第八十七話 開放感と寂寥感
皆で朝食をとった後、俺たちは二手に別れた。
シャンディはマルシアをつれて外へ、俺はシルヴィアをラーナのところへと送っていく。
たった一度の授業で慣れたのか、人見知りの激しいシルヴィアにしては珍しく、その表情は明るかった。
ラーナの好意で、昼食はシルヴィアと共に取るらしい。その為、夕刻まで面倒を見てもらえることになっている。その分、多少は店の手伝いをすることになるらしいが、シルヴィアは既にその事を了承済みだった。接客をするわけではなく、足りない魔石を倉庫から補充する程度の事らしい。それならばシルヴィアにも出来るだろう。
店員たちにも宜しく伝えておいたが「これで店長がおとなしく引っ込んでいるなら逆に助かります」とまで言われてしまった。ちなみに、世話になる挨拶代わりにと土産に持ってきた菓子詰めは一瞬で手から消えていた。
ついでに色々聞いてみたが、どうやら店員のほとんどは魔石師でもあるらしい。道理で一人で使うには大きな工房だと思った。
そのような面白い話も聞けたのだが、次から次へと話しかけてくる店員になかなか抜け出す隙が見えず、結局一刻程度引き止められてしまった。
なんとか店を抜け出し、ため息混じりに街中を歩いていく。マルシアにはああ言ったが、端から見れば観光しているようにみえるかもしれない。しかし、俺は至って真面目な目的で散策しているのだ。
頭の中に地図を描き、大まかな地理を叩き込んでいく。完全にこの都市を把握するのは不可能だろうが、ある程度不自由なく動けるようにはしておきたい。まあ、主要なものは大通りに固まっているので、然程苦労はいらなかった。
お陰で昼前までにその作業は終わってしまう。
早めに昼食を取り、ラーナへの依頼料代わりに魔石でも集めに行くとするか。
そう決めると、俺は近場の食事処へと足を踏み入れた。
一人で外を駆けるのは久しぶりのことだ。
その解放感と寂寥感の綯い交ぜとなったなんとも言えない不思議な感覚が俺を包んでいる。どうやらパーティでの行動に慣れ過ぎていたらしい。よくよく考えてみれば、シルヴィアと出会ってから既に三つの季節が過ぎている。これだけの時間を共にすれば、それが当たり前と感じても仕方のないことだろう。
俺は立ち止まって空を見上げる。時折、からっ風に乗せられた枯れ葉が宙を舞う。
この感覚は遥か昔に味わったことがある、その感情に似ていた。過ぎてゆく時に中で起こるべくして起こった出来事。
吐いた息は白く、空へと消えていく。どうしてもこの季節は好きになれない。
……こんな時に何を想っているんだろうか、俺は。
頭を軽く振り、再び魔物の探索へと戻る。感覚強化を度々使いながら、俺は大地を無計画に走っていた。戦闘行動に支障が出ない程度に全力で疾走し、モヤモヤとした頭をスッキリさせる。
それと平行して、詠唱文を呟いていく。いざというときにさらっと出るように復習して置かなければならないだろう。限りある時間は有効に使うに越したことはない。
やはり魔物の気配はなかなか引っかからない。一度だけ反応があったが、その近くには既に冒険者が居た。数少ないパイの奪い合いである。皆それぞれ必死なのだろう。俺には感覚強化がある分余裕がもてるが、一般冒険者ではそうは行かない。魔物より人と争うほうが面倒事が多いのも問題だ。
しかし、今日はやけに冒険者の数が多い気がする。こんな時期に活動する冒険者は少数派である。それなのに俺と同様に大地を疾走している者が何人か引っかかる。何かあったのかと勘ぐってしまうが、シルヴィアを送った後に顔を出した冒険者ギルドは平穏そのものだった。ギルドが騒ぎ立てるようなことではないだろう。
冒険者間で起こった問題なら下手に首を突っ込むべきではないな。
そう決め込んだ折、再び感覚強化に魔物の気配が引っかかる。
しかし、先程と同じように魔物と対峙する冒険者がセット。今日はとことんついていないらしい。そのまま通り過ぎようとしたところ……なんだか様子がおかしい。
どうやら冒険者は苦戦しているようだった。街から然程離れていないこの場所に出る魔物はほとんど低レベルと言っていい。だとすれば冒険者が新人、もしくは高レベルの魔物がここら辺までやってきたか……どちらにしろ、放って置くわけにもいかないか。無視した所で咎める人間など居ないが、あくまで冒険者の矜持という奴だ。
方向を変え、その戦場へと足を向ける。
その魔物が初めて見る敵であれば、こちらにも情報という利益がある。まあ、完全に損な役回りというわけでもないだろう。
目的の場所へと到着したところ、まだ戦闘は継続されている様子だ。
まずは魔物の正体を見極める。
視線を向けた先には、人程の大きさもある蜂がいた。その黄色と黒の混じった身体から大きな四枚の翅を震わせ、眼の前の人物と相対している。それは先日調べた資料の中に載っていた魔物の一つ、キラービー。尻にある大きな針は毒を持っており、適正レベルは4。毒に気をつければレベル3の冒険者でも倒せないことはないが、危険であることに変わりはない。
片や、それと向き合う冒険者といえば……立派な全身鎧を着けていた。
その装備に俺は驚いてしまう。灰色の表面が陽を浴び、まるで銀のように輝いていた。他にも全体を通して大きな鷹が羽ばたくような意匠が施されており、それがただの品でないことを示している。
……魔法銀か?
実際に見たことは何度かあるが、それはテレシアにやって来る前の話だ。過去の記憶は頼りないが、他に思いつく品もない。聖銀の輝きとはまた違った、どこか重みのある光沢だった。
このレベルの魔物に苦戦する人物が、何故そのようなものを着けているのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。明らかに冒険者が劣勢だった。倒せそうなら手出しはしないつもりだったのだが、毒を持ち、更にレベル4となると仕方ない。
「俺が注意を惹く! 後ろから翅の根本を狙って斬れ!」
叫ぶと同時に腰から短剣を取り出し、そのまま投擲する。真っ直ぐに飛び出した短剣はキラービーの表面に当たり、カンという音を立てて弾かれた。表面の装甲が硬いのは承知済みだ。
既に俺は走りだしている。
横槍に対し、キラービーはこちらを向く。そこに再び、短剣を投擲。今度の狙いは頭部にある複眼。全体の装甲は硬く、それ以外の隙間を狙うよりは頭部のほうが狙いやすい。
二投目もまた硬い脚で防がれてしまう。しかし、それで十分。俺は一気に生体活性・脚を使用。そのまま一気に突っ込んだ。防いだままの脚の上から勢いを落とさず、更に片手半剣を振り下ろした。
そして、そのまま拮抗する。
「やあっ!」
後方から迫る全身鎧の剣士は、潜りこむ様に低く踏み込み、全身を伸び上げるとともに剣を閃かせた。その一撃は四枚の翅の根本を纏めて断ち切っていった。
それは実に見事なものだった。迷いの無い、長い修練を窺わせる剣筋だ。それだけ見れば、俺よりも実力は上に感じてしまう。
飛行する器官を失ったキラービーはそのまま大地へと落ちていく。それに反するように分断された翅は更に天へと散っていった。
すかさず転がっているキラービーに止めを刺す。しばらく大地で蠢いていたが、やがて動きも鈍くなり、ゆっくりと活動を停止していった。
「……大丈夫か?」
俺の言葉に剣士は頷いた。
「余計な横槍だったら悪かったな。まあ、分け前を請求する気はないから安心してくれ」
「いや、助かった……その、ありがとう」
兜を脱いで礼を言う剣士は、まだ年端もいかぬ少女だった。




