第8話
サザンカの通りに沿って、僕と彼女は、街頭を何本も通り越した。空の雲の波間から、少しだけ青空が覗いた。白く澄んだ光が、サザンカの葉に当たってきらきら光った。
「ねぇ」
僕は、彼女に質問をした。
「君は、どうして家に入りたくなかったの?」
彼女は、しばらく何も言わなかった。まずいことを質問してしまったと、僕は後悔した。しかし、彼女ははっきりとした口調で言った。
「“君”じゃないわ」
僕は思わず彼女の顔を見た。すっと整った鼻立ちと、化粧っけのない白い肌が印象的だった。彼女ははっきりと、けれど優しい口調で続けた。
「さくら」
「さくら?」
僕が繰り返すと、彼女はにこりと微笑んでうなずいた。
「さくら……」
彼女の名前を何度もつぶやく僕に、彼女――さくらは尋ねた。
「あなたは、青木……下は、何ていうの?」
僕のシャツの袖をぎゅっと握り、さくらは不思議そうな顔をした。僕は、ゆっくりと言った。
「雄司。 青木雄司」
「ゆうじ」
さくらは、嬉しそうにその名前を呼んだ。すると、急に立ち止まって言った。少しだけ、深刻そうな顔をして。
「ゆうじと私は、お友達になれるかしら」
僕は、間髪入れずに答えた。
「もうなってるだろ」
「え」
「お互いの名前を知ってて、こうして一緒に散歩もしてる。 だから、もう立派な友達だよ。 違うかな?」
少し臭い台詞を吐いてしまったなと、気恥ずかしい思いで顔をうつむけている僕に、さくらは、ふふっと笑うと、ぎゅっと抱きついてきた。僕は思わずよろめいた。彼女の肌の甘い香りが、とても優しかったから。さくらの身体は、細くて軽かった。こんな身体で、よく今まで生きて来られたものだと思う。今までにも、驚くほど細い女の子は何度も見かけた。しかし、彼女は、今までの誰よりも細いようだった。
一瞬、彼女には、僕には見ることの出来ないとても美しいものが見えているんじゃないかと思われた。彼女の瞳は、きっと見えていないはずなのに――何か、透き通るように美しいものを捕らえているように思われて仕方なかった。