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誰がために時の鐘は鳴る  作者: 楠木 陽仁
10/13

喜多院篇

 クリスマスの騒動から一週間が過ぎ、年の瀬。日付は12月31日の大晦日である。

 自分はこの本格化した寒空の下、これからの行事のための準備を励んでいた。

 この準備、実を言うとここ数日付きっきりで行っている。それほどにこの準備は忙しい。そのため自分は家にすら帰れていない。そもそも、帰れる身分でもないのだが。

 木片の束を何往復も運んでいると、鐘の音が聞こえてくる。

 だが、その鐘の音は『時の鐘』のものではなく、いま自分がいるこの施設、その敷地内に設けられている鐘つき堂から聞こえてくる。

「「「「明けましておめでとうございます」」」」

 鐘の音に呼び起こされたように其処彼処、そんな挨拶が飛び交い始める。

 声の方へと目をやれば、石畳と玉石敷きの境内に、大勢の人が列をなして連なっているのが見えた。

 ―――そうか、年が明けたのだな。

 ため息は証明に白く曇って漂うが、夜の闇に霧散する。

 例年ならば家族で『行く年来る年』を見ながら年越しそばを手繰っている頃合だというのに。

 今年はその団欒の暖かさに浸ることは無理だった。身から出た錆とはいえ、ここまで自分を蝕むなんて。

 ―――やめよう。下らない。

 思ってみたところで詮無き事。振り切るように自分は仕事へと戻る。

 早歩きで廊下を過ぎるその後、お堂の高札には『川越大師 喜多院』と掘られていた。

『河越大師・喜多院』。佐野厄除け大師、青柳大師と共に『関東の三大師』にも数えられる名刹である。

 その歴史は奈良時代まで遡るとも云われ、当時は北院と呼ばれており、古くより中院と南院を合せた三院を以て関東の天台宗の中心として崇められてきた。

 そして江戸時代初期に天海僧正がこの寺の住職となったことにより、この寺の権威は不動のものとなった。

 天海僧正は時の権力者である徳川家康と懇意であり、家康の存命中からその繋がりは密なものであった。

 そして家康の死後。亡骸が日光東照宮へと運ばれる途中、家康と懇意にしていた関係から喜多院にも遺体が安置されており、それを(えにし)として喜多院境内の仙波山に『仙波東照宮』が建立されることになったのである。

 因みに、童謡『あんたがたどこさ』の発祥はこの仙波東照宮であるという説があるが、歌詞に在る様に熊本が発祥だという意見が優勢である。

 話を戻すと、江戸時代に徳川家との繋がりが強固であったこの寺院は大いに栄え、多くの参詣者と檀家を抱え込むことになった。

 その威光は現在でも衰えることがない。それは寺の敷地面積にも影響しており、川越では現在の中院の在った場所から現存しない南院の在ったとされる場所までも喜多院の敷地となっている。

また縁日、特に初詣ともなると数多くの参詣者がやって来て、諸願を託し、恩恵に預かろうとするのである。

 そしてその例に漏れず自分もこの名刹へと来たのだが、自分のそれは少々他の人たちとは違っている。

 自分の場合、ここ喜多院へ修業をしに来たのだ。



 自分が喜多院に修行しに来た理由。それは一週間ほど前の話である。

 先月の24日。ご存知の方もあると思うがクリスマスの夜に自分は修羅場に陥った。

 バイオレンスなお嬢さんから、真っ赤に熱した焼き(ごて)を押し付けられそうになり、命からがら逃げ出した自分。

 そのまま夜の河越を四方八方へと迷走し、漸くたどり着いたのは彼女の研究室であった。

『助けて下さい! 居るのでしょう⁉ 助けて下さい!』

『何なの? ご近所迷惑よ』

 何度もドアをノックして、やっと開いたその奥から、彼女が一人でケーキをホール食いしながら顔を出す。

 こっちが地獄の修羅場を見たと言うのに呑気なものだと思いながら、事の仔細を説明し、何とかかくまって貰おうと思った自分だが、当の彼女は『ハハハ』と笑って流されてしまう。

『嫌よ。御免被るわ』

『ええぇッ⁉ 何で! 好きだって言ってくれたのに!』

 そもそも自分がこんな目に合っているのも、蓮馨寺での彼女の発言に事の発端が有るのだから。

 そうで無ければこんな事には成っておらず、お嬢さんと静かで充実した、平穏なクリスマスの夜を過ごして終わりだっただろうに。

 つまりは責任があるって事だろう。

 だから、それを頼りにこっちは必至で、すがる思いでやって来たと言うのに、突き放すだなんてあんまりだ。

 まさか、自分を弄んだという事なのか?

『確かに好きだと言ったけど、あくまでそれは観測対象としてだから』

 思った通りの最悪に、自分は言葉が出なかった。

 訳も無く凍り付いてしまう自分に対して、お嬢さんは追い打ちをかける様な事を言う。

『あなたは私の実験にも付き合ってくれるし、色々と無理も聞いてくれえるし、そう云うところは好きよ。嫌いなわけないわ。―――でも、君じゃないのよね。』

 甘い言葉の後に間髪入れずに差し込まれる否定の台詞がこんなに心を砕くとは。

 どうやら彼女にとって自分の存在はモルモットに等しいらしい。

 何と言う事だ。愛玩動物に対する愛情(ライク)であっては、どんなにこちらが足掻いても恋慕(ラブ)に至る訳も無い。

その後も聞かされる彼女の言葉の中には実験動物としての愛着は感じられるが、異性としての恋愛は含まれていないことがアリアリと感じられた。

 


ここまで言われてしまっては最早取り付く島も無い。精神的ダメージを極限まで食らった自分は、ボロボロと零れる涙の滝で尾を引きながら、まるで導かれるよう教会の懺悔室へと駆けこんでいた。

 やって来たのは先月のボランティアを勤め上げ、その裏で秘密結社の裏工作をしていたあの教会である。

その裏工作、ゴキブリの卵をクリスマスプレゼントに仕込むという、どうしようもない事だったが、当のゴキブリは外気温の寒さも相まって孵化が遅く、概ねプレゼントボックスと共に焼却炉粋と成り、失敗に終わったようであるが。

とは言え、あんなことをやった手前暫く顔を出すことも無いだろうと思っていたものの、どうしようもやりきれない気持ちに苛まれた自分は、ボランティア終了の翌日にも拘らずやってきたのである。

教会に常駐する生臭牧師も自分と同じように暫く誰も尋ねては来ないだろうと思っていたらしく、教会の長椅子をベットにして居眠りこいていたところ、翌日いきなり駆け込んできた自分に少し驚いているようだった。

 しかし、自分の様子を見た牧師は何かを察したらしく、静かに、さも面倒臭そうに反対側の部屋へと入ってきた。

『さあ、迷える子羊よ―――打ち明けなさい』

「牧師様…自分の懺悔を聞いてください」

 自分は一切合切の後悔を告白した。

 自分に用意を寄せていてくれたお嬢さんが傍に居ながら彼女から好きだと言われたことに浮足立ってしまった事。

 その態度がお嬢さんの心を気付着けてしまい、普段の様子からは考えもつかないバイオレンスな凶行に走らせてしまった事。

 そして何よりそのお嬢さんから逃げ出して、助けを求めて縋った彼女から体よくフラれてしまった自分の不甲斐なさ。

 その一部始終を告白したのである。

「どうか! どうか…こんな私にお導きを…」

 自分は藁にも(すが)る勢いで、それこそ(すが)る相手が神ならば、なお必死な思いで救いの言葉を求めた。敬虔な耶蘇教徒でもないにも拘らず。

『…プっ…それで、君はノコノコと此処へやって来たと…フフッ』

 自分が(すが)衝立(ついたて)の向こうからはどういう訳か笑いを堪えたような声が返ってくる。

 まさか笑われているのか?…いや、そんなはずがない。

だって可笑しいではないか。こちらがこんなに苦しんでいるのにさも娯楽だと言わんばかりの態度を取るはずがない。何せ相手は聖職者なのだから。

そう思い、邪推を振り払いながら自分は言葉を続ける。続けた言葉を受けて漏れ(いず)る苦笑がさらに大きくなったようには思えるが。

「…自分ではもうどうしたら良いのか分からないんです。真摯に答えることも叶わずに、こちらの純真は弄ばれて、何を信じて良いのやら解らないのです。幸せを掴もうとするたびに災難ばっかりが押し寄せてきて、これじゃあ前にも進めません。まるで悪意ある誰かに呪われているようで、悪魔でも憑いているのじゃないかと思ってしまう程に」

『・・・・・・ク・・・・・・フフッ・・・あー、確かにそれは問題ですね』

 そう笑いを含んだような台詞を言って暫く黙り込んだ牧師。頭をバリバリと掻く音も聞こえる。

そして『ふうっ』と一つ溜息を吐く音が聞こえると『それでは…こんなのはどうでしょうか』と話し始めた。

『これから暫くの間、修行をしてみては如何ですか』

 修行と言われたことにドキッとする。どんな荒療治をしようと言うのか。

 少し恐ろしくなっていったい何をするのか聞いてみると、牧師は少し面白がっているように答えてきた。

『前にも話したと思うけれども、私の実家は代々喜多院の僧侶を務めてきた家系でね、今でも私にはその伝手(つて)が残っているわけだ。それを使って君に喜多院での修業を1ヶ月ほど受けて貰い、精神修養を図ろうという訳だ。どうだい? やってみる気は有るかな?』

 なるほどそれは良いかも知れない。精神修養も兼ねて心の傷を忘れるには、雪の降る音も染入る様な静かな寺で世俗を離れて過ごすのも悪くは無い。

 ―――だったら行こう。すぐ行こう。

 その時、精神的ダメージから正常な判断を失っていた自分は、自ら望んで地獄へと落ちるような判断を二つ返事で下してしまったのである。

 その翌日。早速牧師の(したた)めた紹介状を手に喜多院へと向かった自分は、小僧に案内されて本殿の広間へと案内された。

 板張りの床は外気の寒さから氷の様に冷えており、ただでさえ辛い正座がより一層の苦行となる。

 足を崩して胡坐を掻こうにも、自分の周りを十重二十重(とえはたえ)に囲む修行僧たちの鋭い眼光がそれを許そうとしない。

 熱くも無いのに変な汗を掻きながら苦行を続けること30分。奥の襖が開くと薄暗い部屋からの奥から一人の男が出て来た。

 その男の頭は禿頭で肩から金糸銀糸をあしらった豪華な袈裟を掛けている。シワの寄った顔は厳めしいばかりではなく、どことなく慈愛に満ちた雰囲気が有る。

 そして何より自分を驚かせたのは、その顔立ちが教会に居る例の生臭牧師にソックリだったことである。

 その僧侶は自分の対面、一段上がった茣蓙の上に敷かれた緋色の座布団に座ると、一つ咳払いをし、自身の名前を述べた。

 しかしその名前は余りにも長すぎたのは頂けない。ホニャララ院だのフニャ(くう)だのと、名前に込められた意味も知らない、文字数も数え切れない、どんな漢字を書くのかも解らない様な名前をいきなり言われても覚えることは常人にも無理だろう。

そして自他ともに名前を覚えることが壊滅的にダメなことに定評のある自分には決定的に無理だった。

 そこで自分は最後に言われ、唯一聞き取ることのできた『僧正(そうじょう)』と云う名でこの坊さんの事を呼ぶことにしたのである。

 ところでこの僧正が牧師とソックリなのは何故かと言うと、どうやら二人は血を分けた兄弟。しかも一卵性の双子であるらしい。

 因みに僧正が兄で、牧師が弟である。

 しかし一見するだけで僧正が生臭ではないことが解る。それほどの風格を纏った人物であるのだ。

「よくぞ参られた。弟から話は聞いている」

 かけられた言葉は何の気も無い単なる挨拶であったが、日々の読経によって培われた発声はかなり通っており、広間全体と自分の腹に響いた。

 そんな僧正に気圧されながらも挨拶を返した自分に、僧正は様々な質問をしてきた。

 自分はここで修行する理由、牧師からの紹介の経緯、簡単な禅問答などを真摯に答えた後、御仏に仕える者としての心得を諭される。

 30分ほどジックリ話し合い、一通り質問し終えたのか、僧正はその厳めしい顔にフッと安堵の表情を浮かべた。

「松の内までの短い期間ではあるが精進しなさい」

 そう言い残して僧正はまたどこかへと去って行ってしまった。

 意外にアッサリと修業が許されたものだ。自分としてはもっと何か特別な事があると思っていたのだが。

 牧師が耶蘇教へ改修する際に実家と一悶着あったと聞いていたため、紹介状を見るなり叩き出されるのではないかと思っていた。

 それにあの生臭牧師の実の兄である。何かと文句を着けて結局盥回(たらいまわ)しにされる可能性も大であった。

 しかし現実は拒まれることも無く、その広い懐で自分を受け入れてくれた僧正の慈悲深さに感銘を受けた。これが仏の御心と云うものか。

 感動しつつその場で別の坊主から短い説明を受けた自分は、早速次の日から修行を開始したのだった。

 朝は夜が明けぬ内から本堂と境内と掃除。氷の様に冷たい水を使った雑巾がけは凍傷で指が落ちてしまうのではないかとさえ思われる。

 掃除が終われば朝ご飯。薄く炊かれたお粥と沢庵漬け、えんどう豆の胡麻和えとガンモドキの煮付け云う動物性たんぱく質の欠片も無いような精進料理を、早々に咀嚼することも無く呑みこむように平らげる。

 食事の後は座禅を組んだり、写経をしたり、経を読んだりして精神修養。居眠りこいていたら何度となく喝を入れられ、少々肩が打ち身気味である。

 朝夕二食で昼食の無い修行生活では、昼休みも無く午後の修業へと取り掛かる。

 午後は内職。新年に配るお札や破魔矢、護摩札などを筆と(すずり)を用いて書くのである。普段使い慣れない筆使いではミミズのような文字しか書けず、商品に成らないと何度も突っ返される。

因みに、修業では連日この内職に掛ける時間が平均5時間ほどと一番長い。これは年の瀬だからであって、金儲けに傾倒しているのが理由ではないかと思うのは、自分の邪念だろうか。

そして日が暮れるころ。自分はかなり質素な夕食を終えた後、トップリ暮れてから荷物を纏めて寄宿舎へと戻ってゆく。

修行者たちが寝泊まりする3畳一間の簡素な作りの寄宿舎で、朝と変わらぬ質素な食事を終えたなら、後は風呂を浴びて布団に入って寝るだけ。そうして自分の修業に費やす一日が終わる。

しかしそんな事では静まらない腹の虫を抱える自分は、周りの僧侶たちが寝静まったのを見計らい、コソコソと野鼠の如く布団から忍び出て、喜多院近くのとんこつラーメン『笑堂』で替え玉をして落ち着ける。

自分はそんな修業の毎日を過ごしていた。

しかし大晦日から元旦に掛けては少々勝手が違う。午前0時を迎えるとともに喜多院にお参りしようとする参拝者が多いため、それの対応に追われるからである。

そしてこの期間は多くの僧侶が出払ってしまうため修業は一時中断となり、代わりに自分も参拝客の対応を任される。

そのために通常4時から修行を始める自分も、この日ばかりはこんな夜遅い時間まで働いているわけである。

最初に任されていた仕事、護摩札と言う木片を運び終えたのは、午前1時の少し前であった。

すれ違う寺の坊主たちに新年の挨拶を済ませた自分は、早々に次の仕事の準備を終えて戻ってくる。

境内にはまだ日付が変わって一時間しか経っていないというのに、初詣に来た参拝客たちが山門の外まで長蛇の列を作っている。

我先にと押し合いへし合いするその列を、事故の無いように誘導するのが今の自分の仕事である。

「押さないで下さい。順番を守ってユックリ進んで下さい」

 赤色灯を振る自分の事など何のそので、参拝客たちは進んでゆく。

 こんなんじゃ自分がここに居る意味が無いんじゃないかと思っていると、列の中に覚えのある顔を見かける。どうやら相手も自分に気が付いたらしい。

 目と目が在った瞬間、自分の頭には怒りとも安堵ともつかない複雑な感情が渦を巻き、相手の顔からは血の気が引いて真っ青になった。

 その相手とはお察しの通り先輩であった。

 先月、お嬢さんの凶行に巻き込まれて臀部を大火傷してしまった先輩が、こうしてまた元気な姿を見せてくれたことは素直に嬉しかったのだ。

 あの一件以来、自分は寺に籠ってしまい、その後の容体は解らず仕舞いだったため、こうやってまたそのフテブテしい面構えを見る事が出来て本当に良かったと思っている。

しかしそれはそれとして、先輩は依然として自分の口座から丸々預金をカッパラッたままなのである。

そんな先輩が目の前に居るのである。自分の成すべき事を成す為に、腹の底から激情が込み上げてくる。

 即ち此処であったが百年目。この期を逃すわけにはいかない。

 取っ捕まえて全額取り返した上に、膨大な慰謝料を請求してやる。

「待て! 先輩」

 脱兎のごとく逃げだす先輩の背中を追って走り出す自分だが、参拝客のあまりの多さに何度となくぶつかってしまう。

 ぶつかった人たちからの罵声を受け、思ったように前へ進めないものの、それは先輩も同じであり、自分の距離は3mを保ち近づくことも開くことも無い。

 しかし人波を抜け出したとき、どうしたわけか先輩は忽然と煙のように消えてしまった。

 いったい何処に行ったのかとイラついていると坊主に呼び止められ叱られた。どうやらいきなり持ち場を離れたことが不味かったらしい。

 腑に落ちない気持ちを抱えつつも渋々頭を下げ持ち場へと戻る。

その道すがら先輩を探せども既に影も形も無く再び見えることは無かった。

そのまま参詣者の整理を続け、ある程度人波が引いたのは午前7時ごろ、そろそろ日の出の時刻だ。

 お天道様からしてみれば普段と変わりないはずの日の出だが、一年に最初の日の出だと言うだけでありがたく感じられるとは、日本人はなんとも簡単に幸せを享受できるものなのだろうかとシミジミ思う。

 橙色の光を燦々と放つ太陽に手を合わせた後、本堂の方へと足を向ける。そこで次の仕事をするためだ。

 本堂の中では御神籤(おみくじ)やお守り、厄除けのお札を売っている。それらの売り子を自分は任されており、朝から昼前にかけてのこの時間は自分がシフトに組み込まれている。

 日付の変わる前後の盛況さは退いていたが、やはり人の数はかなり多く商品の受け渡しと現金のやり取りに忙殺されてしまう。

 しかし如何(どう)してこうもお守りと言うものは数が多種多様に在るのだろうか。

 交通安全に知恵守り、安産祈願に厄病退散、合格祈願などなど覚えきれない数のお守りを取り扱っているせいで、何度となく商品の取り違えを起こして怒鳴られることを繰り返すのだ。

 どうせならたった一つでありとあらゆる願いを叶えて様々な厄災を払い、尽く吉良(きちりょう)なるものを引き寄せる『万能守り』なるものを作れば良いのだ。

 そうすれば幾つもお守りを買わずに済むし、誰もどれを買うかと迷う必要が無い。何より自分が迷うことが無いので非常に助かる。

 内心で悪態を付きつつ、忙しくお守りを売り捌いている内に既に昼が過ぎ、シフトが終わって今度は裏方へと回る。

 こちらでは明日の分のお守りやお札等の作成をやっている。

 俄かに信じられない事だが、昨日まであれほど準備していたお守りなどが、この一日で大分数を減らしてしまっているのである。

 これを見る限り今の内から明日、如いては明後日の分まで作り置きしておかなければ、とても三箇日を乗り切ることができないことが明白であった。

 さっそく自分は長机の前に腰を下ろし、墨と(すずり)とで御札を書き始める。

修業が始まってから一週間余り経っているため少しはそれなりに、商品価値の有りそうな御札も書けるようになっていた。

 また御札が一段落すれば次いでお守りにも取り掛かる。こちらも既に手慣れたもので、中に入れる札を書くのはもちろん、外袋の裁縫もお手の物である。

 此処での修業は精神修養よりも基本的な生活能力向上のための修業。花嫁修業なのではと疑ってしまうくらいに自分は生活力を付けた。

 本日の作業が終わったのは午後6時を回った頃。

 本堂を出て、欠伸一発伸びをすると、体中の関節がコリコリと音を立てるほど疲労が溜まっている。

 階段の上から見下ろす境内は朝の喧騒は何処へやら、疎らに人がいる程度であり、たこ焼きや焼きそばなどの屋台も店を畳み始めている。

 今日は本当に忙しかったなとシミジミ思うと同時に、この作業と盛況が三箇日の間中続くのだと思うと少々気分が乗らない。

 しかも三箇日の最終日には『達磨大師』が重なるため、より一層の参拝客が来ることが予想される。

 しかもその日には修行の一環として護摩行をやる予定となっている。

 燃え盛る炎を前に護摩札を燃やし続けて札に書かれた願いを祈るとともに、精神修養を図るあの荒行をである。

 とは言え自分としては以前より護摩行なる物に興味が有り、一つやってみたいと思っていたものであり、少々楽しみにしているのである。

 しかし聞くところによれば中々体力を要するとのことで、火に炙られたせいによる熱中症のため卒倒してしまう人もいるとか。

 ならば今の内から覚悟するしかあるまいと心を決め、今日は明後日に備えて疲れた体を休めるためにサッサと宿舎へ戻ることにした。

 その時である。視線の端に先輩を捕らえたのは。

 人目をはばかるように先輩は夕闇に紛れてイソイソと、境内に常設された御土産屋兼茶屋の裏手へと入って行った。

 先輩を見た途端、自然と今朝に逃げ出されたことを上乗せした怒りがフツフツと沸き立って、腹の底から込み上げてくる。

 今度こそ取っ捕まえてやろうと怒りを隠してコッソリと後を追う。

 先輩が入って行った先。そこに在ったのは日本三大羅漢の一つである『五百羅漢』像であった。

『五百羅漢』は1782年から1825年の約半世紀に渡り建立されたもので、合計すると538体の石仏が鎮座している。

 そしてその石仏は、耳打ちをしていたり、太鼓を叩いたり、頭を掻いたりと、すべての表情とポーズはそれぞれ異なっているという細かな細工が施され、それがまた見るに楽しい味となっている。

そしてこの羅漢像には深夜に頭を撫でると一つだけ温かいものが有り、その一体は亡くなった親の顔に似ているという逸話がある。

以上が川越での『五百羅漢』の説明である。

そして河越の場合チョット訳が違うのである。

河越の五百羅漢の場合、ハッキリ言って五百を優に超えている。その数は市民の人数と同数なのである。

ここの羅漢像は親の顔にソックリなのは勿論有り、友人知人見知らぬ誰か、そして当然の如く自身に似せられたものもある。

つまりは河越市民それぞれに似せられた羅漢像が作られているわけである。

これだけの羅漢像を収容するにはそれ相応の敷地を要するわけであり、喜多院の敷地の約2/5を占めている。そんな広い敷地内から先輩を探すのもまた一苦労であることは察していただきたい。

なぜこれほどの数の羅漢像が作られたのかは最早言わずもがなだが『街興しの功罪』のためである。

バカ市長は街の記念碑となる物を作ろう。市民の記録となる物を作ろうと考え、市民それぞれの顔に似せた羅漢像を作らせたのである。

それはかなり大きなプロジェクトであり市民全員を市の運動場に集めて、河越中から何十人もの石工を集めて、何年何ヶ月もの期間をかけて作り上げた力作である。

その出来はまるで写真を見るようにソックリであり、顔から体格まで瓜二つ。まさにもう一人の自身を見ている気がする。

しかも羅漢像はどういう訳か常に顔貌(かおかたち)が変化しているようであり、モデルとなった人物が、太ろうが痩せようが、歳を取って皺くちゃに成ろうが、常に最新の自分にソックリな状態に保たれているのである。

それにポージングが前衛的で、宛らダビデ像やヴィーナス像などのギリシャの石膏像に似ている。

風の噂に聞いた美術鑑定士の話によれば、その価値は最近の仏像人気も手伝ってかなり高くなるという。

そう、かなり高価なのだ。

それを考えると先輩がここに来た理由は凡そ察しが付く。

借金に困った上に自分の口座から勝手に金を奪っていった外道である。仏を盗んで闇に流し、金に換えるという非道すら、さも当然の如くやって見せることだろう。

しかしこれは好機。現行犯で先輩を『河越刑務所』にぶち込んでやる。そして更生して帰って来てもらおうという仏心で自分は後を追っていた。

しかしこの羅漢像は本当によく似ている。目に映る羅漢像は見た事ある顔ばかりだ。

何せ今自分が隠れている羅漢像は酒屋の若旦那にソックリだ。特に横に寄り添う奥さんと子供たちの構図も正に真である。

更に奥へと進めば酒を酌み交わす羅漢像が二体置いてある。もしやと思ってその顔を見てみれば案の定、先生とオヤッさんに似た顔をしている。

しかしこの像の周りにだけ、矢鱈とボトルや徳利を模した石像まで置かれているのだからかなり芸が細かい。

また別の羅漢像を見てみれば、こちらは先輩に良く似ていた。このボールの様な体型もその精神を逆立てするような表情も何もかもがソックリだった。そして見ているだけで怒りが煽られる。

持っていたマジックペンで一頻(ひとしきり)落書きを終えた自分は先輩の捜索に戻る。

しかし自分は二つの羅漢像の前で足を止めてしまった。

そこには彼女とお嬢さんに似た羅漢像がそれぞれ向かい合わせで建立されていた。

彼女はいつもの如く実験に精を出している様子で、それにのみにしか興味を持っていない様子であり、その視線は何処を捉えるともなく彷徨っている様を忠実に表している。

聞いた話では彼女の羅漢像だけ場所を転々としており、中々お目に掛かれないレアものだとも言われている。

しかしこの像を見つけたら幸運が訪れるとかそんなラッキーが起こるわけではなく、逆に凶兆だと言われている。

 だが自分の場合、この像を見たときに去来した思いは不吉だとかそう言った感情ではなく、ただ単に以前から募る憧憬の念と先月から続く後悔の念、そしてそんな自分を情けなく思う心であった。

 それ故に彼女に似た羅漢像を真面に見ることも叶わず、視線を逸らせる先も目のやり場に困る。その先にはお嬢さんに似た羅漢像が置かれているからだ。

 こちらも直視するには自分の勇気が足りない。その手に例の焼き鏝が握られている事も然る事ながら、何よりこのの像は妙に物悲しげな表情をしているからだ。

 仏像とはそういうものだ。心の在り様によって怒っていたり微笑んでいたり、泣いているようにも見えるものだ。

 そうとは解っているものの、現状と相まって自分の心を抉られる様な気がする表情をしている。

 そしてその隣に立つ後輩に似た羅漢像は、お嬢さんに似た羅漢像を慰めるような仕種の形を取りつつ、此方に向けられる視線はどうにも自分の事を咎めるようで、見透かすようでいて思わず怯んでしまう。

 このままこの関係を先延ばしにして過ごしてはダメだと勿論解っているが、少々冷却期間が欲しい。そうでないと真っ赤に焼けた鏝が飛んでくる。だからホトボリが冷めてからまた改めて…と自己弁護して踵を返して逃げ出した。

 逃げ惑いつつ五百羅漢の敷地内を迷走していると、先輩の姿を見つけて急停止する。

 物音に気が付いた先輩の視線から逃れるように羅漢像の陰に隠れて様子を窺うと、どうやら先輩は羅漢像の周りをいろいろと調べているみたいだった。

 いったい何をしているのだろうか? 売りとばす像の品定めでもしているのだろうか。

 自分が背後まで歩み寄っても全く気付かず、一心不乱に石仏に張り付いている。今なら簡単に捕まえることができるだろうと、近くに落ちていた棒切れを手に取って振り被って、振り下ろした。

 見事に先輩の後頭を捕らえた鈍器だが、先輩の頭には何の変化も無くどういう訳か鈍器のは方が負けてしまってバラバラに砕け散った。

 なんという石頭かと! 戦く自分の目の前で先輩は蚊にでも刺されたか如く頭を数度掻くと徐に振り返って、気付いて逃げだそうとする。

 自分の差し出した右足に盛大にスッ転んだ先輩を寝技で押さえつけると、先輩は釣り上げられた魚の如くジタバタして落ち着かない。

「先輩! 年貢の納め時です! いい加減腹を括って捕まってください」

「イヤだ嫌だいやだ!」

「駄々っ子ですか!」

 縺れ合い転げ合いながら揉みくちゃになっている大人二人は傍から見ればどうにも様に成らず滑稽である。しかし自分には意地が有り先輩も必死である。

 恥も外聞もかなぐり捨てて、そのまま小一時間ほど格闘し続け互いにヘロヘロとなった自分と先輩とは石畳の上で大の字になって喘いでいた。

「先輩…もう、いい加減にしてくださいよ。ただでさえ疲れているのに、余計に疲れさせないで下さいよ」

「お前もいい加減諦めてくれれば良いものを」

「諦めきれますか! 九十万ですよ! 九十万。しかももう少しで目標まで届くってところだったのに! 万死に値します!」

「だって誘惑に勝てなかったんだもん」

「そもそも戦ってないでしょう!先輩の場合。そこはもうイイですから自分の金返して下さいよ。慰謝料十万上乗せして」

「―――無理」

「…今、何て言いました?」

「だから無理だって。九十万も慰謝料も払えないんだって」

「………あはははっはははっははははっはははっはははっははははあっははははっはは! アハッ! 法廷行きましょうか?」

「――――おい⁉ どうしたんだ? 少し落ち着け」

「法廷へ行きましょう先輩。先輩は被告人席で自分は傍聴席。話を間けばこれは勝訴確定ですね。もちろん示談は無しですよ。賠償金はキッチリ耳を揃えて払ってもらいますからそのつもりで」

「待てマテまて! 頭を冷やせ。その携帯電話を戻せ。警察に連絡しようとかそんな気を起こすなよ。先ずはユックリ話し合おう。」

「―――待て? 待てと言いましたか、先輩。先輩にそんなこと言われる義理はサラサラないのですよ。それよりチャンと考えておいた方が良いですよ? 金を払うか、塀の中で数年過ごすか。コンクリ打ちっぱなしの部屋は冬に滅茶苦茶寒いですよ」

「どっちも俺には無理だ」

「―――贅沢ですね」

「だからこうしよう。旨い話があるんだ」

「却下です♪」

「徳川の埋蔵金て知っているか? 大判小判がザックザク、金銀財宝の山と海、千両箱山積みのあれ」

「知ってますよ勿論。それを追って人生を棒に振る輩がワラワラといるあれですよね」

「そう、あれ。それがこの河越に在るらしいんだ」

「へー、そうなんですか。けど却下です♪」

「お前なら知っていると思うが、その昔この河越に在った河越城と江戸城は室町時代の武将である太田道真、道灌親子によって作られた、言わば兄弟なんだ。実際にその内部構造は似通っていたらしく、江戸時代は江戸城共々その見取り図が国家機密として扱われていたそうだ。―――で、その見取り図がどうしても必要なんだよね」

「どうしてまたそんな物を」

「そいつには裏面が在ってな、そこには河越城建築時に同時に河越中に張り巡らされた地下通路の見取り図も書かれているんだ。そしてその地下通路のどこかに徳川の埋蔵金が有ると言われているんだ」

「もろに胡散臭いですね」

「そう言うなって。そいつも手に入れれば金銀財宝は手に入り、俺はリッチに、お前は取られた金を取り戻せるって寸法さ」

「却下です♪ それよりまさか自分の九十万をそんな途方も無いことにつぎ込んだとか、そういう冗談は言わないですよね」

「冗談? いや、冗談じゃないよ」

「正に冗談じゃない話ですね。いったい何に使ったんですか」

「情報収集や機材の準備でな。色々と出費が嵩んだのよ」

「…まだクーリングオフって効きます?」

「もう遅いよ」

「…やっぱり法廷ですかね?」

「そう成らない為にも地下通路の見取り図が必要なんだ。何せ総額で数十兆円にも上る財宝が渦巻いているからな」

「それが本当なら実に魅力的な話ですが…先輩の話だから余計に信用できないんですよね」

「信じてくれなくても良いよ。その代り見つけても一円もくれてやらないからな」

「まさかそうやって話を反故にしようという訳じゃないですよね。させませんよそんな事」

「じゃあどうするんだ? ご覧の通り俺には借金の返済能力なんてサラサラ無い。逆さにしても鼻血も出ない様な状況なんだ。そんな奴が金を返そうと思ったらどうすれば良い? 一発デカいのを当てるしかないだろう。さあ、解ったらツベコベ言わずに見取り図を持ってくるんだよ」

「…さっきから話題に出ている見取り図って何なんですか? そんなもん何処探せばあるんですか」

「それがなんと、この喜多院の宝物殿の中に収められているらしい。で、それをお前さんに取って来てもらいたい」

「―――今、なんて言いました? 取って来いとか言いましたか? 自分に犯罪をしろって言うんですか先輩。それは本当に冗談じゃ済まされないですよ。一緒に法廷に行くことに成りますよ」

「『雉も鳴かずば撃たれまい』ってね。バレなきゃいいんだよ」

「先輩…自分が何で先輩のために手を汚さなくちゃならないんですか? そんな義理がどこにあるって言うんですか?」

「痛いなー。ケツに残る火傷の跡がジンジン疼いて痛いなーぁ」

「ッ! … 自分を脅すのですか…?」

「さぁねぇ…。フフフ…しかし、罪悪感を抱いているようで、良きかな良きかな」

「いい訳ないでしょう!」

「まあ、そういうことで本題だ。ほら、三日に行われる達磨大師が有るだろう。あの時ってかなり寺の中が出払っているはずだから、宝物庫の警備も手薄になるはずなんだ。そこをコッソリ突いてしまえばお釈迦様でも気が付くまいってことよ」

「なんて罰当たりな」

「君には明日、寺の中を見て回って内部の構造を把握してもらいたい。そして何処で警備が手薄になっているか、何処の部屋にどんな物が収容されていてどのように繋がっているかを十分に把握しておいてくれ」

「どうしてもやらなきゃダメですか?」

「どうしてもということは無いが、お前が一番適任だよな」

「…調べるのはやりますけれど、盗むのは先輩だけでやってくださいよ。―――それより先輩はここで何やっているんですか? 今回の事に何か関係が在るんですか」

「いや、ここの羅漢像を売っ払えばそれなりの金になるそうだから品定めをしていただけ」

「思った通りでしたね」

「オレのとお前のを売ろうと思ったのに俺のしか見つからなくって困ってたんだよ。というかさ、お前のどこに在るの。もしかして、もう売り払って無いの?」

「そんなことは無いですし、そもそもどこに在るかなんて知らないですよ。こんなに数ある上に広いんですから。それと勝手に売り払うのは止めておいてくださいよ。自分もまだ自分のを見つけてないんですから」

「売るときは連絡するよ」

 ゲタゲタと豪快に笑って見せる先輩を見ていると、この人は絶対に自分の許しも無く羅漢像を売り払ってしまうであろうことが容易に想像できた。

 それを思うと先輩より先に自分の羅漢像を見つけ出し、早々に非難させるべきではないか、とも思うのであった。



 次の日、あの後も先輩と何だかんだあった自分だが、結局は済し崩し的に先輩の片棒を担ぐことにした。

 先輩が何故か持っていた喜多院の配置図や見取り図を手に自分は境内を回っていた。

 もちろんこれは修業の合間を縫ってである。掃除のときに部屋割りを照らし合わせ、庭に出たならば坊主の警備配置を掻き込み、トイレに行くふりをして気になった部屋の中を少し覗いてみたりもした。

 一日かけて調べ上げればそれなりのデータになるもので、後は今夜にでも先輩の渡せば勝手にやってくれるだろう。

 一応やるだけのことをやったのだから、万が一にでも財宝が見つかったのならば九十万くらいはポンと返してもらえるかもしれない。

 しかし潜入調査に関してズブの素人である自分がこんなにも簡単に事を成し遂げられたのは、三箇日の多忙さが手助けしてくれたのだろう。

 これくらい警備も笊なのだとしたら、きっと先輩の計画も上手くいくことだろう。

 そんな淡い期待を胸に警備配置図をより完成されたものにするため、人込みの中を右往左往している自分を誰かが呼び止めた。

 ヘマをしたかと思って声の主を人込みの中かに探せば、一人だけ自分の事を凝視する男と目が合った。

その男は後輩であった。

 暗躍がバレたのではないと一瞬安堵する自分だが、その後輩のどうにも穏やかでない形相に思わず口籠ってしまう。

 その表情は昨日見た後輩に似た羅漢像のそれとよく似ていた。

 そしてそのまま自分の腕を掴まれると、賑わう人込みの中から連れ出され、一転して物静かな池のほとりに立つ東屋の方まで力づくで引っ張られていった。

義兄(にい)サン。やっと見つけましたよ」

「! 何だよいきなり」

「何だよ、じゃありません。今まで何していたんですか」

 いきなり詰め寄ってくる後輩の腕を振り払い後ずさりするものの、彼の追及は止むことは無かった。

「クリスマスの夜から姿を消えてしまって、それ以来店のバイトにも妹の家庭教師にも来ない。風の噂に喜多院に居ると聞いて来てみれば何やら訳の分からない事をやっているみたいですし。うちの親たちも気にしていますよ、…それに妹だって」

「…その、何て言うか…彼女ももう教えることも無いくらいに学力上がっているし、自分が教えなくても大丈夫かなと思って…」

 目を泳がせどうにも根拠に乏しい言い訳をする自分を後輩の呆れたような視線が射抜く。

「そんな嘘を言わないで下さい。本当は妹に顔を合わせ辛いから家に来なくなったんでしょう?」

 痛い所、本音を突かれて黙りこくる自分を後輩は許そうとしてはくれない。

「義兄サンの気持ちも解らないでもないですが、せめてもう一度、もう一度だけ妹に会ってやってくれませんか。アイツはあれ以来塞ぎ込んでしまって全然笑ってくれないんですよ。部屋に篭って食うや食わずの侭ですし」

 後輩から聞かされたお嬢さんの様子に思わず息を呑んでしまう。まさかそんなことになっているなんて。お嬢さんの落胆はすべて自分のせいとも言えるため見て見ぬふりでは済まされない。

「もう義兄サンも解っていると思いますけれども、アイツの気持ちはマジですよ。それは、アイツも取り乱してあんな事をしてしまいましたが、それも思いあっての事です。そんな思いをあんな形で宙ブラリンにされたらどうですか」

「………」

 しかし如何しろと言うのだ。刻まれた恐怖心を拭えないまま、面と向かうなんて土台無理な話なんだ。

 こんな気持ちを抱いたまま、顔を合わせてしまったら、恐怖に歪んでしまうだろう。そうなったら余計にお嬢さんを傷つける。

そんな自分の気持ちに嘘を吐いてまで応えろと言うのか。それこそお嬢さんに対して不義ではないだろうか。

「今からでも良いです。妹に会ってやって下さい。そして受け入れるにしろ断るにしろ、チャンと言葉にしてアイツに答えてやって下さい。そうで無いとアイツが不憫すぎます」

 イッタイどうすれば良いのか。どうすれば丸く収まるのか。何が正しくて何が間違いなのか。今ここで答えを出せと言われても考えなんて纏まるはずも無い。

「……もう少しだけ答えを待ってはもらえないか? 今はチョット頭を冷やしたいんだ。ここで修行をしているのも自分を見つめ直すためだし。そうじゃないと誤った答えを出しそうで怖いんだ」

 それを聞いた途端、後輩の視線が変わった。彼の中の自分に対する価値観が変わってしまったかのように、その眼差しは落胆し裏切られたと語っていた。

「そうやって逃げるんですか? チャンと答えも出さずに逃げ回って。場所が喜多院なのも本堂内部が女人禁制だからじゃないですか?」

「そうじゃないよ。だからどうにか解ってほしい。もう少しだけ答えを待ってほしいんだ」

「…解りました。じゃあここでの修業が終わるまでは待ちましょう。ですが待つからにはそれ相応の返事が聞けるものと思っていますよ。―――そうでないと僕は貴方の事を許せそうにないですから」

 そんな捨て台詞を残して後輩は立ち去って行った。

 今なお人で賑わう境内の中に消えて行った後輩に、刺された楔の重さと辛さについつい溜息を吐いてしまう。

 東屋の腰掛に座って水面を眺めれば、何とも酷い表情をした自分の顔が写っている。

 いっそのことそのまま笑い飛ばしてくれれば良いのにと水面の顔に思うものの、一向に渋い顔のまま固まっており変化が無い。

 イッタイどうしてこうなってしまったのだろう。

 自分の何かが悪かったのは何となく解っているが、それが何かは解っていない。

 だからこそ答えを先延ばしにするが、そのせいで後輩から見限られてしまったようである。

 最後に後輩は自分の事を『貴方(あなた)』と呼んだ。

 疎ましかった(あに)サンとも義兄(にい)サンとも言われず他人みたいに貴方(あなた)と呼んだ。

つまり後輩は自分の事をもう慕ってなどいないのだろう。当然と言えば当然か。いつまでも煮え切らない態度を取り続けたのだから。

 グルグルグチャグチャの思考を溜めこんだ胸の内からはもはや溜息しか出ない。吐いた溜息で湖面が少し揺れたように思えた。

 暫く東屋で頭を冷やしていると時の鐘が6つ鳴る。気が付いて周りを見回せば既に相当暗くなっていた。

 いつの間にこんな長い時間過ごしていたのかとビックリする。随分とボサッとしていたようだ。

 自分はどうかしてしまったのかと自嘲気味に頭を掻いて池の東屋を後にする。その足で向かう先は五百羅漢園。そこでは先輩が既に待ち伏せていた。

「どうした? 6時に待ち合わせだったはずだぞ。遅刻なんてお前らしくないじゃないか」

 何とも先輩に事情をすべて見抜かれているかの様でどうにも気まずい気分が込み上げてくる。取り繕うように苦笑いをして頭を掻くものの自分でも解るほど痛々しい様相だったことだろう。

「…ちょっとありまして。それより先輩が時間を守るなんてそっちの方が先輩らしくないじゃないですか」

「昨日はここに泊まったからな」

 シレっとそんなトンデモナイことを言う先輩の後ろには寝袋とゴミの山が散乱している。マジでこんな所に寝泊まりしていたらしい。

 ゴミの山の中にはザリバーのスーツがチラリと覗いており、それに気が付いた先輩は慌てたように寝袋の中に押し込めたが、そんなことをせずとも既に正体など知れていたものを。急いで笑って取り繕わなくても良いのだ、先輩よ。

 先輩の話では借金取りに追われる様になってから河越中を転々としているらしい。一所に留まっていては捕まってしまうから。

 しかしそんなホームレス生活がよくもつものだと思いながら配置図を先輩に手渡す。

それを受け取り注意深く確認した先輩がウンと一つ頷くと「良いだろう」と言い資料を畳んで仕舞い込んだ。

「このくらいの情報が有れば何とかなるだろう。本当ならお前に盗むのまでやってもらいたいが、さすがにお前にこれ以上やらせるのも酷だろう」

「変な所で優しいですよね。先輩って」

「俺はそこまで優しくないよ。代わりに俺が盗みに入っている間に陽動作戦をやってもらいたい。確か明日君は護摩行をするのだろう? その時にこいつを火の中に投げ込んでくれさえすればいい」

 先輩が取り出したのは見るからに怪しい黒い球だった。大きさはスーパーボールほどではあり、光沢も無くサラサラとした手触りである。

 しかし特筆すべきはその匂いであった。

「これは…火薬の匂いですね…」

「そう、火薬球だ。そいつを火にくべれば世にも奇妙の冬の花火が見られるぜ」

 相当ヤバいものを掴まされた。

 こんな物を燃え盛る護摩の炎の中に投げ込んだら盛大に爆発し、陽動どころの話ではなくなるだろう。

 確かに先輩はそこまで優しくない。盗みをやらないのなら火付をしろと言うのだ。犯罪に手をそめないで済むと思っていたのに考えが甘かった。

 断ろうと思って火薬球から顔を上げると、先輩は其処ら中に散らかっている寝袋などをまとめ始めている。

「ちょっと待って下さい。こんなもの自分使うの嫌ですよ!」

「だったらお前が盗むか? 罰が当たるぞ」

「どっちも罰当たりですよ。ですからどっちも先輩がやれば良いじゃないですか」

「分かれてやるからこそ意味がある作戦なんだぞ。じゃあ明日はよろしく」

 荷物を纏め終えた先輩は、追い縋る自分には追い付かない速度で去って行ってしまった。

 残された自分は手の内ある黒く光る火薬球を見つめて呆然としてしまう。本当に自分はこれをやらなくてはならないのか?

 しかし、これをしなくては盗みに入った先輩が直ぐに捕まってしまうことになるだろう。

そして最悪の場合、先輩の口から自分の名前が割れたなら…もし先輩の持っている配置図が自分が書いたものだと明るみに出たのなら…。そう考えると妙な汗が流れてくる。

 とはいえ、こんなことが許されるはずも無く、正直な気持ち自分はやりたくはない。

 まさに八方が塞がって逃げ場のない袋小路へ追い詰められた気分であり、明日のことを思うと吐き気が込み上げてくる始末であった。

 この時ばかりは明日が来ない事を自分は祈ったのである。



 祈りも空しく次の朝が来た。

 タダでさえ出るのが億劫な真冬の布団が、今日はさらに出辛い曲者(くせもの)になっている。

 理由は察して既にもらえることでしょう。ああ、本当に今日は行きたくない。

 しかし一時間後には律儀に本殿お掃除をやっているという体たらく。ズル休み一つできない度胸の無さが我ながら情けない。

 だからと言って正当な手段を用いて休みなど取れるはずも無い。何故なら今日は達磨大師。境内は昨日一昨日を凌ぐほどの人数でごった返しているのだから。

 今日の修業は達磨を売る事。ノルマは一日五十個である。

 この鬼のようなノルマをこなす為に齷齪(あくせく)休みなく働いて、午前の修業を済ませたころには先輩からメールが届く。

 そこには今日の計画が滞りなく行われるための注意が連綿と書き連ねられている。

 言わずもがな解っているさ、と律儀にポケットに入れてあった火薬球を取り出して日に(かざ)してみる。

 相変わらず不吉に黒光るその球に辟易としながら過ごしていれば昼休みなどあっと言う間に過ぎてしまい、午後の修業の時間となる。

 午後の修業、以前は待ちに待った、そして今は嫌々な護摩行の時間が来てしまったのである。

 嗚呼、と溜息を吐いて本堂の裏手にある建物へと足を運ぶ。

 中は広い造りになっており、一見にして三十畳はあるのではないかと思われる。そして不思議な事に人っ子一人いないため本当にガランドウであった。

 その中央には窯のような物の上に組まれた(やぐら)の様なものが置かれ、周りに凝った作りの鉢などが備え付けられている。

 鉢の中には油がナミナミと溜められており、それを小さな柄杓の様な道具を用いて火に注ぐことで火力を上げるのである。

 それをするとき金属でできた鉢と柄杓がぶつかり合って、チリンチリンと心地よい音が響くのである。

 それでリズムを取りながら僧侶はトランス状態へと移行してゆくのである。

 繁々とそれらを眺めつつも自分は素知らぬ顔をしてその鉢の中へ件の火薬球を忍び込ませ、控室のある次の間へと移って行った。

 襖を開けて入ると中に控えている修業僧たちと一般の方々が一斉にこっちを向く。さすがにこれはビックリする。

 畳敷きの高座にはすでに何人もの参拝客が鎮座しており、自分も空いているスペースへと腰を掛ける。

 そこに座る誰もが一言も喋らず瞑想しているものだから静まり返っており、耳の奥で響くシーンという音がやけにはっきりと聞こえる。

 そこで暫く待機していれば自分たちを呼ぶ声に導かれて控室を後にする。

 そして広間の畳に座ると僧正がやって来る。

 僧正はいつも以上にめかし込んだ衣装を着てきている。赤い布地も金銀の装飾も実に豪華だ。

 僧正は櫓の前に座ると同時に入り口付近の置かれていた銅鑼が鳴り響く。いよいよ護摩行が始まるのだ。

 先ず僧正は左手のお盆の上に積まれた紙札を読み上げてゆく。

 その札には参拝客の願い事が掛かれており、皆が家内安全や諸難消除、合格祈願や交通安全など多種多様なお願い事を書いている。

 因みにこの願い事は一人一回につき幾らでも書いて良いモノなのだが、一つの願いにつき最低でも3千円、最高だと5万円の奉納金お納め無いとならないため、仮に全部の願い事を書いたれば数十万位も及ぶ大金を支払う羽目になる。

 故に皆一様に願いは一つ、多くて二つといった体であった。

 それら一つ一つを僧正が毎日の読経で鍛えた張りのある声で読み上げた後、名前と願いを筆で木の板へと掻き込んでゆく。

 この木札こそが護摩札であり、これを火にくべることで天へと願いを立ち上らせようという訳である。

 そしてすべての護摩札を書き終えたとき、再び銅鑼が鳴り響いた。

 銅鑼の音を合図に僧正は火を取り出す。そして目の前の組気を乗せた窯にくべれば、ユラユラと火の手が上がり始める。

 最初は小さく頼りなさげな火の子供は、周りの組木へと燃え移って見る見るうちに大きな炎へと成長してゆく。

 そこに僧正が護摩札を次々にくべ、鉢に入った油を掬って飛ばせば、より一層炎は勢いを増してゆき、遂には天井へと届かんばかりの劫火となった。

 赤々と燃え上がる炎に照らし出された不動明王の顔は非常に恐ろしげであり、さらに荘厳な雰囲気を醸し出している。

 撒き散らされる熱は少し離れた位置に座っている自分にも十分に届き、ジリジリと肌を焼いて、冬だというのに玉の汗が流れ落ちてゆく。

 しかも部屋は閉め切っており、屋根にお情け程度の空気穴のみが開いているだけなので、熱が篭って宛らオーブンの中、石焼サウナの様になっている。

 こんな所に居たら死ぬ。開始早々僅か十分ほどでそう思い始めた自分であるが、逃げ場がなければどうしようもなく、座っている事しかできない。

 そこからさらに護摩札がくべられ油を注がれてから三分。火の勢いは増すばかりでまるで一匹の竜の様に渦を巻いている。

 この時既に自分の意識は朦朧とし始め、頭も忙しなく振り子時計の様に右往左往していたとき、バタァン!という大きな音が広間内に響きわたり自分は正気に戻った。

 なんと人が倒れたのである。

 音の方向を窺った自分の目の前に飛び込んできたのは、異常なほど真っ赤の顔をして汗みずくに成りながら床の上で仰いでいる若い僧侶の姿であった。

 一目で熱中症と解る僧侶の様子に、無理も無いと自分は哀悼の意を込めて担架に乗せられて連れ出される彼の若い僧侶を目で追った。

 これだけの熱気に満ち満ちた部屋の中で、水も執らずに座禅を組んでいて、人が倒れない方がオカシイ話である。

 そして実際に先ほどの卒倒が口火となったのか、その後も続々と倒れる修行僧たちが現れ、開始20.分を過ぎたころには参加者の数は既に半数を切っていた。

 かく言う自分もすでに限界が地被いており、揺れも振り子から起き上がりこぼしの振れ幅になっており、いつ倒れても可笑しくは無い状況である。

 と言うより自分もイッソのこと倒れてしまえば良いのではないか。

 既に自分は仕掛けを仕込み終えてある。ならばここに長居する必要も無く、サッサと灼熱地獄からキリリと冷える表の空気の下へと解放されれば良いのではないだろうか。

 そうだ、そうに違いない。それこそが最善策に違いない。

 しからばサッサとぶっ倒れるかと思う間もなく意識が遠退いていく中で、自分は炎の中から立ち上る黒い蛇の姿が見えた。

 とうとう本格的にイカレてきたのだろうと思った矢先、どうにも周りが騒がしいことに気が付く。

 どうしたものかと訝しむも、朦朧とする意識と正座で痺れた足のために身動き取れなくなっている自分に、逃げ惑う誰かがぶつかった。

 倒れた拍子に我に帰れば、未だに幻を見ているのか火の中の黒い大蛇は未だに消えることなく有り続けた。

 どうしてこんな事になったのだ! 炎から蛇が立つなんて現実では有り得ない。

 思い当たる節があるとすれば先輩から渡され、自分が事前に仕込んでおいた火薬球であるが、想像とは違って色とりどりの花火が上がるわけでもなく、蛇が広間中をウネウネ埋め尽くしてゆくのである。

 何なのだこれは、と呆然として座りこけているしかなかったが、少し落ち着いてくると状況が解ってくる。

 ジッとよく見れば炎の中の黒い影は蛇ではなく、言うなれば灰や燃えカスの柱のようなものだった。

 それが後から後から湧き上がってくるものだから宛ら蛇のようにウネり、蜷局(とぐろ)を巻くのである。

 そう、それは『蛇花火』であった。

 蛇花火は玩具花火の一種で昔からある馴染み深いものであり、火を付ければ先述の通り蛇のような燃えカスが伸びる特徴がある。

 どうやらそれを護摩の炎にくべたらしく、ウネウネと止めどなく蛇が出てきているのである。

 しかしスーパーボール大の大きさしかない蛇花火から広間を埋め尽くすほどの大蛇が出てくるとは。

 本当に先輩の持ち物は危険なものが多い。大概は彼女のお手製の物なのだろうが。

 そうこうしている内に目の前まで燃えカスが迫ってきたため、呑気に座って構えているのは危険だと判断し、他の修行僧に倣って一目散に護摩堂から脱出する。

 走って逃げて遠巻きから護摩堂を眺めてみれば、噴出した黒い燃えカスにより密封状態であった護摩堂がはち切れそうに軋みを上げていた。

 その上燃えカスから立ち上るのか火の手もまわり始めたのか、お堂の所々から煙が出始めていた。

 本格的にヤバイなと思いより遠くへと逃げようとした矢先、茂みの中からズイと突き出された腕に捕らえられ、引きずり込まれる。

 新手の強盗かと戦々恐々とする自分の眼前に、フテブテしい笑みを湛えた先輩の顔がアップで入り込む。

 強盗よりたちが悪いと内心思う自分に対し、「うまくいったな」と実に満足げな先輩は一巻の古びた巻物を取り出した。

「こいつがお目当ての品『河越城隠し通路見取り図』だ」

 少々興奮気味な先輩が拡げた巻物には、宛らアリの巣のように複雑に入り組んだ通路の見取り図が描かれている。

 これこそが今なおこの河越の地下に眠る通路の全容である。

 その広さたるや図の中央に書かれた河越城の大きさから察するに、優に河越市の隅々まで張り巡らされているのである。

 こんな広大なものが足元に在ったなんて。自分は心底ビックリしていると、先輩がいきなり自分の頭を捕まえて地面に伏せたのである。

 驚愕と立腹が同時に襲ってくる自分の感情を先輩にぶつけるべく文句の一つも言おうとしたところ、それを上回る剣幕で先輩に黙るように注意される。

 気圧されて冷静に戻れば周りの喧騒が先ほどとは少々具合の違うものになっていることが感じ取れる。

 確かに先ほどまでは護摩堂でノタクっていた蛇花火により皆が取り乱した雰囲気であったが、今のそれはまるで何かを探しているような、そういった様子になっている。

 これは、つまり―――

「あー、やっぱりバレちゃったか。うまく見張りの奴らは気絶させたつもりだったんだけどなぁ。扉開けたら鳴子が鳴っちゃったもんなぁ」

 悠々と自分の盗みが寺に露見していることを語る先輩の言葉を聞いて、自分はこの人が本当に解らなくなる。

 その余裕は英傑の如き豪胆さから来るものだろうか。それとも単に現状も理解できないようなうつけ者なのだろうか。

 その答えによって今後の自分の身の振り方も大分変わることになるだろう。

 とは言え、今はそのことは後回しにするべき案件であろう。

こちらの悪事は寺方に既に露見している。そんな状況でこんな所でノウノウと隠れていて大丈夫だろうか、と不安になる。と言うよりもそもそもこの人と一緒に居るのが一番ヤバいんじゃないのだろうか?

 自分の心配を他所に先輩は外の様子などお構いなしで、今後の算段を付けている。しかしその算段に自分が含まれているのを聞いて自分は唖然としてしまう。

「あの…先輩。自分、もう帰って良いですか」

「? 何で」

 さも不思議そうに問い返してくる先輩は完全に自分も頭数に入っている頭であったようだ。しかし自分はこれ以上関わるのは願い下げである。この人に付き合っていたら、トドのつまりお縄に成るのが目に見えている。

 そうして先輩と袂と分かつべく意を決して「もう勘弁してください」と頭を下げるも、先輩が意味が解らないという顔で自分の旋毛を見つめていた。

「何を言っているんだよ。こっからだろ?宝探しは。それなのにここで降りるとか何考えているんだ?君は」

「それに周りを見てみなよ」と促されて見回してみれば大勢の坊主が自分と先輩の潜んでいる草むらを取り囲んでいるのが見える。そしてその坊主の誰もが羅刹の如き形相をしているのが見える。

 その憤怒の眼光が捕らえるのは今回の騒動の黒幕、根源である先輩のみではなく、約半数ばかりは自分にも向けられているようだった。

 恐れ戦いて動けなくなる自分の肩にヘラヘラと緊張感の欠片も無く笑いながら手を置く先輩。

「これで俺とお前は一蓮托生(いちれんたくしょう)だな」

「冗談じゃありません! 道連れなんてマッピラですよ! 今からでも遅くありません。巻物返して土下座して謝りましょう」

 僧侶たちの許しを得るために先輩から巻物を取り返そうとする自分の手を、流れ得るような動作で先輩は躱してしまう。

 そして振り向きざまに此方を見据え、チチチとタンギングをしながら人差し指を振って見せた。

「君の人生のために言わせてもらうけれども、物事を判断するときは相手の目を見てからにした方が良い。ほら、見てみろ、周りの奴らを。あの目は絶対に俺たちの事を許してはくれない目だ。借金取り共から何度となく同じ視線を向けられてきた俺が言うんだから間違いない」

「胸を張って言わないで下さい! じゃあどうするんですか⁉ 謝っても許してもらえないんじゃあまりに悲惨な事しか思い付きません! きっと自分たちは罪を悔い改めて解脱するまで地獄の修業生活を強いられるに違いありません! そんなの嫌です!マッピラです。水みたいに薄くて味気ないお粥も、足が壊死するんじゃないかとさえ思う長時間の座禅も、もう沢山なんです! どうにかして下さい先輩! 何か策は無いのですか」

 少々パニック気味に先輩に懇願する自分。そんな先輩は実に頼もしげな表情をしながら「策は無い」と高らかに言ってのけた。

 この時の絶望感は途轍もないものであった。よく物の例えで『頭が真っ白になる』などと言うことがあるが、我が身で感じることほど納得のいく経験はありはしない。

 だってそうであろう。あらゆる活路が閉ざされた上に頼れる仲間から自信満々に諦めろと言われたのだ。誰だって茫然自失となるだろう。

 故に自分が正気に戻った時、自分は先輩に担がれながら僧侶たちから逃げ惑っている最中であった。

 あまりの急展開にまたも呆然自失となりかけるが、掛けられた先輩の声になんとかその場は我を保った。

「気が付いたみたいで何よりだ。サッサと降りて自分で走ってくれよ。さすがに担いで逃げ回るのは無理があるよ」

 そう言われれば確かにそうだ。自分は言われた通りに先輩から飛び降りると、そのまま脇に立って走り出す。

 後ろから迫る怒号は坊主たちの物だと振る変える必要も無く解る。状況は先ほどの四面楚歌状態から脱せた物の、依然として追われる立場であることには変わりない。

「『三十六計逃げるにしかず。これもまた作戦の内』ってね。奥の手で持っていた彼女謹製の閃光弾を使ってやったのよ。まあ、お前も気絶しちまったのは誤算だったがな」

 自分が我を失っていたのは先輩の閃光弾のためか、将又(はたまた)先輩への憤慨から引き起こされた呆然自失のためか。どちらにしろ先輩が原因であることには変わりないが、逃走中の今この現状では実に些末な事である。

「ところで先輩。いったい何処へ逃げているんですか? 何か宛は有るのですか」

 ただ逃げるだけでは孰れ捕まってしまうのは明白である。しかし何かしら目的が有るのであれば少なからず活路もあることだろう。

 そういった期待も込めて問いかけた先輩の答えは「解らない」とまたしても卒倒しそうになる一言であった。

 ああ、どうしてこの人はいつもこうなのだろう。この人に関わると禄なことが無いことは何度も経験して解っていたはずなのに。

 またしても先輩の口車に乗せられてしまった事への後悔の念が、泥水の様に重く自分の頭を埋め尽くしてゆく中、隣を走る先輩から「今は解らないんだ」と意味深な言葉が聞かされる。

「どういうことですか」と問いかければ、先輩は走りながら巻物を広げて説明を始めたではないか。

「さっきこの見取り図を見たとき気が付いたんだがな、実はこの地下通路の出入り口が喜多院の中にも有るみたいなんだ。こんな状況じゃ山門は全部抑えられているだろうし、逃げ場として考えられるのはもうこの地下通路しかないと思うんだ」

「でしたら、サッサとそこに向かいましょう。いい加減自分の体力も持たなくなってきましたよ」

「ところがな、話はそう簡単じゃないんだ。有るのは解ったんだけれども正確な場所が解らないんだ。だから今逃げながら場所を推理しているわけ」

 何とか坊主たちを撒いて南院の小さなお堂へと逃げ込む。外には未だに坊主たちが山狩りを続けており、血眼になって自分たちを探し回っている。

巻物を広げて先輩と額を突き合わせながらあれやこれとを話し合ってみても一向に入り口の場所など解りっこない。

「これからどうするんですか? 入口も解りませんし、出口も塞がれています。これじゃあ進むことも引き返すことも出来ません」

「だったらどうにか心当たりが無いか考えてくれよ。文句言わないでさ」

 そう言われてもサッパリな自分は何も言えずに黙りこくってしまう。

 腕を組んで頭を掻いて首を傾げて考えてもアイディアの欠片すら出て来ない。

 いったいどうしたものかと余所見をしてみれば、お堂の陰からこちらを睨む眼光と目が合ってヒィッと情けない音が喉から飛び出す。

 その声に敵襲だと思った先輩が身構えるが、なんということは無い、眼光の主は野生の狸であった。

「ビックしたな。変な声を出すんじゃないよ。ただの狸じゃないか」

 さすがに自分もあまりの不甲斐なさに赤面しながら「すいません」と平謝りするしかない。

「けれど野生の狸なんて初めて見たな。河越にもまだそんな自然が残っていたっていうことか」

「いいえ、逆に山の自然が無くなってしまったから人里に下りてきてゴミや農作物を食い散らかしているんですよ。前に自分の家の近所にも親子連れの狸が住み着いていたことがあるんですが、知り合いの農家の野菜を食い荒らすわで大変だったんですから」

「へえ、狸も生きづらい世の中なのかね」

 苦笑いしながら再び狸を見れば、これだけ自分たちが騒ぎ立てているのに逃げようとも、吠えようともしない。

 それどころかこちらを見る視線は鋭く、利発ささえも感じさせる。そして品定めをするかのごとく自分たちの事をジックリと見つめているのである。

 よほど胆が据わっているか、老齢な狸が纏う威厳の様なものが感じ取れる。

 はっきり言ってこの狸からは、以前自分が目撃した人畜に被害を催す不埒な狸とは一線を画した、もっと高尚な生物の様に思える。

 言うなれば仙人狸とでも。

 そして仙人狸は徐に立ち上がったかと思うと、誘うようにこちらを振り向き振り向き歩いてゆく。

「先輩。あの狸、なんだか自分たちを誘っているみたいですよ。もしかしたらアイツ地下通路への入り口を知っていて自分たちに教えようとしているんじゃないですか?」

 大真面目な自分の言葉を聞いた先輩は急に怪しい者を見る目つきを向けてくる。

「…何を言い出すんだ?お前。アニメやマンガじゃあるまいし、そんなファンタジーが有る訳ないだろう。少し冷静に考えたらどうだ。それに迂闊に外に出るのは危険だ。今だって外にウヨウヨとしているんだ」

 確かにそうだ。何の策も無く外に出て行けばマンマと捕まりに行くようなものだろう。

「ですが言わせてもらいますけれども、此処に留まっていても孰れ見つかってしまいますよ。どうせ移動するんでしたら、ここは一つコイツに付いて行ってみてはどうですか? 幸い今は坊主たちが近くに居ないみたいですし」

「そうは言ってもなぁ…っておい! 待てってば!」

 そう言って仙人狸の後をヒョコヒョコと着いてゆく自分を、先輩が焦った様に追いかけてお堂を後にした。



 お堂を後にした自分と先輩とは、仙人狸に導かれて仙波東照宮が建立される仙波山の麓へと辿り着いていた。

 ここまで何度も山狩りをしている坊主たちと出くわしそうになったが、仙人狸の野生の勘と抜群に効く鼻に助けられ、幸運にも何とか見つかることも無かった。

 東照宮は小高い仙波山の頂上に建てられており、そこへ至る道はただ一筋、長く急な石段しかない。この石段、とても勾配が急で、しかも川越の物よりも長いと来ている。まさに心臓破りの階段であった。

「アイツの導きでは、どうやらこの上に有りそうですね」

 嬉々として振り返れば先輩が絶望的な顔色で延々と続く石段を仰ぎ見ていた。

「おい…本当にこの石段を登るのか? …止めようぜ、確証も無いんだし」

「イイから行きましょう。もしも無かったら早々に退散すれば良いじゃないですか」

完全に石段にウンザリしている先輩を後押ししながら石段へと差し掛かる。

 しかし、当の先輩は足を棒の様にし、宛らその場で根が張った様に石段を一段も登ろうとしない。

「いや、だからこの階段を登るのが嫌だから。どう考えても俺がこれを登るのは無理でしょう。膝に水が溜まってしまうよ」

「そんなこと言ってないで行きましょうよ。それにこの場所は結構見通しが良くてすぐ見つかってしまいますよ。…ってほら言わんこっちゃない!」

 左を見れば遠くから幾つもの松明が走って近付いてくるのが見えた。自分も焦って先輩に階段を登らせようとするが、先輩は頑として登ろうとしない。

 そうこうしている内に遂に自分たちは囲まれてしまう。山の麓で自分達を扇の様に囲む僧侶たち。逃げ道はもう背後の石段しかない。

 石段の上で待っている仙人狸も自分たちを心配そうに見つめ、遠吠えを上げている。

「ほら、先輩。駄々を捏ねていられないですよ。もう逃げ道は階段しかないんですし、覚悟決めて逃げましょうよ」

 しかしここまで言っても、こんな状況に追い込まれてもなお尻込みを継ぐ蹴る先輩に、一人の坊主が奇声を上げながら飛び掛かってくる。

 先輩に紙一重で躱されたその拳は、なんと有り得ないことに石段の石を粉々に砕き割ってしまったではないか。

 目の前で繰り広げられたビックリ人間ショーに唖然としている自分。一方の先輩は妙に落ち着き払った様子で飛び掛かってきた僧侶を見据えていた。

「これがその名も高き『喜多院拳法』。噂に違わぬ破壊力と見た」

「…? 何なんですか? 喜多院拳法って物騒なそれ」

「知らないのか? お前。掻い摘んで説明するが、起源は鎌倉時代にまで遡るとされ、野盗から仏尊を守るために独自に編み出された武術の事だ。極めればその拳は岩をも砕き、その脚力は大河をも易々と飛び越えることが出来るという。因みに今でも坊主たちの鍛錬の一環として用いられており、昨今公開された映画の影響で、全国からどうしても喜多院拳法を学びたい少年たちが家出してまでやって来るらしいぞ」

「どこまで少林寺ですか」

「それを言うな。(やっこ)さん達が怒るから」

 ギョッとして自分は取り囲む僧侶たちを振り向けば、彼らはその禿げ頭の天辺まで真っ赤にして怒りを露わにしていた。

「あー、地雷を完全に踏んじゃったね」

 我関せずという体で気の無い言葉をかけてくる先輩へ絶望的な視線を投げかける自分。そんな自分にまたしても坊主の一人が奇声を上げながら躍り掛かってくる。

 先ほどの威力を鑑みるに脳天目掛けて飛んでくる拳を受けたならば、タンコブ程度では済まないだろう。人相の分からない身元不明死体の出来上がりだ。

 仏の徒である僧侶に殺されかけているのに、性懲りも無く命の危機には南無三と唱えてしまう自分だが、境内に響いた絶叫は自分の物ではなかった。

 恐る恐る薄目を開けるとそこには白目を剥いて倒れ伏している坊主とその前に悠然と立つ先輩の後ろ姿であった。

 声を掛けようとするが恐れのために掠れ声しか出ない自分に、先輩は背中越しに「大丈夫そうだな」と声を掛けてくる。

 何がどうなったのか状況が掴めない自分だが、その答えとばかりにまたしても襲いかかってきた坊主を先輩が難なく一撃で打倒してしまったではないか。

 今度は茫然として声を上げることが出来ない自分だが、先輩の手には、ザリバーのグローブが嵌められているのが目に入る。

そして先輩は、そのグローブの嵌めた指を伸ばして、石段の上を指したのだ。

「行け、ここは俺に任せてもらおう」

 そう言うと空かさず先輩は戦いへと転ずる。坊主たちを千切っては投げ、捉えては殴り、打ち払っては蹴り飛ばす。まさに鬼神の如き大立ち回りで屈強なる僧侶たちを一歩も近付けさせなかった。

 そしてまたもう一度、今度はいつまでもグズグズしている自分を一括するように「行け!」と語気を荒げて言う。

 その言葉に弾かれる様に自分は石段を駆けあがり始めた。「現役ヒーローを舐めるな!」と後ろから聞こえる先輩の声を聴きつつ、あれだけ動けるのだから先輩にとって石段昇りなど訳も無い事なのにと心の片隅で思うのであった。

 しかし先輩の身を挺した行動は自分の中で怯まないための楔となってくれた。先輩が体を張って足止めしてくれている。そう思うだけで心臓は高まり、動作も早くなってゆく。

 石段の中腹で待ち構えていた仙人狸と合流し、仙波山を登りきった先に在るのは、朱色が鮮やかな社殿、仙波東照宮である。

 門を潜り抜けて玉石の敷き詰められた境内へと飛び込めば、誰も居ないことに気が緩んで一気に汗と喘ぎと疲れが露わになってゆく。

 普段滅多にしない急な運動が体力を根こそぎ奪ってしまったのだ。

 それでも先輩のことを思うと休んでいられず、軋む体に檄を飛ばして歩を進めれば、普段は固く閉ざされているはずの社殿の扉が半開きになっている。そしてその少し開いた僅かな隙間に仙人狸がその身を忍び込ませるのが見えた。

 後を追って社殿の中に入れば、そこには何の変哲も無い普通のお堂が広がっている。

 ここまで来てハズレか? やはり狸の後に付いて来たのは間違いだったのか? と次第に青褪めてくる自分を狸の泣き声が呼ぶ。

 そして狸が前足で指し示すのは板張りの床にできた板の捲れ。それはこの薄暗いお堂の中では、近寄って注意して視ないと解らない様な些細な捲れであった。

「まさかここを剥せば良いのか?」

 そうだと言わんばかりに嬉しげな鳴き声を上げる狸に促され板を捲ってみれば、案の定そこには人を丸々飲み込んでしまいそうな程大きな穴が開いているではないか。

 薄暗いお堂の中よりもさらに真っ暗な穴の底はとても深さを推し量ることはできず、自分の吐いた感嘆の声がいつまでも反響しながら聞こえてくる。

 そしてその穴には空気が通っているのがゴウンゴウンとなんとも恐ろしげな音が漏れ出しており、宛らこれは地獄の門ではないだろうかと考えてしまう。

 穴に怖気づく自分をまたも品定めするようにジッと見つめる仙人狸。するとそこへ「社殿の中の不届きものに告ぐ」と張りのある声が飛んできたのである。

 驚いて入り口の隙間から外を覗けば、あまりの衝撃的な光景に自分は息を呑まずにはいられなかった。

 そこには先輩が玉石の上に倒れ伏していた。遠目から解るほど全身傷だらけで意識も無く、トドの死骸の様に打ち捨てられている先輩。その横に仁王立ちしながら先輩を踏みつけている人物がなんと僧正であることにもまた驚かされる。

 状況から考えるに、あの豪傑の如き戦いを見せていた先輩を打ち取ったのは僧正なのであろう。そしてそれを裏付ける証拠もまた目の前の僧正から見て取ることが出来る。

 先輩を踏みつけている僧正は、普段の悟りきったような穏やかな顔など鳴りを潜めており、護摩堂で見た不動明王の如き形相でこちらを睨みつけている。

 また普段は煌びやかな僧衣を纏っているため気が付かなかったが、上半身裸となった今ではその体躯は正に金剛力士の如く隆々としており、一目見て負けを認めたくなるほど逞しい身体つきであった。

 だが、それもそうだろう。今にして思えば喜多院拳法の大元締めである僧正ならば当然の体の造りであると理解できるが、その時の自分は余りにも普段のイメージから懸け離れた姿と形相に、全くの別人ではないだろうかと認識してしまったほどであった。

 そうこうしている内にまたしても、社殿の中の不届きものこと自分に警告の言葉が発せられる。

 僧正たちが言うには、いつまでも隠れていたら先輩の事をただでは済まない事にするという。さらには社殿の中に煙を充満させ燻りだすとまで言う。

 先輩だけならばまだしも自分も煙に巻かれてしまっては苦しくてしょうがないと観念し、恐る恐る仙人狸と共に社殿の外へと出た。

 するとすぐさまツカツカと歩み寄ってきた二人の坊主に捕まえられ、僧正の前へと引きずり出されてしまう。

 そして未だにピクリとも動かない先輩の隣へと跪かされる自分を、僧正は実に冷たい目で見降していた。

「さて、どう言う事か説明してもらおうか。なぜ盗みを働いた」

 頭に響くような僧正の声に自分は完全に委縮してしまう。

 そんな自分の目の前へ見せつける様にズタボロになった先輩が放り投げられる。

 戦きつつも抱き起せば、白目を剥いた先輩は虫の息であった。

「先輩!先輩! シッカリして下さい。俺一人だけ残して死なないで下さい! 死ぬならこの状況どうにかしてからにして下さい」

 ガクガクと先輩の(かぶり)を揺さぶり続ければ、ようやく意識が戻って来たらしく蚊の羽音並みに弱々しい呻き声を上げる。

「! 先輩大丈夫ですか!」

「…何とか」

ズタボロの見た目とは裏腹に、体を起こした先輩の意識は徐々にシッカリとしたものに戻っていった。

「まったくヒドイ目に合ったな。体中痛くて堪らないよ」

「まったくですね。目を覚ましているのが不思議な位やられていましたから。それより先輩、どうしましょう。これじゃまた、さっき以上にズタボロにされてしまいますよ」

 そう言って周りを見渡せば、僧正を初めとした僧侶たちが邪悪な笑みを浮かべながら手ぐすねを引いている。

大方、今度はどのように自分と先輩とを嬲ろうかと考えているに違いない。まったく、仏に仕える身に有るまじき邪念だ。

そんな無数の殺気に当てられてガクガク震えている自分とは裏腹に、先輩は意外なまでに落ち着いた様子であった。

「そんな事よりお前、確認したいことが有るんだが」

「この状況って『そんな事』の一言で片付けられるんですか」

「黙って聞け。確認したいんだが、この山には地下道の入り口が在ったのかい?」

 有無を言わさぬ先輩の態度に気圧されながらも、自分は社殿の中で発見した洞穴の事を話して聞かせる。

「恐らくあれが地下通路の入り口だと思うんです。相当奥まで繋がっているようですし、まず間違いないかと」

 それを聞いて先輩は「そうか」と独りごちると、何やら背負っているザックの中を探り出した。

「何をしようと言うのだ君たちは」

 見下す格好となった僧正が自分達へと一歩ずつ確実ににじり寄ってくる。

「悪あがきはよしなさい。君たちはもうどうしようも成らないのだよ」

 僧正の裸足の足音が大きくなるに従って自分の恐怖も大きくなってゆく。

 何せ現状は最悪である。周りは切り立った崖になっており、唯一の道である石段には数多の僧侶が待機している。また、社殿の隠し穴へ駆け込もうにも、負傷した先輩を抱えてでは易々と僧正に捕らえられてしまうのが目に見えている。

「さあ、罪を認めて解脱なさい」

 まさに八方塞がりの自分たちに、僧正の野球グローブの様に硬くて分厚い右の手が伸びてくる。しかもパーではなくグーで。

 迫る拳がやけにスローモーションに見え、フラッシュバックの様に頭がミンチになった身元不明死体のイメージが再び自分を襲った。まさにその時、急に僧正の体勢が崩れ拳は肌の皮一枚の所を通り過ぎて行った。

 しかしながら、目を見開きながら滝のように涙と鼻水を垂れ流す自分には、自身が生きていることの実感が全くなく、現状を理解することができたのは不意に自身も体制が崩れてからであった。

 倒れた先の地面の水っぽさに正気に戻ると、まさかと思って先輩の方を見る。すると案の定、先輩の倒れている近くの地面には、緑色の小さなアンプルが突き刺さっていた。

 アンプルの外見、引き起こされた現象。それらを経験した瞬間自分の背筋に悪寒が走る。それは自分には覚えが在ったからだ。

 何せ9月に生き埋めにされた原因となった薬なのだ。忘れようにも既にトラウマと成ってしまっている。

 何せ10月に命懸けで戦った『それ』を追い詰める一端を担った秘密兵器なのだ。その時の興奮から記憶にこべり着いてしまっている。

 最早改めて言うまでもないが、それは『反続成作用薬』であった。

 しかも彼女が最前から申請していた特許も無事に認可され、さらに嘘みたいな話だが商品化までされている。因みに商品名は『イワトロン』で工事現場やビルの解体現場で大活躍しているとか。

「地下道が足元に有るのなら態々(わざわざ)入口まで行く必要は無い。こうやって裏口から入ってしまえば良い」

 そう言って不敵に笑う先輩とそれを聞いて信じられないといった顔をする自分。そんな地面に次第に沈みゆく二人をまだ諦めていない僧正は、底なし沼のようになった地面を掻き分けて迫り来る。

 僧正の凄まじい執念に当てられて薄ら寒くなるが、今はそれどころではない。今現在、自分も底無し沼に沈もうとしているのである。

 しかもさらに悪いことに融けた山が崩れ始めている。このまま行けば自分たちは岩雪崩の下敷きとなってしまうことだろう。

 何か縋る物が無いかと周りを見渡せば、またしても仙人狸と目が合ってしまう。そして目が合えば、自分は不思議と誘われる様な気分がしてきた。

 どういう訳か泥の上にも浮かぶ先輩の体を船代わりに泳ぎ着けば、狸はその前足で地面を叩く。

 するとそれを合図にするかのように流れ出した土の下から現れたのは、石のブロックで作られた通路であった。

 これは…先ほどの穴から繋がっているのか?

 一部が崩れた通路の中身をのぞき込めば、宛らピラミッドの中身の様に広い空間が地下深くまで続いている。

 恐る恐る様子を窺っていた自分だが、何の躊躇いも無く飛び込んだ狸と泥に流されながらも未だに迫りつつある僧正に恐れを成して、意を決して飛び込んだ。

 それと同時に薬の作用が通路を構成する石にも及んだのか、入り口と成った所はもちろん所々融けて崩壊してゆく。

 この崩壊に巻き込まれたらば元も子もなかったのだが、幸か不幸か飛び込んだ先は長く下る石段が続いていた。

そのため、自分たち二人と一匹は、何度も体をぶつけながらも転げ落ちたことで、崩壊に巻き込まれることは無かった。

そしてようやく転げ落ちから止まった時には全身に裂傷と痣とが出来まくり、すぐには立てないほどの激痛が包み込む。

 暫く倒れ伏し、ようやく体を起こせば、そこは何本もの通路が入り組んだ空間であり、宛らRPGのダンジョンの様だった。

 息ができるし異臭も無いことから新鮮な空気が取り入れられている事には安心する。

 そこでようやく先輩が呻きを上げながら起き上る。体調を確認すれば、体中ボロボロだが動けなくはないらしい。

「まったく、しぶとさだけは本当に尊敬に値しますね」

 呆れつつも来た道を振り返れば、崩壊した土と石とに埋もれてしまってとても後戻りできそうにない。

 それを見ていると言い知れない不安に襲われてくる。

 徳川の埋蔵金云々などもうどうでもいい。自分は生きてここを出られるのだろうか。

 しかも頼れる仲間は諸悪の権化である先輩と訳の分からない狸だけ。

 とても助かる見込みは少ないであろう。



 自分は川越に生きて帰ることが出来るのだろうか。


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