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誰がために時の鐘は鳴る  作者: 楠木 陽仁
13/13

時の鐘篇 下

「どうだったかしら? 『ハムレット』は?」

 大学の演劇サークルが主催する激を見た、その帰り道。青年の隣を歩く少女は、彼の顔を見上げながら感想を聞く。

 一方の青年は、いつもどおりの仏頂面で「まあまあ」と答えてくる。

「相変わらず釣れないのね。私はあなたを楽しませたいのに」

 実年齢よりもかなり幼く見える少女は、その容姿にバッチリ似合う膨れ面で文句をたれている。

「毎回毎回、そんな調子じゃ、張り合いがないわ。この前だって、その前だって。ずっとそうだもの」

 不機嫌そうにグルグルと青年の周りをうろつく少女の様は、まるで空腹で気が立っている猫のように見える。

 こんな状況になったら、少女は相当機嫌が悪いのだと、青年は長年の付き合いからよく理解していた。

 けれども青年は「これが性分だ」と(のたま)って(はばか)らない。

「まあ、そんなところも重々承知なんだけれどもね」

 そして、少女も青年の態度について、兎や角言うことはなかった。彼女もまた彼のことをよく知っていた。かなり長い付き合いだから。

「それでも、私はあなたに楽しんでもらったり、ビックリさたいから、あれこれ試行錯誤するの。それが十年来の楽しみだから」

 先程までと打って変わって、華やぐ笑顔でそう言う少女だが、青年は「そうか」とあくまで仏頂面を貫いている。

「もう、そういうところだから。覚悟しておいてね。あなたを笑わせるために、私はどんな事だってするわ。それから、あなたからも何か有ったら言ってちょうだいね」

 そんな風に、気元を直した少女が先を行き、その後を青年が徐について行く。こんなやり取りが二人の流儀だった。

「ところで、なんで『ハムレット』だったの? 『マクベス』じゃなくて」

 唐突にそんなことを聞いてくる少女に、青年は「蒸し返すなよ」と、さも煙たげな顔で反論する。

「そんなことを言わずに教えてよ。最初は私が阿弥陀籤(あみだくじ)で決めようとしてたけど、急にあなたが『ハムレット』がいい何て言うから。ビックリしちゃった」

 普段、そこまで我を通すことのない青年の、たっての願いから決めたこの演目。

 その理由について知りたいと思うのは少女の為人(ひととなり)からして当たり前のことであった。

 この追求に青年は「なんとなく」と、何度も生返事でやり過ごしてきたのだが、少女はその答えに納得していない様で、これは何度目かの質問だった。

「ねぇねぇ、教えてよ。私とあなたの仲じゃない」

 こんな感じがここ数日間続くものだから、いい加減に青年も鬱陶しくなってしまって、逆に「どうしてそこまで知りたいんだ」と問いかける。

「え? だって、好きな人の事を知りたいと思うことは、当たり前のことじゃない?」

 キョトンとする少女の表情に、青年は溜息混じりに「似ていたから」と呟く。

「ん? あたしの言ったあらすじを聞いて? それでもって思ったの? 似ているって、ハムレットが? あなたと?」

 何を言い出すのかと言いたげに、キョトンの度合いをさらに高めた少女だが、段々とその真意に気がついてしたり顔に変わってゆく。

「ああ、確かにね。あなたってそういう所あるものね。石橋を叩き壊すみたいな感じとか、あるよね」

 ケラケラと指差して笑う少女に、「言うんじゃなかった」と、今度は彼が不貞腐れて歩みを早めてしまう。

「そんなに怒らないでよ。お互い様でしょう? けれども、悩んだり考え込んだりすることをあなたは悪いように考えているのかもしれないけれども、それも美点の一つだと私は思うけどなぁ」

 そんな思いもよらない返答に、青年は「どういう事だ?」と、少女に真意を聞かずにいられない。

「だってそうじゃない? 悩んだり、考えたりすることは、間違えたりしないよう、正しくあるようにとする心の足踏みなのだから。だから、迷わないと人は結局のところ暴走してしまう、狂ってしまうのよね」

 そうかもしれないと思ってしまう青年だが、これを少女に指摘される事がなんだか癪に障ってしまい「訳が解らない」と言ってしまう。

「ちょっと待ってよ。そんな事よりも、カフェで腰を据えて話しましょ。今日の劇の感想とか」

 駆け寄って裾を摘む少女を一瞥し、仕方ないと言いたげに、青年は短い溜息を吐いた。

「俺は『ハムレット』よりも『ドン・キホーテ』の方が良かった」

「それなら丁度いいじゃない。来週はその演目らしいから」

 それを口実に、再び彼を連れ出そうと画策する少女の横で、青年は未だに鬱々とした表情を浮かべたままだった。




どのくらい寝たのだろうか? 彼女に盛られた薬のせいで頭がガンガンする。

まるで内側から金鎚で連打されているような頭を抱えて身を起こせば、周りの風景に一瞬言葉を失ってしまう。

確か自分は昨夜彼女の家で寝てしまったはずだ。しかしどうして、自分は道路のまん中で寝ているのである。

辺りを見回しても今日も変わらず流れ続ける川と、雑草が生い茂る川原が広がるばかりで、彼女の家など何処にも見られない。

しかし場所には覚えがあった。先ほどまで寝そべっていた道路は6月に流された後、つい最近新設されたばかりの扇橋である。そして新河岸川と不老川、二筋の川が交わるここは紛れもなく扇河岸付近である。

さては仙人狸に化かされたか。いや、彼女に化けて出たのだからキツネだろうか。そう思ってしまうほど脈絡のない展開に痛みを伴う頭では対応できなくなっていた。

「何を言っているの。もっと現実を見なさい」

そう言って自分の背後から近寄ってきたのは、このような状態に自分を貶めた張本人である彼女である。

差し出された彼女の手を取って、自分はようやく立ち上がる。

どうやら自分は睡眠薬で眠らされた後、彼女によってここまで運ばれてきたらしい。まったくその小さな体で重労働とはご苦労なことである。

それよりも昨晩、彼女は何か気になることを言っていた。

『もっと楽しい事をしてあげる』、『明日を楽しみにね』。彼女の言ったこの言葉が自分の脳裏に焼き付いている。

嫌な予感がする。ビクビクしながら彼女の様子を窺っていると、川下から突如として上がる鬨の声にヒッと悲鳴を上げてしまう。

声の後に続く無数の雄叫びが聞こえる方を見つめれば、そこでは戦争が起こっていた。

「見ての通り市議会軍と革命軍との抗争よ。先月までは小競り合い程度だったけれども、ここ最近は随分とエスカレートしてきたみいね。でも、こんな朝っぱらからよくやるわよ。大昔の戦争はキッチリ時間を決めてやっていたみたいだけれども、そういうのは流行らないのかしら」

段々とこちらに近付いてくる戦火を見据えながらも笑う彼女は、実に呑気な態度のままでいる。

「良いから早く逃げましょうよ。ここに居たら巻き込まれますよ」

彼女の手を取り逃げ出そうとする自分だが、彼女はまるでその場に根が張ったかのように頑として動こうとしない。

「まあ、待ちなさいって。それより見て。なかなか面白い面子が戦っているから」

彼女が指差す先の戦争にはよく見れば自分の見知った顔も参戦している。

市議会軍と革命軍。2つの軍勢は源平合戦よろしく、それぞれ白と赤の幟旗(のぼりはた)を背中に刺している。さらに誰もが鎧兜を身に纏っている。

まずは赤旗の革命軍。こちらは『オーバー』を母体とする、河越に不満を持った怒れる市民の団体である。

そのため『オーバー』の首領である先生はもちろん、オヤッさんを始めとする西行寺の幽霊たち、僧正を先頭にした喜多院の坊主たち、それに教会の牧師と修道士の方々が参加いる。幽霊と坊主と牧師が一緒に戦っているのは何とも不思議な光景である。

そして、その中に自分Aも交じっていることに気が付く。確かに彼は河越を壊すために動くと言っていたので、今こうやって市議会軍と対峙しているのだろう。

一方、白旗の市議会軍。こちらは読んで字の如くである。

埼玉県警の警察官、朝霞の駐屯地の自衛隊、そしてこの街のヒーローである『ザリバー』など公的な団体と個人によって編成されている。

『ザリバー』が行政側に付いている。それはつまり先輩は河越の側に付いたということを表している。

そうか、先輩は河越での日常を守ることに決めたということか。

もっとも、先輩の様な腐れ外道は河越の様なイカレた街にこそ相応しく、絶対川越に来てほしくないものだ。

そういう意味では先輩の行動は実に自分にとって理想的な展開だと言える。外道は河越にずっと封じ込めておけばいい。

だがその中に交じってあのオフザケ秘密結社がいるのはどういう訳なのだろう。

確かにあの秘密結社は街を面白くするための必要悪として、市によって意図的に作り出された悪の組織である。しかし、いくら起源が行政側にあるからと言って、腐っても悪の組織である。おめおめと行政側に付くものなのだろうか。

不思議がる自分だが、さらなる謎が目に入る。

自分も目を疑ったのだが、そこに居たのはギャグ漫画でしか見たことが無いような出っ歯をした男、後輩であった。

確かに後輩は背中に白の幟旗を刺している。そしてその天性の人懐っこさを生かして市議会軍を構成する各々の組織を繋げる伝令役を担っているらしく、戦場を縦横無尽にせわしなく駆け巡っている。

しかし自分には後輩が市議会側に付いている理由が解らない。後輩と一番関係の深そうな先生が革命側に居るのに、どうして後輩だけが一人で、しかも敵対する軍に籍を置いているのだろう。

さまざまな疑問が頭に過る中、後輩の後を目で追っていると、後輩は秘密結社の先頭に立って指揮を執っている男の元へと駆け寄っていった。

そして自分はおの男の姿を見とめると、すべての事柄に納得がいったのである。

全身黒タイツの戦闘員の中で異彩を放つその風体。軍服と軍帽、マントを身に纏ったその男こそCであった。

どうやら『自分』は未だに秘密結社にて『大佐』の役職に着いているらしい。

そんなCが市議会軍として、如いては河越のために戦う理由。それは昨夜の言葉からも、今彼が話をしている後輩の存在からも明確であった。

「お嬢さんのためか」

そもそもCはお嬢さんのために河越の日常を守る事を宣言していた。お嬢さんとの甘い蜜月生活を満喫するために生きることを声高らかに言い放っていた。

それを実現するために戦闘部門のトップである『大佐』の地位を最大限に利用して、戦闘員たちをこの戦場に駆り出しているのである

そして後輩は自分の可愛い妹の思い人であるCに惜しげもなく力を貸すことに決めた。だからこそ先生と対立してまで市議会軍として戦っているのだろう。

しかしCよ、なんという職権乱用だろうか。かつての敵と組んでまで女のために戦うだ公私混同にも程がある。

そんな風に鼻の下を延ばしながら命をかけた戦いに参じているようでは絶対に戦闘員の中には鬱憤が溜まっていることだろう。そのうち寝首を掻かれるぞ。

そのせいか、政府軍はどうやら一枚岩になり切れていないように見える。

一方、革命軍は怒りに伴う士気により見事な連携を摂り、地元であるため地の利を活かして優位であるようだが、政府軍は物量と一騎当千のヒーローが活躍しているため戦況は拮抗しているように見える。

そして遂に橋の下までやってきた戦争に逃げ場を塞がれてオロオロする自分の隣で、彼女はどこから取り出したのか拡声器を片手に線上に語りかけ始める。

『ちょっと話を聞いてもらえるかしら』

戦場を埋め尽くしていた喧噪おも覆い尽くすほどの大音響が響き渡る。

隣で聞いている自分は両手で耳を覆っても意味が無く、それによる内耳の痛みのせいで頭痛がさらに悪化する。

頼むからボリュームを下げてくれと彼女に懇願するものの、周りが静かに聞き入るようになったのを見据えご満悦である彼女の耳には届かず、またさらに音量を上げた拡声器に自分の蚊の鳴く様な声など掻き消されてしまう。

『みんな楽しそうで何よりね。ご精が出ますことで。そんなあなた達にちょっとしたサプライズがあるの』

その言葉に戦場がザワめきだす。

いったい彼女は何を言おうとしているのか?彼女の言うサプライズとは何のか様々な憶測が飛び交う中、誰もが次の言葉を聞き逃すまいと耳を澄ましていた。

『はい、皆聞く態度ができたわね。それじゃあ話すからよく聞いて。この紛争の理由になっている『功罪』だけれども、あれにはチョットした秘密が有るのよ』

彼女が伝えるのは昨日自分に話してくれたことであった。

自分たちが催眠術による街づくりに巻き込まれていること。自分たちは催眠術によってどこかの誰かに演じられていることなど、彼女はこの街の核心について隠すことなくすべてを包み隠さず話してしまった。

事実を聞いた両軍には明らかな動揺が走る。

今まで信じてきた日常がすべて作り物、偽物であり、知人、友人、家族、果ては自身まで何者かも解らないと告げられたのである。驚かない方がどうかしているだろう。

狼狽えて騒ぎ回る戦場の人たちを高みから見逃す彼女はこれが見たかったのだと言わんばかりのシタリ顔で再び拡声器を構える。

『そうよね、ショックよね。信じていたものが全部紛い物だったんだもの。何を信じていいか解らなくなるわよね。

―――それでね、その街づくりシステムの中枢である催眠装置だけれども…その在り処をここの彼が知っているのよ』

その場の全員の視線が自分へと集中する。注目の的とされてしまった自分はあまりの事に顎が開いたまま閉まらなくなってしまう。

『因みに彼はこのシステム開発に携わっているから、一連の事件に多大な責任があると言えるわ』

その瞬間、自分に向けられる視線が総じて剣呑なものになった。その場にいる皆が皆、自分を睨みつけている。

悪意に満ちた視線の恐ろしさに涙が零れそうになっている自分を指さして、彼女がコロコロと笑っている。

「ますます面白くなってきたわね。これでここに居る皆はあなたの事を狙ってくるでしょう。何せ重大な秘密を知るキーパーソンの上に諸悪の根源ともいえる存在なのだから。そんな中をあなたはしぶとく逃げ切れるかしら? それともアッサリ捕まって八つ裂きにされてしまうのかしら」

そう言って彼女は自分の足元へと何かを投げつけてきた。驚いて確認する間も無く、自分の足元から扇橋が崩れ落ちる。

溶けた橋と共に川へと落下した自分は、水面でもがきながらも橋の上に残った彼女を睨みつける。

「!まさか『イワトロン』で橋を溶かしたのですか。いったい何でこんなことを。死ぬかもしれないじゃないですか。それに橋だってせっかく治ったばかりなのに」

「大丈夫よ、この街ではものが壊されても、元に戻された後にはみんな忘れてしまうんだから。それにあなたが死んだとしても、どっかの誰かがまた代わりに役を引き継いでくれるんだから心配しないで。―――それとも今のあなたはまた違う誰かってことに成るかしら。だってあなたCという代役が立っているから用済みだしね。案外死んだらそのまま居なかったことにされるのかしら。そこら辺少し興味があるわ」

物を壊すことと人が死ぬことなど、この街では取るに足らないことだと吐き捨てる彼女に自分は鳥肌が立つほどの嫌悪を感じる。

しかし彼女は「じゃあね」とだけ言い残して橋の上から姿を消してしまった。

彼女から完全に見捨てられて、一人ぼっちになった自分が岸に辿り着けば、そこに待ち構えていたのは敵意を向ける多くの視線であった。

つい先ほどまで赤と白とに分かれて争い合っていた人たちが、今まさに一つに纏まって自分を捉えようとしているのである。

これは非常にマズイことに成った。

先に見える人だかりを抜けて逃げるには待ち構える敵の数があまりに多く、かといって後ろは背水の陣である。

進退窮まって周りの出方を窺っていると、人波の中を突っ切って巨大な鉄の塊がこちらに突っ込んでくる。

それが以前に秘密結社が河越祭りを混乱に陥れるために作り上げた最終兵器『それ』だと分かったのは『それ』のロボットアームに掴み上げられ、そのままブラリと宙に逆さ吊りにされてしまう。

いくらジタバタしても一向にアームから逃れられない自分の目の前で、『それ』のハッチが徐に開く。

そして、その中から出てきた人物を目にし、驚きのあまり「あぁっ!」と声を上げてしまう。

ロボットアニメに出てくるような『それ』のコックピットの中に座っていたのは何と先生であり、さらに意外なことに朋友がゲームコントローラー型の操縦桿を手にしているではないか。

なんでよりによって朋友が『それ』乗っている。つまり、朋友は革命軍に身を置いているという訳か?

思えば朋友も『功罪』によって酷い目に遭ってきている。百万灯祭りでは鉄砲水に押し流され、河越祭りでは『それ』に特攻している。

そんな恐ろしい経験から、河越に対する恨み辛みが募ってしまい、怒りの炎となって革命軍に加わったと考えれば納得がいく。

しかし相手は知った顔である。気安い気分で放してくださいと頼んでみたものの、『それ』は一向に自分を掴んで離さない。

「そうはいかない。君には我々のために役に立ってもらわなければならない。だからこのまま本陣へと戻る。そしたらそこで放してあげよう」

自分の意見など全く意に介さず、それは来た道を全速力で戻りだす。それでも自分は止まってくれと嘆願するものの、走る『それ』は止まる素振りなど無い。

「君は覚えているかい。小江戸サミットで君を助けてあげたことを。あの時、君には我々に協力してくれるよう約束したはずだ。今こそその約束を果たしてもらうよ」

「―――その事は保留にしていた筈ですよ。力を貸すだなんて一言も言っていなかったはずですから」

「だったら今こそ答えてもらおう。腹を(くく)って戦ってくれ。あの時言ったように、君がこの街のヒーローなる時が来たんだよ」

「そんなことこんな状況で応えるなんてできません! それに自分はヒーローなんて嫌だと何度言えば解ってもらえるのですか!」

ギャーギャーと喚き、ロボットアームの中でもがく自分に、朋友がなんとか宥めるように話しかけてくる。

「落ち着けって、別に酷い事をしようと言う訳じゃない。この状況からお前を救うためにも仕方がないんだ」

「何が助けるだよ! お前が酷い目見せているんじゃないか!」

「周りを見てみろ。わかるだろう」

確かにあのままあそこに居れば、敵意丸出しになった市民たちに嬲り殺しにされていた自分は二人に助けられたのだろう。

「だから落ち着いてくれ。そして信用してくれ。俺たち友達だろう?」

そうだ、そうだった。自分と朋友とは死ぬときは一緒だと誓い合った無二の友ではないか。

お金に絡むこと以外ならすぐに駆けつけ助け合おうと心に決めた、そういう仲間ではなかったのか。

ならば信じるのが筋であろう。本当の友情ならば。

「―――だけどお前も信じられない!悪いが早く放してくれ!」

自分は完全に疑心暗鬼になっていた。それこそ生涯無二と心に決めた朋友ですら疑わざるを得ないほどに。

今までの友情を全否定する様な自分の言葉に愕然とする朋友は信じられないといった表情になる。

「どうしてさ!?俺たち友達だろう。あんなに助け合ってきたじゃないか。それなのにどうして今になってそんなことを言うんだ」

「今この状況だからだよ。考えても見ろ、この場に居る誰しも自分の音を目の敵にしているんだ。それなのにいったい何を信じろって言うんだ。もしも自分に信じて欲しければ、今ここで自分の事を放してください」

「…いや、だって放したらお前は逃げだすだろう。お前はそういう男だし」

「ほら見ろ!朋友。君も俺の事信じちゃいないじゃないか。人の事信じていない奴が信用を得られると思うなよ」

自分と朋友、友情にヒビが入る中、どこぞから飛び込んできたロケット弾が激突して爆発する。

その衝撃によりロボットアームから投げ出された自分は、地面に叩き付けられて卒倒しけるが、何とか持ち直して立ち上がる。

自分の身が無事だと解ったならば、乗っていた二人の安否が気になり『それ』の方を振り返る。

しかしロケット弾の直撃を受けてもさすがは『それ』と言ったところか、外部装甲にへこみ一つできておらず、先生も朋友も無事であった。

安心する自分だが、その周りを武装した集団が取り囲む。皆同じ制服を身に纏っているのは自衛隊や警察たちである。

しかし銃口が向けられるのは自分ではない。向けられる銃口は革命軍を牽制するように突き付けられる。そのため誰も自分に近づけなかった。

いったいどういうことなのだろうか。どうして自分が守られている、と訳が解らなくなっている自分に一つの足音が近づいてくる。

足音の方を見てみれば、そこに居るのは自分Cであった。

『大佐』の軍服に身を包んだCは、いかにも威厳に満ち溢れた様子で自衛官と警察官の人垣を割って歩いてくる。

「ありがとうございます。ありがとうございます」と自身のために道を譲ってくれる一人一人に礼を言いながらやってきたCは、自分の目の前で立ち止まるとこちらの目線に合わせるように腰をかがめた。

「助けに来ましたよ、B。さあ早く逃げましょう」

そう言って手を差し出してきたCは実にニコやかな表情をしている。それでも自分はその手を素直に取るのを渋ってしまう。

何度も言うようだが、無二の親友と心に決めていた朋友でさえ、自分は手放しに信じることができないほど疑心暗鬼に陥っている。そんな状況なのに今更誰かを信用できるはずがないだろう。

そんな自分の様子を見つめてCは「困ったな」と苦笑いをして、人差し指で頬をポリポリとやる。

そして「仕方ないですね」となにかを悟ったかのように、悩みなど振り払うかのように軽快なため息をついた。

「こんな状況じゃあ他人を信じられなくなることは理解できますよ。人が人を傷つけあう戦場ですから。けれどもB、自分は君自身なんですよ。自分は自分を傷つけない、君の痛みは自分の痛みですから。だから安心して、信用してほしい。それともB、君は自分も信用できなくなったのかい?」

そう言うCの言葉に自分は何故だが得心が入った。そしてCの事を信じてみても良いのではないかという思いが生まれてきた。

そうだ自分とCとは同じなのだ。それならば自分の事も本気で守ってくれるだろうし、何より一身に『功罪』の負債を背負わされたことの辛さも、我が事の様に解ってもらえるはずだ。

そう思い藁をも縋る心境でCの右手を取ろうとした、その瞬間、戦場を割く様に特徴的なオリーブ色の閃光が走り抜ける。

そして爆発の後、人間バリケードを作り上げていた自衛官たちが、爆風によって宙に浮くのが見えた。

爆炎が立つのを唖然としながら眺める先、炎の中を「チョット待ったぁ!」と走り抜けてくる奴がいる。

服の裾を炎で少し焦がし、顔に飛び散った煤を塗れさせてやってきたそいつは、髭を剃ったせいかそれでも少し小奇麗に見える自分Aだった。

「チョット待てよ、B。Cの手を取るのは間違いだろう!」

そう言ってAはCの事を睨み付けてくる。

思わず自分はAの事を呼ぶと、Cは「そうか彼がBの言っていた、もう一人の自分か」と呟く。そして、Aから間違いだと言われたことにイラッとした表情になる。

「間違っているとはなんなんですか。自分は正しい事をしているつもりです」

それを聞いてAがハッ!と吐き捨てる。

「正しいって? 人が死んだり、行方不明になったりしているのを誤魔化していること街が? そんな事はあっちゃいけない事に決まっているだろうが。だからこの街は絶対に壊すべきなんだ。河越は川越に戻らなくちゃならない! それでも、今この街が正しいというのか!C」

「この街のしていることは確かにいけない事だと思います。けれどもいけない事とわかっているなら、それを改めればいいのです。その部分のみを改善する打開策があればいいのです。それなのにそのすべてを壊して否定してしまう方が横暴ですよ、A」

「打開策とか何も考えていないくせに偉そうな言葉を言うんじゃない。それにそれだけじゃあ。『功罪』のせいで人が実際に事故に遭って、最悪死んでしまっていることこそが問題なんだよ。そんな危険なものは一刻も早く取り除いてしまう事こそが、この街のためになることだって何で解んないんだ!」

「確かにそうです。死んでしまった人も居ますし、行方が解らなくなってしまった人も大勢居ます。ですが悪いだけではない、『功罪』には良いものもありますよ。西行寺の『神原』とか菓子屋横丁十字路ですとか、良いものもチャンとあるんです。それならば全部を否定する必要はないでしょう。Aはずっと図書館迷宮に籠っていたから知らないかもしれませんか、結構いいものですよ、この河越と言う街も」

言い争い睨み合う二人の自分。そのどちらも解る自分は何も言えずただ棒立ちになって見守っているだけだった。

川越に帰るか川越に残るか。自分自身ですら意見が分かれている。そして自分も答えが見つけられていない。

いったい何が正しくて何が間違いなのか。再び思考の袋小路に陥る自分を突然近づいてきたエンジン音と誰かの手が連れ去ってゆく。

引っ張り上げたその手の主は、実に楽しそうに笑っていた。

「よう、考え事とは随分と暇そうだな」

暫くぶりに聞くそのセリフを発しつつ振り返るのは何と先輩であった。

何を考えたか先輩はあの場所から自分を連れ出してくれた。

先輩の行動は自分を助けるためなのか、それとも他に何か裏が有るのだろうか。いずれにしても何時までこちらを、後ろを向いたままなのだろうか。

「良いから前を見て運転してください。事故ったらどうするんですか!」

悪びれながらハンドルに手を戻す先輩。自分たちはカブに相乗りした状態で、混乱する戦場を走り抜ける。

後ろから「追え」だの「捕まえろ」だの聞こえてくるが、先輩はアクセルをふかして振り切ってゆく。

だが、目の前には自分たちの道を塞ぐように秘密結社の戦闘員たちがズラリと隊列を組立ち塞がる。

その先頭に立つ男『隊長』が後ろに控える戦闘員たちに号令をかける。

「『大佐』からの命令だ。絶対にこの二人を通すな!」

待ち構える戦闘員たちは何だかヤル気のないような様子はあるものの、『隊長』からの命令のため仕方がないと決め込んでいるのだろう。

だが、そんな脆い人の壁など意に介さないとばかりに先輩はさらにカブを加速させる。

「ヤバいですよ先輩。このままじゃ人身事故を起こしますって」

焦る自分をククク…と不気味に笑った先輩は「心配するな」と下部に取り付けられたタ

ッチパネルを操作する。

それを見て自分は背筋がゾッとする。河越祭りのあの夜から二度とこのマシーンには、乗らないと心に決めたつもりだったのに。

「あんな(ひと)(だか)りはな、相手しないで飛び越えちまえば良いんだよ!」

先輩はハンドルを切ると土手の傾斜へと向かい、斜めに駆け上ってゆく。

そしてコンソールの白いボタンを押すと、カブの後ろから強烈な推進力が生まれ、自分たちを宙に浮き上がらせた。

「アハハハハッハハハハハアハ! やっぱり『グレートカブ』は最高だぜ!」

スピードに乗せられてテンションが上がって(はしゃ)いでる先輩の体にしがみ付きながら、自分は情け悲鳴を上げてしまう。

足元では秘密結社の戦闘員たちが、自分たちの事を見上げながら目で追いかけている。そして見事に頭上を通過、飛び越えられて取り逃がしてしまう。

慌てて追いかけてくる隊長たちの為人(ひととなり)を知っているだけに、少々不憫に思えてしまうが、感慨に耽る間も無くグレートカブは戦場を走り抜けてしまう。

「いったい自分たちはどこへと向かっているんですか」

精一杯叫んで先輩に言えば、先輩は実にアッケラカンと「別にどこでもない」と言いケラケラ笑う。

「逃げているんだから行先は未定だ。強いて言うなれば敵のいないところかな。と言うわけで今思い付いたんだが、ここが隠れ場所としては絶好なんじゃないか?」

先輩が後ろ手で渡してきたのは一本の古い巻物であった。そしてその巻物は自分も何度も目にしている。

「今からそこに突っ込むからさ、地図見てナビは任せたぜ」

そう言って急にハンドルを切ったグレートカブは、土手に設けられた排水口へと向かって走ってゆく。

だがその排水口は他の場所に備え付けられているものがコンクリート製であるのに対し、何とも古めかしい石造りの年季物であった。

そして自分はすべてを理解する。

「また地下に行くんですか!」

その叫びは石壁に反響して何時もより大きく聞こえた。




しばらく地下道を走って先輩はカブを停めた。

地下道に入ったばかりの時は、自分たちを追ってくる叫び声やエンジン音が聞こえていたが、もう聞こえなくなっている。

「どうやら撒いたみたいだな。マッタクしつこいんだよ」

随分と疲れたという表情で先輩は額の汗を拭う。自分もカブから崩れ落ちるように地面へと腰を落としてしまう。

「助かった? みたいですね。ありがとうございました」

とりあえず先輩に礼を伝えるとイイよと手を振ってあしらわれる。

しかし、どうして先輩は自分の事を助けてくれたのだろうか。それに先輩は『ザリバー』である。ならば政府軍に属しているはずだ。

「ああ、あのザリバーね。あいつは俺じゃあないよ。お前と同じように、もう一人の俺がここに籠っている間に作られたみたいだ」

つまりあのオーバーの中身は先輩のBと言うことか。

「さあ、案外俺がB、いや、もっと後かもしれない。なんせ俺は一度、図書館迷宮で死んでいるらしいからな。他にも思い当たる節が有りすぎる」

自嘲する先輩だが「だがよ」と目を輝かせて自分に詰め寄ってくる。

「そんなことはどうでもいいんだ。俺は俺だしね。―――それよりもさっき彼女が言っていたことを、河越を操っているという催眠装置の在り処を教えてくれないか?」

「…?いったい何を企んでいるんです。聞いてもどうせロクな事じゃあないでしょうけれ…」

「いやさ、今回の件はどうにも金の臭いがするんだよな。上手くいけば大金を稼げるんじゃないかとさ」

どんなに外身が変わろうとも、やっぱりロクでもない事を考えていた先輩に、呆れて物も言えなくなってしまう。

催眠装置の場所は絶対に先輩には伝えないでおこうと決め、なおも教えてくれよと足に縋りつく先輩を払いのける。

「つれないな、まあそういうところが、いつものお前なんだけれども。けれどもお前の後に付いていけばソイツに辿り着けるって寸法だから、逃げようとか思うなよ」

以前の様に命綱で結び合おうとする先輩とそれを払いのける自分。狡賢(ずるがしこ)く笑う先輩だが先輩には一つ誤算がある。

「自分はまだどうするとも決めていないですよ、先輩。この街を変えるともこのままにしておくとも決めていないんです」

「どうしてさ?お前にはそれができるんだろ」

信じられないといった表情の先輩に、自分はやっぱり解ってもらえないのかと落胆し、深い溜息が零れる。

「いったいどうするのが一番良いのかが解らないんです。河越を選ぶのか川越を選ぶべきか、何が正しくて何が間違いなのか。それが解らないから自分は踏ん切りがつかないんですよ」

「随分ウジウジした意見だな。お前も他の分身みたいに割り切っているのかと思ってたけれども」

「あいつらは良いんですよ、純粋で。Aは河越に来たばかりのころの自分で、違和感ばかりを感じていたから川越に戻りたいと本気で思っているわけだし、逆にCは河越で一年近くも過ごして良い所も沢山発見し、何よりお嬢さんと付き合うことに決めて出会いの場所になった河越を守りたいと思っているわけです。ですが自分はその途中で投げ出されてしまって結局どっち着かずのまま今ここに居るんです。そんな自分が街の行く末を決めろと言われても、どちらにも決められませんよ」

自分はこのように、真剣に悩んでいるのだが先輩はフーンと何とも気のない返事を返してくる。

何とも素っ気ない返事をされたことが少々頭に来るが、対面する先輩は鼻を穿りながら問い掛けくる。

「お前もいろいろ大変だね。頭の中でグルグル考え込んで。もっと周りを気にせず自分に素直にやったらいいのに。少しは俺を見習ったらどうだ?」

「先輩みたいに自分勝手な人は、先輩ぐらいで十分なんですよ。そうでなかったら街が滅茶苦茶になってしまいますよ」

「そうでなくても今のこの街は滅茶苦茶になっているだろ?今なら別に関係ないんじゃないか。好きなことやってガッポリ儲けようじゃないか」

「また金の話ですか。いい加減、お金以外のこと話しましょうよ」

「そうは言ってもな。自分に正直になると俺はどうしてもお金の話になってしまうよ。それは譲れないものだからね。だからお前から逆に話を振ってくれないか?ずっと思っていたんだが、お前から話しかけられるのって滅多にないように思うんだ。大体話すときもお前の受け身じゃないか」

そうだっただろうか。自分ではあまり意識してはいなかったが、自分は人と会話するとき受け身になっていたのだろうか。

確かに自分は自分から他人に話しかけることを躊躇っていたかもしれない。なにより自分は他人の名前を覚えられなかったのだから、人に話しかけづらいのである。

だってそうだろう?名前が解らなければ「~~さん」と声をかけて相手に振り返ってもらえないのだから。

知らない人ならなおの事、親しい人でも自分はそうやって相手から一歩引いてきたのだと、先輩は指摘している。

「そもそもさ、お前には自分と言うものが無いから色々と他人に巻き込まれるんじゃないか? さっきの話でもそうだが、相手の事を考えていると言っても相手に合わせて動いているだけで、自分から何かをしようとはしていないじゃないか」

自分で何かしたいことが無いから人に頼ってしまう。そして、人に振り回されて自分が酷い目に遭えばその人のせいにする。自分からその人に付いて言っておきながら。そういった悪い癖が自分には有ると先輩は指摘してくる。

「それが悪い事だとは言わないけれど、そればかりだとヤッパリ駄目だぞ。少しは自分の本音について真剣に考えてみたらどうだ?」

先輩に随分と言われてしまったが、自分は一言も言い返すことができなかった。

そもそも自分は自ら望んで自分が何者かを忘れてしまっている。そんな自分から自分を忘れてしまった男が自分のために何かすることができるのだろうか。

では自分はどうしたいのか?この街をどうしたいのか。今一度自分はそのことについて考えてみる。

Aは川越に戻すことを選んだ。彼には河越に未練などなく、むしろ川越に対する郷愁の念しかない。

Cは逆に河越を守ることを選んだ。彼には河越にたくさんの思い出が在り、既に川越は過去の話に成っている。

その中間に居るBこと自分はどちらとも決められずに悩んでいる。

この一年、自分は河越で多くの思い出を作ってきた。先輩、彼女、先生、後輩、オヤッさん。数え切れない人たちとこの河越で笑い合って過ごしてきた。

しかし、自分は川越への未練を捨てきれない。どんなに河越が良くっても、川越と似ていても、ヤハリ自分にとっての故郷は川越しかないのである。

この二つの町を選べと言われても、悩める自分に選べるはずも無い。

いっそのことどちらも選んでしまいたい。それができなければどちらも選びたくはない。

―――どちらも選ばないとしたら、自分は何のために動くのだろうか。

―――街のために動かないとしたら、何のために。

だったら先輩が言うように、自分のために戦えばいいのではないか?と思うのだが、その自分が迷っているようでは仕方がない。

そもそも自分に欲しいものは無いのだ。

財産に走るのはまるで先輩の様で嫌になるし、楽しさを求めるのは今まで何度も痛い目を見てきている。

地位を求めても『大佐』の経験から上手くいかない事は解っているし、愛を求めても今の自分には手に入らない。

故に街を変えたとしても、何かを手に入れることは無いのだろう。だから自分のために戦ったとしても意味が無いのだ。

―――街のためにも戦えない、自分のためにも戦わない。そんな自分に街を変える義理が有るのだろうか。

―――戦うために理由が必要ならば、どうしてもこの二つしか思いつかず、そしてこの二つは既に否定されている。

―――まさか第三の道が有る訳でもあるまいし。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

天啓が有るとしたらその瞬間、自分の身に起こったことこそがそうだろう。

何でこんな簡単な事に気が付かなかったのだろうか。実に自然な事なのに。

街のために戦わない、『自分』のためにも戦わない。それでも理由を求めるのであれば、今の自分にはこのくらいしか行動原理が無い。

だが、こんな事を思いつくなんて、やっぱり自分は捻くれている。

しかしどうしても理由が必要だと、無い知恵を振り絞って考えてみれば、掌に残った絞りカスに気が付いたようなものだ。

我ながら、なんてことを思いつくのだろう。自分と言う人間が本当に信じられなくなってしまう。

すると先輩が静かにするようにと仕草で示す。次いで指差す先からは、石畳を歩く幾つもの足音が近付いて来るのが聞こえる。

どうやら追手がすぐそこまで来たようだと悟った自分たちは、気付かれないように気配をなるべく消して地下通路を進んでゆく。

隠れるように道を選んで地下通路を進んでいった先。そこには懐中電灯の光も向こうの端に届かないような広い空間が存在しており、何処からともなくサラサラと水の流れる音が聞こえてくる。

「どうやら『七ツ釜地底湖』までやってきたみたいだな」

先輩が言うように、自分たちはつい昨日まで足繁く通っていた地底湖に再びやってきたのである。

思えばこの地底湖には、随分とお世話になったものだ。

なにせ、ここは地下生活で重要なタンパク源となっていた川魚の漁場であり、もしその川魚を食していなければ、自分たちはやせ細ってしまい、今日こうしてまともに逃げることも出来なかっただろう。

しかし、一度地上に出たせいであろうか、昨日も来たというのに妙に懐かしいような気分にさせられる。

感慨に耽る自分を先輩が促したところ、突如として大空洞を埋め尽くすほど、眩い光が現れる。

太陽でも生まれたのではないかと思うほどの光に目の前が霞む中、空洞のすべての出入り口から数えきれない足音が駆け寄ってくる。

光に怯まされ訳も解らず動揺していると、自分はいとも簡単に、幾つもの手によってうつ伏せに組伏されてしまう。

そして自分が目にしたのは、百人規模の黒タイツ集団とその中央で彼らを率いるように立つ軍服姿の一人の男、そして出っ歯の青年であった。

「作戦通りですね。さあ、無駄な抵抗を止めてすべてを話してください」

見下す様に立ったまま話しかけるCに「作戦だと?」ともがきながら問いただす。

「そうです。自分は君をここまで誘導したんですよ。通路に戦闘員を配置して逃げ道を絞らせたんです。そして、この大空洞までやってきたら後は強い光で無力化してしまえばこっちのものですよ」

ドラマのロケなどに使うような馬鹿でかい照明を指さしながら、サングラスを取るCは満足げな表情をしている。一方、嵌められたと知った自分は心底悔しがったものだが、こう抑え付けられていては地団太を踏むこともできない。

せめて眼だけは負けを認めないでやろうと、Cの事を睨み付ければ、その隣から一人の小男、後輩が歩み寄ってくる。

「お久しぶりです、兄サン。…いいえ、『元』兄サンと呼んだ方がいいでしょうか?―――しかしなんですね、僕はいつもそこの兄サンと会っているのに。本当にヤヤコシイことに成ってますよ」

Cを指して苦笑いする後輩は「さて」と真顔に戻って話を続ける。

「もう知っていると思うのですが、こちら兄サンは自分の妹と付き合っているんですよ」

改めて言われると何とも実感のわかない事実である。しかし、それが自分ではなくCなのだと言われれば、我が事ながら(ひが)み根性が働いてしまい、悪態を吐くように「それはお目出度うございます」と感じ悪く言ってしまう。

そう言われた後輩は一瞬ムッとした表情になるが、表情を戻して話を続ける。

「そうなんです、実に目出度い事なんです。兄あにサンが本当の義兄にいさんになってくれるなんて、こんなに喜ばしい事が有るでしょうか」

腕を広げて喜びを表現する後輩は、その顔に満面の笑みを湛えている。そんなに自分の事を慕っていてくれたことに嬉しくもなるが、今は後輩の尊敬が自分には向いておらず、あくまでCに対しての物なのだと痛感させられる。

「ですから僕はこの幸せを守りたいんです。何よりそうすることが最も妹のためになる事なんです。クリスマスの夜に泣き暮らしていた妹を見て解ったんです。本当にアイツは兄事を思っていたのだと。妹にはアイツを愛してくれる兄サンが必要なんです。だか兄サンがその気持ちに答えた時の嬉し泣きをする妹の顔を見て、僕はこの二人の幸せを守ろうと決めたんです」

力説する後輩。握る拳に力が籠り、口調も次第に強くなってゆく。

「ですから、どうかお願いします。愛する二人のためにぜひ催眠装置の在り処を教えてく。二人の愛を永遠にしてやってください」

そう言って後輩は平伏する。自分と同じ高さにまで下げられた後輩の頭を見ると、どれだけ彼が真剣にCとお嬢さんとのことを考えているのかを如実に表しているようであった。

「と言う訳です。妹を思う兄の心、実に涙を誘う話じゃないですか。もし貴方に人を思う気持ちが有るのなら、きっと涙を流すことでしょう。そして、さあ!泣くのなら観念して催眠装置の場所を教えてください。河越で過ごす自分とお嬢さんとの輝かしい未来のために!」

厚かましく自分に迫ってくるC。未だに頭を下げたままの後輩。相変わらず抑えつかられたままの自分。

もはや希望は潰えたか。

唯一の仲間である先輩も戦闘員が山に成るほど圧し掛かっているため、ウンともスンとも言いやしない。

もはや一縷の望みも無し。

諦めかけたその時である。自分たちが通ってきた大空洞に通じる入口の一つから猛るエンジン音が響いてくる。

この聞き慣れたエンジン音はカブの音。そう耳で認識した瞬間、一台のカブが大空洞へと走り込んでくる。

そして運転していた男はヘルメットを取り払い一息吐くと「追いついたみたいだな」と不敵に笑う。

その男の顔を見るなり自分とCは苦い表情になる。

「何しに来たんですか、A。それにどうしてここが解ったんです」

憤るCだが対するAは「そんな明るいものが有ったらすぐに解るだろうが」と馬鹿でかい照明を指さした。

「それに他の行く手は君の所の戦闘員が塞いでいたから、ここまで迷わずに来れたってわけだ。道案内とは気が利いているじゃないか」

策士策に溺れるとはこの事か。自分の立てた作戦で招かれざる客までおびき寄せてしった事実にCの歯噛みする音が聞こえてくる。

「さてC、自分もBに用事が有るんだよ。むしろ自分方がC、君よりもBを必要としているくらいだから、Bをこちらに引き渡してくれ。見る限り彼も嫌がっているじゃないか。なあ?」

AはCへ頼み込んでいるようなものの、どこか内側に隠しきれないほどの高慢な気持ちが語気に交じって感じ取れる。

それに触発されたためか、それとも同族嫌悪によるためか、Cの行動もまた高圧的になってゆく。

「随分な物言いですね。解っているんですか?今の状況を。周りを見ればわかるでしょう。君は一人、自分たちは大多数。戦力は圧倒的に自分たちの有利です」

Cが手を掲げれば取り巻いていた戦闘員たちが一斉にAを取り囲む。多勢に無勢な上、向けられた銃口がAの圧倒的な不利を決定付けている。

しかし、A本人は至って余裕の態度を崩さない。それどころかその顔には薄ら笑いさえ浮べている。

そんな異様な雰囲気を醸し出すAに自分もCも恐怖の様なプレッシャーを感じる中、Aは先ほど入ってきた道を確認しながら「そろそろか」と呟く。

不審な動きをするAに突き付けた銃が音を立てる中、Aの視線が向かう入口が突如として爆発を起こした。

いや、弾け飛んだという表現が良いかもしれない。その入り口は爆炎も閃光も出すことが無く、何か目に見えない大きな物体が通路の向こう側からぶつかって来たために跳ね飛ばされたかのようであった。

そのような怪現象に誰もが言葉を失う中、大空洞に絶叫が上がり始める。

戦闘員たちが何かに跳ね飛ばされている。まるで自動車事故に遭ったかのように、目の前で人の体が斜め上に飛んでいくのである。

しかし、ぶつかってくるはずの存在が全く見えない。まるで固い空気がぶつかっているような光景である。

そのため戦闘員たちが勝手に盛大に吹っ飛んでいるような、そんな実に不自然な光景が繰り広げられる。

だが自分はこの現象を起こせる存在を知っている。その自分の推測を裏付けるように見えない脅威の在るであろう場所にはオリーブ色をした光球がミョマミョマと音を立てながら成長し、やがて一条の流れになって放たれれば爆炎と閃光が発生し、先ほどとは比較にならないほどの戦闘員たちが宙を舞う。

そして混乱乗じて戦闘員たちの手から逃れた自分と先輩が目にしたのは、一通り秘密結社を蹴散らしたのちユックリとAの背後で姿を現してゆく『それ』のあまりにも威圧的な姿であった。

「これで形勢逆転だな、C。まさに圧倒的戦力差だ」

高笑いをするAの後ろで『それ』のコックピットが開く。中から顔を出したのは先ほどと変わらず先生と朋友であった。

「おい、無事かね?助けに来たぞ」

Aの事を気遣う先生に、彼は「助かりました。計算通りですね」と愉快そうに手を振って応える。

先生と一緒それに乗り、その上運転までしていた朋友が安心しながらも、少々呆れた顔を出した。

「しかし、お前も無茶をするよな。俺たちが道にお前が落としていった目印のケミカルライトに気が付かなかったらここまで来られなかったんだぞ」

「それは何より君の事を信用しているからよ。君なら自分の意図をくみ取って必ず助けに来てくれると確信しているのさ、朋友」

照れくさそうに頬を掻く朋友との会話を「さて」と切り上げて、Aは徐に自分の方を向いてくる。

「もう解っていると思うが、抵抗しても無駄でだぞ。大人しくこちら側に来てくれないか。自分は自傷行為をするつもりは無いから。だが、やむを得ない場合、その場合には自分は実力行使せざるを得ない。そこら辺解ってくれるよな? B。そうで無いと自分まで理解力に乏しい人間にされてしまうからよ」

これは命令である。そのような口調で自分を連れてゆこうとするAに対し、自分はただ恐れ戦いて言葉も発することができないでいた。

現状、自分は圧倒的に弱い立場に居る。違いとしては『それ』がAの側に付いているというだけなのだが、それだけでAは相手に有無を言わさぬ絶対的な交渉のカードを持っているということに成る。

それを思うと今更ながら先ほど疑心暗鬼に苛まれて、ついつい朋友を見限ったのは失敗であったと痛感する。

彼があの最終兵器のコントローラーを握っている限り、彼を味方につけたら向かうところ敵なしといった具合になることを、その時分パニック気味の自分は完全に失念していたのである。

しかも朋友は普段からゲームオタクと豪語しているだけあって、異様に『それ』の操作が上手い。その証拠に最前から彼はまるでサーカスか曲芸の様な、変態的な玄人裸足の作を『それ』にさせている。

それを見ているとこの街で朋友以上に『それ』を上手く動かせる者はまず居ないだろうとさえ思えてくる。

そしてAの『友達は大切にしないとダメですよ』とでも言いたげな、得意満面のしたり顔を見るとより一層後悔の念が込み上げてくる。

そうしてその場で踏み止まっている自分に業を煮やしたのか、Aは自身からこちらに近付いて来る。

このまま自分はAに利用されるのか。いい加減観念した自分の目の前で一発のロケット弾が自分の横を掠め、『それ』を目掛けて飛んでゆく。

川原での一件が有るためか、今度は油断なくローリングで躱した朋友が見据えるのはロケット弾の発射地点。そこには体制を組み直した秘密結社とCが各々重火器を構えている。

「あくまでやると言うのか。C」

「もちろんですよ、A」

睨み合う自分と自分。取り残された自分Bが固唾を飲んで見守っているところを先輩が肩に手を置く。

「いったいどういう状況なんだ、これ? 随分とカオスな状況になっているな」

「自分でももう収集付かないような感じになって、もう訳が解らないんですよ。これって何とか見て見ぬフリできませんかね」

「無理だろう。目の前でこんなにドンパチやってんだから」

先ほどから自分たちの事を放っておいてAとCは熾烈な争いを始める。

弾薬がドンパチドンパチ豪勢に飛び交う中、『それ』は壁走りやウィーリー走行、三角跳びやバク宙など、車輪で走るはずの『それ』をどう操作したらできるのか解らない動きで尽く躱してゆく。

『それ』に搭載された特殊機能『透明化を駆使することによって、『それ』への被弾率は著しく低下している。

ならばどうやって秘密結社の戦闘員たちは『それ』に狙いを付けているのかと思うが、それはさすがに自分Cである。

Cは『それ』が地面に残した轍と、動く際に聞こえてくるあらゆる音から位置を予想し、戦闘員たちに指示を出しているのである。

また、退避も迅速であるため、戦闘が始まってからまだ誰一人度して『それ』にやられた者は居ないようである。

なかなかの指揮だなと我ながら感心してしまう。まあ、Cならば『それ』と真っ向から戦った経験もある訳だから、当然と言えるだろう。

だがこんな所に長居をしていても仕方がない。幸い邪魔者たちはお互いに潰し合いを繰り広げているのだ。

ならば気付かれずにこの場を去るのが賢明だろうと、自分は先輩と共にコソコソと出口へと向かう。

し かし世の中そう上手く事が運ばないもので、出口にはカブに乗ったAに先回りされてしまった。

「いったいどこへ行くだ。逃がすわけがないじゃないか」

その強硬的な姿勢に後退る自分と先輩を見据えるAは、秘密結社の相手を敷いた朋友を呼び寄せる。

「朋友、秘密結社はどうでもいいんだ。それよりもBを捕まえることが先決だ。奴らに構ってないでこっちを頼むぞ」

「心得た!」

その言葉を受けて『それ』がこちらの方へと走り込んでくる。しかし依然としてその姿は見えず、異様なプレッシャーのみがその接近を証明している。

しかも、『それ』の軌跡を追って、秘密結社の銃弾までもこちらに向かって飛んでくるのだから堪らない。

先ほどまで傍目から眺めていた戦いが丸々こちら側にやってきた。それらの中を縫いながら逃げ惑うのは本当に骨が折れる。

「おい!これはいったい全体どうしたことだ!奴さんたち全員俺たちの敵に成っちまったぞ。何とかしろ!」

「そんなこと言ったって、先輩。逃げるだけで精一杯ですよ」

それでも何とかしろと言う先輩に、内心では無茶だと悪態を吐きつつも、本当に何とかしないと自分までやられてしまう。

そんなとき、銃声と『それ』の駆動音が響き渡る中、負けないくらいに薄気味悪く馬鹿な高笑いが聞こえてくる。

「あれはなんだ? 鳥か? 飛行機か? いや、『ザリバー』だ!」

どこの誰が叫んだか解らないが、声がする方向を振り仰いでみれば、そこにはヒーローが立っていた。

どうやら中の人の能力なのか、金の匂いを頼りにここまであの複雑な地下通路を通って来た様である。

『ザリバー』は腕を組んで岩の上に立っていた。

煙とバカは高い所に上るものと昔から決まっているものらしく、カッコ付けているつもりらしいがその姿は実に締まりがない。体型が球形だからさらに締まらない。

「話は聞かせてもらった。さあ催眠装置の場所へ案内してもらおうか」

飛び交う流れ弾から必死になって逃げ回っているのに、さらにヤヤコシイ野郎が出てきてしまうだなんて…。

しかもなんだかザリバーは、こちらを見下し気味であり、ついつい不快感が上乗されてしまう。

あまりにムカ付いたんで転がっていた石を投げつけてやれば、バランスを崩したバカが地面に落ちてくる。

「見事に命中したな。河越祭りの時から思っていたんだが、お前って結構コントロール良いよな」

「的がデカいですからね。見て下さい、あの締りのない球形の体を。あれでヒーローだというのですから子供の夢をぶち壊しですよ」

「あんまり責めないでやってくれるか。俺にとっちゃ他人事ではないんだから」

頭を打ったのであろうか。未だに地べたで伸びっているザリバーを見つめながら、自分は擁護する先輩に、いかにザリバーがダメな存在なのかを切々と説明し続けた。もちろん弾を躱しながら。

「そもそもセンスが無いんですよ。何ですか?『ザリバー』って。ヒーローっぽくすれば子供に受けると思っているんですかね。そもそもヒーローをやる方もどうかしているんですよ」

「そう言うなよ。あの人たちは命を懸けて街のために戦っているんだから。子供たちもそんな姿に憧れるからヒーローが必要なんだろ」

「でもたった一年だけなんですよ。チャンと解ってますか?この国のヒーローの寿命は長くても一年だって。たぶん一年たったらどんなに応援していた子供たちだってヒーローを忘れてしまうんです。そして新しいヒーローに乗り換えるんですよ。それの繰り返しです。まるでピエロじゃないですか。飽きっぽいこの国の未来のためにたった一年だけ戦うだなんて、自分は絶対に願い下げですね」

「けれども誰かがやらなきゃならないんだろ?必要とされているからヒーローは戦うのだろう。だったら素直に応援してやれよ」

「応援はします。でも自分がやるのは絶対嫌だということですよ。誰かがやらなきゃならないのなら、誰かがやってくれってことですよ。自分は絶対嫌です」

「あんまりそう言うなよ。ほら、あそこでヒーローがいじけているから」

見ればそこにはザリバーが膝を抱えて俯いている。

「まったく見ちゃいられないですね。萎れているヒーローだなんて、目も当てられないです。流れ弾にやられてしまえば良いのです」

「もうちょっと気に掛けてやろうぜ。どうしても他人事に思えないのだが」

「何を言っているんですか。ザリバーは先輩じゃないんですよね。これは本人の口から何度も聞いていることですよ」

ならば気にすることも無いではないですか、と先輩を諭すが先輩はそれでも憐みの視線をザリバーに向けている。

「まったく、憐れんでもらっているヒーローだなんて…いじけるのなら路地裏でやってもらいたいですね」

するとどうしたことだろうか。目の前でしょげていたザリバーが急に立ち上がって怒鳴り散らしてくる。

「……うるさい!そこまでボロクソに言う必要ないじゃないか。―――もうヤケだ。この街をヒーローが必要な街に変えてやる!悪人(ヴィラン)だらけの世紀末にしてやる!」

トンデモナイ事を言い出す正義の味方だ。自分の存在価値を高めるために街ごと世紀末にしてしまおうだなんて。なんとも恐ろしい規模のマッチポンプである。

「ほら見ろ、言い過ぎなんだって。奴さん自暴自棄に成っちまったじゃないか」

「…怒りに任せて言い過ぎましたね。ちょっと失敗です」

「大失敗だよ…」

躍り掛かってくる『ザリバー』は、怒りに任せて宛ら野生の獣の様である。

動きもまたそれに然り、球形の体とは思えない素早さを誇る。

『それ』も『ザリバー』も秘密結社さえも自分の敵となってしまった。四面楚歌、八方塞なんてものじゃない。

しかし敵が入り乱れるこの戦場。敵の敵もやはり敵同士である。

実際に『それ』と『ザリバー』は激突している。

「コイツ!邪魔をするのか」

すでに見境が無くなっているザリバーは、まず手近な『それ』から片付けようとする。

「何クソ! 冗談みたいな格好しやがって!」

一方の『それ』も急に襲い掛かってくる『ザリバー』と凄まじい戦いを始める。

跳ねて、躱して、突っ込んで。銃弾が飛び交う中でヒーローと機動兵器とが暴れ回っている。

この河越の二強とも言うべきマッチメイキングは、傍目から見ればかなり見ごたえのあるものだが、その二人に自分は狙われているので心穏やかではない。

逃げようとしても即座に察知されてしまう。

だったら自分で何とするしかない。それしか自分が助かる方法は無いと考え、使える物を探して辺りを見舞わす。

ここは地下通路にある七ツ釜地底湖。其処に広がる大空洞である。こんな所に何か使え物が有るのか?

そう考えながら戦う二強を見たその時、『ザリバー』は『それ』に弾き飛ばされて、七ツ釜地底湖に水しぶきを上げながら突っ込んで行く。

どうやら二強の戦いは『それ』に軍配が上がったらしい。

そして邪魔者を排除した『それ』のメインカメラが、ゆっくりとこちらを捕らえたので、自分は大いに危機を感じて縮みあがる。

今、この状況で自分たちを狙っているのは『それ』だけになったのである。

秘密結社の銃弾は自分たちを狙ったものではなく、『それ』が躱すために飛んできた流れ弾を、自分はそれのトバッチリを受けているだけなのだ。

だったら、ちゃんと当てて欲しいと願うものの、朋友の変態的操作により躱されるうえ、『それ』が透明化しているために狙いが定まらないのが大きい。

ならば透明化さえなんとかできないかと思えば、お(あつら)え向きの物を思い出す。しかも秘密結社の現状と『ザリバー』の中の人の事を考えれば、あるいは…。

「先輩、ご希望通り何とかしましょう」

先輩もこれは予想外だったらしく念を押してくる。

「本当か?本当に『それ』を倒せるのか」

「『それ』だけじゃありません。秘密結社も『ザリバー』もひっくるめて何とかしてみせますよ」

言い切る自分に半信半疑な先輩。しかし先輩の顔が、この後青ざめるであろうことを考えると少々悪い気もして説明は省くことにした。

「何をゴチャゴチャと話しているんだ、B。いい加減に観念しろっての」

Aの言葉に煽られたのか、『それ』の攻めが以前にも増して厳しくなる。攻めを掻い潜りながら、自分は先輩と別れて別方向へと走り出した。

向かう先にあるのは先輩が乗ってきたグレートカブ。この作戦には欠かせないアイテムである。

辛くも辿り着き、スタートを切ればその後を追って『それ』が迫ってくる。

―――そうだ、その調子だ。追ってこい、朋友。

自分は誘うように、真っ直ぐに走り続ける。次第に近付いて来る『それ』の気配と車輪の音。より激しさを増した銃弾の雨。

そして向かう先にある山積みになった木箱。これこそが自分たちの起死回生の切り札である。

自分は勢いをつけて、グレートカブを木箱の山を駆け登らせてゆく。一方の『それ』は山を登ることなどしない。

朋友もモニター越しにこの山が木箱を積み上げたものだと確認したのだろう。だったら突っ込んで崩してしまえと思ったに違いない。

だがそれは自分の思惑通り。

その証拠に、『ソレ』が突っ込んだ拍子に、勢いに乗って空中に投げ出された自分の目の前で、バラバラに砕け散った木箱の中身が宙に舞いあがる。

そうとは知らない『それ』は打ち取ったとばかりに、ロボットアームを空中に投げ出された自分目掛けて伸ばしてくる。

その光景は、自分の目にも今まさに自分を捕まえようとする機械の腕が迫っているのがハッキリと見える。

―――そう、ハッキリと見えるのだ。

自分の目の前で『それ』の透明化が消えかかっている。

まるで古いテレビにノイズが走る様に、曲がった虚像と実像が、雑音を交えながら交互に映し出されている。

「いたぞ! あそこだ!」

見えてしまえばシッカリと狙いが定まったらしく、空振りばかりであった弾丸が直撃すると『それ』は大きく仰け反った。

見つめるコックピットの中には、事態を把握しきれていない朋友の焦った表情が見受けられる。

なるほど、アイツは『それ』の唯一の弱点を知らないのか。

朋友は河越祭りの最終決戦の際に、一人だけ戦列を離れていたため、あの時の作戦を知らずにいたのだろう。

朋友の知らない『それ』の弱点。それは金属片が宙を舞う中だと透明化を維持できなくなるというものである。

正確な原理はよく解らないのだが、彼女の話では金属片が光線を屈曲させている電離層を乱すために透明化が解けるらしい。

だが原理は知らなくとも使えさえすればいい。

実際に河越祭りの折には金属片としてアルミホイルの切れ端を使ったり、また偶然にも雨に溶け込んだ塵や灰が電離層を乱したがために、『それ』の透明化を攻略することができたのだ。

では、こんな地下深く、地底湖の広がるだだっ広い大空洞で金属片の代わりを成す物とは何だったのだろうか。

それはジャラジャラと音を立てながら落ちてくる黄金色の金属片、先日地底湖の底からサルベージした徳川の埋蔵金、その大判小判である。

黄金色に輝く金属片たちが目にも鮮やかに舞い落ちるさまは、まさに大盤振る舞いと言える光景である。

そして、それらの金属片たちが『それ』の隠れ蓑を掻き乱し、黄金色の光が『それ』を照らし出している。

こうなってしまえば丸見えで、不意を突かれたこともあり、今の『それ』は格好の的となっている。

集中砲火に足止めされて身動きの取れない『それ』にケリを付けるため、着地した自分は近くに墜落していたグレートカブへと駆け寄る。

そしてアクセルを全開にまで吹かし、カブにゼロヨンさながらの排気音を唸らせる。

ブレーキは効かせたまま、有りっ丈の力をカブに溜め込ませ、自分は『それ』のコックピット部分に狙いをつける。

狙う先には朋友と先生の姿が見える。このまま突っ込めばこの二人はただでは済まないと思い、自分は精一杯の声で二人に向かって叫んだ。

「上手く脱出した下さいよ!」

言い終わった次の瞬間。自分はブレーキを解放する。

カブの中に満ち満ちた力が一気に解放され、跳ね上げるように飛び出してゆく。

最初からタコメーターは振り切っており、勢いに負けて振り落とされそうになるのを必死に堪えてしがみ付く。

そして、ダメ押しとばかりにタッチパネルの白いボタンを押しこめば、『グレートターボ』により突如生まれた推進力にカブが自分を置いてきぼりにして飛び出してゆく。

矢の様に飛んで行く先は定めた狙い通り、強化アクリルで覆われた『それ』の操縦席ど真ん中である。

信じられないスピードで飛び掛かるカブが『それ』に激突するのは、緊急脱出装置により朋友と先生が飛び出した一瞬後の事である。

爆弾でも傷付かない、さしもの『それ』であっても、操縦席にまでは装甲が施されているわけがない。

配線やら電気系統やらを滅茶苦茶にしながら突っ込んだカブは、そのまま内部の動力計まで入り込む。

そして一瞬の沈黙の後、『それ』はまるで力尽きるように機能停止した。

盛大に爆発するでもなく、ただ静かに。

『それ』の最期は『命尽きる』という言葉があまりにも似合う姿であった。

一方のAは信じられない光景に空いた顎が塞がらない様子であった。

まさか切り札の『それ』が呆気なくやられてしまうなんて。まったく予想だにしない出来事に志向が現実を受け入れないといった表情をしている。

そしてそれを成し遂げたのが、こともあろうに自分Bであったことに大きなショックを受けているようであった。

「おらぁ! コンチクショウ!」

あまりに無防備だったため、自分はAの塞がらない顎に向けて渾身のアッパーアットをたたき込む。

Aが怯んだところを前蹴りでマシンから叩き落とし、Aの乗っていたグレートカブを奪い取る

これに乗って逃げるべく先輩を探せば、雑踏の中、先輩は当初の予想通り、顔面蒼白となっていた。

「先輩! どうしました!? 逃げますよ」

「あわわ、わわ…」

しかし想像していた以上のあまりの動揺のその様に、思わず自分もやり過ぎたかもしれないと、小指の先ほどの申し訳なさがこみ上げる。

すると。今度は湖の方からザブリと盛大な水しぶきを上げて、何者かが飛び出してきたではないか。

「ウヒャヒャ!カネだ!小判だ!大判だ!天からのお恵みだぁ!」

飛んできた肉団子こと『ザリバー』は、降る雪に燥はしゃぐ子供の様に、舞い散る大判小判を掴み取る。

既にその頭の中には河越を世紀末にするなどという物騒な考えは無いらしく、目をドルマークにしながら一心不乱に小判をかき集め始める。

「!おいそれは俺んだ。一枚たりとも誰にもやらん!」

呆けていた先輩も事態を把握した途端、血相を変えて小判を拾いに行く。

先輩はその先で『ザリバー』と取っ組み合いの喧嘩を始める。肉団子同士が揉みくちゃになっているのは見ていて暑苦しい。しかも、金を巡って争い合うのは実に見苦しい光景である。

そんな先輩に見切りをつけてその場から立ち去ろうとする自分。それをCが目ざとく見つける。

「! Bが逃げるぞ。皆、奴を追うんだ!」

逃げる自分はいち早く見つけ指示を出すCだが、どうしたことだろうかその言葉に誰一人として従おうとしない。

「何をしているんだ!早く追わないか」

憤りながらも命令をするCだが帰ってくるのは白い眼ばかりである。

訳が解らなくなり狼狽えるCに『隊長』が小判を拾いながら背中越しに答えた。

「『大佐』、私たちはもう貴方に従うなんて真っ平です。貴方は自分の権限を乱用して女のために戦闘員を動かしました。しかも敵対する軍勢と一緒になるなんてほんと同化しているとしか言えませんね。ですから私たちはもう好きにやらせてもらいますよ。それにこんなに金が有るんだ、拾わない訳が無いでしょう?」

これまた予想通りになった。最前から私利私欲のために兵を動かしたCに対し戦闘員たちには鬱憤が溜まっていると踏んでいた。

ならば、それを利用しない手はない。そこで埋蔵金の出番である。

不満のある現状に対して、もっと良い条件を提示してやれば、自ずと人の心は物の場所から離れてゆく。

その方法として大判小判を撒き散らすことで、戦闘員たちを誘惑したのだが、その食付き方は思いのほか絶大であり、不満は想像よりもはるかに大きなものだったのだろう。

我ながら、Cがあまり人から信用されていないようで少し悲しくなる。

当の本人であるCは、誰もが埋蔵金拾いに夢中になる光景を目の当たりにし、絶望したのか膝から崩れ落ち、両手を突いて前のめりになる。

心配して駆け寄る後輩だが、あまりにも打ち拉ひしがれるCの姿に掛ける言葉も見つからず、ただただ黙って見守っているだけである。

「頼むよ…皆、自分の話を聞いて下さいよ…。いい加減、自分が幸せになってもいいでしょうが…」

Cの悲痛な叫びが嗚咽と共に聞こえてくる。

やはり他人事でないためか、胸を掴まれるほどの感情が押し寄せてくるが、自分放すべきことをするために心を鬼にし、振り返らないためにカブのアクセルを入れた。




市役所前の大通り。そこに在るマンホールが下から持ち上がる。

中からひょっこり顔を出した自分の頭上をトラックが走り去ってゆく。

スレスレで躱し、再び顔を出した自分は、その足で自分は時の鐘までやってくる。

この街のシンボルにして、街の時間をすべて掌握しているこの鐘こそが、河越と言うイカレた街を作り出している現況なのだと思うと、この鐘を見る目が今までとはまったく変わってしまう。

ならば、早々に自分の成すべきことをしようと、塔の上にある金を目指すため、自分は時の鐘の梯子に手を掛ける。

一段一段梯子を上り、鐘が収められている部屋の扉を開けた自分は、その中の様子にギョッとしてしまう。

四方を窓の無い壁に囲まれているのだが、一面にモニターが埋め込まれているのだろうか、その壁が原色ギラギラに、様々な色で明滅しており、空間が歪んでいるのではないかとさえ錯覚してしまう。

非常に目に悪いこの部屋の中に、古めかしい梵鐘が吊り下がっているのだから、何とも異様な光景である。

思わず吐き気を催す自分だが、それでも操作パネルまで何とか辿り着く。

「こいつがコントローラーか」

ここでセッティングを変えればこの街を思いのままにできる。そう思うと黒い考えが湧き上がってきて酷い笑顔がモニターに映し出される。

しかし、自分のするべき事は既に決まっている。先ほど心に決めている。それに合わせて催眠装置の設定を変え始める。

自分の思い描く願いが叶うように祈りながらコントロールパネルを操作すれば、部屋の原色もその都度ガラガラと変化してゆく。

色が変化していく様は、さながら街を作り変えているのを如実に表しているようであり、自分の好きな色に合わせて鐘を鳴らすだけで、この街はガラリと色を変えることを示しているようであった。

そして、装置と格闘すること十数分、残すは最終調整のみとなったその時、自分は不意に足を滑らせて梯子の掛けられた床の穴から真っ逆さまに落ちてゆく。

落ちてゆく自分と目が合ったのは、梯子に取り付いた男の不敵に笑う顔であり、自分はその顔に見覚えがあった。

「!A」

自分は自分Aに引き摺り下ろされた。Aが自分の足を掴まなければ自分が入口から落ちるはずもない。最後の敵はやはり自分であった。

しかしタダでは落ちるつもりはない。落ちるのならば道連れと、Aの足を掴めばもろともに落ちてゆく。

二人とも地面に激突し、苦痛に悶えながら立ち上がる。

「探したぞ、B。それこそ血眼になってな」

「邪魔しに来たんですか、A。そんなにこの街を川越に戻したいんですか」

目の前のAを睨んでやればAは「そうだ」と力強く答える。

「この街は元に戻るのが正しいに決まっているだろう。それにこの街が道を踏み外したのが自分のせいなんだと言うのなら、元に戻すのが自分の責任だろう。それ以外に何をすべきだと言んだ?」

頑として川越に戻すことを諦めようとしないA。

そんな彼が自分に問いかけてくるのは、自分が何のために街を変えようとしているのかと言うことだった。

「B、お前は一体何のためにあの鐘を鳴らそうというんだ? 思えば自分はお前が何をしようとしているのか聞いていない。もしも君が川越に戻すためあの鐘を鳴らすのならば、協力は惜しまえない。―――だが、もしお前がCと同じく河越を存続させるために鐘を鳴らすのなら、自分は全力でお前と戦うことになる」

Aは真剣に、様子を窺うように視線を逸らさず自分を見つめてくる。

ならば答えてやるしかない。

自分が鐘を鳴らすために必死に考えたカスみたいな理由を。自分は背筋を伸ばしてAを見定めた。

「自分は、自分の…いえ、『自身』のために鐘を鳴らします」

自分ではなく『自分』を演じる『自身』のためにこの街を変える。それが自分の出したこの街に対する答えであった。

今の自分は元からこの街に居た自分というモデルを演じる赤の他人である。つまり自分には元々『自分』ではない誰かの人生が有ったはずである。

そこには家族も居たであろうし、大切な友人も居たであろう。また仕事をしていればそこでの人間関係も有ったはずである。

自分はそれに戻るために鐘を鳴らす。昨晩Cとの対話の後、彼女から真実を聞かされた後に出した答えこそがこれである。

「つまり『我に帰る』と言うことですよ。解りますか?A。自分は『自身』を思い出すためにあの鐘を鳴らすのですよ。あの鐘は河越のために鳴ってきました。けれどそれによって何の関係もない人を河越に閉じ込め続けてきたんです。『河越』という街を存続させる、ただそれだけのために鳴り続けてきたんです。ですから自分はあの鐘を鳴らすんです。あの鐘が自分のために鳴らないのなら、自分があの鐘を鳴らしてやるまでです」

「それでどうなる。君が『我に返った』としてこの街はどうなるというんだ。他の人たちはイッタイどうなってしまうんだ?」

確かにあの鐘を鳴らせばこの街は変わる。川越にも河越にもできる。

ならこの街はどうなってしまうのだろうか?その答えは自分にも解らず「さあ?」と肩を竦めるしかなかった。

「それはやってみないと解りません。川越に戻るかもしれませんし、河越のままかもしれません。もしかしたらどちらでもない街に成るかもしれません」

自分の答えにAの顔が見る見る紅潮してゆく。

「そんな無責任な! 君はこの街がどうなっても良いから自分のためにやろうだなんて、本当にそんな事を思っているのか?」

「言い方が悪いですね。別にどうなっても良いと思っているわけではありません。ただどうなるかが解らないだけでしょうが」

「それを無責任と言うのだ。もしかしたらこの街がさらに悪い街に成るかもしれない。それなのに君は自分だけのために街を変えるのか!」

「それでも自分は本当の家族に会いたいですし、本当の友達にも会いたいのです。それは間違いなのですか? 自分はもう『自分』を演じるのはウンザリなんですよ」

「―――そんな自分勝手ぇ!」

言い争いがピークに達した時、Aはついに自分に殴り掛かってきた。

Aの右をモロに食らった自分は一瞬だけ目の前が暗転する。

衝撃のあまり跳びそうになる意識を奮い立たせて、次に飛んできた左を躱し、仕返しとばかりにAの鳩尾に拳を叩き込む。

「ッッガ!」

前めりになったAの後頭部に拳鎚を入れ、倒れ込むAを置き去りにして自分は梯子へと駆け寄ってゆく。

 ―――今の内に鐘を鳴らすんだ。

何はともあれあの鐘を鳴らせば決着する。すべてが終わるんだ。

そう思って早く鐘を鳴らそうと、自分は梯子をよじ登る自分の足を捉えたのは、やはりAであった。

そのまま引き摺り下ろされた自分は、地面に叩き付けられてしまい、Aに馬乗りにされて左右から蛸殴りの目に遭う。

ガードをしようにも両腕はAの足で固められている。無防備な顔面は降り注ぐ拳の雨のために、自分の顔からは血が流れ出し、所々腫れ上がる。

その様子があまりにも凄惨だったためか、次第に自分たちを遠巻きに囲むように野次馬たちが集まりだす。

しかしそれはたかが野次馬。是非こちらとしては助けて欲しいと願うものの、巻き込まれることを恐れた観衆たちは、ただただ眺めるだけであった。

次第に自分の意識が薄れてゆく。やがて痛みも感じなくなってゆき、目の前も朦朧と霞が掛かったようになる。

そのことを察したためか、Aは止めとばかりに拳を高々と振り上げる。

それを見た瞬間、自分はもうダメだと直感した。

自分の希望はここまでだ。この街は川越に戻る。そして自分は本当は自分ではない誰かだということも忘れてしまい、再び河越を彷徨うことだろう。

それを思うほど涙が零れるその顔目掛けてAの拳は振り下ろされた。


―――その時、時の鐘が一つ鳴った。

そして自分は気が付いた。目の前でAが梯子に手を掛けている。

そうはいかない、思い通りにはさせないと梯子へと駆け寄る自分の足元に、見知らぬ誰かが気を失って倒れている。

顔が酷く腫れ上がって、もはや誰なのかも解らないその青年を少し気にも留めるものの、今はAを止めなければならない。

そう意を決して奪取した勢いのまま、自分はAに飛びついた。

何とか間に合った自分が今度はAを引きずり落として地面に叩き付けてやる。

仁王立ちをする自分を痛がりながら見つめるAの表情は一瞬にして凍る。

「―――どうしてだ…。B、君は確かにさっき倒したはずだ。今だってそこに倒れているじゃないか」

そう言って自分の背後の気絶した青年を指さしたのを見て、自分は何が起こったのかすべて理解した。

鐘が鳴ったあの瞬間、自分は『自分』をどこかの誰かに役代わりしたのだ。

つまりそこで伸びているあの青年が元の自分であり、今の自分はあの場に居た野次馬の誰かなのだろう。

そう理解できた自分は未だに理解しきれていないAに殴り掛かる。

そして、先ほどのお返しとばかりに連打を加える。

右に左に打ち振るう拳。反撃の(いとま)は一切与えることはしない。

自分から一方的に殴られ続けたAは既にフラフラになっており、自分の放った背負い投げを受けると詰まった息を吐いて気絶した。

―――やった、勝ったのだ。

そう思った瞬間、時の鐘が鳴ると自分は背後から誰かが抱きつかれた。

驚き首だけで振り返ると、自分に抱き着いている男にさらに驚く。その男は先ほど倒したはずのAであった。

どうした事だ、だってAはそこに倒れているのに!

そう思ってAが倒れているはずの場所を見てみれば、そこにはAとは似ても似つかない青年が顔をボコボコにして気絶している。

まさかAも自分と同じ様に役代わりしたのか。そう思うのと同時に自分はジャーマンスープレックスを極められる。

下が石畳ならば即死していたであろうが、土であってもその衝撃は凄まじいものである。頭が地面に叩き付けられたのと同時にブラックアウトする。

すると鐘の音が再び聞こえると、自分はまたハッとして気が付く。

この時再び自分は誰かが役代わりしたのだろう。変わったことに衝撃を受けるが、今は構っている場合では無く再びAに立ち向かってゆく。

「待てコラ! 食らいやがれ!」

 振りかざした自分の拳を、Aに狙いを定めて突撃してゆく。

「うあぁぁあ!」

 しかし、自分の拳が届くその前に、Aは見知らぬ誰かの横やりを受けて地面に組み伏されていた。

 一体全体誰がそんな事をするのだろう。

 暗がりのため一瞬わからなかったが、ジッと目を凝らしてみると、そいつはなんとCではないか。

「C! お前が何でここに」

 驚いて声を上げると、気絶したAに見切りをつけたCが、雄叫びを上げながらこっちへ向かってくるではないか。

「なっ? やめろ! 何をする! 何でこんな!」

慌てていなした自分に対し、Cは返す刀で蹴りを入れて来る。

「何でって⁉ 知れたことです! 自分が戦うのは河越を守るためです! お前らなんかに好き勝手されてたまるものですか! そうとも! 自分の幸せをお前らなんかに踏みにじられてなるものですか!」

 蹴りの痛みに悶える自分に、「だからこっちが踏みにじってやる!」と、Cがとどめの踏み付けを見舞おうとする。

 すると今度はCに対し、Aが横やりのタックルで吹っ飛ばす。

「ドイツもコイツも勝手なことを! お前たちは自分勝手なんだよ! 特にC! お前は自重しろって言うんだ! 自分だけ幸せに成りやがって! お前の幸せを見せつけられると、俺がどんだけ心苦しくなるのか、考えてみたことが有るのか⁉」

「無いですね! そんなに悔しいのだったら、AもBも彼女を作ればイイじゃないですか。自分にできたのですから、君たちにもできるはずですよ」

「「勝手を言うな! 自慢のつもりか!!」」

 Cの一言が逆鱗に触れた自分とAは、怒りに任せてCをタコ殴りにする。

 そしてCを打倒したのち、間髪入れずにAを殴る自分の拳が、向こうから飛んできたAの拳と交差して、カウンターの形となる。

再び殴り合いAを打倒すものの、鐘の音と共にまた誰かがAの代役を担って自分と戦う。

その度に自分はAと戦い、Aに倒される度に自分は誰かに代役してもらう。

「待てこのA!B! 好きにはさせない!」

 そこにこれまた代役のCが加わると、もはや収拾がつかなくなる。

そうして殴り合いは延々と続いてゆく

打って、殴って、蹴って、投げて、叩き付けて、打ち振るって、払い除けて、絡め取って、突き飛ばして、蹴飛ばして、噛みついて、組み伏せて、握りしめて、頭突いて、踏みつける。

叩かれて、突かれて、掴まれて、引き寄せられて、極められて、絞められて、引っ掻かれて、貫かれて、折られて、割られて、引き裂かれて、打ち付けられて、跳ね返されて、転ばされる。

そうして何度も何度も、自分は自分たちと戦い続けた。

その戦いは余りにも長く、その場に人が居続ける限り、際限なく行われた。

そして殴り合う音が聞こえるこの街も、静かに暮れていった。




どのくらいの時間が経ったであろう。夕闇がこの街を覆う頃、自分に誰も襲いかかって来なくなった。

地べたへとヘタリ込む自分はようやく実感する。

「…そうか、自分は…アイツらに勝ったのか」

溜息を突くと体中が痛み出す。切れているところ、腫れているところ、血の滴り落ちているところを確認し、幸いどこの骨も折れていないことに安堵する。

骨が折れていたらヤバかった。もし折れていたら梯子なんて登れなかった。

立ち上がり周りを見回せば辺り一面に人が倒れている、呻く者も何人かいるが、大方の者が何も発せずただ地面に倒れ伏している。

しかしここに居るすべての人間が、かつて自分たちであったのだと思うと悲しいような、不気味なような、不思議な気分になってしまう。

しかし留まっていてはいけない。何故なら先ほど既にもう一度、時の鐘は鳴っているのだから。

身近に代わりが居なかったから、ここにはまだ現れていないものの、いずれアイツらはここへと駆け戻ってくることだろう。

そうなった場合、今の傷付いた自分では敵わない。だからこそ早々にあの鐘を鳴らしてしまわなければならない。

重い体を引きずって、ようやく辿り着いた時の鐘の中。最前と変わらず吐き気のするような内装に再びもよおし掛けるものの、気を張って自分は何とかコントロールパネルへと歩みより、そして催眠装置を設定してゆく。

設定が終わり、撞木の綱を掴み、後は鐘を突く段になったその時、部屋の景色が原色から一転してガラス張りに成ったがごとく辺りの風景を映し出した。

時の鐘からこの街を見るのは初めてだったためか、それとも夕日に照らされたためか、見慣れた風景も大分違って見える。

蔵の作りが続く大通り、その先に見える銀行、市役所から西へと視線を送れば菓子屋横丁も目に入る。

北を遠く眺めればクレアモールと河越駅の賑わいが見え、東の方には新河岸川の流れも見えて来る。

そして一陣の風が吹けば川の香りも運んでくるような、そんな気さえする。

この景色を見て自分は改めて思う。ああ、自分はこの街のことが本当に好きなんだなと。

そして自分は鐘を撞いた。この街を愛する思いを込めて鐘を撞いた。

音が町中に広がってゆく。

街に居る誰もの耳に届いてゆく。

そしてこの街は―――変わってゆく。




三月の終わり。『私』は新河岸駅のホームに立っていた。

乗り込む電車は一番戦からの上り電車。私はそこで電車を待っていた。

私はこの街で『自分』として過ごしていたが、あの鐘を私が鳴らした瞬間に、思惑通りに我に返ったのである。

今まで忘れていた私としての日常が一気に蘇り、私が何者であるか、何処から来たのか、何をしていたのかと、すべてを思い出したのである。

しかし、私は河越を、『自分』を忘れることはなかった。河越で過ごした『自分』という私、何をやったか、何を思ったか、何を望んでいたのか、何に笑ったのか、そのすべてをハッキリと覚えている。

そうなれば普通ならば辛いこともあるだろう。この記憶が呪いの様に自分に焦げ付いてしまえば、自分のしてしまったことに、思い悩む日もあるだろう。

しかし、私はこれで良かったと思っている。すべてを忘れてしまって知らん顔をするのはもう私の望むことではない。

それに今にして言っては何だが、『自分』として過ごしたこの日々は思いのほか、面白いものであった。

思い出の中の自分は色々と酷い目に合い、その度に文句を言い、先輩たちに丸め込まれ、辛い思いをしていたにもかかわらず、それでも最終的には笑ってしまっていたのだから。

とどのつまり、なんだかんだ言って自分はこの街のイカレた出来事を、『功罪』を楽しんでいた。

これは思い出として美化されているためであろうから、再びやれと言われたら御免被りたい。

話を変えるが、時の鐘を鳴らした後、この街はどうなったかについて話そう。

結論から言うとこの街は川越と河越、その両方が混在する街となった。

我に返ることを選んであの鐘を撞いたため、この街は誰もが『川越』と『河越』どちらでも好きな方を選べる街、街を自分自身で決める街となったのだ。

『川越』を選んだ者は、我に返ってからすぐに役を演じる以前の暮らしへと戻って行った。その中にはAも居り、彼は早々に東上線に乗って帰路に付いたのである。

『河越』を選んだ者は、今まで通り引き続き役を担って暮らすことを決めた。もちろんCは河越に残る事を決め、今は我に返ったお嬢さんと幸せに過ごしているらしい。

そして街もまた同じようにその両方を内包している。川越の古い町並み、河越の『功罪』、その二つは合わさって新しい街へと姿を変えた。

もちろん『功罪』に関しては賛否両論であり、取り壊しも確かに起こっている。

だが市民はあの鐘の音を聞いてすべての『功罪』が悪い訳ではないと解ったはずである。

悪いものは淘汰されたとしても、良いものは自然と残される。

それは、私がこの街がそんな古い物も新しい物も、どちらも許容できる街に成ることを願ってあの装置を設定したからだった。

時計が正午の針を刺した。街が変わって時間も金だけに頼らなくなったものの、それでもあの鐘は時を告げるために街に鳴り響く。

この鐘の音を聞いたがために、この街はイカレてしまったのだが、もはや誰も身構える必要はなくなった。

あの鐘を撞き終えた後、私は催眠装置を尽く破壊してしまった。

もしも、あのまま催眠装置を残しておけば、再び誰かがやってきてこの街を変えてしまう恐れがあった。

それに、もうこの街の騒動に『役』として見知らぬ誰かを巻き込まないようにするため、私は渾身の力を込めて装置を叩き壊した。

故に街に響く鐘の音は何の作用も及ぼさない。せいぜい昼が来たことを報せるくらいなものだろうか。

ホームから見える景色の中で、大工さんたちが弁当箱を広げ始める。若い職人さんが愛妻弁当をからかわれているのだろうか。中に入った卵焼きが美味そうである。

河越の最終決戦において破壊されてしまったこの街は、落ち着きを取り戻したのち再び市民の手によって作り直されてゆく。

そうして新しく出来上がった建物や道路などもまたこの街の風景になっていく。それが一番自然なことなのかもしれない。

何が正しくて何が間違いなのか。

以前の『自分』はそのことに随分と悩んでいたものだが、今この街の様子を見ていると間違いなんて無く、本当はすべてが正しい事なのではないかとさえ思えてくる。

すべてが正しい、しかしすべて何処かしらに間違いがある。

だからこそ、何処かで歪みが生じるのであり、その歪みをそれに関わった人が気付いて自分たちの手で少しずつ直していかなければならない。この街が新しく生まれ変わってゆくように。

だから最初から良いも悪いも無い。最近はそんな風に思えるのだ。

「ねえ、こんな所で何をしているの?」

聞き慣れた声に振り向けば、そこには彼女が立っていた。

この街が河越ではなくなり、誰もが我に返ったにも拘らず、彼女は自分の知る彼女のまま、あの幼い外見と花の綻ぶ様な笑顔を満面に湛えている。

「つまり貴女は最初から最後まで本人だったんですか?」

この問いに彼女は「さあ?解らないわ」としか答えてくれない。

彼女にとって河越で過ごしていたのが本人であるかどうかなんて、大して重要な事ではないのだろう。

ただこの街が楽しくなればいい。それこそ本当の自分が彼女に望んだことであり、それだけが彼女の行動原理であった。

「ところであなたはこれからどこへ行くの。そちらは東京方面だけれども」

自分の立っている東側の一番線ホームから、南へ向かう列車が発車する。私はこれに乗って一度家に帰ろうとしていた。

「ええ、何ヶ月も留守にしていたままですから、きっと両親も心配していることでしょう。ですから一度元気な顔を見せてやらないとな、と思いまして。それより貴女はどうしてここに居るんです。どこかに行かれるのですか?―――それとも、私の事を見送りに来てくれたとか」

「いいえ、どちらも違うわ。私は人を待っているのよ」

アッサリと否定されてしまうとさすがにヘコんでしまう。それがついこの間まで『自分』の思い人だったならば尚の事だ。

淡い思いをバッサリと断ち切られて意気消沈している私とそれを面白そうにコロコロと笑う彼女。

こうして二人とも我に返っても、私たちのやり取りは、つい先日となんら変わりのないものあった。

「でも少し寂しくなるわ。あなたもこの街から出て行ってしまうなんて」

彼女の表情に嘘はなく、その瞳には哀念が籠っている。

その真心に好意は無かったとしても、彼女に気にかけてもらえていると思うだけで、

だが悲しまないでほしい。私はもう一度この街に訪れるつもりなのだから。

「向こうで少し落ち着いたらもう一度この街に返ってこようと思っています。今度は自分の役をやるためじゃなく、ちゃんとした観光で。そのころには街も大分片付いているでしょうし、新しく生まれ変わったこの街をもう一度見に来たいんです」

「あら、良いわね。ならその時は観光案内してあげる。先輩たちも誘ってあげるから楽しみにしていてね」

正直、この街の事は案内されなくてもかなり解っているのだが、懐かしい面々に会えることを考えると、それはそれで楽しそうだと考え、私は彼女と約束をした。

そして、もう一つ彼女に言い忘れていたことを思い出す。

「そうだ、貴女に一つ頼みごとをして良いですか」

「何かしら?面白そうなことなら大歓迎だけれども」

「―――もしも『本当の自分』が帰ってきたのなら一発ビンタをかましてやってもらえませんか?」

興味を惹かれた彼女に私が言った一言は予想外だったらしい。ポカンとした表情のまま「あなたってMなの?」と聞いてくる

「そんなんじゃないですよ。もう私と自分とは赤の他人なんですから」

「じゃあ何のために?そんなに彼の事が憎いのかしら」

「いいえ、まあこれは自分へのケジメですよ。なんせ自分はこの街を狂わせた張本人ですし、自身で狂わせたにも拘らず全部忘れて被害者面をするし、自身の責任は代役を使って他の誰かに肩代わり指せるし、何より貴女のような素敵な恋人が居ながらお嬢さんに乗り換えている辺りが本当にクズだと思います。本当は私の手で一発殴ってやりたいところですが、何分私も実行犯であるのでバツが悪いのです。だからあなたから自分を罰してやってはくれませんか?…貴女のビンタ程度で済むくらいなら相当安い話だとは思いますけれどもね」

「まあ、彼本人のせいじゃない所も有るけれども、解ったわ、キツイの一発かましてあげるから」

モミジの様なその手でビンタの素振りを始める彼女を微笑ましく思っていると、二人の会話を断ち切るような風を連れて、ホームへ準急列車が走り込んでくる。

「それでは行きます。色々とお世話になりました」

そう別れを告げ、開いたドアの中へ歩もうとする私のシャツを彼女が引っ張る。

気を取られてもう一度振り返った私の事を、彼女がその丸い瞳で見つめてくる。

「ねえ、君は今でも私の事が好き?」

急に問いかけられたその言葉に、思わずドキリとしてしまう。

しかし私は我に返ったにも拘らず、そんな事を言われて今なお狼狽える自身になんだか可笑しくなってしまい、ツイツイ声をあげて笑ってしまう。

「もしそうだとしても、貴女は私じゃなく彼を一途に愛しているのでしょう?」

キョトンとしていた彼女だが、私の言葉にウンと今ま見せてくれた表情の中で一番の笑顔を見せてくれた。

「そうだ、最後に貴女の名前を教えてくれませんか」

私と彼女とは仲居付き合いになるのに私は彼女の名前を知らないままだった。

この街の仕組みが有ったから、今まで知ることはできなかった彼女の名前。だがその仕組みが無くなった今ならば、聞くことができるはずだ。

しかし彼女はニコリと笑って人差し指を、自身の唇に当てたのである。

「今度河越に帰ってきてくれたら教えてあげる。だからできるならば貴女の名前を教えて今度会ったときは真っ先にあなたの事を名前で呼んであげるから」

「そうですね。じゃあ、私の名前は―――」

自分が名乗った、その瞬間に電車のドアは閉まってしまった。

その上、反対のホームには下り電車が到着したため、電車の音に掻き消されてしまったかもしれない。

無事に伝えることができただろうか。心配になって窓に張り付く自分の目には、彼女が笑顔で手を振る光景だけが映っている。

なんだかんだ言って、最後の最後まで締まらないものだなと、私は苦笑いをして空いている席に腰を下ろした。

電車に揺られながら目指すのは我が家であり、故郷へ帰ることの感慨は一入(ひとしお)であるが、この街にも沢山の思い出が有るため、再びこの地を訪れた折には故郷に帰るような気持ちに成ることだろう。

電車が川を越えるとそこはもう市外。川を越えることから付いた街の名前。川と共に有り豊かな自然に恵まれ、古くからの歴史と新しい文化とが調和する街。

この街は私の第二の故郷なんだな。そう思い私はこの街を後にした。


反対のホームから電車が発車したのと同時にドアが開く。

久しぶりに帰ってきた故郷の匂いは、やはり心に染み入るモノが有る。

反対ホームを見てみると、そこに居たのは手を振る知り合いの後ろ姿。

笑顔で声をかけたなら、彼女は笑顔でビンタした。


この街が誰かの帰る場所であるように。


誰がために時の鐘は鳴る  完


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