第2話
しばらくして公園につき、水道が一番近いベンチに彼女を座らせた。彼女はようやく落ち着いた様子で、黙ってうつむいていた。僕は、ポケットからしわくちゃのハンカチを取り出すと、水道のところへ走り、ハンカチを水で濡らした。
「ちょっとしみるよ」
僕は静かに言うと、彼女の膝にハンカチを当てた。彼女は、身動き一つしなかった。
「痛くないんですか」
「痛いわ」
彼女は少しばかりぶっきらぼうにそう言った。僕はそれを聞いて思わず笑った。
「何がおかしいの?」
「何でもないよ」
僕がそう言うと、彼女はますます機嫌を損ねたように頬を膨らませた。そして、何とか聞き取れるくらいの小さな声でつぶやいた。
「見えないから、ばかにしているんでしょ?」
心なしか、彼女の声はかすかに震えていた。
「そんなことないよ」
「嘘」
彼女は、泣きたいのを必死にこらえているように思われた。僕は、そのことに気付かないふりをしながら、彼女の血がついたハンカチを洗いに、また水道の蛇口へ走った。そして、水をたっぷり含ませてからベンチに戻った。彼女は相変わらずうつむいたままだ。僕は何も言わずに、彼女の傷口にハンカチを当てた。
「ねぇ」
ふと、彼女は言った。
「それ、きれいなの?」
僕は、しわくちゃのハンカチに目をやった。それから、このハンカチを洗った日の記憶をよみがえらせようとした。
「えぇと……一昨日洗ったやつだよ。 アイロンはかけてないけど、今日はまだ一度も使ってない」
「今日は一度もトイレに行かなかったの?」
彼女はまた言った。僕はしどろもどろに答えた。
「忙しくて手を拭いている余裕がなかったんだ。 ……別にトイレに入って手を洗わなかったわけじゃないよ」
しばらく空白が空いたあと、ぷつんと弾けたように彼女は笑った。とても、可愛らしい声だった。僕もつられて笑った。
雲が流れ出した。どんよりしていた曇り空の隙間から、オレンジ色の夕日が差し込み始めた。夕日は彼女の顔を鮮やかに染め上げた。僕は、いつの間にか、仕事で沈んだ気持ちを忘れていた。学生のころ、友達と繁華街で寄り道をしていたときのように、少しだけハイな気分になっていた。
彼女はひとしきり笑うと、はっきりと、けれど優しい口調で言った。
「ありがとう」
その一言に、胸が締め付けられる思いがした。