第七十三話 炎と風
「あ、不死者……?」
俺は思わず聞き返してしまった。直ぐ近くでは、俺以上にシャンディが衝撃を受けている様子だ。
「……どういうこと?」
「どうもこうも、言葉通りだ。奴は我々が一度殺害している」
獣人は平然と答える。それが事実であると言わんばかりだ。
しかし、どう言う事だ。通常、死んでからゾンビになるまでに、かなりの時間が必要だ。少なくとも肉体が腐リ始める程度の時間が。
「……不死者化するにしても時間が足りないんじゃないか?」
「その問いに答えられる情報は無い」
俺はガーゼフを見る。しかし奴はどうだ。今言われるまで、死んでいるとは少しも感じていなかった。よく考えればおかしいところは多々ある。胸に穿たれた穴、少ない出血量。聖銀の武器に対する反応。しかし、それもこれもガーゼフという人間が目の前に居ることに比べたら些細な事だったのだ。
あくまで、その情報が正しいとしてだが……生前の知識が残っている状態なのが信じられない。
ゾンビやスケルトンを見れば分かる通り、基本的な不死者は、あくまで生前の怨念などで動いているだけで、明確な意識が無いのが当り前だ。中には例外も居るが、それこそ高レベルな不死者たちである。ガーゼフはその不死者になったとでも言うのだろうか。
「……どうやって倒すか」
問題はその対処法だ。二重強化による投擲は全く効いていなかった。物理的にダメージを与えるのは無理なのかもしれない。
「聖銀で徐々に浄化していくか、魔術で跡形もなく吹き飛ばすか……だが」
獣人は顎を抑える。どちらも中々厳しいように思えた。斬り結ぶには常に生体活性が必要だろうし、魔術の発動を見逃すような奴ではないだろう。
「我らが後方から援護する。お前たちはいつもどおり行動してくれればいい」
やってきた二人を見るに、どちらも前衛を張るタイプではない。パーティを考えると、前衛はガーゼフが担っていたのだろうか。その穴を埋めるには俺たちがやるしか無さそうだ。
俺たちは再びガーゼフに向かって駆ける。
ガーゼフの強さは理解した。なので、真っ向から挑むような事はしない。黒騎士を正面として左右から俺とシャンディ。マルシアを含めた後衛で援護を行ってもらう。基本的に俺たち前衛は時間を稼ぐのが役割だ。手の中にある聖銀の片手半剣も、多少の脅威にはなるだろう。囮としては十分だ。
「ふははははっ! やはり戦ってこそ、力を使ってこその人間だ!」
最早正常とは程遠い、ガーゼフの狂気に満ちた笑い声。それは生来のものなのか、不死化の代償なのか、俺にはわからない。
しかし、憐れだと思う。
敵対しているものに向けるべき感情ではないが、何となくそう感じてしまうのはどうしようもない。出来ればさっさとケリを付けてしまいたいところだ。
槍を振るえば振るうだけ隙を晒していく黒騎士は、俺やシャンディの牽制の隙を埋めるように、大盾を使っての体当たりと離脱を繰り返す。俺はところどころ生体活性を、シャンディは風の加護での強化で連撃を重ねていく。
しかし、ガーゼフから余裕が消える事は無い。寧ろその言葉通り、この状況を楽しんでいる節さえ見える。
突如、後方から援護の矢が降り注ぐ。スケルトンの時と同様に俺の近くを通り過ぎ、ガーゼフの露出している顔を目掛けて襲い掛かかった。
「ぬっ!」
その矢に初めて、ガーゼフの表情が変わった。先ほどの余裕の表情から、警戒する態勢をとる。
よく見ると、その鏃は銀光を放っていた。なるほど、聖銀を使った矢だったのか。それならばスケルトンに対する威力にも納得がいく。しかし、再利用出来ない可能性も考えると、聖銀で作られた矢というのは珍しい。個人で扱うような代物ではないだろう。やはり組織と言うものは強力だ。
手の中にある片手半剣を握り直す。コイツも一撃さえ決まればかなり有効なのだが……。しかし、そんなものは真っ先に警戒されている。俺が動きを見せると、ガーゼフは直ぐ様対応を取ってくるのだ。剣を撃ちあい、力負けをして俺が引く。それを何度繰り返したことか。
「……っ」
シャンディが剣をあわせる度、ガーゼフに向かって何かを語りかけている。しかし、その言葉は小さく、二人の会話は俺の耳には入ってこない。
「――っ!火矢!」
今度はその名の通り、矢状に伸びた炎が飛び出した。ゲノムスの魔術師が創りだした火の魔術だ。先程から獣人の聖銀の矢。マルシアの氷の矢。そしてこの火の矢が何度も飛び交っている。
しかし、他二つはガーゼフにしっかりと襲い掛かるものの、火の矢だけは何処か狙いが不安定だ。
魔術は詠唱がある時点で、知性のある敵には奇襲が出来ない。いや、気づかれても纏めて巻き込めるような広範囲攻撃なら別だが、単純な小範囲魔術となるとそうもいかない。
火の矢は難なくと躱され、大地に突き刺さる。しかし魔術で作り上げた以上、その火は簡単に消えるものではない。あたりにある植物を巻き込み、その範囲を広げていった。今までの火の矢も含め、その火勢はかなりのモノとなっていた。
気づけば、ガーゼフを取り囲むようになっている。火矢の本当の狙いはこれか。
「植物制御っ!」
次いでマルシアが叫ぶ。その瞬間、植物は炎を纏いながら大きく伸び上がり、そしてガーゼフの周囲をゆっくりと狭めてくる。
「何っ!」
さすがのガーゼフも、この攻撃は予想だにしていなかったのだろう、驚きの声が上がった。
不死者は火も嫌う。浄化の炎と言われるくらいだ。その効果は大きいのだろう。火は段々と勢いを強め、植物たちはどんどんと伸び上がってくる。ガーゼフはそれに対抗すべく、植物たちを次々と斬り捨てる。眼にも留まらぬ剣撃は、一瞬で空気を裂いていく。斬り裂かれた炎が空へと舞い上がり、やがて収束していった。
このままでは決定打にはならない。
俺は――決意した。あまり自信はないが、やるとしたら今しかないだろう。
「マルシア!」
植物を操っているマルシアに向けて叫ぶ。
「俺がガーゼフを抑えこんだら――俺ごと炎で包め!」
その言葉にマルシアが驚きの声を上げると同時に、俺は炎の中にその身を晒した。そしてそのまま跳躍すると、上段から片手半剣を振り下ろす。それに応じる為、ガーゼフは草を薙ぎ払っていた片手剣を構え直した。
金属が打ち合い、炎の中に小さな火花が散る。
「貴様! 自分が何をしているのかわかっているのか? 自分の命を犠牲にして私を道連れにでもしようというのか!」
ガーゼフが俺に向けて叫ぶ。そりゃ自爆覚悟で突っ込んでくる奴が居たら驚きもするだろう。
「生憎と、そんな殊勝な考えは持っていないさ」
剣を交わしながらの会話。炎に気を取られているのか、ガーゼフの剣に精彩がない。
「では……どうすると言うのだ」
周りには炎が渦巻く。そのまま襲ってこないのは、マルシアが躊躇っているからだろうか。
「マルシア、やれっ! 俺を信じろ! 大丈夫だ!」
精一杯のでかい声で俺は叫ぶ。そうでなければ炎に掻き消されそうだ。
その言葉に応じたように、徐々に炎が迫ってくる。このまま巻き込まれれば、俺も一緒に灰になるだろう。しかし、そんなつもりは毛頭ない。
俺は全身に意識を集中する。
――風陣収縮!
風が身体を包み込むように集まってくる。それを見た瞬間、ガーゼフの目が見開いた。
これはシャンディとの契約で得た力。風の膜を周囲に作り出す祝福。収縮された風の防壁は、かつてミネラルアント・クイーンが使ったような、とてつもない防御力を誇る。
「き、貴様! それはっ!」
ガーゼフは明らかに動揺していた。それもその筈だ、シャンディから聞くところ、かつてガーゼフ自身が使っていた技である。
炎の壁はゆっくりと、俺たちを抱きかかえるように縮小していく。
「……くはははは。はーっはっはっはっはっは!」
突然、ガーゼフが笑い始めた。その高笑いで、炎の壁の表面が波打つように揺れる。
「やはり、貴様は全てを手に入れているではないか」
そして剣を下ろす。この風壁の力をその身で知っているからだろうか。
「そして俺はすべてを奪われ、ここで朽ちていくと言うことか……くくく、貴様もそのうち、こちら側に来ることになる。力を失い、絶望が心を刺したとき、貴様にも今の私の気持ちがわかることだろう」
「……学ばせてもらったよ。人の醜さ、そして弱さをな」
「……ふはは、ふはははは! そうだ、そのとおりだ。弱いからこそ、強さに憧れたのだ。かつて世界を巡り、その力で人々を救った英雄にな!」
巻き付いた炎の鎖は俺とガーゼフを離さない。
「そして弱いからこそ、貴様たちに負けた! ……この世界はなんとも上手くいかないものだ」
風の壁は炎の侵入を防ぐ。徐々に目の前のガーゼフが歪んでいった。
「シャンディに伝えろ――すべては過ぎ去った事だ、と」
その言葉を残し、ガーゼフは完全に炎に飲み込まれた。




