幽霊
「放浪楽師、か……。この街はいい街だ。だがいかんせん人が増えた。戦後よそから流れてきた連中も多い。もし嬢ちゃんを探すのなら――」
「幽霊の仕業じゃねえのかい」
宿屋の主人にザックと呼ばれていた老人が、宙を見つめたままぽつりと言った。
「幽……霊……?」
「ザック、そりゃあただの噂だろう。兄ちゃんが信じちまったら気の毒……」
「幽霊って、どういうことですか?」
「あ――」
シャンがずい、と店主に迫ると、遅かったか、というように店主が随分髪の毛の少なくなった頭をぼりぼりと掻いた。
「いや、だからただの噂でな……」
「なんでもいいんです。教えてください。あと、さっき言っていた流れてきた者たちが多く住んでいる場所などがわかれば、教えてもらえると助かります」
「いや、だから……」
「お願いします!」
時間がなかった。
こうしているあいだにも発作を起こしていたらと思うと、手遅れになったらどうしようという焦りばかりが募る。
「仕方ねえ。幽霊ってのは、最近市壁の上に現れるヤツのことだ。市壁の上な、あそこには見張り用の通路があるわけだから、まあ誰かが歩いてたってさほど不思議じゃねえ。だがあの通路が使われていたのは昔の話で、今は市壁からの見張りは行ってねえんだ。せいぜい、門に当番のヤツが立ってるくらいだ。だから、市壁の上を夜中にうろつくってのはやっぱり不気味だわな」
「ああ、不気味ったらないぜ」
「そこでとっつかまえちまえって話になって、街のモンで挟み撃ちにしようとしたんだが、それが嘘のように消えやがった。市壁の上から飛び降りたんじゃあ、さすがに無事じゃあいられねえ。怪我のひとつやふたつは覚悟しなきゃなんねえところだが、地上にそんなヤツはいねえときたもんだ。そこで幽霊じゃねえかって噂になってんだが……」
宿屋の主人には、なにか思うところがあるようだった。
「だが、なんですか?」
「だが、そいつぁ幽霊なんかじゃねえと、俺は思ってる」
「幽霊じゃない?」
「俺もその幽霊の捕獲作戦に参加した。あとちょっとってところまで追い詰めたんだ。そんとき、ちらっとだが顔が見えたんだ。見えたような気がしたんだが……」
宿屋の主人が、迷いを含ませた声で話す。
「誰なんですか?」
シャンが逸る気持ちを抑えて訊ねる。
「ありゃあ、そら、そこの広場で演奏してる……」
「まさか、放浪楽師?」
「……に見えたんだ。まあ、俺以外は見てねえみたいだから、俺はこのことを誰にも言っちゃいねえ。もし間違ってたら、あの放浪楽師にも迷惑がかかるしな。まあ、居辛くなりゃあよそへ行きゃあいいのかもしれねえが、今はまだ復興できてねえ街が多いだろう。なんの罪もねえのにそんな目に合わせるのも気の毒だからよ」
宿屋の主人はどうやらいい人のようだ。
「ひとつ、訊いてもいいですか? その幽霊は、灯りを持っていましたか?」
「ああ、おれが見たときは持ってたな」
「……わかりました。ありがとうございます」
シャンは礼を告げると、再び外へ向かう。
「おい、なにがわかったんだよ? 流れてきた連中の居場所は、教えなくていいのかよ?」
「たぶん、大丈夫です。すみませんが、もしかしたら帰りが少し遅くなるかもしれないんですけれど……」
「そんなのぁいつまでだって待っててやるよ。だから早く嬢ちゃん見つけて、帰って来い」
「ありがとうございます」
シャンはもう一度礼を言ってから、宿屋をあとにした。




