第九十二話 貴族と庶民
やはり、この場所に俺はそぐわない。
辺りは閑散とした貴族街。一般人の姿など、使用人と思わしき人物の姿くらいしか見かけなかった。
その割に、時折馬車が通る音だけがやけに響く。それだけで貴族様が出張った事を知らせてくれていた。
「よし、行っていいぞ」
衛兵に出会う度、もう数えたくないほどのチェックを受け、俺は牛歩のごとく進んでいく。やはり冒険者とは怪しく見られるものなのだろうかと思っていたが、衛兵に聞いてみたところ、武器を携帯しているからとのことだ。冷静に考えれば辺り前か。
俺が吊るしている片手半剣は、前回屋敷に赴いた際にはラーナのところに預けておいた。今回は指導に加え、何かあった時の護衛も兼ねているので剣の携帯を許可されているのだ。
ここでの身分証明に使っている委任証に目を向ける。それは冒険者証と似たように魔石があしらわれており、それを掴むような鷹の意匠が施されていた。リーゼロッテの鎧もそうだったのが、このシンボルがシャロワの系譜を示しているのだろうか。
「しかし、こんなところにも金をかけているんだなあ……」
比較のために取り出した冒険者証と並べてみたが、その出来は雲泥の差だった。
広い庭園の一画に、何もない場所が存在していた。整えられた木々も、きれいな花壇も、天に向かって吹き上がる噴水も何も存在しない。この場所はリーゼロッテが修練するために取っ払った場所らしい。確かにここであれば思う存分体を動かせそうだ。
その場所で向き合う、俺とリーゼロッテ。
昼になるまでは、実力を示し合うための模擬戦に当てることにした。お互いに距離を取っていく。
それぞれの手には片手剣を模した木剣。片手半剣用でないのはそれに慣れていないリーゼロッテの為である。
合図代わりの銅貨を取り出し、空中へ投げる。それはくるくると宙を舞った後、大地へと落ちていった。
次の瞬間、リーゼロッテが走ってきた。それは攻めることしか頭に無さそうな一直線の突撃。最短距離を渡り、予想通りの場所へと木剣が振り下ろされた。それを俺は正面から受け止めていく。
勢いの乗った一撃は十分な重さを持っていた。俺がよく使う生体活性・脚からの一撃と似たようなものだ。
俺がそれに耐え切るとリーゼロッテはそのまま態勢を整え、更に連撃を重ねてくる。さすが、以前から訓練していただけあり、その太刀筋は素晴らしい。
しかし、その剣はとても正直だった。予想したところに来る次の攻撃、受け止めるのに難はない。ここでフェイントでも仕込んでくれば、いい勝負に持ち込めたのだが。
剣撃の合間に、俺の剣が忍び込む。当てるつもりはないただの牽制。その攻撃に思いっきり反応したリーゼロッテは一旦下がって距離を取った。
「さすがだな!」
剣を構え直しながら、リーゼロッテは感嘆の声を上げる。
今の攻防で大体は把握できた。フェイントを全く使わないのは、まあ魔物との戦闘を意識してだろうか。冒険者といえども、盗賊などと戦うこともあるし、街中に居たとしてもいざという時に自身を守るために対人戦を想定して然るべきなのだが……まあ、これは今は置いておこう。
「……なあ」
「なんだ?」
「何故、側面に回りこまない?」
今までの攻撃は全て正面から放たれたものだ。向き合ったところから一直線。そしてそのまま剣を重ね、離れた。
つまり、俺たちの立ち位置はほとんど変わっていない。
「真正面から叩き斬ってこその冒険者ではないか」
「……そうか」
俺の前には、豪華な食事が並んでいる。
ナイフが抵抗なく入る肉。繊細な味付けのシチュー。高級なワイン。新鮮な果物。様々なものがテーブルの上に鎮座していた。左右にある豪華な燭台が、それらを美味そうに照らしだしている。よく観察してみると、それは火の形をした光魔石だった。
……こんなところにまで凝っているのか。
「どうした? 食が進んでおらんようだが」
対面に座り、何事もないように料理を口に運んでいたリーゼロッテが、俺の様子がおかしい事に気づいて声を掛けてきた。
「いや……圧倒されたというべきか」
彼女の左右にはメイドが控えている。もちろん俺の横も同じような状態だ。更には部屋の周りにも多数のメイドたち。それらの視線が俺たちに集中している。
何故、こんな衆人環視の中で食事を取らねばならないのだろうか……。
最初は外で食べてくる予定だった。もとより、さも当然のようにご馳走になる等という豪胆さは持ち合わせていない。酒場で一杯の酒と適当な料理をかっ込めばそれで良かったのだが……。
そのように告げると、リーゼロッテは「面倒ではないか」と一蹴。そのままメイドを呼び、あっという間にこのような状態に陥ってしまった。
この館の周囲には貴族の屋敷しかない。貴族街を抜け、食事をとって再び戻ってくるにはそれなりの時間が掛かるのは確かだ。
だが、俺にとってはそっちの方がありがたかった。目の前の料理は確実に美味しい……筈である。この状態の中では、どうやら味覚が正常に働いていないらしい。
俺は腹を膨らませるためだけに、それらをとっていった。
……次からは適当な食糧を持参することにしよう。
「のう、イグニス」
窓から暖かそうな光が差し込んでくる。ようやく食事という名の苦行から開放された俺たちは、初めに通された応接室にやってきた。
「……なんだ?」
「これは一体なんなのだ?」
部屋のテーブルに並べられた本の山を見て、リーゼロッテは俺に問いかけてくる。
「先日、ユーリエに頼んでおいた資料だが」
帰り際の馬車の中、ユーリエに頼んでおいたのはマーナディアに生息する魔物の資料。その中でも重点的にオッドレスト周辺のものを集めてもらった。何故、マーナディア全域の分も頼んだかというと、俺の暇つぶしの為である。
俺は席に座るようにとリーゼロッテに促す。
「何故、私をテーブルにつかせようとする?」
「リーゼロッテがそれ読むからだ」
「……」
「……」
少しの沈黙の後、ドンと机にある本を叩いてリーゼロッテがこっちを向く。
「冒険者とは外で魔物を倒すものだろうっ!?」
「……それだけじゃないが、主な活動はそうだな」
「ならば、何故外へと出ない!?」
「……それでまた返り討ちに合うのか?」
「むうっ!?」
俺の言葉にリーゼロッテは唸ってしまう。
「確かにリーゼロッテの戦闘能力は高い。いままで問題が起きなかったのは、低レベルの魔物であればそれで済んだからだ。……しかし、まだ足りないものがある」
直線的ではあるが、御三家程度であれば問題なく戦えるだろう。左右に動くことはしないが、前後の入りもある。剣技と合わせればそれだけでも十分だ。
「……これはなんの本なのだ?」
リーゼロッテが本へと視線を向けて呟いた。
「魔物の詳しい情報だ。リーゼロッテは魔物に対する知識が足りない。例のキラービーは、リーゼロッテの能力ならば十分に対処出来た相手だ。しかし、相手を理解していなかったため、罠に嵌ってしまった」
「……むう」
リーゼロッテは頭を垂れてしまった。やはり、そこを突かれると弱いらしい。
「落ち込むな。知識があれば実力は十分だと言っているんだ」
「そ、そうか。ならばそれを学べばいいのだな!」
俺は頷く。
「と言う訳で、七日後に行う試験で九割以上正解しなかった場合、俺は教師役を降ろさせてもらうぞ」
「な、なんだと!?」
突然の宣言にリーゼロッテが慌てる。
「俺はいつまでこの国に居るかわからない。まあ、直ぐに居なくなると言う訳ではないが……だからといって延々と続けられるわけじゃない。その為、多少厳しく行く予定だ。これくらいの事でついて来られないのなら、俺が教える意味もないだろう。冒険者というものは、どんな状況でも冷静に結果を出さなければならない。もちろん、失敗することもある。だが、その成功を積み重ねた者だけが、冒険王や魔法剣士シャロワ様のように讃えられているのだ!」
「な、なるほど……確かに」
「だから、見事この試験を突破してみせろ。俺は期待しているぞ!」
「う、うむ!」
俺とリーゼロッテは握手を交わす。
よし、これで断る理由も出来た。俺は心の中で上手く行ったことを祝福した。




