河越アンダー篇
「先輩。起きてますか?」
「ん? 起きているよ」
声を掛けるのと並行して自分は先輩に懐中電灯を向ける。
自分の隣には先輩がいる。そして近くに狸が居る。この構図が構成されてから既に一ヶ月は経っているはずである。
そう、〝はず〟である。
一月三日。喜多院騒動の際に東照宮から河越の地下通路へ迷い込み、昼も夜も無い生活をしていれば日付の間隔なんて忘れてしまう。
それにこの地下道では鐘の音なんて届くはずも無く、時の鐘の時報のみに時を委ねてきた自分たちには、時間の感覚などとっくの昔に無くなってしまっていた。
その上これはここでの生活で発見した事なのだが、どうやら人間は暗がりで生活すると睡眠のサイクルが短くなるらしく、自分の感覚ではだいたい十二時間おきに眠くなる。
そのため余計に昼と夜の感覚が完全にズレてしまい、日数のカウントなど三日で諦めた始末である。
ただし、ずいぶんと長い時間この地下通路の中をさ迷っていることは実感としてあるため、今の自分にはおそらく外では二月なのだろうとは言えるが、実際に今が何日かは分からない。大方、お好きなように想像して頂いた日時には地下に居ることだろう。
そんな長期間ここに居て、冬のど真ん中だというのに凍死しないのは偏に地下だという理由が上げられる。
地下生活の利点は温度が一定、16℃ほどに保たれているため外気に比べると随分と過ごしやすい環境だ。そのため少々涼しい程度の気温であり、服の調節だけで過ごすことが出来るのである。
たまに、特に冬季にはここに来るのは良いだろうと思うが如何せん四六時中籠っていたのでは体からキノコやらコケやらがワラワラ湧いてきそうな気分である。
こんな状況は精神生成上よくないと、いい加減ここから出たい自分であるが、どうにもこうにも出口が見つからないのである。
いつも新鮮な空気が吸えることを考えると何処かしらに外と通じている場所があるはずだが、未だにそこまで辿り着いていない。
自分は早々にそれを見つけて外に出たいのである。先月からもう既に大分引き伸ばしになってしまったお嬢さんとのことが気にかかるし、突然行方不明となったため家族も心配している事だろう。
そして何より旨い飯が食いたいのである。
地下生活で一番の問題となったのが食糧問題であった。
地下と言うだけあって湧水の豊富な河越ではそこら中から地下水を調達できるため水の手には困らなかったのだが、食料に関してはそこまで事態は甘くは無かった。
もちろん食べられるものが全く無いわけではない。通路の内石壁が奇妙な形に孕んでいたり、一部が崩落している場所を掘ってみると大型犬ほどもある大きさのサツマイモが取れたりもする。
また、新河岸川沿いの辺りを調べてみれば昔に地震等で入り口をふさがれてしまったのであろう船問屋の地下倉庫を発見し、その中の塩や味噌などの調味料を調達することが出来る。
そして河越に実在した伝説の底なし沼『七ツ釜』は今現在この地下通路の一角で地底湖として現存しており、ここでは新河岸川などの周辺河川から迷い込んだ川魚を釣ることが出来る。
しかもココの魚は人に対してまったくと言っていいほど警戒心が無く、糸を垂らせばすぐ釣れる。実に入れ食い状態である。
だがそこら辺に自生しているキノコは食す勇気は無い。
ここまでの説明を聞くと食うことに関しては大分充実し、悠々自適な暮らしを行っているように思われるだろう。
実際自分もここに来たばかりときはそう思い、不安に駆られていた反動から実に安堵したものだ。
しかし、あえてハッキリ言いたいのは、この地下通路で得られる食物は〝それだけ〟と言う事である。
そう、イモと塩と味噌と魚だけなのである。他に在るとするならば、ときどき見かける野生のネズミか、もしくは未だに威厳に満ち溢れた眼差しで自分たちを見てくる仙人狸くらいしか食べられるものが無いのである。
こんな状況で一ヶ月以上も過ごしたとしたらイッタイどうなるだろうか? 飽きてしまうことは必定であろう。
ああ、鰭の付いていない動物の肉が食いたい。牛でも豚でも鳥でも羊でも馬でもウサギでもイノシシでも鹿でもシチメンチョウでも。魚肉以外ならば何だっていい。この際両生類や爬虫類でもいいから食いたい。
野菜と果物が食いたい。太陽をいっぱい浴びて真っ赤に熟した甘酸っぱいトマトにしゃぶり付きたい。青々としてシャキシャキとしてほんのりと苦みが広がる瑞々しいレタスを頬張りたい。蜜の様に甘く滑らかな舌触りで芳醇な香りが口いっぱいに広がるバナナに食らい付きたい。
白いお米が恋しい。炊き立てで立ち上る湯気すらも食欲をそそる白飯を食べたい。噛めば噛むほど甘みを増す日本人の主食に有り付きたい。どんなおかずも引き立てて絶妙な味加減に仕上げる銀シャリを貪りたい。焼き海苔、生卵、納豆、ふりかけ、ネギ味噌、辛子明太子、佃煮、しらす干し、縮緬雑魚、とろろ芋、金山寺味噌、塩辛、酒盗、梅干し、糠漬け、高菜漬け、沢庵漬け等々、数限りない飯の友に恵まれたご飯がどうしても食べたいのである。
しかし今となっては叶わぬ夢。一か月以上もそれに有り付いていないせいか、最近ではそれらの憧憬が募るばかりで極端な美化が進んでいるようにも思える。
先輩などは「今ここで茶碗一杯の白飯を食べさせてくれるのならば、埋蔵金すべてくれた上に借金してでも一千万上乗せしても良い」などと取り留めのない事までのたまう始末である。
それほどまでに自分たちの食料のバリエーション不足は深刻であった。
その上自分たちのこの廃退的な状況に拍車をかけたのは娯楽の少なさであった。
とにかく地下ではやることが無い。
もちろん当初の目的である埋蔵金探しは現在も随時継続中であり。見取り図から察すると今までに総面積の1/3程を調べたに過ぎない。
ゆえにまだまだやるべき事はあるのだが、それ以外にやることが無いと言うのは辛すぎる。
収穫したサツマイモや釣り上げた魚を干したり燻製にしたりすることで保存食を作り、塩と共にバックに詰めて探索に出かけるのだが、如何せん探索範囲はそのような『必要な消耗品がもつ範囲』に限定されてしまうためあまり遠くへは行けないのである。
故に探索は遅々として進まず、最近では先輩も当初の熱意が冷めてしまったのか、ただ単に生活リズムがそうなってしまったのか、日に数時間も寝続けるコアラのような生活が染み付いてしまった。かく言う自分も人のことは言えない。
しかし自分達はここに来て重大な事態に陥りつつある。
それに気が付いたのは自分の感覚でだいたい一週間前の事であった。
いつもの様にサツマイモを収穫に行ったら、初めの内は大型犬ほどもあるイモがゴロゴロとれたのだが、最近では大きな物はほとんど取れず全国的に見て標準サイズの物しか見つけることが出来なくなっていた。
帰ってその事を七ツ釜地底湖に釣りに行っていた先輩に告げると、先輩も気になっていたことが有るらしく、どうやら最近の釣果が振るわないとのことである。初めの内は魚が人間に慣れてきたのかと思っていたが、どうやらそうではないらしく、魚自体の数が減っているらしいのである。
それを聞いた時、自分の中でゾッとする様な疑念が滲み出てきた。
サツマイモの収穫量が減っている。魚の漁獲量も減少してきている。
つまり食料がだんだん無くなってきているということである。
考えてみれば場所も変えずほとんど同じところのイモや魚を摂り続けてきたのだから、いずれ底を尽きるのは必定であった。
かと言って場所を変えようにも石に囲まれた地下道でサツマイモに巡り合える機会はそうそうなく、ましてや魚など七ツ釜地底湖でしか調達することが出来ない。
すなわちどう足掻いても自分たちは地下の食物を食いつぶしてしまい、遅かれ早かれ餓死してしまうことだろう。
こんな危機的状況では外に出る以外に助かる道はないのだが、一向に出口が見つからないまま現在に至っているのである。
「だからと言ってこんな方法に頼らなくても良いと思うんですけどね」
愚痴を垂れながら先輩に目掛けて灯していた懐中電灯をグルグルと回す。
宛も無く遊ぶ光の線は何にも遮られずに地下通路の闇を走り回る。
遮るものも無い。何にも光が当たらない。
目の前の先輩に向けても背後の闇へと抜けるだけであった。
ハッキリ言って今の先輩は幽霊であった。
自分には確かに先輩がそこに居るのが見える。見えているが実態が無い。薄らぼんやりとした霧の様な、立体映像の様な先輩がいる。
ボンヤリとした先輩の周りにはオドロオドロしい人魂が舞っていて、そこだけ妙に明るくなっている。
先輩のボンヤリは足に向かうに従ってさらにウッスラとしており、爪先など空気に溶けてしまったかのように消え去ってしまう。
まるで江戸時代の妖怪絵巻に出てくるような、絵に描いたような幽霊像として先輩がそこに漂っていた。
何故先輩は幽霊になっているのか。まさか先輩は餓死してしまったのか、将又探索中の事故死なのか。
だが案ずることは無い。そういった意味で先輩は幽霊をやっているわけではない。
自分は先輩に向けていた懐中電灯の光を先輩の足元へ向ける。そしてそこで寝そべっている先輩を照らし出す。
そこで先輩は安らかな顔をしながら眠りについていた。しかし先輩はただ寝ているわけではなかった。
肌の色は土気色をしており、鼾どころか寝息すら聞こえてこない。開いた口からだらしなく舌が垂れており、傍から見れば神経が行き渡っていないのではないかと思われる。
見れば見るほど先輩は死体の様であった。
しかしこれは死体ではない。正確に言えば今ここに寝転がっているのは先輩の抜け殻である。
次いで先輩の枕もとを見る。そこには中身が半分ほどに減った酒のボトルが転がっていた。
その酒は酒屋に並んでいるような、何の変哲も無い『鏡山』のボトルである。一口飲めばこの娯楽の乏しい地下生活の一服の清涼剤となることだろう。
しかしその出所が少々訳有である。
実はその酒、今は懐かしい五月の酒盛りで研究室の面々が壊滅させてしまった酒場、西雲寺の永大供養塔の下、仏の庭で開かれる神の酒場『神原』の酒であった。
5月の新歓コンパ。その際に自分たちの研究室が幽霊退治を行ったのは既に遥か昔の話の様に近頃は思える。
その後、現場に大量に残された酒の数々は先輩、彼女、先生の『三酔傑』達によって回収され、彼らの胃に収まる運びとなったのである。
そしてそんな先輩が長期間酒の無い生活をするはずも無く、当初この地下迷宮へと乗り込むにあたっても「娯楽のためだ」と勿体づけて何本も持ち込んでいるのである。
しかし、自分もそのご相伴に預かっているのだから余り文句は言えない。
そしてこの酒の効能はあれから十か月近くも経つというのに未だに衰えることは無い。
口にすれば即座に強烈な酩酊感が襲ってきて、まるで深い淵の中に引きずり込まれて行くかのように気を失う。そして間もなく目を覚ました後にはどういう訳か霊魂が体から抜け出してしまっているのである。
つまりはお手軽に幽体離脱ができる酒であり、酔いが醒めれば自然と元の体へと戻れるという安全面にも配慮された代物である。
自分たちはこいつを呑むことで幽体離脱する。そうすることで食糧の消費を抑えようという訳である。
もちろん自分も幽体離脱していた方が食糧の消費はさらに抑えられるのだが、誰かが先輩の肉体を管理し、移動の際に運ばなければならない。
そのため幽体離脱一回ごとに二人持ち回りで交代しながらこの局面を切り抜けているのである。
因みに先輩が『鏡山』を飲んだのはついさっき。酔いが醒めるまではまだまだ時間が有る。
フヨフヨと漂う先輩から懐中電灯の光を今度は仙人狸に向ける。
狸は相変わらず人の事を値踏みするような視線を向けてくる。相変わらずその眼差しは実に狸離れした知性を感じさせる。
しかし自分たちを導いた…もとい。自分たちを陥れたこの小動物は、あれ以来何の道も示すことなくこっちの事を見ているだけである。
ここまで来たのにここから先は勝手にしてくれとばかりに知らん顔を決めている。一体どうしろと言うのだ。
つまらなそうに欠伸を掻く狸をいつか絶対に狸汁にしてやろうと心に決めて懐中電灯を切る。手回し充填式とはいえあまり点けっぱなしにしていては電池が勿体ない。
「それじゃあ行ってくるかな。収穫に期待しておけよ」
そう言い残して先輩は人魂を引き連れて真っ暗い通路の奥へと消えてゆく。
持ち回りとして幽体離脱した者はこの地下通路の探索に当たることになっている。
探索には幽霊であるほうが何かと好都合である。腹は減らないし闇の中でも目が利く、それに危険な目に合っても命を落とす心配はない。本当に都合が良い。
そして本体に残った方は留守番となる。そして体力を温存するのである。
「ふう、行ってしまったな」
話す相手が居なくなって、途端に猛烈な暇が襲ってくる。
こんな時は寝てしまうのが得策だが、自分はここに来て既に何度目かの手荷物検査を始めたのだった。
「ヤッパリ何処にも無いな…」
自分は手帳を探していた。
それは普通の手帳ではなく、いつ何時も自分の手から離れずにあり、尚且つ誰だか知らない名前がビッシリと書き記された例の手帳。
それがどこを探しても見つからないのだ。
確かに1月3日に仙波山からこの地下迷宮に入り込む前には所持していた筈なのに、それが何時の間にか何処かに行ってしまったのだ。
『イワトロン』による山体崩壊に巻き込まれて埋まってしまったのか、それとも坊主たちに追い掛け回されている内に落としたのか。
いずれにしろ自分はこの地下迷宮に脚を踏み入れて以来、その手帳を見ていなかった。
あれほど不気味に思っていた手帳でも、いざ無くしてしまうとどうにも不安な気分に駆られてしまう。
あれは本当は大切なものだったのではないか? 実は重要なものだったのではないだろうか? そんなことを考えて、約一ヶ月間もの間探し続けているのだが、家鳴り見つけることは叶わなかった。
「はあ… 仕方がないのかな…」
半ば諦めかけて手を止めると、そこにあるのは音すら消え失せた暗闇だけだった。
こうなってしまうともう手遅れで、睡魔が自分を捕まえる。
暗闇の中。小まめにやって来る眠気に誘われて、もう何度目かの眠りにつく。
特にやる事も無く、かと言って無駄に体力を使う訳にもいかないこの状況では、喰って跳ねての繰り返しで日々を過ごしている。
聞くだけならば実に不健康極まりないが、食べるものも質素で眠ってストレスを発散してしまう生活を続けていれば、どうも地上に居るよりも体調が良いように感じられる。
お陰でここのところずっと快便だ。第5トイレも積もって来たからそろそろ場所を変えるべきか。
などと考えている内にしばし自分の記憶が飛ぶ。目覚めたときはかなり時間が経っているようだが、依然とて経過時間は解らない。
何時間寝たのか、将又何日寝たのか。それとも数分間の微睡だったのだろうか。そんな事は頭がボヤボヤしているため思いもしないで、只々夢の続けを追いかけていると「やっと起きたか」と先輩が人の自分の顔を覗き込んでくる。
先輩に自分の寝顔を覗かれた不快感が沸々と湧き上がってくるに従って、目が次第に覚めてくる。
「何ですか先輩。気持ち悪いですね。人の寝顔を繁々と覗かないで下さいよ」
「俺も見たくて見ていたわけじゃない。ただ君があまりに熟睡していたから叩き起こすのも忍びないと思ったからだ。急いでいるわけじゃないから時間もあるしね」
何なんなのだ先輩は。まるで恋人か保護者みたいじゃないか。気持ち悪を通り越して薄気味悪い。
「しかし、気持ち悪いのはこっちの台詞だ。何て物を見せやがるんだ。夢に出てきたらどうする」
「そうしたら先輩の寝顔が酷いことに成りそうですね。見たらトラウマ必死なほどの。ですから今後寝るときは俯せで寝て下さいね」
その後も自分と先輩とはどちらの寝顔が気持ち悪いかについて延々と語りあった。
自分が思うに先輩の場合、寝顔の醜悪さに加えて鼾と寝言のコンボが有るため絶対に自分よりも気持ち悪いはずである。
だってそうだろう。真夜中に寝言で先輩が「助けて…助けてぇ…」と突然死にそうな声で言い出したりなんかしたらゾッとするだろう。
しかして先輩は親指をしゃぶって寝ている自分の方がよっぽどだと言うが、そんな訳無いだろう。第一覚えがない。
「そんな事よりもだ」
白熱したどうしようもなくしょうも無い議論の中、先輩は唐突に、ぶった切る様に話題を変えてくる。
「随分と急な切り返しですね。もう降参なんですか。自分はあと小一時間くらい議論できますよ」
「俺は三時間くらい出来るさ。これはそうそう譲れない話だからな。けどよ、それよりも重大な発見をしたんだ」
えらくもったいぶった先輩は、実に真剣な表情でそう切り出してくる。いったい何だと言うのだろうか。どちらが酷い寝顔なのか、その事よりも重要なことなど寝ることが基盤となるこの地下生活であるのだろうか?
「あったぞ、探し物が」
そんなことを言われ自分は少々考える。探し物―――なんだったっけ?
自分たちは何を探していたんだっけ?
長い間穴蔵で過ごしていたためか、完全に目的を見失っている。
なんせこの頃ずっと生きるのに必死で、食べることに全力で、寝ることに全霊であった。
芋を掘って水を汲んで魚を釣って塩を調達する。そればかりを繰り返してきたため元の理由なんて忘れてしまった。
確かに何かを探していたような。いや、先輩が何かを求めていてそれに巻き込まれたような、そんな、そうだった様な気がする。
そう、確かそうだった。自分たちは途方も無いものを求めていたような気がする。何人もの人がこれに挑んで人生を棒に振ってきた、ヤバイ何かだったような気がする。
出来るだけ関わらない方が良いと解っているのに、押しに弱い自分は悪事の片棒を担がされる羽目になったと思う。
そんでもってトンデモナイごたごたに巻き込まれて、この穴倉に転がり込んだはずだ。
その元凶となったもの、自分たちが求めていたものは確か何かのお宝だったはずだ。
それが見つかったというのか。そう先輩に尋ねると案の定「そうだ」と答える。
「幽体離脱してから大分この地下通路をさ迷っていたんだが、なんとあの格闘僧正が居やがってな」
「⁉ 何ですって。何で僧正がここに居るんですか」
「知らんよ、そんなこと。概ね仙波山が崩壊したときに地下に紛れ込んだんだろう。そんでもって俺今こんなんだから野郎血眼になって成仏させようとするし、当の俺は成仏しそうになるしでヤバかったんだ」
その後も先輩はどういう訳か地下道に紛れ込んだ僧正とのイザコザについて切々と語った。
鍛え抜かれた鋼の肉体は先輩がポルターガイストで投げ飛ばした岩塊を打ち砕き、その上馬鹿力という表現がピッタリな霊能力で先輩を徹底的に昇天させようとしたのである。生きても死んでも酷い目を食らう、敵として非常に恐ろしい相手がこのダンジョンを徘徊している。
絶対にエンカウントしたくない相手だ。これからは曲がり角に注意して進もう。
「そんでもって命からがら生き残って逃げ惑っていたわけだが、何せ逃げても逃げてもどこまでも追って来てな、本当に往生際の悪い坊主だったわ」
話を聞くだけで随分と恐ろしい目に先輩が遭ったのだと解る。そもそも目も利かない様なこんな暗がりで、延々と先輩の事を追い続けられる僧正が本当の化け物のように思えてくる。
故にそんなモンスターと不幸にも出会ってしまった亡者の先輩には、心の隅っこでお悔やみを申し上げるべきなのだろう。
「そんでもって一計を案じて七ツ釜地底湖に飛び込んだ訳。いくら僧正が超人だからと言って、息をしている限り潜り続けることはできないだろう? その分息をしていない俺の方に分がある」
「成る程、上手いこと考えましたね。それに水の中じゃさすがに僧正もお経を唱えられないでしょう」
「そう言う事。小一時間も潜っていたらあの坊主は諦めて上がって行ったよ。そんでもって何とか命拾いした俺だが、その時湖の底で見つけたわけよ。光り輝く大判小判を」
なんと言うご都合主義か。
あんなに彷徨って見つからなかった代物がこうも急に見つかってしまうとは、投げやり気味な誰かの意図が働いているのではないかと思えてならない。
「正に『灯台下暗し』だね。何度も何度も足を運んだ地底湖の底にお目当ての物が沈んでいたなんてさ。まあこんな足元も覚束ない真っ暗闇の中では気が付かなくて当然か」
「良かったですね。ここで穴蔵生活していた甲斐が在ったってことじゃないですか。それにこれで自分の九十万が帰って来てくれれば万々歳ですよ」
とはいえ手放しには喜べない。宝が手に入ったところで外に出られなければ宝もタダの金塊だ。腹も膨れなければ使い道すらも無い。
出口は宝よりも必需。宝探しに於いてそれが何よりも重要なのだとこの地下生活で学び取った最大の経験である。
しかし、せっかく見つかった宝をそのまま沈めてミズゴケの苗床にしておくのも勿体ないと思い、自分たちは早速それをサルベージするために行動を開始したのだった。
「いい加減元に戻って下さいよ、先輩」
七ツ釜地底湖へと向かう道中、自分は先輩の持ち込んだ大量の荷物と、最早荷物と化した先輩の身体とを背負っていた。
何が詰め込まれているのか分からないほどパンパンに膨らんだザックの重さはもちろんの事、そこに先輩が加われば自分は何の拷問を受けているのだろうかとさえ考えて悲しくなってくる。
それに抜け殻となった先輩の重いの何の。三桁に達する体重が完全な脱力状態にあるために伸し掛かる圧力がものすごい。
こんなものを背負うのならば体型を活かして地面を転がしていった方がどれだけ楽だろうか。それなのに先輩は体を丁重に扱えという。幽霊に死体の人権を求めて欲しくないものだ。
自分としては先輩を背負っているのは不本意なのだが、このままアソコヘ置いておくわけにもいかない。ならば体に戻れば良いだろうと思う次第だが、未だに先輩の酔いは醒めないらしく、一向に戻る気配はない。
それ故自分は不必要な大荷物を背負わされていることになった。
重い体を引きずってようやくたどり着いた七ツ釜地底湖は、暗いため全容は知れないけれども、広さとしては伊佐沼と同程度だと思われる。なんせ懐中電灯の光が対岸まで届かないのだから。
肩の荷が下りて清々している自分だが、先輩がすぐに作業に取り掛かるように急かしてくる。
こちらはここまで先輩の分も働いたのだと主張するものの、聞く耳も持たないといった体で先輩は急かしてくる。
自身は幽霊なのだから、千両箱を運べないのだと胸を張って言ってくるものだから腹が立ってしまい悪態をつくのだが、それに対して先輩はあれやこれやと嫌がらせを仕掛けてくる。
終いにはポルターガイストを使ってそこらに転がっている石などをぶつけてくるのだから溜まったもんじゃない。
ソモソモそんな力が有るのなら、自身で自身を運べば良かったものを。
「これには限度があってな、最高でも10キロまでしか持ち上げられないんだよね」
理不尽な先輩の要らない豆知識に心の中で『何だよ』と悪態を付きつつ、これ以上の石礫を避けるために嫌々ながら準備を始める。
ザックの中身を見てみると、以外に装備が本格的な事にビックリする。
ロープやナイフはもちろんの事、ピッケルやハンマーやダイナマイト、ピスヘルメットにエコー探知機、ガス検知器にガイガーカウンターなどゴチャゴチャと出てくる。
イッタイこんなにもってくる必要が本当にあったのだろうか。
実際に先輩がこれらの機材を使ったところなど、ここに来て数か月経ったというのに一回も見たことが無い。
何せ今まで折り畳み式のテントや寝袋さえ使ってなかったのだから。
どうせ先輩の事だろうから「出すのが面倒臭かったんだもの」とでも言うのだろうと内心諦め、お目当ての物を山の中から探し当てる。
「お、酸素ボンベとウェットスーツなんて持ってたんだ。完全に忘れてた」
「…使わせてもらいますよ、先輩。そもそも自分の金もこれに消えているわけですから、断る必要も無いんですけども」
「そりゃそうだ。けれどもな、お前スキューバダイビングの経験とかあるのか?」
「―――無いですけれども」
それを聞いた先輩は随分と呆れたという表情を向けてくる。
「お前、それは危ないよ。経験者として言わせてもらうけれども。素人が何の準備も無しに潜るとか本当に止めた方が良いよ」
そう言われればそうかもしれない。そもそも自分はウェットスーツの着方もボンベの使い方も知らないのだから。
そんな状態で水に潜るなど自殺行為だろう。幽霊になるのは先輩だけで十分だ。
だったら経験者に聞けばいい。そうやって使い方を教わればいいと思うものの、先輩も「最後にやったのは10年前だから忘れた」とばっさり切り捨てられてしまう。
じゃあどうすれば良いのだと思い悩むと先輩は「じゃあ仕方がない。奥の手だ」と荷物の一角を指さした。
その丸っこい指先を辿って行くと、そこには中身が半分ほどに減った一升瓶が置かれていた。これは―――
「? 『鏡山』ですか」
それは鏡山の一升瓶であった。ここに移動する際に荷物をすべて持ってきたのだから、紛れ込んでいるのも至極当然である。
それを先輩は刺してまるでこれが名案であるといった表情で頷いた。
「そう、『神原』の『鏡山』だ。あれを呑んでお前も幽体離脱するんだよ」
「――――どういうことですか?」
「だからお前も幽霊に成れって言ってんの。そうすれば水の中でも息の心配しなくていいだろう。それにポルターガイストも使えるようになれば俺と合わせて20キロまで持ち上げられる」
「…確かに理に適っていますね」
「だろ?」と得意顔で見つめてくる先輩にどうも釈然としない気持ちにさせられる。
本当なら先輩の酔いが醒めるのを待って、先輩が潜水服を着て潜れば良いモノを、完全に先輩に丸め込まれてしまった自分は促されるまま一升瓶の中身を呷った。
酒は好きだが強くは無い自分は、『鏡山』を数口飲み込んだだけで目の回る様な感覚が襲ってくる。
次の瞬間には天地がひっくり返り、酷い頭痛が置き、吐き気がしてくる。そして目の前が真っ暗になっていくと自分は前のめりに倒れた。
その様子を自分は自分の頭上から眺めていた。
いつからそうなっていたのだろうか。気が付いた時には魂が体から抜け出しており、自分の抜け殻を見下している状態になっていた。
「よう、上手く離脱できたみたいだな」
一部始終を見ていた先輩は別に何の心配もしていなかったのだろうか、まったく素っ気ない自分の状況確認をしてくる。
確かに自分は何ともない。さっきの壮絶な気持ち悪さも嘘みたいに消え去っており、体を捨てた分逆に身軽になったような気分さえある。
しかし目の前で自分が死にそうな程のた打ち回っていたのに。もう少し自分の事をいたわって欲しいものだ。
それにあの感覚は本当に苦しい。酒を呑んだ時の酩酊感はまるでゲロと一緒に命が根底から吐き出されてしまうような、そんな凄まじい気持ち悪さであった。
まったく、死ぬのも楽じゃない。どうせならもっと楽に幽体離脱できたら良いのに。
あれほどの酩酊感が霊体に成ると全くないのも不思議ではあるが、万が一に酒の効能が残っていることが心配であったため、少し落ち着いてから自分は先輩と共に湖の中へと入ってゆく。
完全に水の中に沈むと周りに浮かぶ人魂に照らし出された水中世界が目の前に広がる。
照らし出されるが見渡せない。それくらいこの地底湖の水は濁っている。
もちろん汚らしいとか臭いがキツイとかそういう訳ではない。ただこの地底湖は周りの河川と地下水から流れ込んでくるだけで循環していない云わば水溜りである。それ故にどうしても水が澱んでしまうのだろう。
しかしながら澄んだ水に魚は住まないと言われる様に、この湖には多種多様な淡水魚が見ることができる。
新河岸川でよく見かける鯉はもちろん、おそらく釣堀から逃げ出したのであろう鮎や虹鱒なども悠々と泳いでいる。
魚たちは自分たちがまったく見えていないのか、それとも危害が無いと感じたのだろうか、全然気にする様子も無い。そんな様子を目の当たりにすれば自分たちが霊体なのだなと改めて実感させられる。
「おぉい。こっちだ! 早くしろ」
そう感慨深く思っていると先輩が自分の事を呼ぶ。
幽霊になっているせいか陸上と何ら変わらず届く先輩の声に振り向けば、先輩は見通しの利かない湖の先を指さす。
「何をやっているんだ。宝はあっちだぞ」
そう言い残すと先輩はサッサと先に行ってしまう。取り残されるのは勘弁だと自分も急いで先輩の後を追う。
霊体になって移動するというのは、どうにも不思議な感覚である。
陸上でもそうであったが、体を動かす感覚などまったく無いのに、前後左右上下と好きな方向に進むことができる。
感覚で言うと動く歩道やエレベーターが一番近いかも知れないが、重さが無い分慣性が発生しないため、本当に動いている体感が無いのである。
ふとするとヒョットして動いているのは自分ではなく、周りの景色ではないのか?とさえ錯覚してしまう。
そして移動に関しては水中も陸上も全く同じである。
足をバタつかせることも腕を掻くことも無い。進みたい方向を思うだけで流れるように進んでしまうのである。
先輩に連れ添って進んで行くと、段々と目の前に何かが見えてくる。
何だろうと訝しむ自分の目の前に現れたのは、ユラユラと揺れ動く水草の森であった。
そのまま森の中に分け入ってゆく自分達。水草は大分茂っているが、霊体なのでぶつかることも無く進むことができる。
そうして大分奥まで進んだころ、またしても先輩が指を指した。
指す方向は真下。そこへ先輩共々沈んでゆけば、水草の音g絡まり付いている中に幾つもの木の箱が覗いているのである。
「先輩! これですか。これが千両箱なんですか」
興奮する自分の問いに先輩は莞爾と微笑む。
「なぁ! 徳川の埋蔵金は実在しただろう」
実に鼻高々に勝利宣言をする先輩のことなど気にも留めず、自分は目の前の千両箱の山に完全に心奪われていた。
まさに現金なもので先程自分は宝よりも出口の方が欲しいなんて言っていたものの、実際に宝を目の前にしてしまえばその優先順位など呆気なく逆転してしまう。
信念が無いと笑われても仕方ないだろうが、実際に一生どころか孫や曾孫の代まで遊んで暮らせるほどの大判小判が山住にされていたら絶対に目が眩んでしまうことだろう。
そうして完全に目が¥に成った自分は、喜び勇んで先輩と協力して千両箱のサルベージを開始した。
千両箱は確かに重かったが、水中ならば浮力の助けを得られるためか先輩と協力することで一つずつ何とか運ぶことができた。
それを何往復も繰り返し、ようやくすべてを引き上げることができたのは自分の感覚で何日か後の事だった。
「いやー、大変でしたね先輩」
自分たちの成果である山積みの千両箱を前に自分は思わず顔がニヤけてしまう。
あの幻とまで言われた徳川の埋蔵金。数え切れないほどの男が人生を賭け、その夢を尽く打ち破ってきた秘法が自分たちの目の前に在る。
そう思っただけで喉仏を打ち破るほどの高笑いが込み上げてくる。
宝探しがこれほどまでに爽快だったとは。実に癖になってしまいそうである。
先輩も隣で高笑いしていたが、「それはそうと」と少し真面目な顔をして自分の様子を窺ってくる。
「前からなのだけれども、ちょっと俺調子が可笑しいように思うんだ」
「前からって、作業中からですか」
「そう。何と言うか疲れたというか、力が入りにくくなったように感じるんだよね」
そう言われれば自分にも思い当たる節がある。
どうも最近妙な脱力感に苛まれることが有り、確かめるべく握りしめた右手がまるでテレビのノイズが入るかのように一瞬揺らいだのが目に映る。
霊体の自分たちには肉体の疲労は無い。しかしポルターガイストは精神的に疲れる上に、酒が切れる度に続けざまに『鏡山』を呷って幽体離脱したせいかより不確かさが増したような、どうにも感覚がオカシイ状態にある。
おそらくそれらが原因であろうが、自身がこんな危うい状況に置かれていると思うと内心ヒヤリとしてしまう。
この不安に駆られる状況を解決すべく、早々に肉体へ戻る事ために酔いが醒めるのを今か今かと待ちわびる。
しかし一向に自分の体へと戻る気配は訪れない。それは自分よりも前に『鏡山』を口にしている先輩も同様であり、その表情からは焦りの色が窺える。
まさかこのまま本当に幽霊になってしまうのでは? そんな不安が頭の中を駆け巡り、ゾッとしてしまう。
不安に押し潰されそうになり、何とか紛らわせようと先輩に話し掛ける。
先輩も自分と同じように不安をひた隠しにして会話を続けてくれるが、やはりどうにもぎこちなくなってしまう。
互いが不安にならないように話題を選んで話すものの、本当に言葉にしたい事では無いため続かない。
胸の中に渦巻く死への不安とこんな状況に追いやった憤りとが張り裂けて声に成りそうなのである。
二人の間に流れる空気はパンパンに膨れ上がったゴム風船の表面を待針で何度も引っ掻くような、そんな緊張感が漂っていた。
二人の間に会話が無くなってからしばらく時間が経った。
依然として自分も先輩も体にも同気配が無い。
やはり無理をし過ぎたのか。もう自分は死んでしまったのか。このまま肉体が朽ち果ててしまうのを眺めているしかないのか。死んでもこの地下通路から出ることができないのか。
その時である、何者かが近づいてくる気配がしたのは。
通路の奥から響く足音に気付いた先輩と自分とはすぐさま物陰に隠れて様子を窺った。
一体どういうことだ? この地下通路には自分と先輩としか居ないはずだ。
だとすると一体誰が?
そこまで来てようやく自分はこの地下通路に居るもう一人の存在に思い至る。
そうだ、確か僧正が居たんだった。
だとしたら自分たちは本当に危険な状態にある。こんな魂丸出しの幽霊状態ではあっけなく成仏させられることだろう。
それを思うとタダでさえ低い体温がさらに低くなったように感じる。
どうか見つかりませんようにと息を殺していると、出て来た陰に拍子抜けしてしまう。
出てきたのは何のことは無い。あの仙人狸であった。
七ツ釜地底湖に移動する際に逸れてしまって、まあ役立たずだし探さなくても良いかと思い放っておいたのだが、思えばこいつもこの地下通路に居たのである。
まったく緊張して損したと溜息を吐いて千両箱の後ろから出て行けば、仙人狸も自分たちに気が付いたようで一声吠える。
甘えているのかと思い一つ頭でも撫でてやろうかと思うが、やはり幽霊のままでは触れることも叶わない。
そんな現実に悲しみを覚えていると唐突に「おう、若ぇの、どうしたんでぃ」と声を掛けられる。
聞き覚えのある奇妙な江戸弁に振り向けばなんとそこに居たのはオヤッさんであった。
「オヤッさん! どうしてここに居るんですか?」
こんな辺鄙な穴蔵で知人に出会うだなんて。訳も分からず興奮気味に聞いてみれば、当のオヤッさんは実に飄々とした体を装う。
「いやぁ『オーバー』の諜報活動で河越中を飛び回っていたら大学の校内でこの狸に出会ってな、なんだか訴えかける目をしていたもんでよ、気になってついて来てみた訳って話でぃ」
「―――別段行方不明になった自分たちを助けに来てくれた訳じゃないんですね。一ヶ月も行方不明だったのに」
オヤッさんも自分たちと同じようにノコノコとこの狸の後を追いかけてこの穴蔵へとやって来ただけ。
そんなに自分たちのことなど心配されていないのだなという自嘲の思いが、オヤッさんのキョトンとした顔を見ていると込み上げてくる。
その事実に辟易としている自分の事を見てオヤッさんは何か嬉しそうに顎をなぞり始めた。
「しかし何だね。遂に若ぇのも幽霊になったか。散々誘ってきた甲斐が在ったってもんよ」
オヤッさんのニンマリとした顔を見る限り、相当自分が幽霊になったことがお気に召したようだ。
それもそうだろう。会うたびにオヤッさんは自分に死後の世界の良さを延々と聞かせ、早く死んでこっちに来いと勧誘を続けてきたのだから。
こうして自分が幽霊仲間となったのが嬉しくて仕方がないのだろう。
「ですがねオヤッさん。これは単なる幽体離脱ですよ。自分にはちゃんと帰る体も有ります」
そう言って自分指差す抜け殻を一瞥したオヤッさんは「解ってねぇな」首を横に振りつつ溜息を吐く。
「せっかく幽霊になったんだ。渡世の柵なんざぁ忘れちまって、そのまま幽霊やってりゃあ良いじゃねぇか。幽霊は良いぞ。どんな建物にでも何処にだっても入って行けるし、第一何より過ごすのに金が掛からない。『神原』は無くなっちまったが、酒も他の幽霊酒場で好きなだけ飲めるしよ。良いこと尽くめじゃねぇか」
「そうは言いますけれどもね、生きている内だからこそ味わえる楽しみってのも在りますよ。自分にはマダマダやりたいことが沢山ありますしね。それにせっかく手に入れたお宝の山を使わずに置くなんて勿体ないです。自分は死ぬならスッカラカンにしてから死にますよ」
そう啖呵を切った自分の口を先輩が勇んで塞いでくる。
いきなりの失礼な行動に講義の声を上げようとするものの、手で塞がれた口からは呻き声しか出て来ない。
代わりに先輩が随分と小声で耳打ちをしてきた。
「おい、迂闊にも程があるぞ。何で宝の事を口滑らせるんだ。これでオヤッさんが宝をよこせと言ってきて分け前が減ったらどうするんだ」
そう言われて初めて自分の愚かさに気が付く。ここでオヤッさんにサルベージした埋蔵金の事を知られでもしたら、一人あたりの分け前が減ってしまうではないか。
いくらオヤッさんが浮世離れした存在だからといって、金欲がまったく無いことは否定できない。
もしそうなればきっと宝の1/3は持っていかれてしまい、西雲寺の墓地に土地を買って無縁仏から晴れて卒業することだろう。
そう思うと次はどうにかして誤魔化さねばという考えが脳裏を過る。
当の本人は「何でぇ? お宝ってのはよぉ」と至極興味津々の様子だ。
何か気を逸らす話題は無いかと思案していると、先輩が「ここは任せろ」と自信有り気に話し掛けてきた。
「そんな事よりもオヤッさん。狸を見かけたのが大学の校内だというのは本当ですか」
そう口にした先輩はいつになく真面目そうな顔をしている。
急に真剣になった先輩を見てオヤッさんも「そうだ」と率直に事実を応える。
いったい狸がどういう事なんだろうと意味不明になっている自分の肩を、先輩が「やったぞ!」と大声出して燥ぎながら叩いてくる。
「イイか、よく考えてみろ。狸はこの暗がりの中から外に出ていたんだ。しかも壁をすり抜けられる霊体ならまだしも、生身のままで外に出ていたんだ」
そこまで言われれば自分でもその意味の重要性が解る。
「それはつまり出口が在ったってことですね」
歓喜する自分に向けて「そのとおり」と指さす先輩。
一人置いてき堀だったオヤッさんも、自分たちの浮かれ歩合を目の当たりにして幾分心が浮ついているようにこちらの様子を窺ってくる。
しかし何に着けても出口が在ったのだ。これは非常に重要な事だ。
ようやく自分たちは無間地獄の暗闇から解放される。
そう考えただけで緊張が解けたのか不甲斐なくも涙が零れてくる自分を先輩が少々からかい気味に慰めてくる。
「何はともあれ随分と目出てぇみたいじゃねえか。だったらそこまで案内してやるぜ」
そういうとオヤッさんはさっきやって来た通路を戻って行く。
先輩も喜び勇んでその後に続くが、自分はそれに待ったをかける。
「待って下さい。あれを置いていく気ですか?」
先輩は自分の射す先を見て何か納得しつつも呆れたような顔をしながら戻ってくる。
「お前、気持ちは解らないでもない。けどよ、わざわざ今持っていかなくても大丈夫じゃあないのか。そりゃあオヤッさんには感付かれてしまったかもしれないけれども、直ぐに戻ってくれば何とかなるって」
「―――何を宝と勘違いしているんですか? 自分が言っているのは自分たちの体の事ですよ」
宝の事は後でどうにかなる。しかし体はこのままここに放置しておくわけにはいかない。
いつ急に魂が体に戻るかもわからないのだし、放置したままだと本当の死体となって腐乱してしまう恐れもある。
それだけは本当に勘弁してほしい。自分で自分が腐ってしまったのを見るなんて、そんな残酷な話があるだろうか。
「確かに重要な問題だな。けれどもどうする? 二人分も運べないぞ」
自分たちは自分隊のポルターガイスト能力の限度を知っている。そして自分たちの重さがそれを遥かに上回ることも解っている。
どうしたものかと考えあぐねていると、何時まで経っても付いてこない自分たちを心配してオヤッさんがやって来る。
「一体どうしたんでぃ」と自分と先輩との間を覗き込んだオヤッさんはそこに転がっている自分たちの死体を見てすべてを悟ったようだ。
「成る程な。――――置いて行って良いんじゃねぇのか?」
「冗談にも程が有りますよ、オヤッさん。けれどもどうします? 目覚めるまで待っているしかないんでしょうか?」
ほとほと困り果てた自分たちを見てオヤッさんは「しょうがねぇな」と呟いた。
するとなんと自分たちの死体がフワリと宙に浮きあがったのである。
「俺くらい幽霊やってると、これくらいの心霊現象なんざぁ朝飯前ってもんよ」
流石オヤッさん、年季が違う。実力を見せつけ豪快に笑いながらオヤッさんはまた元の道を戻り始める。
自分はもう一度だけ千両箱の山を一瞥すると急いでその後を追いかけた。
オヤッさんに付いて行くこと暫く。自分は道すがら河越の現況について話を聞くことにした。
「じゃあ、いま本格的に『オーバー』と市議会軍との全面抗争になっているわけなんですね」
オヤッさんの話によると河越は大変なことになっているようである。
予てより河越にルネサンスを起こすべく行動をしてきた革命組織『オーバー』がついに大規模な実力行使に出たのである。
代表を務める先生が先頭に立ち、市内のあちこちで功罪によって生み出された建築物や名所などを尽く破壊しているようである。
それに対し市議会はこれをテロ行為と断定し、徹底抗戦の気概で臨んだため、今や河越はそこ等中でいつ何時でも戦いの起こる無法地帯になってしまった。
「しかもさらに悪い事に秘密結社の馬鹿どもが、この機に乗じて市議会と『オーバー』の両方を叩きのめそうと動き出しやがってよ、事態はさらに泥沼になっちまった」
泥沼の三つ巴戦。その戦いは激しさを増すばかりで、もはや河越はその面影もなく蔵の街並みも崩れて廃墟のようになっているらしい。
しかしどうして秘密結社が動いているのだろうか。
秘密結社の戦闘指揮は『大佐』である自分が一任しており、自分が許可をして総統に提限り戦闘員たちを動かすことはできないはずだ。
もし自分の許可もなく戦闘員を勝手に動かしたのならば、それは重大な軍紀違反に当たるはずである。
そうやって自分が最終関門として秘密結社の無暗な戦闘行為を抑制してきたのだった。
だが今現在戦闘員たちは戦闘行為に及んでいる。もちろんズット地下に潜っていた自分の許可など得られるわけがない。
―――ということは…。
そこまで考えて自分は結論に辿り着く。
これは新しい『大佐』が決められたと考えるのが妥当であろう。
それもそうだ。何せ二ヶ月近く行方不明になっている奴の指示を待ち続けていたら組織として機能が麻痺してしまう。だったら行方不明者はクビにして『新大佐』を迎えるのが上策だ。
そう納得するものの、自分がクビになった事実に、どうにも遣る瀬無い気持ちにさせられる。辞めたくて仕方なかったあのアルバイトに未練は無いはずなのに、この人情は不思議なものだ。
だがその『新大佐』はどうにも好戦的で血の気の多い人物らしい。オヤッさんの話を聞く限り秘密結社が出しゃばって来なければこれほどの被害にはならなかっただろう。
そんな性格の奴が秘密結社に居たかなと記憶を辿ってみても辿り着けず諦める。
それに先輩もここに閉じ込められてしまったのも、また今回の事態の一因となっているはずである。
先輩がいくら否定しようとも彼が町のヒーロー『ザリバー』であることは周知の事実であり、そして『ザリバー』が本意不本意を問わず秘密結社と敵対し、抑え付けていたことで秘密結社の行き過ぎを防いでいたはずである。
しかしその『ザリバー』こと先輩が二ヶ月近くどこかへ行ってしまったのである。抑え付ける者の無くなった秘密結社が暴走を始めたのは当然の事であろう。
そう思って先輩を揶揄すれば、この期に及んでも先輩は『ザリバー』など知らぬ存ぜぬと言い通す。
まったく往生際の悪い人だと呆れかえった自分の耳に、オヤッさんの口から発せられた予想外の事実が飛び込んできた。
「ところが『ザリバー』も面白がってこの争いに加担しやがったもんだから、最早手ぇ付けられる状態じゃなくなっちまったんでぃ。おい、いってぇどう落とし前付けるつもりなんでぇ!」
剣幕を張るオヤッさんとは裏腹に自分と先輩とは呆然としてしまう。
どうやらクビになったのは自分ばかりでなく、先輩もまたヒーローをクビになっていたらしい。そして顔も知らない、戦火に油を注ぐような真似をする好戦的な誰かがまた新しい『ザリバー』となったようである。
「そんなこと言われても知らないですよ!」
オヤッさんに詰め寄られる最早一般人の先輩を見れば、その表情は自分の与り知らないところで自分ではない誰かの行為を責められて戸惑っているようであり、クビにされたことに対して相当ショックを受けているようで沈んだ面持ちになっている。
それを見てオヤッさんは、何を言っているんだと憤りと呆れとが混ぜ合わさった表情をしている。
だってそうだろう。先輩は自分とずっと居たのだから、『ザリバー』のことは関係ない。今の『ザリバー』についても責任を追及されるのはお門違いだろうに。
これには自分も些か理不尽に感じて口を挟もうとする。
その時である。仙人狸が一声泣いたのに釣られて見てみれば、そこに一条の光が見えた。
自分はあまりの喜びのために声を無くした。懐中電灯でも人魂でもない、太陽が作り出す自然光が目に映る。
暫くぶりに見る光に目が眩むが、そこに自分たちのゴールがあることに大きな安堵を感じるのであった。
「やったぞ!出口だ!生きて地上に出られたんだ!」
先輩も興奮気味にそう叫ぶ。未だに幽体離脱しているので生きて出られたのかは突っ込みどころだが、外へ出て彼女に頼めば体へ戻る何らかの手段があるはずだ。
「さあ、あそこが出口でぃ。―――て、おい!あまり急ぐんじゃねぇ!危ねえだろう」
オヤッさんがそう叫ぶものの急ぐなと言う方が無理である。二ヶ月にわたる暗闇生活の中、諦めかけた日の光が目の前に射して来ているのである。誰だって明るい方へ行きたいのだ、それくらい咎めないでほしい。
そう思いながら全力で走り続け、両手を広げて表へ飛び出す。
―――やったぜ!日の光だ!
そのように歓喜した瞬間。自分の体が焼けるような感覚に覆い尽くされた。
先輩と自分との絶叫がコラボして、駆け込むように穴倉へと引き返す。
戻った先ではオヤッさんが、だから言わんこっちゃねぇといった表情でこちらを見下してきている。
「なんで人の話を聞かねぇんだ。幽霊が日の光を浴びたら消えるに決まってんじゃねぇか」
オヤッさんの話に愕然とする。日の光を浴びたら消えるだって⁉ 言われて自分の手を見れば光の粒子がまるで湯気のように立ち上っており、それが空気に消えてゆくにつれて自分の手も溶けるように薄くなってゆくではないか。
「あああ!!あああああああああああああああああああああああああああああ!!!! 自分の手が消えてゆく!そんな嘘だ!嫌だああああああああああああ!!!!」
体中が焼けるような激痛と自身が消えてゆく恐怖に絞るような絶叫を漏らす自分。隣の先輩もまた自分と同じように言葉にならない絶叫を発している。
こんな事って無い。あんまりだ! 外に出たら助かるどころか消えて無くなってしまうだなんて。畜生! やっぱり神様はサディストだ!
神を恨み、呪詛の言葉を吐いていると、オヤッさんが「落ち着けバカ野郎」と自分と先輩の頭を平手打ちした。
そうしてようやく平常心を取り戻した自分たち二人に、オヤッさんは幽霊にとって太陽がどんなに有毒であるかをコンコンと話して聞かせた。
幽霊が日の光を浴びると、先ほど自分たちの身に起きたように霊体が蒸発してしまう現象が起きる。そんな宛ら吸血鬼のような特性があるらしい。
そのため大方の幽霊は日中には墓石や位牌の中に籠るか、光の届かない暗がりに身を隠しており、日が沈んだ後に活動を始めるのである。
確かに真っ昼間の日の高い時間に幽霊を見ただなんて話は聞いたことがなく、幽霊が本格的に動き出すのは深夜の丑三つ時と相場が決まっている。
それに光を浴びて蒸発しても完全に消えることはなく、日が沈めば蒸発していた零体が自然と集まりまた元通りなるようである。
実際に再び闇の中へと引きずり込まれた自分の手を見てみれば、先ほどまで消えかけて形が解らなく成っていた筈なのだが、今では随分と元通りハッキリとした形になってきている。
それもこれも日の光を避けて暗がりに戻ってきたためだと、さっきのオヤッさんの話から説明が付くわけである
体の消失の恐れが消え零体の仕組みに合点がいった自分とは裏腹に、先輩は尚もオヤッさんを問いただす。
「しかしそれだと話が合わないことがあるじゃないですか。そもそもどうしてオヤッさんは幽霊なのに昼間から出歩けるんですか? 以前にも何度か明るい内に会ったこともありますし、それじゃあ話が違いますよ」
「そこら辺は俺が特別だからっツウことなんだよな。俺みたいに長らく現世を彷徨ってぇと適応みたいな感じで光に対して体制ができちまったわけよ。おかげで真昼間から大通りを歩けるようにはなってやんだがよ、やっぱり長ぇ時間はダメだな。せいぜい一時間ばっかしが限度か」
前々よりオヤッさんのことを昼間から見かける何とも型破りな幽霊だと思っていたが、そのような貴意を経て手に入れた特性なのだと知って、自分はいくらか気の毒なような気がしてくる。
この世の未練が『世界中の酒を呑みたい』という途方もない願いであったため、何時まで叶えられず、ついには光に耐性ができてしまうほどに長い時間を現世で彷徨っていたのである。
それを思うとこの特性を手放しに羨ましいとは思えず、逆に何らかの呪いめいた印象を受けてしまい、僅かながらも畏怖の念を覚えるのであった。
「そういうわけでお前ぇさんたちが幽霊のまんま御天道おてんとうさんの下を歩こうなんざぁ百年早えって話よ。どうしても出て行きてえってんなら消えちまうのを覚悟するこったね」
そう言ってオヤッさんは浮かせていた自分たちの体を、その場で床に下ろして寝かせた。
依然として薄気味悪いに死に顔をさらす自分と先輩との亡骸はすでに大分冷たくなっており、一刻も早く戻らなければ腐敗が始まってしまうのではないかとさえ考えてしまいハラハラさせられる。
そんな思いとは裏腹に一向に戻る気配のない自分を先輩が小声で手招きしながら呼んだのである。
通路の曲り角から指さす方を見てみれば、そこにいた僧正に一気に戦慄が走る
まずい人物を見つけてしまった。幸い相手は自分たちには気が付いていないらしく、そこら中に目を光らせ何かを探しているように見える。
何を探しているかは知らないけれども、自分たちが見つかった場合には有無を言わさずお祓いされてしまうことだろう。それを思うと恐怖心が込み上げてきて自然と息を殺そうとする。
隣にいる先輩も前回の経験からかなるべく僧正とは係わらないようにと考えているのだろう。いつもの元気と厚かましさはどこへ消えたのか、冷や汗を掻きながら気配を消して成り行きを見守っている。
やがて、しばらくし僧正は探し物が無いとみるとその場所を去ろうとする。
良かった、これで一安心だと胸を撫で下ろした自分たちの脇をオヤッさんがすり抜けてゆく。
何を思ったのかオヤッさんは命知らずにも僧正の方へとフヨフヨ浮かんで近づいてゆく。
焦って止めに入った自分たちに感づいたのか、僧正が振り返ったのと自分たちが通路の陰に隠れたのはほぼ同時だった。
今は非常に危ないタイミングだった。もう少しでも隠れるのが遅くなっていたら確実に僧正とエンカウントをしていたことだろう。
それを考えると噴き出した冷や汗が止まらなくなる。
そして自分と先輩との腕のなかでモガモガと声を上げるオヤッさんを解放してやれば、案の定自分たちに向けて非難めいた視線を投げかけてくる。
「おい!手前ぇら、いったいどういうつもりなんでぇ。人が勇んで人を驚かそうとしていた矢先に首根っこ捕めぇて引きずり込みやがって。どう落とし前付けるつもりでぃ」
いつになく凄い剣幕のオヤッさんだが自分たちはオヤッさんを助けたのである。本来ならば感謝こそされるべきだ。それなのに罵詈雑言を浴びせられるとは実に理不尽ではないだろうか。
「何を聞き分けのないことを言っているんですか!相手が誰だか解っていっているんですか!」
「知らねぇよ、そんなこと。暗がりで人を見つけりゃ驚かす。それが幽霊のセオリーだろが! このど素人が!」
「それこそ知らないですよ。それに相手が悪すぎます。さっきオヤッさんが襲いかかろうとした相手、あれは喜多院の僧正なんですよ。そんな奴に目を付けられたら幽霊なんてあっという間にあの世行きですよ」
僧正の恐ろしさを必死に訴えかける自分。しかしそんなことなどお構いなしといった様子でオヤッさんは「ガハハハ」と豪快に笑う。
「大いに結構じゃねぇか。喜多院の大入道を驚かせた幽霊だなんてよ、冥途の土産話にはピッタリじゃねぇか」
「冗談でもそんなこと言わないで下さい! 絶対敵いっこありませんて」
「やってみないと解らねぇだろ。そんなこと」
喧々諤々の言い争いをする自分とオヤッさん。オヤッさんは幽霊の意地として、自分はオヤッさんの思うあまりに一歩も意見を譲ろうとはしない。
こうなればどちらかが折れるまで徹底口論をしようと、腹を括る自分の肩を震える手がペタペタと叩いた。
白熱討論に水を差さないで欲しいと肩を叩いた先輩の方を睨みつえれば、どうしたことか先輩は顔面蒼白になって指さしている。
そして自分もさした指先を見て青ざめた。何せそこには上半身裸の僧正が不動明王の形相で仁王立ちしていたのだから。
その時の僧正の表情は筆舌に尽くし難かった。睨まれるだけで昇天してしまいそうなその眼光が真っ直ぐ自分たちを捉えている。
蛇に睨まれた蛙のように動くことも言葉を発する事もできず、口をパクパクさせる自分と先輩の様子を見たオヤッさんも気が付いたのか今ごろになってようやく僧正の方を見る。
「―――おや?おやオヤ?」
一目僧正を見たオヤッさんはどうにも興味深いといった反応を示す。そのままジックリと僧正の顔を見回していたオヤッさんだが急に両手を叩いた。
「なんだ僧正ってのはお前さんだったのか! 久しぶりだな」
突然嬉しそうに大笑いしながら歩み寄っていくオヤッさん。そんなオヤッさんを見て怪訝そうな視線を向けていた僧正だが次の瞬間にはその表情を驚きに変えていた。
「お前『七ツ釜』なのか!?どうしてお前がここに居る」
「いやさ、色々あってよ」とゲラゲラと笑うオヤッさん。急に打ち解けた雰囲気になる二人に訳が分からなくなる自分は二人の関係を問いただしてみた。
「こいつとは大学時代からの付き合いでな、『猩々』…まあ、お前らの大学の先生だな。奴と一緒に河越中の飲み屋を練り歩いてきた仲なんでぃ。しかしお前がそのまま家を継ぐなんてな。弟も一緒なのか」
「いや、あいつは十年前に家を飛び出してしまい、今では教会の牧師をやっているよ」
「ヤッパリな、遅かれ早かれいつか出て行ってしまうんじゃねぇかって、薄々そんな予感がしていたんでぃ」
旧交を温めあう二人の会話はそれから暫く続いた。自身のこと、先生のこと、あの世のことなど実に二人は楽しげに話し合っている。
いつも気風の良いオヤッさんが上機嫌なのはまだしも、僧正がここまで和やかな表情をして話している姿を初めて見た。
「やっぱり旧友ってのは良いもんなんだな」
隣で見つめていた先輩も、二人の様子を実に嬉しそうに眺めている。
自分も二人の様子を見ていると何とも羨ましいような気持ちにさせられる。
長い期間離れ離れだろうとも、再び出会えばまるで昨日遊びあったかのような関係になる。旧知の親友とはなんと素晴らしい関係なのだろうとしみじみと思い至る。
自分に対しては誰がこの関係に当て嵌まるのだろう。朋友はもちろんだが、先輩と彼女もまたそうだとすれば、将来的にも地獄の飲み会に付き合わされることになるのだろうかと考えてしまい、ついつい苦笑いが零れてくる。
その時である「そうだ!」と何か閃いたらしいオヤッさんが両手を叩いた。
「坊主よぉ、お前さんならこの二人を元の体に戻すことができるんじゃあねぇのか。こいつら幽体離脱したはいいけれども、元に戻れなくて困っていたところなんでぃ。ここは俺の顔を立ててひとつ助けてやっちゃあくんねぇか」
なるほど、その手があったか。霊を祓うことができるのならば、霊を元の体に戻すこともまたできるだろう。それに僧正並みの技量の持ち主ならば尚のこと安心して任せることができる。
「よかったですね先輩。これで元に戻れますよ!」
「ああ、本当だ。もう幽体離脱は懲り懲りだぜ」
自分たちが降ってわいた希望に心を躍らせていると、オヤッさんにそう言われて僧正がこちらを窺う。そしてすぐさま渋い顔をした。
「この者たちは寺の宝物を持ち逃げした罪人だぞ。それなのに易々と助けてやって良いものか。もう暫くこのままにしておくのも罰なのではないか」
さすがは僧正。厳格さが袈裟を着ているような人物である。
確かに自分たちはやったことに対して、何も禊をしていないではないか。
そもそも、喜多院の蔵に忍び込んで宝物を盗み出しているわけだし、その上に火付けまで上乗せされるわけである。
僧正が言うように何かしらの罰を受けるべきなのだとすれば、いったい何年このまま幽霊をやっていろと言うのだろうか。きっと十年二十年じゃ済まないだろう。
そしてそれは確実に自分たちの体は土に還る事だろう。つまりはオヤッさんの仲間入りじゃないか!
その事に考えが至って心底青褪める自分と先輩を、オヤッさんが嗜める。
「まあまあ、そう言うなって。意地悪してやるなよ。こいつ等はまだまだ若い身空なんだしよ、やりたい事だって色々あっただろうさ」
「…いくらお前の頼みだってな」
「そこを何とか。後生だから助けてやってくれよ」
「…元に戻ったならばちゃんと罰を受けてもらうぞ」
納得はしていないながらも、それでも渋々といった体で僧正は引き受けてくれた。
そのことに胸を撫で下ろすと僧正が何やらブツブツと唱えだした。
するとどうしたことだろうか、自分と先輩の体がボンヤリと輝きだし、体の芯から浮き上がるような感覚に見舞われる。
しかし不安は一切なく、心はまるで故郷に帰るような安心感に満たされていた。
そして次の瞬間、自分は背後から何者かの腕に引き寄せられるように吹き飛ばされる。
突然のことに訳も分からず飛び起きれば、自分の体に重さがあることに気が付いた。
手に触れる石の冷たさと砂のザラザラした感触も、鼻孔を抜ける空気の寒さと湿り気もアリアリと感じることができる。
未だに体が寝起きのように怠い感覚に包まれているが、それすらも今の自分には実感となって頭に伝わる。
蘇ったのだ。正確に言えば魂が元に戻ったのだ。
人生でこれほどの嬉しさを感じたことはない。生きるのはなんと素晴らしい事だろう。
死んでいる内は感じることのすべてが味気なかった。さながら味のないガムを噛むような感じだった。
それがどうか! 体が有るだけでこれほどまでに世界を強く感じることができるのだから、本当に死ぬのは勿体無いことだ。
この喜びを記念して今日を第二の誕生日にしようと心に誓う自分の横で、先輩が転がっている。
未だに目を閉じたままの先輩。確かに先輩もまた体に戻っているはずである。
「先輩、起きていますか?」
「―――ん?起きているよ」
確認のために先輩に声をかければそれに応えて先輩も身を越した。
いかにも眠そうに欠伸をする先輩は関節をボキボキと鳴らす。
「いやぁ、暫く動いてないから関節が錆び付いちゃって全然動かない。それに床ずれが痛くてしょうがないな」
「まあ、そのうち元通りになりますよ。それよりこれで太陽光も大丈夫ですし、サッサとこの穴蔵を出ましょうよ。いい加減この湿っぽい空気は飽き飽きです」
自分はさっきまで歓喜していた地下の空気だったが、手のひら返しで貶すと早足で歩みだそうとする。
しかし自分の関節も錆び付いており、出来の悪いロボットのような動きしかできない。そのため地面に躓いて転びそうになったが、僧正が体を支えて抱き起してくれた。
思いがけず僧正の心遣いに触れて、自分は素直に礼の言葉を伝えたのだが、当の僧正は霊には及ばないと手を振って応えた。
「まだまだ本調子ではないのだから足元には気をつけろ。こんなところで怪我されては今後の修行に差し障りがあるからな」
「…それってさっき言っていた罰のことですか?」
僧正は「その通りだ」とニヤリと笑う。
その答えにゲンナリとしながら出口を目指すと視界の端に捉えたものに目を奪われる。
それは扉だった。
何の変哲もないただ古いだけの扉だが、自分はそれに釘付けになってしまった。
「おい、どうした?…なんだあれ、ただの扉じゃないか」
先輩もまた所見の意見は自分と同じであった。
「どうせまたどこぞの倉庫の入り口なんじゃないのか? そんなものに構っていないでさっさと行こうぜ」
興味など端からない先輩が踵を返して先に進もうとするが、自分はその肩を引く。
その際に先輩は体制を崩し「何をするんだ!危ないじゃないか!」と非難の声を上げるがそれどころではない。先輩が怪我しようが何だろうがこれを見ればグウの音も出ないだろう。
「良いからあそこ見て下さい。あそこの扉から光が漏れているんですよ!」
光が漏れていた。その光は太陽光ではない人工的な蛍光灯の青白い光だった。しかしその光の強さがまるで消えかけのロウソク並みである。気付くのには本当に注意を払わなければならないほど本当に微弱なものである。
そんな光が有るということは人の手が加わっているということ。そしてそれが光っているということはそこに人が居るということである。
点けっぱなしということもあり得るが、それでもそこに人が居たという事実に変わりがない。
そのことに気が付いた先輩は自分と同じように絶句してしまう。絶句は状況を理解した者に伝染してゆき、オヤッさんと僧正もまた同じように黙りこくる。
ただ唯一、狸だけが不思議そうに小首を傾げて見つめていた。
自分たち一行はもはや出口のことなど頭から抜け落ちており、その注意は完全に扉の向こうへと向けられていた。
いったいこの扉の先には何があるのか…ドアノブを回せば解ることだが今一つ勇気が出せない。しかし沸々と湧き上がる好奇心には勝てない。
鬼が出るか蛇が出るか。ままよとばかりに扉をあけ放てば、もう一つ扉がある。
光が弱かったのは二重扉だったためかと納得すれば次の扉に手をかける。一度開けてしまえば物怖じもせず、開けられた扉の向こうの明るさに目が眩んでしまう。
そして目が慣れるに従って部屋の中身が見えてくる。
目の前に広がっていたのは本をギッシリと詰め込んだ本棚の群れだった。
数えきれないほどの本棚が整然と並んでおり、隙間なく詰め込まれた本がジャンルや作者や刊行年代ごとに分類されている。
きっとここならば自分の探し求めていた、もしくは自分と馬の合う一冊に巡り合えることだろう。そしてこの青白い光の下で読めば、目も冴え冴えに夜更かしも苦も無くできるだろう。
そして次の本、次の物語へと移り渡ればたぶん一生をもアッと言う間に終えてしまうことだろう。凡人ならばすべてを読み終えることもなく。
ここはそんな場所である。人はこの場所を『図書館迷宮』と呼ぶ。
ここに来るのは約一年ぶりだった。去年の四月の末から五月の初めにかけて自分はこの迷宮を彷徨っていたことがある。
それ以来彷徨うのはもう勘弁だとなるべく近づかないように心掛けてきた場所だが、まさか地下通路と通じていたとは思いもしなかった。どちらも地下なのだからチョット考えればかもしれないと思い至ることだが。
その時である。僧正が「こっちに来てくれ」と手招きをして自分たちを小声で呼んだのだ。
声の元へと駆け寄ってみると、そこには一人の男が床に座って自分たちに目もくれず黙々と本を読んでいた。
彼の周りには読み終わった本が本棚に戻されることもなく積み重ねられており、さながら彼を守る要塞のようになっている。
その要塞の主は服もボロボロで髪も髭も伸び放題、おまけにどれほど長い間風呂に入っていないのか酷い臭いが漂ってくる。
ガチガチに固まった頭髪を右の手でボリボリと引っ掻けばボロボロとフケが飛び散った。フケに先輩が悲鳴を上げると、ようやく彼は自分たちに気が付いたらしく顔を上げた。
毛によって風貌は解り辛いものの自分と同年代のように思える。その物乞いの如き風体に似合わす聡明な眼差しなのは、この『図書館迷宮』にある本から多くの教養を得てきたためだろうか。
そんな彼は驚くでもなくジックリと自分たちを見回すと、徐に息を吸ってこう言った。
「すみません。この中に『自分』は居ますか?」
一瞬誰もが沈黙するものの、間を置いて先輩方が自分の方を見る。
それを答えとして彼は満足げに頷くとニコリと笑って自分に話しかける。
「やあ、君が〝今〟ですか。待ってましたよ」
言っている意味が今一解らない。いったい何を言いたいのだこの男は? そもそも彼は自分の何なのだ? 自分の何を知っている?
多くの疑問が去来する中、それらの多くに応えうる問いが頭に浮かんだ自分は、すぐさま目の前の男に問い掛けてみることにした。
「―――君は一体誰なんだ」
それを聞いてまたしても彼はニコリと笑う。そして自分の問いにこう答えてきた。
「―――『自分』。つまり〝今〟の君だよ」
「? 何を言っているんだ」
この時、自分は河越のトンデモナイ事実に触れた。…のだろうか?




