第七十一話 狂気と絶望
まるで幽鬼のようにこちらを向くガーゼフ。
その足元には幾人もの人間が転がっていた。流れ出た血の量から、その者たちの生死は確認するまでもないだろう。現状を見れば、一方的な殺戮であったということは想像に難くない。しかし、それはどうやって行われたのかと言う点が不明だ。
「貴様たちか……まさかここまで追ってくるとはな……とことん私を舐めているようだな」
ゆっくりとガーゼフが口を開く。
俺たちは事前の打ち合わせ通り、まずは相手の出方を窺うことにした。
どんな状況になっても対処が出来るように、俺とシャンディが左右に分かれて前方に立つ。中央奥には黒騎士、そしてその後ろにマルシアと続く。
「……ガーゼフ! 貴方、自分が一体何をやっているのかわかっているの!?」
再び、シャンディが声を張り上げた。
「……何を? 私は私の邪魔をする奴を排除しただけだ。それの何処がおかしい?」
そう言ってガーゼフは足元に転がる死体に、剣を突き立てる。一度では飽きたらず、何度も、何度も。
「ふははははは! 何を言おうとも、こうなってしまえばただのゴミではないかっ!」
ようやく浮かび上がった表情は狂気。まさにその一言がしっくりと来る形相だった。
その様子に、俺たちは気圧される。
「フン、どうした? いつもみたいに何かを喚き散らかさないのか?」
しばらくして飽きたのか、ガーゼフは足元の死体を蹴っ飛ばした。
「……つまらんな。少しは私を楽しませてくれ」
片手剣を構え直し、ガーゼフはゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
「なんだ、動かんのか? ならばこちらから行くぞ」
様子を見ている俺たちにガーゼフは一言呟くと、一気に間合いを詰めてきた。
狙いは俺だ。無造作に振られた片手剣を、俺の片手半剣が受け止める。
「ぐうっ!」
軽く振るった一撃のように見えてその実、かなりの衝撃が俺を襲った。まともに受けた俺はそのまま後方へとふっ飛ばされてしまう。危うく転倒しそうなところだったが、なんとか大地を踏みしめて耐える。
更に追撃を掛けてこようとしたガーゼフに、マルシアの草縄が襲いかかる。
「ほう、なかなか面白い技だな」
されるがままに縛られていったガーゼフだったが、その声に動揺はない。
「……だが、脆い」
そして言葉を発するやいなや、双腕で一気に引き千切っていった。
「うそっ!?」
マルシアが驚きの声を上げる。もちろん俺も驚く。いままで草縄が破られたことはなかった。しかし、どれくらいの力があればあの縄を引き千切れると言うのだろうか。ガーゼフの現時点の腕力は俺の生体活性・腕以上だと思ったほうがいいだろう。
「風刃!」
次いでシャンディの複合魔術が発動、ガーゼフヘと一直線に襲いかかる。
「……フン」
白く彩られた風の刃に合わせ、ガーゼフはまた無造作に片手剣を振るう。しかし、それだけで風の刃は霧散した。
「……おいおい、嘘だろう」
俺は思わず文句をたらしてしまった。色々と常軌を逸している。レベル5などと言う程度の強さではない。これは全て呪いの力なのだろうか。
「この程度か?」
出し惜しみをしていてもどの道ジリ貧だ。俺は生体活性・脚で素早い連撃を仕掛けるため、駆け出した。手数を増やせば一撃くらい当たるだろうという目論見だ。
「ほう、なかなか素早いな」
一足飛びに加速し、まずは正面からの一撃。勢いを上乗せしている分、ガーゼフの一撃と比べても遜色はない筈だ。再び、剣同士が打ち響く。その瞬間、ガーゼフが若干嫌な顔をした。やはり勢い全ては殺せないのだろうか。
「ちっ」
一瞬の均衡の後、舌打ちとともに剣が押し戻されてくる。ここで力比べをしても負けるだけだ。勢いに逆らわないように剣を流し、横へと回り込んだ。流した勢いで回転するとそのまま二撃目を放つ。それは予想されていたのか、身を引いて躱された。
再びガーゼフと正面で対峙する形になる。
余裕からなのか、向こうから攻撃してくる気配がない。
……ならば余裕ぶっているうちに一つでも多くの情報を得るだけだ。今度は生体活性・腕で剣速を早める。必要最低限の動きで剣撃を重ねていく。
しかし、その尽くが外されてしまった。
相手は頑丈な騎士鎧。即ちこちらが狙うところはほぼ読まれていた。いくら速度を上げたところで、基礎能力が高いガーゼフの前では全て防がれてしまう。
「どうした、ダンスはもう終わりか?」
これは俺だけではどうしようもない。
即ち、ここは囮に徹する。
俺の前方、ガーゼフからすれば後方奥から、飛来する物があった。三日月に沿った剣。シャンディの愛刀だ。風の加護を受けた三日月刀が、ガーゼフ目掛けて襲いかかる。
ガーゼフの視線は俺に向かっている。それを悟られないように、俺は片手半剣を構え直した。
三日月刀の狙いは、露出している首の付根。それが今まさに食らい付こうとしたその時、ガーゼフが動いた。一瞬にして身体を反転させると、そのまま片手剣で三日月刀を弾く。
「相変わらず、芸の無い奇襲だな」
今度は俺が動く。手にした片手半剣を、同じく首元目掛けて振り下ろす。しかし、剣が到達するよりも前に、ガーゼフの蹴りが俺の腹部にめり込んでいた。
「がはっ!」
腹の中で何かが爆発したように錯覚する。そのまま蹴り上げられ、俺は宙を舞った。しばらくの浮遊感からの落下。
「イグニスさん!」
叫ぶマルシアは俺とガーゼフの間に木の壁を作る。そして注意を惹くように、シャンディがガーゼフに襲いかかっていくのが眼に入った。
吐血。どうやら内臓がやられたらしい。このままでは戦闘を継続するのも厳しい。
意識が段々と朦朧としてくる中、黒騎士が駆け寄ってくるのがわかった。壁の内側に入ると中からシルヴィアが飛び出し、すぐさま俺の腹に手を当て、暖かい光で包み始めた。何度か経験したことのある感覚。回復貸出だ。
光は俺の内部に侵入。該当箇所の修復にかかる。しかし、こうやって回復する感覚はいつになっても慣れない。まあ、慣れたくもないのだが。
「これで大丈夫です」
シルヴィアが立ち上がり、再び黒騎士の中へと戻っていく。
「すまない、助かった」
手早く礼を言うと、傍らに転がっている片手半剣を拾い直し、壁の外側へと走った。そこには斬り結ぶ、シャンディとガーゼフの姿がある。
「どうした、それで限界か?」
ガーゼフの余裕の言葉。シャンディは苦い顔をすると、更に剣速をあげていった。
風の加護は、最初に見た時の印象からか武器を飛ばすものというイメージが付いていたが、実は様々な事に応用が効くことがわかった。以前シャンディに覚えた違和感は、剣速を風の加護で加速させていた事によるものだった。
しかし、それでガーゼフとようやく切り結べる程度……と言ったところだろうか。明らかにガーゼフは手を抜いていた。
「懐かしいものだな。こうして何度訓練をしたことか」
シャンディの怒涛の剣舞を物ともせず、ガーゼフが過去を懐かしむような言葉を口にする。
「だが……最早何の意味もない」
シャンディの踏み込んだ一撃を力で打ち払い、更に返す刀が襲い掛かる。シャンディは弾かれた三日月刀を手放すと、もう片方を両手で抑え、その一撃を何とか受け止める。だが、勢いだけは殺せず、飛ばされるように間合いが開く。
「……どんなに努力をしようと、才能がなければ上を目指せず。その才能を手に入れたかと思えば、容易く瓦解する。こんな理不尽な話があるだろうか」
唐突にガーゼフが笑い始めた。
「クックック。実に滑稽だ。俺も、お前たちも」
深い絶望。ガーゼフのその状態を俺はそう感じた。その気持ちがわからないことはない。レベル3で燻り、精霊契約によってレベル5までになった俺自身、ガーゼフと何処が違うのだろうか。この力が失われた時、俺もまた同じように絶望するのかもしれない。
「違うわ」
舞い戻ってきた三日月刀を手に戻し、シャンディが言う。
「少なくとも、上を目指していた頃の貴方は滑稽ではなかった。才能の限界が来ても、納得しようとしていた。でも……それを私が壊した」
シャンディが構え直す。
「だから、せめて私のこの手で止める」
風の加護で両刀を舞わせ、更に懐から抜き放った四本の短剣が宙に浮かぶ。そして更に魔術の詠唱を始めた。なんという魔力の使い方だ。
「ふはははは。無駄だ。無駄だ」
俺は黒騎士とマルシアに視線を向ける。二人共、黙って様子を窺っていた。俺のその視線に気が付くと手で合図を交わす。
ガーゼフに計六本の武器が襲撃する。しかし、所詮は魔力で操られただけの代物だ。撃ち合いとなるとどうしても脆い。元々仲間だったガーゼフも、その事は十分に承知しているようだ。武器の本数が増えたからといって動揺は見られない。
そこにマルシアの氷の矢が割って入る。それに続き、左右から俺と黒騎士。
俺の斬撃、黒騎士の突き、マルシアの草縄。そして周囲から襲いかかる剣の舞。
ガーゼフは氷の矢を避け、草縄を一閃して切り裂くと、そのまま俺の一撃を受け止めた。力の差を活かして俺を弾き、更に黒騎士の突きを躱す。さすがに、魔術の同時詠唱も行っているシャンディの剣舞にはキレがない。それを無視して俺たちの対処を優先してきた。
その剣たちが一斉に引く。シャンディの合図だ。それたちもそれに伴い、戦線から一旦離脱した。
「風圧!」
次いで上空から襲いかかる、膨大な風の圧力。
「ぬうっ!?」
ガーゼフが驚き、地面に膝をつきそうになる。しかし、完全にその行動を抑えることは出来ず、徐々に風域から逃れようと体を動かしていった。
そんな時、一本の短剣が俺の前に舞い降りた。それは当然、風の加護を受けたシャンディのものである。
俺は即座に眼の前の短剣を掴み、そのまま強化を掛けた。チャンスは今しかない。
――二重強化。
強化した腕から放たれる、至近距離からの全力投擲。
それは容易くガーゼフの鎧に吸い込まれていくと、そのまま身体を貫き、外へと飛び出した。砕かれた鎧の破片が辺りに舞っている。
さすがの衝撃にガーゼフも吹き飛ばされ、大地へと転がっていった。そしてうつ伏せに止まると、そのまま微動だにしない。
俺たちはしばらく、無言でそれを見つめ続けた。
手応えは十分にあった。体の中心を抉られて、そのまま戦闘を続行出来る人間など居ない。俺たちは互いに顔を見合わせると、頷きあった。
「……クックック、勝手に終わらせるな」
そんな俺たちをあざ笑うかのような声が響く。驚き、皆一斉に視線を戻す。
そこには先程と変わらず、余裕の笑みを浮かべたガーゼフの姿があった。




