第七十九話 乗船証と夜の港
門の前には想像通り、馬車の群れ。
俺たちはその邪魔にならないように門を潜ると、町中を突っ切って反対側へと抜けていった。その先には、様々な種類の船が停泊している波止場が見えてくる。
先ずは何より、マーナディア行きの船を見つけなければならない。すぐ近くを歩いていた、いかにも海の男といった風体の男性に尋ねると、すぐ近くにある大きな建物を指差した。
船舶の出入国管理を行っているのが、どうやらあの中央にある建物らしい。そこに赴けば、マーナディア行きの船もわかるだろう。
俺たちは男性に礼を言うと、そのまま建物の中へと入っていく。
外から見た通り、内部はかなりの広さを誇る。ところどころ、船の模型が飾られており、シルヴィアがそれを興味深そうに覗きこんでいた。
しかし、人の数もまた多い。冒険者ギルドなどと同じように、制服を着込んだが職員たちが、受付を挟んで屈強な船員たちの相手をしている。更に幾人かの職員が俺たちの横を通り、外へと駆け出していった。手にある資料を見る限り、船の確認にでも行くのだろうか。ギルドの職員と比べたら、えらく忙しそうだ。
よくよく辺りを見てみると、どうにも人の波は片方に偏っている。俺たちは押し出されるように、人の少ない側へと抜けだした。
定期船受付窓口。空いている受付にはそう書かれている。
どうやら、わざわざ氷天の季節に旅をしようという奇特な人間は少ないらしい。俺たちの他に数人いる程度だった。これで全員と言う訳ではないだろうが、反対側の状況を見ればその程度は知れる。
「マーナディア行きの定期船に乗りたいのだが……」
暇そうな受け付け職員の前まで行き、声をかける。
「ふはっ、はい。少々お待ちを!」
ちょうど欠伸を噛み殺した瞬間だったのか、職員は一瞬変な声を上げたが、すぐさま普段の対応に戻ると、近くにあった書類を捲っていく。
「出港は一番早くて明日の朝ですね。そちらをお取りしますか?」
どうやら良いタイミングで来れたようだ。最悪、数日ここで足止めされる覚悟もしていた。
「ああ、ちょうど良かった。それでお願いする」
代金を支払い、乗船証を受け取る。それは冒険者証と似たような作りだが、幾分か安っぽかった。証明する為だけの代物なのだからそんなものだろう。
これで予定は決まった。日が暮れるまでにさっさと宿を探すことにしよう。
やはり旅人や冒険者が少ないだけあり、宿は問題なく取ることが出来た。
フェルデンと比べて簡単にとれてしまい、いささか拍子抜けの感は否めない。これならば、少しは港の見学をしても良かったかもしれない。
宿の一階は受付と食堂が一体になっていた。最初は酒場だと思ったのだが、受付上の看板にはでかでかと食堂の文字。壁に並んだ品書きを見るに、様々な料理名が並んでいる。更にはデザートもかなりの種類あるようだ。酒の種類も負けてはいないが、相対的に少なく見えるのは仕方ない。故に食堂なのだろう。
俺たちは早速二階の部屋に向かうと、そのまま荷物を置き、食事を取りに戻ってくる。
食堂の看板を掲げるだけあり、その魚料理は絶品だった。内陸では焼いたりするものが多く、生のまま食べられるのは新鮮な証拠だった。舌の上で蕩けるようなその身に思わず驚いてしまう。
「わっ、美味しいです!」
「やっぱり新鮮なのが一番よね」
マルシアとシャンディも魚の刺し身を口に運び、同じように感嘆の声を漏らしていた。やはり思うことは皆同じだ。隣のシルヴィアも黙り込んだまま、しっかりと味わっていた。
「やっと女性同士、じっくりと話が出来るわね」
そう呟いたのはシャンディだった。
食事も終わり、部屋に戻った俺たちは、これから風呂に入るかと準備をしている最中だ。
発言から察するに、風呂の中で色々と語り合うのだろうか。以前、女性陣が風呂を共にした時は、銀糸狩りの時だったっけか……あの時はまだ巫女だということも知らず、臨時でパーティを組んでいただけだった。フェルデンでは宿に個別の風呂があったし、ちゃんとした仲間として、共に風呂に入るのはこれが初めてなのだろう。
他の二人の準備が完了すると、シャンディは背を押すように部屋の外へと押し出していく。
「それじゃ、待っててね」
その際、何故か俺の方を向いて一言呟いた。よくわからんが面倒事は起こすなよと視線を送るが、帰ってきた返事はウィンク一つだった。
「はー、生き返る」
湯船に浸かると思わずそう口走ってしまうのは、きっと誰もがやることだと思う。
こうして大衆用の浴場を利用するのも久々だ。個別の風呂は何時でも入れる良さがあったが、やはり広さが足りない。湯船に思いっきり浸かり、足を限界まで伸ばせるのは大衆浴場ならではだろう。その分、他の宿泊客も入ってくるのは致し方ない。
俺はいつも以上にのんびりと、体の芯から暖まっていった。
上々な気分で部屋に戻ると、既にシャンディが上がっていた。
「……二人はどうしたんだ?」
辺りを見回しても姿が見えない。それどころか黒騎士の姿も消えていた。
「ふふ、食堂でデザートでも食べているわ」
「わざわざ黒騎士をつれて、か? シャンディは行かないのか」
「私はこっち。イグニスもでしょう?」
そう言って取り出したのは酒瓶。確かに、お互いデザートという柄じゃないな。
「準備は出来ているわよ」
シャンディは酒瓶をテーブルに置き、そのまま椅子へと腰掛ける。テーブルの上には、既に器が二つ準備されていた。実に用意周到だ。
「……それじゃ相伴に預かるとするか」
ここまでされては断る気も起きない。俺も椅子に座り、シャンディと向かい合う。そして、器を取るように促されると、そのままの流れで酌をされていく。
窓の外には夜の帳が下りていた。そこから覗く夜の海は、光すらも飲み込みそうなほどに暗く、中々に寒々しい光景だ。崖の上に立つ灯台の光が、それに対抗するかのように暖かく輝いていた。
「それじゃ、乾杯」
器を合わせ、俺たちは酒を口に含む。それはなかなかに良い酒だった。ツマミがない分、純粋に酒を味わうしかないのだが、それに耐えうる合格の品だ。
「聞いたところ、夕刻に船便で届いたばかりの品らしいわよ」
「そいつは良いタイミングだったな、ありがたい」
良い酒との出会いに、俺は素直に感謝する。
「でしょう?」
そんな俺に、シャンディは微笑んだ。
そのまま他愛のない会話が続いていく。良い酒のお陰か、徐々に俺たちの口も軽くなっていった。
「ん、酒が切れたか」
酌をしている途中、酒瓶の中身が底をついてしまう。
「そう、みたいね」
シャンディが呟き、立ち上がった。これでお開きかと思ったところ、そのまま俺の背中にしなだれかかってくるではないか。「おい」と戸惑う俺を導くように立ち上がらせ、「こっちよ」とベッドへ引っ張っていく。
「……酔っ払ったのか?」
俺を巻き込んで、ベッドに倒れこんだ結果、俺がシャンディに覆い被さる形になってしまった。
「私がそんなに弱いわけがないでしょう?」
初めて出会った時に散々呑んでいた事は覚えている。確かに、酒瓶一つを二人で開けた程度で酔っ払うわけもない。
「……そろそろやつらも帰ってくるんじゃないのか?」
更にシャンディと呑んだ後の事が続いて再生される。出来ればあの時の再現は勘弁して貰いたいものなのだが。
「ふふ、大丈夫よ。貴方も心配性よね。ちゃんと話し合ってあるから、後一時間は戻ってこないわ」
「……風呂に入る前の言葉はそれか」
先程の事を思い出し、頭を掻く。ここまでされてわからないほど俺も馬鹿じゃない。
「今までのお礼……なんて言うわけではないわ。でも、私が幾ら言葉を尽くしたとしても、貴方はいつもの様に一歩退いてしまうでしょう? ……だからこうして実力行使」
シャンディは俺の後頭部を掌で覆うと、そのまま自分の方へと引き寄せていった。
事が終わり、そろそろ二人も戻ってくるかと待っていたのだが……未だに戻ってこない。
さすがに、宿内にある食堂で何かが起こったとは考えにくいし、仮にそうだったとしても気づかないことはないだろう。
「ふふ、いってらっしゃい」
ベッドの上から俺を送り出すシャンディ、若干乱れたままのその姿は中々に扇情的だ。
その感情を振り払うように、俺は部屋を抜けだしていく。
階段を降りて目的の食堂に着いた時、思わず目を疑ってしまった。
そこには大量にデザートの皿が積まれ、むっとした表情で新しいデザートを口に運んでいく二人の姿があった。
……どうみても納得している様には見えないんだが、話はついているんじゃなかったのか。




