チロロ
波の音が聞こえる。
宿屋の一室。
開けたままの窓辺に立ち、シャンはぼんやりと月を見上げていた。
空には雲がなく、下弦の月と輝く星々が見える。
(明日も晴れそうだな)
運良く、ラハイ湾方面に向かう船が見つかった。
出港は明日の昼。
その船に乗れば、十日ほどでラハイ湾に着く。
海が荒れて出航できない、という事態は避けられそうで、シャンはほっとした。
ルゥナミアは今日の昼にも発作を起こした。
すぐに薬をのませたけれど、今回は効くまでに少し時間がかかった。
耐性ができてしまっているのかもしれない。
薬が効かなくなるのが先か、心臓がもたなくなるのが先か。
それは恐ろしい賭けだった。
徒歩だったら三ヶ月はかかる旅程で、当初、シャンたちはそれを歩きとおすはずだった。
それと比べたら、十日なんてあっという間のはずだ。
それなのに、時間的に余裕があるとはとても思えなかった。
それどころか、おそらく船を使ってもぎりぎりといったところだろう。
もしも徒歩のみでファフティリヤの丘を目指していたら、着くことは難しかっただろうと今なら確信をもって言える。
シャンはまぶたを閉じた。
長い旅だった。
そのあいだ、シャンは徐々に病状の悪化するルゥナミアをずっと見守ってきたのだ。
ルゥナミアの体のことは、おそらくシャンが一番よくわかっている。
そのとき、静寂を切り裂く鋭い鳴き声が響いた。
チロロだ。
これまでに聞いたことのない、背筋の凍るような鳴き声だった。
シャンははっと目を開け、振り返る。
ルゥナミアが弾けるように起き上がったところだった。
チロロはこのところ元気になったように見えていた。
ルゥナミアの相手をしていることも多かった。
(それなのに、何故?)
嫌な予感がした。
チロロが、体の底から声を振り絞るように鳴いている。
「チロロ! チロロ!」
ルゥナミアが名前を呼ぶが、聞こえているのかどうか怪しい。
ただごとではない様子に、ルゥナミアがシャンを振り返った。
「シャン、どうしよう!」
どうしようもない。
そんな答えが浮かんだ。しかしそれを口に出すのは憚られた。
無言のまま、首を横に振る。
ルゥナミアの顔が歪む。
ルゥナミアもわかっている。
自分たちには、どうしてやることもできないことを。
チロロは老衰だ。寿命なのだ。
――ふいに、チロロの鳴き声がやんだ。




