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TENDER SPOT  作者: 佐倉蒼葉
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第1章

「と、ゆーこっちゃねん」

「なるほどね」

 二人は納得して頷きあい、向き合っていた顔をこちらに向けた。

「和泉も苦労人だねえ」と古田さん。

「その苦労を肩代わりさせられとんのは俺や」

 澤田さんは「だいたいなあ」と手にした紙の端をギュッと握りしめた。

「いちいち伝言運んで俺は伝書鳩か!何で入力室のマシンは入力専用なんや、通信くらいできるようにせえ!」

「おまえが作ったんだろうが」

「このボロマシン全とっかえしたる」と彼は隣の佐々木さんのデスクに泣き崩れた。

 遊んでいるのである。

 私は澤田さんの嘆きの原因である、自分のデスクの入力専用マシンをしげしげと見た。自社製品。私は割と好きだ。不必要な物のない、仕事一途な機械だと思う。そう言うと、澤田さんは「当たり前や」と向こうを向いた。

 いや、そもそもの原因はというと、先程「苦労人」と言われた和泉諒介が親友の澤田智彦に送って来た手紙だった。澤田さんは「おっと皺になってもうた」と手にした紙をデスクに置いて、掌で皺を伸ばし始めた。

「つまり、それは結局、私に宛てた手紙だったの?何で澤田さんに送るんだろう」

「それはやな」と彼はジャケットの内ポケットから折り畳んだ便箋を取り出して文字を目で追って、途中を読み上げた。

「由加に送るといつまでも返事が来ないと思うので」

 さすが諒介、判ってらっしゃる。

 澤田さんはすぐに便箋をまた畳んでポケットにしまった。

「で?要するに泉ちゃんの身上調査な訳だ。こういう事は本人に直接、二人きりの時にでも訊けばいいのにバカだねえ」

「和泉にそれができてたら」

と澤田さんは言い、古田さんをちらりと見た。二人はぷっと吹き出してそれぞれデスクと壁に縋りついてククククク、と笑った。

「正月に俺んとこに転がり込んだりせえへんでも済むやろ」

「え?」

「澤田、それ言っちゃ終わりだよ」と古田さんはまた笑った。

 昨年の大晦日、諒介は突然東京にやって来た。それというのも、金沢の実家のお母さんが諒介に簡単なお見合の席をセッティングして彼の帰省を待っていて、彼の味方である妹さんからそれを知らされて澤田さんの所に逃げ込んだのだ。私はその時の諒介のなさけない顔を思い出して笑った。

「でもまあ、お母さんも納得したみたいで良かったねえ」

 古田さんがそう言うので「何か聞いているの?」と訊ねると、

「和泉が『しばらく好きにさせろ』って言ったんだって?それでもいいという事になったらしい。つまりお母さんがこの前の縁談を取りやめにしたんだ」

「へえ、良かったねえ」

「よっ、功労者」

と古田さんが私の頭を撫でた。澤田さんがそれを見てまた、ぶくくくく、と笑う。

「何?」

「妹さんが和泉の携帯に電話した時、君がとったんでしょ?それが和泉家に嵐を呼んだらしいよ。お兄ちゃんに彼女がいるって」

「だって、取り次いだだけだよ?何でそうなっちゃうの」

「君はその時、何て言ったのかな?」

 『諒介、起きて』だった。

「あれは諒介が熱出して寝てたから」

「電話に出たのは彼女だとすっかり思い込んでいるお母さんに畳み掛けられて、ちゃんと説明できる奴だと思う?」

「…全然思わない」

 そういえば、そのお母さんからの電話の時も「いや、その、」しか言ってなかった。

「和泉の奴、『何か知らんが由加のおかげで助かった』」

「『何か知らんが』とは何よ!」

「おい」

「あ、ごめん」

 私の右手が正面に居た澤田さんの額にぺちゃっとひっついていた。

「何で俺を殴る。だいたい和泉のお袋さんが勘違いしたかて由加に実害はないやろ。何で関係ない俺が実害こうむるねん」

 澤田さんは指先で軽く額を撫でた。私は再度ごめんなさいと言い、俯いた。恥ずかしくていたたまれなくて、つい殴ってしまった。私の右手は怪我が治ったばかりで、まだ力が入らないから痛くないだろうが、ついうっかり。

 諒介と私の関係を、どう説明していいか判らない。

 なぜか私には自分の身の上や周囲に不思議な出来事が起こる事がある。それを知っているのは諒介一人で、困惑する私に「それは特異体質」と言って対処法を一緒に考えてくれる人なのだ。周囲の人々は私達を恋人同士と勘違いしていて、それも困っている。私にはそういう気持ちはまったくないし、諒介もそうなのは先程の『何か知らんが』の言葉が示す通りだ。

 月並みな言葉だが大切な友達で、それを理解してくれているのが澤田さんと古田さんだ。先月、私が給湯室で怪我をして、取り乱したらしいのだがそれを覚えていない。その後にも、私が覚えていないために何があったのかは判らないが、就業中に会社を抜け出してしまった事があった。その時に諒介が、私を任せられる人として選んだのが澤田さんと古田さん。任せられる、というのは、彼は昨年から大阪に居るからだ。

 二人は会社の先輩で、私が所属する入力室の隣にある開発部の人だ。諒介も昨年までここに居て、信頼しているのだろう。その二人が入力室の休憩時間に現れて、他の皆がマシンから離れているこの時に、諒介の手紙の話を持ち出したのだ。

 話は手紙からずいぶんそれてしまったけれど、いいのだろうか。

「で、何の話だったんだっけ」

「だから泉ちゃんの身上調査だよ。…お母さんからだったりして」

「えっ」

「嘘、嘘」

 またからかわれてしまった。いつもそうなのだ。

 古田さんは、澤田さんに「見せて」と紙を寄越すよう手を差し出した。受け取って読み、丸眼鏡の奥の細い目を更に細くして楽しそうに頷いた。

「何これ、デートの参考にでもするのかしら。その割にはつまんない質問だね。バカだねえ。やっぱり和泉だよ。…ふうん」

 彼はふわふわと歩いて入力室の奥にある休憩室へ向かい、ドアを開けた。

「市川さん、コピー使わせてくれる?」

「テメエんとこ使えよ」

 笑い声。怒っているのではなく、単に口が悪いだけ。我が入力室の市川チーフはそれでも美人なのである。

 許可がおりたのか、古田さんは部屋の隅のコピー機で諒介の手紙をコピーし始めた。ぱっぱっぱっ、と紙が次々と吐き出される。何枚刷るのだろう、手紙なんて。

 古田さんはコピーされた紙の束を手にすると、また休憩室に向かって戸口から皆に話しかけた。「アンケートにご協力お願いします」

「アンケート?」と私が言うと、澤田さんが「うん、アンケートや」とニコッとした。古田さんが休憩室の皆に紙を配るのが窓越しに見える。やがて戻って来て「はい、どうぞ」と私にも一枚くれた。それでもまだ紙はたくさん残っている。「うちでもやろう、面白いから」と澤田さんにも一枚渡した。私は諒介が送ってきた手紙、いや、アンケートを見た。

「何、これ」

「見ての通りや」

「変なの」

「和泉が変なのは昔っからや」

「泉ちゃん、みんなと一緒に書いておいで。終わったらみんなの分と一緒に持って来てね。後で一緒に見よう、きっと面白いから」

 それじゃあね、と二人は入力室を出て行った。私はペン立てから『太巻きペン』を取った。サインペンにテープをぐるぐると巻いて太くした物で、佐々木さんの命名だ。指があまり曲がらず力も入らないので、こんな物を作ってみた。休憩室では皆がテーブルに置いた紙に向かって背を丸めたり、膝の上の雑誌を下敷きにしたりして諒介のアンケートに回答を書き込んでいる。

「泉ちゃん、これ何なの?」

「さあ、よくわかんないけど、みんなに配る事にしたのは古田さんだよ」

「うん、古田君が五階名鑑を作って和泉君に見せるって」

「五階名鑑?」

「和泉君、驚くぜー」

と市川チーフが言うと、皆どっと笑った。なるほど、古田さんのいたずらなのだ。私に質問のつもりが、二十人くらいから答えが返って来たらびっくりするだろう。澤田さんを通じて送って来たのだから、他の人が見ても大丈夫なのかな、と思う。実際、私宛てに個人的なメッセージは一言もなく、懸賞のアンケートのような質問が並んでいた。

 少しがっかりしたけど。

 皆が楽しそうに書いているのを見て、この方が面白いからいいや、と思った。たまには私が驚かせてやらないと不公平だ。私は森さんの隣に座ってアンケートに答えを書き始めた。




 入力室と開発部で回収されたアンケートを、古田さんと澤田さんと私の三人で見た。退社して銀座に寄る。ビールで乾杯したところで、「さて」と古田さんが紙袋からアンケートの紙を取り出した。

「見せて見せて」

「こっちが開発の」

「どれどれ」

 アンケートだが、署名入りである。後でコピーして、本当に名鑑の形にして皆に配ろうという事になったのだ。絵の上手い佐々木さんが表紙を作ると請け合った。他人が見る事を前提に書いているので、皆の回答はふるっている。

「市川さんの座右の銘が最高、『沈黙は金』だってフフフ」

「矢島部長にまで配ったの?趣味は釣りか、格好良い。行ってみたい所、南極?ロマンチストなんだ。格好良い」

「由加は矢島部長のファンやから何見ても格好ええんやろ」

「うん」

「佐々木さんのはすごいねえ、見てよこれ」

 差し出された紙を覗く。澤田さんと私は大笑いした。

「ああ、腹筋痛いわ」

「面白いー」

 三人で皆の回答を見ながらいろいろ話し、「さて、問題の泉ちゃんのを見ようか」と古田さんは私の回答を残して、アンケート用紙の束を紙袋に入れた。

 私のはというと、普通の回答だ。私には気の利いた答えを書くような真似はできない。質問もごく普通だったし、と思いながらつくねの皿を避けて紙をテーブルの真ん中に置いた。

 好きな物は映画、こんな事を今更訊いてどうするのだ、知ってるくせに。そう思って映画のタイトルをびっしり並べた。このくらいしないと諒介は納得しないだろうと思った。

 嫌いな物は雷、幽霊、血、台所にたまに出現する茶色の。

 私はそれの名前を書く事もできないくらい嫌いなのだ。

 よく観るテレビ番組。いつもビデオを観ているので観ない。

 今いちばん欲しいもの。血圧計。

「血圧計、って何やこれ」

「健康管理に役立てようと」

「ハハハ、これを見た時の和泉の顔が目に浮かんでしまったよ僕は」

 行ってみたい所、北海道。

「うん、僕も昔行ったけど、いい所だよ」

「ふうん。そうなんだ」

「そうなんだ、って、知らないで行きたいと思ったの?」

「他に思いつかなかった」

 最近、嬉しかった事。勝どき橋を渡ったこと。

「何、これ?」

「うーん」

「ほー」

 最近、怒った事。ちりめんじゃこと言われたこと。

「まだ覚えとったんか」

「忘れられないわよ、あの屈辱」

 最近、悲しかった事。貼り紙を捨てられたこと。

「もう気にしない方がいいよ」

「つまらんこっちゃ」

「もう気にしてないけど、あの時はすごく悲しかったから」

 最近、楽しかった事。お正月。

「ふうん?」

「ほー」

 座右の銘。

「書かなかったの?」と訊かれて頷いた。

「結局、何だったのかな、これ」

「ん?フフフ、和泉がこれを見て何て言うか楽しみだねえ」

と古田さんは揚げだし豆腐を口に入れた。

 古田さんには諒介の考えが判っているようだった。私にはさっぱり判らない。アンケートというよりテストみたいだ。何か、試されている感じがする。

 『今、君を試してしまった』

「───あ、」

「どうしたの泉ちゃん」

 『ここに居るのは誰なんだ』

「いや」

「由加?」

 私は首を横に振って、左手で目を覆った。「いや。怖い。諒介が怖い」

「どうして怖いの?」と古田さんが優しい声で訊いた。

「何を考えてるか判らない。私を試してる」

「そうか。試されてるのは判るんだね。じゃあ、和泉の考えを教えてあげる」そう言って「いいよね澤田、種明かししても」と続いた。澤田さんの溜息。かさかさ、と紙の音がした。

「───同封する別紙が訊いておきたい事です。しかし由加はあの通りの怖がりだから、由加に送るといつまでも返事が来ないと思うので、澤田もしくは古田が横につくなどして、楽しい雰囲気で訊くように」

 顔をあげると、澤田さんが諒介の手紙を読んでいた。

「由加は自分を繕うような答えはしないと思うが、怯えて答えない事はあると思います。それは無理に追求しないこと」

「それでね、みんなにも配ったのは、まあ、面白そうだったからなんだけどフフフ」

「考えがあったんとちゃうんか!」

「僕らが訊くより入力のみんなと一緒に書く方がね、リラックスして書けると思ったからなのね。怪我した時の事を考えるとね、君にとっては何を訊いても結局は怖い事だと思うの。和泉はそこまで計算に入れていて、だからこういう簡単な質問に抑えてあるんだと思うのね。重要なのは君が何の緊張感もなく答える事で、それは途切れちゃった記憶を覗くのに必要な事だったの」

 それは判る。何にせよ、諒介は私を試すだろう。

「この質問の答えがどういう意味を持つのかまでは僕には判らないけれど、和泉の意図は透けて見える。だからあとは、和泉がこれを見るだけなの」

「…和泉の考えはな、おまえが怖がらへんようそれだけや」

 あー、あつい、と澤田さんは右手をぱたぱたと扇いだ。

「うん、そこに送風口がある。直撃だね」

「和泉、報われない奴」

「泣かせるねえ」

 私が怖がらないように。

 ぼんやりと目の前の揚げだし豆腐を見た。言われればちゃんと判るのに、どうして怖くなるんだろう。きっと記憶がすっぽ抜けているせいだ。澤田さんや古田さんが目の前に居て、諒介の存在だけ抜け落ちたみたいに、そこが空白になっている。きっとそのせいだ。

「…うん、何か、最近忘れっぽいみたい。だめだよね、こんなんじゃ」

 また、一年前を忘れそうだ。私は目を閉じて、必死に思い出す。

 最近の私がしているのは、一年前を思い出す事だった。

 諒介が居た日。


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