第九十三話 試験と結果
正直に言うと、最初は頭が弱いのかと思っていた。
しかし、実際に真剣な表情で資料を読み込むリーゼロッテを見て、俺はその考えを直した。
彼女は確かに馬鹿だ。いや、正確には冒険馬鹿と言うものである。冒険者に成り立ての新人がよく掛かっているアレだ。冒険者に憧れを持ち、理想を追っている。ああ、俺の心が痛い。
しかし、女性の身でこの病気に侵されるとはまた珍しい。
唯一他と違うのは、既に能力自体は持っていると言うことだ。本来、これくらい動けるようになる頃には現実と直面している。しかし、まわりは閉鎖的で経験が少なく、自身の才能か、それとも優秀な教師のお陰かは分からないが、実力だけがついてしまっている状態だった。前回のキラービー戦で、初めてその壁に直面したというところだろう。
「……なるほど、私がやられたのはキラービーの散布毒か。あの時の状態は、まさにここに記されているとおりだ」
差し当たって気になるのは、自分をあのような状態にした相手の事だろう。リーゼロッテが睨みにも似た視線で資料の文章を追っている。
「対処法はそこにも載っている通り、ごく簡単なものだ」
「うむ、今まで風の流れなど考えたことはなかったが……なるほど」
リーゼロッテは資料を捲っては「なるほど」と呟いていった。
「ちゃんと弱点も頭に叩き込んでおけよ。試験に出るからな」
「了解した!」
元気よく頷くリーゼロッテ見て、しばらくは大丈夫だろうと俺も資料を手に取る。その大半は既にギルドにて調べてあったが、数が数なので流し読みにとどめてあった。今回は時間も十分だし、じっくりと読めるだろう。
だいぶ慣れた貴族用のソファにゆったりと身を預け、俺も同じように資料をめくり始めていく。
しばらくの間、お互いに紙を捲る音だけが辺りに響いていった。
二刻も過ぎれば、リーゼロッテのページを捲る速度が明らかに遅くなってくる。集中力が切れてきたのだろう。それは俺にも言えたことだった。
「それじゃ、そろそろ休憩にするか」
「そうか、ならば!」
俺の提案にリーゼロッテはがばっと頭を上げ、直ぐ様呼び鈴を鳴らす。そして、静々とやってくるメイドにお茶の用意をさせ、邪魔な本類を端に追いやっていく。
なかなか素早い行動だ。思わず感心してしまった。
「そういえば……この魔石を掴む鷹はこの家のシンボルなのか?」
メイドが運んできたお茶を頂き、一息つくと、世間話程度に疑問を問いかけた。そして、懐から委任証を取り出すと、ひらひらと目の前で降る。
「む? そうだな。鷹は我らのシンボルで間違いない。そして魔石を掴む事が意味するのは、魔石に関係する者と言うことだ」
「うん? 魔石師の事か」
この国は魔術師に次いで魔石師の数が多い。まあ、どちらも基礎は同じだから当たり前か。ラーナから聞いたことによると、魔術師から魔石師に転向する者も多いらしいからな。
「無論、魔術師同様、高位の魔石師となると爵位が与えられる者も居る。そうした者たちや、魔石研究に携わったものたちの子孫が使うのがその意匠だ」
さすが、魔石の理論を築き上げた魔法王国だ。魔石師から貴族か。ラーナも何れはそうなるのかも知れない。
「魔石を使わない昔ながらの意匠を用いるのは、魔術師の系譜だ。信用性の観点からも問題があるというのに未だに古い形式に拘っておる」
「まあ、庶民の俺からしたら分からないが、本来の貴族というのは仕来りを守ってるものじゃないのか?」
「……奴らはただ頭が固いだけだ。それに我らに対してあまり良い感情を持っていない」
リーゼロッテは腕を組んで憤慨した。その態度を見る限り、逆もまた然りといった印象を受ける。
「魔術師の派閥と魔石師の派閥か。やはり貴族はややこしい問題を抱えているんだな」
俺が知る範囲では、そのような啀み合いを見たことはない。偉くなるとそういう事に拘るようになるのだろうか。
「うむ、実に面倒だ。そんな事に頭を悩ます暇があったら、私もシャロワ様のように竜の一匹でも倒したいのだが」
「……今の時代、竜を倒すより探すほうが大変だけどな」
竜に近い魔物である亜竜種ならともかく、正式に竜と呼ばれるものが最後に討伐されたのは冒険王の時代だ。それからもちらほらと目撃情報は出ているものの、その信憑性は微妙だった。最盛期である竜王国時代と比べれば、最早全滅寸前と言ってもいいのかもしれない。
冒険王を真似て竜退治に憧れを持つ者は多いが、その熱も時が過ぎれば沈静化する。
「魔石と言えば、最近魔石がらみの問題が多くてな」
「問題?」
「うむ、時期が時期だけに魔石の集まりが少ないのは知っておろう。更に今回は盗賊の被害が多くてな。その中で大型魔石の被害も多い」
「……魔石なんか回収しても目立つだろうに」
冒険者じゃない者が魔石を売ろうとしたら目立つ。一つや二つならともかく、纏めて売っぱらったら足もつくだろう。
「魔石の慢性的な不足のお陰で、入れ替え作業が滞っててな。主だったところは予備で賄えるが、細かい所までは手が回っていない。今は劣化した魔石を、何とか魔力を注ぐ回数を増やして維持している状況だ。父たちもその対処のため、ここのところ忙しく飛び回っている」
公共の魔石は、そのほとんどが大型魔石を使用している。特にこの国では、街の至るところでそれを見ることが出来る。その膨大な数を取り替えるのにどれだけの魔石が必要なのだろうか。
「なるほど、この屋敷が静かなのはその所為か」
「ん? ここは主に私だけが使用している屋敷だから、静かなのはいつものことだぞ」
「……ここは別邸なのか」
俺は窓の外へと視線を移す。この屋敷から門までもかなりの長さだ。これよりも更に大きい屋敷を思い描こうとしたが、全く浮かばない。既に俺の想像力は限界を迎えてしまったようである。
「そこで、だ! 私が自分の力で魔石を手に入れてきたらどうであろうか!」
「まてまて、話が飛躍しすぎだ! この街の付近で手に入る魔石なら、普通の冒険者に任せておけばいいだろ」
結局、自分が冒険したい為の言い訳じゃないか。このお嬢様の会話は、最終的に全てここに辿り着く気がしてきた。
「この付近などとは言っておらんぞ」
「……とりあえず、その手の話は試験に受かってからにしろ。そろそろ休憩は終わりだ」
「え、もうなのか?」
だいぶ話し込んでしまったが、時間はそれなりに経った。無作法に茶を飲み干して、俺が勉強の再開を告げる。
「……落ちてもいいなら構わないぞ」
「むう。イグニスは意外と意地悪だ」
複雑な表情で、リーゼロッテは片付けるためのメイドを呼んだ。
それから毎日、同じような修練の繰り返しだった。
昼前までの実技。昼食後からは魔物に関する勉強。
冒険に関して真面目なリーゼロッテは、俺の言う事をしっかりと聞いてくれる。
性格的にはあまり納得出来ていないようだが、フェイントや側面、後方からの攻撃の優位性をちゃんと説くと、徐々にそれを交えて行動するようになっていった。
やはり魔法剣士シャロワの血を引いているだけあるのか、基本的な能力はかなり高く、飲み込みも早い。
知識に関しては本人談でしかないので、進捗状況はよくわからない。真面目に取り組んではいるので、それなりの手応えはあるのだろう。それもこれも試験の時に明らかになる筈だ。
そうしてやって来た、教師についてから七日目の昼。
俺は茫然自失の態で立っていた。
「……まさかこんな事になるとは」
「ふふふ、実力を出せばこの程度の事など造作も無い!」
リーゼロッテの自信に溢れる声で我に返ると、俺はため息をつく。
予定では、試験と称して俺は教師役を辞退する筈だった。
その結果は――五十問中、四十九問の正解。問いの中には比較的意地の悪いものも混ぜていたのだが、それも効果はあまりなかったようだ。条件を十割正解にすればよかったのだろうか……いや、さすがにそれだと話に乗ってくれなかった公算が高いし、不公平だろう。
しかし、現実にクリアされてしまったのだからどうしようもない。一度口にしたことを適当な理由付けで曲げるのは、俺自身好ましくない。
仕方がない……腹を括るとしよう。




