴女のことを好きですから」
「あなた本当にイカレているのね」
そう言って自分の言葉に軽く引いた彼女に代わり、先輩が「ちょっと待て」と手を挙げている。
「しかしだ、これから打って出るにしても山車が無ければ戦いようも無いだろう。何か宛はあるのか?」
話は元に戻ったが、これが一番重要な問題であった。
山車が無ければ戦えない。それはこの戦争まつりに於いて実に初歩的な問題であり、未だ解決されていない大問題でもある。
衝撃の告白の連発ですっかりそのことを失念していた班員たちも、気が付けば何の案も無く皆総じてお手上げの状態であった。
しかし、
「もちろんです、先輩」
自分はそうはならなかった。自分には既に一つの案が有ったのだ。
何故なら自分はその問題について、先ほど絶望に項垂れている間に思案を済ませておいた。項垂れてもタダでは起き上がらない根性を見せてやったのだ。
だが一つの問題が解決すると別の問題も見えてくる。自分はそのことを問題提起するつもりで言葉を続ける。
「それに関してはこれから手配します。それよりも重要なのは兵力です。これは『それ』を相手するのに重要な要素ですが、悲しいことに自分達には決定的に欠けています」
「兵力か…確かにそれは致命的な弱点だな。そのせいで今まで何度も窮地に追いやられているし。かと言ってこれ以上の増援は望めないぞ」
「ですから他の町の山車にも協力してもらうんです。あんな兵器がこの街を、しかも神聖な祭りの舞台を我が物顔で走り回っていることは由々しき事態です。呼びかければきっと協力してくれるでしょう」
「それは十分にあり得る。河越市民の団結力は強いからな。そうと決まれば早速呼びかけよう。今勝ち残っている地区はどこがある?」
先輩が管制班に問いかけると、そのうちの一人が「報告します」と敬礼のポースを取った。まさか彼は先輩を将軍か何かと思っているのではと訝しみながら、自分は彼の報告に耳を傾ける。
「現在戦闘を継続しているのは連雀町の『太田道灌の山車』、中原町の『河越太郎重頼の山車』、元町二丁目の『山王の山車』、大阪府岸和田市の『地車だんじり』、リオのカーニバルの『フロート車』、陸上自衛隊の『90式戦車』。以上の六団体です」
「戦争も終盤だが…例年なら十団体前後残っているはずなのに」
すると今度は別の歓声班員が前に出て、敬礼をしながら「報告します」と言い、先輩の疑問に答えた。
「偵察班の連絡によると監視を続けていた山車が突然大破したり、再起不能にされたという報告が何件か上がっています。そのどれもが山車同士の戦闘によるものではなく、正体不明の存在からの一方的な攻撃によるものだと言われています」
「おそらく『それ』が陰から参加団体を脱落させていったんでしょう。ますます野放しには出来ないですね」
「よし、偵察班へ連絡を入れろ。生き残っている団体に協力を要請するように伝えるんだ。」
先輩の飛ばす激により俄かに活気が戻ってきたテントを後にして自分はカブへと跨る。
それを見た先輩が「どこへ行くんだ」と訊いてくる。
「さっきも言ったように新しい山車を調達しに行くんですよ」
「そんなモノ在ったかな?今回山車を市所有している町はすべて参加しているから借りようにも余ってないはずだぜ」
「大丈夫です。自分に心当たりが有ります」
「―――それは本当か?もしあれだったら運ぶための人員を割こう」
「それには及びません。何せ自分にはこれが有るんですから」
そう言って自分はグレートカブのハンドルをポンポンと叩く。
このマシンはコンパクトな車体ながら、東武東上線の車両を10両一度に運ぶことができるほどのパワーを持つ。
それならば山車の1台程度など運ぶことは容易いだろう。
それは先輩も承知の事らしく納得したように頷いてくれた。
「それに、今は決戦の前です。戦える者は今の内に休養を取っておいた方が良いでしょう。ここで人員を割いてまで働かせるのは体力の無駄ですよ。あとさっき言っていた切り札も家から取ってきたいので、一人の方が動き易いんですよ」
「解った。ならばこの件については君に一任しよう。その分こちらは『それ』に対しての対策を練り、索敵を強化しておこう」
「是非そうしてください」
そう言うと先輩な何が可笑しいのかケタケタと笑い出す。
不可解に思い理由を聞いてみると、笑涙を拭いて先輩が応えた。
「いや、何。お前も随分変わったなと思ってな」
「自分がですか?別段変わったつもりは無いですが」
「いや、変わったよ。以前のお前ならなんだかんだ嫌だと言って自分から『街興しの功罪』に関わろうとはしなかった。けど今のお前はそうじゃない。自分からこの戦争まつりに勝ちに行こうとしている。実に良いことじゃないか」
「いや、別にそういう訳では」
「理由はどうあれいい傾向だ。その勢いで祭りの名の通り、今夜一緒にこの河越に河越夜戦を再現しようじゃないか」
豪快に笑う先輩に見送られ、自分アクセルを吹かして走り出した。
市役所前から風を切って走ること15分。目的の場所へと到着する。
そこは自分の家の近所に在る神社『砂の氷川神社』である。
この神社は氷川神社の分社であり、鬱蒼と生い茂る森と多様な遊具を揃えた公園とが同じ敷地内に在ることが特徴である。
そして神社に設けられた神楽殿。そこには縦長のシャッターが備え付けられた、高さ10mほどの車庫が有る。
その車庫のシャッターを開けると、中に在るのはもちろん一台の山車である。
河越祭りに参加できるほどの本格的な山車を持っていない、うちの町内にある唯一の山車である。
毎年七月に行われる神社の縁日で出し物として町内を曳き回されている。
しかし、これは子供たちの手によって曳かれるため通常の山車に比べて一回りから二回りほど小さく、装飾もチャチな仕上がりになっている。
言うなれば『子供山車』である。
だがこれも列記とした山車。しかも氷川神社と縁ある山車であることには変わりない。
自分はグレートカブと山車とを縄でしっかりと括り付けた後、ジーンズのポケットの中を確認する。
そこには神社に来る前に家で取ってきた切り札が入っていることを確認した後、カブを発進させる。
初めに強い抵抗を感じたものの、ゆっくりと動き出す山車はカブに先導されて決戦の舞台へと走り出した。
時刻は午後8時。鐘が鳴る。
河越夜戦祭りのタイムリミットまで残り時間一時間を切った。
辺りは完全に夜の闇に包まれており、引手が持つ数え切れない提灯の明かりが煌々と光り輝いている。
提灯には町名や山車の名前が書かれているが、そこに集まった集団の持つ提灯は雑多であり、『猩々』『太田道灌』『河越太郎重頼』『だんじり』『カーニバル』『陸上自衛隊』と書かれ
そう、ここに集結したのはこの戦争を生き残ったチームである。
そしてこれから一緒に『それ』を倒すためのチームとして戦う者たちである。
決戦の場所は本川越駅前の交差点。ここで『それ』を迎え撃つことにした。
各々が配置に着く中、先輩は何やら最終確認をするように、忙しなくスマホで連絡を取り合っている。
「しかし大丈夫ですかね。こんな急拵えの山車で」
そう不安がり自分に問いかけてくるのは後輩であった。
後輩は救護施設に運ばれた後、治療の甲斐あってかすぐに意識を取り戻した。
また幸い怪我も軽症で、気絶も軽い脳震盪が原因だったため、先ほどから先生共々戦線に復帰している。
「失礼だな。確かに見てくれは安っぽいけどチャンとした山車だろう?」
そう言うと自分は自軍の山車を仰ぎ見る。
そこには一台の山車が停まっており、天井には『猩々の人形』が備え付けられている。
この山車こそ先ほど自分がカブに括りつけて引っ張ってきた山車である。
先輩にはああ言ったものの一人でこの山車を引っ張ってこれるか少々不安ではあった。しかしカブのパワーはやはり力強かった。
相当な重さを誇るであろう山車一台を、その小さな車体で楽々と引き回していく様子は、誰もが思わず振り返ってしまう光景であったことだろう。
実際運転中に、少なくとも百人以上はそういった人物を見かけたことが何よりの証だと言えよう。
しかしここまで至る道の半ばに立ちはだかる長く急な坂道も、カブは楽々と駆け上り始終非常に快適であり、スピードも落ちることなく行きと同様に15分で戻ってくることができた。
そして市役所前まで運びこまれた山車は、待機していた彼女を筆頭に町工場の職人さんや工場の技術員たちで急遽組まれた技術班が、レンチやドライバーを振り回しながら寄って集って改造を施されたのである。
その結果、この山車は外装を例の鈍色をした強化装甲で全面を覆い、さらに予備として置いてあった『グレートカブ』から移し替えられたエンジンと7つの秘密機構を取り付けてある。
まさに最強の山車がここに完成したと言っても過言ではない。
しかし、急拵えとは到底思えないほど徹底した改造を施したとはいえ、この山車はやはり周りの山車と比べると小さい。
並べてみたら一目瞭然。否応なしにそのチャチさが浮き彫りになる。
こんなもので大丈夫だろうか?特攻の威力は充分なのだろうか?
先ほど後輩には見栄を張って偉そうなことを言ったものの、やはり自分も内心では不安を拭い去れない。
特にこれから戦う相手は光学兵器と言う掟破りの武器を取り付けている。否が応でも不安になるものだ。
「とは言え現状でこれ以上の改造は無理よ。一旦ラボに搬入すればまだどうにか出来るけど、そんな時間は無いし」
彼女はそう言うと手元の機械を使って動作確認をしている。
エンジンの駆動や秘密機構の作動等を入念にチェックし終えると、彼女は手に持っていた機械を自分に投げて渡した。
受け取ったそれは普通のスマホと何ら変わらない形状をしており、タッチパネルにはグレートカブに取り付けられていたのと同じ、七色のスイッチが映し出されていた。
「扱い方はカブと同じよ。それぞれの機能は同じ色のスイッチを押せば発動するわ。ただしカブの装置をそのまま転用したものだからサイズが合わないせいで有効に働かない機能もあるけれどもね」
「それで、何でこれを自分に渡すんですか?先輩か後輩に渡して下さい。と言うよりこれやるよ」
「兄サン、滅相も無い。僕には荷が重すぎますって」
差し出されたコントローラーを、手を振って拒否する後輩を不満に思う自分だが、そんな自分の事を見て最初に渡した本人である彼女が呆れ顔をしている。
「そうよ、何しろこの中で秘密機構に関して一番扱いが上手なのはあなたじゃない。他人に押し付けるなんて事しちゃ駄目よ」
「確かにそうかもしれませんけど…」
「納得したならちゃんと使い熟してよね。私は興味が有るんだから。『秘密機構』と『光学兵器』、私の発明同士がぶつかりあった場合いったいどっちが勝つのか。これは今回初めて検証するテーマだから、絶対に手を抜かないでね。わたしもサポートには手を抜かないか」
「ホント研究狂いですね、貴女は」
「そう言うあなたもイカレじゃない。まあ、似た者同士案外良い組み合わせかもよ?」
「!何をサラッと言っているんですか。恥ずかしい」
「フフッ、耳まで真っ赤。変なの―」
「兄サン…うちの妹と言うものが在りながら…」
「後輩。お前は黙っていろ」
「あら、何の事かしら?面白そうね。その事については後でゆっくりと話を聞かせて貰おうかしら」
「―――いえ、別にそんな大した事ではないですし、話すほどの事では無いですよ」
「! 『大したことない』?聞き捨て成りませんね、兄サン。仮にも僕の目の前でまるで妹とは遊びだと言わんばかりの発言!」
「マジお前黙ってろ!ややこしくなる」
「うるさいわね。今の状況を少しは考えたらどうなの?そうすれば仲間割れしている暇は無いって判るでしょう?」
ギャーギャーと口論に成りかける自分と後輩とであったが、一人落ち着いた態度の彼女に諭されて渋々鞘に納める。
しかし、よくよく考えてみると、口論の火種を作った彼女のは彼女である。
マッチポンプな彼女に上から目線で諭されるのはどうにも納得がいかず、モヤモヤした消化不良な気持ちが残ってしまう。
そんな自分の気持ちなどお構いなしに彼女は「話を戻すけど」と強引に切り出した。
「さっき私の作った装置同士が競い合うのが楽しみだって言ったわよね。でもまあ、個人的には『光学兵器』に勝ってほしいとも思う訳だけどね」
[生みの親なのに片方に肩入れするんですか?もしかして自分たちがあの光線に盛大にぶっ飛ばされるのを見て大いに楽しもうという訳ですか」
「そうじゃないわ。あなたたちの事は関係ないの。むしろ生みの親だから『光学兵器』に勝ってほしいと思っているのよ。やっぱり後発にできた物が前の物より優れていないと作る意味が無いもの。常により優れたものを作るのは技術者として当然の誇りじゃない」
「解らないでもないですけどね」
話を打ち切って自分は再び山車を見つめる。
製作者の彼女自身も『光学兵器』の方が優れていると確信していると聞いたため、先ほどからの不安はより大きくなってしまった。
ここはやはりこれに掛けるしかないと、自分はポケットの中の切り札を強く握りしめた。
その時「報告!」と同行していた連絡員の一声が響き渡る。
そしてその一言に無言でより一層引き締まった空気の中、連絡員が語り始める。
「報告します。先ほど偵察班より連絡が入り、『それ』は現在連雀町の交差点を本川越駅方向へと進行中です。なお、現在『それ』は透明化しており、辺りの暗さと相まって発見が困難な状況となっているそうです」
その報告を受けてやはりと先輩は渋い顔をする。
『それ』と戦うに当たり『光学兵器』と同等に厄介なのがこの『透明化』である。
いくらこっちが準備を整え待ち構えていようとも見つけられなければどうしようもなく、逆に相手は『透明化』を活かしてこちらへ幾らでも奇襲をかけることが出来るという本当に厄介な話である。
彼女はこれの開発には関わっていないようだが、その見解としては『光学兵器』のシステムを流用し、周囲に光線を屈曲させる電離層を作っているのだろうと話してくれた。
「つまりこの場合、背景の映像を映す光学迷彩とは違って、ペイント弾なんか色を付けようにも電離層自体には無理だし、その中に包まれた本体に着けたとしても結局は見えないことには変わりないわけ。それに音響探査装置が有れば電離層を越えて機影を捉えられるかもしれないけど、そういう都合の良いモノはここには無いしね」
「じゃあどうすればいい?」
その先輩の問いに「そうね」と考え込む彼女。そして1分間程考えた後「それなら」と打開策を語り出す
「あの電離層自体を何とかすることができれば良いと思うの。例えば金属片を撒いて電離層を形成出来なくさせるとか、あるいはその発生装置自体を破壊するとか」
「だったら金属片を用意させよう。アルミホイルでも大丈夫か?」
「試してみないと解らないわ。あと、狙い目は『光学兵器』をチャージしている間よ」
自分がその理由を聞いてみると、彼女はポケットからスマホを取り出して動画ファイルを再生し始める。
そこには先ほど河越高校前で、『光学兵器』の直撃を受けた『猩々の山車』が爆散した時の様子が鮮明に記録されていた。
改めて見ると、よくこれだけの爆発に巻き込まれて誰も死ななかったものだと不思議に思わされる中、「ここよ」と彼女は指を指す。
そこには『それ』が例のオリーブ色の閃光を解き放とうとする、正にその瞬間が映し出されている。
「ここが重要なのよ。良く見て。この時の『それ』は透明になっていないでしょ」
「本当ですね。―――そう言えば確かにこの光を溜め始めた後、自分の目で『それ』の姿を初めて見ることが出来ました」
「恐らくなんだけど、『それ』は『光学兵器』と『透明化』を同時に使うことが出来ないんじゃないかしら。理由は多分この光球自体が電離層を乱しているか、もしくは電離層形成のエネルギーを光線発射のエネルギーに変えているかのどちらかだと思うの」
「それは大発見ですね。ですが何でまたそんな弱点を」
「それは製作者がバラバラだったから機械同士の連携が上手く行かなかったからじゃないの?まったく、全部私に任せてくれればこんな些細な弱点すらない物に仕上げてあげたものを」
「いや、そうなってはホントに困りますって。それよりこの画像で電離層の発生装置って確認できますか?」
「それならこれよ」
彼女が指差した先。そこは『光学兵器』の方針の根元部分。そこに聳え立つのは如何にもアンテナと言ったデザインをしたポールが二本立っていた。
「このポール間に電流を通すことで空気をプラズマ化させて、電離層を作っているのよ。それにしても、私の最高傑作に許可なくこんなダサい物を着けるなんてほんと許せないわ!あなた、許してあげるからこれぶっ壊しちゃって」
「貴女は『それ』に勝ってほしいんじゃなかったんですか?―――まあ、元よりぶっ壊すつもりでしたし。それより朋友を見かけませんがどうしたか知りませんか?」
首を傾げる彼女に代わって「俺知ってるぞ」と先輩が進み出てくる。
「お前が帰ってくる少し前に用事があるとか言ってカブでどっかへ行ってしまったぞ。まあ、逃げたわけではないだろうし、そのうち帰ってくるさ。それよりそろそろ『それ』がやってくるぞ、ちゃんと作戦通りやってくれよ」
そう言って先輩は再び山車の舞台へと駆け上ると班員全体に出撃の号令を発した。
隊全体に緊張が走る中、十五分ほどして大通りを北から『それ』がやって来る。正確にはやって来た様である。
自分が『それ』が近づいている事に気が付いたのは、『それ』の前を走るだんじりの存在が目印となったからである。
今回の作戦に於いて機動性が最も特化しているだんじりには、『それ』の攻撃を回避しつつ本川越駅前まで誘導する役目が任せられている。
引手が掛け声を挙げながら猛スピードで走ってくるだんじりは、大破こそしていないもののオリーブ色の光線が掠めた痕が黒焦げや木片となって見受けられる。
しかしこの程度の損傷で済んでいるのは、やはりその機動性によるものが大きく、他のチームではここに辿り着く前に光線の餌食となっていたことだろう。
そしてだんじりの後、真っ直ぐこっちにやって来るであろう『それ』は、最前からの『透明化』と夜の闇に紛れてどこに居るのか全く分からない。
ただ、何も見えないのに遠くから機械音と車輪が地面を蹴る音が次第に大きくなっていく様は非常に不気味であった。
いよいよ最終決戦だと自分自身の肝に銘じたとき、先輩がスマホに向かって「作戦開始」と叫んだ。
すると次の瞬間。大通りの両サイドに立つ建物と言う建物の二階の窓が開け放たれ、段ボールを手にした人たちが一斉に顔を出す。そして手にした段ボール箱を一斉にひっくり返すと何やら銀色に光り輝く剥片が紙ふぶきの様に夜空に舞い上がった。
舞い落ちたそれの一片を手に取ってみると、それは細かく切り分けられたアルミホイルであった。
街灯の光を反射してキラキラと光り輝くそれの美しさは筆舌に尽くしがたいものであったが、それよりも目の前で起こった現象に目を奪われる。
なんと『それ』を纏っていた透明な衣が揺らぎを見せ始め、遂にはその姿が所々見えるようになってきたのである。
先ほど彼女が予想したように、金属片を使った電離層形成の妨害は予想以上の成果を上げ、今や『それ』は丸裸も同然に、その漆黒の姿を街灯の下に晒している。
だんじりが目標ポイントを走り抜けたことを確認した先輩は、この機を逃して成るものかと、スマホに向かって「テイク1(ワン)!」と大声で叫ぶ。
するとそれを聞いた友軍、リオのカーニバルが軽快なステップを踏みながら路地からワラワラと湧いて出て来た。
これまでの偵察と撃破されたチームの証言から『それ』の装備は『光学兵器』のみで、サブマシンガンのような対人兵器を積んでいないことは既に知れている。そしてそこを先輩は突いたのだ。
人に対しての優位性が無いのなら、周りを人で囲んでしまえば身動きが取れなくなる。そう踏んだ先輩は数の多さは反則級の集団であるリオのカーニバルに『それ』の足止めをする役目を任せたのだ。
とはいえ、やはり生身の人間と機械、力技では敵いっこない。無理を通して突き進めば簡単に蹴散らされてしまう。
そこで空かさず先輩は「テイク2(ツー)!」と叫ぶ。すると路地から『太田道灌』『河越太郎重頼』『山王』の三台の山車が走り出してくる。
それらは『それ』の退路を断つように『それ』を中心に円を描いて走りだした。
どんな威力の高い兵器でも、狙いが着けられなければ使いようが無い。『それ』が『光学兵器』の砲身を右往左往している隙に、先輩は止めの一撃を加えるべく「テイク3(スリー)!」と叫ぶ。
そしてその声に応えるべく、クローラーを軋ませながら満を持して登場してきたのが自衛隊の『90式戦車』であった。
足回りでアスファルトを削る『90式戦車』の主砲が向かう先は、もちろん『それ』が足止めされている交差点の上。厳しい訓練によって淀み無い動きで照準、装填を済ませた戦車は次の一声を待つ。
その一声は、「テイク4(フォー)!」
先輩の声が響き渡ると同時に、『それ』を囲んでいた踊り子たちと山車は一斉に離れていく。そして爆音が響いて戦車の主砲が火を噴いた。
発射された徹甲榴弾は着弾するとすぐさま爆発する。濛々と立ち上る煙が一瞬で辺りを包み込み、赤々と燃え盛る炎が街の夜景を照らし出す。
その様子を見て連合軍の中から「勝った!勝った!」と歓声が上がる。
だがその歓声はオリーブ色の光線によって遮られた。
地面をなぞる様に飛んで行った光は、戦車に命中し爆散させる。そしてそのまま光は街を撫で回し、残された山車や建物をぶっ飛ばしていく。
あっという間に焼け野原に変わってゆく河越の中、炎を背景に『それ』がにじり寄ってくる。姿は傷つき、砕けながらも未だに健在であるように見えた。
そしてその姿はすぐに見えなくなってしまう。どうやら『透明化』は未だに機能しているらしく、爆風によってアルミ箔が吹き飛んだことで『それ』をまた包み隠してしまった。
動揺する連合部隊は、追い打ちをかけるように放たれた光線を見るなり、蜘蛛の子を散らす勢いで逃げ惑ってゆく。
先輩が呼びかけ止まる様に説得するも、もはや収拾の付かないほどのパニックに陥った状態では誰も聞く耳を持たず、遂にはいつものメンバーと自分たちの『猩々』の山車が残るだけになってしまった。
「どうするんです?先輩。これじゃ太刀打ちできないですよ」
いつまでも路上で綱を掴んでいてもしょうがないと判断した自分は、山車の舞台へと上がり込んで先輩に今後の展開を問う。
「とりあえずこんな所で棒立ちに成って居たら只の的だ。出来るだけあちこち動いて攪乱するんだ」
「それなら丁度いいわ。この山車は自走できるように改造しておいたから、引手が居なくても大丈夫よ」
そう言いながら彼女も自分と同じように舞台へと上がり込んでくる。それに続いて後輩と先生も乗り込んできた。
「ですが先輩。また『それ』は引き籠ってしまいましたよ。またアルミ箔を撒いて引きずり出してやれないんですか?」
「無理だろう。あれを用意するのにクレアモール中のアルミホイルを買い漁ったからな」
「本当に無駄にお金を使うんですね」
「ケチと出し惜しみはしない主義なんだよ。そんな事より速く動かせよ。狙われるぞ」
「解ってますよ」と返事をすると、自分はコントローラーを操作してエンジンを起動させる。そしてそのままタッチパネルをなぞり、山車を走らせた。
搭載されているエンジンの性能のためか、この巨体に見合わぬ俊敏さで山車は河越の街北へと疾走してゆく。そして自分たちの後方からは、姿の見えない不気味な走行音が影の様に付き従ってくるのが聞こえてくる。
「どうやら『それ』は俺達の事を追ってきているみたいだな。ところで俺たちはどこへ向かっているんだ?」
「とりあえず大学まで行きます。街中じゃ被害が出すぎますし、あそこでしたら周囲に民家は無いうえ、広い中庭が有ります。そして何より施設はオンボロだから少しくらい壊れても大丈夫でしょう」
「君はとんでもないことを言うんだね。けれどそこじゃ研究室とかの重要なデータやサンプルとか被害が受けるだろう。大丈夫かな?」
「その前に決着をつければいいんですよ、先生。それに自分に考えが有ります」
そう言う間に自分たちを乗せた山車は仲町の交差点を通過した
丁度その時である。後方からオリーブ色の光線が、山車のスレスレを掠めて飛んでゆき、埼玉りそな銀行に着弾、爆発した。
舞い上がる瓦礫が雹のように降り注ぐ中、自分は小刻みに山車を操作して躱してゆく。躱しきれないほどの大きな瓦礫は『エアバックフィールド』を頭上に展開して弾き返す。
瓦礫の雹を潜り抜けたものの依然として『それ』の恐怖は去ったわけではなく、一向に自分ちから離れることなく追い縋ってくる。
「兄サン!今のは危なかったですよ」
「ホント運良く躱せたって感じだな。けれどこっちは防戦一方なのに向こうはやりたい放題やって来るなんて。あんなの逃げながらじゃ躱しきれないぞ」
「そうですね先輩。せめて後ろに目が有れば何とかできるかもしれませんが」
「それならばカメラを取り付ければ良いんじゃないかな?カメラだったら通信用に沢山用意してあったはずだよね」
「でもね先生。こんな高速で走っている状況でカメラを取り付けるなんて無茶よ。振り落とされてしまうのがオチね」
その時また山車の左隣を閃光が走り抜けてゆく。自分たちには当たらなかったものの蔵造資料館が目の前で木っ端みじんに吹っ飛んだ。
「さっきから狙いが雑ですね。一回も当ってませんし。もしかして戦車の攻撃で照準にトラブルが起きてるんじゃないですか?」
「その可能性はあるわ。けれどだからと言って、いつまでも当らないという保証にはならないわ」
「じゃあどうすればいいんですか」と焦りに駆られながら聞き返す自分のすぐ隣で後輩が言葉も無くスッと立ち上がった。
「おい、どうした?立ち上がったら危ないぞ」
「先輩、僕にその役目をやらせてください」
先輩の注意を受けた後輩だが、その瞳には有る決意を灯らせたまま、カメラ設置の任務を申し出てくる。
「おい、さっき彼女が言ったこと聞こえてなかったのか?今外に出たら死ぬかもしれないんだぞ」
「だからと言って先輩、カメラを設置しなければ遅かれ早かれ光線に当たって全滅です。ですから自分に行かせてください!お願いします」
尚も食い下がろうとする先輩を手で制した彼女は白衣のポケットから小型CCDカメラを後輩に手渡した。
「これを取り付けてきてちょうだい。場所は後方の高い所が良いわ。それから落とさないでよ。今あるのそれだけなんだから」
「ちょっと、何を言ってるんだ?君まで後輩に危険な役を押し付けるつもりなのか」
「先輩、これは誰かがやらなくちゃいけない事なんです。そうしなければ僕たちはこのまま全滅です。生き残るために必要な事なんです」
「しかし―――」
先輩がそう言いかけた次の瞬間。発射された閃光が今度は山車の右側を掠めて行った。そうしてそのまま光は札の辻の交差点へと激突し、市役所方面の道を潰してしまった。
「まずいですね。大学への近道が閉ざされましたよ。仕方ないから遠回りして裁判所前を通るルートを行きましょう」
その瞬間、直進を取る山車の中から後輩はいきなり飛び出した。
先輩が止める間もなく屋根の上まで登って行った後輩は、受ける振動からどうにかバランスを取るように必死にしがみ付いている。
さすがにこの状況で無理な運転はできないと判断した自分はギリギリまで速度を落とし、方向転換も最小限に抑える。
そんな中、後輩は少しずつ何度か振り落とされそうに看板にぶつかりそうになりながらも、屋根の後方へとにじり寄ってゆき、遂に辿り着く。
後はカメラを取り付けるだけ。そう思ってポケットからCCDを取り出した矢先、目の前に突如として『それ』が現れた。
山車が速度を落としたため近くまで詰め寄ってきた『それ』は『透明化』の衣と引き換えに、その鼻先にオリーブ色の光を携えている。
距離は目算で5mほど。この距離まで近寄られては避けることも出来ない。
それでもどうしても諦めきれない後輩がありったけの声で叫んだ「砲撃、来ます!」と言う言葉は離れた場所に居た自分にも届く。
その一言で状況を理解した自分はタッチパネルに表示されたオレンジのボタンを叩いて『エアバックフィールド』を使う。
一瞬にして真っ白なエアバックが背面に展開されたその直後、そこへオリーブ色の閃光がぶち当たった。
轟音と高熱が辺りにまき散らされ、自分たちは山車を揺るがす猛烈な振動と衝撃を必死で耐え忍んだ。
五秒ほどの長い時間を耐え切った自分はすかさず『それ』との距離を取るべく『グレートターボ』で加速する。カブ以上に重い山車では爆発的な加速は無理であったが、それでも十分に『それ』を引き離すことに成功した。
直ぐに自分はパネルを操作して機体状況の確認を行う。山車本体には異常が無かったものの、直撃を受けたエアバックは無残に焼け爛れて垂れ下がっていることをコントローラーが報告している。
自分がエアバックを遠隔操作で切り離したとき、先輩はスマホを片手に屋根の方を仰ぎ見ていた。
「おい、後輩がいないぞ!」
振り返った先輩が言った一言は余りにも衝撃的過ぎた。先輩は閃光の直撃を受けた直後から何度も後輩に連絡を取っているのだが、一向に出る気配が無いらしい。その上、屋根にも姿が見えないとなると、考えられるのは振り落とされたか、あるいは…
それでも諦めきれずに何度も連絡を入れる先輩であったが、その成果は全くなく、憤りのあまり先輩は舞台の床に拳を叩きつける。焦る先輩の気持ちもわからないでも無いが今はどうにかして大学まで辿り着かなければならない。
そして不運にも裁判所から市役所へと至る道も『それ』の閃光によって破壊されてしまい、自分たちはさらなる遠回りをせざる負えなくなったのである。
そんな中、今度は先輩が山車を出て行こうとする。必死に止める先生と彼女を振りほどこうともがく先輩は何やら鬼気迫る表情をしていた。
「離せ、離せよ!」
「いったいどうしたというんだね⁉少しは落ち着きなさい」
「そうよ、出て行ったところで後輩の二の舞になるのがオチじゃない」
それでも振り切って出て行こうとする先輩は、急にスピンした山車の勢いに飲まれて舞台の上に倒れ込んだ。
「何してやがる!ちゃんと前見て運転しろ」
柱にぶつけた前頭部を摩りながら、起き上がるなり先輩は文句を大声で言ってくる。
それに対して自分は先輩の言われた通り前を見て、先輩を一目することも無く話しだす。
「どうです?少しは怒りが『それ』から逸れましたか?頭に血が上り過ぎなんですよ」
「まさかお前今のスピンはワザとやったのか?」
「その通りです」と臆面も無く肯定する自分の襟首を先輩は力任せに掴み上げる。
その反動で操作が揺らぐ山車は道路を左右に迷走するものの、すかさずフォローに入った彼女の手により何とか体勢を立て直した。
「お前、何を考えているんだ⁉ふざけているのか⁉」
「ふざけてはいません。ただこうするのが先輩を止めるのに一番手っ取り早かったからし」
言葉に詰まる先輩の手を振りほどいた自分は、猶も話を続けながら乱れた襟を正す。
「先輩、貴方後輩の敵を討ちに行くつもりだったんでしょう」
「確かにそうだ。俺は後輩のために『それ』をこの手で倒すと決めたんだ」
「しかし、どうするつもりだったんです?また屋根の上になんか登ろうとして。どうすることも出来ないことはもう十分に解っているはずですよ」
確かに自分たちは今まで防戦一方で逃げるのがやっとという状態である。
また尚悪いことに『それ』の照準は大分修正されて来たらしく、光線が山車のスレスレを通り抜けたり、剰え掠って一部を吹き飛ばし始めた。
このままでは大学に辿り着く前にやられてしまう。しかしどうしようもない。打つ手がなければ。
「打つ手なら有る」
先輩の言い放った言葉にその場に居た全員が思わず先輩を凝視する。もちろん運転していた彼女も振り返ったため、山車の捜査は大いに乱れ大きく歩道へと乗り上げてしまった。
混乱から体勢を立て直した先輩はズボンのポケットからスマホを取り出して自分に見えるように画面を突きつけてくる。その画面には地図が映し出されており、現在地を示す赤い点と道路や建物など河越の至る所に点滅している青い点が映し出されていた。
「この点はこの山車の現在地とトラップの場所を示している。今走っているこの通りにも見ての通り無数のトラップが点在している。こいつを使って『それ』に一矢報いてやるんだ」
「言いたいことは解ります。けど何でそれが表に出る理由になるんですか?」
「解らないのか?『それ』の動きとトラップの発動のタイミングを合わせる必要があるからだ。その上『それ』は姿を隠していてチャンスは『光学兵器』を発射する数秒だけ。だからこそ、この目で見て合わせる必要があるんだ」
「だからって今出ていくのは危険です」
「止めるな阿呆!俺は行くぞ」
再び山車の勾欄に足を賭けた先輩を「待った」の一声が呼び止める。声の主は先生であった。自分達三人が注視する中、先生は一つ溜息を吐くとこう言い放った。
「その役目、私が引き受けよう」
一瞬、誰もが無言になる。先生が言っている意味は解る。だが唐突過ぎて思考が付いて行けずにいた。
「何を言っているんですか?先生」
最初に言葉を発したのは飛び出そうとしていた先輩であった。
「これは俺の役目です。誰にも譲るつもりはありませんし、ましてや先生になんて尚更です」
後輩の敵は自分で討つ。その信念に燃える先輩は揺らぐつもりは毛頭なく、先生の申し出を真っ向から否定する。だが先生は実に落ち着いた様子で莞爾として笑っている。
「慌てるんじゃない。まったく、若者は死に急ぐから勿体ないよ。こういう場合は歳の順で行くべきだよ」
「そんなの関係ないです。これは俺がやらなきゃ気が済まないんです」
「その気持ちは自分だけだと思わないでほしい。私も大切な自身の生徒が生死不明の状態にされたんだ。黙っているつもりは無いよ。だから先ず私にやらせてほしい。君たちの代表として、私に」
先輩は何か言いたげであったが、数秒間考えた後、渋々といった様子で先生に譲ることにした。
それを見て納得した先生は次に山車の操作に戻った自分に呼びかける。
「せっかく屋根上まで登るんだ、さっきの作戦のカメラの代わりに『それ』の動きを逐一伝える役もしようじゃないか」
「そうしてもらえると非常に助かるんですが、無理をしていないですか?」
「なに、序だよついで。トラップのついで」
「むしろこっちをメインにやってもらった方がより生き残れるんですが」
「さて、お話はここまでにしようか。それでは行ってきます」
そう言うと先生は勾欄を飛び越えて山車の外へと出て行った。そのまま屋根へとよじ登り振り落とされないようにしがみ付くと自身の携帯を取り出し、プログラムを立ち上げる。
それは先ほど先輩からコピーしてもらったトラップ情報の入った地図の画像であった。
それと街とを重ね合わせながら闇に目を凝らすと敵影とオリーブ色の光球とがヌゥッと湧いて出てくる。すかさず先生は携帯に向かって「右舷後方!距離20、射角7」と叫ぶ。
それを自分の携帯から聞き取った自分は即座に回避行動をとる。直撃コースから逃れた山車の前方を光が横切って行くのと前後して今度は先輩が動いた。
先輩も先生からの伝達を聞いており、敵の位置が手に取るように解っている。そしてその場所に最も効果的に働くトラップを選択し、ボタン一つで発動させる。
次の瞬間、地面が火を噴いた。
唐突な爆発に何が起きたのか分からない自分に対して解説をする先輩の表情は実に自慢げであった。
「どうだ?見ただろう?都市ガスのパイプラインに細工をして火炎放射器にしてやったんだ。1万3300キロカロリーの天然ガスで黒焦げにしてやったぜ」
「ちょ!何てことしているんですか⁉これはさすがに危険すぎてアウトですよ。それに都市ガスは止めて下さい。伯父の職場は武州ガスなんですよ!」
「知ったことか!今は非常時だ」
「てか、結果的に『それ』に対して使われてますが、元々これ普通の山車に使うつもりで設置したんですよね⁉さすがにそれはマジキチです」
「世の中には『結果オーライ』と言う言葉が在る」
「オーライ過ぎですって。何ですかこのご都合主義!」
その時携帯から先生の声が聞こえてくる。その声色は切迫した様子がヒシヒシと伝わってくるものだった。
「まだ安心するのは早いよ。奴やっこさんはさっきので大人しくは成らなかったようだよ」
先生の報告と聞こえてくる姿の無い機械音が『それ』の健在ぶりを示している。振り返ってみてみる先輩の目が捉えたのは、表面が少し焦げただけの『それ』が走る姿であった。
奴は不死身なのか?そんな思いが自分の胸に去来した時、目の前に河越の総鎮守でありこの祭りの神でもある河越氷川神社が見えてきた。
鬱蒼と茂る木々と荘厳なる社が織りなす空気は外で行われている祭りの騒音など一切知らないとばかりに厳格に、静寂に包まれている。そこはまさに神の在る場所。神社はそんな神聖な雰囲気に満ち溢れていた。
そしてその前を通り過ぎるその時、自然と自分は神に祈っていた。
―――どうか『それ』を打倒せますように
神にでも縋らなければ倒せない様な奴を相手にしているのである。この状況ならば誰もが皆そうするであろう。
それに『溺れる者は藁をも掴む』の例えもある。掴む相手が神ならば尚の事助けを乞うのは当たり前だろう。
氷川神社を過ぎるといよいよ国道254号線へと差し掛かる。ここからはまた安全運転しなくてはいけない。何故ならば、
「おい!こっちは対向車線だぞ!」
国道へ出た山車をそのまま逆走させる。
「解ってますって。けれどそんなことに構ってられません。このまま突っ切ります!」
その言葉通り自分は向かってくる車に臆することなく山車を走らせる。
何台もの車が山車の隣をクラクションを鳴らしながら通り過ぎてゆく。そして背後で見えない『それ』にぶつかって静かになる。
これ以上ここを走っていては大変なことになると判断し、すぐに国道から右折して市立博物館の前を走っている丁度そのとき、空から雨がポツポツと降ってくる。
そう言えば予報では夜から雨が降ると言っていたなとほんの少し思うものの、飛んできたオリーブ色の閃光に気を取られてすぐに忘れてしまった。
飛び上がるマンホールや倒れてくる街灯などのトラップを浴びせながらそのまま一直線に山車を走らせればようやく目的地の大学が見えてくる。大学校内に入った山車を追いかけて『それ』は中庭までやって来た。
大学の中庭の芝生を引き千切りながら山車と『それ』とは中庭へ入り込む。先生からの指示を受け飛び交う閃光を躱して走れば行く筋もの轍が刻まれていく。そんなことを5分ほど続けていると中庭は丸裸になってしまう。
「それでいったいどうするつもりなんだ?何か秘策が有ってここへ来たんだろう?」
「勿論有りますとも。これが自分たちの切り札です」
そう言って自分はポケットの中に在る切り札『反続成作用薬』を取り出して見せる。
先月の『主』探索の際に彼女が持ってきた新開発の薬品。そのサンプルの残りをあの後自分は持ち帰って保管しておいたのだ。
その効果は先月証明されたようにどんな固い地盤も底なし沼の様にドロドロにしてしまうもので、これによって『それ』の足を止めてしようと言う作戦である。
そうすれば固定砲台で取り回しの利かない『光学兵器』を無効にすることができる。それが狙いであった。
しかし『それ』の位置が分からなければタイミングよく仕掛けることができず躱される可能性がある。しかも今自分の手に在る『反続成作用薬』はたった一つだけであり、絶対に失敗は許されない。
せめて『透明化』さえどうにかすることができれば。そう願うものの依然として自分たちは『それ』の姿を捕らえるには至っていない。また閃光を放つ一瞬は姿を見せるものの、発射後すぐに移動されてしまっては狙いようも無い。
そう思っているといきなり横からの衝撃を受ける。いったいどうした事だろう、路傍の石にでも乗り上げたのかと思っていると屋根の上から「大丈夫かい?」と先生の声が聞こえてくる。
「大丈夫ですが、一体何が在ったんですか?」
「どうもこうも、『それ』が特攻を仕掛けてきたんだ」
閃光が当たらないとみて『それ』は攻め方を変えてきたらしい。『猩々の山車』の一撃にも耐えた頑丈な体から放たれる衝撃は非常に重く、衝撃を受けたところは見事なまでに陥没していた。
「特攻って…こっちの十八番じゃないですか。しかもこの威力。完全にお株を奪われてしまうなんて」
そう言っている内に二撃目の特攻が食らわされる。
透明化が解けることも無く行われるその攻撃を躱すことも備えることも出来ず、無様にもすべて貰ってしまう。
何度となく繰り返されるその攻撃に装甲は拉げ、柱は折れ、手元の計器は異常を報せる警報をけたたましく響かせ続ける
そうしている内に屋根の上に上っていた先生が、悲痛な叫びを挙げながら振り落とされてしまう。
こうなってはタイミングを計って閃光を躱すことができない。そう思っている間に『それ』は止めとばかりにキツイ特攻を極めてくる。その一撃によって車軸が完全に曲がってしまい走行が不可能となったとコントローラーのディスプレイが報せてくる。
そして身動きの取れなくなった山車を葬るべく、『それ』は再びオリーブ色の光球をミョマミョマと溜めこみ、発射する。
迫り来る閃光が到達するわずかな時間。誰もが走馬灯を見るその瞬間。しかし、ここでやられるわけにはいかないと意を決した自分はとっさに『エアバックフィールド』を使っ緊急防御
だが閃光を耐えきった『エアバックフィールド』は先刻の例の様にドロドロに焼け爛れてしまい、みっともなく垂れ下がっている。
しかもなお悪いことに装備されているエアバックはこれが最後であり、もう閃光を防ぐことはできない。
まさに万事休す。ここまでかと思った時、先刻からポツポツ来ていた雨がついに本降りになってきた。
そのとき不思議なことが起こった。
なんとどういう訳だか『それ』が纏っていた『透明化』の衣が少しずつ剥げてきたのである。その様はまるで金属片を舞い上げたときの様にところどころ見えたり見えなかったりと虫食いの様な姿をさらしていた。
これはいったい、と驚愕する自分に答えたのは彼女であった。
「これは奇跡ね。雨が金属片の代わりをしてくれているんだわ」
「あの電離層って雨でも乱れるものなんですか?」
「もちろんそれもあるけれども、それよりも雨に溶け込んだ物が効果的に働いているみた
「―――いったい何なんです?それ」
「おそらくは塵や煤煙でしょう。河越のあちこちで起こった曳っかわせで舞い上げられたそれらが雨に溶け込んで、導電体として電離層をかき乱しているのよ」
「そんな都合のいい話が…」
「本当にね。天の助けとは正にこの事だわ。お祭りの神様に感謝しなくちゃ」
河越氷川神社に願を掛けておいて良かったとしみじみ思っていると、『透明化』が解けたものの未だ健在である『それ』はなおも閃光を放とうとチャージに入る。
だがそれは自分が許さない。姿さえ捕らえられればこっちのものだと自分は積み込んでおいたコルク銃を取り出す。そしてその砲身に『反続成作用薬』を詰め込むと閃光が放たれるよりも前に速射した。
『それ』の足元に突き立った『反続成作用薬』が浸みこむと元々雨でぬかるんでいた地面はあと言う間に底なし沼へと変容し、『それ』の足を絡め捕る。
その図体を地面にズブズブと沈ませ、体勢が取れなくなった『それ』が放った閃光は狙いを大きく外し、雨雲の中へと消えてゆく。
ここで決める。そう決意した自分は先輩と彼女とを連れ立って山車から飛び降りる。そしてコントローラーを操作し、『グレートターボ』を使い、『猩々の山車』最大にして最後の特攻を仕掛ける。
もはや走ることもままならない山車は、動くたび悲鳴を上げながら最後の力を振り絞って『それ』へと突き進んでゆく。命懸けのその雄姿は戦争まつりの中で何度となく行ってきた特攻とは一線を画す、本当の意味での『特攻』であった。
そして山車は『それ』に真っ向から衝突する。
盛大な爆音と破片とをまき散らして山車は炎に帰ってゆく。その様子を最後まで見ていた自分の目には知らぬ間に涙があふれ出し、誰に強要されるでもなく本当に自然に敬礼の-ポーズをとっていた。
それは自分のみならず先輩も同じように敬礼のポーズを取っており、その様子を彼女は意味が解らないといった表情で見つめていた。
「まったく男ってどうしてこういう事したがるのかしら」
「それが男のロマンだからさ」
先輩の言葉に誰からともなく笑い声が漏れる。今まで緊張によってギリギリまで磨り減らした集中力が安心によって一気に解き放たれたのだ。自分たちは息を吸う暇さえ忘れて三分間も続けて笑い続けた。
しかしこれで終わったのだと安心したその時、ガガギッと言う不快な機械音を響かせながら炎の中から『それ』の影が立ち上がった。
山車の衝突を受け爆発に巻き込まれた『それ』は既に見るも無残な状態であった。
関節は折れ曲がり、装甲は焼け剥がれ、砲身は砕け、内蔵された機器は火花を挙げながら丸出しになっている。満身創痍のその姿はあと一撃ですべて壊れてしまいそうな危ない均衡の上に成り立っているように見えた。
それでも立ち上がる『それ』の姿は宛らゾンビか悪霊の様であり、見ているだけで不気味な感じに包まれる。しかもこちらは特攻により山車は炎上してしまっている。本当にもうどうすることも出来ない。
悲鳴の様にも絶叫の様にも聞こえる軋みを上げながら襲い掛かる『それ』が目前に迫り、自分は遂に観念して南無三と心で呟いた丁度その時、中庭に一つのエンジン音がなだれ込んできた。
音の源を振り返るとやって来たのは一台の山車であった。その山車は自分たちが今まで操っていた山車と同じサイズの子供山車であり豪華な装飾は一切ない。
だがそれは引手によって曳かれている訳ではなかった。山車を引いているのは一台のカブであった。
そしてそのカブを運転しているのは何と―――
「―――朋友!」
自分の呼び声も聞こえないほど鬼の形相をした朋友は『グレートターボ』で驀進しながら真っ直ぐ『それ』を目掛る。
朋友は「おおおおおおおおおおお!」とその体のどこから出しているのだか分からない様な叫び声を発しながら『それ』へと突っ込んでゆき、そしてそのまま激突する。
激突の衝撃により『それ』の関節は捥ぎ取られ、装甲は弾け飛び、砲身は飛散し、内蔵された機械は爆散しながら吹き飛んでゆく。遂に『それ』は完膚なきまでに壊れていく。
そして、『それ』は大爆発の中に消えてゆく。朋友を巻き込んで。
咄嗟に叫んだ自分の言葉に朋友は一瞬こちらを見る。そしてその笑顔もまた爆発の閃光の中に消えて行ったのだった。
「よう、起きたか」
寝覚めで焦点の合わない朋友の瞳が自分を捕らえる。寝かされているのは埼玉医大総合医療センターのベットの上。河越祭りから1週間が過ぎ、朋友はあの後からずっと昏睡状態のまま入院していたのである。
そのことを伝えると朋友は非常に驚いていたが、次第に落ち着きを取り戻す。そしてナースコールにやって来た医師は大丈夫だと診察し「お大事に」と部屋を後にする。
そして先輩たちに朋友が起きた事を公衆電話で連絡した後、部屋に戻った自分は朋友のお見舞いとして持ってきたリンゴを剥いてやった。シャクシャクと音を立てながらリンゴを食す自分たちはその後あったことを話し合った。
後輩と先生もここに入院している事、優勝したのは連雀町の『太田道灌の山車』であったこと、その後行われた清掃作業が本当に大変だったことなど。
そして話題は自然と戦争の夜の話へと向いて行った。
「しかし、まさかあそこで朋友が来るとは思わなかったよ。いったいあの山車はどこから持ってきたもんなんだ?」
「あれは家の近所の神社の山車なんだ。戦力が多い方が良いと思ったから急いで取りに戻ったんだけれど、正解だったみたいだね」
「まったくだ。君の特攻が決定打になって『それ』を倒すことができたんだから」
「しかし、『それ』はいったい何だったんだろう?いきなり戦争に現れて破壊の限りを尽
「さあ?それが解らないんだ」
「?どういうことなんだ。何か手がかりは無かったのか?」
「そうなんだ。まったくもって見つからなかったんだよ。どうやら『それ』は無人で動いていたらしく、その上爆散したせいでほとんどの部品が燃え尽きてしまった。今は密輸を行った船問屋へと警察が捜査に入っているようだけど、何か進展が在ったとは聞いていなな」
朋友は「そうか」と呟くと淹れておいたお茶を啜る。
「しかし、あんな機動兵器が走るようになるなんて、河越も物騒な街になったもんだな」
「まったくだ朋友。まさかふざけてあんな物を作るわけが無いし、いったい『それ』を操っていたものは何者だったんだろう」
自分と朋友、二人の考えは巡る。しかし答えに至らない。考えることにも疲れた自分たちはそのうち解るだろうという何とも投げやりな答えに落ち着いたのだった。
「しかし朋友よ。君はあの爆発に巻き込まれて良く生きていられたな。あれは本当に死んだかと思ったぞ」
「俺も解らないんだよ。どういう訳か俺は奇跡的に生きている。不思議な話だよな」
確かにあの時、朋友は爆発の中に消えて行った。爆発が終息した後、自分の必死の捜索の甲斐あってボロボロになった朋友を見つけることができた。
その後すぐさま駆けつけた救急車両により、埼玉医大総合医療センターの救急医療室へと運び込まれた朋友を自分はそれから毎日のように見舞いに来たのだ。
発見した状態と続く昏睡状態からもう目覚めないのではと不安に駆られたものの、こうやって再び話すことができて非常に安堵している。
こんなこと恥ずかしくて本人には言えないのだが。
「それってなんだかんだ言って君にも補正が付いているって事じゃないか?だったら朋友、いっその事君が主人公になってしまえよ」
「いいや、そんな役目は勘弁だ。身が持たないって」
笑うたび朋友は少し痛そうに眉を顰め、そんな朋友を見て自分はついつい笑ってしまうのだった。
河越の祭りは終わった。だがまだ自分は河越に帰れない。




