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さらば愛しき日々よ

作者: 瀬川潮

   初日


「よくぞ出で参った。それがし、そのほうらを我が術で呼び寄せし召喚師引田妖冥。早速我が主、織田信長様に仇なす敵にその力、存分に発揮されい」

 北海道で演習中だった陸上自衛隊の隊員一部が突然蒸発した事件は、今だ解明されていない。事件の真相を知っているのは、突然霧にまかれて、晴れたと思えば戦国の世に飛ばされていた隊員九人だけだった。

 その隊員ら。

 演習途中に急に風景がかわり、目の前には遠くに騎馬隊が駆ける戦国合戦絵巻の中に入りこんだようなにわかには信じがたい現状に、目を白黒させるばかりだ。いくら目の前で、着物に烏帽子をかぶった自称引田妖冥がわめこうとも、「はい、そうですか」と従えるものでもない。

 困惑していた彼らが目を覚ましたのは、彼らの存在に気付いた前線の騎馬隊がわずかの戦力を割いてこちらへ突撃してきた瞬間だった。

「これを夢と思うか? 夢と思うならその中で死ぬがよい。夢だろうと現だろうと、生きたい奴は我に続け!」

 引田の後ろに控えていた若武者が声を張り上げ、連れていた数騎を率いて掛けだした。誰の目にも、無理な突撃だった。

 が、この若武者。かなりできた。従えた騎馬と倍する敵に、ぶつかった瞬間から互角の戦いを展開する。

「生きたければ、戦え」

 引田が再び口を開いた。

 と思うと、敵の一団から数騎が抜け出し、自衛隊員めがけて殺到してきた。さすがに数が違うので、次々敵を斬り結ぶ若武者といえども彼らを守る戦いは出来ない。

「さあ、どうする?」

 引田の問いに答えたのは、自衛隊小隊長のマシンガンだった。

 タタタタッ、という連続音とともに大地が弾け、馬と兵の血が飛び散った。

「横っ腹から突っ込んで撹乱するッ!」

 小隊長、長渕は唯一の装甲車両、ジープに乗りこみ、備え付けの機銃を掴み銃口をめぐらせた。

「残りはあいつらを援護してやれ」

 若武者の一団を指差すと、井上が運転するジープがうなりを上げて最前線へと走り去った。

 天正三年、後の世に言う長篠の戦いでの出来事だった。


   二日目


 長篠の戦いは、織田・徳川連合軍勝利に終った。

 織田軍勢の新兵器、鉄砲と新戦術、三段撃ちが猛威をふるった戦いだったが、突如参戦した自衛隊の戦力が連合軍の圧倒的勝利を決定づけたといってよかった。

 連射は出来ないとむやみに突っ込んでくる武田騎馬隊が、味方の屍を越えてやっと織田鉄砲隊の砦ともいえる丸太を組んだ柵にとりついたところで、ジープが戦場を横切り、機銃が火を吹いたのだった。

 日本の戦国史に明るい嶋が「史実では、織田側にも相当な被害が出ていたはず」と眉をひそめた通り、まさに武田軍が一矢報いる瞬間を近代兵器が叩いたため、織田側はほとんど無傷という一方的な戦いとなった。自衛隊員九人に、死傷者はいなかった。

「期間は三ヶ月」

 入城した長篠城で、引田妖冥が言った。目の前にならぶ自衛隊員の顔を見まわして、反応を見るように言葉を切った。

「そうすれば、また術を使うだけの氣力が回復する。三ヶ月間、我が命に従えば、そなたらをもとの世界に無事に帰すことができる」

「従えない、と言った場合は、どうなる?」

 けもののようなぎらぎらした目で、長渕隊長が聞いた。

「どうもするつもりは無い。そなたらに命令を下すことも無いし、そなたらを帰すために術を使うことも無い。我を殺すも自由だが、我とても簡単に殺されるつもりはないし、もしも死んだら、そなたらは帰る術を完全に失うまで」

 引田が薄く笑う。

 自衛隊員らは、三ヶ月間引田妖冥に従うことにした。

「ただし、我らの持つ未来の武器や歴史などの、もろもろの知識を提供することは無いぞ。これ以上歴史を変えて、戻れなくなるのはごめんだからな」

「望むところ。我はそなたらを軍師として召喚したわけではない。あくまで、戦闘力として」

 引田はにやりとして受けあった。

 彼は、自衛隊員らを召還した本人ではあったが、どこから召還したまでは分からなかったのだ。

 長渕の、明らかな失言であった。


   三日目


「そなたらは未来から来たそうだの」

 織田信長が言った。奥座敷の上座から見下ろす先に、長渕隊長がいた。

 長渕、黙して改めて頭を下げる。

「そうなれば、天下を誰が取るかも存じておろう。申してみい」

 長渕、口を開かず。

「申してみいとの言葉、聞こえぬか」

「先を知るべきではありません」

 短く、言った。

「もしも、この織田信長が天下を取ったのではないとしても、かまわぬ。歴史など、ねじ曲げてしまえばよいのじゃ。先を知っておれば、対策も立つ。申してみい」

 長渕は、苦悩した。

 それでも、言えるわけが無いのだ。

「……言わぬか? 言わねば、我が軍に仇なすものと見なし、斬るぞ」

「我々が知っている歴史は、先の戦いを見ても、すでにねじ曲がっています。言ったところで、参考にもならないし、逆に知ったならば、変わり行く状況に対し柔軟な対応が出来なくなるでしょう」

「我は知りたい、と申しておるのだ」

 信長、にわかに脇の刀に手を伸ばし、立ちあがった。

「知るべきでは無い、と言っているのです。もしも、天下を取るおつもりならば、なおさら」

「他の者も引っ立てい」

 信長の怒気が響き、至急に他の八人も呼び出された。

「今からお前らの頭領を斬る。それでも、我に未来を――誰が天下を取るかを言わねば、言うまで一人ずつ、斬る」

 それだけ言うと、抜刀して正座する長渕隊長に近づいた。

「再度聞く。誰が天下を取る?」

 信長は長渕に聞いた。

「言えない」

 信長は、内部の重鎮の裏切りで命を落としたのだ。言えば、下手をすれば愚弄したと斬られる。言えるわけが無かった。もちろん、言わなくても斬られるが、長渕隊長は言わなかった。言わないのを潔しとしたのか、これ以上歴史に介入したくなかったのかは分からないが。

「そうか」

 それだけ言うと、信長はいよいよ刀を振り上げた。

「あんたは天下を取れないっ」

 隊長のうしろ、かなり離れた場所に正座している八人の隊員から、声が上がった。

 隊員の一人、シミュレーションゲーム好きの松山だった。

「天下を取るまであと一歩のところまで行ったが、そこで命を落とした」

「松山!」

 隊長は声を荒げて振り返ったが、それ以上は何も言わなかった。

「だいたい、言えるわけが無いじゃないか。あんたは歴史を知ったら、あと一歩のところにすら行けないんだよ。知らない方が、絶対に天下を取る可能性が高いんだ。それを、どうして言えるわけがあるもんかよぉ」

 松山は、涙を流していた。歴史の一端を話してしまった無念からか、または、のちに身を滅ぼす原因の一端となる信長の性格というか、気性を垣間見たことによる、歴史の重さを感じてのものかは分からない。

「そうか。あと一歩まで行くのか」

 意外にも、信長はそれ以上聞かず、満足して刀を鞘に戻した。

「あと一歩、ふんばればよいのだな」

 もとの場所に着座して、にやり。

 これが、信長。

 誰もがそう思った。


   八十五日目


「引田がやられたというのは本当か」

 長渕隊長が声を張り上げた。前線から戻った興奮がまだ抜けない様子だ。

「もう、時間の問題です」

 横たえた引田のそばにいた自衛隊員、嶋が沈痛な表情で答える。

「たかが一向一揆と侮ったが不覚。陰陽師がいるとは思わなんだ」

「式神にやられたそうです。私もついていましたが、どうしようもありませんでした」

 出血で発音がくぐもる引田の言葉を、嶋は補足説明した。

「おい。あんたがこのままくたばったら、俺たちはどうなるんだ?」

 長渕が引田をゆすった。

「二度と、元の世界に、戻れぬ」

 途切れがちの声で言う引田。すでに両目の焦点も合っていない。しっかりしろ、と長渕は軽く揺さぶるが、すでに反応は薄い。

「もしも天下を取れれば、人材を探しやすかろう。……歴史を、変えろ。天下を、取れ。そして、召喚師を探すのだ。さすれば、元の世界にも、もしかすれば」

 言葉は、消えた。

 自衛隊員らはすでに、あまりにも多くのものを失っていた。燃料切れによりジープを失い、マシンガンはをはじめとする近代火器はすでに弾切れで用をなさなくなっていた。元の時代に帰れる三ヶ月を心の支えに、火縄銃や槍を手に、必死で戦っていたのだ。

 そして今、元の時代へ帰る術を失った。

 隊員九人は、涙した。

 直後に降り出した雨が、血と、涙を洗い流した。前線でのときの声も、止んだ。

 翌日、信長の越前一向一揆平定は、成った。


   七年目


「嶋どのは、明智光秀様亡き後を継ぎ、立派な武将になられた」

 自衛隊員が戦国時代に飛ばされて以来、常に一緒に行動してきた若武者――すでに若くも無くなったのだが――の九段清家は、自らが駆る馬を嶋の乗騎に寄せて言った。この時、嶋は本来なら明智が率いていたであろう軍勢を、指揮していた。なりはすでに、すっかり戦国武将のいでたちになっている。彼らは、山陽・山陰方面制圧に向かった羽柴秀吉隊への増援部隊の先鋒として、一軍を率いて丹波亀山城に向かう途中だった。時に天正十年。

「そんなつもりはないが、もしもそうだというのなら、ここにいる皆のおかげだ」

 嶋は部隊を振り返った。

 しかし、そこに嶋以外の自衛隊員はいなかった。

 長渕隊長も、井上も松山も全員、戦国の戦の中で次々命を落としていったのだ。

 少し元気の無い表情は、そのためだった。

「そうお思いなら嶋どの」

 九段はさらに馬を寄せてきた。

「今こそ、亡き光秀様の意思を継ぐべき時かと」

 嶋は、迷った。

 もともとの方針は、長渕隊長の下、現代に帰るために歴史への干渉は避けるという立場をとっていた。しかし、現代へ自衛隊員らを帰す力を持った引田が死んだことにより、引田と同様の能力者を探すために天下を取ること、つまり、歴史を変えることを自衛隊員全員の意思で決めた。

 方針は変わったが、目的はあくまで、現代に帰ること。

 だが、最後の自衛隊員の生き残りである彼は、ずっと迷い続けていた。

 歴史を変えるべきか、変えざるべきか。

 すでに細部の歴史が変わっていたとはいえ、信長はまだ天下を取ってはいない。歴史の大筋からはあまり外れてはいないと言える。

 引田が死んだことによって、嶋が現代への帰還を果たそうとするなら、歴史を変えるしかない。だが、今まで変えようとして、歴史の大局に影響が出ていないのだ。

「嶋どの。例の計画、実行するかしないかのご決断を」

 九段がさらに詰め寄る。

 この時、嶋の胸中にどういった思いが去来したかは、分からない。

 やがて、意を決したように嶋は面を改めると、大きく息を吸い込み、叫んだ。

「敵は、本能寺にありぃ!」

 馬首と手にした軍配を翻した嶋の頬には、熱い滴が伝っていた。



   おしまい

 ふらっと、瀬川です。


 他サイトの競作企画に出展した旧作品です。

 調べてみると2003年の作品。確か「戦国自衛隊企画」で、自衛隊が戦国時代にタイムスリップする、最後に涙を流す、それともう一つくらいの縛りがあったはずです(400字詰め原稿用紙10枚程度で)。

 お正月ですし、歴史モノでお楽しみくださいませ。

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