市壁より
そんなことを考えているとき、突然、市壁の反対側――街の外で、コツコツという音が聞こえた。
びくり、とルゥナミアは体を強張らせた。
「大丈夫ですよ」
男は動じる様子もなく笑顔で言うと、市壁の上から街の外側の様子をうかがっている。
軽く、手を上げて、誰かに挨拶しているようだ。
この下に、放浪楽師の知り合いが来ているらしい。
ルゥナミアも、腰の高さまである通路の壁に手をついて、恐々下をのぞいてみる。と、五、六人くらいの人がいるように見えた。
「どうするつもりなの?」
「降ります」
「え……えぇっ!?」
驚いて大きな声を出すと、手の中のチロロがぴくり、と体を動かした。
けれどそれだけで、起き出す様子はない。
放浪楽師が「静かに」と苦笑を浮かべながらルゥナミアを窘める。
(いや「静かに」じゃないから……)
この状況で静かにしていられるわけがない。
「ちょっと待って。だってここ、かなりの高さが……」
「そうですね。成人男性五、六人分くらいの高さはありますかね」
それでも幾分抑えた声でルゥナミアが言うと、男はなんでもないことのようにうなずく。
「そうですね、って……」
「大丈夫ですよ。慣れてますから」
にっこりと微笑みながら平然と男は言うけれど……。
いやいやいやいや、とルゥナミアは後ずさりする。
「む……無理。絶対無理。ごめんなさい」
「僕は意外と力があるので、あなたひとりくらいなら抱えて降りられますから」
「け、結構です!」
更に一歩下がると、男が一歩こちらに踏み込む。
「ほら、降りればすぐ、楽しい演奏会ですよ。僕以外にも、上手い奏者がたくさんいますから。『遥かなる美しきファフティリヤの丘』も、演奏しますよ?」
ずるい、とルゥナミアは小さく唸る。
『遥かなる美しきファフティリヤの丘』は、母が大好きだった曲だ。
母がよく口ずさんでいたのを覚えている。
ここに来るまでのあいだに、なにか聴きたい曲はあるかと訊かれて、思わずその曲名を挙げてしまったのだ。
高さも怖いけれど、日没後の市外はとても危険なのだ。
どうしても野宿しなければならないときなどはシャンも充分に警戒している。
そんなところに、見知らぬ男と一緒に行くなんて、無謀もいいところだ。
わかっている。わかっているのに。わかっているけど――。
ルゥナミアはごくり、と唾を呑み込んだ。




