涙
しばらく、ルゥナミアとシャンは、黙って丘の景色を楽しんでいた。
ルゥナミアは『遥かなる美しきファフティリヤの丘』を小さな声で口ずさむ。
実際にファフティリヤの丘でこの曲を聴くと、いっそう感慨深いものがある。
どのくらいそうしていただろうか。
「でも……とても哀しい旅だったんだね。わたしは死に場所を目指して、シャンは自分の死んだ場所へ向かっていたなんて」
ぽつりとルゥナミアが呟いた。
「そうか? おれは楽しかったよ。まあ、ルゥナミアは幽霊と旅をしていたんだから複雑な気持ちだろうけどな」
「そんなことない。わたしも楽しかったよ。でも……」
「でも?」
「さっき、シャンの姿が消えて見えたの。これまで、そんなことなかったから、すごく怖くなって……」
「意識を集中すれば誰にでも見えるようにすることができるけど、実は気を抜いたらすぐに見えなくなるんだ。能力を使いすぎたあとなんかは、特に注意していないとちょっとした隙に透けてしまうこともある」
先ほど、御車台の上に誰もいなかったように見えたのはそのせいだったのだ、とルゥナミアは納得する。
シャンはルゥナミアをここに連れて来るために、その能力をかなり使っている。
消耗も激しいに違いなかった。
シャンが幽霊だとわかってしまえば、他にも思い当たるふしがあることにルゥナミアは気がついた。
ルゥナミアは、シャンが寝ているところをあまり見たことがなかった。
ルゥナミアの目の前で食事をしたり、水を飲むこともほとんどなかった。
シャンはいつも、先に済ませたとか、あとで食べると言うのだ。
「けれど、もう力はほとんど使い果たした。実は、ここに留まっているだけで精一杯なんだ。おれも、もうすぐ消える」
「え!?」
ルゥナミアは驚いて目を丸くした。
「ルゥナミア、チロロを埋めてやろう。それでもう、こちらの世界に思い残すことはなくなる」
「埋めるって……」
ルゥナミアは太ももの上に乗って丸くなっているチロロを見た。
「チロロはここにいるよ」
シャンが自分の肩のあたりを指さした。
ルゥナミアにはなにも見えない。
「え?」
「チロロはもう死んでいる。チロロが苦しがって鳴いたあの夜だ。おれが強引にチロロの魂を体に戻した。肉体はもう死んでいるけれど、魂が入っているから、動くことができた。でもルルゥナミアの目的が果たされた今、チロロの魂は肉体から抜け出してここにいる。だからそれはただの抜け殻だ」
「う、嘘……」
ルゥナミアの声が擦れた。
母親が病気で死んだとき、父親が戦争で死んだとき、チロロはいつもルゥナミアと一緒だった。
あとわずかしか生きられないと医者に言われたときも、傍にはチロロがいた。
毎日一緒に散歩をして、一緒に食事をして、一緒に眠った。
「本当なんだ。チロロの魂は力が弱くてその姿を人間に見せることができないけれど、声だけなら届けることができる」
『チィ』
「チロロ!?」
ルゥナミアは反射的に、丸くなっているチロロの体を見た。
けれどそのチロロはぴくりとも動かない。
『チィ』
まるでこっちだと言わんばかりに、チロロの鳴き声がシャンの肩あたりから聞こえる。
「……本当なのね」
「騙していて、悪かった」
シャンが謝罪する。
チィ、とチロロの鳴き声が続く。
ルゥナミアは首を横に振った。
「わたしのために、ありがとう。ごめんね、チロロ」
本当なら、あの夜、この世界から旅立っていたはずのチロロ。
それなのに、ルゥナミアのため、こうしてこの丘までついて来てくれたのだと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ルゥナミアが無理をさせなければ、チロロは故郷の森で死ねたのに、こんなに遠くまで来させてしまった。
『チィチィ』
チィの声が、まるでルゥナミアを慰めるように、励ますように、聞こえる。
最期まで、チィはルゥナミアの大切な家族で、友人だった。
「チロロ……」
ルゥナミアの目から、涙が零れ落ちる。
そしてああ、こうして泣くことができるのも、生きているあいだだけなのだと、改めて感じるのだった。




