第八十九話 空中制御と来訪者
大地を走り、そのまま跳躍する。
風塵収縮!
空中で足先に風膜を発生。壁を蹴る要領でそれを思いっきり踏み込み、反発の勢いで逆方向に飛び出していく。
思った以上に魔物と出会えないので、俺は一日の大半を風塵収縮の使い方の練習に当てていた。
主に防御用の能力と言えるこの祝福だが、色々と試しているとそれ以外にも幾つか応用が利くことがわかった。
まずひとつに場所の固定。自身からそんなに離れていなければ、風膜をその場に固定すること出来た。それを応用したのが、今行っている空中で軌道を変える方法なのだが……。
――ドサッ!
盛大な音を立てて、俺は大地に落ちた。土煙が上がり、口の中まで砂が侵入してくる。俺はそれを吐き出しながら立ち上がっていく。
オークで実験したように、風膜に触れると突風に押されるように吹き飛ぶ。その為、上手く制動がとれず、着地に失敗してしまった。
意識して空中に膜を作り、それを踏み台にして方向転換。言うだけなら簡単なのだが、実行となるとこれがまた難しい。今までに何度か試しているがどうしても意識が散漫になってしまう。今までにない感覚だけあり、慣れるのにはかなりの時間を要しそうだ。しかし、これが出来ればかなり柔軟に動くことが可能になるだろう。
確かな手応えに俺の心は躍った。やはり、どうしてもこういうことには弱い。
新しく玩具を手に入れた子どものように、俺は日が暮れるまでそれを繰り返していった。
俺たちが修練を始めて一週間程度が過ぎた。
これまでの修練の結果、ある程度風塵収縮の挙動にも慣れてきた。一度ぐらいの空中転換であれば、問題なく使用することが出来るだろう。
その代償は、身体のあちこちに出来た擦り傷だ。風呂に入る度に染みるが、その報酬に比べたら屁でもない。
今日もいつも通り、シルヴィアをラーナのところまで送り届けるため、魔石店の前までやって来たのはいいのだが……。何故か、その入口に立ち塞がっている人物が居た。
まだ早朝だ。店もこれから開くため、客の姿はない。そうでなければ店員が苦情を言っているところだろう。
その人物は扉を背に、外に向かって立っている。つまり、店に用はない。と、なると俺たちを待っていたことになるのか。全身に着けている鎧は陽の光に浴びて煌めいている。それはごく最近見たものに酷似していた。
「……待っていました」
目と鼻の先まで来ると、その人物は声を上げた。やはり想像通り、狩場で少女を助けた時にやって来た剣士のようだった。
「いつまで待っても返答がないので……」
若干の憤りを含んだ声に、シルヴィアが俺の後ろへと隠れる。
「……申し訳ありません。怖がらせる意図はなかったのですが」
その姿を見て、剣士はショックを受けているようだ。兜の中の表情までは窺えないので、あくまで憶測でしか無いが。
しかし、何故か以前会った時よりも雰囲気が和らいでいる印象を受ける。あの時は非常事態で、俺の正体もはっきりと分からなかった為だろうか。
「あのー……お店の前で話し込まれたらお客様が入れないので、中でお話してはどうですか?」
店の扉を開け、ラーナがひょっこりと顔出した。タイミングから考えるに、中から外を窺っていたのだろう。寒い中、ずっとここに立っているのは辛いので、その申し出はまさに天の助けだ。
剣士は「あっ」と声を上げ、ラーナに向き直り「申し訳ありません」と頭を下げた。よく謝る奴だな。
ラーナに導かれ、俺たちは店の奥にある部屋へと入っていく。以前、魔導学について力説された場所だ。ここは普段、シルヴィアが勉強する場所でもある。
俺たち全員が中央にあるテーブルについたところで、店員がすかさずお茶を持ってきた。そのタイミングは素晴らしいの一言だ。手にとった暖かさから、淹れたてであることがよく分かる。さすが、普段から接客をこなしているだけはあるということか。
お茶をありがたく頂いていく。外からやって来た俺たちにとっては、この暖かさは息を吹き返すには十分な代物だ。隣ではシルヴィアもほっとした顔でふーふーと息を吹きかけながらお茶をすすっていた。
俺の対面には剣士が座り、じっとこちらを見つめている。茶を味わう時間を邪魔する気はないのだろう。何となく、早く話を進ませたいという思いは伝わってくるが、もう少しゆっくりさせてもらうとしよう。
「それで……何の話をしに来たんだ?」
幾分時間を置き、俺の身体も温まってきたところで剣士を見た。来訪の意図は大体わかっている。別れ際にも言っていたとおり、謝罪とお礼の話だろう。ほとんど忘れかけていたのだから、別に掘り返さなくてもいいのだが……。
その言葉を待っていたかのように、剣士は勢い良く立ち上がった。そして姿勢を正すと、頭を深々と下げていく。
「先日の襲撃、誠に申し訳ありません」
それを聞き、俺の頭の中に飛来してくる短剣の映像が浮かんだ。
「……一応聞いておきたいんだが、もしあの短剣を俺がまともに食らっていたらどうしていた?」
「その程度であれば、私一人で押さえつけることが可能と判断し、即座に捕縛。後続の者に治療や後始末などの判断を任せ、私は速やかにあの方を保護していました」
「……やはり複数で行動していたか」
どうやら俺の想像は正しかったようだ。目の前に居るコイツはあの少女の保護が最優先。他の事など些事だったのだろう。こうして謝罪に来るだけまだマシではあるが、やはり関わり合いになりたくない人種だ。
「冒険者ギルドに言伝を頼んでおいたのですが、未だに返答がなく……直接尋ねたところ、こちらに案内して頂きました」
そう言えば……魔石に関してはこの場所でやり取りが出来るので、ここ一週間ほどギルドに赴いていなかったな。依頼は一人でやるつもりはないし、色々試したいことが多かった。ギルドになにか言付けておいたのであれば、完全に無視した形になるだろうか。冒険者が冒険者ギルドを利用しないわけがないからな。
「貴方が助けた御方……リーゼロッテ様が直接お礼を申したいとのことで、屋敷まで足を運んで頂けませんか」
「……わざわざそんな畏まったことしなくてもいいのだが」
正直に言うと実に面倒臭い。礼をくれるだけなら貰っておいたのだが……しかし、応じないとそれはそれで面倒事になる可能性が高い。無視したとも捉えかねないこの状況で、わざわざここまで足を運んで来る事がそれを証明している。
「リーゼロッテ様を満足させる為にも、お願いします」
剣士は再び頭を下げる。周りの視線が俺に集まってきた。……これは断れる雰囲気じゃないな。
「……わかった。とりあえず、顔は出そう」
俺はため息を付き、不承不承頷いた。
「ありがとうございます。貴方なら了承してくれると信じていました」
返答に一安心したのか、剣士は胸に手を当てた。
……それはどういうことだ。既に下調べはしてあると暗に示しているのか?
「それと、詳しい話は座ってからにしろ」
未だに立ち続けている剣士に座るように促す。一人だけ立っていられると落ち着かん。剣士は頷き返すと、再び席へと座り直した。
「そろそろ自己紹介をしたほうがいいのではないでしょうか?」
一区切りついた所で、剣士の隣に腰を下ろしているラーナが提案する。どうやら先程から口を挟むタイミングを待っていたようだ。
出会いからあまり良い印象を持たなかったのですっかりと忘れていたが、相手の名前を聞いていなかったな。
「ああ……そう言えば、まだ名乗っていませんね。失礼しました」
剣士は言葉と共に、ゆっくりと兜を外していく。そこから現れたのは、藍色の髪を肩まで伸ばした妙齢の女性だった。
「私の名前は……ユーリエと申します」
その名前には覚えがあった。思わず、目の前の女性をじっくりと見つめてしまう。多少差異はあるものの、それは記憶にある姿に重なった。
「まさか……お前は」
「ええ、お久しぶりですね。イグニスさん」
それは新人時代にパーティを組んでいた、冒険者仲間の一人に他ならない。
その姿を見て、驚きより何より――時の流れを実感してしまった。




