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彼女。  作者: ling-mei
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第13話

「ねぇ」

 彼女は言う。

「触ってもいい?」

 僕は、何のことかと彼女の顔を覗き込む。

「顔に触りたいの」

「僕の顔?」

「触らせて」

 さくらがあまりにそれを望んでいるようだったので、僕は、いいよ、とつぶやいた。すると、彼女は、暗闇の中を探るように、こちらにゆっくりと両手を差し出してくる。僕は、動かずじっとしていた。

 ようやく彼女の手が、僕の顔に届いた。僕は一瞬身体を震わせた。

「大丈夫」

 さくらははっきりと、けれどどこか優しくそうささやいた。そして、まず、彼女の両手は僕の両側の頬を包み込むように僕の顔に触れた。そこから、顎の輪郭、耳、鼻、まぶた、額と、彼女はまるで生まれたての子猫に触れるように、柔らかく、優しく手のひらと指を這わせていった。最後に、彼女の指は僕の唇に触れた。

 彼女は、僕の唇に触れたまま、動こうとしなかった。僕は、抵抗する気はなく、目をゆっくりと閉じた。彼女の息遣いが聞こえた。

 僕は、さくらの肌の匂いに軽く酔いを覚えた。一瞬、僕の思考が、その匂いと、外から吹き込んでくる心地よい風のせいで途切れたとき、唇に柔らかな何かが触れた。

 あまりに一瞬のことで、僕はことの内容が理解できていなかった。間違いなく、唇に何かが触れた。指や手のひらではない、もっと柔らかいものが触れた。僕の曖昧な記憶が合っているのならば、あれは確かに――。

「ゆうじ」

 さくらは、消えそうな声で僕の名前を呼んだ。

「帰りたくないの」

「え?」

 ふわふわと宙に浮いているような気分だった僕は、さくらが何を言っているのかもよく分からなかった。彼女はもう一度言った。

「あの家に帰りたくないの」

 あの家?あの豪邸のことか。そのとき、僕の頭に、また葛西さんの言った言葉が浮かんだ。

「心配してるよ。 葛西さん」

「言わないで」

 さくらは耳を押さえ、顔を伏せた。その行動からは、怯えのようなものが感じられた。

「独りぼっちは怖いのよ」

 それだけ言うと、さくらは音もなく涙を流した。ぽろぽろとこぼれ、それは涙というよりは雨の雫のように見えた。僕は、そのとき、彼女のことを考えるたびに感じていた、胸のきしみの理由が分かった。

「独りは嫌い」

 僕は、彼女の中に僕を見ていた。

「嫌いなの」

 さくらは、孤独を感じているらしい。僕もまた、理由のない孤独にさいなまれていた。この、おんぼろのアパートの一室で、話し相手どころか、生きる目的も、ガキのころの夢も、何もかも失っていた。きっと、現代人なら誰でも抱えている孤独なんだと思った。そう解釈していても、耐え難い気持ちだった。

 僕は、震えるさくらの身体を抱いた。細かった。かけられる言葉は何もなく、ただ、彼女を抱きしめ、その頬にキスをした。さくらはまるで人形のようにじっとして、僕に身体を預けていた。今まで、女性とまともに付き合ったことのなかった僕だったが、何故だか迷いはなかった。抱き方も、キスの仕方も、自然と身についているようだった。

「ゆうじ」

 さくらは、かすかに震えた声で僕を呼んだ。僕は、その声に驚き、思わずさくらを離した。目の見えない彼女に、何てことをしたのだろう。それも、会って間もないのに。恋人でもないのに。

「ごめん」

 思わず謝ってしまった。さくらは首を横に振り、ううん、と言った。

「ゆうじは、独りぼっちじゃないの?」

「僕?」

 風が部屋を走りぬけた。さくらの髪が揺れた。

「この部屋は好きじゃないんだ」

「どうして?」

「僕のことを嫌ってるみたいなんだ。 この部屋は」

 どこかの部屋の風鈴の音が聞こえた。硬く冷たい音が、耳の鼓膜を妙に刺激した。さくらの息遣いが聞こえる気がする。身体中の神経が、やたらに過敏になっている気がする。

「ここに一人でいると、いつも苦しい。 酸素が足りないみたいに」

「今も苦しい?」

 僕は、いや、と言いながら首を横に振った。

「君がいるから」

 さくらはそれを聞くと、しばらく黙っていた。そのとき、何故だか、騒音が何もかも消え去ったように穏やかになった。聞こえるのは、風の音と、彼女の息遣いだけだった。

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