第9話
僕はそのまま、さくらを連れて、初めに出会ったときの公園へ行った。他に行き先もなかったし、遠出することはさすがにできないと思ったからだ。一番大きな木の下にある、淡い緑色のベンチに座った。
「ケガ、もういいの?」
さくらは、僕の問いかけに、うんとうなずいた。そして、膝を軽く覆うくらいの丈の紺色のスカートを、膝の少し上までたくし上げた。薄茶色の絆創膏がぺたりと張り付いていた。さくらはその絆創膏を、爪に引っ掛けて無造作にはがした。絆創膏のせいで、肌が蒸れて少々白っぽくふやけていた。さくらは、傷口にそっと触れた。傷は、かさぶたになっていた。
「見て」
さくらは、僕にケガをした膝を見せた。
「もう治りそうだね」
うん、とうなずき、さくらはスカートをまたもとの位置まで下ろした。彼女の脚は、やはり細かった。僕は、何だか不安になった。風が吹けば、彼女が吹き飛ばされてしまうような気がした。
「お腹空いた」
わざと僕はそう言った。携帯の時計は、11時半少し前になっている。僕は、朝ごはんと昼ごはんが兼用になる癖だったので、この時間帯は特にお腹が空く時間だった。けれど、さくらの細い身体を見ていると、とにかく何か食べさせたいという考えばかりが浮かんできたのだ。
「何か食べに行こうか」
言うと、さくらは首を傾げて言った。
「それはデートのお誘い?」
それから彼女はくすくすと笑い出した。僕は、どう返事を返していいのか分からなくなった。僕が何も言わないので、さくらは笑いながら言った。
「冗談よ。 うん、行きましょう。 私もお腹空いてきたから」
そして彼女は立ち上がった。僕も続いて立ち上がり、彼女の手を握った。彼女は、またさっきのように腕を組んできた。
「落ち着くの」
さくらのその言葉に、初め、僕といるのが落ち着くのかと思ったが、すぐに、腕を組むことに対してなのだと気付いた。
「そっか」
僕はそれだけ言って、さっきと同じようにゆっくり歩き始めた。薄緑色のベンチがだんだんと遠ざかる。僕は、彼女の顔を、もっとじっと見たいと思った。腕を組んだまま、彼女の顔を覗き込んだ。しかし、彼女は顔も僕の腕に押し付けて寄りかかっている形だったので、うまく顔を見ることが出来なかった。
公園を出ると、近くで自動車のクラクションの音が響いた。僕もさくらも、びくっと身体を振るわせた。音のする方を見ると、ボール遊びをしていた子供が、ボールを追いかけて飛び出す寸前のようだった。運転手が窓から身を乗り出し、何か子供に叫んでいる。
「なぁに?」
「子供の飛び出しだよ。 運転手がキレてる」
「大きな音。 びっくりした」
さくらは自分の胸のあたりに手のひらを当てた。僕も、いきなりのことに驚いて、心臓が激しく鼓動を打っているのが分かった。けれど、自動車のクラクションの音のためだけにしては、やけに激しいと思った。
出会ったばかりのときは何も思わなかったが、今、僕は、さくらの“女”としての特性を、強く意識し始めていた。ふわりとした柔らかな胸、真っ白でなめらかな肌、さらりとした長い髪。そして、明らかに男のものとは違う、小さくて華奢な腕。それらはすべて、僕の“男”としての感性を刺激していた。
好きになっているのだろうかと、僕は何度も自分に問いかけた。もちろん、答えなど出ない。ただ、今はさくらのこの手を離してはいけないとだけ感じていた。